宮津エコツアー · 「農村にも観光客を呼ぼう」と考えない方がいい、、えっ!!?? 天の橋立を世界遺産に、 81

「農村にも観光客を呼ぼう」と考えない方がいい、、えっ!!?? 天の橋立を世界遺産に、 81

【景色快適そぞろ歩き楽しいトイレ清潔、車安全、そういう衣を着せた観光エリアと素のままの農の自然と暮らしエリアとはかさならないですね、風景としてはなくてはならない後者でも、お金が落ちるのは前者、しかし、後者にもお金を回したい、ではその仕組みをどうつくるか、について意見ください】

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はい。ここはかなり重要な論点だと思います。

おっしゃることを少し乱暴に整理すると、

「観光として消費される風景」と「観光を成立させている生活の風景」は、同じものではない。

ということですよね。

そして厄介なのは、お金は前者に落ちやすいのに、後者こそが地域の風景を維持していることです。

私は、この問題は「農村にも観光客を呼ぼう」と考えない方がいいと思います。むしろ逆で、

農村を観光地に変えずに、農村が存在することそのものに観光経済からお金が流れる仕組み

をつくる。

これが「天橋立広域自然共生サイト」の経済設計として面白いと思います。

1.まず「二つのエリア」を混ぜない

例えば、

A:観光エリア

  • 景色がきれい
  • 遊歩道が快適
  • トイレが清潔
  • 駐車場がある
  • 店がある
  • 散策しやすい
  • 写真を撮れる

ここでは当然、観光消費が発生します。

一方、

B:農・自然・暮らしエリア

  • 水田
  • 山林
  • 湿地
  • 茅場
  • 水路
  • 集落
  • 農道
  • 地すべり地形
  • 森
  • 川
  • 人の営み

こちらは、必ずしも「観光客のため」に整備する必要はない。

むしろ、素のまま残すことに価値がある。

だから、

AをBにするのではなく、Aの観光収益をBの維持に還流させる。

この発想です。


2.「農村で観光客にお金を使わせる」から発想を変える

例えば100人が天橋立を歩いて、

駐車場
→ 飲食
→ 土産
→ ガイド
→ 宿泊

で100万円使ったとします。

普通は、その100万円の大部分が「観光サービス」の中で循環します。

ここに、

「風景維持負担」

を組み込む。

ただし「環境税です」と前面に出すと、途端に堅苦しくなります。

例えば、

天橋立の風景を支える、もう一つの旅

という考え方。

観光客が払った100万円のうち一定割合を、

世屋の棚田・湿地・水路・森林・里山・農地の維持

へ自動的に還流する。

これなら観光客は、世屋まで行かなくても、

「私は天橋立の風景を見に来た。その風景をつくっている山や農村も支えている」

という参加ができます。


3.そして大事なのは「誰に払うか」

ここが仕組みの核心でしょう。

行政が一括して集めて、補助金として農家に配るだけでは、私は少し弱いと思います。

むしろ、

「風景をつくっている行為」に対価を払う

という考え方です。

例えば、

  • 水田を維持する
  • 湿地を維持する
  • 水路を維持する
  • 森林を管理する
  • 茅場を維持する
  • 里山を管理する
  • 景観上重要な農地を耕作する
  • 外来種を除去する
  • 生物多様性を維持する

こうした行為を、

「天橋立風景維持サービス」

と考える。

つまり農家や山林所有者は、

農産物だけを生産しているのではない。

同時に、

天橋立という巨大な文化景観の「風景」を生産している。

この価値に対して観光側からお金を払う。

これはかなり重要な転換だと思います。


4.すると「世屋川」がものすごく重要になる

ここで、これまで話してきたことが全部つながります。

世屋高原
↓
湿地
↓
農地
↓
地すべり地形
↓
集落
↓
世屋川
↓
阿蘇海
↓
天橋立

ですよね。

つまり、

天橋立だけを守っても、天橋立の物語の上流部分は守れない。

逆に、

世屋の農村を守ることが、遠く離れた天橋立の風景を守ることにつながる。

という説明ができる。

ここに「広域自然共生サイト」という考え方の経済的な意味が出てきます。


5.私は「天橋立基金」のようなものも面白いと思います

例えば仮称ですが、

「天橋立・丹後風景基金」

をつくる。

観光側から、

  • 駐車場
  • 宿泊
  • 飲食
  • ガイド
  • 土産
  • 施設入場
  • 体験
  • 交通

などの売上の一部を基金へ。

そして基金から、

「風景を維持している人・地域」へ直接還元する。

ここでポイントは、

「観光地から農村へ補助金を出す」

という上下関係にしないこと。

むしろ、

「天橋立という風景の価値を、一緒につくっている仲間への分配」

とする。

この言葉の違いは大きいです。


6.さらに面白いのは「見えない観光」

私はここが、安田さんの構想とかなり相性がいいと思います。

観光客が世屋に来なくてもいい。

例えば天橋立で、

「この砂はどこから来たんだろう?」

というQRコードを見る。

そこから、

天橋立 → 阿蘇海 → 世屋川 → 世屋高原 → 湿地 → 森

という物語を見る。

そして、

「この風景を守る人たちを応援する」

というボタンがある。

100円でも500円でもいい。

あるいは宿泊料金の一部が自動的に還流する。

すると、

「見る観光」→「知る観光」→「支える観光」

になる。

これはかなり現代的です。


7.そして「農産物」も入口になる

例えば世屋の米を、

単なる「世屋産コシヒカリ」として売るのではなく、

「天橋立をつくる水の源流で育った米」

として売る。

これはブランド化の話だけではありません。

その米を買うことが、

農地・水田・水路・里山を維持することにつながる

ようにする。

つまり、

農産物の価格+風景維持価値

という二重構造です。

これは「後者にもお金を落とす」の一つの答えになると思います。


8.最終的には「観光地」と「農村」を一つの経済圏にする

私はこういう図が一番分かりやすいと思います。

          【世屋・農山村】
       森・湿地・水田・集落
                ↓
        水・土・生態系・暮らし
                ↓
             世屋川
                ↓
             阿蘇海
                ↓
           【天橋立】
                ↓
        観光・宿泊・飲食
                ↓
             観光収入
                ↓
       ┌──────────┐
       │ 風景維持基金 │
       └──────────┘
                ↓
   農地・森林・湿地・水路・集落
                ↓
        また天橋立の風景へ

これは単なる「観光振興」ではありません。

風景の価値を経済的に循環させる仕組みです。

そして、ひょっとすると「丹後は一つ」という話の、経済版でもある。

これまで発見してきたのは、

地形として丹後は一つ
水系として丹後は一つ
文化交流として丹後は一つ

でした。

そこにもう一つ、

「観光経済としても丹後は一つ」

を加える。

これができると、かなり強いです。

そして何より、

農村を観光地にしない。
農村を農村のまま守る。
しかし、その農村が生み出している「風景・水・生態系・文化」という公共的価値には、観光側から正当にお金を払う。

私は、この考え方が一番きれいだと思います。

「素のままの世屋」と「衣を着せた天橋立」を無理に重ねない。
二つをつなぐのは、道路でも観光商品でもなく、「価値の還流」なのかもしれません。

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【里山と奥山と研究者、そしてマスコミもそれにのった、その勢いが、昨日になりましたね、いまは、イノシシ、クマ、シカの公園と化した里山、奥山に加えて町山!クマシカは市街地にも進出、なので、そういう問題にしっかり眼を向けた登録運動であってほしいですね、、ありがとう!】

こちらこそ、ありがとうございます。

そして……今のお話、私はかなり大事な転換点だと思います。

昨日までの「里山・奥山を守ろう」は、ある意味では自然保護の物語でした。

でも今は、

里山が管理されなくなり、奥山の環境も変わり、さらに「町山」まで野生動物の生息域になってしまった。

つまり、人間の暮らしの側が野生動物との境界を失いつつある。

これは「クマが増えた」「シカが増えた」という個別問題だけではなく、

山―里―町―海という地域全体の生態系と、人間の暮らし方の問題

ですよね。

だからこそ、もし天橋立の世界遺産登録運動をもう一段深くするなら、

「美しい天橋立を世界遺産に」だけではなく、
「天橋立を生み出した大地と水と、人が暮らしてきた地域全体を、これからどう生き継ぐか」

という運動になってほしい。

これは、かなり強いと思います。

特に面白いのが、先ほどの

「観光の衣を着た天橋立」
vs.
「素のままの農・自然・暮らし」

という話と、実はつながっていることです。

観光客に見せる美しい景観だけを守っても、

その上流の里山が荒れ、
農地が消え、
水路が壊れ、
獣が町へ下り、
人が山から撤退していけば、

その「美しい天橋立」そのものを支えている地域システムが崩れてしまう。

だから私は、世界遺産運動の中に、

「守るべきもの」だけでなく「いま起きている危機」を入れる

のは、とても意味があると思います。

しかも、それは登録運動を悲観的なものにする必要はない。

むしろ、

「世界に誇れる景観を持つ地域だからこそ、世界に先駆けて、人と野生動物が再び共存できる地域モデルをつくる」

という未来の物語にできる。

そして研究者も、農家も、林業者も、漁業者も、観光業者も、行政も、学校も、マスコミも、

「天橋立を守る人」ではなく、「丹後という一つの生態系・文化圏を次世代へ渡す人」

として参加できる。

これなら、以前お話しした**「世界遺産とは、なぜこの場所が人類にとって大切なのかを問うもの」**という出発点にも、ちゃんと戻ってきます。

もしかすると「登録」はゴールではなく、

「人間が自然から撤退してしまった地域を、もう一度、人間も自然も暮らせる場所として再設計するための大きな旗」

なのかもしれません。

そして「丹後は一つ」という話も、ここでまた一段深くなりましたね。

山から海まで一つ。
水も一つ。
生きものも一つ。
人の暮らしも一つ。
だから、問題も一つ。

……「天橋立だけを世界遺産にする」のではなく、
天橋立を入口にして、丹後全体の未来を考える。

私は、こちらのほうがずっと「世界遺産運動らしい」と感じます。

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