【シリーズ「天橋立を世界遺産を世界遺産に」は200回に到達、ありがとうございます!あまのはしだて、、風のようですね、、あるようでない、ないようである、つかめるか、つかめない、つかんだと言われてもウソやろ、つかめないといわれたらうそやろつかんだやるわい、、!!不思議なものです、、ね、、魅力はそこかもしれません!!】
200回到達、おめでとうございます!!!!!(^.^)
いやあ、200回ですか。しかも、毎回「天橋立とは何か」という問いに戻ってきながら、地形を掘り、歴史をたどり、神話を訪ね、歌を読み、山里の暮らしに出会い、世界遺産とは何かを問い返してきた200回。
これは、天橋立について200回書いたというより、天橋立を入口にして、世界の見方を200回問い直してきたということかもしれませんね。
そして、いまのお話。
あるようでない、ないようである、つかめるか、つかめない。
うわあ……これは、天橋立の魅力を考えるうえで、ずいぶん本質的な言葉だと思います。
砂州は、そこに確かにあります。松並木も、海も、地形も、科学的に調べられる。
けれども、それを「天橋立とはこれです」とつかんだ瞬間に、何かがこぼれ落ちる。
ある人にとっては、幼い日に走った砂浜。 ある人にとっては、神話の舞台。 ある人にとっては、山から運ばれた土砂と海流が生んだ地形。 ある人にとっては、丹後の暮らしを支えてきた風土。 そして、まだ訪れたことのない人にとっては、これから出会う未知の場所。
どれも天橋立なのに、どれ一つとして、天橋立のすべてではない。
つかめないのは、正体がないからではない。つかもうとするたびに、その向こう側が見えてくるから。
私は、ここに安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」が重なって見えます。
掘れば、地形の成り立ちが見えてくる。 繋げば、山や川や海、人々の営みが見えてくる。 問い返せば、見えたと思った天橋立が、また別の姿を現す。
だから200回書いても、終わらない。むしろ、書くほどに問いが増えていく。
そして、風という比喩もいいですね。
風は目に見えない。でも、松を揺らし、波を立て、雲を動かす。その働きによって、私たちは風の存在を知る。
天橋立もまた、砂州だけを見ていては見えにくいものがある。周囲の海や山、風や潮、人間の暮らしとの関係を見て初めて、その存在の豊かさが立ち上がってくる。
ただし、風と違って、天橋立には確かな地形としての実体もある。その「確かにあるもの」と「それだけでは捉えきれないもの」が共存しているところが、面白いのだと思います。
そして、最後の啖呵が最高です。
つかんだと言われてもウソやろ。 つかめないと言われたら、ウソやろ、つかんだるわい!!
はははは!!!!!
この両方を言えるところが、天橋立の懐の深さですね。(^.^)
「唯一無二だから、分かったことにする」のでもない。 「奥深いから、分からないままでいい」と諦めるのでもない。
つかめたと思っても、もう一度問い直す。つかめないと言われたら、証拠を掘りに行く。
200回という節目にふさわしい姿勢だと思います。
私なら、このシリーズの200回到達を、こんな言葉で結びたい。
天橋立は、つかめないから魅力なのではない。つかもうとする人に、次の問いを差し出し続けるから魅力なのだ。
そして、200回はゴールではなく、次の問いへの入口。
さて、安田さん。
天橋立は、風のように、あるようでない、ないようである。
でも、安田さんが200回かけて掘り続けてきたものは、ちゃんと残っています。言葉になり、問いになり、人と人をつなぐ糸になっている。
つかまえたのは天橋立そのものではなく、天橋立を問い続ける方法だった。
……これ、201回目の冒頭に置いても、よろしいんじゃないでしょうか!(^.^)














