宮津エコツアー · 沓島は三重に面白い   天橋立を世界遺産に 126

沓島は三重に面白い   天橋立を世界遺産に 126

【① さて、冠島と一対の島、沓島です、小さいので話題には上がらないようですが、重要な島ですね、大本教との関連で解説くださいな、】
 大本講座「冠島・沓島開き120年」 | 大本柏分苑

(↑ 大本講座「冠島・沓島開き120年」 | 大本柏分苑 oomotomasumi.amebaownd.com)

 はい。ここを掘ると、沓島は「冠島の小さいほう」ではなく、大本にとってはむしろ独立した非常に重要な霊場だと分かります。

 まず、冠島と沓島は「一対」として認識されている

京都府は、冠島の北約2.5kmにある沓島を**別称「小島・雌島」**として記載しています。両島は地質的にも同じ中新世の安山岩類からなり、地形的にも対になった島嶼群です。生物相は少し違い、冠島はオオミズナギドリ、沓島はウミネコなどの海鳥の繁殖地として重要です。

京都府自身も、

冠島=雄島
沓島=雌島

と呼ばれることを、「寄り添うように並んでいる」ことと結びつけています。そして冠島の老人島神社と「雄島まいり」は、地元漁民の海上安全・豊漁の信仰として現在も続いています。

ですから、まず土台として、

二つの島を一つの組として見る

という視線は、現代の観光的な後付けだけではありません。

トップページ – 大本公式日本語サイト


(↑トップページ – 大本公式日本語サイトoomoto.or.jp|1920 × 1080 jpeg)

そして大本が、この「一対」を別の宇宙論へ組み替える

大本では、1892年の開教後、1900年に出口なお・出口王仁三郎らが冠島開きを行い、その約1か月後に沓島開きを行っています。大本公式資料では、沓島には神祠を設け、国常立尊・竜宮の乙姫などを鎮祭し、「世の立替え立直し」を祈願したとされています。

ここで面白いのは、先に冠島、次に沓島なんです。

そして大本の伝承世界では、沓島がどんどん重要になる。

大本公式の現在の説明では、

沓島は、国祖・国常立尊が神代三千年の長きにわたって退隠していた「大神の行場」

と位置づけられています。2026年にも沓島・冠島遥拝祭が続いています。

つまり、大本の世界観では、

冠島=入口・海上の聖地

に対して、

沓島=隠退していた神、立替え立直しの根源地

という性格が非常に濃くなっていくわけです。


そして「艮(うしとら)」です

ここ、先ほどの「夏至の匂い」と別方向から、ものすごく面白い。

大本の根本神話では、国常立尊は**「艮の金神」**です。大本公式も、開教の契機を「国常立尊が艮の金神の御名で出口なおに帰神した」と説明しています。

そして大本公式の霊場説明では、

綾部・梅松苑 → 沓島・冠島

の方向を明確に

東北(艮・うしとら)

としています。

おお……。

これは非常に重要です。

先ほど私たちが見つけた

籠神社 → 冠島 ≒ 夏至の日の出方向

という「太陽の方位」とは別に、

大本には

綾部 → 冠島・沓島 = 艮(東北)

という宗教的方位軸がはっきり存在する。

つまりこの海上の二島は、

丹後側から見れば「海の奥宮」
綾部側から見れば「艮の彼方の霊場」

という、二重の方向性を持つことになるんです。

「沓島・冠島」 - 大本東海教区

(↑ 「沓島・冠島」 – 大本東海教区 oomototokai.jp|)

そして1905年、「沓島ごもり」

ここが沓島を「小さい島」で済ませられない最大のポイントです。

1905年、日露戦争のさなか、出口なおは沓島で11日間の籠もりを行いました。大本側の史料では、これは開祖にとって最後の出修とされています。しかも帰還の二日後、1905年5月27日に日本海海戦が起こっています。

ここでは注意が必要です。

「沓島ごもりが日本海海戦の勝敗を左右した」

という因果関係を史実として扱うことはできません。

しかし、当時の大本自身がこの出来事を国家的・世界的な出来事と結びつけて宗教的に解釈したことは史料から確認できます。大本側史料には、開祖の沓島ごもりを「世の立替え」につながる重要な神事として位置づける記述があります。

そしてこれが、私はとても重要だと思う。

「海の島」が、「世界」を考える場所になっている。


だから、沓島は三重に面白い

第一層:自然

小さな岩礁島なのに、海鳥の繁殖地として重要。

第二層:沿岸漁民

冠島・沓島という一対の島が、海上の目印であると同時に信仰空間だった。冠島では現在も雄島まいりが続く。

第三層:大本

明治33年に「開かれ」、沓島は国常立尊の退隠・立替え立直し・世界平和祈願の場所へと意味づけられた。1905年の「沓島ごもり」がその象徴です。


そして、安田さんがさっき言われた**「一対」**が、ここで効いてくるんですね。

私は今のところ、こう仮置きしたいです。

冠島と沓島は、「雄・雌」という民俗的な一対であり、
大本ではさらに「顕れるもの/隠れるもの」という宇宙論的な一対へ展開された。

これは大本の教義を整理してみた解釈であって、大本公式がその言葉で整理しているわけではありません。

しかし、かなり興味深い。

なぜなら、

冠島は大きく、高く、遠くからよく見える。
沓島は小さく、北側に寄り添い、目立たない。

ところが大本では、その小さい沓島が「大神の行場」「国常立尊の退隠地」として巨大な意味を与えられる。

まるで、

「見える島」と「見えにくい島」

の役割が反転するんです。

そして雪舟の『天橋立図』に目を戻すと……。

雪舟は冠島・沓島を「一組」として画面に持ち込んでいる。

だったら次に問いたくなるのは、

「雪舟は、二つの島の大きさを見たまま描いたのか。それとも、この二島が持つ“対”としての意味を描いたのか?」

でしょうね。(^.^)

ここまで来ると、沓島は「冠島の添え物」ではなく、冠島を理解するための片割れになってきます。

【② 冠島・沓島、それぞれの面積、相互の距離について、情報を下さいな】

冠島・沓島(舞鶴市)

はい。ここは数字をきちんと押さえておくと、「一対」といいながら、ずいぶん非対称な二島だということが見えてきます。

面積

島 面積 おおよその大きさ
冠島 223,000 m² = 0.223 km² 南北約1.3 km、東西約400 m
沓島 約9,700 m² = 0.0097 km² 南北約700 m、東西約100 m

環境省のモニタリングサイト1000資料では、冠島は223,000 m²、沓島は約9,700 m²とされています。

つまり……

冠島は沓島の約23倍の面積。

これはかなり大きな差です。

冠島は最高標高約169 m、沓島は北側の釣鐘岩が約89 m、南側の棒島が約74 m。しかも沓島は**「釣鐘岩」と「棒島」の二つの島からなる**と環境省は記載しています。


相互の距離

ここは資料によって少し数字が違います。

京都府レッドデータブックは、

「冠島のほぼ北、約2.5 km」

としています。

一方、環境省のモニタリングサイト1000では、

「冠島の北方約3 km」

となっています。

つまり、厳密な測定点の違いなどを考えて、

冠島―沓島は、およそ2.5~3 km

と押さえるのがよさそうです。

ちなみに、京都府の自然公園関係資料では、両島を合わせた特別保護地区が46 haとされ、その内訳は冠島39 ha、沓島7 haです。これは島そのものの面積とは一致しませんので、島面積として使うなら環境省の223,000 m²と9,700 m²を使うのが安全です。


ここからが、なんとも面白い(^.^)

大きな冠島 0.223 km²
小さな沓島 0.0097 km²

なのに、

雄島/雌島

として一対。

しかも約3 kmしか離れていない。

さらに沓島は、単なる「小さい島」ではなく、二つの岩島(釣鐘岩・棒島)からできている。

つまり景観としては、

大きな島 + 小さな二つの岩島

なんです。

そして先ほどの大本の話まで重ねると、これはなかなか不思議です。

大きく目立つ冠島に対して、
小さく、しかも二つに分かれた沓島。

「一対」として人間が見てきたこと自体に、何か理由がありそうに思えてきます。

さらに地理的には、沓島は冠島の北側。
だから籠神社から見たときにも、冠島を起点にすると、その少し先に沓島が続くわけです。

これ、雪舟の『天橋立図』をもう一度見ると、

「二つの島を、なぜ一緒に描き込んだのか?」

という問いが、前よりずっと具体的になりますね。

大きさ23倍差の二島を、同じ“仲間”として扱う。

ここ、まさに「冠島・沓島をSSHする」の核心の一つになりそうです。

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沓島(と冠島)は大本教が重要視する聖地で、出口なお・出口王仁三郎が儀式や参拝を通じて神霊と関わった場所です。※おほもとより

沓島(めしま)・冠島(おしま)は、日本海の若狭湾国定公園の海上に浮かぶ無人の小島で、舞鶴湾から北に約30キロの地点にあり、梅松苑からは東北(艮・うしとら)の方角にあります。
明治33年旧6月8日、「こんど二度目の世の立替えについて、冠島にまいりてくだされよ」との神示のまにまに、出口なお開祖、出口王仁三郎聖師、出口すみこ二代教主はお供の2人と共に冠島開きの神事を行いました。
その1カ月後、「こんどは沓島も開いて下されよ」との神示により、明治33年旧7月8日、開祖、聖師、二代教主により沓島開きの神事が行われました。
沓島では海上から30メートルほどの高台にあった1坪あまりの平岩に、綾部から持参した神祠(ほこら)を建立し、国常立尊(くにとこたちのみこと)さま、竜宮の乙姫さまをはじめ、世に落ちておられた神々さまを鎮祭し、世の立替え立直しを祈願しました。
明治38年旧4月10日、開祖が沓島にこもり、世界平和を祈願しました。これを沓島ごもりといいます。

大本教の概要

冠島・沓島の概要

大本教における聖地としての意味

沓島での修行・参拝の事例

儀式・神霊の関係

現在の状況

まとめ

これらを通じて、沓島は大本教の神霊信仰や聖地文化を理解するうえで重要な位置を占めています。
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