宮津エコツアー · 天橋立・長江・本庄浜、三つの砂浜を世界遺産構成資産候補として調査する!! 天橋立を世界遺産に 133 

天橋立・長江・本庄浜、三つの砂浜を世界遺産構成資産候補として調査する!! 天橋立を世界遺産に 133 

【①あいせよ天橋立丹後浦島ロードには天橋立の砂州の他に長江の砂浜、筒川の本庄浜があります、この形成過程についてそれぞれ気になっています、見当としては、長江の浜は背後の千石山との関係、本庄浜は太鼓山との関係、、とおもっていますが、解説いただけますか】
 宮津エコツアー · 海の京都・エコツアーガイドの初夢!

(↑ 宮津エコツアー 長江公民館から伊根、冠島 ※ 写真背後に千石山)

うむ……これは、かなり大事な視点だと思います。
そして調べてみると、安田さんの「長江浜―千石山」「本庄浜―太鼓山」という見立ては、少なくとも地形を読む仮説として筋がいいです。

ただし、ここでは一つだけ慎重にしたい。

「この山の砂が、その浜をつくった」と直ちに言うことはできない。

海岸の砂浜は、背後山地からの河川・小谷の土砂、海食崖からの供給、沿岸漂砂、波浪による再移動などが組み合わさってできます。
そのうえで、「背後の山―流域―浜」という一続きの系として見るのが面白いです。


まず三つを並べてみましょう

天橋立

世屋・波見・畑・野田川など
↓
河川による土砂供給
↓
宮津湾内の沿岸漂砂
↓
天橋立という大規模砂州

宮津市は、世屋川などから流出した砂礫が沿岸流で南下し、野田川の流れなどと関係して砂州を形成したと説明しています。京都府のレッドデータブックも、畑川・世屋川・波見川などからの砂礫供給を天橋立の維持に関係するものとして挙げています。

つまり天橋立は、「一つの山の前の浜」ではなく、かなり広い流域・湾のシステム。


では長江浜

ここが面白い。

長江は、宮津市養老地区の北側。

宮津市の資料には、かなりストレートに、

長江集落は千石山の東麓に位置し、東は若狭湾に面する

とあります。さらに、長江の背後の千石山は、かつて耕地として利用され、黍や豆などが栽培されていたことも記されています。

そして養老地区について宮津市は、

海岸部に砂浜が発達し、大島・岩ヶ鼻・長江集落が立地する

と説明しています。

ですから、まず地形として、

千石山
↓
山腹・谷
↓
長江の集落
↓
砂浜
↓
若狭湾

という「山―里―浜」の断面を考えることは十分できます。


ただし、ここで面白い問題が出ます

「千石山から出た砂が長江浜を作った」と言うには、

① 千石山の地質は何か?
② 山から海へ流れる小河川・沢はどこか?
③ そこに砂粒が実際に供給されているか?
④ 砂浜の砂の鉱物組成と山の岩石が一致するか?
⑤ 沿岸漂砂はどちら向きか?

まで調べなければなりません。

実は海上保安庁の環境脆弱性指標図を見ると、この長江周辺には砂浜・礫浜・砂礫混合浜が連続的に分布していることが読み取れます。千石山と長江・波見川の位置関係も一枚の地図で見えてきます。

だからここは、

「千石山が長江浜の“母山”なのか?」

という、非常に良いフィールドワークの問いになります。


そして本庄浜

道の駅 舟屋の里伊根 | 伊根町観光スポット | 海の京都観光圏

(↑ 本庄浜海水浴場 | 伊根町観光スポット | 海の京都観光圏 uminokyoto.jp|)

こちらはさらに面白いです。

本庄浜は、明確に筒川河口の砂浜です。

伊根町は、本庄浜について、

二級河川・筒川の河口に形成された漁港

と説明し、さらに

河口には砂浜が広がる

と明記しています。

つまり本庄浜の場合、

太鼓山
↓
筒川
↓
本庄沖積盆地
↓
筒川河口
↓
本庄浜
↓
若狭湾

という流れがかなり明瞭です。

しかも国土交通省の土地分類基本調査は、さらに重要なことを言っています。

筒川は太鼓山を源流とし、越山付近で支流と合流し、本庄浜で若狭湾に注ぐ。

そして筒川中流域には低位段丘が連続し、谷沿いに堆積地形が発達しています。

これは、安田さんの直感をかなり後押しします。


ただし「太鼓山→本庄浜」は、もう一段深くできます

単純に

太鼓山の砂が筒川を下って本庄浜になった

ではなく、

太鼓山という「集水域」

があって、

雨・雪
↓
太鼓山の斜面
↓
風化・崩壊
↓
細粒物・礫
↓
筒川
↓
本庄平野
↓
河口
↓
本庄浜

という地球の物質循環として見る。

伊根町の地域防災計画にも、本庄平野が**「筒川の堆積作用によってできた」沖積盆地**であることが記されています。

これは非常に重要です。

つまり本庄では、

太鼓山 → 筒川 → 本庄平野 → 本庄浜

という「山から海までの一連の堆積システム」がかなり見えやすい。


そして「砂」の正体を調べたくなる

ここからが、安田さんの「あいせよ」が本格的なSSHになってくるところです。

三つの砂を採って比べる。

① 天橋立の砂

→ 宮津湾・阿蘇海の漂砂系

② 長江浜の砂

→ 千石山・養老地区+沿岸漂砂系?

③ 本庄浜の砂

→ 太鼓山・筒川流域+若狭湾沿岸漂砂系?

そして、

「砂粒を見れば、どの山から来たのか分かるのか?」

を調べる。

顕微鏡で、

  • 石英
  • 長石
  • 黒雲母
  • 火山岩片
  • その他の岩片

などを比較する。

さらに可能なら、背後山地の岩石と比較する。


そうすると「あいせよ」が一段変わります

私はここがかなり好きです。

これまで、

あ=阿蘇海
い=伊根
せ=世屋
よ=与謝野

でした。

でも地形の側から見ると、

あ・天橋立

広域の砂のシステム

い・本庄浜

太鼓山―筒川―海

せ・長江浜

千石山―小河川・谷―海

よ・与謝野

大江山系―野田川―阿蘇海

と、

「山が違えば、海への砂の届け方も違う」

という読み方ができる。


そして、ここに「川裾さん」が効いてくる

さっきの話とつながります。

山で生まれたものが、

山
↓
川
↓
川裾
↓
浜
↓
海

へ行く。

自然科学では、

水・土砂・有機物の流れ

人間の文化では、

祓い・祭り・漁業・浦島・海上交通

が同じ「川の出口」に集まる。

だから私は、今回の三つの浜を、

「三つの砂浜」ではなく、「三つの山が海へ何を手渡しているかを見る窓」

として扱うのが、とても面白いと思います。


そして本庄浜には、もう一つ決定的なものがある

浦島です。

本庄浜は単なる「筒川の河口の砂浜」ではありません。

そこに、

太鼓山
↓
筒川
↓
本庄平野
↓
本庄浜
↓
浦島
↓
海の彼方

という文化の流れが重なる。

伊根町自身も、本庄浜を浦島伝承の地として説明していますし、浦島漁港の背後には浦嶋神社があります。

つまり、

太鼓山が筒川を生み、筒川が本庄浜をつくり、その浜に浦島の物語が置かれた。

――これは現時点では「形成原因と文化の因果」を断定できませんが、一つの景観を読む仮説としてはものすごく美しい。

そして長江なら、

千石山 → 長江 → 若狭湾

天橋立なら、

世屋・波見・野田川など → 宮津湾 → 天橋立

となる。

そうすると「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」は、観光ルートというより、

「山が海に砂を手渡す三つの物語を歩く道」

になってきます。

……いや、これは「天の真砂ライン」とかなり相性がいいですね。(^.^)

 【複合遺産として天橋立を世界遺産に、と言う場合、この二つを加えて、三つの砂浜を構成要素に出来ないか、とおもいました、その是非、可能性について意見くださいな】
IMG_20260311_143836

はい。私なら、かなり前向きに検討します。
ただし、「天橋立に二つの美しい砂浜を付け足す」では弱い。
逆に、

天橋立・長江浜・本庄浜という三つの砂浜を、山―川―海の地形形成過程と、それに重なった人間の信仰・生活・物語を示す“連続する構成資産”として提示する

なら、世界遺産論としてかなり面白い可能性があります。

そして重要なのは、これは通常の意味での「複合遺産」だけでなく、「シリアル・プロパティ(連続資産)」という考え方が非常に相性がよいことです。


まず、世界遺産制度上は「できる」

UNESCOには、離れた複数の場所を一つの世界遺産として扱うシリアル・プロパティがあります。

その場合、

  • 複数の構成資産がある
  • それらを結ぶ明確な関係がある
  • 各構成資産が全体の顕著な普遍的価値(OUV)に実質的に貢献する
  • 全体として一つの価値を示す
  • 一体的な管理ができる

ことが重要です。UNESCOの作業指針は、地質・地形形成、景観、生態系、文化・社会・機能的なつながりなどを、構成資産を結ぶ関係として認めています。

ですから、

天橋立
+ 長江浜
+ 本庄浜

という発想自体は、制度上まったく突飛ではありません。

むしろ、三つを入れる理由が科学的に明瞭なら、シリアル方式は理屈に合います。


そして、私は「三つだからこそ」意味が出ると思います

一つだけなら、

「天橋立は美しい砂州です」

で終わります。

ところが三つ並べる。

① 天橋立

広域的な砂のシステム

山地・河川から供給された土砂が湾内で移動し、沿岸漂砂などによって巨大な砂州を形成する。

↓

② 長江浜

千石山―谷―海という小規模な砂浜システム

↓

③ 本庄浜

太鼓山―筒川―河口―海という河川性の強い砂浜システム

すると、

「丹後の砂浜はどうやってできるのか?」

という比較研究ができる。

これが大きい。


特に本庄浜は「構成資産候補」として面白い

本庄浜については、筒川が太鼓山を源流とし、本庄浜で若狭湾に注ぐという地形的なつながりが確認できます。また、本庄平野自体が筒川の堆積作用による沖積地形として説明されています。

つまり、

太鼓山
↓
風化・侵食
↓
筒川
↓
土砂運搬
↓
本庄平野
↓
河口
↓
本庄浜
↓
若狭湾

という一本の地形システムがかなり見えます。

そしてその同じ場所に、

筒川
→ 本庄
→ 浦島
→ 浦嶋神社
→ 海

という文化・信仰・文学の系統が重なる。

これは、自然と文化の双方を説明できる構成資産になり得ます。


長江浜は、むしろ「比較対象」として価値がある

長江浜では、

千石山
↓
谷・小河川
↓
長江集落
↓
砂浜
↓
若狭湾

という小さな流域―海岸システムを検証できる。

ただし、ここは本庄浜より慎重に。

現時点では、

「千石山が長江浜の砂を供給した」

とまでは言えません。

だから世界遺産研究としては、

山の岩石
→ 河川・沢の堆積物
→ 浜の砂
→ 海岸漂砂

を粒径・鉱物組成・岩石種などで調べる必要があります。

もし、

「長江浜の砂の構成が、背後山地・流域の地質と明確につながる」

ことが示せたら、ぐっと強くなる。


そして天橋立が「親玉」になる

ここが一番重要でしょう。

三つを同格の「砂浜」として並べるのではなく、

長江浜

小さな流域 → 小さな砂浜

本庄浜

筒川流域 → 河口砂浜

天橋立

複数流域+湾内沿岸漂砂 → 巨大砂州

とする。

すると天橋立は、

「丹後の砂浜形成システムを理解する上で、極めて発達した代表例」

という位置づけになります。

つまり、

小 → 中 → 大

という比較ができる。

これ、世界遺産の説明としてかなり強いと思います。


さらに「複合遺産」にするなら、文化側が必要

ここが勝負です。

単に、

「三つとも砂浜です」

なら自然遺産の議論に近い。

ところが、

天橋立

白砂青松
籠神社・成相寺・智恩寺
絵画・文学
「日本三景」
海上他界観

本庄浜

筒川
浦島伝承
宇良神社
海上他界・異界

長江浜

山・海の暮らし
養老地域の生業
海岸集落・漁業

そしてさらに、

川裾信仰

を加える。

すると、

「山から海へ流れる水・土砂を、人々は自然現象として利用するだけでなく、祈り・伝承・生業・景観として文化化してきた」

というテーマが見えてきます。

これは文化景観の議論とも接続できます。UNESCOは、人間と自然環境との相互作用を示す文化的景観を世界遺産の対象として認めています。


実は、文化庁の過去の評価とも響きます

日本遺産取り消しの「西の都」 整備と観光事業化に課題 | 毎日新聞

(↑ 日本遺産取り消しの「西の都」 整備と観光事業化に課題 | 毎日新聞 mainichi.jp)

ここは重要です。

文化庁は過去に、

「天橋立-日本の文化景観の原点」

という提案を評価しています。

その際、

日本を代表する「白砂青松」の景勝地
日本人の美意識の形成過程
海浜の風致景観

という価値を認めつつ、顕著な普遍的価値を国際的に証明するには、さらに世界史的・国際的な研究が必要という評価をしています。

つまり、ここに安田さんの今回の発想を入れる余地がある。

従来、

「天橋立という日本的景観の価値」

を中心にしていたものを、

「丹後の海岸地形そのものと、それを読み、祈り、利用してきた人間の文化」

へ広げるわけです。


ただし、「複合遺産」と呼ぶには大きな壁が一つ

ここはかなり冷静に言っておきたいです。

三つの砂浜を加えれば複合遺産になる、というものではありません。

複合遺産なら、

  • 自然遺産としてのOUV
  • 文化遺産としてのOUV

の双方を、それぞれ国際比較の中で証明する必要があります。

自然側なら例えば、

criterion (viii)
顕著な地形形成過程・地質現象

あるいは、

criterion (ix)
沿岸・河川・海洋生態系の進化・生態過程

などの可能性。

文化側なら、

criterion (iii), (v), (vi)

などの検討が考えられます。

ただし、どの基準が本当に成立するかは、国際比較研究をしてからです。


だから私は「三つの砂浜」を最初から世界遺産の結論にしない方がいいと思う

むしろ、

「三つの砂浜比較研究」

を先にやる。

これが面白い。

例えば、

構成要素 背後 水系 海岸 文化
天橋立 世屋・野田川等 複数河川 宮津湾・阿蘇海 聖地・景観・文学
長江浜 千石山 小河川・谷 若狭湾 海村・生業
本庄浜 太鼓山 筒川 若狭湾 浦島・海上他界

そして、

「三つの砂浜は、それぞれどの山・どの川・どの海の作用によって形成されたのか?」

を科学的に解く。

さらに、

「その場所を人々はどう呼び、どう祈り、どう使い、どんな物語を与えたのか?」

を文化史で解く。

これが一本になった時、

「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」

そのものが、単なる観光ルートではなく、

「山から海へ――砂・水・生物・人・信仰が移動する一つの地域システム」

として説明できる。


そして私は、ここに「複合」以上の可能性を見る

安田さんがずっと言っている、

「この景色の中に、地球の物語がある」

ですよね。

三つの砂浜を入れると、天橋立だけを「見る」のではなくなる。

天橋立を見る
→ 本庄浜を見る
→ 長江浜を見る
→ 背後の山を見る
→ 川を見る
→ 河口を見る
→ 砂を見る
→ もう一度、天橋立を見る。

これができる。

しかもUNESCOのシリアル・プロパティは、まさに各構成資産が単独ではなく、全体としてOUVを形成するという考え方です。


私なら、現段階ではこう位置づけます

「天橋立を中心とする単独の文化景観」

から、

第一段階

天橋立+長江浜+本庄浜の三砂浜比較研究

↓

第二段階

山―川―浜―海の地形形成システムを科学的に証明

↓

第三段階

その自然システムと、信仰・生業・浦島・景観美・文学との関係を証明

↓

第四段階

「丹後の山と海が共同で生み出した文化・自然景観」というOUVを組み立てる

という順番がいいと思います。

そして面白いことに、日本の現在の正式な暫定一覧表には天橋立は入っていません。文化庁の現在の一覧は3件で、天橋立は2006~08年の追加提案の段階で「天橋立-日本の文化景観の原点」として検討された候補です。

だからこそ、もし将来もう一度「天橋立」を世界遺産候補として組み立て直すなら、

「天橋立そのものを世界遺産にしてください」

ではなく、

「なぜ丹後のこの海岸景観は、人類にとって重要なのか。その答えを、三つの砂浜から山へ遡って証明する」

というところから始める。

……私は、こちらの方が安田さんの「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の思想にずっと忠実だと思います。(^.^)

そして次にやるなら、かなり具体的です。
「天橋立・長江浜・本庄浜」の3地点について、①砂の供給源、②河川、③沿岸漂砂の向き、④浜の形成年代、⑤砂粒の鉱物、⑥文化・信仰、⑦保全上の課題を一枚の比較表にする。
これをやると、世界遺産の「夢」が、かなり検証可能な研究計画に変わってきます。

 【天橋立を世界遺産に、それは宮津市、与謝野町、伊根町共同の運動としてスタートしています、宮津市の橋北地域、伊根町の本庄筒川地域の砂浜に着目すれば、運動の幅、深まりが期待できるのではないかと考えましたよ】

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はい。私は、その発想は「運動の幅を広げる」だけでなく、2007年に始まった共同運動の本来の地理的な意味を、もう一度掘り起こす提案になり得ると思います。

実際、京都府・宮津市・伊根町・与謝野町は2007年に共同で「天橋立-日本の文化景観の原点」を文化庁へ提案しており、文化庁も所在地をこの3市町にまたがる資産として評価しています。提案は暫定一覧表には入らなかったものの、「提案書の基本的主題を基に準備を進めるべきもの」とされ、その後も4者で取り組みが続いています。

ですから、安田さんの今回の考えは、

「天橋立を宮津市の一点から、三市町にまたがる“山―川―浜―海―人”の景観として再構成する」

ということですよね。

これはかなり筋が通っています。

特に「橋北」と「本庄筒川」を入れる意味

面白いのは、両方とも天橋立から離れた“別の観光地”を追加するのではないことです。

宮津市・橋北

  • 長江浜
  • 千石山
  • 山から海への小さな土砂供給系
  • 海村・暮らし

伊根町・本庄筒川

  • 太鼓山
  • 筒川
  • 本庄平野
  • 本庄浜
  • 浦島伝承・宇良神社
  • 海への出口

そして中央に、

天橋立

  • 複数流域
  • 宮津湾
  • 沿岸漂砂
  • 巨大な砂州
  • 白砂青松
  • 聖地・文学・絵画

がある。

つまり、

「三つの砂浜を守る」のではなく、「三つの砂浜を生み出した山と海の関係を一つの物語として守る」

わけです。

ここが決定的に違います。


さらに、三市町の共同運動との相性がいい

2008年の提案で文化庁が課題として示したのは、単に「天橋立が美しいか」ではなく、白砂青松が世界史的・国際的に見て顕著な普遍的価値を持つことの証明、さらに周辺の構成資産・要素の保護などでした。

だったら今度は、

天橋立だけを世界的に説明しようとする

のではなく、

「なぜ、この丹後北部に、このような砂浜・砂州が生まれ、それがなぜこれほど濃密な文化を生んだのか?」

という問いに変えてしまう。

これは「世界遺産登録のために範囲を広げる」のではなく、価値を説明するために範囲が必要になるという順番です。

私はこちらが大事だと思います。


そして「あいせよ」が、ここで効いてくる

これまで安田さんと話してきた

あ=阿蘇海
い=伊根
せ=世屋
よ=与謝野

という枠組み。

ここに今回の砂浜を置くと、

長江浜
→ 千石山
→ 海

本庄浜
→ 太鼓山
→ 筒川
→ 本庄浜
→ 浦島
→ 海

天橋立
→ 複数の流域
→ 宮津湾
→ 沿岸漂砂
→ 砂州

となる。

つまり「あいせよ」は、

天橋立を中心に周辺観光地を束ねる名前

ではなく、

丹後の山が、川を通して、どのように海と砂をつくってきたかを読むためのフィールド

になってくる。

これなら伊根町の本庄筒川地区の人にも、

「なぜ天橋立の世界遺産なの?」

ではなく、

「本庄浜も、自分たちの筒川も、その物語の一部なんだ」

という入口ができます。


ただし、私は「構成資産にする」と今すぐ決めない方がいいと思います

ここは研究として慎重に。

最初は、

「三つの砂浜を世界遺産構成資産候補として調査する」

くらいがちょうどいい。

そして、

  1. それぞれの浜の形成過程
  2. 背後山地の地質
  3. 河川からの土砂供給
  4. 沿岸漂砂の方向
  5. 砂粒の鉱物組成
  6. 浜の形成・変化の年代
  7. 河口・川裾信仰
  8. 海村の暮らし
  9. 浦島・聖地・文学などの文化
  10. 現在の保全問題

を比較する。

そこで本当に、

「三つの砂浜は、丹後の山―川―海システムを代表する三つの異なるタイプである」

と証明できたら、初めて世界遺産の構成資産としての議論が現実味を帯びてくる。


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そして、ここに私はもう一つ大きな意味があると思います。

今の「天橋立を世界遺産に」は、

「この美しい天橋立を、世界の宝に」

という方向が強い。

そこに、

「いや、天橋立は天橋立だけで生まれたんじゃない。
千石山から長江へ、太鼓山から筒川へ、世屋から宮津湾へ、山々が海へ砂を手渡してきた。その全体を見て初めて天橋立が分かる。」

という視点を入れる。

そうすると、世界遺産運動が**「天橋立を登録する運動」から「丹後の自然と文化を一緒に見直す運動」へ成長する**可能性があります。

これは、以前おっしゃっていた、

「天橋立を世界遺産にすることが目的ではなく、天橋立を入口に丹後の未来を考える」

という考え方とも、ものすごくきれいにつながります。

そして何より――

宮津・与謝野・伊根の三者が、実際の地形そのもので一本につながる。

これは単なる行政区域の「共同」より、一段深い共同になるんじゃないでしょうか。(^.^)

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