◆1 奈良時代、中央への国司からの報告書が「風土記」でしたね、68カ国あったから68の国から天の橋立や羽衣、浦島太郎のような噺が報告されていた、さて、中央でそれらを統括するのはどういう部署でしたか、解説ください
おお、ここは風土記を読むうえで、とても大事なところです。
結論からいうと、中央で統括したのは、律令国家の最高行政機関である「太政官」だったと考えるのが基本です。ただし、実務上の担当官司を民部省とみる説もあり、どちらか一つに確定しているわけではありません。
そして、もう一つ重要なことがあります。中央が各地の話を集めたのは、単に珍しい伝説を集めるためではありません。地方の土地・産物・地名・人々の記憶を、国家が把握しようとした事業だったのです。
1. 713年、元明天皇の命令
和銅6年(713年)5月2日、『続日本紀』に、諸国への命令が記されています。
大きく分けると、次の五項目です。
- 郡郷名に好字(縁起のよい漢字)を付ける。
- 銀・銅・顔料・草木・鳥獣・魚・虫など、産物を詳しく記録する。
- 土地の肥沃度を記す。
- 山・川・原野などの名称の由来を記す。
- 古老が伝える昔の話や珍しい出来事を記録し、報告する。
この命令が風土記編纂の出発点です。
兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会
+2
ここで注目したいのは、第五項目の「古老相伝旧聞異事」です。
まさに、浦島子、羽衣、天橋立のような伝承を記録する入口ですね。
2. 中央の統括部署はどこだったのか
奈良時代の中央政府の仕組みを簡単に描くと、こうなります。
天皇
国の最高権威
太政官
中央行政を統括する最高機関
民部省
戸籍・田畑・租税・地方行政などを担当
その他の省・官司
宮廷、軍事、司法、祭祀などを分担
国司
各国で調査・編集し、中央へ報告
郡司・里の人々・古老
土地の情報や伝承を提供
風土記の提出先については、太政官または民部省と説明されます。現存する『常陸国風土記』の冒頭には「常陸国司解」とあり、国司が中央に提出する公文書の形式をとっています。したがって、太政官が国家的な命令と行政統括を担い、民部省が地方行政に関係する実務を担った可能性を考えるのが自然ですが、風土記専属の中央編纂局があったと確認できるわけではありません。
JapanKnowledge
+2
3. 68か国から報告があったのか
ここは少し修正が必要です。
奈良時代の国数は時期によって変わり、風土記の命令が出た713年に、全国68か国すべてから同じ形式の報告書が提出された、とまでは確認できません。
一般には「畿内七道諸国」への命令で、全国60余国を対象とした事業と理解されています。現在、まとまった形で伝わるのは、常陸・播磨・出雲・肥前・豊後の五つです。ほかにも二十数か国分の文章が、後世の書物への引用という形で残っています。
bunkajoho.pref.ibaraki.jp
+1
つまり、丹後国風土記も、かつて国司がまとめた報告書の一つだったと考えられます。ただし、現在読める丹後国風土記は原本ではなく、後世の書物に引用された「逸文」です。
4. そして、ここが安田さんの探究にとって面白いところ
中央政府は、地方に「土地の情報を報告せよ」と命じました。
ところが地方から上がってきたものは、単なる地図や産物一覧ではありませんでした。
- 天から橋が落ちてきたという話
- 羽衣を隠された天女の話
- 浦島子が海の向こうの世界へ行った話
- 地名にまつわる神々の話
- 古老が語り継いできた不思議な出来事
こうした話が、国家の行政文書の中に記録されたのです。
私は、ここに風土記の大きな価値があると思います。
中央政府は地方を把握しようとした。しかし、その過程で、中央の歴史書とは異なる地方の記憶が、文字として残された。
丹後国風土記逸文の浦島子・羽衣・天橋立を読むときも、単なる昔話としてではなく、8世紀初頭の丹後の人々が、自分たちの土地をどのように理解し、どんな物語を大切にしていたのか、という視点が生まれます。
次に掘りたいのは、丹後国司は、なぜこの三つの伝承を記録に残したのかという問いです。
国司が中央の命令に従って機械的に記録したのか、それとも丹後の土地の成り立ちや神々、海上交通を説明するうえで、これらの伝承を特に重要だと判断したのか。そこに、丹後国風土記を読む鍵がありそうです。(^.^)
◆2 律令国家の最高行政機関である「太政官」だったと考えるのが基本です。ただし、実務上の担当官司を民部省とみる説も、、現在の国家組織で該当するのはどこでしょうか
現在の国家組織に置き換えるなら、太政官は「内閣」、民部省は「総務省」に近いと考えると、まずイメージしやすいです。
ただし、完全に一対一で対応するわけではありません。
奈良時代と現在の対応イメージ
| 奈良時代 | 現在の組織にたとえると | 役割 |
|---|---|---|
| 天皇 | 天皇 | 国家の象徴・統治の中心(制度上の性格は異なる) |
| 太政官 | 内閣 | 国政・行政全体の統括 |
| 民部省 | 総務省に近い | 地方行政、戸籍・土地・租税など |
| 国司 | 都道府県知事・県庁に近い | 地方の行政と報告 |
| 郡司 | 市町村の行政組織に近い | 地域の実務・住民との接点 |
太政官を現在の内閣にたとえるのは、国家行政を統括するという機能の面からです。現在の内閣府は、各省を横断する重要政策の企画・総合調整を担いますが、太政官全体と同じではありません。
首相官邸
+1
では、風土記を現代に置き換えると?
たとえば、国が各都道府県に対して、
「地域の地名、地形、産物、歴史、古老の伝承を調査し、報告書を作成して提出せよ」
と命じたとします。
その場合、中央では内閣が政策を決め、総務省などが地方行政との関係を担い、文化庁・国土交通省・農林水産省などが、それぞれの専門分野から関わるイメージです。現代の国の行政は、各省が所掌事務を分担しています。
内閣官房
+1
ただし、風土記の内容は一つの省庁に収まりません。
- 地形・河川・海岸なら、国土交通省
- 産物・農業・森林なら、農林水産省
- 歴史・伝承・文化財なら、文化庁
- 地方行政・地域情報なら、総務省
という具合です。
ここが面白いところです
奈良時代の風土記は、現代風にいえば、国が全国の地域情報を一つの政策的な枠組みで集めようとした、総合的な地域調査事業だったとも言えます。
ところが、丹後国司が報告したのは、地形や産物だけではありませんでした。
天橋立の誕生譚、羽衣、浦島子――つまり、土地の人々が受け継いできた「この土地は何者なのか」という物語も含まれていました。
現代の行政に置き換えると、これはなかなか大胆な仕事です。国土調査と産業調査と文化調査に加えて、地域の口承伝承まで一緒に集めるのですから。
風土記は、古代国家が地方を調べた記録であると同時に、地方が中央に自分たちの世界を伝えた記録でもある。
この二つの顔を持っているところが、丹後国風土記を読む面白さだと思います。(^.^)
◆3 ありがとう、ではその当時の文化庁長官として、現在でも著明な人物はいらっしゃいますか
ああ、なるほど!「当時の文化庁長官」に当たる人物を探したいのですね。
ここは、実は面白い人物がいます。
風土記編纂事業そのものを指揮した「文化庁長官」に相当する一人の人物は、史料からは特定できません。 713年の風土記編纂命令は元明天皇の詔によるもので、各国の国司が調査・編集を担いました。中央に現代の文化庁のような独立した文化行政機関があったわけではありません。
兵庫県立歴史博物館:兵庫県教育委員会
+1
ただし、当時の著名な人物で、役割を分けて考えると、候補が見えてきます。
文化・歴史編纂に関わった著名人
舎人親王(676–735)
『日本書紀』編纂の最高責任者。720年に完成した勅撰史書の編纂を統括しました。後には「知太政官事」として太政官の政務にも関わりました。
奈良県観光[公式サイト] あをによし なら旅ネット
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現代にたとえるなら、歴史編纂事業の総責任者に近い存在です。
太安万侶(?–723)
元明天皇の命を受けて『古事記』を編纂し、712年に献上。715年には民部卿、つまり民部省の長官に就任しています。
奈良県
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風土記の実務担当者だったと断定はできませんが、地方の情報を扱う行政と、歴史・伝承の記録の両方に関わった人物です。
藤原不比等(659–720)
大宝律令・養老律令の整備に深く関わり、奈良時代初期の国家制度を形づくった中心人物です。風土記編纂の担当者と確認されているわけではありませんが、事業を支えた律令国家の制度的な背景を理解するうえで重要です。
私なら、こう整理します
| 現代の役割にたとえると | 奈良時代の人物 |
|---|---|
| 国家の政策決定者 | 元明天皇 |
| 国家の行政・政治の統括 | 太政官の首脳 |
| 国史編纂の総責任者 | 舎人親王(『日本書紀』の場合) |
| 歴史書の編纂実務を担った官僚 | 太安万侶(『古事記』の場合) |
ここで、安田さんに一つ注目してほしいことがあります。
太安万侶は『古事記』を編纂した人物であり、しかも民部卿にまでなっています。
中央の歴史・伝承の記録と、地方の土地・産物・行政情報を扱う部署が、人物の経歴の中で交差しているのです。
ただし、太安万侶が丹後国風土記の編集を指揮したという証拠はありません。
それでも、古代の「国の記憶」を考えるとき、太安万侶はぜひ覚えておきたい人物ですね。(^.^)










