宮津エコツアー · バッファゾーンとは「天橋立の周りに線を引くこと」ではなく、 「天橋立と関係しているものを発見すること」  天橋立を世界遺産に 124

バッファゾーンとは「天橋立の周りに線を引くこと」ではなく、 「天橋立と関係しているものを発見すること」  天橋立を世界遺産に 124

【① 冠島までの距離ですね、伊根から、それと舞鶴・野原から、それぞれ分かりますか】
冠島today 今期初ハマチ

(↑ 冠島today 今期初ハマチ wakasads.blog46.fc2.com|)

 はい。ここはかなり面白いです。先ほどの「海上のランドマーク」という話とつながります。

京都府レッドデータブックでは、**冠島の代表点を北緯35°41′00″・東経135°25′10″**としています。京都府観光連盟も、冠島を「若狭湾に浮かぶ」舞鶴市の島として扱っています。

この座標を基準に、海岸・港からの直線距離をざっくり出すと、

出発地点 冠島まで
伊根町・伊根周辺 約13.3 km
舞鶴市・野原漁港 約12.7 km

となります。

野原については、野原漁港の位置が北緯35.569706・東経135.428612として確認できます。
また京都府は野原を正式な漁港として掲載しています。

これ、かなり面白いですよ

伊根から約13 km、野原から約13 km。

つまり冠島は、

伊根から見ても、野原から見ても「ほぼ同じ距離にある海上の巨大な標識」

なんです。

しかも京都府自身が冠島を、単なる離島ではなく、

「若狭湾西部では海上に浮かぶ重要なランドマーク」

と表現しています。

さらに海上保安庁の「空から見る港・若狭湾」の索引図でも、伊根港・本庄港・野原港と冠島が同じ海域の航行地理として並んでいる。

ここからが、先ほどの古代航海の話につながります。

伊根 → 冠島 ≒ 13 km
野原 → 冠島 ≒ 13 km

ということは、冠島は「伊根側だけの島」でも「舞鶴側だけの島」でもない。

むしろ、

丹後半島東岸と舞鶴・大浦側の双方から見える、若狭湾の海上標識

と考えたほうが地理的には自然です。

そしてもう一つ、私はここが気になります。

冠島の東西位置を越えてさらに東へ行けば、若狭湾の奥へ向かう。
西へ戻れば丹後半島・伊根・丹後海岸。

つまり冠島は、単なる「沖の島」ではなく、

丹後から若狭へ出ていくときの、海の上の一つの節

になっている。

しかも、冬には島の周囲に遮蔽物がなく、日本海の荒波をまともに受ける島だと京都府も説明しています。

だから古代航海を考えるなら、

「冠島まで13 kmだった」

という距離そのもの以上に、

「13 km沖に、海上から確認できる高さ約170 mの孤島がある」

ことの意味が大きいと思います。

そして……(^.^)

伊根 → 冠島 → 野原

がほぼ同じ「13 km圏」で結ばれる。

これ、地図に線を引いてみる価値がありますね。
次は **「伊根・野原・冠島から、それぞれ冠島・沓島がどの方角に見えるか」**を出すと、古代航海の「目印」としての性格がもう一段はっきりします。

 【② 海の奥宮という信仰が、地理的にどういう向きを持っているのか、籠神社から見てほぼ北東方向 ウム、、夏至の匂い!!】

ウム……(^.^)
これは、かなり「匂い」ます。

先ほどの座標で改めて計算すると、

  • 籠神社 → 冠島:方位 約60.9°(真北から)
  • 北緯35°前後での夏至の日の出:ほぼ60°

です。北緯35°での夏至の日の出方位は約60°とされています。

つまり、

籠神社から見た「海の奥宮・冠島」の方向 ≒ 夏至の朝、太陽が昇る方向

なんです。

しかも籠神社自身が、彦火明命について
「海の奥宮である冠島に降臨された」
と伝えています。

ここは、三つに分けて考えたいです

① 方位の一致
これは計算上、かなり明瞭です。約1度以内。

② 「夏至を意識してこの向きにした」という証拠
これは、今のところありません。ここから先は仮説です。

③ 古代の人が太陽と冠島を同じ景観の中で捉えた可能性
これは、十分に研究対象になります。

そして、さらに大事なのが――

「見える方向」と「祭祀の方向」は同じとは限らない

冠島は約169 mの高さがありますが、籠神社から約23 km離れています。京都府も冠島を若狭湾西部の重要な海上ランドマークとしています。

ですから、

神社 → 冠島

という方位軸そのものには地理的意味がある。

ただし、籠神社の境内から実際に冠島が一直線に見通せるかは別問題です。地形・樹木・建物・見る地点の高さを調べる必要があります。

むしろここで、先ほどの傘松公園の冠島・沓島遥拝が効いてきます。
「遠い島を拝む」という行為が、単なる方向感覚ではなく、一定の海上方位を身体化した場所だった可能性が出てくる。


そして、安田さんの「夏至の匂い!!」という感覚を、私はこう置いてみたいです。

東から太陽が昇る――ではなく、
夏至の朝、太陽が昇る北東の海に、神の島がある。

これはずいぶん違います。

さらに、

籠神社
↓
冠島
↓
その向こうの日本海

という「海の奥宮」の軸に、一年の太陽運行の極点=夏至が重なる。

これが偶然なのか、古層の景観認識なのか、後世の再解釈なのか――そこはまだ決められません。

でも、調べる価値のある仮説にはなりました。

そして、ここからがもっと面白い。

夏至だけではなく、冬至の日の出方向も見る。
籠神社から見て冠島が約60.9°なら、冬至の日の出は約118°。つまり冠島とは全く違う方向です。

そこで、**「冠島=夏至の朝の海上標識」なのか、さらに「沓島は何を指すのか」**まで方位を重ねると、かなり深いところへ入れそうです。

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【③ 冠島をSSHする、面白いですね!!】
 そうなんですよ!!(^.^)

「冠島をSSHする」――これ、かなりいい言葉です。

「冠島について知る」ではなく、

冠島という一つの対象に、地学・生物・海洋・歴史・民俗・宗教・航海・人間活動を全部ぶつけてみる。

まさに、安田さんのやってきた「天橋立の見方」を、冠島そのものに適用する感じです。

たとえば――

地学

なぜ、あそこにあの二つの島が残ったのか。
中新世の火山岩・凝灰岩、海食崖、周囲の海底地形。

海洋

対馬暖流、季節風、波、海流。
**「船から冠島はどう見えたか」**を考える。

天文

ここが今いちばん怪しいところですね(笑)。

籠神社 → 冠島 ≒ 夏至の日の出方向

偶然なのか、景観認識なのか、祭祀方位なのか。
これは「分からないからこそSSH」できます。

生物

オオミズナギドリの大繁殖地。

すると冠島は、

海の上の岩 → 鳥の巨大なコロニー → 海と陸をつなぐ物質循環

になる。

鳥が海で餌をとり、島で繁殖し、糞が島へ戻る。
さらに昔の人間は鳥糞を資源として見ていた可能性がある。

歴史

「凡海息津嶋」
大宝地震伝承
古代日本海航路
中世・近世の廻船
近代の軍事施設。

同じ島に何層もの時間が重なっている。

信仰

そして籠神社。

「海の奥宮」

ここで初めて、

海の向こうに神がいる

という人間の世界観が、単なる伝説ではなく、地理そのものとして立ち上がってくる。


そして私は、冠島SSHの中心に、この問いを置いてみたいです。

「なぜ、人は海の上のこの小さな島を、特別な場所として記憶したのか?」

これなら、

地球科学だけでも解けない。
宗教史だけでも解けない。
航海史だけでも解けない。
生態学だけでも解けない。

だから、みんなで持ち寄る。


そして天橋立との関係が、ものすごく面白い。

天橋立は、

山 → 川 → 海 → 砂 → 陸

という水平の地球システム。

一方、冠島は、

海 → 島 → 鳥 → 神 → 航海 → 太陽

という海上の垂直軸を持っているように見える。

その二つを、

籠神社――天橋立――冠島――沓島

という一枚の景観の中に置いてしまう。

おお……これは「天橋立SSH」の沖合版ですね。

そして、案外いいタイトルになるかもしれません。

「冠島をSSHする――海の奥宮は、なぜそこにあるのか」

このタイトル、かなり好きです。

 天の橋立 雪舟Amanohasidatezu
【③ 雪舟さんは、この嶋を天の橋立絵図に描き込まれた、その意味が見えてきた気がしますよ】

そうなんですよ……。
先ほどの「夏至の匂い」と重ねると、雪舟が冠島・沓島を画面の中へ入れたことが、単なる遠景描写ではなく見えてくる感じがあります。

京都国立博物館は、『天橋立図』について、実景そのものではなく複数の写生を組み合わせた構成であること、そして画面右端に沖合の冠島・沓島が描かれていることを宮津市も紹介しています。さらに宮津市は、この二島の描き込みについて、雪舟の宗教的な世界観が反映された可能性を指摘しています。

ここ、すごく大事です。

雪舟は、

天橋立だけを描いたのではない。

画面には、

栗田半島
→ 宮津湾
→ 天橋立
→ 阿蘇海
→ 府中
→ 成相寺の山
→ そして、その彼方の冠島・沓島

まで入っています。文化遺産オンラインも、この広い景観構成を明記しています。

つまり「天橋立図」という題名なのに、実際に描いているのはむしろ、

天橋立を中心とした“海と山と聖地の世界”

なのではないか。

そして今回の発見――

籠神社から冠島の方向 ≒ 夏至の日の出方向

をここに重ねる。

すると、

天橋立
 ↓
籠神社
 ↓
北東の海
 ↓
冠島・沓島

という宗教的な視線の軸と、
夏至の太陽が昇る方向が重なっている可能性が出てくる。

もちろん、ここから

「雪舟は夏至を意識して描いた」

とは言えません。そこには史料上の証拠がまだありません。

でも、雪舟の絵自体が現地の一点から見た写真ではなく、意味を持つ場所を再構成した景観画だということは、京都国立博物館も認めています。

さらにJR西日本の解説では、中嶋利雄氏の研究として、冠島・沓島は実際の位置関係からすると不自然なほど画面に近く描かれており、天橋立の神話性に欠かせない意味があるため雪舟があえて画中に収めたという解釈が紹介されています。これはあくまで中嶋氏の説ですが、今回の「海の奥宮」という視点と非常によく響きます。

だから、いま私ならこういう問いにします。

雪舟は「見えたもの」を描いたのか。
それとも「この世界で重要なもの」を描いたのか。

もし後者なら、冠島・沓島は天橋立の背景ではありません。

天橋立が向かっている海の先にあるものです。

そして――
その方向が夏至の日の出とほぼ重なる。

おお……。
これは「冠島をSSHする」だけでなく、「雪舟をSSHする」必要まで出てきましたね。(^.^)

 冠島沓島遥拝所 写真素材 [ 4642733 ] - フォトライブラリー photolibrary
 【④ 世界遺産審査委員会が「バッファゾーン」を求めることを、雪舟さんは、まるで予期していらっしゃたようじゃあありませんか(^.^)】

あはは(^.^)
「雪舟さん、先に答えを描いてしまっていたのでは?」――という感覚、分かります。

ただ、ここは一度だけ現実的に整理しておくと、むしろその面白さが増します。

現在のユネスコの世界遺産ガイドラインでは、バッファゾーンは単なる「周囲の土地」ではなく、重要な眺望、直ちに接する環境、さらに資産の保護を機能的に支える地域まで含めて考え得るものです。また、バッファゾーンを設けないなら、その必要がない理由を説明することになっています。

さらに2025年版のガイドラインでも、世界遺産の管理は資産そのものだけでなく、バッファゾーンや「より広い設定(broader setting)」まで含めた統合的な管理という考え方が示されています。そこには地形、自然環境、土地利用、空間的関係、visual relationships(視覚的関係)、社会・文化的実践まで入ってきます。

ここで……雪舟の『天橋立図』です。

雪舟は、砂嘴だけを切り取っていない。

天橋立を中心に、

宮津湾
― 阿蘇海
― 府中
― 成相寺の山
― 栗田半島
― そして沖の冠島・沓島

まで、一枚の景観として構成している。京都国立博物館の作品解説でも、画面は天橋立だけでなく、その周囲の山・海・集落を含む広い景観として捉えられています。

すると、安田さんの着眼点はかなり鋭い。

「天橋立」を守ろうとしたら、「天橋立の外」を見なければならない

これ、現代のバッファゾーン論とものすごく響きます。

ユネスコが言う
「important views」
「functionally important areas」
という発想を、雪舟は15~16世紀の景観画の中で、すでに視覚的な一枚の世界として表現しているようにも読める。

もちろん、

「雪舟が将来の世界遺産制度を予知していた」

とは言えません。

でも、

雪舟は「天橋立の価値は、天橋立だけにはない」ことを描いていた

――という読みは、かなり刺激的です。

そして、ここで冠島が効いてくる。

もし冠島・沓島が、単なる「遠景の小島」ではなく、海の奥宮、航海のランドマーク、そして夏至の太陽方向まで重なる景観要素だとすれば、

それは天橋立の外側にある「余計なもの」ではなく、天橋立という世界を成立させる関係要素

と見えてくる。

つまり、

バッファゾーンとは「天橋立の周りに線を引くこと」ではなく、
「天橋立と関係しているものを発見すること」

なのかもしれません。

これは、安田さんが以前考えていた**「コア → 関係領域 → 仲間たち」**という発想と、ものすごくきれいにつながります。

そして雪舟の絵には、その「仲間たち」が最初から同じ画面にいる。

……そう考えると、
「世界遺産のバッファゾーンをどう設定するか」ではなく、「雪舟の視野に入っているものは何だったのか」から逆算するという、かなり面白い研究テーマができますね。(^.^)

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