降ることができるときに降れるだけ降っときなれ!
ほんま、嘘いわん、
後悔する
その時は遅い、
雪の命は短いのだ
降ることができるのは今、

今なら、どんだけ降っても文句は言われん
三月や四月に降ってみなれ、どんなこと言われる!
いま、思いのたけ降っときなれ!
五十河の冬田んぼに採餌するコウノトリ二羽。
くちばしを突っ込んではいるので何かいるのかもしれないが、厳寒の今頃何を見つけたのだろう。
足環を見ると、、、、
赤と黄色 黒と緑 jo111 オス
15.04.20 生まれ
こっちは、黒と緑 黒と青 に見えます。
とすると、15.3.31 生まれの個体で識別番号jo103 のメス¡
このコンビがカップルとして新しい営巣地を丹後に探しているとしたら、2018年、年明けから楽しみが増えます。そして、それを五十河周辺の林にしてくれたら、このあたりの田んぼの米は「ブナ水米」で売り出されていますが加えて{ブナ・コウノトリ米}へとパワーアップしますよね。
香河川
なんと読むか
「かがわがわ、 でしょ!」
ブー
え、じゃ、かかがわ、とか、こうかせん!
正解は¡
ほほう、、
「かごがわ」ねぇ
いいえ、「かこがわ」
、はぁあ、(*´Д`)
どうなってんねん、、とは思っていたのです。
かご・かこ は、「鹿児」「加古」「可児」「賀来」「火子」「水主」、、はけとはげ、かきとがき、濁点のあるなしでは大違いなのですから。
それにしてもこちらは香河、香川選手、香川県とかんけいあるんやろか、それにしてもわからん名やなあと思っていたのです、
ところで、「京都発見四丹後の鬼」で、丹後七姫というけれど、もっと美人がいて、とおっしゃっているのを読みました、
七にこだわることには意味があるので、枠を増やすのはいかがなものか、ドラマとか作品とか物語性とか厳選すべきとは思うのですが、丹後には八番目の姫かとも思えて彼女はどういう人なのかということに興味を持ったわけです。
なんでも、淳和天皇の第二后後に空海の弟子として尼になりその教えに生きた、空海のなくなる前日に33歳でなくなっているという身の上の方で、その名を「如意尼」とおっしゃる。そしてその出身が「丹州余佐ノ郡の人なり」 「香河」なのだと。
その筆者は梅原猛さん 、というても若い人はだれ、ということでしょうが、今の磯田先生のような人なんですよ。
こりゃあ行ってみんとあかんとおもいました。
その記録は、地元にもありました。
『丹哥府志』の【香河村】の項にその話をフォローアップされていて、
◆丹後名奇曰。古老の伝にむかし京師の沙門石川村の辺を徘徊せしに山川の水時ならず匂ひければ、怪しみて流をつたひ山の方へ入りぬれば、香気ますます盛んなり、時に十歳ばかりの女子をみる、其顔ばせ玉の如し、かの香気は此女子より出るなり。よって奇異の思をなしただちに其親に請ふて都に携へ帰る。後に此女子朝廷に聞て后とぞなりぬ。
◆元亨禅書云。如意尼は丹後与謝の人なり、天長帝の次妃となるといふは此人の事なるべし。薙染の後故郷に帰り一宇の精舎をたつ、是を善法寺といふ。今名み残りて田の字となり其手づから彫刻せし観世音菩薩は其隣村神宮寺といふ寺にありとかや。抑香河は和名抄にいふ神戸なりしが川の匂しより香河とぞなりぬ。
と斎藤さんがアップ。
香河川が清流であることには間違いありません、
ほんとにこの河が香ったのか、、、かわいい娘がいて、、、与謝には「美人」が多い、これは言えるかもしれません、、格別にかわいい娘が選ばれて都に連れていかれて帝の目に留まり、さらに空海に近く使え、尼になり、ふるさとに戻り余生を過ごした、そういう女性がいたというこしはあったかもしれません。しかし、それが事実でも、脚色されているんでしょうね、
さて、河が香るので、、という地名語源説については、想像力豊かなおっさんの手で、面白く作りあげられたもの、、
河が香ったので怪しく思って辿っていったらかわいい娘に出会い、その香りはその子から出ていた、頼んで都の土産に連れて帰ったという話ではありませんか。「元亨禅書云」というのは、鎌倉時代のもの。つまり、かご・かこ は、「鹿児」「可児」「賀来」「火子」「水主」「籠」など。そのうち「香河」という音を当てられたものだから、その意味について想像を始めた「オヤジギャグ」とも言えず、おっさんのいうことだで嘘はなかろう、だげな話として伝承されたのかもしれないとおもいました。
さて、ギャグなら参戦させてもらえばいいわけで、
〇匂いというのは色目のこと、娘は色が白くて清流のニンフのようだったんだろうと、天皇の后になり、弘法大師との縁も得たという著名人になった、それにあやかろうとか偲んでという気持ちだ、川を見ているうちに流れの中に「匂う」ようにかわいい娘が見えてきていうので、地名にもその漢字をあてた、
〇あるいは、石が花崗岩、いい酒ができたのでその香りが漂っていたのかもしれません、今でも、「与謝娘」という美味い銘酒が存在します。
など、全国あちこちに「かこ・かご」かご地名があることとの関係の分析はそれはそれでおいといて、この川の「香河」話、楽しみながら、後にしました。
梅原先生、お人が悪いですよ、「空海との関係は怪しい」空海さんが桜の木で彫ったと伝わる観音様は美女の肉体の感じられるものだが、そのモデルは如意尼ではなかったか、そうだったら、「強い愛の関係」があったのではないか、とかさらにあおって空想をたくましゅうせられるんですから。
「紅葉君」へ
紅葉したモミジの葉にも紅い部分と黄色い部分の斑がある、なんと説明されていますか、、、!

緑の色素成分は、緑は葉緑素、赤はアントシアニン 黄色はカロチノイド、どういう関係なのか、それがややこしくてなんとも理解しがたいです。自分でわかりきってないので人に説明するときにはしどろもどろになる情けなさ。
「紅葉君」とりあえず、理解しているところを述べてみますよ、ご意見ください!
、、、
木は光合成をするときは葉緑体を盛んに作ります。
その光合成には緑以外の光のエネルギーをみんな使います。
でも、光合成は緑の色素をもった葉緑体だけでなく、黄色い色素、カロチノイドを含んだ細胞でも行うのです、
量的には葉緑素を持った細胞が圧倒的なので、黄色は目立たず葉は緑色。
秋になって、光が弱くなり、光合成するのに必要な力ももらえなくなったし、まあ無理せんと休もうと、そうして光合成する細胞を分解してしまう、それでも、秋が深まり、弱くなったとはいいながら、光はまだある。弱い光でも利用せにゃいかんだろうと、それができる細胞は残しておこう、最後まで壊れない光合成細胞、それが、カロチノイドをもった細胞なんですって、よう考えてはるねぇ葉っぱって、、、だから、黄色に変わる。
イチョウやイタヤカエデなんかは代表、そうしているうちに、枝と葉を分離して落葉。
、、、、、、こういうことでいいいんでしょうか!

で、赤はなんだ!アントシアニン色の発色はどういうメカニズムなのだ?というところなんです、。
「葉緑体が分解した後糖分ができるんです、それに光が当たるとアントシアニンに変質するんだ、」といわれていますよ、まだらになっているのは、日が当たらない陰になっていたのですと。
でもそれなら、紅くならないイチョウの場合が説明できない、あえてするなら、イチョウの葉でもできているはずの糖分は光が当たっても紅色しないのです、ということ。人も千差万別木などはもっと千差万別、、なるほどぅと。は、アントシアニンを持った細胞もあって、黄色細胞と同じように弱い光での光合成をおこなっているのじゃないか、そういう人もありますよ、私なんかは、え、そうなんですかぁとなっているところです。
ほんとのところを教えてください!
宮津世屋エコツーリズムガイドの会 安田潤

まもなく冬の森を歩きます、森の木は葉っぱを落としていますけれど、かえって葉っぱの役割をガイドするのにはいい機会です、ですので、ご返事はできたら早くいいただけるとありがたい、よろしくお願いします。
雪に覆われた宮前棚田を降りていく車。
さて、年末恒例の今年を振り返る番組で、集中豪雨を取り上げて、惨状を振り返りながらその原因は高い海水温から発生する水蒸気の量だと分析していました。温暖化が気象を変えているのです。
それを見ながら、そうなんだぁ!と思ったのが、日本海側の雪。雪をもたらす雲は、日本海海上に立ち込める水蒸気がもとになっています。暖かければ雨になるところが寒波なので雪になっているわけです。年末寒波に見舞われています。あるところからは例年の三倍という報道も聞きます。これって「集中豪雪」じゃないですか。 まあ、覚悟しておかないといけません、 
田んぼの掃除で燃やされる煙が、けいかいしろよーという狼煙のように見えました。
ところで、冬の森スノーシューガイドウオーク、 1月の設定日としては21日、28日、2月の設定日として2月4日、18日24日を当てて計画しています。観光協会のhp 等チェックしてください。
ちょっとスピード落としてくれる!
由良川の河岸段丘に立地した和知付近の里山です。運転しているとこうはできません。京都縦貫自動車道ならではの景観です。いままでは鳥にでもならないと見えない角度、ありがたやありがたやでした。
自然環境監視員連絡会に木津川市へ向かっていた折のことです。
「国家戦略で生物多様性に取り組んでいる」、府内各エリアに設定している自然保護地域の重要性は増している、この自覚のもとに任務に励んでもらいたいという基調講義を聞いてそのあと社寺林として自然環境保全地域に指定されている岩船寺や浄瑠璃寺も拝観させてもらいました。
これも想定外で、ありがたやありがたややまがたやでした。
それにしても、とぐろをまいたようなこのぐるぐる、
なんだか、大オロチのようで気味が悪かったです、田舎者には本物の蛇のほうがいいです。
与謝の大山
大江山には鬼がいた、といえば、そうそう酒呑童子。源頼光が頼光四天王をつれてあの手この手でやっとのことでという大戦さ、という話になると思います。
しかし、大江山の鬼は、一人だけじゃないんです。
土蜘蛛陸耳御笠(くぐみみのみかさ)という鬼が崇神天皇の御代にはいてそれも弟の日子坐王(彦坐王)を派遣して制圧せざるを得ないほどの勢力をはっていたと古事記。
さらに、英胡、軽足、土熊という鬼が聖徳太子の御代にはその勢力無視することができないほどの勢いをみせたのでこれもまた弟の麻呂子親王を頭に征討軍を派遣したということ。
鬼というても、そういう動物がいたわけではありません、言葉を操るわけですから、れっきとした人間。ただ「どもならず」「あほたらず」、管理不能の規格外の人間ということです。
福沢諭吉さんも鬼には注目していたと天声人語氏はいいます。
それにしても丹後にはたくましい先祖がいたものです。「地方創成」といいますが、それは、こんな「鬼」がやることではないのかなぁとおもいます、どうです!。