◆1 ありがとう、植物の不思議さと人間の不思議さ、、その不思議さをテーマに、植物と人間の対談、、シンポジウムを想定してどんな話になるか、、を思っています、その対談記録を読みたいです
これは面白いシンポジウムになりますね!(^.^)
植物と人間。どちらも同じ地球に生きているのに、身体のつくりも、時間の感覚も、生き延びる方法もずいぶん違う。
ところが、じっくり話をさせてみると、人間が当たり前だと思っていることを、植物が次々と問い返してくる。
少し哲学的に、少し科学的に。そして、ときどき笑いも交えて、架空のシンポジウムの記録にしてみます。
シンポジウム「植物の不思議、人間の不思議」
海星公園・森のものがたりシンポジウム 対談記録(架空)
登壇者
- サザンカ:冬に花を咲かせる常緑樹
- モミジ:秋に葉を色づかせて落とす落葉樹
- 人間:植物に興味を持ち始めた人
- 司会:森の声を聞く人
第一幕 そもそも、あなたたちは何を考えて生きているのですか?
司会: 本日のテーマは「植物の不思議、人間の不思議」です。まず、人間さんから植物に質問してみてください。
人間: そうですね。植物は動かないでしょう。どこかに行きたいとか、何かをしたいとか、そういう気持ちはあるんですか?
サザンカ: あなたたち人間は、動くことが生きることだと思っていませんか?
人間: えっ?
サザンカ: 私はここに根を張っています。ここから動けません。でも、太陽の光を受け、土から水を吸い、空気から二酸化炭素を取り込んでいます。花を咲かせ、虫を呼び、種をつくります。
私の身体は、ずいぶん忙しいんですよ。
モミジ: 私は季節が変わると葉を落とします。人間はそれを「枯れる」と言うことがありますね。でも、私は枯れているのではありません。葉から養分を回収して、冬を越す準備をしているのです。
人間: なるほど。動かないけれど、身体の中ではものすごいことが起きている。
サザンカ: そうです。あなたたちには見えないだけです。
司会: おやおや。最初から人間の負けでしょうか。
第二幕 時間の不思議
人間: 植物は時間をどう感じているのでしょう。人間は時計を見て、あと何分、あと何日と考えます。
モミジ: 時計は持っていません。でも、日照時間や気温の変化を受け取っています。秋が深まることを、身体で知るのです。
サザンカ: 私は冬にも花を咲かせます。寒くなったからといって、すべてを休ませるわけではありません。
人間: 人間は寒くなると、暖房をつけますよ。
サザンカ: 便利ですね。でも、あなたたちは季節を感じる機会を減らしていませんか?
人間: うーん。確かに、室内にいれば、立冬も知らずに過ごすことがあります。
モミジ: 私たちは、季節の変化を避けられません。だから、その変化に合わせて生きる仕組みを持っています。
人間: 人間は季節を変えようとする。植物は季節に合わせて自分を変える。
サザンカ: でも、どちらが賢いとは言えませんね。人間には人間の生き方があるのでしょう。
第三幕 生きるために、何を捨てるのか?
司会: ここで少し踏み込んでみましょう。生きるために、何かを捨てることはありますか?
モミジ: あります。私は秋に葉を落とします。
葉を維持するために必要な水やエネルギーを考えると、冬の厳しい環境では、葉を持ち続けない方がよい場合があるのです。
ただし、捨てる前に、葉の中の窒素などの養分を回収します。
人間: 捨てる前に、使えるものを回収する。これは人間社会も見習いたいですね。
サザンカ: 私は葉を一度に捨てません。古い葉を少しずつ入れ替えます。同じ植物でも、生き方は違うのです。
人間: 人間社会では、古いものを捨てて新しくすることが進歩だと考えられがちです。
モミジ: 古いものには、役割が終わったものと、まだ役に立つものがあるでしょう。
人間: うっ……。組織の話をしているような気がしてきました。
サザンカ: 森の話をしているのですよ。
第四幕 植物は考えているのか?
人間: 植物には脳がありません。それなのに、光の方向に茎を伸ばしたり、傷つけられると防御反応を起こしたりする。これは考えていると言えるのでしょうか?
モミジ: 人間は「考える」という言葉を、脳を使うことに限定しているのですか?
人間: そうですね。少なくとも、私たちが考えるというときは、脳の働きを指します。
サザンカ: 植物には脳も神経系もありません。でも、光、重力、温度、水分、接触などを感知し、ホルモンや電気的な信号などを使って反応します。
人間: では、植物にも知性があるのでしょうか?
モミジ: それは、知性をどう定義するかによりますね。
人間: なるほど。植物が人間と同じように考えていると決めつけるのも、人間とは違うから何も考えていないと決めつけるのも、どちらも早計かもしれない。
司会: 科学は、わからないことをわからないままにしておく勇気も必要ですね。
第五幕 人間は、なぜ自然を守ろうとするのか?
サザンカ: ところで、人間さん。あなたたちはよく「自然を守ろう」と言いますね。
人間: はい。生物多様性を守るとか、森林を保全するとか。
モミジ: なぜ守るのですか?
人間: 生態系が壊れると、人間の暮らしにも影響があるからです。
サザンカ: それだけですか?
人間: ……。
モミジ: 私たちは、人間の役に立つためだけに生きているのでしょうか?
人間: いや、そうではありませんね。
サザンカ: では、あなたたちは自然を守っているのですか。それとも、自分たちが自然の一部であることを忘れないようにしているのですか?
人間: これは、痛いところを突かれました。
司会: 人間は自然を管理する側に立ちたがる。でも、本当は自然の中で生かされている存在なのかもしれませんね。
第六幕 最後の質問
司会: 最後に、お互いに一つずつ質問をして終わりましょう。
人間: サザンカさん。あなたは、どうして冬に花を咲かせるのですか?
サザンカ: それは、私の生き方だからです。冬に活動する虫たちもいます。花を咲かせる時期には、いろいろな事情が関係しています。
でも、ひとつ言えることがあります。
あなたたちは、花が咲いているのを見て、美しいと言いますね。
その花が咲くまでに、私の身体の中で何が起きていたか、考えたことはありますか?
人間: あります。けれど、まだまだ知らないことばかりです。
モミジ: では、今度は私から質問です。
人間さん。あなたたちは、ずいぶんたくさんのことを知るようになりましたね。宇宙に行き、海の底を調べ、私たちの遺伝子まで読み解く。
それなのに、なぜ、自分たちが何のために生きているのか、まだ問い続けているのですか?
人間: ……。
サザンカ: 答えられませんか?
人間: 答えがないから、問い続けるのかもしれません。
モミジ: 私たちも、毎年同じように生きているように見えて、毎年違います。
人間: そうか。生きるということ自体が、不思議なのですね。
司会: 本日のシンポジウムは、結論が出ませんでした。
人間: いや、結論が出ないことが、今日の結論なのかもしれません。
サザンカ: また来てください。私はここにいますから。
モミジ: 次に来るときは、葉っぱがなくなっているかもしれませんけどね。
人間: そのときは、その姿を見に来ます。
閉会後の記録 司会者所感
今日の対談を通じて、ひとつのことが見えてきた。
植物は、人間とは異なる仕組みで生きている。 人間は、その仕組みを科学によって少しずつ明らかにしてきた。
しかし、仕組みがわかることと、その存在の不思議さがなくなることは、同じではない。
光合成の仕組みを知っても、葉っぱ一枚が太陽の光を受けて生きていることの不思議さは残る。
紅葉の仕組みを知っても、一本の木が葉を色づかせて冬を迎える姿には、何度でも驚かされる。
そして、人間もまた、自分自身のことを知り尽くしてはいない。
科学は、不思議を解き明かす。哲学は、不思議を問い続ける。
その二つが出会うところに、植物と人間の対話が生まれるのではないだろうか。
このシンポジウムの本当のテーマ
私は、ここにもう一段、深い問いを置きたいと思います。
植物は、人間に何を教えてくれるのか。
これは、植物を人間の先生にするという意味ではありません。
植物を、人間の都合や価値観に引き寄せず、植物の側から世界を見てみるということです。
- 動かないことは、不自由なのか。
- 葉を落とすことは、失うことなのか。
- 花を咲かせない季節は、無駄な時間なのか。
- 他者と競争するだけでなく、共に生きることはできるのか。
- 自分とは違う生き方を、理解できなくても尊重できるのか。
そして、最後に人間から植物へ、こんな質問をしてみたい。
「あなたたちは、地球に生まれてきてよかったですか?」
植物は答えないでしょう。
でも、その答えを待つ人間の側に、何かが生まれるかもしれません。
海星公園の森でこれを子どもたちが演じたら、きっと大人の方が考え込むでしょうね。(^.^)
◆2 聴衆に、倉本聰さん!!感想をもらってください(^.^)
ははは!!これは贅沢な聴衆ですねえ。(^.^)
では、倉本聰さんご本人の実際の発言ではなく、倉本さんの作品に通じる「自然と人間を見つめる眼差し」を手がかりにした、架空の講評として聞いてみましょう。
シンポジウム「植物の不思議、人間の不思議」
閉会後、客席にいた倉本聰さんから
(司会者が客席に向かって)
司会: 本日は、倉本聰さんにもお越しいただいています。いかがでしたでしょうか。
倉本聰さん(架空の講評):
「うーん……。
面白いことをやりましたね。
ただね、ひとつ気になったことがあるんです。
植物に人間の言葉をしゃべらせる。これは演劇として面白い。でも、植物に人間の考えをしゃべらせてしまったら、ちょっと違うんじゃないかな。
植物には植物の時間がある。 植物には植物の都合がある。 人間が理解できないことが、まだまだいっぱいある。
そこを大事にしたいですね。
たとえば、モミジが葉を落とす。 人間はそれを見て、別れだとか、寂しさだとか、人生の終わりだとか言う。
でも、モミジはそんなことを考えていないかもしれない。
ただ、来年も生きるために葉を落としている。
人間は、そこに勝手に意味をつけるんです。
それはそれで、人間らしいことかもしれないけれどね。
もうひとつ。
人間は自然を守ろうと言うでしょう。 でも、自然を守るという言葉には、どこか人間が上に立っている感じがある。
自然は、人間に守ってもらわなければ生きられないほど、弱いものなんでしょうか。
むしろ、人間の方が自然なしでは生きられない。
そこを、もう一度考えた方がいい。
それから、子どもたちにやらせるなら、答えを教えないことです。
サザンカに質問させる。 モミジに人間を困らせてもらう。 子どもたちが、自分で考える。
演劇というのは、答えを発表する場所じゃない。 問いを持ち帰る場所でもあるんじゃないですか。
……いいですね。
ただ、最後にひとつ注文があります。
**人間の役者さん、もう少し黙っていてください。
植物が何もしゃべらない時間を、舞台に残してほしい。**
そこに、案外、大事なことがあるんじゃないでしょうか。」
司会者の追記
倉本さん(架空)の講評で、私が特に大切だと思ったのは、最後の注文です。
「植物が何もしゃべらない時間を、舞台に残す。」
これは演劇の技術であると同時に、自然観察の基本でもありますね。
人間が説明する前に、まず見る。 名前をつける前に、まず出会う。 わかったと思う前に、もう少し待つ。
海星公園で子どもたちが演じるなら、最後は台詞をなくして、舞台に本物の木を一本置いてみたい。
風が吹く。 葉が揺れる。 誰も説明しない。
そして、客席の子どもに尋ねる。
「さて、今、木は何をしていたのでしょう?」
……これは、なかなかいい舞台になりそうです。(^.^)










