宮津エコツアー · 天橋立を「日本の心の応接室」と呼ぼう、これからは!! 天の橋立を世界遺産に 260

天橋立を「日本の心の応接室」と呼ぼう、これからは!! 天の橋立を世界遺産に 260

◆1 ありがとう、天の橋立は、、、古くなりましたね、丹後人のこころのふるさと、この言い方は、、、(^.^) 丹後人、、その概念は、もう透明海月、、世界遺産には通用しない、、、!

ははは、そこを突かれましたか!(^.^)

「丹後人のこころのふるさと、天橋立」――情緒としてはよく分かります。しかし、世界遺産を語る言葉としては、たしかに弱い。

なぜなら、「丹後人」とは誰なのか、「こころのふるさと」とは何を指すのか、外の人には検証できないからです。

しかも、丹後人という概念そのものが、今や透明な海月のように輪郭を失いつつある。人口も暮らしも産業も変わり、地域への帰属意識も一様ではありません。

ここで、言葉を切り替える必要があると思います。

「誰のふるさとか」から「何が、どのように続いてきたか」へ

世界遺産に伝えるべきなのは、丹後人の郷愁ではなく、土地に刻まれた具体的な関係です。

  • 山地から川へ、川から湾へ、そして砂州へとつながる自然の営み
  • その地形の上で営まれてきた農業、漁業、交通、信仰
  • 籠神社、成相寺、智恩寺、府中の町などに残る歴史的な痕跡
  • 伊根の舟屋や上世屋の棚田など、自然と折り合ってきた暮らし
  • それらを守り、学び、次の世代に渡そうとする現在の営み

これなら、丹後人であるかどうかに関係なく、誰もが証拠をたどり、理解し、問い返すことができます。

そして、海星公園の役割が見えてくる

「地球46億年の旅」は、丹後人という境界を越えて、誰もが共有できる時間のものさしです。

海星公園で地球の時間を学び、天橋立でその時間がつくった景観を読み、伊根や上世屋で自然と人間の関係を確かめる。

そうすると、世界遺産運動の主語も変わります。

「丹後人のこころのふるさとを守ろう」ではなく、 「人間と自然が長い時間をかけて築いてきた、この土地の関係を未来へ伝えよう」。

私は、こちらのほうが世界に向けて語れると思います。

そして、もう一つ。

「丹後は一つ」は、丹後人の意識が一つだという意味ではない。山も川も海も、地域も暮らしも、互いにつながっているという事実を掘り起こす言葉にできる。

「丹後人」という曖昧な境界を越えて、「丹後という土地の関係」を語る。

安田さん、これは世界遺産を目指すうえで、かなり大きな発想の転換だと思います。

◆2 ありがとう、、天の橋立は日本の心の応接室!で迎えます(^.^)

ははは!!それです、それです!!(^.^)

「天の橋立は、日本の心の応接室!」

「丹後人のこころのふるさと」から、ぐっと世界が広がりましたね。

応接室というのがいい。

  • 丹後の人だけのものではない。
  • 日本人だけのものでもない。
  • 訪れる人を選ばず、自然と歴史が客人を迎える。
  • そして、訪れた人がそれぞれの心に何かを持ち帰る。

しかも、応接室には家の主の心遣いが表れます。山・川・海・砂州がつくった空間を、どのように整え、語り、迎えるのか。

海星公園は、その応接室に招く前に、地球46億年の時間を感じてもらう場所にもなる。

一つ、言葉を添えるなら、

「天の橋立は、日本の心の応接室。丹後は、その客人を迎える大きな座敷。」

いやあ、これは「丹後は一つ、天の橋立は多様」ともよく響き合いますね。(^.^)

◆3 これ、加悦の縮緬街道の旧尾藤邸を訪ねたさいの感覚をベースにしています

ああ、なるほど! それを聞いて、「日本の心の応接室」という言葉の意味が、ぐっと具体的になりました。(^.^)

加悦の縮緬街道にある旧尾藤家住宅を訪ねたときの感覚なのですね。

Kaico-参加型アートプロジェクト『パシャパシャ丹後-はた織りと共にある暮らし』 | KYOTOHOOP|京都府域文化芸術情報サイト(きょうとふーぷ)
旧尾藤家住宅(京都府与謝郡与謝野町字加悦) 奥座敷 文化遺産オンライン
ちりめん街道|屋根のない建築博物館  |  与謝野日々是 与謝野町観光協会

旧尾藤家住宅は、ただ古い商家の建物を見学する場所ではありません。丹後ちりめんで栄えた地域の商い、暮らし、交流、そして来訪者を迎えた文化が、建物の空間に残っています。

そこで感じたのは、もしかすると、こんなことだったのではないでしょうか。

自分たちの誇りを並べて見せるのではなく、訪れた人を迎え入れる。

応接室は、内と外が出会う場所です。家の主人がいて、客人がいて、そこに会話が生まれる。相手が誰であっても、まず迎える。その空間には、地域の文化や人柄がにじみます。

それを天橋立に重ねると、面白いですね。

天橋立は、丹後の人だけが懐かしむ場所ではない。日本の人々、世界から訪れる人々を迎え、それぞれの自然観や美意識、歴史への問いを受け止める場所になる。

そして、ここが世界遺産の話とつながります。

世界遺産とは、自分たちの宝物を世界に認めてもらうだけでなく、世界の人々を迎え入れ、その価値を共に考えることでもある。

旧尾藤家住宅で感じた「迎える心」が、天橋立の構想に移ってきたのですね。

一つお聞きしたい。

旧尾藤家住宅で特に心に残ったのは、建物の佇まいでしょうか。それとも、客人を迎える座敷や空間の使い方、あるいは家に流れていた時間でしょうか。

そこをもう少し掘ると、「日本の心の応接室」という言葉の芯が、さらに見えてきそうです。

◆4 客人を迎える座敷や空間の使い方、あるいは家に流れていた時間、、でしたね!!

そうでしたか!! そこですね。(^.^)

旧尾藤家住宅で感じたのは、建物の豪華さや古さではなく、人を迎えるために整えられた空間と、そこに積み重なってきた時間だったのですね。

座敷は、ただ人が座る場所ではありません。

客人をどこに通すのか。どの景色を見せるのか。どんな距離で向き合うのか。家の主人は何を語り、客人は何を感じて帰るのか。

そこには、家の歴史だけでなく、人と人との関係を大切にしてきた文化が表れます。

これを天橋立に移してみましょう。

天橋立を「日本の心の応接室」と呼ぶなら、砂州は応接室の床、山並みは背景、海は開かれた窓、そして訪れる人は客人です。

ただし、自然がつくった空間を人間がどう迎えの場として育ててきたのか。そこに、信仰や景観の鑑賞、舟運、祭り、地域の暮らしが重なってきます。

そして、海星公園の「地球46億年の旅」は、その応接室に入る前に、客人に地球の長い時間を感じてもらう仕掛けになる。

私は、こんな言葉にしてみたい。

天橋立は、日本の心の応接室。 自然が整え、人々が守り、歴史が磨き、訪れる人を迎える。

「丹後人のふるさと」という内向きの言葉から、「世界の人々を迎える」という外向きの言葉へ。

旧尾藤家の座敷で感じたものが、天橋立の世界遺産構想に新しい入口を開いたのですね。

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