宮津エコツアー · 掘るべき自然、つなぐべき歴史、問い返すべき未来、、  美しいふるさとを未来の子どもたちに(^.^)  天橋立を世界遺産に 217。

掘るべき自然、つなぐべき歴史、問い返すべき未来、、  美しいふるさとを未来の子どもたちに(^.^)  天橋立を世界遺産に 217。

◆1 ありがとう、●丹後には、掘るべき自然があり、つなぐべき歴史があり、問い返すべき未来があります。●美しいふるさとを未来の子どもたちに 、、これを頭の中で転がしていました、美しいふるさと、、つなぐべき歴史  フムフム、ころころがY茶が茶、そしたら、こんな質問がポン!いうところの里山を、五人組制度、供出制度、この二つから紐解いて解説くださいな、、紐解いてくださいな

いやあ、言葉が転がって、問いがポン!と生まれましたね。(^.^)

「美しいふるさとを未来の子どもたちに」。その「美しいふるさと」の代表格ともいえる里山を、江戸時代の五人組制度と、戦中・戦後の食糧供出制度から読み解く。これは、里山を自然だけでなく、そこに暮らした人々と社会制度の歴史として捉える問いですね。

私の見立てを先に申し上げると、里山は単に「人と自然が仲よく暮らしてきた場所」ではありません。

里山は、自然の恵みを共同で利用しながら、支配や負担を受け入れ、ときには生き延びるために工夫してきた、人と自然の関係の積み重ねです。

その関係を、二つの制度から紐解いてみましょう。

1 江戸時代の五人組――里山を支えた「共同体」と「統制」

五人組は、江戸幕府が全国的に制度化した、近隣の五戸前後を一組とする仕組みです。年貢納入や治安維持などに連帯責任を負い、住民の行動や移動も管理しました。福井県史に残る五人組関係の記録からも、制度が村の暮らしに深く入り込んでいたことが分かります。

群馬県ホームページ(文書館)

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では、これを里山に重ねると何が見えるでしょうか。

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当時の農村では、田畑だけで暮らしが完結するわけではありませんでした。

  • 山から薪や木材を得る。
  • 草を刈り、田畑の肥料にする。
  • 落ち葉を集め、堆肥をつくる。
  • 水路や道を共同で維持する。
  • 山林や草地の利用について、村の決まりを守る。

こうした営みは、地域や時代によって違いがありますが、里山を維持する重要な仕組みでした。入会地などの共有的な資源には、利用できる人、採取の時期や量、管理の方法を定めた地域の規則が存在する場合もありました。

北本デジタルアーカイブズ

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ここで大切なのは、五人組制度そのものが里山を生み出したわけではないという点です。里山の利用や共同作業には、五人組制度以前からの慣行や、村独自の取り決めも関わっていました。

五人組制度は、そうした村の生活基盤の上に、支配する側の連帯責任や監視の仕組みを重ねたのです。

つまり、里山の美しい景観の背後には、助け合いだけでなく、規則、責任、負担、場合によっては相互監視もあった。

ここを見落とすと、昔の里山を「人と自然が調和していた理想郷」として美化してしまいます。

2 戦中・戦後の食糧供出制度――里山は国家の食糧政策とどう結びついたか

次は、時代を一気に近代へ進めます。

食糧供出制度は、農家が生産した米や麦などを、政府が定めた条件や割当てに従って供出させる仕組みでした。戦時期に始まり、1942年の食糧管理法で制度的に整えられ、敗戦後も食糧不足のなかで続きました。

関西大学リポジトリ

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食(昭和21年)▷没収した隠匿物資の供出・配給 | ジャパンアーカイブズ - Japan Archives
13-1-59 米の配給(昭20.8)
配給米の貯蔵 | 昭和館デジタルアーカイブ

ここで、五人組制度との共通点が見えてきます。

五人組制度食糧供出制度
近世の村を通じた行政・統制近代国家による食糧管理
年貢や治安などに連帯責任食糧の生産・供出に割当て
村や組を通じて人々を把握農家・農業団体などを通じて生産物を把握
地域の暮らしに規則を及ぼす農家の生産物と家計に直接影響する

もちろん、両者は同じ制度ではありません。時代も目的も法的な仕組みも異なります。しかし、国家や行政の要請が、村という地域社会を通じて個々の家に届くという構造には、比較して考える価値があります。

供出制度のもとでは、農家は収穫した米をすべて自分たちの判断で使えるわけではありませんでした。供出を求められた農家にとって、収穫量の確保と家族の食糧をどう両立させるかは、切実な問題だったはずです。

ただし、ここから「供出制度が里山の景観を直接つくった」と結論づけるのは早計です。

里山への影響を考えるには、地域ごとに、食糧増産のための開墾、山林や原野の利用、肥料の確保、労働力の動員などが実際にどう進んだのかを確かめる必要があります。供出制度そのものと、戦時下の増産政策や資源動員は、関連しつつも区別して調べるべきです。

3 二つの制度から、里山の歴史を読み直す

ここまでをつなぐと、里山の姿を考える新しい見取り図ができます。

自然の恵み

山林・草地・水・田畑・薪・肥料

地域社会の仕組み

共同作業・入会慣行・村の規則・五人組

国家・行政からの要請

年貢・生産管理・食糧供出・増産政策

暮らしと景観の変化

土地利用・山林管理・労働・食生活・集落の姿

概念図です。各要素の因果関係は、地域の史料によって確かめる必要があります。

この図で注目したいのは、自然と人間の間に、地域社会の仕組みがあることです。

山の木を切る、草を刈る、水を引く、田を耕す。そうした行為は、個々の農家の判断だけでなく、村の慣行や規則、さらには時代ごとの政策によっても左右されました。

そして、制度が変われば、暮らしも変わり、山の利用も変わり、景観も変わる可能性があります。

ただし、現在の里山の景観を理解するには、戦後の燃料革命、化学肥料の普及、農業機械化、人口減少なども加えて考えなければなりません。五人組と供出だけで、現代の里山までを説明しきることはできません。

4 「美しいふるさと」を、もう一度問い返す

ここで、安田さんの二つの言葉に戻ります。

  • 丹後には、掘るべき自然があり、つなぐべき歴史があり、問い返すべき未来があります。
  • 美しいふるさとを未来の子どもたちに。

私は、この二つをつなぐうえで、次の問いが大切だと思います。

私たちが未来の子どもたちに残したい里山は、どの時代の、どのような人と自然の関係を受け継ぐものなのか。

かつての里山は、生活を支える場所でした。しかし、その暮らしは自然の恵みだけで成り立っていたわけではありません。労働があり、規則があり、負担があり、国の政策がありました。

昔の仕組みをそのまま復活させることが、未来への継承ではありません。

むしろ、昔の人々が山や水をどう使い、何を共同で守り、どのような負担を背負ってきたのかを知る。そのうえで、今の社会に必要な里山との関係を考え直す。それが「つなぐべき歴史」から「問い返すべき未来」へ進む道ではないでしょうか。

そして、丹後でこれを具体化するなら、上世屋の棚田や山林、集落の古文書、入会地の記憶、戦中・戦後の供出記録などをつなぎ合わせることで、土地に根ざした歴史が見えてくるはずです。

美しいふるさととは、ただ美しい景観を残すことではない。その景観を生み出してきた人々の営みと歴史を理解し、未来にふさわしい関係をつくり続けること。

そんな意味を、この二つの制度から読み取ることができると思います。

◆2 美しいふるさととは、ただ美しい景観を残すことではない。その景観を生み出してきた人々の営みと歴史を理解し、未来にふさわしい関係をつくり続けること。、●美しいふるさとを未来の子どもたち、これは、天橋立を世界遺産にする会の標語、です、美しいふるさとと美しい天の橋立との相関関係の認識の幅深さ奥行きがどの程度なのか、と思ったのです、よ(^.^)

ああ、なるほど! 安田さんが転がしていたのは、標語の言葉尻ではなく、その標語の背後に、どこまで深い「ふるさと」の認識があるのか、という問いだったのですね。(^.^)

調べてみると、会の公式サイトには「天橋立を世界遺産に!美しいふるさとを子ども達に残そう」と掲げられています。会の目的にも、天橋立を中心とする地域の保全・継承と、地域の誇りとしての魅力向上が示されています。

hashidate.org

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ここから先は、会の人々の認識を決めつけるのではなく、標語がどこまでを包み込めるかという観点で考えたいです。

「美しい天橋立」と「美しいふるさと」の間には、三つの幅がある

第一の幅――眺める景観から、景観を支える自然へ。

天橋立の松並木や白砂だけでなく、砂州を生み出した土砂の供給、山や川、宮津湾と阿蘇海のつながり、松林の生態系まで見る。ここまで広がると、「美しい天橋立」は一枚の絵ではなく、自然の働きの結果になります。

第二の幅――名所から、暮らしの歴史へ。

神社仏閣、巡礼、和歌、絵画、庭園だけでなく、農林漁業、集落、水路、山の利用、景観を守ってきた人々の営みまでつなぐ。天橋立の美しさは、人々が眺め、描き、信仰し、手入れしてきた歴史とも関係しているのではないか。京都府の景観計画にも、歴史・文化・人の営みが積み重なった景観という考え方が示されています。

京都府

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第三の幅――保存するふるさとから、未来をつくるふるさとへ。

過去の景観をそのまま凍結するのではなく、変化する自然や暮らしとどう向き合うか。子どもたちが天橋立を知るだけでなく、自分で問い、調べ、新しい芸術文化や保全活動を生み出せるか。ここまで進めば、標語は継承の呼びかけであると同時に、未来への問いになります。

では、会の認識はどこまで深いのか

公開資料からは、会が天橋立の文化的価値や保全活動、次世代への継承を重視していることは確認できます。2008年の「天橋立宣言」でも、多様な価値を学ぶこと、美しい姿を守ること、守ってきた人々への感謝、次世代を育てることが掲げられています。

9 月末、国内の世界遺産暫定リストの登載に係る審査結果が発表され、私たち

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一方で、会の構成員が、山・川・湾・砂州・集落・生業・信仰を一つの関係として捉えているか、またその関係を未来の地域づくりにまで広げているかは、標語や公開資料だけでは判断できません。

ここは、安田さんの問題意識が生きるところでしょう。

私なら、会にこう問いかけてみたいです。

「美しいふるさと」とは、天橋立の美しい姿を残すことですか。それとも、天橋立の美しさを育んできた自然・歴史・人々の営みを理解し、その関係を未来の子どもたちとともにつくり続けることですか。

もちろん、二者択一ではありません。後者は前者を含みながら、さらに奥へ進む問いです。

安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」は、標語を否定するためではなく、標語の中に眠っている可能性を掘り起こすための問いなのだと思います。

「美しいふるさとを未来の子どもたちに」――短い言葉だからこそ、その「ふるさと」をどこまで深く、広く、未来に向けて捉えられるか。そこに、天橋立を世界遺産にする運動の成熟度を考える一つの手がかりがありそうです。

◆3 次回に予定されている天橋立を世界遺産講演会、講師の深町和枝氏の専門は里山景観学、ここに期待したいと思っています(^.^)、

なるほど! そこに期待をかけておられるのですね。(^.^)

これは、講師のお話を聞くというだけでなく、「美しいふるさとを未来の子どもたちに」という標語の中身を、里山景観学から問い直す機会になりそうです。

天橋立を眺めて「美しい」と感じる。その美しさを支えている山、川、田畑、集落、人々の営みまで見えているか。そして、それらの関係が変化していくなかで、何を守り、何を次の世代に手渡すのか――。

安田さんが五人組制度や食糧供出制度から里山を読み解こうとされたのも、まさに景観の背後にある社会や歴史を見ようとする問いですね。

そして今回の講座について、公式案内を確認したところ、講師のお名前は深町加津枝(ふかまち・かつえ)先生でした。京都大学大学院の准教授で、里山管理、森林文化、景観生態学などを研究されています。

宮津市ホームページ

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11月28日の講座の演題は「天橋立の景観と住民意識」。昨年度の住民アンケートをもとに、地域の人々が天橋立の景観をどう捉えているかを分析する内容です。

宮津市ホームページ

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ここに、安田さんの問題意識と重なる大事な接点がありそうです。

講演を聴くとき、私なら次の三つに注目します。

  • 住民にとっての美しい天橋立とは、何なのか。 眺望なのか、松林なのか、信仰や思い出なのか、それとも暮らしを含むものなのか。
  • 住民の意識と、景観を支える営みは結びついているのか。 美しいと思うことと、守るための行動や負担を引き受けることは、必ずしも同じではありません。
  • その意識を、未来の子どもたちにどうつなぐのか。 現在の住民意識を把握するだけでなく、次の世代がどんなふるさとをつくっていくのか。

もちろん、アンケートの設問や分析結果を見ずに、講演の結論を先取りすることはできません。

ただ、今回の講座は、安田さんが考えておられる「美しいふるさと」と「美しい天橋立」の関係を、住民の実際の声から考える機会です。

標語に込められた願いと、住民が日々の暮らしのなかで感じているふるさと。その二つがどこで重なり、どこでずれているのか。

そこが見えてくれば、「美しいふるさとを未来の子どもたちに」という言葉を、もう一歩、具体的な未来への約束に近づけられるかもしれませんね。(^.^)

◆4 もう一つ気になったこと、、天橋立を世界遺産にする運動、、これは、宮津・伊根・与謝野、一市二町協働で取り組む運動と認識しています、が、伊根・与謝野の影が薄いなあ、、思いすぎでしょうか(^.^)

安田さん、私は「思いすぎ」とは片づけたくありません。(^.^)

公式資料を確認すると、京都府・宮津市・伊根町・与謝野町の一市二町が協働して世界遺産登録を目指す、という認識はその通りです。京都府も、地域住民・関係団体・行政が協働する取り組みとして位置づけています。

京都府

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一方で、一市二町が名を連ねていることと、一市二町が同じ存在感で運動を担っていることは、別の話です。安田さんが感じておられる「伊根・与謝野の影が薄い」という問題は、そこを確かめる問いだと思います。

公式資料から見える、少し気になる構図

宮津市:運動の中心が見えやすい

会長は宮津商工会議所会頭、事務局は宮津市教育委員会内に置かれています。市民講座やシンポジウムなど、発信の舞台も天橋立そのものを中心に組まれています。

天橋立を世界遺産にする会

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京都・伊根の舟屋で撮影されたエメラルド色の絶景 「透明感すごい」「名画のような一枚」と驚きの声 | LIMO | くらしとお金の経済メディア

伊根町:正式な参加は確認できるが、発信上の存在感は見えにくい

役員には伊根町商工会と伊根地域本部が記載されています。ただし、公開されている主な活動年表からは、伊根町が独自の役割を担った事業は読み取りにくい状況です。

天橋立を世界遺産にする会

ちりめん街道|屋根のない建築博物館  |  与謝野日々是 与謝野町観光協会

与謝野町:組織には参加しているが、地域の歴史文化との接続が見えにくい

与謝野町商工会、与謝野地域本部、区長連絡協議会が役員構成に含まれています。一方、公開された活動紹介では、与謝野町の歴史や文化を世界遺産運動にどう結びつけているかが、必ずしも明瞭ではありません。

天橋立を世界遺産にする会

ここは慎重に言いたいところです。公開情報で活動が見えにくいことは、実際の活動が少ないことの証明にはなりません。役員会への参加、調査研究への協力、資金や人員の負担などは、事業報告や議事録を見なければ分かりません。

では、何が問題なのか

私が気になるのは、「一市二町で天橋立を世界遺産にする」という共同事業が、実際には「宮津にある天橋立を、伊根と与謝野も応援する運動」になっていないか、という点です。

この二つは、似ているようで違います。

前者なら、三つの地域がそれぞれの歴史・文化・自然の知見を持ち寄り、天橋立の価値を一緒に解き明かします。後者なら、主役は天橋立で、他の地域は協力者にとどまってしまう可能性があります。

そして、安田さんが構想されている「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」には、この構図を広げる可能性があります。

  • あ:阿蘇海――天橋立を支える水域と地形
  • い:伊根――舟屋、海と暮らし、海辺の文化
  • せ:世屋――棚田、里山、山と海のつながり
  • よ:与謝野――農業、ちりめん街道など、地域の歴史と生業

これは世界遺産登録の構成資産として認められるかどうかとは別の話です。しかし、地域の人々が天橋立の価値を理解し、未来に継承する運動として考えれば、三地域それぞれの主体性を育てる構想になり得ます。

私なら、会に三つの質問を置きます

  1. 伊根町・与謝野町は、この運動のなかで、それぞれどのような役割を担っているのか。
  2. 三地域の住民や団体が、調査研究や情報発信の企画・実施をどの程度主体的に担っているのか。
  3. 天橋立の価値を地域全体で共有するために、今後、伊根・与謝野を舞台にした事業をどう展開するのか。

責任を追及するためではなく、共同事業の実態と、これからの可能性を確認するための質問です。

安田さんの問題意識は、伊根や与謝野を目立たせたいというだけではないのでしょう。

一市二町で取り組むというなら、一市二町それぞれが「自分たちの運動だ」と感じられる仕組みになっているか。

そして、天橋立を世界遺産にすることが、宮津だけでなく、丹後全体の自然・歴史・文化を見直す契機になっているか。

そこを問うことには、十分な意味があると思います。(^.^)

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