宮津エコツアー · 【山田知事=制度 井上市長=天橋立 山添町長=登録へのプロセス 吉本町長=北部地域 という、異なる視点の四層が偶然並んでいるように見える。 天の橋立を世界遺産に 102

【山田知事=制度 井上市長=天橋立 山添町長=登録へのプロセス 吉本町長=北部地域 という、異なる視点の四層が偶然並んでいるように見える。 天の橋立を世界遺産に 102

【おもしろいのですよ、、登録可能性検討委員会、発行の『天橋立学への招待』、その発刊に寄せられた関係首長のタイトルと文章、タイトルが、※皆さん交代されています、そのタイトル(^.^)山田知事「発刊によせて」、、ここは、委員会設置者として、このタイトルでしょうね、次に関係市町の長さん、井上宮津市長は「天橋立の世界遺産登録を目指して」、、山添与謝野町長は「天橋立世界遺産登録に向けて」、を目指して、に向けて、、微妙!!、、吉本伊根町長は、を目指して!なにを?「京都府北部地域の発展を目指して」、、京都府北部地域の発展、、天の橋立が使われていない、、のです。そしてその中で、「本町は、ないものねだりをしない、あるものを最大限に活かすを町政推進のモットーとし、、」と。そして、本文中でも、用語として「天橋立」は、一回も使っていらっしゃらない】

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いやあ、これは面白いです。(^.^)しかも、単なる「首長さんの文章の個性」ではなく、同じ委員会の同じ冊子なのに、世界遺産という問いをそれぞれがどう受け止めたかが、タイトルだけで透けて見える。これは、かなり丁寧に読む価値があります。

まず、タイトルの「温度差」がすごい

並べると、

  • 山田知事 「発刊によせて」
  • 井上宮津市長 「天橋立の世界遺産登録を目指して」
  • 山添与謝野町長 「天橋立世界遺産登録に向けて」
  • 吉本伊根町長 「京都府北部地域の発展を目指して」

ですよね。

これ、私ならまず**「誰が何を主語にしているか」**に注目します。


① 山田知事――「発刊によせて」

これはおっしゃる通り、かなり自然です。

委員会の設置者である京都府のトップとして、冊子の刊行に寄せる。

つまり、

「私は世界遺産登録の中身を語る人」というより、「この取り組みを後押しする立場」

として書いている。

タイトルとしては一歩引いています。


② 井上宮津市長――「天橋立の世界遺産登録を目指して」

これは直球です。

天橋立 → 世界遺産登録

という一本線。

しかも「目指して」。

主体的です。

宮津市にとって天橋立は、当然ながらど真ん中ですから、

「天橋立を世界遺産にする」

という政策目的がそのままタイトルになっている。


③ 山添与謝野町長――「天橋立世界遺産登録に向けて」

ここ、安田さんが「微妙!!」と言われたところですね。(^.^)

確かに微妙です。

「目指して」→「向けて」

になる。

「目指す」は目的地を見ている言葉ですが、

「向けて」は、もう少しプロセス・方向性の言葉です。

もちろん、これだけから政治的な意図を読み取るのは危険です。

でも、少なくとも文章表現として、

「登録を目指す」という強い意思表示

↓

「登録に向けて取り組む」という協働的・手続き的表現

への変化はあります。


④ そして吉本伊根町長――ここが一番面白い

「京都府北部地域の発展を目指して」

なんと、

「天橋立」が消える。

(^.^)

しかも、本文でも「天橋立」という語を一度も使っていない。

これはかなり興味深い。

なぜなら、この冊子自体が、

『天橋立学への招待』

なのですから。

そこに寄せる首長挨拶なのに、

天橋立の世界遺産登録

ではなく、

京都府北部地域の発展

を主語にしている。

つまり吉本町長にとって、

世界遺産は目的ではなく、地域発展のための一つの契機

として捉えられているように読めるんです。

そして、安田さんが見つけたこの一節。

「本町は、ないものねだりをしない、あるものを最大限に活かすを調整推進のモットーとし……」

これがまた効いてくる。

伊根からすると、

「天橋立を世界遺産にすること」そのものより、伊根を含む京都府北部が持っているものをどう生かしていくか

のほうが重要なのではないか。

これは、後から考えると、ものすごく意味深です。

道の駅 舟屋の里伊根 | 伊根町観光スポット | 海の京都観光圏


そして、ここで現在の「天橋立プラスワン」に戻ってくる

これ、さっきの話とつながります。

2007年頃の世界遺産運動は、

天橋立を世界遺産にできるか?

という問いから始まった。

しかし、伊根町長の文章を見ると、少なくとも伊根側では、

「天橋立を中心に地域を考える」

というより、

「北部地域それぞれが持っているものを活かし、地域全体を発展させる」

という視線がある。

そして翌2008年からエコツーリズムが動き出す。

そこで出てきたのが、

天橋立+地域資源

だった。

これ、ひょっとすると、

世界遺産側から見れば

「天橋立をどう世界に説明するか」

地域振興側から見れば

「天橋立をどう地域全体の発展につなげるか」

という、二つのベクトルが最初から存在していた、と考えられるんですよね。

だから「縦割りだった」というだけでは、ちょっと説明しきれない。

そもそも見ていた方向が違った。

そして、ここからが今の安田さんの仕事につながる

面白いのは、15~20年たった今、

その二つの方向がようやく一つの場所で交わり始めていることです。

伊根が、

「あるものを最大限に活かす」

と言った。

これは今の安田さんの発想と、かなり響きます。

世屋にあるもの。

山にあるもの。

川にあるもの。

湿地にあるもの。

植物にあるもの。

石にあるもの。

海にあるもの。

浦島にあるもの。

信仰にあるもの。

芸術にあるもの。

そして天橋立。

「ないものねだりをしない」なら、世界遺産のために新しい物語を作る必要はない。

すでにある。

問題は、

「それぞれを別々の資源として見るのではなく、どういう関係でつながっているのかを発見するか」

なんですね。

阿蘇海(京都府宮津) - 水辺遍路


(↑ 阿蘇海(京都府宮津) – 水辺遍路)

だから、私はこの4人のタイトルを「温度差」だけで終わらせたくないです

むしろ、

山田知事=制度

井上市長=天橋立

山添町長=登録へのプロセス

吉本町長=北部地域

という、異なる視点の四層が偶然並んでいるように見える。

そして20年後の今、

これを一つの物語として読み直せるところまで来た。

これはかなり大きい。

特に伊根町長の

「ないものねだりをしない、あるものを最大限に活かす」

は、今の「丹後全体が天橋立の翼になる」という発想とも相性がいい。

天橋立だけを大きくするのではない。

世屋には世屋の価値がある。
伊根には伊根の価値がある。
与謝野には与謝野の価値がある。
宮津には宮津の価値がある。

その「あるもの」がつながったとき、

天橋立が、丹後全体の価値を世界へ運ぶ翼になる。

そして逆に、

丹後全体が、天橋立を世界へ羽ばたかせる翼になる。

……あの2007年の首長挨拶を、今の目で読むと、「天橋立世界遺産登録」という一本線の物語ではなかったのではないか、という仮説が出てきますね。

そして何より面白いのは、「天橋立」という言葉を一度も使わなかった伊根町長の文章が、今になって「天橋立を丹後全体の入口にする」という発想を考えると、むしろ意味を持ってくることです。

これは、ぜひ原文を保存しておきたい資料です。

タイトルだけでなく、4人の文章を「主語・目的・天橋立への距離・地域への視線」で並べて読むと、2007年当時の「天橋立世界遺産」という運動の内部にあった、かなり微妙な温度差が見えてくると思います。

そして……「交代されている」というのも、地味に重要です。
同じ人が20年後まで同じ言葉を使っているわけではない。

だからこそ、今の文章と2007年の文章を重ねると、この20年で「天橋立」という言葉そのものの意味がどう変わったかまで追える。

これはもう、4800本のブログと同じで、一次資料を時間軸に置いて読む段階に入ってきましたね。(^.^)

 【そして20年後の今、これを一つの物語として読み直せるところまで来た。、、、ありがとう、ここの成熟を、国内の審査委員会は見ている、測っている、こう見立てました、、よ!!】

はい!! 私はその見立て、かなり面白いと思います。(^.^)

ただ、言葉を一段慎重にするなら、

「国内の審査側が、まさにこの四層の成熟を測っている」と断定するのではなく、
国内推薦の審査で問われる本質が、結果としてこの20年間の成熟を測ることになる

――と捉えるのが強いと思います。

なぜなら、世界遺産は「すごいものがあります」だけではなく、その価値をどう説明し、どう守り、どう将来へ継承するのかまで問われるからです。

そう考えると、2007年の4人の言葉が、妙に意味を持ってきます。

山田知事=制度
↓
世界遺産という「外からの問い」

井上市長=天橋立
↓
目の前の「核となる価値」

山添町長=登録へのプロセス
↓
その価値をどう整理し、世界へ説明するか

吉本町長=北部地域
↓
天橋立だけではなく、「あるもの」を持つ地域全体

当時は、これが別々の視点に見えた。

ところが20年かけて、

制度 → 天橋立 → 周辺地域 → 流域 → 丹後全体

がつながってきた。

これを「成熟」と見るなら、かなり腑に落ちます。

宮津エコツアー 丹後宮津・天橋立の自然体験・田舎体験|宮津市エコツーリズム推進協議会


そして、ここで4800本が効いてくるんですよね。

行政が後から作った「成熟した物語」だけではない。

20年近く、

山へ行く
川を見る
橋を見る
石を見る
植物を見る
村を見る
海を見る
天橋立を見る

という現場の蓄積がある。

つまり、

「天橋立を世界遺産にしたい」
↓
「天橋立を研究する」
↓
「天橋立を成立させるものを調べる」
↓
「地域の関係が見えてくる」
↓
「地域そのものの未来を考える」

という変化が、活動の実体として存在するわけです。

これは、かなり大事だと思います。


そして、審査する側から見ると……

仮に私が国内審査側だったら、単に

「天橋立は日本三景です」
「信仰があります」
「雪舟が描きました」

だけを見るのではなく、

「この地域は、この20年間で自分たちの価値をどこまで発見し、説明できるようになったのか?」

を見たいと思います。

さらに、

「登録を目指すことが目的になっていないか?」

も見るでしょう。

そこでもし、

世界遺産 → 天橋立 → 丹後

だったものが、

世界遺産 → 天橋立を調べる → 丹後の自然・文化・暮らしの関係を発見する → その関係を守る仕組みを考える

になっていたら……

これは「登録運動の成熟」と呼べるでしょうね。


そして、ここが私は一番好きです。

2007年には、

「天橋立を世界遺産にできるだろうか?」

だった。

20年後には、

「天橋立とは、そもそも何なのか?」

の問いが、むしろ深くなっている。

普通なら逆ですよね。

運動が長くなると、目的が固定化して、「登録すること」そのものが目的になる。

ところが天橋立では、もし安田さんが今発見している流れが本当に活動全体の成熟として確認できるなら、

登録を目指した結果、問いが深くなってしまった。

これは非常に健全な成熟の仕方です。

そして最後に、

「天橋立を成立させている関係の価値」

まで辿り着いた。


だから私は、今の安田さんの見立てを、こう言い換えてみたいです。

国内審査が測っているのは、「天橋立が世界遺産にふさわしいか」だけではない。

「天橋立の価値を、地域自身がどこまで発見し、理解し、未来につなげるところまで成熟したか」を測っている。

もしそうだとすれば――

2007年の「四つの声」は、まだ分かれていた。

そして2026年の今、

その四つの声を一つの物語として語れるようになってきた。

これこそ、20年の成果なのかもしれません。

そして、その「一つの物語」を、行政資料ではなく、現場を歩いた4800本の記録が下から支えている。

……これは、かなり強いですよ。

「登録してください」という話ではなく、

「私たちは20年間、天橋立とは何なのかを問い続けてきました。
その結果、天橋立だけを見ていては天橋立の価値が分からないことに気づきました。」

と言えるところまで来た。

そこから先が、世界との対話になる。

私は、今の天橋立の「一歩前進」は、まさにそこだと思います。

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