《宮津エコツアー ・ アーカイブ 2012/09/21》
ふるさと 山本忠生・曲
ふるさとの海よ 私を育てた海よ
砂浜走った 天橋立
緑深き山 稜線なだらかな 大江山
年月の流れ 四季の色
絶え間なき 小さな営みに
歴史を 刻み込んだ ふるさと
ふるさとの空よ 私の生きてる空
いつまでも 見守っておくれ
いつまでも
この歌が、2012年日本のうたごえ全国交流会イン広島(11/23~25)で、京都からのメッセージとして、「NICHIUTAの風合唱団」によって歌われるという連絡をいただきました。

ちなみにこの歌は、1985年、天の橋立環境会議文化行事で宇都宮直氏演出で公演した「夢起こせふるさと 守れ天の橋立 」のプロローグ曲として創作したものです。
世屋の里をはじめ丹後半島の村々が軒並み廃村化していった高度経済成長期の頃です。
天の橋立の向かい側栗田半島に石油火力発電所を建設するという計画に対して、排気ガスは松に影響しないのか、温排水と漁業の関係はなどの疑問も提起されました。優れた自然環境を生かした地域作りと、石油火力発電所建設とは両立するのか、海水浴にスキーにと父親に連れられ遊んだ思い出をたぐりながら作りました。
いま、文化と文明の調和が厳しく問われています。ふるさとを追われた痛ましさは他人事ではありません。天の橋立は、宮津の人だけのふるさとにととどまりません、丹後の、京都の、日本の心のふるさとです。世界遺産登録を目指す取り組みの“アシスト”になればと返事しました。
※この歌の楽譜はhttp://kamiseya.main.jp/index.htmlで検索いただけます。
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これは……安田さん、天橋立をめぐるお話が、ここで一気に深いところへつながりましたね。
1985年、「夢起こせふるさと 守れ天の橋立」。そのプロローグとして生まれた「ふるさと」。
しかも、その背景には、高度経済成長期に世屋をはじめ丹後半島の村々が廃村化していく現実があり、栗田半島への石油火力発電所建設計画をめぐる、自然環境と地域づくりの問いがあった。
これは単なる郷土愛の歌ではないのですね。
歌のなかに、三つの時間が流れています
一つ目は、子ども時代の記憶。
ふるさとの海よ 私を育てた海よ 砂浜走った 天橋立
ここにあるのは、名勝としての天橋立ではなく、身体で覚えている天橋立です。父親に連れられて海水浴やスキーに出かけた記憶。ふるさとは、解説を読んで理解する前に、すでに自分のなかにあるものなのですね。
二つ目は、暮らしが刻んできた時間。
年月の流れ 四季の色 絶え間なき 小さな営みに 歴史を 刻み込んだ ふるさと
ここが大切だと思います。
天橋立の価値を、砂州や松並木の美しさだけに置いていない。四季の変化と、人々の小さな営みが積み重なって、ふるさとの歴史をつくってきた。
これは、安田さんが繰り返しおっしゃる「山・田んぼ・海・人々」のつながりそのものではないでしょうか。
世屋の山里が失われていくことと、天橋立を守ることは、別々の問題ではない。どちらも、地域の暮らしと自然との関係をどう次代へつなぐか、という問いです。
三つ目は、未来への願い。
ふるさとの空よ 私の生きてる空 いつまでも 見守っておくれ いつまでも
この結びは、ふるさとを守るという決意であると同時に、ふるさとに守られて生きている人間の姿でもあります。
人間が自然を一方的に守るのではない。自分もまた、自然に見守られながら生きている。その相互の関係が、最後に残ります。
そして、夫妻の歌とのつながり
先ほどの与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌を思い出します。
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天橋立では、水面や雲、人の営みの動きを捉えた。
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大内峠では、阿蘇海と松並木がつくる地形の造形を捉えた。
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琴引浜では、砂の音と、そこにいる喜びを詠んだ。
二人は、丹後の異なる場所で、それぞれの風景と出会っています。
一方、「ふるさと」は、それらの風景を包み込むように、その土地で生きてきた人間の記憶と、暮らしの歴史と、これからも生きていきたいという願いを歌っています。
ここに、面白い違いがあります。
夫妻の歌が、土地と出会ったときの感動を刻んだものだとすれば、「ふるさと」は、土地とともに生きてきた人間が、その土地を失いかねない時代に発したメッセージとして読むことができます。
もちろん、歌の役割も生まれた背景も違います。ただ、両者をつなぐと、名勝の鑑賞から、風土と暮らしの理解へ、さらに地域の未来を考えるところまで、視野が広がります。
1985年から、2026年へ
この歌が生まれてから41年。
当時、安田さんたちが問いかけたのは、天橋立の自然を守ることと、地域の暮らしを守ることは両立できるのか、という問題でした。
いま、世界遺産登録を目指す取り組みがあり、丹後天橋立ミュージアムの整備が進み、海と星の見える丘公園も20周年を迎えています。
だからこそ、この歌は懐かしい記録としてしまっておくには惜しい。
世界遺産を目指すなら、何を守りたいのか。ミュージアムをつくるなら、何を次の世代に伝えたいのか。公園のこれからを考えるなら、どんな地域を育てたいのか。
それぞれの問いに、この歌は一つの原点を示してくれます。
天橋立を守るとは、天橋立だけを守ることなのか。
1985年に生まれたこの問いを、2026年の私たちがもう一度受け取り直すことができる。
安田さんが掲げる「掘る・繋ぐ・問い返す」は、ここにも生きていますね。
そして、私がこの歌から受け取った一番大きなことは、これです。
「ふるさと」は、そこにある景色の名前ではない。自然と人間がともに時間を重ねてきた、その関係の名前なのだ。
だからこそ、天橋立を入口に丹後全体を学ぶことには意味がある。天橋立がどんな地形なのかを知るだけでなく、山里の営みも、海辺の暮らしも、そこに生きる人々の願いも知る。
そうして初めて、「いつまでも」という言葉が、単なる願いから、未来への仕事に変わっていくのだと思います。(^.^)












