
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
沓島(と冠島)は大本教が重要視する聖地で、出口なお・出口王仁三郎が儀式や参拝を通じて神霊と関わった場所です。※おほもとより
沓島(めしま)・冠島(おしま)は、日本海の若狭湾国定公園の海上に浮かぶ無人の小島で、舞鶴湾から北に約30キロの地点にあり、梅松苑からは東北(艮・うしとら)の方角にあります。
明治33年旧6月8日、「こんど二度目の世の立替えについて、冠島にまいりてくだされよ」との神示のまにまに、出口なお開祖、出口王仁三郎聖師、出口すみこ二代教主はお供の2人と共に冠島開きの神事を行いました。
その1カ月後、「こんどは沓島も開いて下されよ」との神示により、明治33年旧7月8日、開祖、聖師、二代教主により沓島開きの神事が行われました。
沓島では海上から30メートルほどの高台にあった1坪あまりの平岩に、綾部から持参した神祠(ほこら)を建立し、国常立尊(くにとこたちのみこと)さま、竜宮の乙姫さまをはじめ、世に落ちておられた神々さまを鎮祭し、世の立替え立直しを祈願しました。
明治38年旧4月10日、開祖が沓島にこもり、世界平和を祈願しました。これを沓島ごもりといいます。
大本教の概要
大本(おおもと)は、出口なおとその娘婿出口王仁三郎が創始した神道系新宗教です。正式名称には「教」が付きませんが、一般には「大本教」と呼ばれています。開教は1892年2月3日に出口なおに国常立尊(艮の金神)が憑依した日とされ、以後、筆先の自動書記による啓示や神懸かりを通じて教義が展開されました
Wikipedia+2
。教義の中心には「立替え・立直し」や「霊主体従」があり、人間と神が一体となる神人合一の思想が根本に据えられています
Wikipedia+1
。戦前には国家による大弾圧(第一次、第二次大本事件)が行われましたが、戦後は活動を再開し、現在も複数の教団や信徒組織が残っています
Wikipedia+1
。
冠島・沓島の概要
冠島(おしま)と沓島(めしま)は若狭湾にある二つの無人島で、行政上は京都府舞鶴市に属します。冠島が南側、沓島が北側で、沓島には国祖の神霊が、冠島にはその部下の神々が退隠しているとされています。両島は海鳥の繁殖地で、鳥獣保護区や天然記念物にも指定されています
onipedia.info
。
大本教における聖地としての意味
沓島は、大本教において重要な神霊の定座で、明治33年(1900年)には「冠島開き」「沓島開き」という儀式が行われました。出口なおと出口王仁三郎ら教祖一行が参拝し、神霊への祈願や修行を行った記録があります
onipedia.info
。特に沓島は国祖の神霊が隠退していた場所として、冠島よりも優先されることがあり、神業・修行の場として扱われました。
沓島での修行・参拝の事例
儀式・神霊の関係
沓島の参拝は、大本教の核心思想である「国常立尊」「艮の金神」との直接的な関係があり、出口なお・出口王仁三郎による「審神」や「筆先」の授与を通じて、信者に神意を伝える重要な行為でした
大本+2
。このため、沓島・冠島は単なる地理的存在ではなく、大本教の救済思想や終末論的理念が具体化される場所となっています。
現在の状況
今日においても両島は無人島のまま残され、参拝や修行は制限付きで行われています。一般向け参拝は海上からの遙拝が中心で、毎年6月には冠島沓島に参拝する行事や遙拝が行われています
onipedia.info
。蓄積された歴史と儀式の伝統を踏まえ、現代の大本教信徒にとっては聖地としての位置づけが維持されています。
まとめ
これらを通じて、沓島は大本教の神霊信仰や聖地文化を理解するうえで重要な位置を占めています。













