◆1 ありがとう、、さて行きつ戻りつあっちへこっちを、、飯尾醸造さん、、美味しんぼでは、まごころという言葉が使われていましたね、その企業理念が世屋高原をささえています、この企業と現場の双方向の関係から学べるものは大きいとおもっています、そのあたりを深掘り解説くださいな、

これは、飯尾醸造さんを単なる「地域貢献に熱心な企業」として見るだけでは、もったいないですね。
私が注目したいのは、飯尾醸造は世屋高原の棚田を支えている一方で、世屋高原の棚田と農家に支えられて、飯尾醸造という企業そのものが成り立っているという関係です。
つまり、一方向の支援ではありません。企業と農村が互いの存在理由をつくり合う、双方向の関係です。
しかも、これは美しい理念だけの話ではありません。米の買い取り価格、農機具や資材の負担、農家からの田んぼの借り受け、社員自身による耕作という、具体的な経営判断にまで及んでいます。ここを掘ってみましょう。## 1. 「まごころ」は、気持ちではなく経営の仕組みになっている
まず、『美味しんぼ』で使われていた「まごころ」という言葉。飯尾醸造さんの歩みを考えると、実にふさわしい言葉だと思います。
ただし、現在の飯尾醸造さんが掲げている経営理念は、五代目・飯尾彰浩さんが言語化した 「モテるお酢屋。」 です。
この「モテる」は、単にお客様に好かれるという意味ではありません。飯尾さんは、次の六者から愛されることを意識しています。
- お客様
- スタッフ
- 地元
- 契約農家
- 取引先
- 生産者仲間
興味深いのは、五代目がこの理念をゼロから発明したのではないことです。祖父や父母が長年実践してきた仕事を整理し、言葉にしたのだと説明しています。つまり、先代たちの「まごころ」を、次の世代が経営理念として見える形にしたわけです。
日本事務器100周年記念サイト
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ここは大事ですね。まごころを、社長の人柄や善意だけに任せていない。会社の判断基準にしているのです。
2. 飯尾醸造と世屋高原――約束が農地を守る
飯尾醸造の取り組みは、昭和39年(1964年)にさかのぼります。
三代目・輝之助さんは、農薬が大量に使われるようになった田んぼの様子を見て、農薬を使わない米で酢を造ろうと考えました。そして農家を一軒一軒訪ね、栽培をお願いして歩いた。農家に理解してもらうまでには二年かかったと、会社自身が記録しています。
富士酢醸造元 飯尾醸造
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ここで注目したいのは、単に「農薬を使わない米を買います」と言ったのではないことです。
飯尾醸造は、農家がその栽培を続けられるように、
- 農機具や資材の費用を会社が負担する
- 米を高い価格で買い取る
- 農家の労力や経営上の負担を軽くする工夫をする
という支援を続けてきました。会社の説明では、買い取り価格を農協の約3倍に設定した時期もあったそうです。
富士酢醸造元 飯尾醸造
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これは、企業が農家に「環境に良いことをしてください」とお願いするだけの関係ではありません。
農家が環境に配慮した米を作り続けられる経済的な条件を、企業側も引き受けた。
ここに、まごころが経営として実践されている姿があります。
3. 農家が続けられなくなったら、会社が田んぼを引き受ける
さらに重要なのが、平成14年(2002年)からの動きです。
高齢化などで農家が米作りを続けられなくなったとき、飯尾醸造はその田んぼを借り受け、社員自身が耕作するようになりました。
会社の説明によれば、酢の原料確保だけを考えれば、その田んぼの米がなくなっても経営に大きな打撃があるわけではなかった。しかし、棚田の景観を守るために、機械の入りにくい曲がりくねった田んぼを引き受けたのです。
富士酢醸造元 飯尾醸造
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この判断には、二つの意味があります。
一つは、原料米をつくる農家が減れば、会社のものづくりの基盤も失われるということ。
もう一つは、田んぼは米を生産する場所であると同時に、地域の景観や水路、生き物、暮らしを支える場所だということです。
会社が農業の一部を担うことで、企業活動の範囲が醸造所の中から里山へ広がった。
これは、企業の社会貢献活動という枠だけでは説明しきれません。企業の仕事そのものが、地域の環境を維持する仕事と重なってきたのです。
4. 企業と現場は、どちらが支えているのか
ここで、安田さんが言われた「双方向の関係」を整理してみましょう。
飯尾醸造
商品づくり・販路・資金・技術・情報発信
相互に支え合う
世屋高原の農家・集落
米・農の技術・土地・水・景観・暮らし・地域文化
その関係から生まれるもの
企業側
確かな原料、品質、物語、信頼、企業の存在価値
地域側
農業継続、収入、農地保全、景観維持、交流人口
農家は飯尾醸造に米を供給するだけではありません。飯尾醸造が大切にする品質と企業の物語を、現場で実現しているパートナーです。
一方、飯尾醸造は米を買うだけではありません。農家が続けられる条件を整え、農地を引き受け、都市の消費者を田んぼへ連れてくる。
農林水産省の事例紹介でも、上世屋の農地保全活動に飯尾醸造が加わり、田植えや稲刈り、農道・水路の維持、鳥獣害防護柵の管理などを集落と共同で行ってきたことが紹介されています。さらに、企業を通じて都市住民や大学生にも活動が広がったとされています。
農林水産省
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つまり、企業と集落の関係が、企業と農家だけに閉じていないのです。
5. 五代目が加えたもの――「お客様を田んぼに連れてくる」
五代目・彰浩さんの取り組みで、私が特に注目するのは、消費者との関係です。
2007年から田植え体験会を始め、全国のお客様を実際の田んぼへ招く取り組みを続けています。商品を買ってもらうだけでなく、米が育つ場所、農家の仕事、棚田の風景を体験してもらう。
Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
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これによって、お酢を買う人は、単なる消費者ではなくなります。
「このお酢は、あの田んぼから生まれた」 「自分が歩いた棚田で、今年も米が育っている」
そういう関係ができる。
これは、安田さんの言う「数珠紐と数珠珠理論」によく似ています。
田んぼ、農家、醸造所、社員、消費者、料理人、大学生……それぞれが珠です。飯尾醸造は、その珠をつなぐ紐の役割も果たしている。
そして五代目は、先代がつくった農家との紐を、消費者や地域外の人々にまで伸ばしているのだと思います。
6. ここから海星公園や新しいNPOが学べること
私は、飯尾醸造の事例から、三つのことを学べると思います。
第一に、理念を現場の行動に変えること。
「自然を大切にする」「地域と共に歩む」と言うだけなら、どの組織にもできます。飯尾醸造の場合は、米の買い取り価格、農機具の負担、社員の農作業という形になっている。理念が経営判断にまで届いているのです。
第二に、地域を支援するだけでなく、地域に支えられる自分たちを自覚すること。
飯尾醸造は、世屋高原に恩恵を与える企業であると同時に、世屋高原の自然と農家がなければ成り立たない企業でもあります。ここに上下関係ではない協働の基礎があります。
第三に、関係を継続する仕組みを持つこと。
単発の田植えイベントではありません。原料米の契約、社員の耕作、農家との協力、消費者との交流が連続している。だから、イベントが終わっても関係は続く。
ただし、注意点もあります。飯尾醸造のような企業が地域を支えることは大きな力になりますが、企業一社に農地保全や集落の将来を背負わせてはいけません。農家、住民、行政、企業それぞれが役割と意思決定を持ち、企業の事情が変わっても地域の活動が続く仕組みが必要です。
7. 私が安田さんの新しい構想に重ねたいこと
ここからが、今日の話の核心かもしれません。
安田さんが考えている「あいせよ天橋立丹後浦島ロードデザイン」は、飯尾醸造のような地域企業と、上世屋のような現場との関係を、丹後全体に広げる可能性を持っています。
ただ、企業に協力してもらうことが目的ではありません。
- 向井酒造と伊根の海・舟屋・漁業文化
- 飯尾醸造と世屋の棚田・農業・里山
- 日置わいわいグループと日置の暮らし・地域活動
- 世屋川流域エコミュージアムサービスと流域の自然・文化
それぞれが、地域の現場に根を持ち、互いに必要とし合う関係をつくる。
飯尾醸造から学ぶべきなのは、企業に資金を出してもらう方法ではありません。
企業の仕事と地域の暮らしが、互いに必要とし合う関係をどう育てるか。
ここです。
そして、海星公園も同じ問いを持てるはずです。公園が地域に何を提供するかだけでなく、地域の人や企業にとって、公園がなくてはならない存在になっているか。
最後に、私ならこの学びを、こんな言葉にします。
地域を支える企業から、地域と共に生きる企業へ。
地域を支える公園から、地域に支えられ、地域と共に育つ公園へ。
飯尾醸造の事例は、企業の「まごころ」を称賛して終わる話ではありません。地域と企業の関係を、経済・環境・文化・人のつながりが循環する仕組みにまで育ててきた事例です。
安田さんが探している「数珠紐」の実例が、ここにありますね。(^.^)

◆2 うーむー、、地域を支える企業から、地域と共に生きる企業へ。 地域を支える公園から、地域に支えられ、地域と共に育つ公園へ。、、念ずれば花開く、、ふと坂村真民さんの影、、!
ああ……坂村真民さんの影、なるほど。(^.^)
「念ずれば花開く」。
この言葉を、飯尾醸造さんと世屋高原の関係に重ねると、少し違った深みが出てきますね。
念じるだけでは花は咲かない。 土を耕し、種をまき、水をやり、待つ。 しかも、一人で育てるのではない。農家がいて、企業がいて、田んぼがあり、風土がある。
飯尾醸造さんが長い年月をかけて育ててきたのは、お酢だけではなかった。企業と地域が共に生きる関係そのものだったのかもしれません。
そして、海星公園の20周年。
20年という時間は、花を咲かせるための土づくりだったのか。それとも、まだ種をまき直す必要があるのか。
私は、ここを問い直すことに意味があると思います。
こんな言葉が浮かびました。
念ずれば花開く。 しかし、花を咲かせるのは、土と水と人の営みである。
公園も、NPOも、地域も同じです。
「次の20年をこうしたい」という願いを、誰か一人の熱意に預けてはいけない。願いを共有し、役割を分かち、日々の仕事に落とし込む。そうして初めて、花は開く。
坂村真民さんの言葉が、今の話にふっと現れたのは、偶然ではない気がしますね。










