宮津エコツアー · 益軒さんの目とあいせよ天橋立丹後浦島ロードの眼 天の橋立を世界遺産に 247

益軒さんの目とあいせよ天橋立丹後浦島ロードの眼 天の橋立を世界遺産に 247

◆1 中村(成相乃麓也)より観音堂まで十六町の坂をのぼる。其路甚嶮峻にて、輿馬の往来也かたし。 (中略) 此坂中より、天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶す、日本の三景の一とするも宜也。 これが天の橋立!社前より遠く望めば、湖水渺茫として人遠く隔たり、境地潔浄にして俗塵をはなれ、恰浮世の外に出たる心地して、仙境に入りたるように覚え侍る。、、これが竹生島!比較して、感じるところはありますか

いやあ、これは面白い比較です。二つの文章を並べると、益軒が見た二つの風景の違いだけでなく、益軒が自然の中に何を感じ取っていたのかが浮かび上がってきます。

私が最も注目したのは、天橋立では「其景言語ヲ絶す」、竹生島では「俗塵をはなれ、仙境に入りたるよう」という表現を使い分けていることです。

1.天橋立――風景の広がりに圧倒される

天橋立を一望できる宮津の古刹・ 成相寺|宮津市広報

天橋立の文章には、具体的な地名が次々に登場します。

  • 天橋立
  • 切戸の文珠
  • 橋立東西の与謝の海
  • 阿蘇の海

益軒は、坂の途中から目の下に広がる風景を、視線を移しながら描写しています。

ここには、広がり、連なり、地形の構成を捉える目があります。

しかも、坂道は「甚嶮峻」。輿や馬も通りにくい。自分の身体で苦労して登った先に、あの眺望が開ける。

その体験を受けて、

日本の三景の一とするも宜也。

と評価する。

これは、景観を実際に見たうえでの、名所としての価値判断ですね。

2.竹生島――風景の中に身を置き、俗世を離れる

竹生島宝厳寺開創千三百年記念辯才天堂本尊秘仏御開帳 | はなの日々

こちらは、表現がずいぶん違います。

湖水渺茫として人遠く隔たり、境地潔浄にして俗塵をはなれ、恰浮世の外に出たる心地して、仙境に入りたるように覚え侍る。

ここでは、島の建築や歴史よりも、まず湖の広大さと、人里から隔たった感覚が描かれています。

そして、最後は「仙境」。

天橋立では風景の美しさに言葉を失い、竹生島では俗世から離れたような心持ちになる。

つまり、こちらは景色の評価というより、その場所に身を置いたときの精神的な体験を語っているように思います。

3.二つの文章を並べると

視点天橋立竹生島
立ち位置成相の坂の途中島の社前
見ているもの山・砂州・二つの海・文殊湖水・島を取り巻く空間
描写の特徴地名を列挙し、景観を構成する距離感、清浄さ、隔絶感
心の動き言葉を絶する感動俗世を離れた心地
評価日本三景の一つにふさわしい仙境に入ったよう

4.私が感じる、決定的な違い

天橋立の文章には、周囲の土地との関係が見えます。

竹生島の文章には、周囲の土地から切り離された感覚が見えます。

これは興味深いですね。

天橋立は、丹後の山々、与謝の海、阿蘇の海、文殊の町と一緒に見えている。

竹生島は、湖の中に浮かび、人里から遠く隔たった聖なる場所として見えている。

もちろん、竹生島にも長い歴史を持つ人々の信仰や営みがあります。益軒のこの文章では、そこよりも島の隔絶性が前面に出ているのでしょう。

そして、ここから少し大胆に言えば、

天橋立は、自然と人間の営みが織りなす風景。竹生島は、自然の懐に抱かれた聖地。

そんな対照が読み取れます。

5.そして、丹後にとって大切なこと

私は、益軒の天橋立評の中で、最も大事なのは「橋立東西の与謝の海、阿蘇の海」という部分だと思います。

益軒は、砂州だけを見ていません。

砂州の両側にある海を見ている。文殊の町も見ている。成相の山から、それらを一つの視界に収めている。

これは、天橋立を単独の名所として切り取るのではなく、周囲の風土との関係で捉えたということです。

益軒さん、意図していたかどうかは別として、現代の私たちに大事な視点を残してくれていますね。

竹生島は、島を訪れることで自然と信仰に出会う。天橋立は、土地を見渡すことで自然と人間の営みの結びつきに出会う。

この二つを実際に訪れた益軒の紀行文は、比較して読む価値があります。(^.^)

天橋立や竹生島の旅にも合う、宿泊先の候補を見ておくと便利です。

◆2 そこなんですね、益軒さんの目は、「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の眼(呑め)です、なあ(^.^)

はははは!! そこです、そこ!!(^.^)

益軒さんの目は、天橋立という一本の砂州に止まっていない。

成相の坂から、

  • あ 阿蘇の海
  • い 伊根へと続く丹後の海
  • せ 世屋の山々と里山
  • よ 与謝の海、与謝野の大地

へと広がっていく。

もちろん、益軒が現代の「あいせよロード」を意識していたわけではありません。でも、彼が記した景観には、その構想を支える視点がある。

私が特に面白いと思うのは、益軒の旅をたどることで、現代のロード構想に歴史的な奥行きが生まれることです。

「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」は、天橋立を見せる道ではない。天橋立が生まれた風土と、そこに生きてきた人々を見つける道。

益軒さんを、このロードの先輩案内人に任命しましょうか。

ただし、本人には向井酒造の「あいせよ」を一献進呈してからですな!!(^.^)

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