宮津エコツアー · 世界に天橋立を説明するために、まず天橋立自身に、地下から語ってもらう(^.^) 天の橋立を世界遺産に 282

世界に天橋立を説明するために、まず天橋立自身に、地下から語ってもらう(^.^) 天の橋立を世界遺産に 282

「白砂青松」の地下に何があるのか。

◆ ありがとう、、三つ目 砂礫州としての天の橋立、その州の中央部の、地質調査、ボーリングの記録が見たいです

あります! しかも、天橋立の地下を考えるうえで、かなり重要な資料が見つかりました。

天橋立の砂州を対象にした地質研究に、地表から深さ25メートルまでのボーリング柱状が記載されています。

単に「砂の下は何か」という話ではありません。下から上へ、内湾の泥底から水中の砂州、そして現在の砂州へと、天橋立が成長してきた過程を読み取れる資料です。まず、その記録を見てみましょう。## 1 実際のボーリング記録

資料は、2019年刊行の『水路』第191号、植村善博氏の論文「天橋立砂州の地形と形成過程」です。

2013年度に、橋立明神の横でオールコアボーリングが行われ、地下25mまで掘削しています。採取した地層を連続して観察し、貝化石の同定や放射性炭素年代測定も行っています。

jha.or.jp

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柱状の記録を、地表から順に並べるとこうなります。

天橋立2013年コア・地質柱状

地表からの深度/地層の種類

0〜2m

中砂

現在の砂丘・前浜堆積物

2〜6m

砂礫

強い波浪・沿岸流による砂州堆積物

6〜10m

粗粒〜中粒砂

波浪の影響を受けた水中砂州

10〜18m

細粒砂

貝化石・生物活動の跡が多い水中堆積物

18〜24.5m

シルト混じり細粒砂

水中砂州堆積物

24.5〜25m

青色粘土

貝化石を多く含む内湾の泥底

各層の厚さは記載された深度に対応。色は説明用の模式表示です。

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2 この柱状図が語ること

ここが実に面白い。

地表から下へ読むと、砂州ができていく順序が見えます。

  1. 約4,000年前を上限とする時期:内湾の泥底。まだ現在の砂州の姿はない。
  2. 約1,000〜3,000年前:水中に砂州が発達し、砂が積み重なる。
  3. 約1,000年前以降:波浪や沿岸流の影響を受ける砂州が成長する。
  4. 現在:海浜・砂丘の堆積物が地表を構成する。

つまり、私たちが歩いている砂州は、最初から海面上にあったのではありません。

まず海底に砂州ができ、それが上方へ成長して、やがて海面上に姿を現した。

植村氏は、約6,000年前の海進最盛期には深い湾入部の泥底環境だったとし、その後の海面変化と土砂供給によって海底バーが発達したと考えています。

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3 そして、重要な「空白」があります

実は、2013年度の京都府立大学の研究成果報告には、もう一つ大事な指摘があります。

江尻地区の水田下でもボーリング調査があり、砂の堆積が急速に進んだ時期を推定しています。一方、報告書の模式図には、次の趣旨が明記されています。

「4000から2000年前までの砂州の変化については、天橋立の中部以北でのボーリング調査が必要」

つまり、天橋立の形成史を明らかにするためには、まだ調査が足りない場所があるのです。

kirp.kpu.ac.jp

これは見逃せません。

今回見つけた橋立明神横のコアは貴重ですが、天橋立全体の地下構造を代表する一本ではありません。特に江尻から中央部にかけて、砂礫層がどのようにつながり、どこまで深く続いているかは、別の地点のボーリングで確かめる必要があります。

4 資料を直接見る

私が次に掘り下げたいのは、まさにここです。

天橋立の地下には、砂礫が厚く積み重なっているのか。それとも、古い岩盤や埋没した山地の高まりがあって、その上を砂礫が覆っているのか。

京都府の『天橋立学ぶっく』にも、砂州の地下に「大きな壁」のような高まりがある地質断面図が掲載されています。ただし、そこから岩盤が存在すると確定したわけではありません。

京都府

山田断層、阿蘇海の深さ、天橋立の地下構造。この三つを重ねてみると、安田さんの「山が姿を変えた」という見方を、さらに地質学的に問い直せそうです。

砂州の表面だけでなく、その土台は何なのか。 ここはぜひ、もう一段掘りましょう。(^.^)

◆2 その土台は何なのか!!!

そこです!! 安田さん、ここが天橋立の地質を考える核心です。

調べ直して、まず大事なことが分かりました。

天橋立の土台が岩盤なのか、それとも古い堆積物なのか。現時点では、岩盤だと確認されたわけではありません。

むしろ、資料を突き合わせると、三つの異なる「土台」を区別する必要があります。

1 まず、地下に何があるのか

京都府の『天橋立学ぶっく』には、阿蘇海から天橋立を横切り、宮津湾までの地質断面模式図があります。

天橋立 | 焚き火好きな父とワンパク坊主達の日々雑多

この断面図では、天橋立の部分が海底から急に立ち上がっています。京都府の解説は、これを「大きな壁」のような形と表現し、基礎部分に岩か石がある可能性を推測しています。

京都府

しかし、これは地形断面からの推測です。岩盤を直接掘り当てたという意味ではありません。

2 実際に掘った25メートルの記録

ここで、植村善博氏の2019年の論文が重要になります。

2013年度、橋立明神横で地下25mまでオールコアボーリングを実施しています。

その最下部は、

  • 深度24.5~25m:青色粘土
  • 貝化石を多く含む
  • 内湾の泥底で堆積した海成粘土

でした。

その上に細粒砂、粗粒砂、砂礫、表層の中砂が重なっています。

jha.or.jp

実際に確認された地下25m

地表~2m 中砂

2~6m 砂礫

6~10m 粗粒~中粒砂

10~18m 細粒砂

18~24.5m シルト混じり細粒砂

24.5~25m 青色粘土(内湾の泥底)

論文記載に基づく模式図。色は説明用です。25mより深い地層はこの調査では確認できていません。

ここで注目したいのは、25m掘っても岩盤には到達していないということです。

つまり、このボーリング地点では、砂州の下に内湾の泥底があり、その上に砂州を構成する堆積物が積み重なっていることが確認されたのです。

3 では、あの「大きな壁」は何なのか

京都府レッドデータブックには、さらに興味深い記述があります。

  • 砂州の基部は、宮津湾の水深約20m付近から立ち上がる。
  • 砂州の両側の海底は、際立って急傾斜している。
  • 一般的な砂州で核になることのある最終間氷期の堆積物は、天橋立では確認されていない。

京都府

ここが重要です。

天橋立は、古い岩盤の島が海面上に残り、その周囲に砂が付着しただけの地形ではなさそうです。

植村氏の論文では、約6,000年前には深い湾入部の泥底だった場所に、海面変化に伴って水中砂州が形成され、上方へ成長していったと説明されています。

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4 私が今、立てたい問い

ここからは、まだ仮説です。

天橋立の地下を理解するには、次の三つを分けて調べたい。

問い確認したいこと
地形の土台なぜ水深20mから急に立ち上がるのか
堆積物の土台砂州の下にある海成粘土は、どこまで連続するのか
地質学的な土台さらに深いところに岩盤があるのか、その深さと形はどうか

そして、ここに山田断層が関係してくる可能性があります。ただし、断層が砂州直下の岩盤を隆起させたと結論づける証拠は、今のところ確認できていません。

5 次に必要なのは、中央部の複数地点のボーリング

一本の柱状図だけでは、地下の立体構造は分かりません。

私なら、次の地点を比較したい。

  • 江尻付近:礫浜と砂州北端の地下構造
  • 橋立明神付近:既存の25mコアとの比較
  • 松並木中央部:砂州の幅が広い部分の地下構造
  • 文珠付近:砂州南端の地下構造

特に、橋立明神横の既存コアと、江尻側のコアをつなぐことが大事だと思います。

ここまで来ると、天橋立は単なる砂礫の堆積地ではなくなります。

「どこに、どのような海底があり、そこにどんな堆積物が、どの順番で積み重なったのか」。

それを解き明かすことになります。

安田さん、これは面白いですよ。

天橋立は、山から運ばれた砂礫が海に積もってできた。しかし、その砂礫を受け止めた海底そのものは、どのようにできていたのか。

「山が姿を変えた」という見方を、今度は海底から問い返すことになりますね。(^.^)

◆3 世界遺産を目指すには、この調査は必須条件(^.^)だ!

ははは!(^.^) これは、ぜひ声を大にして言いたいですね。

ただし、少しだけ整理しましょう。

ボーリング調査そのものが、世界遺産登録の必須条件というわけではありません。けれども、天橋立の価値を「地形の成り立ち」から世界に説明するなら、地下構造の解明は極めて重要な調査課題です。

世界遺産を目指すには、美しい景観を示すだけでは足りません。

  • なぜ、ここに砂州が形成されたのか。
  • どのような地質・地形条件が、その形成を可能にしたのか。
  • 山地・河川・海流・湾・砂礫州は、どのようにつながっているのか。
  • その自然の上に、人々はどのような暮らしと文化を築いてきたのか。

これらを、科学的な根拠と歴史資料で説明できることが大切です。

私なら、調査の柱を三つにします

① 地下を掘る

既存の橋立明神横の25mコアを基準に、江尻・中央部・文珠を比較する。必要に応じて、より深いボーリングも検討する。

② 地形をつなぐ

山田断層、山地の地形、河川の土砂供給、阿蘇海と宮津湾の海底地形、沿岸漂砂を一枚の地形図に重ねる。

③ 人の営みを重ねる

松並木の成立と管理、信仰、歌枕、絵画、参詣、舟運、地域の暮らしを、自然の変化と関連づける。

そして、ここが重要です。

世界遺産の評価基準に照らすと、地質学的な価値を主張するのか、文化的景観としての価値を主張するのかで、必要な証拠は違います。地質調査は、どちらの価値を説明する場合にも役立ちますが、それだけで登録価値が証明されるわけではありません。

私が提案したいのは、調査事業に名前をつけることです。

「天橋立地下・地形形成史総合調査」

京都府、大学、地質・地形研究者、文化財関係者が連携して取り組む。

そして、その成果を将来の丹後天橋立ミュージアムの展示・学習に生かす。

海星公園も、現地で地形と自然を読み解く学びの拠点になれる。

これは単なる学術調査ではありません。

世界に天橋立を説明するために、まず天橋立自身に、地下から語ってもらう。

「白砂青松」の地下に何があるのか。

いやあ、世界遺産運動に、また一つ大きな宿題ができましたね!(^.^)

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