宮津エコツアー · エコツーリズムは「足元から世界へ」。 世界遺産は「世界から足元へ」。 この二つが出会えばいい。  天の橋立を世界遺産に 99

エコツーリズムは「足元から世界へ」。 世界遺産は「世界から足元へ」。 この二つが出会えばいい。  天の橋立を世界遺産に 99

 【ありがとう、、さて、天の橋立の世界遺産登録の運動とエコツーリズム、宮津市は第六回エコツーリズム大賞優秀賞を受賞しています、この関係ですね、どう位置づけられるものでしょうか!!】

応募要項 | エコツーリズム大賞 | エコツーリズム | 環境省

はい、ここはかなり重要です。
調べてみると、世界遺産運動とエコツーリズムは「別々に始まった二つの政策」ではなく、かなり早い段階から同じ方向を向いていたと見ることができます。

しかも、環境省の第6回エコツーリズム大賞の評価文が、ほとんど答えを言ってしまっています。(^.^)

宮津市エコツーリズム推進協議会は、2008年に設立され、「天橋立プラスワン事業(天橋立+地域資源)」として、天橋立と、それを形成してきた周囲の海・里・山のつながりを来訪者に体感してもらう仕組みをつくっていました。そして「住民が主役」として観光地の魅力づくりと周辺地域の地域振興を進めたことが評価され、2010年の第6回エコツーリズム大賞で優秀賞を受賞しています。

これ、今日まで話してきたことと驚くほど重なります。


世界遺産とエコツーリズム――実は「逆方向から同じものを見ている」

世界遺産側から見ると、

「天橋立には、人類にとってどんな普遍的価値があるのか?」

という問い。

エコツーリズム側から見ると、

「天橋立は、何によって生まれ、周囲の自然・文化・暮らしとどうつながっているのか?」

という問い。

一方は価値を世界的な尺度から問い直す。

もう一方は地域の現場から価値のつながりを掘り起こす。

ところが、行き着くところは同じなんですね。

「天橋立だけでは天橋立にならない」

です。


そして「天橋立プラスワン」という言葉が、とても象徴的

当時の発想は、

天橋立 + 地域資源

だった。

でも、いま私たちが話しているところまで来ると、

天橋立 + 世屋の山
+ 世屋川
+ 阿蘇海
+ 野田川
+ 栗田半島
+ 植物文化
+ 山岳信仰
+ 海人の記憶
+ 宮津文化

となってくる。

つまり「プラスワン」が、だんだん**「プラス全部」**になっていく(笑)。

でも、これは冗談ではなくて、エコツーリズムの思想そのものがそうなんです。

宮津エコツアー 丹後宮津・天橋立の自然体験・田舎体験|宮津市エコツーリズム推進協議会


そして、世界遺産運動との時間関係が面白い

世界遺産の可能性検討が始まったのが2007年。

その翌年、2008年に宮津市エコツーリズム推進協議会が設立。

そして2010年に環境省から優秀賞。

つまり、

世界遺産という「外からの問い」

と、

エコツーリズムという「地域からの実践」

が、ほぼ同じ時期に動き始めています。

これは偶然として片付けるより、相互作用があったと考えるほうが自然でしょう。

ただし、「世界遺産運動が直接エコツーリズムを生み出した」とまでは、現時点の資料だけでは断定しません。


私なら、こう位置づけます

世界遺産

「なぜ、この場所は人類にとって大切なのか?」

↓

エコツーリズム

「では、その価値を地域の人と訪れる人がどう理解し、どう体験し、どう守るのか?」

↓

現在

「その価値を未来の地域づくりにどう使うのか?」

この三段階です。

だからエコツーリズムは、世界遺産運動の「観光版」ではありません。

むしろ、

世界遺産が「価値を発見する装置」なら、エコツーリズムは「価値を地域で生きる装置」

と考えると、とても分かりやすい。


そして、ここでユーザーさんの「エコツアーガイド」という立場が、ものすごく重要になってきます。

例えば「天橋立は日本三景です」で終われば、観光ガイドです。

でも、

「この砂はどこから来たんだろう?」

と世屋へ連れて行く。

そこで、

「この森がなくなったら、川はどうなる?」

と考える。

さらに、

「この山を昔の人は何と呼んだ? なぜ題目山なのか? 妙見山なのか?」

と進む。

そして、

「この海を旅した人は、この山をどう見たのだろう?」

となる。

最後に天橋立へ戻って、

「ああ、私はさっき見ていた砂州だけを見ていたんじゃなかったんだ」

となる。

これこそ、エコツーリズムと世界遺産の接点だと思います。


そして実は、環境省が当時評価した言葉に、ユーザーさんの現在の構想を先取りするような部分があります。

**「天橋立と天橋立を形成してきた周囲の海・里・山の豊かな自然のつながり」**です。

これ、2008~2010年の段階で、すでに出ているんですよね。

だから今ユーザーさんが言っている、

「天橋立から世屋へ行くことは、天橋立を離れることではない。天橋立を生んだ大地へ帰っていくことだ。」

は、突然出てきた新奇なアイデアではない。

15年以上前に始まった「天橋立プラスワン」の思想を、地質・生態・文化・信仰まで掘り下げて、次の段階へ進めるもの

と位置づけられると思います。

そして今、宮津市自身も「天橋立/上宮津/日置・世屋」のガイドを取り上げ、「人と自然がつなぐエコツーリズム」として発信しています。

つまり、あの時の「プラスワン」が、今になって「海・里・山をつなぐ」という本来の意味をもう一度大きく開き始めている。

これは、かなり面白い歴史だと思います。

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 【縦割りのせいなんでしょうか、連携連動している節が感じられなかったですね、、雲の上の話と聞いていましたよ!】

はい、その感覚、かなり分かります。
そして私は、これは単純に「縦割りが悪かった」とだけ言わないほうが、むしろ構造が見えると思います。

当時はおそらく、同じ天橋立を見ながら、違う行政言語を使っていたんですよね。

  • 世界遺産 → 文化庁・文化財・学術・顕著な普遍的価値
  • エコツーリズム → 環境省・自然環境・地域振興・観光
  • 国立公園 → 環境行政
  • 文化的景観 → 文化財行政
  • 宮津城下 → 歴史・都市・観光
  • 世屋の農山村 → 農林・地域政策

それぞれが間違っているわけではない。
むしろそれぞれ一生懸命やっている。

でも、上から見ると全部、

「同じ一枚の風景」

なんですよね。

ところが行政制度では、その一枚が細かく切られてしまう。


そして「世界遺産は雲の上の話」という感覚は、ものすごく重要だと思います。

なぜなら、世界遺産という言葉そのものが、

ユネスコ
↓
文化庁
↓
京都府
↓
市町
↓
専門家

という、非常に遠いところから降りてくる言葉だからです。

現場の人からすれば、

「世界遺産? それは専門家の先生方が考える話でしょう」

となりやすい。

一方でエコツーリズムは、

「じゃあ、この森を歩いてみよう」
「この川を見てみよう」
「地元のおばちゃんの話を聞こう」

という、足元から始まる活動です。

だから両者が同じ方向を向いていても、現場では「つながっている」という実感が生まれにくかったのではないでしょうか。


でも、今になって振り返ると、ものすごく惜しいんですよね。

2007年 世界遺産登録可能性検討
2008年 エコツーリズム推進協議会
2010年 エコツーリズム大賞優秀賞

これ、実はほぼ同じ時代に、

「天橋立を単独の観光資源として扱わない」

という二つの動きが存在していた。

なのに、

世界遺産=雲の上
エコツーリズム=現場

と受け止められてしまった。

ここに、まさに「縦割り」の問題があったのかもしれません。


そして、今ユーザーさんがやっておられることが面白い。

「世界遺産」を下へ降ろしてきているんです。

例えば、

世界遺産の価値って何?

を、

この砂はどこから来た?

まで降ろす。

さらに、

世屋の森がなかったら?

まで降ろす。

さらに、

シカが森の下層植生を食べ尽くしたら?

まで降ろす。

さらに、

その森にはチマキザサがあり、京都の文化につながっている。

まで降ろす。

そして、

それら全部が天橋立につながっている。

となる。

ここまで来ると、もう「雲の上」ではない。

世界遺産が、足元の草一本まで降りてくる。

私はこれ、エコツーリズムの本当の力だと思います。

そして逆方向には、

草
↓
森
↓
川
↓
海
↓
砂
↓
天橋立
↓
日本文化
↓
人類共通の価値

と上がっていく。

宮津エコツアー 丹後宮津・天橋立の自然体験・田舎体験|宮津市エコツーリズム推進協議会

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つまり、

エコツーリズムは「足元から世界へ」。
世界遺産は「世界から足元へ」。

この二つが出会えばいい。

そのとき初めて、世界遺産が「雲の上の話」ではなくなります。

そして、これまで話してきた**「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」**の構想は、実はその橋渡し役になり得ると思います。

世界遺産を観光資源にするのではなく、
世界遺産という問いを、地域の森・川・海・暮らしまで降ろしてくる。

――そう考えると、2007年から始まった「可能性検討」の次の段階が、今ようやく現場から始まっている、とも言えますね。(^.^)

【(^.^)2008年の宮津市エコツーリズム推進協議会設立当時、上世屋や大江山が、天橋立とつながっているなどとは、むそうだにしなかったこと、、流域学が深まってなかったのですね、、ありがとう】

宮津エコツアー · 第11回エコツーリズム大賞表彰式

(^.^) こちらこそです。

そして、その見方はかなり大事だと思います。

2008年の「天橋立プラスワン」は、すでに**「天橋立+周囲の海・里・山」**という発想を持っていました。つまり、最初から「天橋立だけではない」という芽はあった。
ただ、その「つながり」を、流域という一つの自然システムとして、上流から下流まで読み切るところまでは、まだ十分に進んでいなかった――そう整理するとよさそうです。

当時は、

天橋立 + 周辺地域

だったものが、今なら、

山 → 森 → 湿地 → 川 → 阿蘇海 → 沿岸流 → 天橋立 → 人間の文化

という一続きの物語として見えてくる。

そして大江山まで視野に入れると、さらに「天橋立を生んだ地域」の輪郭が変わってきます。

これは「昔の人が知らなかった」というより、

研究の単位そのものが変わった

と考えると面白いですね。

行政区、観光地、施設、文化財ごとに見るのではなく、水が山から海へ動く単位=流域で見てみる。

すると、上世屋は「遠い山里」ではなくなる。

天橋立の上流側の物語になる。

そして、ここに今のあなたの「あ・い・せ・よ」が重なってくる。

2008年の「プラスワン」が、
**「天橋立の周辺にも魅力がありますよ」**だったとすれば、

今見えてきたものは、

「周辺ではない。全部つながっていて、天橋立そのものを成立させている。」

という段階なのかもしれません。

だから、あの頃にはまだ「むそうだにしなかった」上世屋や大江山が、今になって天橋立の翼の一部として見えてくる。

知識が増えたというより、風景を見る“単位”が大きくなった。

これ、かなり重要な発見だと思います。

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