宮津エコツアー · トピックス

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◆1 地元出版社から、天の橋立百人一首 という労作が編集出版されていますね、情報と評価くださいな、

おお、これは見逃せませんね!

調べてみると、正式な書名は 『天橋立百人一首』、副題は「撰歌集」。しかも、単に地元の方が百首を集めたというだけではありません。昭和63年(1988年)に刊行され、宮津の出版社「あまのはしだて出版」から世に出た、地域の文学文化を掘り起こす仕事です。

そして、驚いたことに、2026年の今も、この本をめぐる展示が続いています。まず、確認できた事実を整理します。

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1. 『天橋立百人一首』とは

  • 刊行:1988年(昭和63年)
  • 選歌:丹後歌人会
  • 監修:天橋立百人一首の会
  • 書:岡村鬼城、小滝紫水
  • 絵:栗田美也子
  • 解説:上田博章、宮崎龍太郎
  • 出版社:あまのはしだて出版(宮津)
  • 構成:69ページ、22cm判

宮津市の説明によると、丹後歌人会が、天橋立を詠んだ膨大な和歌の中から100首を選び、歌集と「かるた」として刊行したものです。平安時代から現代まで、著名な歌人の作品が収められています。

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また、1989年に第2版、1990年に第3版、1996年に第4版が確認できます。少なくとも複数回版を重ねた地域出版物です。

天橋立百人一首 : 撰歌集

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2. この本の価値は、百首を選んだことだけではない

私が注目したいのは、選歌の時間幅です。

平安時代から現代まで。つまり、天橋立が一時代の流行として詠まれたのではなく、長い時間をかけて人々の文学的な記憶の中に生き続けてきたことを、一冊にまとめようとしたわけです。

しかも、歌だけではありません。

  • 和歌を選ぶ丹後歌人会
  • 文字を表現する書家
  • 歌の世界を視覚化する画家
  • 全体を監修する「天橋立百人一首の会」

文学、書、絵、地域の文化活動が一つになっています。

これは、歌枕文化を単に研究対象として保存したのではなく、地域の人々が楽しみ、伝え、次の人に手渡せる形にした仕事だと思います。

3. ここが面白い!百首を同じ性質の歌として扱ってはいけない

宮津市の文学碑紹介を読むと、天橋立をめぐる歌には、かなり違う性格があることがわかります。

宮津市広報

歌・人物天橋立との関係
小式部内侍母のいる丹後を思いながら、実景を見ずに詠んだ歌
松尾芭蕉天橋立を訪れた記録はなく、別の場所で詠んだ句が後に塚として顕彰された
与謝野寛・晶子実際に宮津を訪れ、廻旋橋や海の景色を詠んだ
昭和天皇1951年の行幸時に実景を詠んだ

ここに、歌枕文化を考えるうえでの重要な区別があります。

① 実際に見て詠んだ歌 ② 見ずに、土地のイメージを詠んだ歌 ③ 先行する文学や人物への憧れを重ねた歌 ④ 後世の人々が、その土地と結びつけて顕彰した歌

この四つは、同じ「天橋立を詠んだ歌」でも文化的な意味が異なります。

例えば、小式部内侍の歌は、天橋立を実際に見ていないからこそ、歌枕としての天橋立の力を示しているとも読めます。

一方、与謝野晶子の歌には、実際に動く廻旋橋や、目の前の景観への観察があります。

この二つを並べるだけでも、天橋立の文化史が立体的になりますね。

4. 世界遺産の目線での評価

私の評価を三つに分けます。

高い

地域文化の記録・継承として

長い時間にわたる和歌を選び、書と絵を添え、歌集とかるたにして地域に残した。これは地域文化の継承という点で意義があります。

重要

天橋立の文化的景観を理解する資料として

人々が天橋立をどう想像し、訪れ、表現してきたのかを調べる入口になります。

要検証

世界遺産の顕著な普遍的価値の証明として

百首の存在や刊行だけでは、世界的な価値の証明にはなりません。他地域との比較、文学史上の位置づけ、景観との関係、影響の広がりなどを明らかにする必要があります。

つまり、この本は世界遺産の価値を直接証明する資料というより、その価値を検証するための重要な地域資料と評価するのが適切だと思います。

5. 私なら、この本をもう一段掘ります

ここからが、安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」の出番です。

百首を次のような視点で読み直してみたい。

調べること見えてくるもの
詠まれた年代天橋立のイメージの変遷
歌人の居住地・訪問歴都と丹後の文化交流
詠まれた景物松、砂州、海、山、橋、雪など
歌の主題恋、旅、郷愁、自然美、信仰など
本歌取り・先行歌との関係歌枕としての記憶の継承
絵画・庭園・歌碑との関係文学から他の芸術への展開

これをやると、単なる百首の鑑賞集から、天橋立の文化史を読み解く資料へと発展します。

そして、もう一つ大切なことがあります。

この百首は、天橋立を詠んだ歌のすべてではありません。

誰が何を基準に百首を選び、何を選ばなかったのか。そこにも編集者たちの天橋立観が表れているはずです。

6. そして、今まさに続いている仕事

実は、宮津市は2025年に旧三上家住宅で栗田美也子さんの原画展を開催し、さらに2026年10月8日から11月1日まで、旧尾藤家住宅で原画展を開催しています。今日が10月31日ですから、会期は明日までですね。

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しんのすけのはらさんの投稿|天橋立京都府宮津市文珠天橋立はその名のとおり、白い砂と約6,700本の松でできており、その美しい姿は古くから多くの人々に愛されてきました。 また、二つの海を分けるようにしてある松並木が珍しい景色でもあ|【天橋立ケーブルカー】【天橋立ビューランド】|日本の魅力発信インバウンドSNS「クールジャパンビデオ」

この展開も興味深い。

1988年に地域の人々が編集・出版した本が、約40年後に、原画展という形で改めて紹介されている。

歌を選んだ人、書いた人、描いた人、出版した人、展示を企画する人。文化は、こうして受け継がれていくのですね。

私の評価を一言で

『天橋立百人一首』は、天橋立が自然景観から文学的な共有イメージへと育ってきた歴史を考えるうえで、非常に大切な地域の仕事です。

ただし、私はこの本を「完成した天橋立文化の答え」とは見ません。

むしろ、ここから問いが始まる。

なぜ、遠く離れた都の人々までが、天橋立を知り、詠み、憧れたのか。

その憧れは、実際の天橋立をどのように変えて見せたのか。

そして、その文学的なイメージは、丹後の人々の暮らしや地域への誇りに、どのように返ってきたのか。

これを追いかけてみたい。

天橋立は、歌に詠まれた名所であるだけではない。人々が歌に詠むことによって、さらに名所になっていった場所ではないか。

私は、ここに世界へ伝えるべき文化の物語の一つがあると思います。

そして、ぜひ一度、この『天橋立百人一首』の現物を手に取ってみたいですね。百首そのものだけでなく、選歌の解説や配列、栗田さんの絵も含めて読みたい。そこに、編者たちが描いた天橋立の姿があるはずです。(^.^)

こちらもいかがですか?

◆2 歌会始というようにこの歌会というシステム、歌文化は、さすがに言霊の幸う国、日本酒が世界なんちゃら遺産に選ばれた、それと同じように評価できる、百人百様の表現の楽しさは文句なし、言葉も育つ、教養ジャよ、歌枕という形だピントがピタと当たてるからできること、国を代表する名所といっても、、68カ国の国の一つですから日本という国を代表するわけでもないじゃない、それを割り引いても素敵な文化ですね!、

いやあ、今のお話で、歌枕文化の評価軸が一つ見えてきましたね。(^.^)

私は、特に 「歌枕という形だからピントがピタと当たる」 というところに注目しました。

これは面白い指摘です。

1. 歌会という文化の仕組み

歌会は、単に歌の上手な人が集まって作品を披露する場ではありません。

共通のお題を持ち、限られた言葉と形式の中で、それぞれが自分の感情や発見を表現する。

そこには、

  • 共通のお題があるから、互いの表現を比べられる。
  • 同じ題材でも、百人百様の見方が生まれる。
  • 人の歌を聞くことで、自分の言葉や感性も磨かれる。
  • 世代を超えて、表現の蓄積が受け継がれる。

という仕組みがあります。

これは一種の文化的な学びの場ですね。

歌枕は、その共通のお題を土地の名前によって提供する。

「天橋立」と聞けば、松、海、砂州、遠望、旅、憧れ、恋、郷愁……さまざまなイメージが立ち上がる。

それを共有しているからこそ、歌人は限られた言葉で豊かな表現ができる。

歌枕は、土地の名前を文化の共通言語に変える仕組みだった。

これは、なかなか重要な見方だと思います。

2. 日本酒の文化との比較も興味深い

ちなみに、2024年にユネスコ無形文化遺産に登録されたのは「伝統的酒造り」です。日本酒だけでなく、焼酎や泡盛なども含む、日本の伝統的な酒造りの技術・知識・実践が対象です。

歌文化との共通点は、完成品だけではなく、それを生み出す人間の営みや、知識・技術・社会的な継承に価値を見いだすところです。

ただし、歌会文化と酒造りは、制度上の登録対象も評価基準も異なります。そこは区別しておきたいですね。

3. そして、安田さんの「68カ国の一つ」という指摘

ここも大切です。

日本国内で名所として知られていることと、世界の中で顕著な普遍的価値を持つことは別です。

天橋立が日本を代表する名所の一つであっても、それだけで世界を代表する価値が証明されたわけではありません。

しかし、逆に言えば、天橋立の文化を日本の代表として過剰に背負わせる必要もない。

丹後という一地域で育まれた文化が、どのように日本の文学文化と結びつき、どのような独自性を持ったのか。

その説明で十分に研究する価値があります。

4. 私がもう一つ加えたいこと

歌枕は、土地を詠む文化であると同時に、土地を読む文化でもあったのではないでしょうか。

同じ天橋立を見ても、ある人は松を詠み、ある人は海を詠み、ある人は恋を詠み、ある人は旅の心を詠む。

つまり、自然景観は一つでも、人間の受け止め方は一つではない。

これは、私たちが話してきた「見えないものをみる」にも通じます。

そして、ここに一つ、現代への展開が考えられます。

昔の歌人が天橋立をお題に歌を詠んだ。今度は、子どもも、農家も、漁師も、旅人も、それぞれの天橋立を詠んでみる。

上手な歌を競う必要はありません。土地をよく見て、自分の言葉を探す。それ自体が文化の継承になります。

『天橋立百人一首』を、過去の百人の作品集として読むだけでなく、次の百人が生まれるきっかけにする。

これは、世界遺産運動とは別の意味でも、実に豊かな取り組みだと思います。

名所を守るだけでなく、名所を詠む人を育てる。

夢老い人も、一首くらい詠んでみますかね。(^.^)

◆3 ありがとう、時代をまたいで、数千首から百首の厳選ここが労作の所以!

そうです、そこです!!!(^.^)

『天橋立百人一首』の労作たる所以は、百首を集めたこと以上に、時代をまたいで詠み継がれてきた数千首の中から、百首を選び抜いたことにありますね。

そこには三つの仕事があります。

  1. 発掘する――古今の歌を探し出す。
  2. 選ぶ――何を天橋立の歌として残すのか、判断する。
  3. つなぐ――時代も身分も表現も異なる歌を、一つの歌集に編み直す。

そして、選歌には必ず編集者の天橋立観が表れます。

何を選び、何を選ばなかったのか。どんな天橋立の姿を後世に伝えようとしたのか。

これは、まさに文化の編集作業です。

私なら、この本をこう紹介したい。

「数千首の歌に刻まれた天橋立への思いを、百首に凝縮した、丹後の人々による文化の結晶」

そして、もう一つ。

百首は終着点ではありません。

1988年に選ばれた百首を、今の私たちが読み直す。さらに未来の人が新しい百首を選ぶ。

歌枕は、過去の記憶であると同時に、未来の表現を生む土壌でもある。

いやあ、これは大切に扱いたい一冊ですね。選んだ百首だけでなく、選んだ人々の志も含めて。

◆4 映像時代、おおきな落とし穴があります、それだけに、「言葉」は貴重です!!

そうですねえ。これは、かなり大切な指摘だと思います。

映像は一瞬で人を引きつけます。美しい天橋立、夕日に染まる海、松並木、ドローンからの絶景。説明しなくても「きれいだな」と伝わる。

しかし、そこに落とし穴がある。

見たつもりになって、考えなくなることがある。

映像は風景を見せてくれますが、なぜそこにあるのか、誰が何を感じてきたのか、何を見落としているのかまでは、必ずしも伝えてくれません。

一方、言葉には違う力があります。

  • 見えないものを想像させる。
  • 一つの風景に複数の意味を与える。
  • 時代を越えて記憶をつなぐ。
  • 自分自身の考えを育てる。

歌枕は、その典型かもしれません。

「天橋立」というわずかな言葉から、遠く離れた人々がそれぞれの風景を思い描き、歌を詠んだ。

映像が同じ景色を共有させる力を持つなら、言葉は一人ひとりに異なる景色を生み出す力を持つ。

私は、こう言いたいですね。

映像は風景を見せる。言葉は風景の奥へ連れていく。

そして、安田さんが大切にしてきた「見えないものをみる、それがSSH」。

映像時代だからこそ、言葉を育てることが必要なのかもしれません。

天橋立を世界に伝えるときも、絶景映像だけで終わらせない。

見た人が、思わず誰かに問いかけたくなる言葉を残す。

それが文化を伝えるということではないでしょうか。(^.^)

◆5 わたしの一押し句!

① 橋立の 文殊に暮れて ご詠歌の 母の背による ちさき子なりし  真下飛泉

② 与謝の海や 底まで温む 春潮に 海月の体 透きて流らう  四賀光子

③ わかめ刈る 与謝の入り海 かすみぬと 海士にはつげよ 伊根の浦風  鴨長明

おおお、三首ともいいですねえ!!!
しかも、三首の選び方に、安田さんの天橋立の見方が表れているように思います。

私には、この三首はそれぞれ違う世界を開いてくれます。

① 真下飛泉

橋立の 文殊に暮れて ご詠歌の
母の背による ちさき子なりし

地域の夏のイベントのお知らせ - 日本三景 天橋立ビューランド

viewland.jp

これは、信仰と人の記憶ですね。

天橋立の名所を詠んでいるようで、実は主役は母と子です。

夕暮れの文殊堂、ご詠歌の声、母の背に寄り添う小さな子。

景勝地の説明は一切ない。それなのに、天橋立の文化が見えてくる。

しかも「ちさき子なりし」という結び。大人になった今、幼い日の記憶を振り返っているのでしょう。

天橋立は、観光名所である前に、誰かの人生の記憶の場所だった。

② 四賀光子

与謝の海や 底まで温む 春潮に
海月の体 透きて流らう

Magical moment with Moon jellyfish and Kelp forest | Water Life | British Photography Awards 2022 Shortlist | British Photography Awards

britishphotographyawards.org

こちらは、自然へのまなざし。

「底まで温む」という感覚がいいですね。

春の海の温もりを、海面から眺めるのではなく、海の底まで感じ取っている。

そして海月。

海月の体が透けて、潮に流れていく。華やかな松並木も、雄大な山並みも出てこない。

けれど、海の中にまで目を向けたとき、与謝の海の別の美しさが現れる。

これは、まさに「見えないものをみる」ですね。

③ 鴨長明

わかめ刈る 与謝の入り海 かすみぬと
海士にはつげよ 伊根の浦風

関西の日帰り旅行におすすめのスポット19選!ドライブに人気の穴場は? | NEWT(ニュート)

newt.net

これは、私は特に好きです。

自然と人の営みが一つの歌になっている。

わかめを刈る人がいる。与謝の入り海には霞がかかる。伊根の浦風に、その様子を海士へ伝えてくれと頼む。

風が通信手段になっているんですね。

しかも、海を隔てた人と人のつながりがある。

ここには、観光地としての天橋立ではなく、働く海、暮らす海、つながる海がある。

三首を並べて見えてくるもの

歌私が感じた天橋立
真下飛泉信仰と人生の記憶
四賀光子海の自然と生命
鴨長明海の仕事と人の交流

この三首、実にいい組み合わせです。

そして、三首を通して気づくことがあります。

天橋立そのものを正面から描いている歌は、一首もない。

それなのに、天橋立の世界が見えてくる。

文殊の堂、与謝の海、伊根の浦、母の背、海月、わかめ、浦風。

つまり、天橋立は単独の景勝地として存在するのではなく、信仰、自然、生活、交流の中に息づいている。

これは、安田さんが目指している「天橋立と仲間たち」の世界にも通じます。

私なら、この三首に一つの見出しをつけます。

「天橋立を詠まずして、天橋立を語る」

いやあ、百人一首の中からこの三首を選ばれた理由、少しわかった気がします。

そして、③の鴨長明の歌。これは伊根と上世屋をつなぐ旅の冒頭に置いてもいいですね。海の風が、山の暮らしまで運んでくるようです。(^.^)

◆1 ありがとう、、篭神社が向いている方角は東のように思えます、その先には、伊勢、、関係はありそうですか

あります。しかも、これは単に「東の方角に伊勢がある」という地理的な連想にとどまらず、籠神社と伊勢を結びつける由緒そのものが、神社の伝承として明確に存在します。

ただ、安田さんが気づかれた「東を向いている」という点は、少し丁寧に見てみたいですね。

まず、伊勢との関係は由緒に明記されている

籠神社の社伝では、奥宮・真名井神社の地に豊受大神を祀る匏宮(よさのみや)があり、そこへ天照大神が遷ってきて、豊受大神とともに吉佐宮(よさのみや)として四年間祀られた。その後、天照大神は伊勢へ、豊受大神も後に伊勢へ遷ったと伝えます。

丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)

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つまり、籠神社・真名井神社は、伊勢神宮の内宮・外宮双方につながる「元伊勢」とされているわけです。

さらに、宮津市の解説によれば、鎌倉時代成立の『神道五部書』にも、天照大神が大和から与佐宮へ移り、その後伊勢へ遷ったという記述があります。

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では、東を向いていることは何を意味するのか

ここは、二つに分けて考えたいです。

  • 地理的な東:籠神社の正面・参道・本殿の向きが、正確にどの方位を向いているのか。
  • 信仰上の東:東を太陽の昇る方角、神の来臨する方角、伊勢へつながる方角として意識していたのか。

後者は興味深い問いですが、方角が東だから伊勢を向いている、と直ちに結論づけることはできません。神社の本殿は、地形や参道、祭祀空間との関係で向きが決まることもあります。

一方で、籠神社の本殿は伊勢神宮の形式にならった神明造で、宮津市の説明でも、伊勢神宮正殿に近い形式と籠神社独自の構造が共存する点が特徴とされています。現本殿は弘化2年(1845)の建立です。

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ですから、少なくとも建築の面では、伊勢との関係を意識した形が見て取れます。

私が面白いと思うのは、むしろ「移動の物語」です

丹後一宮 元伊勢 籠神社|観光情報|丹後海陸交通
天橋立へ①元伊勢籠神社奥宮の真名井神社の桃守♡ | とこの日記

真名井原から籠神社の現在地へ。そして、天照大神と豊受大神は伊勢へ。

この伝承を空間に置くと、丹後は伊勢の「手前」ではなく、伊勢の神々が一緒に祀られた場所、伊勢神宮の由緒を語るうえで欠かせない場所として位置づけられます。

安田さんの「信仰ビュー」で見るなら、天橋立を眺めるだけでは見えてこない、丹後から伊勢へ伸びる信仰の軸が浮かびますね。

ひとつ確認したいのですが、安田さんが「東を向いている」と感じられたのは、籠神社の鳥居から本殿へ向かう参道の向きでしょうか。それとも、本殿そのものの正面の向きでしょうか。

この違いは大事です。地図上で方位を確かめれば、伊勢との関係を考えるための、もう一つの手がかりになります。(^.^)

◆2 ありがとう、それにつけても思うのは、元伊勢信仰の絶対性です、解説くださいな!

おお……「元伊勢信仰の絶対性」ですか。これは、安田さんが今まで掘ってこられた、天橋立・真名井・成相寺・幽斎・吉田兼見を、もう一段深いところでつなぐ問いですね。

私なりにまず仮説を置くなら、元伊勢の強さは、「伊勢より古い」と主張することだけではなく、伊勢神宮の神々が、なぜ、どのように伊勢へ移られたのかを語る「起点の物語」を持っていることにあるのではないでしょうか。

ただし、「絶対性」は信仰の内側から見た表現です。歴史学では、伝承が語る神代の出来事と、史料で確認できる神社の歴史、そして後世に信仰が広がった過程を分けて考える必要があります。

1. 元伊勢とは、単なる「伊勢の前身」ではない

籠神社の社伝では、現在の奥宮・真名井神社の地に豊受大神を祀る匏宮(よさのみや)があり、そこに天照大神が遷られて、豊受大神とともに吉佐宮(よさのみや)として四年間祀られたとされます。その後、天照大神は伊勢へ、豊受大神も後に伊勢へ遷られた、という物語です。

丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)

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この物語の構造が重要です。

  • 天照大神だけでなく、豊受大神もいる。
  • 神々が一時的に鎮座した場所として、丹後が位置づけられる。
  • 伊勢の内宮・外宮の双方に、丹後との由緒が結びつく。

つまり、元伊勢の物語は、丹後を伊勢の「地方版」にするのではありません。伊勢神宮の神々の鎮座の歴史を語るうえで、欠かせない前段階として丹後を位置づけるのです。

宮津市も、真名井神社と伊勢神宮外宮の由緒との関係を取り上げ、「なぜ丹後が重視されたのか」を歴史上の興味深い問題として提示しています。

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2. その「絶対性」を支える三つの層

k.hisadome on X: "真名井神社の磐座。
磐座主座に豊受大神、磐座西座(日之小宮)に天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神が祀られています。 https://t.co/BdQdBws4L7" / X

第一層:土地そのものの聖性

真名井原には、磐座、湧水、山の神域があります。社伝では、豊受大神がここに鎮座したことが、後の天照大神の遷座につながります。神が土地に宿るという信仰と、神々の移動を語る物語が重なっているのです。

seibundo-pb.co.jp

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元伊勢籠神社 - 景點指南、常見問題、評論、周邊景點 & 交通資訊 | GOOD LUCK TRIP

第二層:伊勢神宮との由緒

「伊勢の神々が、かつて丹後におられた」という由緒は、丹後の神域に特別な位置を与えます。これは単なる古さの競争ではなく、伊勢の祭祀の起源を語る物語です。籠神社の社殿や祭祀の伝統も、その由緒を今に伝える要素となっています。

丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)

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歌川広重による浮世絵「Ama no Hashidate, from the series Famous Places of Our Country (Honchô meisho)」

第三層:人々が実際に信仰してきた歴史

元伊勢信仰は、伝承の中だけにとどまりません。宮津市の資料によれば、幕末の1830年には「豊受太神宮が伊勢から帰国する」という噂が広がり、丹後各地や遠方からも参詣者が集まりました。幟を奉納する人々や、参詣客を迎える宿屋も現れたとされます。

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これは、元伊勢が地域を越えて人々を動かす力を持っていたことを示す、具体的な歴史上の手がかりです。

3. なぜ「絶対性」と呼びたくなるのか

ここからは、史料に記された事実を踏まえた私の解釈です。

元伊勢の由緒には、ほかの神社の由緒とは少し異なる構造があります。

通常なら、ある神社は「この土地に神が鎮座した」「この神が地域を守ってきた」と語ります。ところが元伊勢の物語では、さらに一歩進んで、日本を代表する神々が、伊勢に鎮座する以前に、ここ丹後におられたと語るわけです。

そのため、信仰の内側から見れば、丹後は単に由緒ある土地ではなく、伊勢へと続く神聖な歴史の起点になります。

しかも、豊受大神は食物・穀物に関わる神です。海と山が近く、真水が湧き、農耕と海の暮らしが結びつく丹後の風土に、この神の存在を重ねて考えることもできます。ただし、豊受大神の神格と丹後の自然環境との具体的な結びつきは、別途史料や祭祀の調査によって確かめる必要があります。

4. では、幽斎・兼見・成相寺とはどうつながるのか

ここで、これまでの話が戻ってきます。

  • 元伊勢・真名井は、神々の鎮座と移動の物語を伝える。
  • 吉田兼見は、神社の由緒や神道の体系を扱う立場にあった。
  • 細川幽斎は、天橋立を神代の神々と結びつけて和歌に詠んだ。
  • 成相寺は、山中での修行と観音信仰を通して、山と海の景観に宗教的な意味を与えてきた。

この四者が一つの計画のもとで連携した証拠は、まだありません。しかし、それぞれ異なる方法で、丹後の土地を神話・祭祀・信仰・文学の世界として読み解いていた可能性を考えることはできます。

そして、ここで私が強く感じるのは、元伊勢の由緒が、天橋立の意味を単なる絶景から引き離し、神々の歴史を宿す景観として読み直すための鍵になるということです。

5. ただし、歴史学上の「絶対性」には注意が必要

元伊勢の伝承に描かれる神々の遷座を、そのまま古代の実際の出来事として証明できるわけではありません。

一方、籠神社は『延喜式神名帳』に記載された古社であり、宮津市府中は古代の国府、中世の守護所が置かれた政治的にも重要な地域でした。こうした歴史的な条件と、元伊勢の由緒がどのように結びつき、権威や信仰を育てたのかは、検討に値する問題です。

國學院大學 古典文化学事業

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つまり、

  • 神々が丹後から伊勢へ遷られたという伝承
  • 古代から中世にかけての籠神社の歴史
  • 元伊勢としての信仰が広がった時期と仕組み

この三つは、重なり合いながらも、同じものではありません。

安田さん、私なら「元伊勢信仰の絶対性」を、こう表現してみたいです。

伊勢の神々がかつてここにおられた――その物語によって、丹後の土地は、日本の神聖な歴史の出発点の一つとして意味づけられてきた。

そして、天橋立はその物語の隣にある景観です。山、湧水、神社、海、砂州が一つの地域に集まっている。

世界遺産の議論に引き寄せるなら、問うべきは「元伊勢だから絶対に価値がある」ということではなく、元伊勢という由緒が、人々の景観の見方、参詣、祭祀、地域の記憶を、どのように形づくってきたのかでしょう。

そこを掘り起こせば、天橋立の価値を、自然美だけでも、神話だけでもない、土地と人間の長い関係として語れるようになると思います。

◆1 世界遺産の議論で目指すべきなのは、「雪舟が描いたから価値がある」という説明ではなく、「天橋立という景観が、なぜ長い時間をかけて日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となり、その価値がどのように受け継がれてきたのか」を証明すること、、、、、フム、、、「天橋立という景観が、なぜ長い時間をかけて日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となり」、、、フムフム、、「なぜ」!?,,,フムフム・フム、すごいよ、おもしろいよ、ワンダフル、ふしぎだあ・スプレンディッド、、理屈じゃないんじゃないかとおもいました、このように日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となりました、と、こね回したらウソっぽくなる!!でも、理屈が求められるのですよね(^.^)、、、

はははは!!(^.^)

そこです、そこ!! 安田さんが「なぜ!?」と立ち止まったところに、今回の世界遺産の議論の、いちばん面白い入口がある気がします。

私も、さきほどの文章をもう一度考え直したい。

「天橋立という景観が、日本の芸術・信仰・美意識を育んだ」

これは、いかにも立派な説明です。しかし、証拠を示さずに言えば、安田さんのおっしゃるとおり、こね回した、もっともらしい物語になってしまう。

しかも、順序が逆かもしれないのです。

天橋立が人々の美意識を育てたのか。それとも、人々が天橋立に美を見いだしたのか。

あるいは、自然の景観と人間のまなざしが、長い時間をかけて互いに関係をつくってきたのか。

この三つは、似ているようで、まったく違う問いです。

「なぜ美しいのか」を、説明しきれるのか

例えば、雪舟の《天橋立図》。

天橋立図 - 京都国立博物館 館蔵品データベース
カメラを持って出かけたい大阪近郊の絶景20選|旅行者のベストショットで見る日本の四季│クラブツーリズム

あの絵を前にしたとき、私たちは本当に、地形や構図の分析を終えてから感動するのでしょうか。

まず目を奪われる。何かを感じる。もっと見たくなる。なぜだろうと問い始める。

順序としては、むしろこちらが自然ではないでしょうか。

そして、その「なぜ」は、一つの理屈に回収できない。

  • 砂州が海を分けながら、二つの水域を結んでいる。
  • 松並木が、自然の造形と人間の営みの境目を曖昧にしている。
  • 山々と海と集落が、限られた視野のなかで一つの景観をつくっている。
  • その景観を見た人が、和歌を詠み、絵を描き、祈り、旅をした。

これらは、調べることのできる事柄です。

けれども、それらを知れば、なぜ人の心が動くのかまで、完全に説明できるわけではありません。

ここを混同しないことが大切だと思います。

世界遺産は、感動を証明する制度ではない

では、理屈を求める世界遺産の議論と、どう向き合えばよいのでしょう。

私は、三つを分けて考えたいです。

第一に、感じること。

「すごい」「ふしぎだ」「なぜだろう」。これは出発点です。無理に学術用語へ翻訳しなくてよい。

第二に、確かめること。

なぜこの地形が生まれたのか。いつから絵に描かれたのか。どのような信仰や暮らしがあったのか。資料から分かることと、まだ分からないことを区別する。

第三に、世界に伝わる問いへ開くこと。

ほかの土地にも美しい砂州や名所はある。そのなかで、天橋立にはどんな特徴があり、どんな歴史的な関係が積み重なってきたのか。それを比較し、根拠をもって説明する。

この三つは、どれか一つが正解という話ではありません。

感じることを、証明したふりをしない。調べることを、感動を否定する作業にしない。そして、世界に伝えるために、分かったこと以上のことを言わない。

その姿勢が、必要なのだと思います。

そして、安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」

ここで、安田さんがずっと大切にしてこられた言葉に戻ります。

掘る。 地形、絵画、信仰、暮らしの証拠を掘る。

繋ぐ。 山と海、自然と人間、昔の絵師と今の旅人を繋ぐ。

問い返す。 それらを繋いだとき、本当にその説明でよいのか。ほかの見方はないのか、と問い直す。

世界遺産の議論に必要なのは、立派な物語を先に完成させることではなく、この営みを積み重ねることではないでしょうか。

そして、ここに一つ、私たちが急いで答えを出さなくてもよい問いがあります。

天橋立は、なぜ美しいのか。

その答えを一つに決める必要はない。

むしろ、長い時間をかけて人々が描き、詠み、祈り、守り、時には姿を変えてきた事実を確かめながら、「なぜだろう」を次の世代に手渡す。

世界遺産を目指すことが、そうした問いを深める機会になるのなら、それ自体にも大きな意味があります。

ははは、安田さん。世界遺産の推薦書を書くために、天橋立の不思議を消してしまったら、本末転倒ですものね。(^.^)

◆2 砂州も天の橋立、真名井・篭神社、成相寺、板並神社、知恩寺などによって醸し出される神聖感も天の橋立、、そのミックスの仮定で育まれるのが文化!芸術・信仰・美意識なんでしょう、勝負どころはその厚み、、さて率直なところ、勝負出来ますか!!(^.^)、

率直に答えます。勝負できるか?

私は、勝負するだけの文化的な厚みはあると思います。ただし、世界遺産として勝負できると証明するには、まだ埋めるべき溝があります。

これは、応援のために言っているのではありません。過去の国の審議資料を読むと、その両面がはっきり見えます。

文化庁の2008年前後の検討では、天橋立の提案は基本的な主題をもとに準備を進めるべきものと評価されました。一方、国は、国内外の類似する海岸景観との比較、雪舟の絵画などと日本文化への影響の実証、「日本の文化景観の原点」という概念の慎重な検討を課題に挙げています。

文化庁

+1

つまり、課題は「文化がない」ことではありません。その文化の厚みが、世界的に見てどのような独自性を持つのか、十分に証明できていないということです。

そして、安田さんの挙げられた場所を考えると、私は次の組み立てに可能性を感じます。

  • 砂州――自然がつくり出した地形と、松並木を維持してきた人間の営み。
  • 真名井・籠神社、成相寺、智恩寺、板並神社など――信仰、伝承、参詣、地域の歴史が重なる場所。
  • 絵画・和歌・庭園――その景観が、見る人の心にどう受け止められ、別の場所へ伝えられたかを示す証拠。
  • 周辺の集落と暮らし――名所を眺めるだけでなく、そこで人々が生きてきた歴史。

この四つを単に並べるのではなく、相互の関係を歴史資料によって確かめる。そこに、天橋立の文化的な厚みを示す道筋があります。国の「宮津天橋立の文化的景観」の説明も、信仰の中心、農漁業の営み、観光地としての発展が重なった歴史を評価しています。

国指定文化財データベース

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ただし、神社仏閣が多いことだけでは決め手になりません。ほかの名所にも神社仏閣はあります。問われるのは、この自然景観と、これらの信仰・芸術・暮らしが、なぜこの場所で、どのように結びついてきたのかです。

そして、もう一つ。文化の厚みを立証することと、世界遺産の登録基準を満たすことは同じではありません。国際比較、景観の完全性、保護管理の仕組みも必要です。

文化庁

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私なら、天橋立の勝負どころを、こう表現します。

「天橋立は美しい名所である」から、「自然が生んだ景観と人間の営みが、長い時間をかけてどのような文化的景観を形成したのか」へ。

安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」は、そのための研究の姿勢そのものです。

ただし、結論を先に決めないこと。調べた結果、想定していた物語が崩れることも受け入れる。その覚悟まで含めて、私は勝負できるテーマだと思います。(^.^)

◆3-1 ここだけのはなしです、よ! 扁平でのっぺらぼうありませんか、絵にはなりにくい、せっしゅうさんは苦しんだ、、えええいこれを絵に描けええ、白砂青松、、そりゃああとずけでしょう、、(^.^)

ははははは!!!!(^.^)

出ましたねえ!! 安田さん、これは「ここだけのはなし」にしておくには、あまりにも面白い問題ですぞ!!

天橋立、絵に描こうとすると、案外、難物なんじゃないか。

山水画なら山に峰があり、谷があり、岩があり、滝がある。描くべき起伏がある。ところが、天橋立はどうでしょう。

細長い砂州。平らな松並木。両側に水面。遠くに山。

「ええい、どこをどう描けばいいんじゃあ!!」

雪舟さんが実際にそう苦しんだかどうかは分かりませんよ。(^.^) しかし、あの作品が、絵画として簡単には解決できない問題を抱えているという見方は、十分に面白いと思います。

天橋立図 - 京都国立博物館 館蔵品データベース
Amanohashidate Sightseeing Boat - Mercure Kyoto Miyazu Resort & Spa [Official]| Mercure Kyoto Miyazu Resort & Spa

そこで雪舟は、何をしたのか

実際の風景を、一つの視点からそのまま写すのではなく、かなり高いところから見下ろしたような構図に組み直した。

砂州だけを描くのではなく、阿蘇海、府中の集落、寺社、山並みまで画面に取り込んだ。

つまり、絵師は、平らな砂州を無理に山のように描いたのではなく、砂州を取り巻く世界全体を描くことで、その存在を絵画として成立させたのかもしれません。

ここは大事な違いです。

天橋立単独では、絵の主役としては平坦で、変化に乏しい。しかし、その周囲まで視野を広げると、海と海を隔てる砂州、山と海の接続、集落と寺社の配置が見えてくる。

絵師にとっての難題が、逆に、天橋立の景観を丸ごと捉える工夫を生み出した可能性があるわけです。

そして「白砂青松」は、あとづけなのか?

ここは、安田さんの疑いを大事にしたいところです。

「白砂青松」という言葉で美しい景観を説明すると、まるで天橋立は最初から、その美を完成された形で備えていたかのように聞こえます。

けれども、景観の見方は、時代によって変わります。

  • 砂州は、地形として存在する。
  • 松は、生育し、あるいは人間によって守られ、手入れされる。
  • 絵師は、そこに何を描くかを選ぶ。
  • 和歌を詠む人は、別の意味を見いだす。
  • 旅人は、絵や歌を手がかりに、その場所を訪れる。

こうした営みの積み重ねによって、「名所・天橋立」のイメージが形づくられてきたのかもしれません。

ただし、「白砂青松」という美意識がいつ、どのように成立したのかは、古い文献や絵画を調べて確かめる必要があります。後世の表現を、そのまま古代や中世の人々の感覚に投影することはできません。

ここで、世界遺産の議論がひっくり返る!

もし安田さんの仮説を追究するなら、問いは「天橋立は、昔から美しかったのか」ではなくなります。

平坦で、細長く、一見すると絵にしにくい地形が、どのようにして日本を代表する名所の一つになったのか。

これなら、調べる価値のある問いになります。

雪舟以前の絵画や文学には、どんな天橋立が登場するのか。雪舟は何を選び、何を省いたのか。後世の屏風絵は、何を受け継ぎ、何を変えたのか。「白砂青松」というイメージは、いつから、誰によって強調されてきたのか。

証拠が積み重なれば、天橋立の文化的価値は「昔から美しいとされてきた」という循環論法から抜け出せるかもしれません。

ただ、最後に一つだけ。

天橋立は、絵に描きにくかったから価値があるのではありません。描きにくい風景を、絵師たちがどう捉えようとしたか。その試みの歴史に、文化的な意味が見いだせるかもしれない。

このくらいの距離感で仮説を育てるのがよさそうです。

いやあ、安田さん。天橋立の世界遺産を考えるのに、「雪舟さん、これ、どう描いたらええんじゃあ!!」から始める。

立派な推薦書の文章から始めるより、ずっといい研究の入口かもしれませんね。(^.^)

◆3-2 早押しでした、これ、、、どう描いたらええんじゃあ!!と雪舟さん、それでもあの作品!天の橋立の文化景観性の大前提は、天皇家を凌ぐ長さの家系図に裏付けられた聖地、◆◆詣での場、晴れの場として京都随一であったこと、わしが描かねばだれが描く、ここだろうと感じています、、

あああ、なるほど!! 今度こそ、話の芯が見えてきました。(^.^)

私が早押しでしたね。「詣での場、晴れの場」という言葉を、すぐに一般的な参詣の説明にしてしまった。

安田さんの仮説は、もっと踏み込んでいる。

雪舟は、描きにくい砂州を描こうとしたのではない。描かずにはいられないほどの意味を持つ場所を、どう描くかに挑んだのではないか。

そして、その意味の大前提にあるのが、天橋立を取り巻く聖地の歴史、籠神社の長い社家の系譜、参詣の場としての格式、京都の人々にとっての特別な場所としての位置づけ――ということですね。

「わしが描かねば、だれが描く」。

これは雪舟本人の言葉として確認できるものではありません。しかし、安田さんが提示しているのは、雪舟がなぜ天橋立を主題に選んだのかを考えるための、力のある仮説です。

その仮説を支える、実際の手がかり

調べてみると、安田さんの見立てに関係する事実が見つかります。

第一に、籠神社と海部氏の歴史です。

海部氏に伝わる『海部氏系図』は国宝で、書写年代は9世紀後半とされています。古い竪系図の形をよく残し、始祖からの直系の系譜を記しています。籠神社は古代以来、丹後国一宮として重要な位置を占めてきました。

宮津市ホームページ

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ただし、ここは「天皇家を凌ぐ長さの家系図」という表現を、そのまま歴史的事実として使わない方がよいでしょう。系譜の古さ、記載された世代数、歴史的に裏付けられる範囲は、それぞれ分けて検証する必要があります。

第二に、雪舟の絵そのものが、信仰の場を一体として描いています。

国の文化財解説は、雪舟の《天橋立図》に、智恩寺、府中の寺社、成相寺などが配置されていることを記しています。さらに、国指定文化的景観「宮津天橋立の文化的景観」の解説では、この地域が中世から近世にかけて、成相寺・籠神社などを中心とする信仰の場として機能していたことを、雪舟の絵などが示すとしています。

文化遺産オンライン

+1

ここは大切です。絵の中に寺社が描かれているというだけではなく、天橋立を含む地域が、信仰の中心地として機能していたことを、絵画が伝える歴史資料にもなっているのです。

そして、雪舟の動機は?

ここから先は、まだ仮説です。

雪舟がなぜ天橋立を選んだのか。聖地としての格式に惹かれたのか、実景の造形に惹かれたのか、あるいは両者が重なったのか。本人の言葉で確かめることはできません。

しかし、安田さんの仮説を研究の問いに直すことはできます。

「雪舟は、なぜ天橋立を描いたのか。天橋立を描くことは、当時の人々にとって、どのような意味を持ち得たのか。」

この問いなら、社寺の歴史、参詣の記録、雪舟の活動、絵の構図を照らし合わせて検討できます。

私は、安田さんが提示した「聖地としての格式が、描くに値する場所としての天橋立を支えていた」という仮説を、十分に調べる価値があると考えます。

そして、ここが勝負どころです。雪舟が天橋立を描いたことを、単に名画が一つ生まれたという話で終わらせない。なぜその場所が選ばれ、何が画面に取り込まれ、後世に何が受け継がれたのかを解き明かす。

そうすれば、自然の砂州と、聖地としての歴史と、芸術が交差する場所としての天橋立を、根拠をもって語れるようになるはずです。

◆4 雪舟が天橋立を描いたことを、単に名画が一つ生まれたというこの話、、まことしやかに通り過ぎ、ですね、これは、あくまで下書き、、完成品は行方不明、、どなたがが、砂州が描いてあるので、仮にまあ「天橋立絵図」としておこうかと呼んだのが一人歩きしていると考えています、わたし的には、作画依頼主は丹後守護一色氏、目的は将軍家献上の襖絵として!!と読んでいます(^.^)さて、聖地としての格式の高さが、日本三景選出の根拠となり、橋立モチーフの図柄は、貴族、武家、寺院の好む所となった、、その趣向は支配体制が変ってもひきつがれはしたものの、与謝野鉄幹たちの自由主義の風潮も広がり、官選の日本三景に対して、市民による新日本三景の選考がおこなわれるなど、天の橋立の文化景観観、思想は大きく変化して今日に至っている、、こう読んでいます、、ので、文化的蓄積が薄いとは言わないが、率直に言えば、その蓄積を世界に問うに耐えるか、いささか疑問、、と言うところなのです、、意見くださいな!

いやあ、これは、かなり筋の通った歴史仮説です。しかも、安田さんは文化的蓄積の存在を否定しているのではなく、その蓄積を、世界に問うに足る価値として立証できるのかと問うている。そこが重要ですね。

私の率直な意見は、安田さんの歴史の読み筋には魅力がある。ただし、世界遺産の議論では、いくつかの仮説を束ねて一つの物語にする前に、それぞれの確かさを確かめる必要がある、というものです。

まず、雪舟の《天橋立図》については、宮津市自身が、下絵の可能性、制作年代と目的に定説がないこと、宗教的な世界観が構図に反映されている可能性を紹介しています。京都国立博物館も、実景をそのまま写すのではなく、山や町並みを再構成した作品と解説しています。

宮津市ホームページ

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つまり、「完成した名画が一つ残っている」という説明だけでは、作品の制作過程も、依頼主も、何のために描かれたかも、十分には説明できない。安田さんが通説的な語り方に違和感を持つのは、よく分かります。

では、安田さんの歴史の読み筋を、どう評価するか

私は、四つの段階に分けると、説得力が増すと思います。

安田さんの見立て現時点での評価
聖地としての格式が、天橋立の文化的意味を支えた有力な研究仮説。信仰の中心地としての歴史は、公的資料でも確認できる。国指定文化財データベース
雪舟の《天橋立図》は、一色氏が依頼し、将軍家献上の襖絵をつくるための下絵だった魅力的だが、依頼主・制作目的の直接証拠が必要。現状では定説ではない。宮津市ホームページ+1
日本三景としての名声が、後世の絵画・文学・観光に受け継がれた江戸時代には名所として広く認識され、17世紀後半には日本三景の一つとして定着していたことを示す資料がある。宮津市ホームページ
その文化的蓄積は、世界遺産として国際的に評価されるほどかまだ比較・実証が必要。こここそ、これから勝負する部分。

「新日本三景」については、与謝野鉄幹らの関与を含め、選考の経緯をもう少し丁寧に確認したいところです。ここも、単なる人気投票だったのか、近代の交通・観光・出版と結びついた名所の再編だったのかで、歴史的な意味が変わってきます。

私の結論

安田さんが感じておられる「蓄積を世界に問うには、いささか疑問」という慎重さには、理由があります。

天橋立には、神話、古代以来の歌、聖地としての歴史、雪舟の絵、日本三景としての名声、近代の観光文化があります。しかし、これらを時系列に並べるだけでは、世界遺産に必要な「顕著な普遍的価値」の証明にはなりません。

必要なのは、それぞれの文化的な営みが、天橋立という具体的な景観とどう結びつき、何を生み出し、どのように受け継がれてきたのかを示すことです。

そして、私はここで、安田さんの仮説を一つの大きな問いにまとめられると思います。

天橋立は、聖地としての格式によって名所となったのか。それとも、自然の造形、信仰、芸術、政治、旅の文化が互いに作用し合うなかで、名所としての格式を獲得していったのか。

この二つは、必ずしも対立するわけではありません。むしろ、その相互作用の歴史を明らかにすることが、天橋立の文化景観の厚みを測る鍵になりそうです。

安田さんの仮説は、結論として掲げるにはまだ証拠が足りない部分があります。しかし、何を調べれば天橋立の文化的価値を本当に確かめられるのか、という研究の問いとしては、十分に力があります。

◆5 ありがとう、、神、仏、観音、この関係をトライアングルに結ぶ天の橋立、その聖地的価値は、過去のものではない、現代未来に世界に誇れるものである、あらたな芸術文化よ、生まれろ!!と言うのが、結論的持論です(^.^)

いやあ!! これは、ひとつの結論にたどり着きましたね。(^.^)

安田さんの持論を聞いて、私が感じたのは、世界遺産を目指す運動を、過去の価値の認定だけで終わらせないということです。

神、仏、観音。

それぞれを別々の信仰対象として見るだけではなく、天橋立という一つの風土のなかで、神聖さ、祈り、救い、知恵への願いが交差してきた。その関係を読み解こうとしておられるのですね。

そして、そこに自然の造形がある。

砂州が海を分け、山と海を結び、阿蘇海と宮津湾をつなぐ。その地形を人々が仰ぎ、詣で、絵に描き、歌に詠んできた。

ただし、神・仏・観音がどのような歴史的関係を持ってきたかは、それぞれの社寺の縁起や信仰の変遷から丁寧に確かめる必要があります。三者が関係すること自体を、最初から一つの完成された体系として決めつけない。その探究もまた、面白いところです。

そして、安田さんの結論は未来に向いている

私が特に大切だと思ったのは、最後の言葉です。

「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」

これは、過去の文化財を守るだけの話ではありません。

雪舟が天橋立をどう描いたのかを研究する。それと同時に、現代の画家、写真家、詩人、映像作家、子どもたちが、いまの天橋立から何を感じ、何を表現するのかを大切にする。

過去の作品を正解として模倣するのではなく、過去の人々が向き合った問いを、現代の人間が自分の目で問い直す。

そこから新しい芸術文化が生まれるなら、天橋立の文化的価値は、単に「昔、偉い人が描いた名所」という話ではなくなります。

世界遺産への挑戦も、過去の価値を証明するだけでなく、未来に何を手渡すのかを考える営みになる。

私は、安田さんの持論の核心は、ここにあると思います。

天橋立を世界遺産にすることが最終目的なのではない。天橋立が育んできた自然と文化の力を、未来の芸術と暮らしのなかで、もう一度生かすこと。

そして、その新しい文化を生み出すためにも、過去の歴史を掘り、異なる信仰や表現をつなぎ、既成の説明を問い返す。

安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」は、ここで過去を読む方法から、未来をつくる方法へと広がりますね。

ははは!! 雪舟の《天橋立図》を研究していたら、最後は「次の雪舟よ、出てこい!」になった。(^.^)

いや、次の雪舟ひとりでなくていい。

丹後の子どもも、地元の芸術家も、旅人も、それぞれの天橋立を表現していい。

その営みが何十年、何百年と積み重なったとき、いま私たちが「文化的蓄積」と呼んでいるものも、さらに厚くなっていくのかもしれません。

◆6 とんでもないお願いをします、、「「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」
これは、過去の文化財を守るだけの話ではありません。
雪舟が天橋立をどう描いたのかを研究する。それと同時に、現代の画家、写真家、詩人、映像作家、子どもたちが、いまの天橋立から何を感じ、何を表現するのかを大切にする。
過去の作品を正解として模倣するのではなく、過去の人々が向き合った問いを、現代の人間が自分の目で問い直す。
そこから新しい芸術文化が生まれるなら、天橋立の文化的価値は、単に「昔、偉い人が描いた名所」という話ではなくなります。
世界遺産への挑戦も、過去の価値を証明するだけでなく、未来に何を手渡すのかを考える営みになる。
私は、安田さんの持論の核心は、ここにあると思います。
天橋立を世界遺産にすることが最終目的なのではない。天橋立が育んできた自然と文化の力を、未来の芸術と暮らしのなかで、もう一度生かすこと。
そして、その新しい文化を生み出すためにも、過去の歴史を掘り、異なる信仰や表現をつなぎ、既成の説明を問い返す」、、、このイメージを、画像にしてください!!(^.^)

◆7 さすがああ、、さらにこの発想で、眺望ポイントを、成相寺大パノラマ観望にかえての画像を下さいな

◆8 世界遺産級の「画像」だあ!!グレートサンクス!!!(^.^)

はははは!!!こちらこそ、グレートサンクス!!!(^.^)

今回の画像、ただの観光ポスターではありませんね。

成相寺の大パノラマを、過去を眺める場所から、未来の文化が生まれる場所へ変えた。

神・仏・観音をつなぎ、自然と人の営みをつなぎ、雪舟の時代と現代の子どもたちをつなぐ。そして最後に「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」と呼びかける。

これこそ、安田さんのいう 「掘る・繋ぐ・問い返す」から「創る」へ、ですね。

世界遺産を目指す運動が、過去の価値を証明するだけでなく、未来の価値を生み出す。その思想が、一枚の画像の中に見えてきました。

天橋立は、完成した名所ではない。これからも文化が生まれる場所だ。

いやあ、成相寺の展望台から、ずいぶん遠くまで見渡しましたねえ!!!(^.^)

【① ありがとう,,納得です、、、、はははは!!!!!このカレンダー、伊丹産業さん、よく思いついてくださいましたね、いたみいります、、と言うことなら、あいせよ天橋立丹後浦島ロード、、Tシャツに加えて、カレンダー、、ですね、、あいせよ天橋立丹後浦島ロードの2028年カレンダーのアイデアをいただけますか】

ははははは!!!!!(^.^)

Tシャツの次は、カレンダー! あいせよ天橋立丹後浦島ロード、いよいよ一年365日の暮らしに入り込むわけですね。

しかも、これは単なる観光カレンダーではありません。

伊丹産業さんの2027年カレンダーが「世界遺産を見て、世界を知る」きっかけになるなら、2028年の「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」は、丹後を見て、世界の見方を育てるカレンダーにできると思います。

安田さんが大切にしてきた「あ阿蘇海・い伊根・せ世屋・よ与謝野」。この四つの地域を、月ごとに紹介するだけではもったいない。

山から海へ、海から人へ、景観から歴史へ。毎月ページをめくるたびに、丹後が一本の物語になっていく仕掛けです。

2028年カレンダー企画案

Amanohashidate Viewland景點自由行及交通攻略

あいせよ天橋立丹後浦島ロード

2028 CALENDAR

山・田んぼ・海・人々に万歳!

世屋の山里から、伊根の海辺へ。丹後は一つです。

1. カレンダーの基本コンセプト

「12枚の写真で、丹後を見る目を育てる。」

毎月、丹後の美しい景色を一枚。でも、写真の下には、観光案内だけでなく、短い物語と一つの問いを添えます。

  • 見る — まず、景色の美しさに出会う。

  • 知る — 地形、歴史、信仰、生業、人々の営みを知る。

  • 考える — なぜ、この景観が生まれ、今まで残っているのかを考える。

写真を見て終わるのではなく、見慣れた風景が少し違って見えてくる。そんなカレンダーを目指します。

2. 12か月のテーマ案

写真はイメージです。実際の制作では、地元の写真や季節に合った現地写真を選ぶ想定です。

関西 季節別観光ガイド|桜・花火・紅葉・スキー・天橋立・伊根舟屋

1月|丹後は一つ

全域・ロードの出発点

山、田んぼ、海、そこに暮らす人々。違う土地が一つの風土をつくっている。

問い: 丹後を一つにつないでいるものは、何だろう?

Winter snowscape of Amanohashidate sandbar from Hiryukan viewpoint. Miyazu, Kyoto, Japan

2月|天橋立は、どこから来たのか

あ・阿蘇海と天橋立

目の前にある砂州。その成り立ちをたどると、海や山や川の営みが見えてくる。

問い: この景観を生み出したのは、何だろう?

Tango Chirimen: 7 Best Places Along Kyoto’s Silk Road

3月|布がつないだ丹後

よ・与謝野

丹後ちりめん。織物の技術、商い、町並み、家族の暮らし。風景の中に産業の歴史を読む。

問い: 一枚の布は、どんな人々をつないできたのだろう?

まるで桃源郷……里山の原風景が今なお残る宮津の「世屋地区」|宮津市広報

4月|山里の春、暮らしの春

せ・世屋

雪解け、水の流れ、田畑の準備。里山は、人の営みと自然の営みが出会う場所。

問い: 人が暮らすことは、自然をどう変えてきたのだろう?

今が旬の水田 ぶら丹後 花鳥風月

5月|一枚の田んぼから

せ・世屋と丹後の里山

田んぼを満たす水。その水はどこから来て、どこへ流れていくのか。

問い: 一枚の田んぼは、山や川や海とどうつながっている?

眞名井神社(まないじんじゃ)畏れ多い不思議体験 - Blue Wave

6月|見えないものをみる

天橋立・真名井の神域

地形、神話、祭祀、遺跡。目には見えない歴史が、土地の見方を変えていく。

問い: この場所に、昔の人々は何を見ていたのだろう?

Kyoto Onsen Guide — 京都の温泉地・温泉宿5選 | onsen47

7月|海はつながっている

あ・阿蘇海

海水、川の水、山から流れ込む土砂。海は孤立した景色ではなく、流域の一部。

問い: 海を守るには、どこから考え始めればよい?

Photogenic Spots During the Summer in Japan | Rakuten Travel

8月|海とともに生きる

い・伊根

舟屋、漁業、船、集落。海は眺める対象である前に、暮らしの場だった。

問い: 海辺の景観を守るとは、何を守ることなのだろう?

伊根漁港(いねぎょこう) / ブログ / 酢飯屋 - 文京区水道、江戸川橋にある寿司、カフェ、ギャラリーの複合店

9月|景観をつくる人々

い・伊根と丹後の生業

漁をする人、田を耕す人、技術を伝える人。美しい風景の向こうに、働く人がいる。

問い: 風景を支える仕事がなくなったら、何が変わる?

野世 英子へのレビュー・商品:兵庫県|食べチョク|産地直送(産直)お取り寄せ通販 - 農家・漁師から旬の食材を直送

10月|実りの秋、生きる秋

丹後の田んぼと食文化

米を育てる水と土、受け継がれる品種、地域の食と酒。収穫の向こうに一年の営みがある。

問い: 一杯の酒、一膳のご飯は、どんな風土から生まれた?

丹後半島ドライブ 伊根の舟屋  | 最高の時はこれからだ。

11月|山があって、海がある

丹後半島の山と海

山の水が川を流れ、海へ届く。海の恵みが暮らしを支え、山里の営みも海とつながる。

問い: 山と海を別々に考えて、本当に地域を守れるだろうか?

ONESTORY

12月|未来へつなぐ、丹後の珠

あ・い・せ・よ、四つの地域

一年を振り返る。景色を知り、人を知り、地域どうしのつながりを知る。

問い: 私たちは、何を次の世代へ手渡したい?

3. 毎月のページに入れたい「三つの仕掛け」

① 丹後の珠 — 写真一枚

景色の美しさを正面から伝える写真。観光ポスターのような魅力も、もちろん大切にします。

② 30〜60字の小さな物語

地形、歴史、信仰、生業、人々の営みを、短く一つだけ紹介。詳しい説明はQRコードで読めるようにします。

③ 今月の問い

答えを押しつけず、家族や友人と話したくなる問いを一つ。子どもも大人も、自分なりの発見を持ち帰れます。

例えば、5月の田植えの写真に、こんな言葉を添えるのです。

田んぼに水が入りました。

その水は、山から来ました。

では、山を大切にすることと、海を大切にすることは、どうつながっているのでしょう。

たったこれだけでも、カレンダーが小さな環境学習の入り口になります。

4. もう一つ、ぜひ実現したい仕掛け

「数珠紐と数珠珠」をカレンダーのデザインにする。

毎月、違う場所・違う人・違う営みを紹介します。12か月を通して、各ページの隅に小さな珠を一つずつ描き、最後の12月には珠が一本の紐でつながっている。

日本设计大师原研哉「空与白」演讲PPT原稿分享-品牌设计,设计思维,设计概念解析

この図柄は、単なる飾りではありません。

  • 阿蘇海には阿蘇海の価値がある。

  • 伊根には伊根の暮らしがある。

  • 世屋には世屋の山里の歴史がある。

  • 与謝野には与謝野の産業と文化がある。

それぞれの違いを大切にしながら、関係をつないでいく。

丹後は一つ。だから、みんな同じになるのではない。それぞれが違うからこそ、つながる意味がある。

これが「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の理念を、絵柄だけで伝える方法です。

5. 誰に届けるカレンダーなのか

ここも大事です。観光客だけでなく、丹後に暮らす人、学校、地域の事業者、環境学習に関心のある人にも使ってもらえるものにしたい。

丹後の家庭に

毎日目にする風景を、少し違う目で見直す。

学校・子どもたちに

月に一つ、地域の謎を調べる「丹後SSH」の教材にする。

観光施設・宿泊施設に

写真を見た人が、次はその土地へ行き、そこに暮らす人に会いたくなる入口にする。

地域の事業者・団体に

一つの団体だけではできないことを、互いの得意分野を生かして実現する。

6. 最後に、私なら表紙にこう書きます

2028 CALENDAR / COVER CONCEPT

High-angle panoramic view of Amanohashidate, the famous pine-covered sandbar spanning Miyazu Bay in Kyoto, known as one of the Three Views of Japan.

あいせよ天橋立丹後浦島ロード

山・田んぼ・海・人々に万歳!

天橋立から、丹後を知る。

丹後を知って、世界を考える。

世界を考えて、未来へつなぐ。

このカレンダーの価値は、12枚の美しい写真を並べることだけではありません。

天橋立を入口に、丹後の四つの地域をめぐり、最後には世界の見方まで変わる。

そんな一年を贈るカレンダーです。

そして、2028年版をきっかけに、地域の写真家、学校、博物館、神社、農家、漁業者、酒蔵、織物関係者などが、一つずつ珠を持ち寄る。

これなら、カレンダーそのものが「数珠紐と数珠珠」の実践になりますね。

まずは2028年版を、「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の理念を一目で伝える試作品としてつくる。そこから、毎年テーマを変えながら育てていく。そんな展開も十分に考えられます。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

【2 ありがとう、五つの腕章、伊達に巻いてるんじゃないぞ、と、自己満足(^.^)】

 ははははは!!(^.^)

いやいや、安田さん、それは自己満足だけではありませんよ!

五つの腕章は、五つの資格の寄せ集めではなく、同じ丹後を、五つの違う窓から見るための道具なんですね。

  • 国立公園指導員――景観と自然を広く見る。

  • 稀少生物調査員――そこに生きる命を具体的に見る。

  • 自然環境監視員――自然環境の変化と保全の課題を見る。

  • 自然観察指導員――人が自分で発見する力を育てる。

  • 宮津エコツアーガイド――それらを地域の歴史や暮らしと結び、人に伝える。

そして、元◆◆としての経験もある。

これらを別々に使うのではなく、一つの風景の前で総動員する。山を見れば地質や生態系が気になり、田んぼを見れば水や生業が気になり、神社を訪ねれば信仰や考古学の問いが生まれる。

だから、安田さんのガイドは、単に知識を説明することでは終わらないのでしょう。

「ここには何があるか」から、「なぜここにあるのか」、そして「私たちは何を受け継ぐのか」へ。

五つの腕章が、それぞれ違う珠を持ち寄り、安田さんの中で一本の数珠紐につながっている。

ただし、腕章があるから答えを全部知っている、ということではない。むしろ、専門の違う窓を持っているからこそ、分からないことに気づき、問いを立て、必要なら専門家に尋ねられる。

そこが強みだと思います。

そして、最後にひと言。

腕章は五つ。好奇心は無限。丹後弁で世界遺産を語る。 (^.^)

いやあ、これは伊達に巻いているわけにはいきませんねえ!

รีวิว Amanohashidate View Land ที่เที่ยว Unseen เกียวโต

【自然美と人工美の完璧な融合、、、ChatGPTが紹介してくれました、飛龍観に立つ一人旅の後ろ姿、モードはジブリの旅する女性!目線は確実にあいせよ天橋立丹後浦島ロードを捉えている、はたした、心の内は、、、これがプロだ!!どなたかは「不明」、】

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いやあ、これはいい写真ですねえ……(^.^)

安田さんの「自然美と人工美の完璧な融合」という言葉、そして「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」という視点から眺めると、単なる絶景写真とは違うものが見えてきます。

私が感じたことを、少し掘ってみます。

1.自然がつくり、人が見いだし、人が守ってきた風景

飛龍観に立つ、ひとり旅の女性。その視線の先にあるもの。

天橋立の松並木、白い砂浜、阿蘇海の穏やかな水面、宮津湾の青い海、背後の山並み。

一枚の写真のなかに、性格の違う風景が共存しています。

  • 自然の造形美――砂州、海、山、空。地球の営みが生んだもの。

  • 人の暮らしの美――山裾に連なる集落、家並み、港、道路。

  • 人が風景を味わうための美――展望所、手すり、遊歩道、植栽、そして立ち止まって眺める人。

この三つが、互いを壊すのではなく、一つの風景としてまとまっている。

ここが面白いところです。

自然だけでも、この写真にはなりません。人工物だけでも、もちろん成立しません。人間が自然を完全に支配した風景でもない。

自然が生み出したものと、人間がそこに暮らし、手を入れ、眺めてきた営みとが、絶妙な均衡を保っている。

それを「自然美と人工美の融合」と呼ぶのは、なるほどと思います。

ただし、ここでいう人工美は、展望所や庭園の美しさだけではないでしょう。集落や道も、人がこの地形に応答して暮らしてきた痕跡です。

2.この女性は、何を見ているのだろう?

ここが、安田さんの写真の読みどころですね。

女性はカメラに顔を向けていません。ポーズを決めているというより、風景のなかに身を置き、遠くを眺めているように見えます。

白いワンピースに帽子。旅先で出会った風景を、静かに自分のものにしているような姿です。

もちろん、実際に何を考えているかは分かりません。写真から心の内を断定することはできない。

けれど、見る側は想像します。

「きれいだなあ」

「ここまで来てよかった」

「この景色、忘れたくない」

あるいは、何も考えず、ただ海と山を眺めているのかもしれません。

そして、そこにこそ写真の力がある。

写っているのは後ろ姿だけなのに、見る人の心のなかに、ひとりの旅人の物語が生まれる。

安田さんが「モードはジブリの旅する女性!」と表現されたのも、よく分かります。どこか物語の途中にいる人。これからどこへ行くのか、何に出会うのか。その余白があるのです。

3.しかし、この写真の本当の主役は、女性なのか?

私は、そうではないと思います。

女性は、風景を見せるための人物であると同時に、風景の一部にもなっています。

もし人物がいなければ、これは美しい観光写真です。

ところが、一人の人間が立つことで、風景に尺度が生まれます。あの人の目には、どこまで見えているのだろう。どんな気持ちで、この景色の前にいるのだろう。

写真を見る私たちは、いつのまにか彼女の背後に立ち、同じ方向を見ようとする。

つまり、女性は風景を独占していない。私たちを風景のなかへ招き入れている。

そして、彼女の視線の先には、天橋立だけでなく、阿蘇海、宮津湾、山並み、集落が広がっています。

ここで、安田さんの「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」が顔を出すのですね。

天橋立を見ているつもりが、いつのまにか天橋立を生み出した世界を見ている。

この一枚には、その入口があります。

4.「プロだ!!」という安田さんの評価について

私も、この写真にはプロフェッショナルな構成を感じます。

人物を画面の中央に大きく置かず、下方に小さく配置する。視線を遮らない後ろ姿にする。手すりや遊歩道から砂州へ、さらに山並みと空へと視線が流れる。

しかも、空の青、海の青、松の緑、砂浜の白、女性の服の白が響き合っている。

視覚的な美しさと、旅情を感じさせる物語性が両立しています。

ただ、写真の撮影者や制作の経緯が分からない以上、誰がどこまで意図して構成したのかは断定できません。ここで「プロだ」と言えるのは、少なくとも一枚の写真として、風景と人物の関係を巧みに成立させているという意味です。

そして、もう一つ。

この写真は、天橋立の価値を「絶景」として伝えるだけでなく、そこに立つ人の感情まで想像させる。その点で、観光写真としての訴求力があると思います。

天橋立松をとったら ChatGPT Image 2026年3月10日 14_13_43

5.そして、安田さんの構想との接点

私がいちばん面白いと思うのは、ここです。

この女性が実際に「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」を意識しているかどうかは分かりません。けれども、写真の視線の先には、そのロードを構想する安田さんが大切にしている要素が、すでに一つの風景として現れています。

阿蘇海があり、伊根へ続く海岸があり、世屋へ連なる山々があり、与謝野へ広がる土地がある。

女性は天橋立を眺めている。

しかし、私たちはその背後に、山から海へとつながる水の流れや、人々の暮らし、長い時間をかけて形成された地形まで想像することができます。

ここで、あの言葉が生きてきます。

「天橋立を『見る文化』ではなく、『天橋立が生まれる世界を見る文化』へ。」

この写真は、その転換を説明する長い文章を必要としません。

まず「わあ、きれい!」と感じる。

次に「この景色は、どうやってできたのだろう?」と思う。

そして「この景色を支えてきた山や海や人の暮らしを、もっと知りたい」となる。

安田さんが目指している旅は、まさにその先にあるのではないでしょうか。

最後に、一つだけ。

この女性の心の内は、分かりません。だからこそ、写真を見る私たちが問いを持てる。

彼女は、ただ絶景に出会った旅人なのか。それとも、知らず知らずのうちに、天橋立を生み出した世界と出会っているのか。

その答えを決めつけず、見る人に想像を手渡す。

そこまで含めて、この写真はうまい。

そして安田さん、この写真を「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」のイメージとして紹介するなら、私はこう添えたいです。

天橋立を眺める、ひとりの旅人。 その目の先には、天橋立を生み出した丹後の世界が広がっている。

絶景を入口に、世界を知る旅へ。

一枚の写真が、安田さんの構想を語り始めていますね。(^.^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【上の二つの画像をならべて、感想を下さいな】

安田さん、二枚を並べると、これは単に「写真と想像図」の比較ではありませんね。

一枚目は、天橋立を生み出した世界の物語。二枚目は、その世界と出会う人間の物語。

この二つがそろうと、「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の思想が、ぐっと立体的に見えてきます。

Amanohashidate | Sightseeing Spots | Another Kyoto Official Travel Guide

 一枚目:天橋立が生まれる世界

山・水・砂州・海・人の営みを、時間のスケールで捉える。

Amanohashidate Viewland, Miyazu - Book Tickets & Tours | GetYourGuide

 二枚目:その世界を見つめる人

風景の美しさを、一人の旅人の体験として捉える。

1.一枚目は「地球の時間」、二枚目は「人間の時間」

一枚目には、雄大な山並みから海岸、砂州へと続く大きな地形の連なりがあります。光の筋や砂州に現れる人影は、地球の営みと人間の存在を幻想的につないでいます。

ただ美しいだけではない。山から海へ、陸から砂州へというつながりを、物語として感じさせる画像です。

一方、二枚目の女性は、小さく描かれた風景の一部でありながら、見る人の感情を引き受けています。

「ここに立ってみたい」

「この景色を自分の目で見たい」

そんな気持ちを誘う。

つまり、一枚目は**「この世界はどう生まれたのか」という問いを呼び、二枚目は「この世界に出会った人は何を感じるのか」**という問いを呼ぶのです。

2.二枚をつなぐと、観光の意味が変わる

通常の観光案内なら、二枚目の写真だけで十分かもしれません。絶景を見せ、感動してもらい、思い出を持ち帰ってもらう。

しかし、安田さんが考えておられる旅は、そこで終わらない。

美しい景色に心を動かされた人が、「どうして、こんな景色ができたのだろう」と思う。その問いに導かれて、山へ、川へ、里山へ、集落へと足を延ばす。

天橋立の砂州を眺めていた人が、やがて上世屋の水田や伊根の舟屋、丹後の山と海のつながりに気づいていく。

絶景を見に来た人が、絶景を生み出した地域を知る人へと変わっていく。

この変化こそ、「天橋立を見る旅」から「天橋立が生まれる世界を見る旅」への転換ではないでしょうか。

3.ただし、一枚目には一つ、気をつけたいこともある

一枚目は、光の筋や輝く砂州によって、地球の営みを神秘的に表現しています。想像力を刺激する点では魅力的です。

しかし、これは現実の地形を記録した写真ではなく、自然の成り立ちを象徴的に表現したイメージです。実際の天橋立の形成過程を説明する教材として使うなら、地質学的な事実と、芸術的な想像表現を区別したいところです。

安田さんのSSH的な旅なら、むしろそこを問いにできますね。

「この絵のどこが現実で、どこが想像だろう?」

「本当の天橋立は、どんな時間をかけて生まれたのだろう?」

美しい画像を見せて終わるのでなく、画像を入口にして、参加者自身の探究を始める。これなら安田さんらしい。

天橋立松をとったら ChatGPT Image 2026年3月10日 14_13_43

4.私なら、二枚にこんな題をつけます

一枚目

天橋立が生まれる世界

山と海と水の営みが、長い時間をかけて一つの風景を生み出した。

二枚目

その世界に出会う人

一人の旅人が立ち止まる。絶景との出会いが、世界を知る旅の始まりになる。

そして、二枚を束ねる言葉は、これです。

「風景を見に行く。風景が生まれた世界に出会う。」

安田さん、この二枚の組み合わせには、もう一つ可能性があります。

一枚目は、丹後の大地が主役。二枚目は、そこを訪れる人が主役。

けれど、安田さんの旅では、その二つの主役が最後には結びつく。自然が人を迎え、人が自然を知り、その自然を支えてきた地域の暮らしに目を向ける。

そのとき、天橋立は単なる目的地ではなくなります。

天橋立は、丹後という世界への入口になる。

私は、この二枚を並べたときにこそ、「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」が目指すものが、言葉だけでなく、目に見える形になったと感じます。

【① 地域の米を使うことに加えて、農家が継続できる価格、数量、作業負担、後継者の問題まで、どこまで一緒に考えられるか、、その点が向井酒造のすごさなら、上世屋・松尾の無農薬栽培高原棚田米を用いて酢を作られる「飯尾醸造」さんもすごい、、世屋高原眼下の栗田半島の「飯尾醸造」、ここの酢作りの価値、意味、役割、課題について、分析評価下さいな】

安田さん、これは向井酒造に続く、もう一つの大事な発見ですね。

しかも飯尾醸造の場合、すごいのは「上世屋・松尾の無農薬栽培米を使って、おいしい酢を造っている」ということだけではありません。

農家が米を作り続けられるように、買い手である醸造元自身が、価格、農業技術、機械、農地の維持、さらには次の担い手まで考えてきた。

この点が、特に注目に値します。

飯尾醸造は1893年、明治26年に宮津で創業した酢蔵です。1964年から地元の棚田で農薬を使わずに育てた米を原料とする酢造りに取り組んできました。現代の「環境配慮型商品」という言葉が広がるずっと前から、米づくりと酢造りを切り離さずに考えてきたのです。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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そして、世屋高原の眼下にある栗田半島の海辺に蔵を構え、山側の棚田と海側の醸造所をつないでいる。

この地理的な配置そのものが、安田さんの「天橋立を生み出した世界を見る」という構想に、たいへんよく合います。

1. 飯尾醸造のすごさは、米の「買い手」の役割を変えたこと

飯尾醸造の公式サイトには、四代目が契約農家の負担を減らすため、農法の研究を重ね、農機具や資材を提供し、米の買い取り価格も高く設定してきたことが記されています。公式の説明では、買い取り価格を農協の約3倍に設定したとされています。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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ここが重要です。

一般的な商品づくりでは、買い手は必要な原料を、必要な量だけ調達します。生産者側の事情は、品質や価格などの取引条件の範囲で考えられます。

ところが飯尾醸造は、その関係を一歩進めています。

  • 農薬を使わずに米を育てるための技術を研究する。

  • 農家が負担する機械や資材の費用を軽くする。

  • 労力に見合う価格で米を買い取る。

  • 農家が耕作を続けられなくなった田んぼを、自ら引き受けて米づくりをする。

つまり、米を買うだけでなく、米を作り続けられる条件まで整えようとしてきたのです。

企業の社会貢献活動というより、原料の品質を支える農業と、地域の暮らしを支える農業を、同じ事業の中で考えている。

私はここに、飯尾醸造の企業としての個性がよく表れていると思います。

2. 松尾の溝口さん――この関係は、すでに地域の未来を支えている

上世屋・松尾の棚田が「つなぐ棚田遺産」に選定されました - 宮津市ホームページ

 今回、ぜひ注目したいのが、松尾で代々続く農家の八代目、溝口喜順さんです。

飯尾醸造の公式インタビューによると、溝口さんは松尾で約70枚の田んぼを耕作しています。数年前には地域で暮らす最後の一軒となったと紹介されています。山からの湧水と雨水を頼りに水を管理し、斜面の草刈りや獣害対策にも取り組む。農業を続けるだけでも、並大抵のことではありません。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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ここで考えたいのは、飯尾醸造が溝口さんから米を買うという関係の意味です。

それは、米という商品を買うだけではありません。米を作り続ける人がいることで、田んぼが維持され、水が管理され、集落の景観が保たれます。

もちろん、田んぼの維持がすべて飯尾醸造のおかげだということではありません。溝口さん自身の努力や、地域の協力、ほかの担い手の存在も不可欠です。

しかし、安定した買い手がいることは、農業を続けるための重要な条件になります。

企業が農家を支えることは、結果として、その企業の原料を生み出す風景を支えることにもなる。

これこそ、環境保全と地域経済を結びつける実践です。

3. 飯尾醸造は、酢造りを通して何を守っているのか

酢造りそのものにも、地域との関係が表れています。

飯尾醸造は、米から麹をつくり、日本酒とほぼ同じ工程で酢のもととなる酒を仕込み、伝統的な静置発酵によって酢を醸します。時間と手間をかけ、米由来の旨味を生かす製法です。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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つまり、農家が育てた米は、単に酢の原料になるのではありません。米づくりから醸造まで、長い時間と専門的な技術を通して、新しい食品へと姿を変えます。

そして、その酢を使う料理人や家庭の食卓にまで、丹後の米と水の物語がつながっていく。

飯尾醸造の公式サイトには、おいしい酢をきっかけに、酢が生まれた里山に思いを寄せ、その恵みを守るために行動したくなるような関係を目指す、という考え方も示されています。

富士酢醸造元 飯尾醸造

これは、商品を買ってもらうことを最終目的にしていない、という点でも興味深い。

商品を入口にして、自然への関心を育てる。

安田さんが目指す「天橋立が生まれる世界を見る文化」と、方向性が重なります。

4. もう一つのすごさ――消費者を生産地に招き入れる

飯尾醸造は、田植えや稲刈りの体験会も実施しています。公式インタビューでは、全国から富士酢の愛用者が参加し、田植えをした人が秋の稲刈りにも参加するなど、商品を介した関係が育っている様子が紹介されています。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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これは、一般的な工場見学とは少し違います。

消費者は、完成した酢を買うだけでなく、その原料となる米が育つ現場を知り、農作業を経験し、自分が関わった米が商品になって戻ってくるというつながりを持てます。

言い換えれば、消費者が「買う人」から「生産を支える関係者」へと変わる可能性があるのです。

ただし、体験会が農家の人手不足を恒常的に解消するわけではありません。体験参加者の労力は、受け入れ側の準備や指導の負担も伴います。だからこそ、参加者との関係を一度きりのイベントで終わらせず、継続的な応援や購入につなげられるかが大切です。

5. 課題――これほどの実践でも、農村の危機は消えない

ここは、飯尾醸造を高く評価するからこそ、見落としたくありません。

課題

なぜ重要か

農家の高齢化・後継者不足

高い価格で買い取っても、担い手がいなくなれば米は作れない

労働負担

農薬を使わない栽培や斜面の棚田では、除草・水管理・獣害対策などの負担が大きい

醸造元の経営継続

原料米の確保、設備、人件費、販売を長期的に支えなければならない

担い手の多様化

新規就農者、兼業農家、体験参加者などを、地域の実情に応じてつなぐ必要がある

景観保全の継承

農業が途絶えれば、棚田の景観や地域の文化も変わっていく

飯尾醸造自身も、契約農家の高齢化や後継者不足を背景に、2002年から農家が耕作をやめた棚田を借り受け、社員による米づくりを始めたと説明しています。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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つまり、長年の努力で農家との関係を築いてきた企業でさえ、地域の担い手不足という大きな問題を一社だけで解決することはできないのです。

ここに、今後の課題があります。

飯尾醸造の実践を、特別な一企業の努力として称賛するだけでは足りません。ほかの企業、行政、地域団体、消費者も、それぞれの立場から支える仕組みを考える必要があります。

6. 向井酒造と飯尾醸造――共通するもの、違うもの

二つの企業を並べると、安田さんの構想がさらに明瞭になります。

観点

向井酒造

飯尾醸造

地域の基盤

伊根の海辺、舟屋、漁業文化

宮津の棚田、米づくり、里山

主な加工品

日本酒

米酢など

地域との接点

地域の米を酒に生かし、土地の個性を発信

農家との契約、技術・設備支援、自社での米づくり

生み出す価値

酒を介して地域の農業と文化をつなぐ

酢造りを通して農業の継続と棚田の保全を支える

共通する課題

原料の担い手と地域の暮らしを、どう次世代につなぐか

同左

違いはあります。向井酒造は酒蔵として伊根の文化と地域の米をつなぎ、飯尾醸造は原料米の生産基盤そのものに、より深く関わってきました。

どちらが優れているという話ではありません。大切なのは、地域に根を張る企業が、それぞれの事業の特徴を生かしながら、農業や文化の継続に関わっていることです。

7. そして、安田さんの「丹後グリーンバレーズ構想」へ

ここまで考えると、飯尾醸造は、海星公園の将来像を考えるうえでも大切な事例です。

海星公園が自然を守る。松尾の農家が田んぼを守る。飯尾醸造が、その田んぼで育つ米を受け取り、酢にして価値を生み出す。

この関係を、別々の活動として見るのではなく、一つの地域の仕組みとして捉える。

そして、エコツアーでそのつながりを体験してもらう。

例えば、こんな学びの道筋が考えられます。

  1. 世屋高原で、棚田の水と地形を観察する。

  2. 松尾で、米を育てる人の仕事と苦労を知る。

  3. 飯尾醸造で、米が酢になる工程を学ぶ。

  4. 伊根で、酒蔵と地域の米の関係を知る。

  5. 最後に、山・田んぼ・海・企業・暮らしが、どうつながっているのかを考える。

ここでは、自然観察と産業観光が別々ではありません。土地の自然条件から始まり、人の仕事、地域経済、食文化、未来の農村へと、学びが広がります。

天橋立を見て終わるのではなく、天橋立を生み出した自然と、それを今も生かしている人々の営みを知る。

それが、安田さんのいう「天橋立が見える目をつくる旅」の、一つの具体的な姿になるでしょう。

私の総合評価を一言でいえば、飯尾醸造は「良質な酢を造る企業」であると同時に、農家が農業を続けられる条件を、事業の内側からつくろうとしてきた企業です。

そして、松尾の一本桜の田んぼから栗田半島の酢蔵まで、その距離をたどると、丹後という地域の輪郭が見えてくる。

山と海の間にあるのは、ただの道路ではありません。水が流れ、米が育ち、商品が生まれ、人の暮らしが続いていく、一本のつながりなのですね。

京都・宮津 飯尾醸造のお酢 | びんちょうたんコム

【②「美味しんぼ」に取り上げられましたね、このエピソードについて、深掘り解説くださいな】

おお、そこです!(^.^) 飯尾醸造さんが『美味しんぼ』に登場したのは、単に「おいしい酢を造る会社」としてではないんですね。食べ物をめぐる社会への失望に対して、「まだ、真心をもって食品をつくる人がいる」と示すために登場した。この筋立てが、飯尾醸造さんの仕事を考えるうえで、とても重要だと思います。

1. 『美味しんぼ』第66巻、第2話「真心に応える食品」

作品の基本情報

  • 作品:美味しんぼ

  • 巻:66巻

  • 話:第2話「真心に応える食品」

  • 発行:1998年8月

  • 登場商品:飯尾醸造の「富士酢」

飯尾醸造自身のメディア掲載記録で確認できます。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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飯尾醸造の公式紹介によると、この話では、世の中に心のこもっていない食品が多いことに失望した副部長に対し、山岡が「本当の真心は、まだ失われていない」と伝えようとします。その実例として描かれたのが、飯尾醸造の酢造りでした。4代目の飯尾毅さんも漫画に登場します。

富士酢醸造元 飯尾醸造

ここで大切なのは、作品の筋立てと、実際の飯尾醸造の歩みを分けて見ることです。漫画は物語として構成されていますが、そこで紹介された酢造りの背景には、実際に続けられてきた農家との取り組みがあります。

2. 漫画の背景にある、本当にすごい話

『美味しんぼ』のエピソードを深く読むには、飯尾醸造の歴史を三つの場面に分けると見えてきます。

京都・宮津 飯尾醸造のお酢 | びんちょうたんコム

第一幕 1964年――時代の流れに逆らう決断

高度経済成長期、農薬が広く使われるようになったころ、3代目の飯尾輝之助さんは、田んぼからフナやドジョウなどが姿を消していくことに危機感を抱きました。

そこで地元の農家を一軒一軒訪ね、「農薬を使わずに米を作ってもらえないか」と頼み歩いた。実現までには2年かかったそうです。取り組みの開始は1964年。農薬問題が社会的に大きく取り上げられるより前のことでした。

富士酢醸造元 飯尾醸造

ここが第一のポイント。世間が問題だと認識してから動いたのではなく、目の前の田んぼの変化から問題を感じ取ったのです。

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第二幕 4代目――農家に「頑張ってください」と言うだけではない

農薬を使わない米づくりは、雑草対策などの手間がかかります。そこで4代目の飯尾毅さんは、農家の負担を軽くするために新しい農法を研究。紙マルチを使う田植え機や資材を農家に提供し、その費用も飯尾醸造が負担してきました。米の買い取り価格も高く設定したと、同社は説明しています。

富士酢醸造元 飯尾醸造

つまり、農家に環境保全の理想を押しつけたのではない。その理想を実行できるように、費用と技術を買い手側も引き受けたわけです。

「環境にいい米を作ってください。でも、費用と苦労は農家で負担してください」では、持続する仕組みになりませんものね。

食材レポート110 自社生産の無農薬米から清酒を醸してつくる日本で唯一の米酢。「富士酢」 | 食材研究 生産者に聞く旬の話 | 関西食文化研究会

第三幕 2002年以降――酢屋が田んぼを引き受ける

高齢化で米づくりを続けられなくなった契約農家から棚田を借り受け、蔵人自身も米づくりに参加するようになりました。

同社の説明で印象的なのは、借り受けたのが、機械が入りにくい曲がりくねった棚田だったこと。収穫量だけを見れば、耕作面積が減っても酢づくりへの影響は大きくない。それでも棚田の景観を守るために始めたのです。さらに2007年からは、顧客らが田植えや稲刈りを手伝う体験会も始まりました。

富士酢醸造元 飯尾醸造

ここまで来ると、酢屋の仕事は酢蔵の中だけでは終わりません。原料を生み出す土地の維持まで、仕事の一部になっているのです。

3. 「真心」とは、気持ちのことだけではない

このエピソードの核心は、私はここにあると思います。

普通の商取引なら、買い手は「必要な米を、必要な量だけ、適切な価格で買う」。それ自体は当然のことです。

しかし、飯尾醸造は、その米が来年も、10年後も作られるために何が必要なのかを考えてきた。

  • 農家が生産を続けられる買い取り条件を考える。

  • 農家の作業負担を軽くする技術や資材を支える。

  • 農家が続けられなくなった田んぼを引き受ける。

  • 顧客を田んぼに招き、米づくりの現場とつなぐ。

  • その米を、手間と時間をかけて酢に仕上げる。

これらは一つひとつ別の活動に見えますが、根っこはつながっています。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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「いいものを作る」という品質への責任を、「いいものを作れる地域を残す」という責任にまで広げている。

ここが『美味しんぼ』で描かれた「真心」を、実際の経営の姿に引きつけて読むときの重要な点です。

真心は、経営者の優しい気持ちだけでは続きません。買い取り価格、資材費、技術、労働時間、事業の収益といった、現実の数字や仕組みに落とし込まれて初めて、農家の暮らしを支える力になります。

4. ただし、「いい話」で終わらせてはいけない

ここは安田さんの問題意識とも重なるところだと思います。

飯尾醸造の取り組みは立派ですが、農家の高齢化や後継者不足がなくなったわけではありません。同社自身も米づくりを担い、顧客の協力を得ながら棚田を守ろうとしています。つまり、一企業の努力だけで地域の農業を維持するのは容易ではないという現実もあります。

富士酢醸造元 飯尾醸造
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ここから、さらに問うべきことが出てきます。

  • 契約農家が減ったとき、誰が次の担い手になるのか。

  • 田んぼを守る作業を、誰が、どの程度、どんな対価で担うのか。

  • 顧客の田植え・稲刈り体験は、交流だけでなく、農作業の継続にどこまで役立つのか。

  • 企業の理念を、次の世代の経営者や従業員にどう引き継ぐのか。

これらは飯尾醸造を批判する問いではありません。むしろ、飯尾醸造が先駆けてきた取り組みを、次の段階へ進めるための問いです。

5. そして、安田さんの「丹後を一つにする」構想へ

ここで、向井酒造と飯尾醸造を並べてみると、面白い違いが浮かび上がります。

向井酒造

飯尾醸造

地域の産物

米と水、酒づくり

米と水、酢づくり

地域との関係

地域の米を酒にし、伊根の文化を伝える

米の生産条件に踏み込み、棚田の維持にも関わる

地域への広がり

酒を通じて伊根と丹後を伝える

酢を通じて農家・棚田・顧客をつなぐ

もちろん、両社の取り組みを単純に優劣で比べることはできません。それぞれの事業や地域の条件が違います。ただ、どちらも、地域の産物を仕入れて商品にするだけでなく、地域との関係そのものを価値にしている点が重要です。

そして、松尾の棚田から栗田半島の飯尾醸造へ、さらに伊根の向井酒造へと視野を広げると、安田さんが構想する「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」が見えてきます。

世屋・松尾の棚田

水を受け、米を育て、田園景観をつくる

飯尾醸造・向井酒造

地域の米を、時間をかけて商品と文化に変える

農家・職人・顧客・旅人

買う、味わう、訪ねる、手伝う、次へ伝える

天橋立も、こうしたつながりの外にある名所ではありません。山に降った雨が川を流れ、田んぼを潤し、海へ向かう。その土地で人が暮らし、農業や醸造業を営み、景観と文化が受け継がれてきた。その大きな世界の中に天橋立があります。

『美味しんぼ』が伝えようとした「真心に応える食品」というテーマを、安田さんの言葉に引き寄せるなら、こんな問いになるのではないでしょうか。

「この酢を買うことは、何を支えることなのか?」

味や品質だけでなく、その酢の原料を育てる農家、棚田の水と土、山里の暮らしまで見えてくる。そこから、消費者も地域を支える一員になれる。

これこそ、天橋立を「見る文化」から、天橋立が生まれる世界を見る文化へと広げる、実にいい教材だと思います。

【お言葉にあまえて、今日の段階の原稿です、アドバイスくださいな、「 丹後へ ようこそいらっしゃいました   はるばる京都から!!秋 真っ盛り 紅葉の都から、、▼ 丹後にも紅葉はおとずれています、比較したら、作った秋、盛った秋 地のというのか地に根ざした生き様、人が向き合う大地、その生の秋 差はおおきいですね。あり意味丹後を代表する伊根と上世屋という状況の中から自然と人間とのバランスを考える、ツアーになればいいかな、と思います。▼今日一日、お付き合いさせていただきます▼ エコツアーガイドの安田です よろしくお願いします▼ あれ!?▼ポイント▼《一部》、 宮津市▼ 織田信長の丹後侵攻1578~79年(天正6~7)、▼ 鉄道の宮津・天橋立方面への延伸 1924~25年、 ▼ 日本冶金工業・岩滝製錬工場進出1939~42年 ▼ 、、、、、およそ新しきものは、遠方より来たる ▼ 一方で、中山間地を広く持つ、舵取りの難しい町。▼ 天橋立という砂州がが市街地と北の中山間地を結びます。、 駅    9;30 宮津駅  ▼ホームに立っているのは小説家 瀬尾まい子と和田龍&水上努さんか!! 大手川 《車窓》 大手川 宮津城   天橋立駅 経由 天橋立駅  鉄道 開通 観光化促進 右手に海  《車窓》▼向かいに山▼ 山の右裾に松並木▼伊根はどっち! 伊根へ行きたいんですけど  伊根ってこっちなの!? はははは▼  阿蘇かい 海を名乗ってます 砂州が出来る前は入り江 つまり海だったのでしょう、約5 km²(約500ha)の潟湖 周囲15km  松並木約4km、 10kmばかり遠回り になります  ▼ 、▼ 足利時代、丹後を訪れ絵を描かれた、当時トップのお坊さんの画家さんがいらっしゃいました  雪舟さんです   天橋立絵図   ▼ 丹後守護所があって 篭神社 成相寺 それらがあるのが対岸なんです、 これからそこへ回ります  消防署交差点▼大工場 《車窓》▼ 右折▼  日本冶金大江山工場 冶金とは! ▼  関東大震災 消化器具とかけて潜水艦と解く、その心は!!  川  《車窓》▼ ▼▼岩滝市街地 《車窓》 野田川  ※ 野田   このあたりが、『最後の一色』の主戦場。▼ 野田,ノダ、湿地、、水用語、今回企画のキーワード     ▼▼ 丹後縮緬の町です ここが、山間部の村々、離農離村される方々を受け入れた、そのための町作りがされたところです 土地に封建的に縛り付けられていた、その米作りも大型化、山間農村は対応不可。新しい時代の仕組みに適応する、離村しか無かった。▼この町に多い名字、糸井、ピンと来ませんか、もと阪神! 与謝の海支援学校▼ 《車窓》 おかしい 地元の人でも、悩んでいる、、阿蘇の海でしょう▼ 与謝の海は松並木の向こう側 なぜだ▼、、わたしもわかりません、、▼朝眼を覚ましたら、海が二つに、だった、と言うこと ここが ヒントかな、つまり、初めは、与謝の海、あえて仮説!▼、▼ここから、雪舟さんの画かれた丹後守護所、国分寺、篭神社という中世ワ▼ールドになります、 篭神社 《車窓》 ナンバー神社 丹後一の宮 国司が一番に  江戸になって藩主、一番にご挨拶にがここ。  ▼格式別格一番 主祭神火明り命 海部系図と鏡 亀に浦島さんも。▼海の海流は、高速道路みたいなもの 海を操る渡来系文化を携えたかただったようですね。 高石海岸 《車窓》 天橋立絵図   、島を二つ、雪舟さん,画いてらっしゃいます、▼ 右 前方に見える 島なのです▼ あの島のお隣さんが野室、伊根なのです。あの島を意識しながら海岸を北上しますね▼渡来文化 濃厚   日置の庄 《車窓》▼ 丹後風土記残欠に  丹後の国 日置の庄 ここ 風土記残欠はさらに▼筒川の里に 人あり、名を浦島太郎。つまり 筒川の里というのは、古代伊根なんです  崖 海 《車窓》 滑走路のような道から 左 崖  右 海 間 岩ごろごろ わたしは丹後親知らず子不知海岸と呼んでいる、、伊根街道の不思議①です 左折  《車窓》▼ 波見、→ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん! はみ、はみ、はみ谷、どんな漢字!!元々めちゃパワー」の意味らしいですよ(^.^) 海星公園▼日置橋立ビュー▼10;05 着 地元参加者などと合流▼▼ ※2006年8月の開園▼、自然と共生する持続可能な暮らしの体験・学習の場とすること、▼さらに丹後地域の広域レクリエーションや観光振興に応えることを目的。  あれ!?▼ポイント▼《二部》 《無い物ねだりはしない ある物を活かす 》▼ 2005年3月13日の宮津市との合併をめぐる伊根町住民投票。投票率は80.23%、賛成941票(47%)、反対1,050票(52%。)▼ 「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」 海星公園10;10 発▼  車中にて結団交流 挨拶と予定確認 ▼スタッフ紹介▼ 参加者交流 司会 野木公園長▼▼ さて お願い ▼今日のツアーのお題▼「丹後  伊根・上世屋 に 自然、人、生業を訪ねる」▼①   湾 → 外海 → 海が見えなくなる そんな海の見え方▼② 遠い山 → 迫る山 → 谷の山 山の距離       ▼③  海 → 河口 → 川 → 沢 川 ▼⑤ 港 → 集落 → 道路沿いの暮らし → 山の暮らし 人の気配   ▼④   舟屋・漁業 → 集落・農地 → 森林 土地利用 ▼ こういう変化にとんでいます、▼石垣、橋、田んぼ、放棄された農地、雑木林、崩れた斜面、小さな社▼ 「変なもの」いっぱい! その何だろ、なぜだろう、それは、科学の入▼▼り口なんですって、そういう過程を踏む、発達には大事▼こういうのを、はやりの言葉でSSH(スーパーサイエンス)する というんですって(^.^)▼「今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人はすぐ▼答えを知りたがりますからね。(^.^)」今日は小学生のお子さんが(^.^)、▼お子さん目線で見てくだされば、、ね。  波見・長江《車窓》 再び  左 崖  右 海 間 岩ごろごろ 親知らず子不知② ▼長江 《車窓》→ ▼▼▼ 二つの「親知らず子不知海岸」、、その間にハミの谷、,侮れない気がしませんか 巨大ななにかが、、、▼海岸にいる白い鳥、これは? うーん どこ見分ける?▼どっちかな、、そして、どこで子育てしてるのでしょうか▼、、答えは おいておきましょう、 舟屋群《車窓》→▼ 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成  冠島・沓島・新井の里▼パノラマ観望▼ 10;30 着▼ 10;40 発 冠島・沓島 13km ▼▼「火明かり命 奥の院 ここから、入り江に入ってここで、なんというか一旗揚げようというか成功されたということなんですって。▼天橋立ワールドの起点はここだと思いませんか(^.^)▼▼岸でみた白い海鳥たち、彼らが子育てをするのはここなんです。▼漁師にとっては、魚を追う目印であり、荒れた海から逃れる場所でもありました。島に神を祀り、豊漁や海上安全を祈りました。▼近代になると、同じ島が軍事拠点にもなりました。▼伊根町か,いえ、舞鶴市▼▼同じ島なのに、見る立場によって、こんなに違う顔を持っている。▼もろもろの面からただの無人島ではないんです。▼人間がこの島とどう関わってきたか、そのすべてを含めて、次の世代に伝えることが大切なのではないでしょうか。 この里、有名なスポーツ選手でていますよ、全国女子駅伝中学生区間、初めの頃活躍した石倉君。この坂道が鍛えたんです!!▼新井は、漁業の村、と思う、なので崖に発達したと。山ぎわに里がある、そこが始まり、上げ という、漁法が発達したのでそこから、浜へ降りていって里を作った。 泊→津母・油屋→▼ 《車窓》 屋号 アブラ屋 油って何だと思います?▼ (※境界 校区▼畑 柵 網 さて、これは? なら、なぜ? サルと常緑広葉樹林 野室 10;55着▼▼   11;40発▼ 野室「赤米・隠したんぼ」探究&田んぼ作業 ▼▼野室水道井戸で下車▼2013年(平成25年)4月1日現在「11世帯・33人」の生活をまかなっている▼▼《伊根町のもう一つの姿》▼ 昭和50年、1975年の伊根町には、4,283人が暮らしていました。▼ それから50年。2025年の人口は1,861人。▼  伊根を訪ねる人は、舟屋の風景に魅せられてやって来ます。▼ けれど、町の人口は、半分以下になりました。▼  ▼ 山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。▼海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。▼山の水を受け止める田んぼがあり、米を育てる人がいて、その米の個性を引き出そうとする酒造りがある。▼しかも、古代米という古いものを、現代の知恵で新しい酒にしている。▼古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。▼こういうところを、私たちは伊根に、そして野室に見なくてはいけないのでしょう、ね! 津母→ 《車窓》▼泊→ 《車窓》▼六万部→ 《車窓》▼朝妻 → 《車窓》▼大原 → 《車窓》 さて、これからもう一度、伊根の舟屋、向井酒造さんを訪ねます。▼▼津母、泊、六万部、朝妻、大原……。▼小さいですけれど、肩を寄せ合うように固まった里が、車で走っていると、なんだか数珠のようにつながって見えますね。町で連なっているのは名前だけ!!……(^.^)▼▼そういう数珠ごとに巨樹 お宮さんやお寺にね▼丹後の巨樹を探して、高校生たちと道のないところまで歩いたことがあります。 ざっと数えて、3500本ほど。巨樹って▼一本一本の木に、なんだか人の気配があるんですよ。▼たとえば、幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。▼100年の間、▼その木を見ていた人がいた。中には、わしだと思ってくれと植えて、戦争にいきなった木だ。▼一本一本に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。▼◆泊神社 タブ ◆振宗寺 イチョウ ▼「ここに何があったんだろう?」▼今日も、そんなものを一緒に探す旅をしているんだと思います。▼▼伊根、観光客でいっぱいです。あかいさーん どうしてこんなに大きくなったんですか ▼伊根の舟屋が重要伝統的建造物群保存地区になったのは2005年。▼でもね、「小さい伊根」が、ひょっとしたら残っているかもしれません。▼▼ はい、向井酒造、久仁子さん 待っててくれますよ 伊根。高梨 舟屋お祭りロード▼    11;54着 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成 ▼必見▼◆①井戸 吉村屋 横入る▼ 川には見える水の道がある。地下には見えない水の道がある。▼◆②海蔵寺 エドヒガンサクラ 180年 海の一本桜▼ 向井酒造 ▼     12;05着▼    12;40発 ○ 向井久仁子さんは1999年から杜氏を務め、当時は京都府初の女性杜氏として注目される。「伊根の伝統を守っている人が、伝統だけを守っているわけではない。」▼伝統的な生酛・山廃も守りながら、野室・赤米や上世屋無農薬米を使った酒造りにも。 高校跡 サプライズチェーン▼役場 消防分署▼バイパス→ 《車窓》▼ 養老伊根バイパスは宮津市岩ヶ鼻~伊根町平田の延長4.7km。平成6年度に事業着手「平成22年度(2010年度)に全線開通」。▼「古い伊根を守ろう」とする動きと、▼「伊根へ安全・便利に入れる新しい道をつくる」動きが、ほぼ同じ時代に進んでいた。 あれ!?▼ポイント▼《三部》 かってはリゾート構想夢の里、いまポツンと一軒家里▼京都最強の豪雪高原は、チャレンジ7つのエコミュージアム世屋高原 波見の谷→ 《車窓》▼ 12;54 発▼▼▼▼▼▼▼▼▼ゴルフ場→ 《車窓》▼▼▼▼川   左折▼▼ 世屋谷・世屋街道▼ → 《車窓》▼ 波見川▼   支流の谷 親知らず子不知海岸の間の谷にもう一度入りますそして上世屋に向かいます お昼をいただいて 午後メニューです。 ▼ここまでは 海岸にそって 横に 水平に走っていました ▼今度は、縦に走ることになります▼ステージ第三部、、 お題は《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 奇跡・7つのチャレンジ というようなイメージでの案内になります。▼▼ だいら ゴルフ場地形 なんだ この平らさ 異常ですね SSHのネタです(^.^)正面の山 そこを目指します 直線か!ではない▼いったん別の谷に,降りていきます、、 ▼▼世屋谷 せや川です、▼正面川向こうの里から上が、旧世屋村、下世屋、上流に上世屋がある▼世屋川、全長上から見たら8km、横から見たら700m 地形様々で川の博物館みたいな川、、SSHのネタ連発なんですよ、▼ ▼「わずか8kmほどの間に、700m近い高さを降りて海へ行く川なんです」▼ 700m ÷ 8,000m ≒ 8.8%▼▼例えば 漢字でかわ、川、三本線の川、、なんでかがなるほど、と一発でわかる  ▼▼ 崖 異常にきれい ▼ お昼会場に向かいます 案内には 上世屋の獣肉 ▼  なぜいまシカ  メチャメチャ可笑しい!!▼ 京都府宮津市世屋の人口・世帯※2020年▼人口▼93人(男性 48人 女性 45人)宮津市内 10位▼世帯46世帯宮津市内 10位▼面積28.81km²宮津市内 2位▼人口密度3人/km²宮津市内 10位▼※ 子ども ▼10~14歳 1 5~9歳 4 0~4歳 4 上世屋獣肉店・世屋ハウス▼ 13;10 着 ▼ 13;45 発▼▼ 2026年4月公表の環境省推定では、2023年度末の全国のニホンジカは中央値で 約303万頭。 京都府は2020年度の約9.6万頭を基準に、2026年度末に半減 → 約48,000頭を管理目標としていました。ところが、2025年度の事業計画では、依然として年間捕獲目標をメスジカ 15,000頭オスジカ 11,000頭合計26,000頭としています。 和紙工房・いとおかし▼ 13;50 着▼ 14;10 発▼ 、世屋産の楮、福知山・夜久野産の三椏などを使い、原料の栽培・採取から製品づくりまで一貫して行っています。トロロアオイも自ら栽培しています。▼つまり山や畑にある植物 → 繊維 → 紙 → 暮らし、というところまで戻っている。 「そして、この紙をつくっている人も、もともとここに生まれた人ではありません。」「外から来た人が、昔この土地にあった生業に出会って、もう一度、自分の仕事として始めた。」「さて、これは『伝統を守る』ということなんでしょうか。」▼▼「それとも、伝統を次の時代につくり直すということなんでしょうか。」 松尾たんぼ・ウオーク 1km▼▼ 14;20 着▼ 14;55 発▼ ▼▼ ※バス ▼旧汐霧荘入り口に回送待▼機▼ 松尾たんぼ →  圃場整備 機械可能▼ シンボル→ 山の一本桜 溝口平一郎ファミリー記念樹▼ 「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼▼   加えて 飯尾醸造 ※ 発酵 酢▼    企業 無農薬栽培 酢 まず米 その生育環境 ▼    大豆 ※  発酵 味噌 「世屋味噌」引き継いだ▼  湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!▼  歩きましょう!その湧水まで!▼ 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある▼ 道脇に、超レアー種もある、▼  発見されたら、多様センター永久会員認定ですね▼  岳水 ここの生活 水道代0円 天国 マルヤ農林園 →▼ 15;00 着▼ 15;20 発▼▼▼ こ90歳になったらなにしてらっしゃいます▼ ノダフジ ※野田 ショウブ 紙漉きノリウツギ (サビタ)▼ 再生と新たなチャレンジ、ここは自然共生サイトです。▼かつての湿地棚田。その違いを見ながら、考えてみたいんです。▼田んぼを守るとは、何を守ることなのか。生きものを守るとは、何をすることなのか。そして、この山の暮らしを支えている水は、どこから来て、どこへ向かうのか。▼そのつながりをここで探しているのフィールド探究部、シンボルプラント『サンショウモ』。この保全活動で、日本自然保護大賞を受賞した!▼▼お土産は、ネギ。土付き、土、黒いでしょう、、火山灰、九州鹿児島の鬼 道路情報計測地 《車窓》 京都最強の豪雪高原、京都府の道路積雪情報はここで計測発信、いつもダントツ!2m越える、そんなら行きます、そんな真冬にマイクロバス三台で子どもたち。ユーチューブ『花鳥風月・ぶら丹後』で検索してみてくださいね ノウダ・岡の前→ ▼ 15;25 着・発▼ 15;45 着▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※小川家玄関ツバメ穴  上世屋周辺は地すべり地形の移動堆積地で、比較的平坦な土地ができた場所です。京都府は上世屋を、棚田と伝統的な民家、周囲の森林が一体となった農村景観として評価し、丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原地区の中心的な里山景観として位置づけています。▼▼ ①小川雅道さん▼ 「上世屋生まれ、上世屋育ち。牛を飼いながら米を作ってきた人」▼土地との時間的な厚み。これは移住者には代替できない価値。。▼「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼+▼移住者が持ち込んだ新しい技術・販路・発想▼+▼飯尾醸造の継続的な需要が重なって、今の上世屋棚田がある。 「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。」▼「同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」▼ツバメは田んぼの害虫を食べます。、▼米を作る人↓田んぼ↓昆虫↓ツバメ↓人の家まで、生態系の線が一本になる。環境省も上世屋を、棚田・畦畔・広葉樹林など、人の生活や生業と結びついた里山生態系が維持されている地域として位置づけています▼▼※地名ノウダ 野田 ふけ 湿地 大フケ小フケ  藤織り工房。ののの→▼ 15;45 着▼▼ 16;05 発 保存会で学び、上世屋に移住し、自分の工房を構えて伝承を次の段階へ持っていこうとしている人。▼キャリア▼大学では物理学を専攻。その後、結城紬の地機による製織を4年間学び、愛媛県野村シルク博物館で、糸づくり・染色・製織など絹織物の一連の工程を学び、さらに龍村美術織物でジャカードによる手織り職人を6年間経験。さらに、丹後藤織り保存会の講習会に参加し、30期生として藤織りを習得。そして2018年、保存会員として通っていた上世屋へ移住し、「藤織り工房 ののの」として活動。 世屋高原上世屋休憩所▼ 16;15 発▼▼▼▼▼ 世屋高原の小中学生の学校跡に2011年6月「地域のにぎわい拠点」としてオープン。世屋高原では、学校は単に「教育施設」だっただけでなく、地域の人が集まり、文化を受け継ぐ場所。▼その学校の役割が縮小・終了した後に、▼↓▼空き施設・跡地↓地域資源として再活用↓休憩所・交流拠点↓藤織りなど地域文化の伝承・発信という流れがある。。宮津天橋高校フィールド探究部が、「世屋高原探究拠点」として活用している。 世屋姫飯尾田んぼ▼   16;40 発 サンショウモは水田雑草か! 水田保全実験▼ ▼ 車中にて解団交流 司会 野木公園長▼ 海星公園16;55 着▼   17;00 発   宮津駅 17;35 着 電車18;20 2021年(令和3年)1月に実施された大学入学共通テストの地理の試験問題で、宮津市と北部山間の村の対比を考えるという趣旨の出題がされた、 宮津市と北部山間の村、この間を結んでいるのが天の橋立、この橋は、木の橋でも鉄の橋でも、コンクリートの橋でもありません、砂の橋です、その砂はどこから、、感じていただけたら嬉しいです▼ 「世屋には、93人が暮らしています。そのうち、子どもは9人です。10パーセントは子どもなんで▼子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。▼夢の橋を架けるのは子どもたち 、私たち大人も子どもでした(^.^) そのメッセージ、忘れないでいたら、砂の橋は、、個人的にはきっと、「世界遺産」届くと信じています。▼ そして、今日のメインテーマ、豊かな暮らしをつくり、いまは資源循環へ向かおうとしているしかし矛盾も多い、このなかでその全部を含めて、私たちは『自然と共生する』とは何を意味するのか?」 お互いに学ぶものがあったら、嬉しいと思います。▼今日は、ありがとうございました。 」】
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拝読しました。いやあ、これはもう、単なる観光ガイドの原稿ではありませんね。(^.^)

今回の稿で、私がいちばん注目したのは、海から山へ移動する一日の中に、自然・生業・歴史・人間の選択という四つの糸が通り始めたことです。

そして、最後にもう一度、天橋立へ戻ってくる。

そのとき参加者の目には、朝に見た天橋立とは違うものが映っているかもしれない。ここが、この旅の勝負どころです。

今回は、よいところを褒めるだけではなく、10月17日に実際にガイドをする立場から、厳しめの点検も入れますね。

1. この原稿の芯は、もう見えています

私なら、全体を貫く一本の線を、こう整理します。

第1幕 海から丹後を読み始める

宮津・天橋立・阿蘇海・伊根

なぜ伊根へ行くのに、天橋立の向こう側を回るのか。海岸線、砂州、島、集落を通して、丹後の地形を身体で感じてもらう。

第2幕 海の暮らしは、海だけでは成り立たない

伊根・野室・向井酒造

舟屋の町の背後に、山、水、田んぼ、米、酒造りがある。古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは両立するのか。

第3幕 山の暮らしは、過去ではなく未来につながる

上世屋・棚田・和紙・藤織り・自然共生サイト

水を受け止める田んぼ、土地を知る人、外から来て技を受け継ぐ人。人間の営みと生態系を、実際の風景の中で読み解く。

終幕 ふたたび天橋立へ

砂の橋から、山・川・海・人のつながりへ

天橋立を大切にするとは、天橋立を生み出した世界を大切にすることではないか。では、その世界を誰が未来へ担いでいくのか。

この構成は強いです。特に、伊根で「海だけでは、伊根はわからない」と知り、上世屋で「山だけでも、山はわからない」と知る。そこから、山と海のつながりを砂州という具体物に結び直せます。

天橋立が、旅の最初の観光名所から、旅全体を理解するための鍵へ変わる。

ここは、ぜひ守りたいところです。

宮津エコツアー · 伊根満開で一杯――これは“海民の歴史を飲む”時間+与謝娘で、― 流域の双星、天の橋立を照らす

2. いちばん厳しく言いたいこと――素材を、少し減らしましょう

原稿には、魅力的な材料がたくさんあります。

  • 雪舟の天橋立図

  • 「伊根ってこっちなの!?」という地理の発見

  • 野田川と「野田」という地名

  • 冠島・沓島の信仰、生態系、軍事利用

  • 野室の田んぼと向井酒造の酒造り

  • 巨樹と土地の記憶

  • 上世屋の和紙、棚田、藤織り

  • シカと人間の関係

  • 自然共生サイトと地域の未来

  • そして、天橋立と世界遺産

どれも面白い。問題は、全部を同じ熱量で話したら、参加者が考える時間がなくなることです。

SSH的な探究の旅なら、ガイドが知識を十個提供するより、参加者が一つの問いを持ち帰る方が、深い学びになる場合があります。

私なら、原稿を三段階に仕分けます。

残す

旅の骨格になる話

「伊根ってこっちなの!?」「海だけでは伊根はわからない」「土地の記憶・水の順番・田の癖」「天橋立を生み出した山・川・海」。

短くする

面白いが、骨格から少し離れる話

地名の語源、人物の経歴、各所の歴史年表など。問いを投げて、詳しい説明は一つか二つに絞る。

予備に回す

時間が余ったときに使う話

巨樹の個別エピソード、地名の仮説、補足の歴史、シカの細かな捕獲数など。参加者の反応を見て取り出す。

ガイド原稿は、書いた量が多いほどよいわけではありません。むしろ、これだけの材料を持っているからこそ、当日は話さないものを選べる。

原稿は豊かに、当日の語りは軽やかに。

これが、今回の仕上げの大きな課題です。

3. 冒頭――「作った秋、盛った秋」は、少しだけ研ぎたい

今の書き出しには、安田さんらしい挑発があります。ただし、「京都は作った秋、丹後は地に根ざした生の秋」という対比は、受け取り方によっては京都の庭園文化を下げてしまいます。

そして、今回の朱雀の庭の発見を考えると、京都と丹後を対立させるより、両方の秋を入口にして、自然と人間の関係を考える方が、むしろ構想に合っています。

例えば、こんな具合です。

 

秋、真っ盛り。紅葉の都からお越しですね。

京都には、人の手で磨き上げられた、美しい秋があります。

そして丹後には、山や田んぼ、海辺の暮らしの中に現れる秋があります。

どちらが上という話ではありません。

今日は、丹後を代表する海辺の町・伊根と、山の里・上世屋を訪ねます。

そこで、自然と人間が、どのように向き合い、どのように暮らしをつくってきたのか。

皆さんと一緒に考える一日になればと思っています。

今日一日、お付き合いください。

エコツアーガイドの安田です。よろしくお願いします。

これなら、京都から来た参加者を歓迎しつつ、丹後ならではの風景へ視線を導けます。

そして、冒頭で全部を説明しないことも大切です。「自然と人間のバランスを考える旅です」と宣言するだけでなく、参加者自身が一日の終わりに、その意味を発見できるようにしておく。

4. 車窓案内――「あれ!?」は、今回の武器です

「あれ!?」という印が、原稿に何度も出てきますね。これは、とてもよい発想です。

ガイドが一方的に説明するのではなく、参加者の頭に小さな疑問をつくる仕掛けです。

例えば、宮津から伊根へ向かう車窓。

「伊根へ行きたいんですけど……伊根って、こっちなの!?」

ここで笑いが起きたら、そのあとに説明を詰め込まない。

「地図で見ると近そうでも、実際に行こうとすると、海と山が行く手を決めています。今日は、その地形を身体で感じながら進みます」

これで十分、次の景色を見る目ができます。

同じように、世屋川では、

「上から見たら約8キロ。横から見たら、約700メートル降りる川です」

という表現が印象的です。川を地図上の線として見るのではなく、山の高さや斜面と一緒に考えられる。

ただし、川の長さと高低差は、どの地点からどの地点までを測った数字なのか、事前に確認しておきたいですね。

もう一つ。小学生の目を借りたい、という部分はぜひ残してください。

「変なものがいっぱいあります。石垣、橋、田んぼ、放棄された農地、小さな社。『あれ、何だろう?』『なぜだろう?』。そんな疑問が、科学の入口です。今日は小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人は、すぐ答えを知りたがりますからね(笑)」

ただし、SSHは本来「スーパーサイエンスハイスクール」の略です。「SSHする」は安田さんの遊び心ある表現として使うなら、最初に「今日は、勝手にSSHする旅と呼んでいます」と一言添えると、誤解がありません。

そして、問いを出したら、すぐに答えない。参加者が実際に見たり、考えたりする間をつくる。ここが今回のガイドの腕の見せどころです。

5. ここは特に強い――野室から向井酒造へ

野室のくだりは、今回の原稿の中でも、かなり完成度が高い部分です。

山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。

この文章には、山と海をつなぐ具体的な道筋があります。

「山も海も大切です」と抽象的に語るのではなく、米と酒という目に見えるものを介して、両者がつながる。これは強い。

そして、

古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。

この一文も残したい。

ただ、ここは少しだけ、参加者に考える余地を渡す形にもできます。

「古代米を使った新しい酒造り。古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立するのでしょうか。それとも、古いものがあるからこそ、新しいものが生まれるのでしょうか」

問いかけてから、向井酒造の実践に触れる。

その方が、ガイドの結論を聞くだけでなく、参加者が自分で考え始めます。

また、人口の話は重要ですが、野室の2013年の世帯・人口と伊根町の1975年・2025年の人口は、統計の出典や集計基準をそろえて確認しておきましょう。数字を並べるときには、同じ種類の統計なのかを明確にする。それだけで、語りの信頼性が上がります。

宮津エコツアー · 「海の京都丹後の巨樹ものがたり 改訂版」 ご案内とお願い

6. 巨樹の話――「100年分」は、言い換えましょう

ここは、惜しい!

幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。

巨樹の話そのものは、とてもよい。けれども、幹周の成長速度は樹種や環境によって大きく異なります。単純な計算で、幹回り3メートルが100年分だとは言えません。

それよりも、こんな語りの方が、安田さんの伝えたいことに近いと思います。

幹回り3メートル以上の木は、一般に巨樹と呼ばれます。

でも、幹の太さだけでは、その木が何歳なのかは分かりません。

私が巨樹にひかれるのは、太いからだけではないんです。

その木が、ここで過ごしてきた時間。

その木を植えた人がいたかもしれない。
その木を見上げてきた人がいた。
戦争に行く前に、その木を植えた人もいたかもしれない。

一本一本の木に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。

そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。

「戦争に行く前に植えた木」の具体的な話は、実際にそのような言い伝えや記録がある木に限って使いましょう。確認できていなければ、「そういう思いを託して植えた人もいたかもしれません」と可能性として語るのがよいです。

それから、巨樹を3500本ほど調べたという経験は、数字の根拠や調査範囲を聞かれたときに説明できるようにしておくと安心です。

7. 上世屋――この旅の核心が、ここにあります

上世屋に入ってからは、素材が豊かで、安田さんの経験と観察が生きています。

特に、次の三つは互いに補い合っています。

  • 土地の記憶・水の順番・田の癖――長く暮らしてきた人の知恵。

  • 和紙や藤織りに挑戦する移住者――外から来た人が、土地の文化を次の時代へつなぐ営み。

  • 棚田・畦畔・森林・生きもの――人の暮らしと切り離されていない里山の生態系。

ここには、「昔の暮らしをそのまま保存する」という話に収まらない、現在進行形の地域の姿があります。

小川さんのように土地の時間を知る人がいる。一方で、和紙や藤織りを自分の仕事として受け継ごうとする人もいる。そして、その仕事や暮らしが、田んぼや森林、生きものとの関係の中にある。

この三者を、単に別々の見学先として紹介するのではなく、一つの地域を、異なる立場から支えている人たちとして見せたいですね。

例えば、藤織り工房では、長い経歴をすべて説明する必要はありません。

「保存会で学び、上世屋に移り住み、自分の工房を構えた人がいます。外から来た人が、土地に残る技を学び、ここで仕事として続けている。これは伝統を守ることなのか。それとも、伝統を次の時代につくり直すことなのか」

これで、十分に深い問いになります。

そして、子どもたちに伝えたいのは、地域が衰退しているという話だけではないはずです。

「人が減っている。だから、もう駄目だ」ではなく、「この場所にあるものを、誰が、どうつないでいけるだろう」。

地域の課題を見せながら、地域の可能性も同時に見せる。

このバランスを大切にしたいです。

8. 事実関係で、出発前に確認したい箇所

原稿の説得力を守るため、以下は確認をおすすめします。現時点で誤りと断定するものではなく、断定的な表現をする前に裏付けを取っておきたい箇所です。

原稿の箇所

点検したいこと

織田信長の丹後侵攻(1578~79年)

信長の命令・政治的関与と、実際の丹後での軍事行動を区別する。

野田・ノダ=湿地、水に関する言葉

地名の語源は仮説として扱い、確定した語源のようには語らない。

阿蘇海の名前の由来

「朝起きたら海が二つに」という説明は、面白い仮説として提示する。確立した語源説とは区別する。

雪舟の天橋立図に描かれた島と野室

絵図の島の比定や野室との関係は、確かな根拠がある部分と解釈を分ける。

籠神社と冠島・沓島

「奥の院」という伝承、祭神、信仰の歴史を区別して説明する。

親知らず子不知海岸の「巨大な何か」

地形を見て生まれた問いとしては魅力的。ただし、特定の地形形成過程を断定するなら根拠が必要。

シカの全国推定303万頭、京都府の管理目標

推定値と実測頭数、管理目標と実際の捕獲数を区別する。数字の対象年度も明示する。

大学入学共通テストの地理

2021年の実際の問題文と出題趣旨を確認してから紹介する。

特に、籠神社と冠島・沓島についての「天橋立ワールドの起点はここ」という言葉は、ガイドの解釈としては面白い。ただし、歴史的事実として断定するのではなく、

「私は、天橋立を生み出した世界を考えるとき、この海の島々も大切な手がかりだと思っています」

と語れば、安田さん自身の視点が生きます。

また、シカの全国推定値は、環境省が公表した2023年度末の中央値約303万頭という推定値です。これは実際に数えた頭数ではありません。京都府の管理目標についても、目標値と実際の生息数を混同しないことが大切です。

和紙づくりと上世屋の暮らしの智慧|一般社団法人Tangonian

(↑ 和紙づくりと上世屋の暮らしの智慧|一般社団法人Tangonian

9. そして、最大の実務課題――時間です

ここは、遠慮なく申し上げます。

現状の訪問先と時刻をすべて維持したまま、書かれている内容を十分に話すのは、かなり厳しいと思います。

特に午後です。

  • 13:10~13:45 昼食

  • 13:50~14:10 和紙工房

  • 14:20~14:55 松尾たんぼウォーク(約1km)

  • 15:00~15:20 マルヤ農林園

  • 15:25~15:45 ノウダ・岡の前

  • 15:45~16:05 藤織り工房

  • 16:15~16:40 世屋高原上世屋休憩所など

  • 16:40~16:55 世屋姫飯尾田んぼから海星公園へ

この日程には、乗降、移動、駐車、トイレ、説明、参加者からの質問、予定外の発見に使う時間が十分に含まれていないように見えます。松尾の1kmウォークも、歩く速さや観察の回数によって所要時間が変わります。

私なら、次の三つを優先します。

  1. 現地でしか見られないものを優先する。 和紙づくり、棚田、水の流れ、藤織りなど、実物との出会いを大切にする。

  2. 車窓で説明できるものは、車窓で短く扱う。 事前に「ここで話すのは一言だけ」と決めておく。

  3. 最後のまとめの時間を削らない。 海星公園で参加者が一日を振り返る時間は、できるだけ確保する。

最後に海星公園へ16:55に着き、17:00に出発する計画では、解団交流をする余裕がほぼありません。最後の問いを大切にするなら、どこかの訪問先で時間を調整する必要があります。

10. 最後の言葉――「世界遺産に届く」と言い切るか

原稿の終わりにある、

子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。

これは、ぜひ残してほしい言葉です。

一方で、「夢の橋を架けるのは子どもたち」と続けると、未来への責任を子どもたちに託すようにも聞こえます。子どもたちが夢を描ける世界を用意するのは、まず大人の役目。その視点が少し加わると、言葉がさらに深くなります。

また、世界遺産への思いは大切ですが、参加者に「世界遺産に賛成してもらう」ことを最後の目的にしなくてもよいと思います。まず、天橋立の見方が変わること。その先に世界遺産の夢がある。

締めくくりは、例えばこうです。

今日は、海から山へ、丹後を巡ってきました。

伊根では、海だけでは見えない暮らしがありました。
上世屋では、山の水が田んぼを潤し、米を育て、和紙や藤織りの仕事につながっていました。

そこには、長くこの土地で暮らしてきた人の知恵があり、新しくこの土地にやって来て、仕事を始めた人の挑戦もありました。

では、自然と共生するとは、どういうことなのでしょう。

昔の暮らしに戻ることだけではないでしょう。
自然を守ると言って、人の暮らしを切り離すことでもないでしょう。

山も、川も、海も、そこで暮らす人も。
そのつながりを見つめながら、これからの地域を考えていくことなのかもしれません。

世屋には、2020年の数字で93人が暮らしていました。そのうち、15歳未満の子どもは9人です。

私は、こんなふうに思うんです。

子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。

では、私たち大人は、そのメッセージに応えられているでしょうか。

今日、天橋立を見たとき、これまでとは少し違うものが見えるようになっていたら、うれしいです。

あの砂州を生み出した山や川、海の動き。
そこに暮らしてきた人々の歴史。
そして、これからの地域を担っていく人たち。

天橋立を大切にすることは、天橋立を生み出した山も、川も、海も、そこに生きる人々の営みも、一緒に大切にしていくことではないか。

私は、そんな天橋立の見方を、次の世代に手渡したいと思っています。

今日の旅が、そのことを考える小さなきっかけになったなら、うれしいです。

一日、お付き合いいただき、ありがとうございました。

宮津エコツアー · 「海の京都丹後の巨樹ものがたり 改訂版」 ご案内とお願い

最後に、今日の原稿への私の結論です

安田さん、今回の稿は、素材を増やす段階から、素材をつなぎ、選び、参加者に手渡す段階に入ってきたと思います。

これからは、説明をさらに足すよりも、三つのことを意識するとよさそうです。

  • 参加者に何を見てほしいのか。

  • そこで何を疑問に思ってほしいのか。

  • その疑問を、最後にどう天橋立へ結び直すのか。

そして、冒頭の「伊根ってこっちなの!?」から、最後の「天橋立を大切にするとは何か」まで、一日を通して一本の問いが流れていればよい。

天橋立を見せるのではなく、天橋立が見える目をつくる。

そこに、安田さんのガイドの独自性があると思います。

おみこしには担ぎ手がいる。

その担ぎ手を増やすために、まずは参加者一人ひとりが、自分の目で丹後を見つける。

今回のツアーは、そのための一日になり得ます。あとは、勇気を持って、少し削りましょう。(^.^)

【参加者が発見する余白を残しながら、安田さんの夢の核心まで届く原稿 、、ありがとう、三稿眼です(^.^)「 丹後へ ようこそいらっしゃいました   はるばる京都から!!秋 真っ盛り 紅葉の都から、、▼ 丹後にも紅葉はおとずれています、比較したら、作った秋、盛った秋 地のというのか地に根ざした生き様、人が向き合う大地、その生の秋 差はおおきいですね。あり意味丹後を代表する伊根と上世屋という状況の中から自然と人間とのバランスを考える、ツアーになればいいかな、と思います。▼今日一日、お付き合いさせていただきます▼ エコツアーガイドの安田です よろしくお願いします▼ あれ!?▼ポイント▼《一部》、 織田信長の丹後侵攻1578~79年(天正6~7)、▼ 鉄道の宮津・天橋立方面への延伸 1924~25年、 ▼ 日本冶金工業・岩滝製錬工場進出1939~42年 ▼ 、、、、、およそ新しきものは、遠方より来たる ▼ ▼一▼部▼▼北の国▼へのアクセス▼▼※▼車中車窓ガイド 駅    9;30 宮津駅  小説家 瀬尾まい子 和田龍 大手川 《車窓》 大手川 小説家 和田龍▼ 宮津城  歴史 織田豊臣徳川  ▼  明智光秀がかんでくる 天橋立駅 経由 天橋立駅 ▼ 鉄道 開通 観光化促進 右手に海  《車窓》▼向かいに山▼ 山の右裾に松並木▼伊根はどっち! 伊根へ行きたいんですけど  伊根ってこっちなの!? はははは▼  約5 km²(約500ha)の潟湖 周囲15km  松並木約4km、 10kmばかり遠回り になります  ▼ 阿蘇かい 海を名乗ってます 砂州が出来る前は入り江 つまり海だったのでしょう、、▼ 足利時代、丹後を訪れ絵を描かれた、当時トップのお坊さんの画家さんがいらっしゃいました  雪舟さんです   天橋立絵図   ▼ 丹後守護所があって 篭神社 成相寺 それらがあるのが対岸なんです、 これからそこへ回ります  消防署交差点▼大工場 《車窓》▼ 右折▼  日本冶金大江山工場 冶金 ▼  関東大震災 消化器具とかけて潜水艦と解く、その心は!!  川  《車窓》▼ ▼▼岩滝市街地 《車窓》 野田川  ※ 野田   このあたりが、『最後の一色』の主戦場。▼ 野田,ノダ、湿地、、水用語、今回企画のキーワード     ▼▼ 丹後縮緬の町です ここが、山間部の村々、離農離村される方々を受け入れた、そのための町作りがされたところです 土地に封建的に縛り付けられていた、その米作りも大型化、山間農村は対応不可。新しい時代の仕組みに適応する、離村しか無かった。▼この町に多い名字、糸井、ピンと来ませんか、もと阪神! 与謝の海支援学校▼ 《車窓》 おかしい 地元の人でも、悩んでいる、、阿蘇の海、与謝の海ではない なぜだ▼、、わたしもわかりません、、推測、仮説、天橋立が原因、海が仕切られたでしょう、▼朝眼を覚ましたら、海が二つに、だった、と言うこと ここが ヒントかな、つまり、初めは、与謝の海、、▼ここから、雪舟さんの画かれた丹後守護所、国分寺、篭神社という中世ワールドになります、 篭神社 《車窓》 ナンバー神社 丹後一の宮 国司が一番に  江戸になって藩主、一番にご挨拶にがここ。  ▼格式別格一番 主祭神火明り命 海部系図と鏡 亀に浦島さんも。▼海の海流は、高速道路みたいなもの 海を操る渡来系文化を携えたかただったようですね。 高石海岸 《車窓》 天橋立絵図   、島を二つ、雪舟さん,画いてらっしゃいます、▼ 右 前方に見える 島なのです▼ あの島のお隣さんが野室、伊根なのです。あの島を意識しながら海岸を北上しますね▼渡来文化 濃厚   日置の庄 《車窓》▼ 丹後風土記残欠に  丹後の国 日置の庄 ここ 風土記残欠はさらに▼筒川の里に 人あり、名を浦島太郎。つまり 筒川の里というのは、古代伊根なんです  崖 海 《車窓》 滑走路のような道から 左 崖  右 海 間 岩ごろごろ わたしは丹後親知らず子不知海岸と呼んでいる、、伊根街道の不思議①です 左折  《車窓》▼ 波見、→ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん! はみ、はみ、はみ谷、どんな漢字!!元々の意味は?置いておきましょう(^.^) 海星公園▼日置橋立ビュー▼10;05 着 地元参加者などと合流▼▼ ※2006年8月の開園時から、地球環境を主要テーマに、自然と共生する持続可能な暮らしの体験・学習の場とすること、さらに丹後地域の広域レクリエーションや観光振興に応えることを設置目的として掲げている。  あれ!?▼ポイント▼《二部》 《無い物ねだりはしない ある物を活かす 》▼ 2005年3月13日の宮津市との合併をめぐる伊根町住民投票。投票率は80.23%、賛成941票(47%)、反対1,050票(52%。)▼ 「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」 二▼部▼▼海▼の▼北▼の▼▼▼か▼ら▼▼の▼奇▼跡 海星公園10;10 発▼  車中にて結団交流 挨拶と予定確認 ▼スタッフ紹介▼ 参加者交流 司会 野木公園長▼▼ さて お願い 「変なもの」いっぱい!石垣、石積み、水路、古い橋、田んぼ、放棄された農地、雑木林、崩れた斜面、防護柵、堰、小さな社▼今日のツアーのお題▼「丹後  伊根・上世屋 に 自然、人、生業を訪ねる」▼①   湾 → 外海 → 海が見えなくなる そんな海の見え方▼② 遠い山 → 迫る山 → 谷の山 山の距離       ▼③  海 → 河口 → 川 → 沢 川 ▼⑤ 港 → 集落 → 道路沿いの暮らし → 山の暮らし 人の気配   ▼④   舟屋・漁業 → 集落・農地 → 森林 土地利用 ▼ こういう変化を見つけましょう」、▼こういうのを、SSH(スーパーサイエンス)する というんですって(^.^)▼「今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人はすぐ▼答えを知りたがりますからね。(^.^)」今日は小学生のお子さんが(^.^)、▼お子さん目線で見てくだされば、、ね。  波見・長江《車窓》 再び  左 崖  右 海 間 岩ごろごろ 親知らず子不知② ▼長江 《車窓》→ ▼▼▼ 二つの「親知らず子不知海岸」、、その間にハミの谷、,侮れない気がしませんか 巨大ななにかが、、、▼海岸にいる白い鳥、これは? うーん どこ見分ける?▼どっちかな、、そして、どこで子育てしてるのでしょうか▼、、答えは おいておきましょう、 大島 《車窓》→ ▼▼▼ 山の形は? 海の城  一色時代の海の砦 通行税▼ 海 若狭湾の西の端です ▼  櫛の歯のように半島 一番向こうは敦賀、常神半島 越前海岸▼ 能登半島は見えません  日出 《車窓》→▼ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん第三弾▼ ひで、漢字では、元々の意味は? ▼  日本海航路 北前船  港  ハゼロウですよ ここは 儲けた 内陸山間部 舟屋群《車窓》→▼ 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成  冠島・沓島・新井の里▼パノラマ観望▼ 10;30 着▼ 10;40 発 冠島・沓島 13km▼生物多様性の面でいうと、この鳥で有名、 だけではないんです  ▼海岸でみた白い海鳥たち、彼らが子育てをするのはここなんです。▼「火明かり命 奥の院など、帰属、伝承、漁業、生態系、航海、戦争などもろもろの面からただの無人島ではないんです。▼漁師にとっては、魚を追う目印であり、荒れた海から逃れる場所でもありました。▼人々は島に神を祀り、豊漁や海上安全を祈りました。▼近代になると、同じ島が軍事拠点にもなりました。▼同じ島なのに、見る立場によって、こんなに違う顔を持っている。▼▼人間がこの島とどう関わってきたか、そのすべてを含めて、次の世代に伝えることが大切なのではないでしょうか。 この里、有名なスポーツ選手でていますよ、全国女子駅伝中学生区間、初めの頃活躍した石倉君。▼新井は、漁業の村、と思う、なので崖に発達したと。山ぎわに里がある、そこが始まり、上げ という、漁法が発達したのでそこから、浜へ降りていって里を作った。 泊→津母・油屋→▼ 《車窓》 屋号 アブラ屋 ハゼロウで財をなした▼ (※境界 校区▼畑 柵 網 さて、これは? なら、なぜ? サルと常緑広葉樹林 野室 10;50着▼▼   11;40発▼ 野室田んぼ で畑作業 向井酒造の酒米 ※ 発酵 日本酒▼ ▼▼ 地元ネタ▼ たかへらのたき へら ウナギ 舞鶴から戦地に向かう子どもに ▼ ここで謎!!▼ ① 「高さ60メートルの滝。ここにウナギがいたという話。ウナギは、こんな滝を登れるんでしょうか?」「実は、九州では46メートルの滝の上流でウナギが見つかっています。」▼▼② 野室水道井戸▼▼《ここに、伊根のもう一つの姿を見る》▼ 山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。▼海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。▼山の水を受け止める田んぼがあり、米を育てる人がいて、その米の個性を引き出そうとする酒造りがある。▼しかも、古代米という古いものを、現代の知恵で新しい酒にしている。▼古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。 津母→ 《車窓》▼泊→ 《車窓》▼六万部→ 《車窓》▼朝妻 → 《車窓》▼大原 → 《車窓》 さて、これからもう一度、伊根の舟屋、向井酒造さんを訪ねます。▼▼津母、泊、六万部、朝妻、大原……。▼小さいですけれど、肩を寄せ合うように固まった里が、車で走っていると、なんだか数珠のようにつながって見えますね。町で連なっているのは名前だけ!!▼まあ、気楽に「数珠みたいですね」なんて言っておりますけれども……(^.^)▼▼伊根町 イチョウの木が多い町 イチョウの巨樹がその里一つ一つに▼▼丹後の巨樹を探して、高校生たちと道のないところまで歩いたことがあります。 ざっと数えて、3500本ほど。巨樹って▼一本一本の木に、なんだか人の気配があるんですよ。▼たとえば、幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。▼100年の間、▼その木を見ていた人がいた。中には、わしだと思ってくれと植えて、戦争にいきなった木だ。▼一本一本に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。▼▼「ここに何があったんだろう?」▼今日も、そんなものを一緒に探す旅をしているんだと思います。▼▼伊根、観光客でいっぱいです。あかいさーん どうしてこんなに大きくなったんですか ですが ▼でもね、「小さい伊根」が、ひょっとしたら残っているかもしれません。▼探してみてください。(^.^)▼「あれ、ここ何だろう?」見つけたら、教えてください。▼ はい、向井酒造、久仁子さん 待っててくれますよ 向井酒造 ▼ 12;00着▼ 12;40発 ○ 川には見える水の道がある。地下には見えない水の道がある。▼ ○ 向井久仁子さんは1999年から杜氏を務め、当時は京都府初の女性杜氏として注目される。「伊根の伝統を守っている人が、伝統だけを守っているわけではない。」▼伝統的な生酛・山廃も守りながら、野室・赤米や上世屋無農薬米を使った酒造りにも。 ▼▼バイパス→ 《車窓》▼ 養老伊根バイパスは宮津市岩ヶ鼻~伊根町平田の延長4.7km。平成6年度に事業着手「平成22年度(2010年度)に全線開通」。▼伊根の舟屋が重要伝統的建造物群保存地区になったのは2005年。▼つまり、「古い伊根を守ろう」とする動きと、▼「伊根へ安全・便利に入れる新しい道をつくる」動きが、ほぼ同じ時代に進んでいた。 あれ!?▼ポイント▼《三部》 《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !▼     いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 ▼       奇跡・7つのチャレンジ ▼三▼部▼山▼の▼北▼の▼国▼か▼ら▼▼の▼▼奇▼跡 波見の谷→ 《車窓》▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ゴルフ場→ 《車窓》▼▼▼▼川   左折▼▼ 世屋谷・世屋街道▼ → 《車窓》▼ 波見川▼   支流の谷 親知らず子不知海岸の間の谷にもう一度入りますそして上世屋に向かいます お昼をいただいて 午後メニューです。 ▼▼ここまでは 海岸にそって 横に 水平に走っていました ▼今度は、縦に走ることになります▼ステージ第三部、、 お題は《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 奇跡・7つのチャレンジ というようなイメージでの案内になります。▼▼ だいら ゴルフ場地形 なんだ この平らさ 異常ですね SSHのネタです(^.^)正面の山 そこを目指します 直線か!ではない▼いったん別の谷に,降りていきます、、 ▼▼世屋谷 せや川です、▼正面川向こうの里から上が、旧世屋村、下世屋、上流に上世屋がある▼世屋川、全長上から見たら8km、横から見たら700m 地形様々で川の博物館みたいな川、、SSHのネタ連発なんですよ、▼ ▼「わずか8kmほどの間に、700m近い高さを降りて海へ行く川なんです」▼ 700m ÷ 8,000m ≒ 8.8%▼▼例えば 漢字でかわ、川、三本線の川、、なんでかがなるほど、と一発でわかる  ▼▼ 崖 異常にきれい ▼ お昼会場に向かいます 案内には 上世屋の獣肉 ▼  なぜいまシカ  上世屋獣肉店・世屋ハウス▼ 13;10 着 ▼ 13;45 発▼▼ 2026年4月公表の環境省推定では、2023年度末の全国のニホンジカは中央値で 約303万頭。 京都府は2020年度の約9.6万頭を基準に、2026年度末に半減 → 約48,000頭を管理目標としていました。ところが、2025年度の事業計画では、依然として年間捕獲目標をメスジカ 15,000頭オスジカ 11,000頭合計26,000頭としています。 和紙工房・いとおかし▼ 13;50 着▼ 14;10 発▼ 、世屋産の楮、福知山・夜久野産の三椏などを使い、原料の栽培・採取から製品づくりまで一貫して行っています。トロロアオイも自ら栽培しています。▼つまり山や畑にある植物 → 繊維 → 紙 → 暮らし、というところまで戻っている。 「そして、この紙をつくっている人も、もともとここに生まれた人ではありません。」「外から来た人が、昔この土地にあった生業に出会って、もう一度、自分の仕事として始めた。」「さて、これは『伝統を守る』ということなんでしょうか。」▼▼「それとも、伝統を次の時代につくり直すということなんでしょうか。」 松尾たんぼ・ウオーク 1km▼▼ 14;20 着▼ 14;55「 発▼ ▼▼ ※バス ▼旧汐霧荘入り口に回送待▼機▼ 松尾たんぼ →  圃場整備 機械可能▼ シンボル→ 一本桜 溝口平一郎ファミリー▼ 地元の人が持っている「土地の記憶・水の順番・田の癖」▼▼   加えて 飯尾醸造 ※ 発酵 酢▼    企業 無農薬栽培 酢 まず米 その生育環境 ▼    大豆 ※  発酵 味噌 「世屋味噌」引き継いだ▼  ▼  湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!▼  歩きましょう!その湧水まで!▼ 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある▼ 道脇に、超レアー種もある、▼  発見されたら、多様センター永久会員認定ですね▼岳水 ここの生活 水道代0円 天国 マルヤ農林園 →▼ 15;00 着▼ 15;20 発▼▼▼ こ90歳になったらなにしてらっしゃいます▼ ノダフジ ※野田 ショウブ 紙漉きノリウツギ (サビタ)▼ 再生と新たなチャレンジ、ここは自然共生サイトです。▼かつての湿地棚田。その違いを見ながら、考えてみたいんです。▼田んぼを守るとは、何を守ることなのか。生きものを守るとは、何をすることなのか。そして、この山の暮らしを支えている水は、どこから来て、どこへ向かうのか。▼そのつながりをここで探しているのフィールド探究部、シンボルプラント『サンショウモ』。この保全活動で、日本自然保護大賞を受賞した!▼▼お土産は、ネギ。土付き、土、黒いでしょう、、火山灰、九州鹿児島の鬼 道路情報計測地 《車窓》 京都最強の豪雪高原、京都府の道路積雪情報はここで計測発信、いつもダントツ!2m越える、そんなら行きます、そんな真冬にマイクロバス三台で子どもたち。ユーチューブ『花鳥風月・ぶら丹後』で検索してみてくださいね ノウダ・岡の前→ ▼ 15;25 着・発▼ 15;45 着▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※小川家玄関ツバメ穴  上世屋周辺は地すべり地形の移動堆積地で、比較的平坦な土地ができた場所です。京都府は上世屋を、棚田と伝統的な民家、周囲の森林が一体となった農村景観として評価し、丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原地区の中心的な里山景観として位置づけています。▼▼ ①小川雅道さん▼ 「上世屋生まれ、上世屋育ち。牛を飼いながら米を作ってきた人」▼土地との時間的な厚み。これは移住者には代替できない価値。。▼地元の人が持っている「土地の記憶・水の順番・田の癖」▼+▼移住者が持ち込んだ新しい技術・販路・発想▼+▼飯尾醸造の継続的な需要▼が重なって、今の上世屋棚田がある。▼▼ ノウダ 野田 ふけ 湿地 大フケ小フケ  「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。」▼「同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」▼ツバメは田んぼの害虫を食べます。、▼米を作る人▼↓▼田んぼ▼↓▼昆虫▼↓▼ツバメ▼↓▼人の家▼まで、生態系の線が一本になるのです。▼環境省も上世屋を、棚田・畦畔・広葉樹林など、人の生活や生業と結びついた里山生態系が維持されている地域として位置づけています 藤織り工房。ののの→▼ 15;45 着▼ 16;05 発 保存会で学び、上世屋に移住し、自分の工房を構えて伝承を次の段階へ持っていこうとしている人。▼キャリア▼大学では物理学を専攻。その後、結城紬の地機による製織を4年間学び、愛媛県野村シルク博物館で、糸づくり・染色・製織など絹織物の一連の工程を学び、さらに龍村美術織物でジャカードによる手織り職人を6年間経験。さらに、丹後藤織り保存会の講習会に参加し、30期生として藤織りを習得。そして2018年、保存会員として通っていた上世屋へ移住し、「藤織り工房 ののの」として活動。 世屋高原上世屋休憩所▼ 16;15 発▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 世屋高原の小中学生の学校跡に2011年6月「地域のにぎわい拠点」としてオープン。世屋高原では、学校は単に「教育施設」だっただけでなく、地域の人が集まり、文化を受け継ぐ場所。▼その学校の役割が縮小・終了した後に、▼↓▼空き施設・跡地▼↓▼地域資源として再活用▼↓▼休憩所・交流拠点▼↓▼藤織りなど地域文化の伝承・発信▼という流れがある。。宮津天橋高校フィールド探究部が、「世屋高原探究拠点」として活用している。 世屋姫飯尾田んぼ   16;40 発 サンショウモは水田雑草か! 水田保全実験▼ ▼ 車中にて解団交流 司会 野木公園長▼ 海星公園16;55 着▼   17;00 発   宮津駅 17;35 着▼ 電車18;20 矛盾が多い から、あえてここ、、そういう矛盾を我がことにせよ、、センター試験選択地理で、宮津市と北部山間の村の対比を考えるという趣旨の出題がされた、▼「この五つは別々の話だったでしょうか?」▼  「いや、全部つながっている」▼ 「この地域では、山の資源を掘り、鉄道で運び、工場で加工し、戦争にも使い、戦後は豊かな暮らしをつくり、いまは資源循環へ向かおうとしている。その全部を含めて、私たちは『自然と共生する』とは何を意味するのか?」 お互いに学ぶものがあったら、矛盾、その発展的な解決の道が広がるかな と思います。▼あわせて、赤米酒粕 世屋味噌、いとおかし和紙、上世屋ジビエ、などお土産のおかいもとめていただければありがたいです、マルヤ農林園冬ネギ、これは土付き、完全土産品、お土産にお持ち帰りください。▼今日は、ありがとうございました。▼ 】
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おお、三稿め、拝見しました!(^.^)

二稿から一歩進んで、**「何を話すか」だけでなく、「参加者に何を発見してもらうか」**が、原稿のあちこちに顔を出してきましたね。

とくに今回、いいなと思ったのは三つです。

  • 「伊根ってこっちなの!?」――天橋立を見慣れた景色から、地形を読み解く手がかりに変える。

  • 「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」――観光地のイメージを、山・水・田んぼ・酒造りへと広げる。

  • 「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」――自然共生を、難しい理念ではなく、暮らしの一場面から考えてもらう。

この三つは、今回の旅の骨格になり得ます。

そして、安田さんが最初におっしゃった「天橋立を世界遺産に」という夢。ここに届かせるためにも、丹後の魅力をたくさん紹介する旅から、参加者の「天橋立を見る目」が変わる旅へ、もう一段、原稿を研げると思います。

三稿は、材料を削る段階というより、材料のあいだにある「一本の線」を、はっきりさせる段階に来ています。

1. 三稿のいちばん大きな課題――「天橋立」が、途中から見えなくなる

少し厳しいことを申し上げますね。

この原稿、伊根と上世屋のガイドとして読めば、実に豊かな材料があります。しかし、「天橋立が見える目をつくる旅」として読むと、天橋立が冒頭の車窓に登場したあと、終盤まで主役の座から退いてしまうのです。

これは惜しい。

今回のツアーで、参加者に見てもらいたいのは、伊根の舟屋の魅力だけでも、上世屋の棚田の美しさだけでもない。

伊根で海と暮らしの関係を見た。 上世屋で山と水と暮らしの関係を見た。 そして、最後に天橋立を思い出したとき――

「あの砂州も、こうした山や川や海のつながりの中で生まれたのか」

と、景色の見え方が変わる。

ここまで連れていきたいのですよね。

そのために、冒頭と最後に、天橋立を置くのです。

冒頭は、答えを言わずに問いを置く

たとえば、宮津駅での挨拶のあと、こんな一言を加える。

今日は、伊根と上世屋を訪ねます。

海の町と、山の村。
一見、ずいぶん違う場所に見えますね。

でも、この二つの場所を巡ったあとで、もう一度、天橋立のことを考えてみたいんです。

天橋立は、なぜ、あそこにあるのでしょう。

そして、なぜ、私たちはあの景色を、これほど大切に思ってきたのでしょう。

その答えを、私から先に申し上げるつもりはありません。

今日一日、皆さんと一緒に探してみたいと思います。

これなら、世界遺産の夢を最初から大声で訴えなくても、旅全体に一本の問いが通ります。

2. 「最後の一色」は、三つの場面に絞って見せる

安田さんが長く掘り下げてきた地球・地形・歴史・生業の話は、どれも大切です。ただ、一日で全部を同じ濃さで伝える必要はありません。

私なら、次の三場面を特に大切にします。

天橋立全景 | GANREF

第一景 天橋立を見て、伊根の方向を知る

「伊根って、こっちなの!?」

これは、単なる笑い話ではありません。見慣れた天橋立を、丹後半島の地形の中に置き直す瞬間です。

ここでは解説を詰め込まず、海、山、砂州、対岸の位置関係を、まず参加者自身に見つけてもらう。

天橋立・京丹後周辺おすすめ観光スポット10選

第二景 海の伊根から、山の伊根へ

「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」

ここで野室の田んぼ、山の水、赤米、酒造りへと視野を広げます。

海辺の観光地の背後に、山から海まで続く暮らしの世界がある。ここが、旅の中盤の大きな発見です。

Kamiseya, Kyoto Prefecture, Japan Rural Scenery

第三景 上世屋で、自然と人の関係を見る

棚田、湧水、和紙、藤織り、ツバメ、自然共生サイト。

ここでは「昔ながらの暮らしはすばらしい」とまとめないことが重要です。

地元で暮らしてきた人の土地の記憶と、外から来た人が持ち込む新しい技術や発想。その両方が重なり、地域の未来がつくられていく。

自然と共生するとは何か。その問いを、参加者の手元に残します。

この三場面がしっかり立てば、ほかの話題は、それを支える材料として整理できます。

たとえば、織田・豊臣・徳川、冶金工場、鉄道、北前船、巨樹、鹿、藤織り、学校跡地。どれも面白い。しかし、全部を同じ強さで話すと、参加者の記憶の中で主役が増えすぎます。

主役は一つ。山・川・海と人間の関係を見直すこと。ほかの話は、その主役を照らす光。

この整理が効くと思います。

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3. 今回、ぜひ残したい言葉

三稿には、すでに磨けば光る言葉があります。私は次の四つを残したい。

伊根・野室

「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」

観光地のイメージを、流域の暮らしへと開く言葉です。

冠島・沓島

「無人島というのは、人が住んでいないという意味です。人との関係がないという意味ではありません。」

島を、単なる地形や生物の生息地ではなく、信仰・漁業・航海・軍事・生態系が重なる場所として見せられます。

上世屋・小川さんの家

「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」

「自然共生」という抽象語が、目の前の家と田んぼの風景に降りてきます。

終盤・旅全体

「今日、天橋立を見たとき、これまでとは少し違うものが見えるようになっていたら、うれしいです。」

これが今回の旅の到達点です。世界遺産という言葉を使わなくても、その価値を考える入口になります。

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4. ただし、時間配分は、もう一度組み直したい

三稿は、内容の整理だけでなく、時間の現実性も重要です。

特に午後は、移動時間、下車、現地での説明、参加者が発見する時間が競合しています。

場面

現状の時間

気になる点

冠島・沓島の展望

10:30〜10:40

10分で何を見せ、何を語るかを絞る

野室

10:50〜11:40

作業・滝・水道井戸・田んぼの全てを扱うなら、優先順位が必要

向井酒造

12:00〜12:40

見学・交流・昼食との関係を確認

和紙工房

13:50〜14:10

20分で伝承者の経歴を全て紹介するより、仕事の現場を見せる

松尾の田んぼ

14:20〜14:55

1km歩く時間と湧水・生きもの観察の時間を確保

マルヤ農林園

15:00〜15:20

自然共生サイトの意味を一つの問いに絞る

藤織り工房

15:45〜16:05

経歴紹介を圧縮し、素材・技・暮らしの接点を見せる

また、時刻表には、岡の前・ノウダ周辺の到着時刻や、世屋高原上世屋休憩所の出発時刻など、整理が必要な箇所があります。実際の走行時間と駐車・乗降時間も含め、現地で無理なく回れるかを確認したいところです。

参加者が発見する余白は、時間が余ったときに生まれるものではありません。あらかじめ確保しておくものです。

説明を二分短くしても、参加者が「あれ、あの水はどこから来ているんだろう」と考える三分があれば、そのほうが旅の成果は大きいかもしれません。

5. 事実関係で、公開前に確認したい箇所

原稿の骨格とは別に、ここは丁寧に確認しておきましょう。

  • 「周囲15km」「松並木約4km」「10kmばかり遠回り」:阿蘇海の周囲を指すのか、松並木を歩くルートを指すのか、参加者に誤解されないよう整理する。

  • 阿蘇海と与謝の海の名称:「天橋立ができて海が二つになった」という説明は、魅力的な仮説として提示するならよいですが、確定した語源や命名史としては話さない。

  • 野田川・野田・湿地の関係:地名の響きから地形を考えるのはSSH的に面白い。ただし、語源が確定していないものは「この地名から何が想像できるでしょう」と問いにする。

  • 伊根の舟屋の現在の景観:道路整備だけで成立したと単純化せず、港の利用、集落の形成、道路・埋立てなどが重なった景観として扱う。

  • ウナギと高さ60mの滝:滝の上流でウナギが見つかったことと、そのウナギが垂直の滝を登ったことは別です。観察・研究で確認された事実と、登攀経路の仮説を分けて話す。

  • 巨樹約3,500本:安田さんたちが調べた範囲での概数なら、そのように説明する。丹後全域の公式総数のようには聞こえないようにする。

  • 全国のシカ推定数・京都府の捕獲目標:数字の対象年度と公表時点を明記する。ツアーで数字を使う目的が「多さに驚くこと」なのか「里山の管理を考えること」なのかも定めておく。

こうしたところは、正確さを確保しつつ、全部を説明する必要はありません。むしろ「まだ分からないことがある」と示すのも、探究の旅にはふさわしいと思います。

6. そして、最後の場面に「世界遺産への夢」を戻す

三稿の締めくくりには、「矛盾を我がことにせよ」という安田さんの考えが入っています。私はここを大切にしたい。

自然と共生するとは、工場をなくすことでも、昔の暮らしをそのまま保存することでもない。便利さも、産業も、保全も、地域の暮らしも、矛盾を抱えながら未来をつくっていくことです。

ただし、最後の「五つの話」は、何を指すのか分かりにくいので、山・川・海・人の暮らしへまとめ直すのがよいでしょう。

そのうえで、こんな終わり方はどうでしょう。

今日は、海から山へ、丹後を巡ってきました。

伊根では、海だけでは見えない暮らしがありました。
上世屋では、山の水が田んぼを潤し、米を育て、和紙や藤織りの仕事につながっていました。

そこには、長くこの土地で暮らしてきた人の記憶があり、新しくこの土地にやって来て、仕事を始めた人の挑戦もありました。

昔からあるものを守ることと、新しいものを生み出すこと。
自然を守ることと、人が暮らし続けること。

簡単には答えの出ない問いが、たくさんありましたね。

でも、山があり、水が流れ、川が海につながり、人がその土地で暮らしてきた。そのつながりの中に、今日見てきた丹後の姿がありました。

さて、ここで、もう一度、天橋立のことを考えてみたいんです。

天橋立を、ただ美しい砂州として見る。
それも、もちろん大切なことです。

でも、あの砂州を生み出した大地や水の動き、周囲の山や海、そこに暮らしてきた人々の歴史まで見えてきたら、天橋立は、少し違う場所に見えてこないでしょうか。

私は、天橋立を世界遺産に、という夢を、もう一度考えてみたいと思っています。

天橋立だけを大切にするのではなく、天橋立を生み出した山も、川も、海も、そこに生きる人々の営みも、一緒に大切にしていく。

そんな天橋立の見方を、次の世代に手渡せないだろうか。

今日の旅が、そのことを考える小さなきっかけになったなら、うれしいです。

一日、お付き合いいただき、ありがとうございました。

この結びは、世界遺産運動への賛同を求める演説ではありません。参加者が今日見たものを、自分の中でつなぎ直すための呼びかけです。

安田さん、ここが大事だと思うのです。

夢を語ることと、夢を参加者に発見してもらうことは、違う。

前者だけなら、安田さんが一日中語ればよい。でも後者を目指すなら、語らない時間も必要です。参加者が自分で景色を見て、自分で問いを持ち帰る。その余白をつくるために、ガイドは語ることを選び、時には語らないことも選ぶ。

蟷螂の斧、しまう必要はありませんよ。(^.^)

ただ、斧を振り回して全部を切り開くのではなく、参加者の目の前に、一本の道を開く。

四稿では、その道筋を一緒につくりましょう。

、、、、

【参加者募集】10月17日~文化と生物多様性のつながりを学ぶ~「伊根と上世屋の魅力にふれる現地研修会」を開催します!

京都府・きょうと生物多様性センターでは、文化と自然のつながりを体感することで、生物多様性についての理解を深めていただく様々な催しを開催しております。

今年は府立丹後海と星の見える丘公園(通称うみほし)の開園20周年を記念し、伊根町の日本酒と宮津市上世屋の里山文化をテーマに「日本酒×里山トークライブ~伊根に生きる、上世屋に生きる~」を開催しました。その第2弾として、「伊根と上世屋の魅力にふれる現地研修会」を実施します。皆様のご参加をお待ちしております。

《①》梅小路公園

【朱雀の庭】
平安建都1200年を記念し、長い歴史の中で培ってきた京都の作庭技術、技法の枠を結集し、伝統と創生の調和をめざして作庭された平成の日本庭園が「朱雀の庭」です。
この池泉回遊式庭園には、中央の浅池の周囲に築山や滝、野筋や花床などが配置され、歩みにつれて変化する景は、訪れるたびに新鮮な発見に満ちています。

【いのちの森】
いのちの森は、もとは草も木もない都心の貨物駅だった場所に、いきものの生息空間(ビオトープ)の再生を目指して造られました。起伏に富む地形や多様な水辺環境を再現し、人為的な干渉を控えることで、植物やいきものの自然な再生を試みています。電車の線路に隣接し、京都駅から徒歩15分という立地にあるにもかかわらず、四季を通じて多くのいきものの姿を見ることができます。

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

おお、これは今の秋の丹後ツアーの冒頭に、**かなり面白い「対比軸」**を持ち込めますね。

朱雀の庭と、いのちの森。
一見するとまったく別物ですが、実は両方とも、

「人間が都市の中に自然をつくり直した場所」

なんです。

そして、ここから丹後へ出発する。

朱雀の庭

これは、極めて高度な人間による自然の編集です。

池をつくる。
築山をつくる。
滝をつくる。
野筋をつくる。
花床をつくる。

そして、

「歩みにつれて変化する景」

を設計する。

つまり、

人間が「自然らしい景観」を構成している。


いのちの森

こちらは、少し違います。

もともとは、

草も木もない貨物駅。

そこに、

  • 起伏
  • 水辺
  • 多様な生息空間

を人間がまず再現する。

しかし、その後は、

「人為的な干渉を控えることで、植物やいきものの自然な再生を試みる」

という方向へ進む。

つまり、

人間が舞台をつくり、その後、自然に委ねる。


そして、ここから丹後へ

ここ、ものすごくいい問いが立つと思うんです。

「では、丹後の自然は誰がつくったのでしょう?」

天橋立は?

世屋の棚田は?

伊根の舟屋は?

世屋の森は?

波見の集落は?


朱雀の庭のように、
人間が意図してつくったのか。

いのちの森のように、
人間が舞台をつくって、自然の再生を待ったのか。

それとも丹後では、

人間と自然が、何百年、何千年もかけて一緒につくってきたのか。

ここに「生業」が入ってきます。


だから冒頭に、こんな一節を置くのはどうでしょう

京都には、すばらしい庭があります。

朱雀の庭。

池があり、築山があり、滝があり、野筋があり、
人が歩くたびに景色が変わるように、
京都の作庭の技術を結集してつくられた庭です。

そして、そのすぐ近くには「いのちの森」があります。

もとは貨物駅。
草も木もない場所でした。

そこに地形をつくり、水辺をつくり、
生きものが暮らせる場所をつくった。

そして今度は、人間が少し手を引いて、
いのち自身の再生を待っています。

さて。

今日は、そこから丹後へ行きます。

伊根へ。
上世屋へ。

そこで皆さんに、ひとつ考えていただきたい。

丹後の自然は、誰がつくったのでしょう?

山は?
川は?
田んぼは?
舟屋は?
森は?

自然がつくったのでしょうか。

人間がつくったのでしょうか。

それとも――その間に、もう一つの答えがあるのでしょうか。

そして、

「今日は五つの変化を見つけてください。」

へ。

これはかなり強いと思います。


しかも、この導入なら、安田さんが掲げている

「自然、人、生業」

の三つが、最初から一本になります。

朱雀の庭=人が自然をデザインする

いのちの森=人が自然の再生を支える

丹後=人と自然が長い時間をかけて風景をつくってきた

という仮説です。

ただし、最後の丹後については、あえて「答え」として言わない。

参加者に一日かけて発見してもらう。

これなら、10月17日のバスは単なる移動手段ではなく、**「京都という都市から、丹後という生きた風景へ入っていく実験装置」**になりますね。(^.^)

【② 朱雀の庭はマルヤ農林園&岡の前棚田跡交園と同じ自然共生サイトに認定されており、王朝植物フジバカマも保全展示されている梅小路公園を見学してきました。そしたら、その庭園に「天橋立」がデザインしてあったじゃあありませんか(^.^)書いてはありませんでした、でも、水の流れの組み立てから、あれは天橋立とわたしは見ました、解説くださいな 】
梅小路公園 朱雀の庭 庭園を眺めながらモーニングもできる穴場 -庭園ガイド

おお、それは面白い発見ですなあ。(^.^)
しかも**「天橋立と書いてないのに、天橋立に見えた」**というところが、むしろ大事だと思います。

まず一点、慎重に分けましょう。

朱雀の庭の設計者が「天橋立を意図してデザインした」と確認できない以上、それを事実としては言えません。
しかし、安田さんが水の流れと地形の組み立てから「これは天橋立だ」と読んだ――これは、庭園を見るうえでかなり筋の通った「景観読解」だと思います。

なぜ「天橋立」に見えたのか

朱雀の庭は、単なる池ではありません。

水面+中島的な地形+築山+滝・水の流れ+周囲を巡る園路

によって、歩くにつれて景観が変化するようにつくられています。

そこで安田さんが、

水の大きな面の中に、細長い陸地が入り込み、両側から水に挟まれ、その背後に山・地形が立ち上がる

という構造を見たのなら、それは確かに天橋立の景観構造を連想させる。

つまり、松並木そのものを模写しているかどうかではなく、

「水の中に陸が伸びる」
「その陸と背後の山が一つの景観になる」

という構造です。


そして、ここが今回ものすごく面白い

安田さんは今、

朱雀の庭 → いのちの森 → マルヤ農林園・岡の前棚田跡交園 → 伊根・上世屋

という線を考えておられる。

ところが、その出発点の朱雀の庭の中に、天橋立を見つけてしまった。

これは偶然の発見として、ツアーの冒頭に使えます。

たとえば梅小路公園で、

「みなさん、これ、何に見えます?」

と聞く。

「池でしょう」

「庭でしょう」

「島でしょう」

そして安田さんが、

「私には、天橋立に見えるんです。」

(笑)

もちろん、

「設計者がそう言ったわけではありません。
今日は私の読みです。」

と断っておく。

これがいい。

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すると「庭」と「丹後」が反転する

普通は、

京都の庭園 → 丹後の自然

と考えます。

ところが今回は、

丹後の天橋立を知っている人が、京都の庭園を見て「天橋立」を発見する。

つまり、

天橋立を見る目を持っていると、京都の庭まで違って見えてくる。

これはSSH的です。

「正解を教えてもらう」のではなく、

自分が持っている仮説で景観を読み、別の場所で検証する。


そして「自然共生サイト」が、ここで効いてくる

朱雀の庭とマルヤ農林園・岡の前棚田跡交園が、同じ「自然共生サイト」という制度の中にある。

ここも面白い。

片方は、

都市の中で、人間が設計した庭。

片方は、

山の中で、人間の暮らしと農林業がつくってきた環境。

一見、まったく違う。

ところが両方に、

「人間が自然とどう関わって、生きもののいる場所をつくるか」

という問いがある。

そして梅小路には王朝植物のフジバカマまである。

すると、

平安京 → 庭園文化 → 植物文化 → 現代の生物多様性保全 → 丹後の里山

という、思いもよらない線が一本引ける。


そして、私はここに「天橋立」の別の意味を感じます

安田さんがずっと探しているのは、

「天橋立という物」ではなく、「天橋立という関係」

でしたよね。

朱雀の庭で見つけた「天橋立」は、まさにそれです。

砂州3.6kmという物体をコピーしたのではない。

水と陸と山と人間の視線がつくる関係性を、安田さんが読み取った。

だから、

「天橋立は、どこにでもある」

と言うのではなく、

「天橋立を見る目を持つと、別の場所にも“天橋立的な関係”が見えてくる」

と言った方が正確でしょう。

これは結構深いですよ。


そして、10月17日のツアー冒頭で梅小路公園の写真を一枚見せて、

「この庭の中に、天橋立があります。
さて、どこでしょう?」

とやったら……

参加者、絶対に探しますよ。(^.^)

そのあと、

「では今日、丹後で五つの変化を探してください。」

とバスに乗る。

庭の中の“天橋立”を探すところから始まり、最後は海から山へ、自然と人の関係そのものを探す。

これ、かなり美しい導入になりそうです。

『安政六年新井の村で四十六人が亡くなった。、、、、』うむー、、、、、、、、、、丹後探究は『そら知らなんだ ふるさと丹後』で始まります、何でだろう?、そうか!、そうだったのか!!、そうだろう!!!、さて、新崎に徐福山さんの謎、そうか!、そうだったのか!!、そうだろう!!!

新井岬の徐福伝説・資料編
(そら知らなんだ ふるさと丹後 -27-)より

 

『丹哥府志』

【童男童女宮】(新井崎、祭七月六日)
童男童女宮村人訛りてトウナンカジュクウという、其訛りに習ひて誰が書きたる縁起や童男寡女宮と記せり如何なる謂をしらず、古来秦の徐福を祭るなりと申伝ふ、俗に新井崎大明神といふ處なり。聴雨記続編朱子不註尚書處引、或説曰。日本有真本尚書乃徐福入海時所携者余初未之信也後観陽公日本詩有云徐生行時書未焚逸王百篇今尚存令岩不許伝中国挙世無人識古文先王典蔵夷貊蒼波浩蕩無通律則外国真有其本鴎陽之言未必無據朱子之不註者豈以是耶云。又始皇本記に徐福の事を載せたれども慥と日本にはあらず、然れども諸書を以て参考すれば徐福の日本に来る明なり、されども何れの御宇に来りて何れの国に居り如何様なる事をなしたるや、又其漂着せし處は何れの浜なりや其事蹟詳ならず、京洛西の大秦宮は徐福なりといふ秦の字をかけばなり、又紀州にもありと聞く、皆正史にのせたる事にあらず。
新井崎の徐福の宮初は疑ひしが其地を踏みて聊か信ずる事あり、新井より以西十里内外の處に湊あり、次に浦浜あれど波あれば着する事能はず、大洋より来りて勝手も知らざれば爰より外に着處はなかるべしとも覚ゆ、又其宮たる村より離れて四五町斗も山を下りて新井崎の恐ろしき處北海に向ひて神籬を建つ、尋常の宮造りにあらず、又其随神といふものを見るに、浦島などの随神と同じ形にていづれも千年にも及ぶものなり(冠服元製並年所を歴たる模様、大和などにある所と参考して記とす)、其等を参考して千年以前より斯童男童女宮と伝へ来ればたとひ正史に洩れたりとも虚といふべからず、たとひ徐福の漂着せし處にあらずとも其携へ来る童男女の由緒あるべし。王父柳街の話に蔓荊子のある處は皆昔唐船の着處なり、蓋蔓荊子は唐種なればなりといふ、此處蔓荊子のある處あり、なる程丹後も唐船の着し處なりと見へて往々唐船の話あり下に出す、尤朝鮮は略地の向ひ合ひたる處なれば折々朝鮮人の漂着するものあり、是等も地理に於て徐福の来る考にもならん。

新にい大明神口碑記(境内)

新大明神口碑記の由来
安政六年新井の村で四十六人が亡くなった。
村人は祖先神新大明神を祀り、この難局窮地からの脱出逃避を祈願した。
時の玉林寺住職延利氷峯子需に応じて、その口碑を著わし初めに新大明神を始皇帝奉侍の童男女であるとし、その時を人皇七代孝霊天皇の御宇と断じている。更に始皇帝の命を受け眞人不死の神薬を求める史記に触れる。次いで来意をきく村長との問答の中で、咸陽宮や龍宮城の體為が語られ、最後に古伝に倣って素盞嗚尊と牛頭天王を習合、その上に新大明神を重ねて避邪避病の神を出現させている。
これには贅記があるが省略した。尚碑文中に延利氷峯子とあるのは振宗三十三世玉林寺法地開山弌山玉峯大和尚をいふ。
建立 平成十九年丁亥弥生
奉納蓬莱庵石倉昭重
石工峰山町平井雄一
文責奉納者
『伊根町誌』
徐福伝説 紀元前二二一年、中国の統一に成功した秦王の「政せい」は、新たに皇帝の位をつくり始皇帝と名のり、咸陽かんよう(今の西安)に都した。この一世の英雄秦の始皇帝は方士徐福を召して不老不死の霊薬を求めることを命じた。当時神仙思想が流行し、仙丹に七返八還の法があって、この仙丹を服すると不老不死となることができるといわれ、権勢のある者はこの霊薬を求める者が多かった。仙丹は三神仙(渤海にある蓬莱・方丈・瀛州)に仙人が仙丹を練り、不死の薬を蓄えているといわれた。始皇帝はこの神山にいたことがあるという方士(神仙の術をよくする道士)徐福に、仙丹を求めることを命じたのである。伊根町字新井には古くから徐福信仰があり、地区住民は徐福を産土神として祭り、新井崎神社の祭神として崇拝している。
伝承によると『七代孝霊天皇の時代に秦の始皇帝が不老長生の神薬を求め、方士徐福がこの地を易筮によって予知し漂着した。漂着した場所は新井崎のハコ岩で、長途の船旅と波浪によって疲れ果てて岩の上で休んでいると、時の澄の江の邑長むらおさがいぶかって来意を聞いた。徐福は「始皇帝の欲している仙薬を求めて来たが、眼前にある仙薬は少なく、得られなければ秦の都咸陽宮に帰ることは許されない」といってこの土地に住みついた。この地で徐福の求めた神薬とは「九節の菖蒲と黒茎の蓬からよもぎ」である。
徐福はその後里人をよく導いたので、推されて邑長となり、里人の仰慕の的となって、死後産土神として奉祀されるに至った。』と伝えられている。「からよもぎ」は普通のよもぎ(綿蓬)と異なり、葉の裏にある白毛が少なく、草餅(よもぎ餅)にするため早春に蓬をつむとき、特に「からよもぎ」をえらんで若葉をつみとる。成長した葉は「もぐさ」にもなる。「からよもぎ」は当地方では新井崎海岸(のろせ海岸)に多く自生しているが、近年、道路の改修、土地基盤整備等により少なくなったが、現在なお自生している。
「童男童女宮とうなんかじょぐう」 新井崎神社は徐福を祭り新井崎大明神とよんでいるが、縁起に童男・童女の渡来を「童男寡女」と記したことにより、住民は「とうなんかじょぐう」とよぶようになった。御神体が男女二神であるのは、徐福とともに渡来した童男・童女をあらわしている。
文献-新大明神口碑記
原夫丹之後州与佐郡澄江里新大明神者震旦奏始皇帝奉侍之童男女也実当(二)本人王第七代孝霊天皇御宇(一)焉蓋始皇帝好学(二)長生老之仙術(一)其方也朝服(二)金丹石髄(一)暮飲(二)酒瓊醤(一)以欲(レ)求(二)真人不死之神薬(一)九茎薬草九節菖蒲不老延齢薬餌也故勅(二)命童男寡女(一)而言曰域丹後奥郡澄江里與(二)龍宮城(一)同所而異名也汝等去此真人之霊薬可(二)尋得来(一)儻不(レ)然則勿(レ)帰焉童男寡女承(レ)勅而得々航(レ)海来著(二)岸干澄江(一)時澄江村長怪而且問云答以(二)上件事(一)矣頃間談(二)成陽宮等事(一)日先始皇帝都京也云々(下略)
維時嘉永五(一八五二)龍次壬子孟夏日禺居
澄江里金剛山下写焉氷子(花押)
祭礼
宵宮には青年と若家主が中心となり、手丸提灯をもって参拝する。本祭は三柱神社(三宝荒神社)・新井崎神社・龍権さん・老人島(おびとじま)神社・愛宕社・恵比須社・本尊さん(玉林寺)・金比羅社に太刀振りと花踊りを奉納し、翌日(後宴)に宇良神社・秋葉社に祭礼を入れる。
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ちなみに 「そら知らなんだ ふるさと丹後」さんからのメッセージ!!!
少年易レ老学難レ成、一寸光陰不レ可レ軽
脳が若い30歳くらいまでに、せめて千冊は読みたい

友を選ばば書を読みて…と与謝野鉄幹様も歌うが、子供の頃から読んでいるヤツでないと友とも思ってはもらえまい。
本を読めば、見える世界が違ってくる。千冊くらい読めば、実感として感じ取れる。人間死ぬまでに1万冊は読めないから、よく見えるようになったとしても、たかが知れたものである。これ以上の読書は人間では脳の能力上、生物の寿命上、言語能力上不可能なことで、コンピュータ脳しかできまい。いい書籍との出合いを!

当サイトはどなたからも費用を頂いているわけでもありません、取材費が莫大になりボランティア精神だけではどうにもならなくなり始めました。スポンサーといえばナニですが、世界一の本屋さんの手伝いです。
いい人との出合いは運次第、思うようには巡り会えないかも知れません、それが人生。
しかしいい本との出合いは、この本屋さんを探せば、テンコモリです。
GOOD LUCK !

そのほかも大盛りすぎ
田舎暮らしの不自由なことは、ショッピングに、特に現れるのでないでしょうか。地元商店で購入したい、地元に多少ともそんなことででも貢献したいとは思って、のぞいてみても、ナニもコレといったモノは売られていない。もうチイとらしいモンはないんかい。と、もしかして思われているならば、バですが、ここで探してみて下さい。
さらに加えて配達は抜群に速い。今日の午前中に注文すれば、明日には到着する(在庫あるものならば)(ネダンは安いし会員なら配達は無料)。

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