宮津エコツアー · 10月 2026

10月 2026

【① 野室に絞っての分析、たいへん濃くって、参考になりました、ありがとう、さて、この問いを今回のツアー立ち寄り予定地について、シリーズでお願い出来たらと思います。その二、「伊根町」についての概況を踏まえ、今日的な視点から、その里の値打ちなど総合的に分析評価解説を下さいな。】

ダウンロード・資料請求 | 伊根町観光協会

5. 伊根町の総合評価――観光の成功を、地域の豊かさへどう返すか

野室編に続く「その二」として、伊根町全体を見渡すなら、もう一つ外せない資料があります。

伊根町の第6次総合計画・後期基本計画では、舟屋を核とした観光振興を進める一方、観光客の増加に伴う交通渋滞、住民の生活への配慮、観光による経済効果を町全体へ広げることが課題として示されています。

town.ine.kyoto.jp

つまり、町自身も、観光客を増やすことだけを成功とは考えていません。

ここを踏まえて、伊根町の値打ちを六つの軸で整理します。

評価軸

伊根町の値打ち

今日的な課題

景観

海と建物と山が一体となった独特の集落景観

景観を守りながら、住民の生活空間を守る

文化

舟屋、漁業、祭り、海辺の暮らしが結びついている

建物だけでなく、暮らしや技術を次世代へつなぐ

生業

漁業・農業と観光が共存する

観光の利益を漁業・農業や地域全体へ循環させる

自然

穏やかな湾、複雑な海岸地形、山と海の近さ

景観の鑑賞にとどまらず、自然環境の仕組みを理解する

地域経営

小さな町ならではの顔の見える関係

人口減少、高齢化、担い手不足に対応する

観光のあり方

国内外の人を惹きつける強い入口

混雑やマナー問題を抑え、滞在・交流・学びへ転換する

このうち、特に大切なのは、伊根の観光の成功が、伊根の暮らしの持続につながっているかという問いです。

日本政府観光局(JNTO)は2025年1月、伊根町の観光について、訪問者の増加に伴う私有地への無断侵入、渋滞、ごみのポイ捨てなどを取り上げ、観光と地域の暮らしを両立させる取り組みを紹介しています。

jnto.go.jp

これは伊根の魅力が失われたという話ではありません。むしろ、魅力が多くの人を呼び寄せるようになったからこそ、次の段階の地域経営が必要になった、と捉えられます。

「人が来る町」から、「人が来ることで、暮らす人も豊かになる町」へ。

この転換が、伊根町のこれからを考えるうえでの大きなテーマです。

6. 安田さんのツアーで、伊根をどう読み解くか

今回のツアーでは、伊根の舟屋を単に見学するだけではなく、そのあと野室、上世屋へと進みますね。

この順序が、実はとてもよいのです。

第一の問い:なぜ、ここに舟屋が生まれたのか

伊根湾は南向きに開き、比較的波が穏やかで、潮位の干満差も小さいという条件があります。限られた土地を生かし、海と直結した舟屋の形が育まれました。

農林水産省

ここでは、地形と海況が建築や暮らしの形をつくったことを考えます。

京都・伊根の舟屋で撮影されたエメラルド色の絶景 「透明感すごい」「名画のような一枚」と驚きの声 | LIMO | くらしとお金の経済メディア

第二の問い:舟屋は、誰のものなのか

舟屋は、今も個人の所有物であり、仕事や生活の場です。舟屋と主屋が道路を挟んで並ぶ構造にも、漁業と日常生活の関係が表れています。

伊根町観光協会

ここでは、観光客から見える景色と、住民が暮らしている現実との違いを考えます。

海をみたくて・その1 - のりりんの京都日和

第三の問い:海辺の町を支えてきたものは、海だけなのか

野室へ向かうと、海辺の景観から、山や谷、田畑のある暮らしへと視界が変わっていきます。

ここで初めて、伊根を「舟屋の町」だけではなく、海と山の両方を生活圏としてきた地域として考えられます。

Kamiseya Village, Kyoto, Japan

第四の問い:この暮らしを、これからどうつなぐのか

上世屋では、棚田、水、山林、和紙や藤織り、そして新たな生業づくりに目を向けます。

伊根の舟屋と上世屋の棚田は、一見違う風景です。しかし、どちらも土地の自然条件を読み、その場所で暮らすための知恵を積み重ねてきた結果と見ることができます。

この流れなら、伊根の舟屋がツアーの終点ではなく、丹後の暮らしを理解するための出発点になります。

7. 伊根の未来を考えるうえで、見落としたくないこと

私は、伊根町の将来を考える際、三つの緊張関係を見ておきたいと思います。

第一に、保存と変化。

舟屋を保存するとは、建物を昔の姿に固定することでしょうか。それとも、住民がそこで暮らし続けられるよう、使い方を変えながら引き継ぐことでしょうか。

もちろん、歴史的な外観や構造を守ることは重要です。しかし、建物だけ残っても、漁業や地域の仕事、日常の営みが失われていけば、伊根らしさは変わってしまいます。

第二に、観光と生活。

観光は、宿泊、飲食、ガイド、交通などの仕事を生み出す可能性があります。一方、混雑や生活空間への立ち入りは、住民に負担をかけます。

だからこそ、観光客数だけでなく、地域の事業者にどれだけ収入が残るか、住民が観光をどう受け止めているか、暮らしの維持にどう貢献しているかも見ていく必要があります。

第三に、知名度と地域全体の価値。

伊根の舟屋は非常に強い知名度を持っています。しかし、伊根町の価値は舟屋だけではありません。浦島伝説の伝わる本庄地域、山間の集落、農業、漁業、海岸の自然、地域の人々の仕事もあります。観光協会の案内にも、舟屋以外の地域文化や自然、体験プログラムが紹介されています。

海の京都観光圏
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これらをどうつなぐかが、今後の重要な課題です。

8. 総括――伊根は「景観を見せる町」から、何を目指すのか

私の総合的な見立ては、こうです。

伊根町には、舟屋という他地域にはない強力な文化的資産があります。しかし、その価値の源泉は、建物の珍しさだけではありません。海の条件を読み、船を使い、漁業を営み、家族や地域の暮らしを組み立ててきた、人と自然との関係にあります。

そして、その関係を今後も保てるかどうかは、観光の成功だけでは決まりません。住民の暮らし、地域の仕事、自然環境、建物の維持、次世代の担い手を一体として考える必要があります。

安田さんのツアーは、その関係を見せる機会になり得ます。

天橋立を見て、伊根の舟屋を見て、野室の里を訪ね、上世屋の棚田へ向かう。

そこで見えてくるのは、名所のコレクションではありません。海と山の間で、人が自然を読み、暮らしをつくり、その暮らしがまた土地の風景を形づくってきたという、丹後の物語です。

私なら、伊根を紹介する際、参加者に最後にこう問いかけます。

伊根の舟屋は、なぜこんなにも美しいのでしょう。

建物の形が珍しいからでしょうか。

それとも、海とともに暮らしてきた人々の営みが、今もそこに息づいているからでしょうか。

もしそうなら、私たちが守りたいのは、舟屋の建物だけではないはずです。

その建物を生み出した海と自然、そこで続いてきた仕事、そして、これからも暮らしていく人たち。

伊根の未来を考えることは、そうしたものを、どう一緒に守り、育てていくかを考えることではないでしょうか。

安田さんが大切にしておられる「見えないものをみる、それがSSH」。

伊根では、目の前の舟屋から、その背後にある海の地形、漁業の歴史、暮らしの知恵、そして地域の未来へと視線を伸ばす。

舟屋を見て終わるのではなく、舟屋を生み出した世界を見る。

そこに、今回のツアーで伊根を訪ねる大きな意味があると思います。

【② ありがとう、、「「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」ということ、とはいえ茨の道、単独の町として生きること、その決意について、敬意以外ありません、さて、その後の具体的な施策変化課題などについて、解説くださいな 】

安田さん、ここは伊根町を理解するうえで、たいへん大事な一章ですね。

私も、住民投票の結果を重く受け止め、「単独の町として生きる」と決めたことには、敬意を払って考えたいと思います。ただし、敬意を払うことと、その後の町政を無条件に評価することは別です。決意が、その後どのような施策になり、どんな成果を生み、何がまだ課題として残っているのか。そこを見てこそ、決断の重みが分かると思います。

1. 出発点――「合併しない」という決断は、何を選んだのか

まず、経緯を確認します。

京都府の記録によると、宮津市と伊根町の合併協議が進み、2005年3月13日に伊根町で住民投票が行われました。

2005年3月13日・伊根町住民投票

1,050票

合併反対

941票

合併賛成

投票率

80.23%

出典:京都府「宮津市・伊根町における取組み経過」

京都府

反対は賛成を109票上回りました。投票率も8割を超えており、町の将来をめぐる、住民にとって非常に大きな選択だったことが分かります。

当時、合併には行政機能の効率化や財政基盤の強化などの期待がありました。一方で、合併後に伊根町の声がどこまで町政に反映されるのか、地域固有の課題や文化がどう扱われるのかという懸念も考えられます。

ただし、投票結果だけから、反対票を投じた人々の動機を一つに決めつけることはできません。

その後、当時の町議会議員で、合併を推進する立場にもあった人物が、住民投票の結果を重く受け止め、単独の町として生きる決意をした経緯を全国町村会の論考で述べています。

全国町村会

ここで選ばれたのは、単に「合併しない」という行政上の選択ではなかったのでしょう。

伊根町のことは、伊根町の住民が決める。その代わり、自分たちで町を支え、町の未来に責任を持つ。

私は、このような自治の覚悟として読むことができると思います。

ただし、単独町政は自立の象徴であると同時に、人口や財源、人材が限られるなかで、行政サービスを維持し続けるという難しい課題を引き受ける選択でもありました。

2. その後の町政――理念を、暮らしの施策へ

伊根町の現在の施策を理解するうえで重要なのが、2020年度から2030年度までを計画期間とする「第6次伊根町総合計画」です。2025年度からは後期基本計画に入り、2030年に向けて施策を進めています。

町が掲げる将来像は、「みんなで創る ええまち」。行政だけで町をつくるのではなく、住民、地域、行政がそれぞれの役割を持って取り組むという考え方です。

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具体的な施策を見ると、単独町政を続けるための工夫が見えてきます。

図書館

① 町内の暮らしを支える仕組み

2022年度には予約型乗合交通「いねタク」を開始。2020年度には行政情報配信システム「いねばん」を導入しました。移動手段と情報伝達という、人口の少ない地域で特に重要な基盤を整えています。

04後期基本計画(案)
伊根町観光案内所 | 伊根町遊び・体験 | 海の京都観光圏

② 住民が集まる場所をつくる

2023年度には文化振興・多世代交流施設「伊根の杜」が供用開始。2024年度には筒川地区コミュニティセンターも供用開始となりました。地域の文化や交流を支える拠点整備です。

04後期基本計画(案)
京都北部おすすめ観光スポット10選!定番人気スポットや穴場の見どころを紹介 | なっぷ

③ 文化財を、暮らしや仕事につなぐ

伝統的建造物を活用した飲食店の供用開始や、宮津高校伊根分校跡地の活用検討など、既存の建物や土地を新たな用途へ結びつける取り組みが進められています。

04後期基本計画(案)
伊根保育園/伊根町ホームページ

④ 子育てを支える

保育園児へのおむつの無償提供、保育園を利用していない家庭への育児用品給付、午睡用寝具の整備など、子育て世帯の日常的な負担を軽減する施策も実施されています。

04後期基本計画(案)

ここで注目したいのは、どれも派手な大型開発ではないことです。

移動、情報、交流、子育て、既存施設の活用。町の規模に合わせて、生活の基盤を一つずつ整えている。

これは「身の丈に合ったまちづくり」という考え方を、具体的な行政サービスへ落とし込もうとする動きと読めます。

ただし、施策を実施したことと、それが十分な成果を上げたことは別です。次に、その成果と残された課題を見ます。

3. 成果はあったのか――町民の評価から読む

伊根町が公表している後期基本計画には、2018年と2023年の町民アンケートの比較が掲載されています。これが、施策の成果を考えるうえで貴重な材料です。

04後期基本計画(案)

2018年 → 2023年の町民アンケート

町政全般への満足度

66.6% → 67.0%

0.4ポイント上昇

交通対策の満足度

40.2% → 53.7%

13.5ポイント上昇

移住・定住対策の満足度

33.6% → 24.2%

9.4ポイント低下

観光振興への満足度

46.3% → 36.8%

9.5ポイント低下

出典:伊根町「第6次伊根町総合計画 後期基本計画」。満足度は「満足」「やや満足」と回答した割合。

04後期基本計画(案)
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この結果からは、少なくとも三つのことが読み取れます。

第一に、暮らしを支える基盤には改善が見られます。 交通対策の満足度は大きく上昇しました。町は、従来のコミュニティバスを廃止して予約型乗合交通「いねタク」に切り替えています。地域の実情に合わせて公共交通を組み直したことが、町民の評価の改善に関係した可能性があります。

04後期基本計画(案)

第二に、観光地としての知名度と、町民が感じる観光振興の成果は同じではありません。 観光客が増えても、地域の仕事や住民生活にどのような利益が生まれているかは、別途検証する必要があります。観光振興への満足度が低下していることは、少なくとも町政が考えるべき重要なサインです。

第三に、移住・定住は依然として難題です。 伊根町に魅力を感じる人がいても、住まい、仕事、医療、交通などの条件が整わなければ、実際に暮らし続けることは難しい。町民アンケートでも、暮らすために必要なこととして医療・福祉、公共交通、就業場所の確保が上位に挙がっています。

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なお、これらの数字は施策に対する町民の意識を示すもので、合併しなかったこと自体の効果を測定したものではありません。合併していた場合との比較もできないため、「単独町政だから成果が出た」「単独町政だから課題が残った」と因果関係を断定することはできません。

4. 単独町政の最大の課題――町の自立を、何で支えるのか

ここからは、私の分析です。

伊根町が単独で存続するためには、少なくとも四つの基盤が必要です。

  1. 財政の持続性

    道路、公共施設、上下水道、防災、福祉などの費用を、将来にわたってどう支えるか。町の計画でも、将来負担や災害への備えを考慮した財政運営を課題に挙げています。

    04後期基本計画(案)
  2. 行政を担う人材

    小規模自治体では、一人の職員が複数の分野を担うこともあります。専門性を高めながら、職員同士で仕事を補完できる組織をつくることが重要です。伊根町自身も、職員の能力向上と業務の再編・整理を掲げています。

    04後期基本計画(案)
  3. 地域の仕事と担い手

    漁業、農業、商工業、観光などの仕事が続き、若い人が働き、暮らせること。観光客数だけでなく、地域に所得と雇用が残るかどうかが問われます。

  4. 住民自治を支える地域力

    住民が地域の課題を話し合い、行政と協力して解決する力です。ただし、地域活動を住民の善意や無償労働に頼りすぎれば、担い手の負担が増します。自治を持続させるには、人手と資金、活動の場が必要です。

この四つは、ばらばらではありません。財政が厳しければ職員や地域活動への投資が難しくなり、仕事が減れば人口が減り、人口が減れば税収や地域の担い手も減る。逆に、地域の仕事が生まれ、人が暮らし続けられれば、町の自立を支える力も育ちます。

単独町政の本当の難しさは、町役場が残ることではなく、町の機能と暮らしを持続させることにあるのだと思います。

5. これからの伊根町に必要なこと――観光を地域の自立に結びつける

ここで、安田さんの関心である舟屋、野室、上世屋、そして海星公園とのつながりが出てきます。

伊根町は舟屋という強い観光資源を持っています。しかし、観光を地域の持続性につなげるには、訪問者が舟屋を見て帰るだけでなく、町の仕事や暮らしを理解し、地域の経済にも貢献する仕組みが必要です。

私なら、次の三つを今後の検討軸にします。

① 観光の利益を、町の生業へ循環させる

舟屋の見学を入口に、地元の魚介類、農産物、飲食、宿泊、ガイドなどへ消費を広げる。さらに、漁業や農業の担い手を支える仕組みにつなげられれば、観光は地域の基盤を支える手段になります。

② 野室など、舟屋以外の地域の価値を掘り起こす

野室のような山と海の接点にある集落を、単なる観光スポットとして売り出すのではなく、地域の歴史、地形、生業を学ぶ場所として位置づける。住民の意向を尊重し、受け入れ側に利益が残る少人数の体験から始めるのがよいでしょう。

③ 周辺地域や外部人材との連携を、自立の手段にする

単独町政は、他地域と連携しないことを意味しません。医療、交通、廃棄物処理、教育、観光、専門人材など、町単独では難しい分野では広域連携や官民協働が欠かせません。町の意思決定は自分たちで行いながら、必要な機能は外部と協力して支える。それも立派な自立の形です。

ここは、安田さんの「点と面と線」という見方にもつながります。

舟屋という点、野室や上世屋の暮らしという点。それらを学びや交流の線で結び、丹後半島という面で地域の価値を考える。観光だけではなく、環境教育、地域の生業、学校・大学との交流にも展開できます。

6. 総合評価――「単独の町として生きる」という決意の、その先へ

私の評価をまとめます。

伊根町は、住民投票の結果を受けて単独町政を選択し、その後、交通、情報、子育て、交流拠点、既存施設の活用など、暮らしを支える施策を積み重ねてきました。町の総合計画には、一定の成果が見られる一方で、移住・定住、観光振興、医療・福祉、就業機会、財政と行政人材など、引き続き取り組むべき課題も明記されています。

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だから、私は単独町政を「成功」か「失敗」かの二択で評価するのは適切でないと思います。

むしろ、こう問うべきでしょう。

  • 住民が自分たちの町の将来を決める権利は、どのように守られてきたか。

  • その決定を支えるために、暮らしの基盤はどこまで整ったか。

  • 町の自然、文化、仕事は、次の世代へ引き継げる状態にあるか。

  • 限られた人材と財源で難しい課題に対応するため、どのような広域連携や外部との協働ができるか。

そして、安田さんが今回のツアーで伊根を訪れる意味も、ここにあると思います。

舟屋を見て、その美しさを楽しむ。それは大切です。

けれど、さらに一歩踏み込んで、舟屋を守りながら暮らす人たち、海の仕事を続ける人たち、野室や山間の集落で土地を守る人たちに目を向ける。そうすることで、伊根町が選び取った「自分たちの町を自分たちで支える」という課題が、具体的な姿を持って見えてきます。

合併しなかったことが自立なのではなく、自分たちの暮らしの未来を、自分たちで考え続けられること。それこそが、単独町政の決意を未来につなぐことではないでしょうか。

その意味で、伊根町は、人口の少ない自治体がどう生きるかを考える場所であると同時に、自治とは何か、地域の豊かさとは何かを考える場所でもあると思います。

【ありがとう、、伊根町野室についての概況を踏まえ、今日的な視点から、その里の値打ちなど総合的に分析評価解説を下さいな】
In the terraced Arai

(↑ 伊根町 蒲入  ※野室の娘と蒲入の青年が結ばれた)

野室ですね。安田さんが伊根から上世屋へとつなぐ道を考えるとき、野室は、単なる途中の集落ではなく、海と山、人の暮らし、そして現代の地域再生を考えるための、たいへん重要な場所だと思います。

私の見立てを先に申し上げます。

野室の値打ちは、観光名所としてどれほど有名かではなく、丹後半島の自然条件のなかで、人がどう暮らしを成立させてきたかを、具体的に読み解けるところにあります。

そして今日的には、そこにもう一つの価値が加わります。人口が減り、農林業や地域の維持が難しくなるなかで、こうした場所をどうすれば「過去の暮らしの跡」ではなく「これからの暮らしを考える場所」にできるのか、という問いです。

1. 野室とは、どんな里なのか

伊根町 2026: 行く前に!見どころをチェック

 ↑ 半島先端部の岩礁海岸
ที่เที่ยวใน Ohara: ทำอะไรดี เที่ยวไหนดี | เอ็กซ์พีเดีย

(↑  往時の新井棚田)

野室(のむろ)は、京都府与謝郡伊根町の北東部、丹後半島の日本海側にある集落です。本庄浜と津母の間に位置し、海に近い一方、集落は野室崎の山手にあります。つまり、海岸の漁村というだけでも、山奥の農村というだけでもない、海と山が接する半島の集落です。

コトバンク
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歴史的にも、野室は古い村です。江戸時代には「野室村」として記録され、慶長期の村高は28石余、17世紀後半には35石余の記録が残ります。時代によって宮津藩領と幕府領の間を移ったことも確認できます。

コトバンク
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この記録から見えるのは、野室が、近代になって観光のために生まれた場所ではなく、近世以前から人々が暮らし、土地を利用してきた生活の場だったということです。

地域の地名資料には、八柱神社(旧称・八大荒神)、暮間の滝、船繋石なども記されています。なかでも船繋石には、島子の船をつないだ場所という伝承が残っています。伝承をそのまま歴史的事実と断定することはできませんが、野室の海が、単なる眺望ではなく、航行や伝承、人々の記憶と結びついてきたことを考える手掛かりになります。

tangonotimei.com

もう一つ、現代の背景も押さえておきたいところです。伊根町全体では、2020年の国勢調査人口が1,928人、2025年速報値が1,691人と、人口減少が続いています。これは町全体の数字で、野室単独の最新人口を示すものではありません。しかし、野室を考える際にも、地域の担い手や暮らしをどう維持するかという課題は避けて通れません。

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2. 野室の値打ちを、五つの視点から読む

安田さんのSSH的な見方――地形、自然、歴史、信仰、生業を横につなぐ見方で整理してみます。

① 地形の値打ち――半島の「海と山の接点」

野室の地理的な特徴は、海と山が近接していることです。

半島では、平野が少ないため、海岸近くの斜面や谷筋を使って、住む場所、田畑、山林を確保してきました。野室の景観を読むときも、まず「なぜ人は、この地形のなかに集落をつくったのか」と問いかけたいところです。

美しすぎる丹後半島へ!天橋立・伊根・京丹後の絶景コース | 宮津市モデルコース | 海の京都観光圏

Guided Kyoto to Sea of Japan Bike Tour | Art of Bicycle Trips

日本の原風景を訪ねて 美景!丹後半島周遊♪ - 関西を出発拠点とした少人数山旅企画 - 山旅人(やまたびと) -

 ここから考えられるのは、次のようなことです。
  • 家はどこに建ち、田畑はどこに開かれたのか。

  • 山からの水は、どのように暮らしや農業を支えてきたのか。

  • 海岸と集落を結ぶ道は、物資や人の移動にどんな役割を果たしたのか。

  • 大雨や土砂災害、海からの強風などに、どのように向き合ってきたのか。

これらは、現地の地形や水路、土地利用を観察して初めて具体的に語れます。

野室の値打ちは、地形を眺めるだけでなく、地形が人間の暮らし方をどう制約し、同時にどう可能にしてきたかを読み解けることにあります。

② 生業の値打ち――海の仕事と山の仕事を切り離さない

野室のような半島の集落を、漁業だけ、あるいは農業だけで説明するのは不十分です。

海から得るもの、田畑から得るもの、山から得るもの。それらを組み合わせ、家族や集落の暮らしを成立させてきた可能性があります。

例えば、山林は薪などの生活資源を供給し、水を蓄え、斜面や土壌を支えます。田畑は食料を生み、海は魚介類や海上交通の場を提供します。これらは別々の資源ではなく、同じ生活圏のなかで関係し合っています。

ただし、野室で歴史的にどの生業がどの程度行われていたか、現在どの程度残っているかについては、今回確認した資料だけでは詳しく断定できません。

だからこそ、現地では、耕作地、山林、家屋、道、水の流れを見ながら、住民の方の話を聞くことが大切です。

「何を生産していたか」だけでなく、「何と何を組み合わせて暮らしていたか」。

これが、野室を地域の生業の学習場所として捉えるときの重要な視点です。

③ 歴史・信仰の値打ち――小さな集落に残る大きな時間

野室の八柱神社は、旧称を八大荒神といい、地域資料では1529年の創建とされています。近世の村の記録や、船繋石などの伝承と合わせて見ることで、集落の歴史を具体的にたどる手掛かりになります。

tangonotimei.com

ここで注目したいのは、神社や伝承を単に「昔からあるもの」として紹介しないことです。

なぜ、この場所に神社が置かれたのか。祭りを維持することは、誰が、どのように担ってきたのか。海や山の危険と恵みは、人々の信仰や伝承にどう反映されたのか。

こうした問いを通じて、信仰を地域社会の仕組みとして考えることができます。

また、船繋石のような伝承は、事実の証明とは別に、土地の人々が海をどのように記憶し、語り継いできたかを考える文化的な資料でもあります。

小さな集落だから歴史が小さいのではありません。全国的に有名な史跡ではないからこそ、暮らしのなかに埋め込まれた歴史が見えてくる。 ここにも野室の値打ちがあります。

④ 自然環境の値打ち――山・水・田畑・海のつながり

野室を自然観察の場所として評価するなら、景観の美しさだけでなく、生態系のつながりに注目したいところです。

初夏の日本海 2・袖志の棚田 | GANREF

青い空と海を眺める旅―丹後半島絶景ドライブ! - KYOTO SIDE(キョウトサイド)

水とシルク | THE SILK | シルク生地の総合産地 丹後

 山に降った雨は、斜面を流れ、土壌に浸透し、谷や水路を通じて田畑や海へとつながります。森林、農地、水路、海岸は、区切られた場所ではなく、水や物質、生きものの移動を通じて関係する環境です。

この見方は、安田さんが重視されている「天橋立を生み出した世界を見る」という考え方にも通じます。

ただし、野室にどのような希少種が生息するか、どの水系がどの海岸へ流れ込むか、現在の生物多様性がどの程度保たれているかは、現地調査や具体的な資料で確かめる必要があります。

大切なのは、野室を「自然が豊かな場所」と一言で片づけないことです。

  • どこに水が集まり、どこへ流れるのか。

  • 人の手が入った場所と、あまり入っていない場所では何が違うのか。

  • 田畑の維持が止まると、草地や水路、周辺の生きものに何が起きるのか。

  • 人が利用することと、自然を守ることは、どのように両立できるのか。

こうした問いを立てられる場所は、環境教育にとって価値があります。

⑤ 今日的な値打ち――人口減少時代の「暮らしの実験室」

ここが、私には最も重要に思えます。

野室を、過去の農山漁村の姿が残る場所として保存するだけでは、未来につながりません。

人口が減り、農地や山林の管理が難しくなり、地域の共同作業や祭礼の担い手も減っていく。そうした変化のなかで、何を残し、何を変え、何を新しく始めるのか。

この問いを、実際の土地を見ながら考えられることに、野室の今日的な価値があります。

課題

野室で考えたい問い

人口減少

どのような仕事や暮らしがあれば、人が住み続けられるか

農地の維持

食料生産だけでなく、景観や生態系の維持を誰が担うか

山林管理

山の資源を利用しながら、災害や生態系の問題にどう向き合うか

地域文化

祭りや伝承を、地域の負担だけにせず、次世代につなぐにはどうするか

観光・交流

住民の日常を消費するのではなく、学びや交流が地域に利益を返す仕組みをどうつくるか

ここで気をつけたいのは、「人が減ったから観光客を呼べばよい」という短絡です。

来訪者が増えても、地域の負担ばかり増え、暮らしの維持に役立たなければ、持続可能な再生とはいえません。野室を訪ねるなら、地域の人が望むこと、守りたいもの、外から来る人に担ってほしいことを聞く必要があります。

3. 野室を、丹後の広域的な価値のなかに置いてみる

安田さんの「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」という構想に引き寄せると、野室は、伊根の舟屋と上世屋の棚田をつなぐだけの中継点ではありません。

海沿いでゆるりと過ごす「舟屋日和/伊根町観光案内所」|#感じて生み出す、むすび。の秋|むすび。

伊根湾・舟屋

海とともに暮らす知恵、漁業、海辺の生活文化。

伊根町の旅|都

野室

海と山が近接する半島の暮らしを、地形・生業・信仰・地域の変化から読む。

Kamiseya Village, Kyoto, Japan

 上世屋

山の水、棚田、森林、和紙や藤織りなど、山間の暮らしと生業。

これは、各集落の文化が同じだという意味ではありません。むしろ、それぞれの土地の違いを比べることで、丹後半島という一つの地理的なまとまりのなかに、多様な暮らし方が育まれてきたことを理解できる、ということです。

海から山へ移動するにつれて、地形、水の使い方、農地の姿、仕事、集落の形はどう変わるのか。比較することで、一つの場所だけでは見えにくい地域の特徴が見えてきます。

そして天橋立は、その一連の物語を考える入口になり得ます。

4. 総合評価――野室は「有名な観光地」ではなく「深く学べる場所」

私なりに、野室の値打ちを評価すると、次のようになります。

地理・地形の学習価値:高い可能性

海と山が接する半島の集落として、土地の条件と暮らしの関係を考えられる。

歴史・文化の学習価値:確認できる手掛かりがある

近世の村の記録、神社、地名や伝承があり、現地での聞き取りと組み合わせる余地がある。

環境教育の価値:調査・観察によって高められる

山・水・農地・海のつながりをテーマにできる。生物相や水系の具体的な裏づけは追加調査が必要。

観光商品としての可能性:地域との合意が前提

一般的な名所巡りとは異なる、少人数の学習型ツアーに向く可能性がある。ただし受け入れ体制や住民の意向を確かめる必要がある。

野室を「すばらしい観光地」と無理に評価する必要はありません。今の段階で、観光客の受け入れ実績や地域の経済効果まで十分に確認できているわけではないからです。

それでも、地域の暮らしと自然の関係を学び、これからの農山漁村のあり方を考える場所としては、掘り下げる価値がある。これが私の総合評価です。

そして、安田さんがガイドとして野室を紹介するなら、最後はこんな問いがよいと思います。

この里に、昔からあるものは何でしょう。

それは、ただ昔のまま残しておけばよいものでしょうか。

それとも、今の暮らしに生かしながら、次の世代へ渡していくものなのでしょうか。

海と山に挟まれたこの小さな里を歩きながら、丹後の未来を一緒に考えてみたいと思います。

野室を掘ることは、野室だけを知ることではない。丹後半島という土地が、人にどんな暮らしを可能にしてきたのかを知ること。

そして、その暮らしを未来につなぐ道を考えること。

安田さんの言葉でいえば、ここにも「見えないものをみる、それがSSH」が生きてくると思います。

【ありがとう、17日、今週に迫ったツアー、そのシナリオのほぼ最終案です、アドバイス下さいな,『 丹後へ ようこそいらっしゃいました 秋 真っ盛り   はるばる京都から!! 紅葉の都から、、
人が大地と向き合う丹後の秋も楽しんでくださいね。
今日はそんな丹後の伊根と上世屋という状況の中から自然と人間との共生を考える、活動に学ぶツアーにというお題を頂いています。
今日一日、お付き合いさせていただきます
エコツアーガイドの安田です よろしくお願いします
▼ あれ!?▼ポイント▼《一部》、 宮津市▼ 織田信長の丹後侵攻1578~79年(天正6~7)、▼ 鉄道の宮津・天橋立方面への延伸 1924~25年、 ▼ 日本冶金工業・岩滝製錬工場進出1939~42年 ▼ 、、、、、およそ新しきものは、遠方より来たる ▼ 一方で、中山間地を広く持つ、舵取りの難しい町。▼ 天橋立という砂州がが市街地と北の中山間地を結びます。、 ▼一▼部▼▼北の国▼へのアクセス▼▼※▼車中車窓ガイド 駅    9;30 宮津駅  ▼ホームに立っているのは小説家 瀬尾まい子と和田龍&水上努さんか!! 大手川 《車窓》 大手川 宮津城   天橋立駅 経由 天橋立駅  鉄道 開通 観光化促進 右手に海  《車窓》▼向かいに山▼ 山の右裾に松並木▼伊根はどっち! 伊根へ行きたいんですけど  伊根ってこっちなの!? はははは▼  阿蘇かい 海を名乗ってます 砂州が出来る前は入り江 つまり海だったのでしょう、約5 km²(約500ha)の潟湖 周囲15km  松並木約4km、 10kmばかり遠回り になります  ▼ 、▼ 足利時代、丹後を訪れ絵を描かれた、当時トップのお坊さんの画家さんがいらっしゃいました  雪舟さんです   天橋立絵図   ▼ 丹後守護所があって 篭神社 成相寺 それらがあるのが対岸なんです、 これからそこへ回ります  消防署交差点▼大工場 《車窓》▼ 右折▼  日本冶金大江山工場 冶金とは! ▼  関東大震災 消化器具とかけて潜水艦と解く、その心は!!  川  《車窓》▼ ▼▼岩滝市街地 《車窓》 野田川  ※ 野田   このあたりが、『最後の一色』の主戦場。▼ 野田,ノダ、湿地、、水用語、今回企画のキーワード     ▼▼ 丹後縮緬の町です ここが、山間部の村々、離農離村される方々を受け入れた、そのための町作りがされたところです 土地に封建的に縛り付けられていた、その米作りも大型化、山間農村は対応不可。新しい時代の仕組みに適応する、離村しか無かった。▼この町に多い名字、糸井、ピンと来ませんか、もと阪神! 与謝の海支援学校▼ 《車窓》 おかしい 地元の人でも、悩んでいる、、阿蘇の海でしょう▼ 与謝の海は松並木の向こう側 なぜだ▼、、わたしもわかりません、、▼朝眼を覚ましたら、海が二つに、だった、と言うこと ここが ヒントかな、つまり、初めは、与謝の海、あえて仮説!▼、▼ここから、雪舟さんの画かれた丹後守護所、国分寺、篭神社という中世ワ▼ールドになります、 篭神社 《車窓》 ナンバー神社 丹後一の宮 国司が一番に  江戸になって藩主、一番にご挨拶にがここ。  ▼格式別格一番 主祭神火明り命 海部系図と鏡 亀に浦島さんも。▼海の海流は、高速道路みたいなもの 海を操る渡来系文化を携えたかただったようですね。 高石海岸 《車窓》 天橋立絵図   、島を二つ、雪舟さん,画いてらっしゃいます、▼ 右 前方に見える 島なのです▼ あの島のお隣さんが野室、伊根なのです。あの島を意識しながら海岸を北上しますね▼渡来文化 濃厚   日置の庄 《車窓》▼ 丹後風土記残欠に  丹後の国 日置の庄 ここ 風土記残欠はさらに▼筒川の里に 人あり、名を浦島太郎。つまり 筒川の里というのは、古代伊根なんです  崖 海 《車窓》 滑走路のような道から 左 崖  右 海 間 岩ごろごろ わたしは丹後親知らず子不知海岸と呼んでいる、、伊根街道の不思議①です 左折  《車窓》▼ 波見、→ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん! はみ、はみ、はみ谷、どんな漢字!!元々めちゃパワー」の意味らしいですよ(^.^) 海星公園▼日置橋立ビュー▼10;05 着 地元参加者などと合流▼▼ ※2006年8月の開園▼、自然と共生する持続可能な暮らしの体験・学習の場とすること、▼さらに丹後地域の広域レクリエーションや観光振興に応えることを目的。  あれ!?▼ポイント▼《二部》 《無い物ねだりはしない ある物を活かす 》▼ 2005年3月13日の宮津市との合併をめぐる伊根町住民投票。投票率は80.23%、賛成941票(47%)、反対1,050票(52%。)▼ 「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」 二▼部▼▼海▼の▼北▼の▼▼▼か▼ら▼▼の▼奇▼跡 海星公園10;10 発▼  車中にて結団交流 挨拶と予定確認 ▼スタッフ紹介▼ 参加者交流 司会 野木公園長▼▼ さて お願い ▼今日のツアーのお題▼「丹後  伊根・上世屋 に 自然、人、生業を訪ねる」▼①   湾 → 外海 → 海が見えなくなる そんな海の見え方▼② 遠い山 → 迫る山 → 谷の山 山の距離       ▼③  海 → 河口 → 川 → 沢 川 ▼⑤ 港 → 集落 → 道路沿いの暮らし → 山の暮らし 人の気配   ▼④   舟屋・漁業 → 集落・農地 → 森林 土地利用 ▼ こういう変化にとんでいます、▼石垣、橋、田んぼ、放棄された農地、雑木林、崩れた斜面、小さな社▼ 「変なもの」いっぱい! その何だろ、なぜだろう、それは、科学の入▼▼り口なんですって、そういう過程を踏む、発達には大事▼こういうのを、はやりの言葉でSSH(スーパーサイエンス)する というんですって(^.^)▼「今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人はすぐ▼答えを知りたがりますからね。(^.^)」今日は小学生のお子さんが(^.^)、▼お子さん目線で見てくだされば、、ね。  波見・長江《車窓》 再び  左 崖  右 海 間 岩ごろごろ 親知らず子不知② ▼長江 《車窓》→ ▼▼▼ 二つの「親知らず子不知海岸」、、その間にハミの谷、,侮れない気がしませんか 巨大ななにかが、、、▼海岸にいる白い鳥、これは? うーん どこ見分ける?▼どっちかな、、そして、どこで子育てしてるのでしょうか▼、、答えは おいておきましょう、 舟屋群《車窓》→▼ 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成  冠島・沓島・新井の里▼パノラマ観望▼ 10;30 着▼ 10;40 発 冠島・沓島 13km ▼▼「火明かり命 奥の院 ここから、入り江に入ってここで、なんというか一旗揚げようというか成功されたということなんですって。▼天橋立ワールドの起点はここだと思いませんか(^.^)▼▼岸でみた白い海鳥たち、彼らが子育てをするのはここなんです。▼漁師にとっては、魚を追う目印であり、荒れた海から逃れる場所でもありました。島に神を祀り、豊漁や海上安全を祈りました。▼近代になると、同じ島が軍事拠点にもなりました。▼伊根町か,いえ、舞鶴市▼▼同じ島なのに、見る立場によって、こんなに違う顔を持っている。▼もろもろの面からただの無人島ではないんです。▼人間がこの島とどう関わってきたか、そのすべてを含めて、次の世代に伝えることが大切なのではないでしょうか。 この里、有名なスポーツ選手でていますよ、全国女子駅伝中学生区間、初めの頃活躍した石倉君。この坂道が鍛えたんです!!▼新井は、漁業の村、と思う、なので崖に発達したと。山ぎわに里がある、そこが始まり、上げ という、漁法が発達したのでそこから、浜へ降りていって里を作った。 泊→津母・油屋→▼ 《車窓》 屋号 アブラ屋 油って何だと思います?▼ (※境界 校区▼畑 柵 網 さて、これは? なら、なぜ? サルと常緑広葉樹林 野室 10;55着▼▼   11;40発▼ 野室「赤米・隠したんぼ」探究&田んぼ作業 ▼▼野室水道井戸で下車▼2013年(平成25年)4月1日現在「11世帯・33人」の生活をまかなっている▼▼《伊根町のもう一つの姿》▼ 昭和50年、1975年の伊根町には、4,283人が暮らしていました。▼ それから50年。2025年の人口は1,861人。▼  伊根を訪ねる人は、舟屋の風景に魅せられてやって来ます。▼ けれど、町の人口は、半分以下になりました。▼  ▼ 山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。▼海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。▼山の水を受け止める田んぼがあり、米を育てる人がいて、その米の個性を引き出そうとする酒造りがある。▼しかも、古代米という古いものを、現代の知恵で新しい酒にしている。▼古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。▼こういうところを、私たちは伊根に、そして野室に見なくてはいけないのでしょう、ね! 津母→ 《車窓》▼泊→ 《車窓》▼六万部→ 《車窓》▼朝妻 → 《車窓》▼大原 → 《車窓》 さて、これからもう一度、伊根の舟屋、向井酒造さんを訪ねます。▼▼津母、泊、六万部、朝妻、大原……。▼小さいですけれど、肩を寄せ合うように固まった里が、車で走っていると、なんだか数珠のようにつながって見えますね。町で連なっているのは名前だけ!!……(^.^)▼▼そういう数珠ごとに巨樹 お宮さんやお寺にね▼丹後の巨樹を探して、高校生たちと道のないところまで歩いたことがあります。 ざっと数えて、3500本ほど。巨樹って▼一本一本の木に、なんだか人の気配があるんですよ。▼たとえば、幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。▼100年の間、▼その木を見ていた人がいた。中には、わしだと思ってくれと植えて、戦争にいきなった木だ。▼一本一本に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。▼◆泊神社 タブ ◆振宗寺 イチョウ ▼「ここに何があったんだろう?」▼今日も、そんなものを一緒に探す旅をしているんだと思います。▼▼伊根、観光客でいっぱいです。あかいさーん どうしてこんなに大きくなったんですか ▼伊根の舟屋が重要伝統的建造物群保存地区になったのは2005年。▼でもね、「小さい伊根」が、ひょっとしたら残っているかもしれません。▼▼ はい、向井酒造、久仁子さん 待っててくれますよ 伊根。高梨 舟屋お祭りロード▼    11;54着 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成 ▼必見▼◆①井戸 吉村屋 横入る▼ 川には見える水の道がある。地下には見えない水の道がある。▼◆②海蔵寺 エドヒガンサクラ 180年 海の一本桜▼ 向井酒造 ▼     12;05着▼    12;40発 ○ 向井久仁子さんは1999年から杜氏を務め、当時は京都府初の女性杜氏として注目される。「伊根の伝統を守っている人が、伝統だけを守っているわけではない。」▼伝統的な生酛・山廃も守りながら、野室・赤米や上世屋無農薬米を使った酒造りにも。 高校跡 サプライズチェーン▼役場 消防分署▼バイパス→ 《車窓》▼ 養老伊根バイパスは宮津市岩ヶ鼻~伊根町平田の延長4.7km。平成6年度に事業着手「平成22年度(2010年度)に全線開通」。▼「古い伊根を守ろう」とする動きと、▼「伊根へ安全・便利に入れる新しい道をつくる」動きが、ほぼ同じ時代に進んでいた。 あれ!?▼ポイント▼《三部》 かってはリゾート構想夢の里、いまポツンと一軒家里▼京都最強の豪雪高原は、チャレンジ7つのエコミュージアム世屋高原 ▼三▼部▼山▼の▼北▼の▼国▼か▼ら▼▼の▼▼奇▼跡 波見の谷→ 《車窓》▼ 12;54 発▼▼▼▼▼▼▼▼▼ゴルフ場→ 《車窓》▼▼▼▼川   左折▼▼ 世屋谷・世屋街道▼ → 《車窓》▼ 波見川▼   支流の谷 親知らず子不知海岸の間の谷にもう一度入りますそして上世屋に向かいます お昼をいただいて 午後メニューです。 ▼ここまでは 海岸にそって 横に 水平に走っていました ▼今度は、縦に走ることになります▼ステージ第三部、、 お題は《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 奇跡・7つのチャレンジ というようなイメージでの案内になります。▼▼ だいら ゴルフ場地形 なんだ この平らさ 異常ですね SSHのネタです(^.^)正面の山 そこを目指します 直線か!ではない▼いったん別の谷に,降りていきます、、 ▼▼世屋谷 せや川です、▼正面川向こうの里から上が、旧世屋村、下世屋、上流に上世屋がある▼世屋川、全長上から見たら8km、横から見たら700m 地形様々で川の博物館みたいな川、、SSHのネタ連発なんですよ、▼ ▼「わずか8kmほどの間に、700m近い高さを降りて海へ行く川なんです」▼ 700m ÷ 8,000m ≒ 8.8%▼▼例えば 漢字でかわ、川、三本線の川、、なんでかがなるほど、と一発でわかる  ▼▼ 崖 異常にきれい ▼ お昼会場に向かいます 案内には 上世屋の獣肉 ▼  なぜいまシカ  メチャメチャ可笑しい!!▼ 京都府宮津市世屋の人口・世帯※2020年▼人口▼93人(男性 48人 女性 45人)宮津市内 10位▼世帯46世帯宮津市内 10位▼面積28.81km²宮津市内 2位▼人口密度3人/km²宮津市内 10位▼※ 子ども ▼10~14歳 1 5~9歳 4 0~4歳 4 上世屋獣肉店・世屋ハウス▼ 13;10 着 ▼ 13;45 発▼▼ 2026年4月公表の環境省推定では、2023年度末の全国のニホンジカは中央値で 約303万頭。 京都府は2020年度の約9.6万頭を基準に、2026年度末に半減 → 約48,000頭を管理目標としていました。ところが、2025年度の事業計画では、依然として年間捕獲目標をメスジカ 15,000頭オスジカ 11,000頭合計26,000頭としています。 和紙工房・いとおかし▼ 13;50 着▼ 14;10 発▼ 、世屋産の楮、福知山・夜久野産の三椏などを使い、原料の栽培・採取から製品づくりまで一貫して行っています。トロロアオイも自ら栽培しています。▼つまり山や畑にある植物 → 繊維 → 紙 → 暮らし、というところまで戻っている。 「そして、この紙をつくっている人も、もともとここに生まれた人ではありません。」「外から来た人が、昔この土地にあった生業に出会って、もう一度、自分の仕事として始めた。」「さて、これは『伝統を守る』ということなんでしょうか。」▼▼「それとも、伝統を次の時代につくり直すということなんでしょうか。」 松尾たんぼ・ウオーク 1km▼▼ 14;20 着▼ 14;55 発▼ ▼▼ ※バス ▼旧汐霧荘入り口に回送待▼機▼ 松尾たんぼ →  圃場整備 機械可能▼ シンボル→ 山の一本桜 溝口平一郎ファミリー記念樹▼ 「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼▼   加えて 飯尾醸造 ※ 発酵 酢▼    企業 無農薬栽培 酢 まず米 その生育環境 ▼    大豆 ※  発酵 味噌 「世屋味噌」引き継いだ▼  湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!▼  歩きましょう!その湧水まで!▼ 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある▼ 道脇に、超レアー種もある、※オキナグサ▼  発見されたら、多様センター永久会員認定ですね▼  岳水 ここの生活 水道代0円 天国 マルヤ農林園 →▼ 15;00 着▼ 15;20 発▼▼▼  かつての湿地放棄棚田・里山再生型自然共生サイト▼ ノダフジ ※野田 ショウブ 紙漉きノリウツギ (サビタ)▼ 『サンショウモ』『サジオモダカ』『コナギ』『ミズオオバコ』▼ 『ミツガシワ』『コウホネ』『ミズオトギリ』 『メダカ』▼ 『マルバヤナギの巨樹』▼ ▼。田んぼを守るとは、何を守ることなのか。生きものを守るとは、何をすることなのか。そして、この山の暮らしを支えている水は、どこから来て、どこへ向かうのか。そのつながりを学ぶのテーマでここで探しているのフィールド探究部、シンボルプラント『サンショウモ』の保全活動で、日本自然保護大賞を受賞!▼▼発達支援団体「PENS」と提携し、フル開放。真冬にマイクロバス三台で子どもたち。ユーチューブ『花鳥風月・ぶら丹後』で検索可能▼▼クロボク、火山灰、九州鹿児島の鬼界カルデラ▼▼※ 90歳になったらなにしてらっしゃいます▼ 「天空のアマノハシダテを作ってるのだ」!! 道路情報計測地 《車窓》 京都最強の豪雪高原、京都府の道路積雪情報はここで計測発信、いつもダントツ!2m越える、 ノウダ・岡の前→ ▼ 15;25 着・発▼ 15;45 着▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※小川家玄関ツバメ穴  上世屋周辺は地すべり地形の移動堆積地、比較的平坦な土地ができた。京都府は上世屋を、棚田と伝統的な民家、周囲の森林が一体となった農村景観として評価し、丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原地区の中心的な里山景観として位置づけている。▼▼ ①小川雅道さん▼ 「上世屋生まれ、上世屋育ち。牛を飼いながら米を作ってきた人」▼土地との時間的な厚み。これは移住者には代替できない価値。。▼「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼+▼移住者が持ち込んだ新しい技術・販路・発想▼+▼飯尾醸造の継続的な需要が重なって、今の上世屋棚田がある。▼※ シロバナカモメズル 「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。」▼「同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」▼ツバメは田んぼの害虫を食べます。、▼米を作る人↓田んぼ↓昆虫↓ツバメ↓人の家まで、生態系の線が一本になる。環境省も上世屋を、棚田・畦畔・広葉樹林など、人の生活や生業と結びついた里山生態系が維持されている地域として位置づけています▼▼※地名ノウダ 野田 ふけ 湿地 大フケ小フケ  藤織り工房。ののの→▼ 15;45 着▼▼ 16;05 発 保存会で学び、上世屋に移住し、自分の工房を構えて伝承を次の段階へ持っていこうとしている人。▼キャリア▼大学では物理学を専攻。その後、結城紬の地機による製織を4年間学び、愛媛県野村シルク博物館で、糸づくり・染色・製織など絹織物の一連の工程を学び、さらに龍村美術織物でジャカードによる手織り職人を6年間経験。さらに、丹後藤織り保存会の講習会に参加し、30期生として藤織りを習得。そして2018年、保存会員として通っていた上世屋へ移住し、「藤織り工房 ののの」として活動。 世屋高原上世屋休憩所▼ 16;15 発▼▼▼▼▼ 世屋高原の小中学生の学校跡に2011年6月「地域のにぎわい拠点」としてオープン。世屋高原では、学校は単に「教育施設」だっただけでなく、地域の人が集まり、文化を受け継ぐ場所。▼その学校の役割が縮小・終了した後に、▼↓▼空き施設・跡地↓地域資源として再活用↓休憩所・交流拠点↓藤織りなど地域文化の伝承・発信という流れがある。。宮津天橋高校フィールド探究部が、「世屋高原探究拠点」として活用している。 世屋姫飯尾田んぼ▼   16;40 発 サンショウモは水田雑草か! 水田保全実験▼ ▼ 車中にて解団交流 司会 野木公園長▼ 海星公園16;55 着▼   17;00 発   宮津駅 17;35 着 電車18;20 豊かな暮らしをという 『自然と共生を』ともいいます
今日 案内させていただきましたのはその葛藤の現場。
わたしもあらためて感動しました。
一つ一つが方向を確信したプロジェクトX じゃないですか!
そんな仕事が展開されている半島北部山間の村、そこと町を結んでいるのが天の橋立、と思っています。山が形を変えたか細い砂の橋ですが、、この橋は、プロジェクトXをつなぐ橋と思えば、ただならぬ橋のように思います。 またぜひこの橋の向こうの宝物さがし、広めていただければうれしいと思います。
今日は、ありがとうございました。】 』
 天の橋立 雪舟Amanohasidatezu
40s考えました

拝見しました。いやあ、これはもう、単なる観光案内の台本ではありませんね。丹後半島を横に走り、海から山へ縦に入り、最後にもう一度、天橋立へ帰ってくる。一日の旅そのものが、ひとつの問いになっています。

今回のシナリオのいちばん大きな成果は、伊根の舟屋を見せ、上世屋の棚田を見せることではなく、その二つを生み出している世界を参加者に見てもらおうとしていることです。

しかも、そこで暮らす人、外から来て仕事を始めた人、古い生業を新しい形にする人、土地の記憶を持つ人を、一日の中でつないでいる。以前おっしゃっていた「水と天橋立は紐、人は珠」という見立てが、ここでも生きていますね。

来週に迫った本番を考え、今回は大きく書き換えるのではなく、この原稿の持ち味を守りながら、当日の伝わり方と進行の安全性を高めるという観点で、チェックを入れます。

1. まず、今回のシナリオの「背骨」はこれです

第一部 海の北の国からの奇跡

宮津・天橋立から伊根へ。地形、海、道、集落、信仰、歴史を手掛かりに、丹後半島の多様な顔を見つける。

第二部 海の北からの奇跡

冠島・沓島、伊根の舟屋、野室の田んぼ、向井酒造。海だけでは見えない伊根の暮らしを、水と米と人のつながりから考える。

第三部 山の北の国からの奇跡

世屋川を遡り、棚田、湧水、和紙、藤織り、里山の再生へ。自然と共生する暮らしが、過去の遺産ではなく、今も続く挑戦であることを見つける。

そして最後に天橋立へ帰ってくる。

海から山へ、山から人へ、人から仕事へ、仕事から未来へ。そして、天橋立をもう一度見直す。

この構造は、崩さないでください。

今回のツアーは、参加者に答えを教える旅ではなく、参加者の中に問いが生まれる旅です。その意味で、冒頭の「変なもの、いっぱい!」も、小学生の目を借りたいという呼びかけも、とてもよく効いています。

2. 本番前に、優先して手を入れたい五つの点

① 冒頭は、少しだけ短くする

今の冒頭には、安田さんが丹後をどう見ているかが詰まっています。ただ、バスを降りる前の参加者は、まだ景色も人も体験していません。最初から「地に根ざした生き様」「人が向き合う大地」と説明するより、まずは丹後の景色へ目を向けてもらうほうが入りやすいと思います。

例えば、こんな具合です。

丹後へ、ようこそいらっしゃいました!

はるばる京都から。秋真っ盛り、紅葉の都からですね。

丹後にも、秋が来ています。

ただ、今日は紅葉の名所を巡る旅ではありません。

海があり、山があり、田んぼがあり、そこで暮らしをつくってきた人たちがいる。

そんな丹後の秋を、自然と人の営みの両方から訪ねてみたいと思います。

今日一日、ご一緒させていただきます。エコツアーガイドの安田です。よろしくお願いします。

「地に根ざした生き様」という言葉は、後半の上世屋で実際の人や田んぼに出会ってから使うと、もっと深く響きます。

② 「およそ新しきものは、遠方より来たる」は、今回の名言候補

織田信長の丹後侵攻、鉄道の延伸、岩滝の工場進出。異なる時代の出来事を、ひとつの見方で束ねています。

これは残したいです。ただし、歴史を一気に説明しすぎず、問いとして置くのがよいと思います。

丹後には、外から来たものによって変わってきた歴史があります。

およそ新しきものは、遠方より来たる。

では、外からの変化が届きにくかった山間の村には、何が残ったのでしょうか。

今日は、その両方を訪ねてみます。

この問いを置いておけば、後に出てくる移住者、和紙、藤織り、新しい農業、古い棚田が、すべて一本の線につながります。

なお、歴史の年表は、車中で全部説明する必要はありません。年号を伝えることよりも、なぜその出来事が丹後を変えたのかを一つずつ印象づけるほうが、このツアーには合っています。

③ 「海の見え方」と「山の距離」は、参加者への宿題にする

第二部の冒頭で示す五つの観察テーマは、とてもよい仕掛けです。

ただ、五つを一度に覚えてもらうのは難しいので、三つの大きな問いにまとめると、参加者が一日を通して使いやすくなります。

01

水は、どこから来て、どこへ行く?

海、河口、川、沢、湧水、田んぼ、酒。野室から上世屋まで、ずっと追いかけられる問いです。

02

人は、なぜここに暮らしてきた?

舟屋、漁村、棚田、集落、道路、神社。土地の形と暮らしの関係を考えます。

03

昔からあるものを、これからどう生かす?

赤米、和紙、藤織り、自然共生サイト。伝統を保存するだけでなく、次の時代へどうつなぐかを考えます。

これなら、参加者は「いまは何を見ているのか」を見失いません。

そして、子どもたちへの呼びかけは、ぜひ残してください。

今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。

大人はすぐ答えを知りたがりますからね。

「あれ、何だろう?」「なぜ、こうなっているんだろう?」

その疑問を、今日は大切にしましょう。

この一言が、SSH的な観察を、専門用語ではなく、みんなが参加できる体験に変えてくれます。

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3. 事実関係で、出発前に確認しておきたい箇所

ここは少し細かいですが、現地で質問されたときに困らないためのチェックです。すべてを原稿から削る必要はありません。「断定してよいこと」と「仮説として提示すること」を分けるのがポイントです。

原稿の箇所

私からのチェック・提案

雪舟が丹後を訪れ、天橋立を描いた

「室町時代の禅僧・画家、雪舟が描いたとされる『天橋立図』」とすると、伝承と作品を自然につなげられます。「当時トップのお坊さんの画家」は、当日の語りでは「当代を代表する画僧」くらいでも伝わります。

籠神社、火明命、冠島・沓島

籠神社の伝承では、彦火明命が冠島に降臨したとされます。一方、籠神社の現在の奥宮は真名井神社です。したがって「冠島は、籠神社の海の奥宮と伝えられる聖地」と言い分けると、より正確です。

丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ)
+1

海岸の白い鳥と、冠島での繁殖

海岸で見たウミネコと、冠島の代表的な繁殖鳥であるオオミズナギドリを、同じ鳥として説明しないようにしましょう。現地では「この鳥は何だろう?」と問い、冠島では「ここで繁殖する海鳥には、どんな種類がいるでしょう」とつなぐと、観察の面白さも増します。

伊根町の人口、野室の世帯数

1975年の人口4,283人、2025年の人口1,861人という数字は、出典と基準日を確認してください。住民基本台帳人口なのか国勢調査人口なのかで数字の意味が異なります。野室の11世帯・33人は2013年4月1日時点の数字なので、使うなら「2013年当時」と明示しましょう。

世屋川の「8kmで700m」

地形の面白さを伝える比喩としては有効です。ただし、8kmがどの区間の距離か、高低差700mがどの地点間なのかを確認してください。単純計算の約8.8%は、そのまま川の実際の平均勾配を示すものではありません。

「クロボク、火山灰、鹿児島の鬼界カルデラ」

ここは要確認です。黒い土があることだけで、鬼界カルデラ由来と断定するのは避けましょう。地質資料で裏付けが取れなければ、「この黒い土は、何が積み重なってできたのだろう?」という問いにするほうが、SSHらしい展開になります。

もう一つ、特に大事なこと

天橋立の砂については、最後に「その砂はどこから」と問いかける構成がとてもよいです。

ただし、「砂は半島から来た」と最初から確定した答えとして提示するのではなく、

この砂は、どこから来たのでしょう。

山の岩が砕け、川に運ばれ、海の流れに動かされる。

天橋立を、そうした大地の働きの結果として考えてみることはできないでしょうか。

という問いにしておくと、安田さんが大切にしている「天橋立が生まれる世界を見る文化」につながります。

これは、参加者に発見の余地を残すという意味でも、今回のツアーにぴったりです。

4. いちばん気になるのは、情報量と時間です

率直に申し上げます。原稿としては豊かですが、当日これを全部しゃべろうとすると、参加者が発見する時間がなくなります。

特に車窓では、説明できる時間が限られます。現地に着いたら、今度は歩く時間、作業する時間、話を聞く時間が必要です。

そこで、各ポイントを三段階に分けておくことをお勧めします。

必ず

その場所の意味を一つ伝える

例:伊根では「海だけでは、伊根はわからない」。上世屋では「土地の記憶、水の順番、田の癖」。この一言が参加者の心に残れば、説明の目的は達成です。

余裕があれば

歴史や数字を一つ加える

年号、人口、地形の数値などは、参加者の関心や質問に合わせて追加します。

質問が出たら

詳しい解説を展開する

神社の由緒、地質、動植物の種名などは、すべて先回りして説明する必要はありません。問いが生まれたときこそ、深掘りの出番です。

時間配分についても、特に野室から伊根の舟屋へ向かう区間と、午後の世屋高原での各訪問先の移動時間は、運転手さんと最終確認をしておきたいところです。車の乗降、トイレ、参加者の歩く速さ、現地の方との話が少し延びることまで考えると、余裕時間がほとんどないように見えます。

また、シナリオの「日本冶金工業」の箇所にある「消火器具とかけて潜水艦と解く」という謎かけは、オチと歴史的背景を最終確認しておきましょう。うまく決まれば車中が和みますが、説明が必要になると、せっかくの流れが止まる可能性があります。

5. それぞれの場所で、何を持ち帰ってもらうか

私なら、現地での案内を次のように整理します。

場所

参加者に残したい問い

天橋立を望む場所

この砂州は、どこから来たのだろう?

冠島・沓島の眺望

同じ島でも、漁師、信仰する人、自然を調べる人では、見えるものが違うのでは?

野室の田んぼ

海の町・伊根を支えているものは、海だけだろうか?

向井酒造

伝統を守ることと、新しいものを生み出すことは、両立できるだろうか?

和紙工房・藤織り工房

外から来た人が、地域の生業を引き継ぐとは、どういうことだろう?

松尾の棚田・マルヤ農林園

田んぼを守ることは、米を作ることだけだろうか?

小川さんの暮らし

長くこの土地で暮らしてきた人にしかわからないことは、何だろう?

こうして見ると、ツアーの主役は、観光名所でも、珍しい動植物でもありません。

場所に刻まれた問いと、その問いに向き合っている人たちです。

そのことが、野室の米づくり、向井酒造の酒づくり、世屋の和紙、藤織り、棚田の再生をつないでいます。

6. 最後の締めくくりは、ほぼこのままでよいと思います

最後に天橋立へ戻ってくる構成は、今回のシナリオの大切な仕掛けです。

最初に見た天橋立と、一日を過ごした後の天橋立では、同じ景色でも見え方が変わる。その変化を、参加者自身に感じてもらえるからです。

締めくくりは、少しだけ言葉を整えるなら、こんな形でしょうか。IMG_20260905_102247_1

 今日のメインテーマは、豊かな暮らしを持続させるには、自然の恵みを使い切るのではなく、資源がめぐる暮らしへと向かっていくことが大切ではないか、ということでした。

その現場を、いくつか訪ねてきました。

野室の田んぼ、向井酒造、上世屋の棚田、和紙づくり、藤織り。そこには、それぞれの場所で挑戦を続けている人たちがいました。

私も今日、あらためて感動しました。

そして、今日訪ねた人や場所だけが特別なのではありません。丹後には、こうした人、こと、ものが、まだまだたくさんあるのだと思います。

さて、最後に、もう一度天橋立を考えてみましょう。

この砂州は、海の中に突然できた橋ではありません。山があり、川があり、海があり、長い時間をかけて大地が動いてきた、その物語の一部です。

天橋立を大切にすることは、天橋立だけを大切にすることではない。

天橋立を生み出した山も、川も、海も、そこで暮らす人々の営みも、一緒に大切にしていくことではないでしょうか。

私は、この橋を、そういう人、こと、ものをつなぐ橋として、これからも生かしていけたらと思っています。

今日は一日、ありがとうございました。

最後に、いちばんお伝えしたいことがあります。

この原稿には、歴史の年号も、地形の数字も、植物の名前も、たくさん入っています。でも、参加者の記憶に最後まで残るのは、必ずしも数字や知識ではないでしょう。

野室で田んぼを守る人。 自分の仕事として和紙づくりに取り組む人。 土地に長く暮らし、田んぼの癖を知っている人。 古い技術を学び直し、次の時代へ渡そうとしている人。

その人たちに出会ったとき、参加者が「こんな暮らし方もあるのか」「こんな挑戦をしている人がいるのか」と感じてくれたら、それは大きな成果です。

そして最後に天橋立へ戻ったとき、砂州をただ美しい景色として眺めるのではなく、この景色を生み出した世界と、そこに生きる人々の営みまで想像してもらえたら。

今回のツアーは、そこまで届く可能性を持っています。

どうか、全部を伝え切ろうとしないでくださいね。安田さんが用意した問いを、参加者が自分で見つける時間も、ツアーの大切な一部です。

【① 天の橋立にも真水の湧く井戸、野室田んぼも松尾田んぼも湧水、マルヤ農林園ビオトープも湧水、なにか匂うものをかんじますね】

おおお……安田さん、これは匂いますねえ!(^.^)

天橋立、野室の田んぼ、松尾の田んぼ、マルヤ農林園のビオトープ。そして伊根の向井酒造の水。

別々の場所の話だったものが、いま「水」という一本の糸でつながり始めました。

私は、ここに 丹後半島の地質・地形と、人の暮らしを結ぶ「湧水の物語」 が潜んでいる可能性を感じます。

ただし、まず大切なのは、湧水があるという共通点と、それぞれの水が同じ地下水系につながっているということは、別だという点です。そこを分けて探ると、もっと面白くなります。

1. 五つの水場を、同じ問いで見てみる

天橋立——海に囲まれた砂州に、なぜ真水がある?

代表例が、天橋立の「磯清水」です。周囲を海水に囲まれているのに、古くから真水が湧く井戸として知られてきました。砂州の地下に淡水が存在できる条件は何か。砂州の地形と地下水の関係を考える入口です。

st situationさんの投稿|京都府伊根町にある新井の棚田ここから見る景色が最高に好きで、過去何度も訪れ癒されました|【京丹後市】【京都府】【田んぼ】【田園風景】【夏】【田舎】【絶景】【クールジャパン】【観光】【自然】|日本の魅力発信インバウンドSNS「クールジャパンビデオ」

野室——川が見えないのに、田んぼがある?

水を運ぶ大きな川が見当たらなくても、湧水や地下水、斜面から集まる水を利用して水田が成立している可能性があります。水の出口をたどると、見えない集水域や土地の構造が見えてくるかもしれません。

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松尾——山の水は、どこから来る?

山間の田んぼに水が湧くなら、斜面に降った雨が地中に浸透し、地層や岩盤の割れ目を通って再び地表に現れているのかもしれません。田んぼは、水の流れを読み取る観察窓になります。

池山水源と山吹水源 | astroーmoriのブログ

マルヤ農林園——湧水を、生きもののすみかへ

湧水がビオトープを支えているなら、水量・水温・水質の安定性や季節変化が、そこに暮らす生きものに関係します。ここでは水のしくみだけでなく、人が水を受け止め、保全に生かす営みまで見えてきます。

Mukai Brewery, Kyoto Inecho (Yosa) Details, Access & Map| Japan Travel by NAVITIME - Guides, Transit Search and Itinerary Planner

向井酒造——海辺の酒蔵を支える水は?

酒造りの水源が地下水なら、その水を生み出す地質や地下水の流れが問われます。約200mの井戸という話も、掘削記録や井戸の構造が分かれば、この探究に加えられます。

2. 共通するのは「水が湧くこと」より、「水が現れる場所」

ここが、地質を読むうえでの核心です。

雨は山や地面に降ります。しかし、地下へ浸透した水が、どこからでも同じように湧き出すわけではありません。

  • 水を通しやすい砂礫層と、通しにくい粘土層の境界

  • 岩盤の割れ目や破砕帯

  • 地下水が斜面や谷に向かって流れる場所

  • 砂州の地下に淡水が蓄えられる条件

こうした場所では、地下水が地表に現れやすくなります。

つまり、湧水は単なる水場ではありません。地面の下で起きていることが、地表に姿を現した場所なのです。

ただし、天橋立の砂州と、上世屋の山間部、伊根の海辺では、地下水の仕組みが違う可能性があります。全部を一つの地下水系で説明するのではなく、それぞれの水がどのように生まれ、どこへ流れるのかを比較するのが探究の醍醐味でしょう。

3. 安田さんの「匂い」を、SSHの問いに変えるなら

私は、こんな仮説を立ててみたいです。

丹後では、地形と地質が水の集まり方・湧き出し方を決め、その水が田んぼや酒造り、湿地の生態系を支えてきたのではないか。

そして、それを確かめるために、各地点で共通の項目を観察します。

観察すること

分かるかもしれないこと

湧水の位置と標高

斜面・谷・地層との関係

岩石や地層

水が通る場所、通りにくい場所の手掛かり

水温と季節変化

地下水の滞留や湧出条件の手掛かり

水量の季節変化

雨や雪解けとの関係

水の利用方法

地形・水源と暮らしの関係

生きものの分布

水の安定性や環境条件との関係

これらを比べれば、「湧水がある」という発見から、「なぜ、ここに湧くのか」「なぜ、ここで田んぼが続いてきたのか」という問いへ進めます。

なお、温度や水質を測っただけで水源を特定することはできません。地下水のつながりを確かめるには、地質・井戸資料や水質分析など、さらに詳しい調査が必要です。

4. そして、天橋立へ戻る

ここが、安田さんらしいところですね。

天橋立を見て、「美しい砂州だ」と感じる。

そのあと野室や松尾の田んぼで湧水を見て、マルヤ農林園の池で水と生きものの関係を知り、向井酒造で酒造りの水に思いを巡らせる。

そして、もう一度天橋立を見たときに、ふと考える。

この砂州を形づくった水と、丹後の山々に降った雨、地下を流れる水、田んぼを潤す水。それぞれは、どのようにつながっているのだろう?

この問いは、単に「丹後には湧水が多い」という話ではありません。

山・川・地下水・海・人の営みを、地球の働きから読み直す入口です。

安田さんの言葉でいえば、まさに「天橋立を見る文化」から、「天橋立が生まれる世界を見る文化」へ。

次に一つだけ確認するなら、私は野室と松尾の湧水について、「水はどこから来て、どこへ流れていくのか」を現地でたどってみたいです。 水の出口から上流へ、地形をさかのぼっていく。そこに、丹後の地下の物語を解く手掛かりがあるかもしれません。

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 【②ありがとう、、今回は、表主役は水と天橋立、しかし、隠れ主役は、人、八人衆だとおもいます、水と天橋立は紐、人は珠!なので数珠のように人がつながった、これが今回のツアーの手柄かなと自賛しています、よ(^.^)】
 数珠の選び方 35. 数珠の玉の間にある小さい玉のことを何と呼びますか | 念珠・数珠なら文久元年創業の山田念珠堂へ

(数珠の選び方 35. 数珠の玉の間にある小さい玉のことを何と呼びますか | 念珠・数珠なら文久元年創業の山田念珠堂へ

いやあ、安田さん、それは自賛してよろしいのではないですか!(^.^)

水と天橋立が紐、人は珠。そして、八人衆が数珠のようにつながった。

この比喩、今回のツアーの構造を見事に言い表していると思います。

しかも、数珠というのがいい。

珠は、一つひとつ違う。色も形も、磨かれてきた時間も違う。けれど、一本の紐が通ることで、ばらばらだった珠が一つの数珠になる。

今回の八人衆も、そうなのではないでしょうか。

伊根の海辺、野室の田んぼ、上世屋の湧水、棚田、和紙、藤織り、自然共生サイト……それぞれの場所で、それぞれの仕事をしている人たち。

その人たちを、安田さんは「水」と「天橋立」という紐でつなごうとしている。

一人ひとりを紹介するだけなら、地域の人物案内です。しかし、人と人の間にあるつながりまで見えてきたら、それは地域そのものを知る旅になる。

そして、もう一つ大切なことがあります。

数珠は、珠だけでも、紐だけでも成立しません。

水と天橋立という紐があっても、そこに人がいなければ、地域の未来を担う数珠にはならない。反対に、人がいても、その人たちを結びつける物語がなければ、互いの仕事や思いは見えにくいままです。

今回のツアーでは、湧水をたどることが、人の仕事を知ることにつながる。田んぼを歩くことが、生きものを守ろうとする人の思いにつながる。伝統技術に触れることが、地域の未来を考えることにつながる。

水は、単に土地を潤しているだけではない。人と人の営みを結びつける、目に見えない紐でもある。

そして、安田さんが最後に天橋立へと話を戻したとき、参加者の目には、最初とは違う景色が映るかもしれません。

「あの砂州を生み出した自然がある。そして、その自然とともに生きている人たちがいる」と。

私は、今回のツアーの手柄を、こう表現してみたいです。

水をたどって土地を知り、天橋立を手掛かりに自然のつながりを知り、八人の人との出会いを通して、丹後の未来を担う人のつながりを知る。

名所を巡る旅から、地域を支える人々に出会う旅へ。

安田さん、これは「天橋立+ワン」の新しい展開でもありますね。

天橋立に何かを付け足すのではない。天橋立を紐にして、丹後の人々という珠をつないでいく。

そして、数珠は飾って眺めるだけのものではない。手に取って、繰り、思いを巡らせるものでもあります。

参加者が帰宅してからも、伊根のあの人、上世屋のあの人、田んぼで出会ったあの植物を思い出す。やがて、その人たちの活動を気にかけるようになる。

そこまでつながれば、八人衆はツアーの登場人物で終わらない。

参加者自身もまた、数珠の新しい珠になっていく。

……いやあ、安田さん。

今回の旅で、本当に手渡したいのは、天橋立の説明でも、湧水の知識でもなく、丹後と縁を結ぶきっかけなのかもしれませんね。(^.^)

【①ありがとう、伊根の舟屋の里、山の地質は火成岩のようですね、水には恵まれてはいないようで、共同井戸でまかなっていらっしゃるようです、そんななかで、向井酒造の場合、その酒水の確保がきになっています、200mのボーリングで確保と聞きますが、火成岩でも水脈はあるのでしょうか、解説ください】
 向井酒造 | 伊根町グルメ | 海の京都観光圏

(↑ 向井酒造 | 伊根町グルメ | 海の京都観光圏uminokyoto.jpuminokyoto.jp)

おお、安田さん、これは伊根の舟屋と向井酒造をつなぐ、実にいい地質の問いですね(^.^)

「水に恵まれていないように見える土地で、酒蔵はどうやって酒造りの水を確保しているのか?」

ここには、岩石の種類だけでなく、地下水の通り道、地形、井戸の掘り方が関係します。

先に結論を申し上げると、火成岩の地域にも地下水はあります。岩石そのものに水がたくさん含まれているというより、岩の割れ目などに水が集まり、流れている場合があるのです。

ただし、向井酒造が「約200mのボーリングで酒造用水を確保している」というお話については、井戸の深さや取水層、実際の地質柱状図などを確認できていないため、現段階ではその水がどのような地下水なのか、断定はできません。

1. 火成岩なのに、水があるのはなぜ?

岩石の中を水が通るしくみは、大きく三つあります。

Groundwater – where does it come from, where does it go? – Strathbogie Ranges – Nature View

① 岩の割れ目

火成岩は、できた直後には水を通しにくいものが多いのですが、地殻変動や冷却によって割れ目が生じます。割れ目がつながっていれば、雨水が浸透し、地下水の通り道になります。

(PDF) Recharge and Geochemical Evolution of Groundwater in Fractured Basement Aquifers (NW India): Insights from Environmental Isotopes (δ18O, δ2H, and 3H) and Hydrogeochemical Studies

② 岩盤の上の風化帯

岩盤が長い時間をかけて風化すると、岩が細かく崩れたり、割れ目が広がったりします。その部分に水がたまったり流れたりすることがあります。

OR/15/028 Aquifer characteristics continued - MediaWiki

③ 岩盤の上や谷底の堆積物

岩盤そのものではなく、その上に積もった砂礫や、谷を埋める堆積物の中に地下水が流れている場合もあります。

つまり、地下水を考えるときには「何の岩石か」だけでは足りません。

どこに割れ目があるか、雨水がどこから入るか、水を通しにくい層がどこにあるか。 それらの組み合わせが、水の集まり方を決めます。

2. では、向井酒造の「200m」は何を意味するのか

200mという深さが正確なら、浅い井戸とは異なる地下水の状態を探っている可能性があります。ただし、深い井戸だから必ず水量が多い、あるいは水質がよいというわけではありません。

考えられるのは、例えば次のようなケースです。

  • 深部の岩盤の割れ目に地下水が流れている。

  • 岩盤の中に、比較的水を通しやすい破砕帯がある。

  • 地域の地層構造に沿って地下水が集まる場所を掘り当てている。

  • 複数の地層や岩盤の割れ目から水を得ている。

これらは一般的な可能性であり、向井酒造の井戸が実際にどれに当たるかは、井戸の記録を見ないと分かりません。

また、伊根町周辺の地質は一様ではありません。京都府の地質目録には、伊根町周辺の地層として新第三紀の伊根層群・与謝層群・北但層群などが記載され、半島北部には安山岩などの火成岩も分布しています。したがって、「舟屋の里は火成岩だから」と、酒蔵の井戸の地質まで一括して決めつけないことが大切です。

京都府

3. 海のすぐそばで、酒造りに使える水を確保する難しさ

ここで、もう一つ面白い問題が出てきます。

向井酒造は、公式サイトでも「海に一番近い酒蔵」と紹介されています。

海に一番近い酒蔵

海に近い場所で地下水をくみ上げる場合、井戸の深さや地層の状態によっては、海水の影響を受ける可能性もあります。

ただし、海の近くの井戸が必ず塩水になるわけではありません。地下水の水位や流れ、地層の透水性、井戸の構造などによって条件は異なります。

酒造りでは、水が出るだけでも十分ではありません。水に含まれるカルシウム、マグネシウムなどのミネラルや、塩化物イオンなどの成分が、醸造過程や酒質に影響します。日本地質学会の研究発表でも、仕込み水の水質と地質、地下水の流動、清酒の醸造特性の関係が検討されています。

J-STAGE

つまり、向井酒造の水を考えるなら、

  • どの地層・岩盤から水を得ているのか

  • どれほどの水量を安定して確保できるのか

  • 水質はどのような特徴を持つのか

  • その水が酒造りにどう生かされているのか

という四つの問いが出てきます。

なお、今回調べた公開情報からは、向井酒造の井戸が約200mであることや、その井戸の地質・水質の詳細までは確認できませんでした。

4. ツアーで使うなら、こんな問いかけはいかがでしょう

「伊根は、海と山に挟まれた、平地の少ない土地です。

山から流れ出す大きな川が、町の中をゆったり流れているわけでもありません。

では、ここで暮らす人たちは、毎日の水をどう確保してきたのでしょう。

そして、酒造りには大量の水が必要です。海のすぐそばにある向井酒造は、どこから水を得ているのでしょうか。

岩盤は、どこでも水を通すわけではありません。でも、岩の割れ目や地層の中には、水の通り道ができることがあります。

見えている山の形だけでは、地下の水の流れまでは分かりません。

この土地の酒を味わうとき、その酒を生み出した水と、さらにその水を育んだ山の地質まで想像してみる。

そうすると、伊根の酒が、少し違って見えてきませんか。」

ここで断定を避けているのは、むしろ科学的な面白さを残すためです。実際の水源が確認できれば、さらに一歩踏み込んで話せます。

安田さん、もし向井酒造で「200mのボーリング」という話を直接聞かれたのであれば、次に尋ねたいのは、「どんな岩盤に当たり、どんな水が出たのですか?」 ということです。

その答えが分かれば、伊根の地質、地下水、酒造りを一本につなぐ、非常に具体的な「丹後の地球の物語」になります。

【② ありがとう、向井酒造酒水源は、地下200m!!これについての解説はたいへん納得です、半島は断層が幾筋も走り、野室へ行く道の崖にも地層のゆがみなどが路頭しています、そもそも若狭湾自身がプレートの動きの産物、ですものね!!】

おお、安田さん! ここで、野室へ向かう道の崖に露出する地層と、向井酒造の地下200mの水が、一本の地球の物語になってきましたね!(^.^)

地上には、ゆがんだ地層。地下には、酒を生む水。どちらも、私たちの目には見えない大地の歴史を読み解く手掛かりです。

1. 丹後半島は、大地が動いてきた場所

みつはし「地図と地形でわかる 日本の川と流域外分水」発売中 (@sayu_mitsu) on X

若狭湾(神子より常神岬,御神島周辺)

蘇洞門 - 見どころ、アクセス、口コミ & 周辺情報 | GOOD LUCK TRIP

6

若狭湾や丹後半島の地形を考えるとき、いくつもの時間軸を重ねて見る必要があります。

  • 日本海が生まれた時代:大陸から日本列島が分かれていく過程で、地殻が引き伸ばされ、沈降し、火山活動も起こりました。

  • その後の地殻変動:断層運動などによって地層や岩盤が変形し、場所によっては隆起・沈降が起こりました。

  • 現在の地形ができる過程:雨や川、波、風化が岩盤を削り、谷や湾、海岸を形づくってきました。

ただし、若狭湾を「現在のプレート運動だけでできた」と説明するのは単純化しすぎです。日本海の形成に伴う古い地殻変動と、その後の断層活動、長い侵食の歴史が重なっています。

2. その地質と、地下200mの水はどうつながる?

ここが今回の探究の面白いところです。

① 雨が山に降る

② 水が土や岩盤の割れ目に浸透する

③ 断層や破砕帯などが、水の通り道になる場合がある

④ 地下水が集まる場所を井戸で捉える

断層や岩盤の割れ目は、地下水の通り道になることがあります。一方、断層の内部に粘土などができて、水を通しにくくなる場合もあります。つまり、断層があれば必ず水が出るわけではありません。

また、地下200mという深さだけから、向井酒造の水が断層由来なのか、どの山から来るのかまでは分かりません。井戸の掘削記録や地質柱状図があれば、かなり具体的に検討できます。

3. 野室へ向かう崖の露頭は、最高の教材になる

安田さんが実際に見つけておられる、地層のゆがみ。

そこでは、こんな問いを投げかけられます。

「この地層は、最初からこんな形だったのでしょうか。それとも、地層ができたあとに、大地が動いたのでしょうか?」

地層の曲がりやずれが確認できれば、堆積したあとに変形した可能性を考えられます。ただし、露頭の形だけで断層の種類や形成時期まで決めるには、走向・傾斜や周辺の地質との照合が必要です。

そして、次の問いへ。

「この大地に降った雨は、どこへ行くのでしょう。田んぼに湧く水と、酒蔵が使う地下水は、どんな地質条件に支えられているのでしょう?」

ここで、露頭と湧水と酒蔵がつながります。

4. ツアーの語りにするなら

「道の脇の崖を見てください。地層が曲がったり、ゆがんだりしています。

私たちが立っているこの大地は、初めから今の姿だったわけではありません。海が生まれ、大地が動き、岩ができ、削られ、谷が刻まれてきました。

そして、そこに降った雨は、地表を流れるだけではありません。地下へしみ込み、土や岩盤の中を通り、どこかで湧き出します。

田んぼを潤し、生きものを育て、ときには酒造りを支える。

地上の地層と、地下の水。一見別々に見えるものが、実は同じ大地の物語の一部なのかもしれません。」

安田さんのSSHの視点が、ここで生きますね。

地層は大地の記憶。湧水は大地の働き。そして酒は、その水と人の営みが出会ったところに生まれる。

天橋立を生んだ大地を知る旅が、伊根の酒蔵の水にまでつながっていく。これこそ、点を線にして、線を面へ広げていく面白さだと思います。

【① ありがとう、、「湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!   歩きましょう!その湧水まで! 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある 道脇に、超レアー種もある、」 その超レアー種というのは、オキナグサです、 復活しているんですね、葉は秋でも残っています、 、、、見せる見せない、その判断、見せるならその演出、などアドバイスください、ノウダにはカモメズル 】
 オキナグサ

(↑ 京都府レッドデータブック2015

京都府カテゴリー

絶滅寸前種

2002年版 絶滅寸前種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
近畿レッドデータブックカテゴリー 絶滅危惧種A

)

おお、これは現地ガイドの腕の見せどころですね(^.^)

「川がないのに、米、田んぼ!?」という謎から湧水へ歩く。そして道端には、オキナグサ。さらにノウダにはカモメヅル。

ここには、土地のしくみを発見する面白さと、失われた自然・戻ってきた自然に出会う驚きが、同時にあります。

ただし、オキナグサのような希少な植物は、見せ方を一歩間違えると、保全のために伏せておきたい場所まで広く知られてしまうことがあります。私なら、まず「何を見せるか」より、何を参加者に持ち帰ってもらいたいかから考えます。

1. オキナグサは、見せる? 見せない?

私なら、次のように判断します。

判断

おすすめ

現地で実物を見せる

条件付きで、見せる。土地の管理者の了解があり、踏み込みや踏み荒らしの危険がない場合

正確な場所を説明する

参加者以外にも広がる資料やSNSでは、場所を特定できる情報を出さない

「超レアー種」と紹介する

少し抑える。希少性だけでなく、そこに生き続けている意味を伝える

触らせる、近くに集める

しない。採取も禁止し、観察は離れた位置から

秋の葉を見せる

むしろ面白い。花の季節以外にも植物の命が続いていることを伝える

オキナグサは、京都府の2015年版レッドデータブックでは「絶滅寸前種」とされ、府内で現在自生が確認される地域は丹後の一部に限られると説明されています。主な脅威には、草地の開発、遷移の進行、採集が挙げられています。

京都府

ですから、今回のように現地で出会えることは貴重です。ただし、「復活している」という言葉は、何が起きたのかを確かめて使いたいですね。以前見られなくなった場所で再び確認されたのか、保全管理によって個体数が回復したのか、自然に新しい個体が定着したのか。それぞれ意味が異なります。

2. 演出案——「花のないオキナグサ」を見せる

日本オキナグサ - 「中越植物園オンラインショップ」

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7

ここは、花を見せるより、花のない季節にも生き続ける植物を見せるという演出がいいと思います。

例えば、現地でこんなふうに話す。

「道の脇に、ちょっと気になる植物があります。

オキナグサです。

春には、暗い紫色の花を咲かせます。でも、今日は花がありません。葉が残っています。

植物は、花が咲いているときだけ生きているわけではありません。花を咲かせ、実を結び、次の春へと命をつないでいく。

この植物は、丹後の限られた場所に残っている、貴重な植物です。

では、なぜ、ここには残っているのでしょう。

この道端の環境は、これからも続くのでしょうか。

今日は、花のないオキナグサを見ながら、そんなことを考えてみたいと思います。

ただし、近づきすぎないでくださいね。ここに生きている植物を、みんなで守りながら観察しましょう。」

※秋に葉が残ることは、安田さんが現地で確認された状況を前提にしています。葉の状態だけで個体の健全さや、個体群が回復していることまで判断しないのが大切です。

ここでのポイントは、植物の名前を教えるだけで終わらないこと。

「珍しい植物を見た」という思い出を、「この場所の環境をどうすれば残せるだろう」という問いに変える。

それが、今回の生物多様性研修らしい見せ方だと思います。

3. 「大撹乱」を、植物の話につなぐ

安田さんのメモにある、

大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある

これは、非常に大事な一節です。

ただ、参加者に「撹乱」とだけ言っても、少し専門用語に聞こえるかもしれません。人の土地利用や草刈り、道路整備、耕作放棄など、実際に何が起きたのかが分かれば、具体的な問いになります。

例えば、

「この土地では、長い時間の中で、いろいろな変化が起きてきました。人が使い、手を入れ、時には使わなくなり、環境が変わってきた。そうした変化の中で、姿を消した生きものもいれば、再び見られるようになったものもあります。

では、何が変わり、何が戻ってきたのでしょう。そして、戻ってきたものが、これからも生き続けられるのでしょうか。」

こうすると、オキナグサが単独の珍しい植物ではなく、土地の変化を読み解く手掛かりになります。

ただし、オキナグサが戻ってきた原因を、草刈りなど特定の管理に結びつけるなら、その場所での記録や管理者の証言を確認してからにしましょう。

4. ノウダのカモメヅルは、別の見せ方ができる

コバノカモメヅル - 日光植物園 - Vincetoxicum sublanceolatum

ノウダのカモメヅルも、名前を教えて終わりにするのは惜しいですね。

京都府の2015年版レッドデータブックでは、コバノカモメヅルは「絶滅危惧種」とされ、湿草地や原野的な湿地に生育する、つる性の多年草と説明されています。遷移の進行、洪水の減少、農法の変化、除草剤の使用、シカの食害などが脅威として挙げられています。

京都府

ただし、安田さんがノウダで見ておられるものが、このコバノカモメヅルなのか、別のカモメヅル類なのかは、実物を確認しておきたいところです。

ここでの演出は、オキナグサとは少し変えてみてはどうでしょう。

  • オキナグサでは、**「この場所に残っている命」**に注目する。

  • カモメヅルでは、**「この植物が生きられる環境」**に注目する。

「つる植物がある」という発見から、「この場所は、どんな草地や湿地だったのだろう」「周りの土地の使い方が変わったら、この植物はどうなるのだろう」と考えてもらうのです。

5. 最後に、見せる・見せないの判断基準

安田さんは自然観察指導員でもある。だからこそ、私はこう提案したいです。

希少種を見せること自体を、ツアーの成果にしない。

参加者が実物を見られなくても、保全上の理由から場所を伏せる判断は、十分に価値があります。反対に、安全に観察できる場所で、土地の管理者の了解も得られているなら、実物を見せることは大きな学びになります。

そして、実際に見せるなら、観察する人数、立ち位置、足元、撮影、位置情報の扱いまで考える。希少種の場所を広く公開しないことも、ガイドの大切な仕事です。

オキナグサも、カモメヅルも、ただ「珍しいから見てください」ではなく、

「この土地には、まだ私たちが気づいていない自然の物語が残っている。では、その物語を次の世代にも手渡すには、どうすればいいのだろう」

という問いへの入口にする。

これなら、安田さんのツアーの核心である「見えないものを見る」に、ぴたりとつながると思います。

 【②サンショウモ、これも希少種。その発見はノウダの小川雅道さんの田んぼで一枚発見したのをきっかけにフィールド探究部と連携し復活保全に取り組み、マルヤ農林園では、その保全をテーマにした池を確保していただくところまでの展開を見せています。意識すれば、保全の物語が見えるのですね。そういう展開にもちこみたいのです。 】
 サンショウモ
京都府カテゴリー

絶滅寸前種

2002年版 絶滅寸前種 2002年版を参照する
環境省カテゴリー 絶滅危惧Ⅱ類(VU)
近畿レッドデータブックカテゴリー 絶滅危惧種C
選定理由 昭和40年代以降激減し、府内の残存数はわずかである。現在は丹後地域に見られるだけになっている。
形態 浮遊する水草で、冬枯れする一年草。茎は伸張し、葉を対生状に付ける。それとほぼ同位置に水中に伸びる茎状器官があり、一部は根状、一部は胞子嚢となる。葉の表面には微細な突起が多生し、水をはじく。胞子には大小二型あり、秋に熟し春に発芽する。

◎参照 日本の野生植物 シダ(平凡社)284、原色日本羊歯植物図鑑(保育社)171 & 253

分布 本州、四国、九州、朝鮮半島、中国大陸、台湾、インド北部、ヨーロッパ、北アメリカ。

◎府内の分布記録区域 丹後地域、京都市域(絶滅)、山城地域(絶滅に近いが、現状不明)。

生存に対する脅威 水田への除草剤の使用、水の富栄養化。
必要な保全対策 上記の原因を排除する。人工栽培は比較的容易なので、自生地を復元することも可能である。
特記事項 土を掘り返すと、休眠胞子が発芽することがあるので、注意が必要である。

シダ植物の文献一覧

執筆者 光田重幸

ああ、なるほど! 安田さんが目指しているのは、希少種を見せることそのものではなく、一つの発見が、人を動かし、地域を動かし、保全の取り組みへと広がっていく。その物語を参加者に見てもらうことなのですね。(^.^)

サンショウモのお話は、まさにその実例です。

小川雅道さんの田んぼで、一枚の田にサンショウモが見つかった。それをきっかけに、フィールド探究部と連携して復活・保全に取り組み、さらにマルヤ農林園では、保全をテーマにした池を確保していただくところまで展開している。

ここには、植物の発見以上のものがあります。

1. サンショウモは「保全の物語」を見せる教材

Przeczytaj  -  Adaptacje roślin do życia w różnych środowiskach - zpe.gov.pl

第1幕 発見

「一枚の田んぼに、こんな植物が残っていた!」

まずは、生きものを発見する目。ありふれた田んぼが、実は希少な生きものの暮らす場所だったと気づく瞬間です。

ラムサール条約登録湿地「伊豆沼・内沼」40th、「蕪栗沼・周辺水田」20thに沸く | 東北環境局 | 環境省

第2幕 連携

「見つかった。でも、この先どうする?」

小川さん一人の発見で終わらず、フィールド探究部との連携へ。観察が調査になり、個人の気づきが、みんなで考える課題に変わっていきます。

産官学民で取組む谷津再生・活用の現場を視察しました(千葉県印旛沼流域)~気候変動適応の研究会 NbS と気候変動適応分科会~ | CCCAの活動・アーカイブ | 気候変動適応情報プラットフォーム(A-PLAT)

第3幕 環境づくり

「この植物が生き続けられる場所を、どうつくる?」

マルヤ農林園で、保全をテーマにした池の確保へ。守る対象を見つける段階から、その生きものが生き続けられる環境をつくる段階へ進んでいます。

※写真は各場面のイメージです。現地のサンショウモや実際の保全池を写したものではありません。

この三幕をたどるだけでも、生物多様性保全の意味が変わってきます。

発見する → 調べる → 人がつながる → 生息環境をつくる → 未来へ手渡す。

生物多様性は、自然の中に最初から完成した姿で存在するだけではありません。人が気づき、理解し、行動することで、守られる可能性が広がるのです。

もちろん、池を確保したことと、サンショウモの個体群が長期的に維持されることは別です。今後の生育状況や管理も含めて見守る必要があります。だからこそ、物語は「成功しました」で終わらず、「これからどう育てるか」へ続いていくのですね。

DSCN0036

2. では、今回のツアーでどう展開するか

私は、オキナグサを見せる場面と、サンショウモの物語を語る場面を、少し違う役割にするとよいと思います。

  • オキナグサ:自然に気づく入口。 「なぜ、ここに残っているのだろう?」

  • ノウダのカモメヅル:環境を考える入口。 「この植物が生きられる土地は、どんな場所だろう?」

  • サンショウモ:人が動くことを知る入口。 「一つの発見から、ここまでできるのか!」

つまり、すべての場所で詳しい保全の説明をする必要はありません。道端では「気づく」。田んぼでは「問いを持つ」。マルヤ農林園では「人が取り組んでいることを知る」。そうやって、一日の体験をつないでいくのです。

3. マルヤ農林園での演出案

私なら、池をただ見学する場所ではなく、参加者の見方が変わる場面にします。

「皆さん、ここで一つ、考えてみてください。

生物多様性を守るというと、山に入って珍しい生きものを探す、自然をそのまま残す、そんな姿を思い浮かべるかもしれません。

でも、丹後では、田んぼで一つの植物が見つかったことから、保全の取り組みが始まりました。

小川さんの田んぼで見つかったサンショウモ。それをきっかけに、フィールド探究部との連携が生まれ、保全の取り組みが広がり、ここでは、その植物を守ることを考えた池まで確保していただいています。

一つの発見が、人と人をつなぎ、土地の使い方を変えていく。

では、この池は、ただの池でしょうか。

それとも、地域の人と、若い人と、生きものが一緒につくっていく、新しい自然の居場所でしょうか。

生物多様性を守るというのは、珍しい生きものの名前をたくさん覚えることだけではないのですね。」

この語りで大切なのは、小川さん、フィールド探究部、マルヤ農林園のそれぞれの役割をきちんと紹介することです。保全の物語は、誰か一人の英雄譚ではなく、気づいた人、調べる人、場所を提供する人、見守る人の連携によって生まれるのですから。

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4. そして、安田さんの本当の狙い

ここから先は、今回のツアーを越えて広がる話だと思います。

希少種を発見したら、専門家に報告して終わり。自然共生サイトに認定されたら、看板を立てて終わり。そうではなく、発見を地域の人と共有し、若い人が探究し、保全する場所をつくり、経過を観察し、次の担い手へ渡していく。

サンショウモの話は、その可能性を具体的に示しています。

そして、安田さんがこれまで考えてきた天橋立の構想にも、同じ骨格があります。

天橋立という美しい景観を守る。それだけでなく、その景観を生み出した山、川、海のつながりに気づき、地域の人々の営みを知り、そのつながりを次の世代が支えられるようにする。

サンショウモの一枚の発見から、地域の保全の物語へ。天橋立という一つの景観から、丹後全体を大切にする物語へ。

規模は違っても、考え方は同じです。

安田さんがツアーで参加者に見せたいのは、保全の成果だけではない。自然に気づいた人間が、次に何を始められるのか。その可能性そのものなのだと思います。

これは「見えないものを見る」だけでなく、見えたものから、未来をつくる人の動きを見るということですね。

【① ありがとう、、いつも視る天の橋立の自分自身の見え方が、あれ、ちょっと違うと感じたのが面白いことでした、、さて世界遺産とエンターテインメント的要素、その相関を解説くださいな】
kuniyoshi_hashidate_kaminari

そこが面白いんですよねえ!(^.^)

いつも見ている天橋立なのに、伊根を訪ね、上世屋の田んぼを歩き、山の水や人々の仕事を見て戻ってくると、同じ天橋立が少し違って見える。

景色が変わったのではない。景色を見る自分の中に、新しいつながりが生まれた。

これは、世界遺産を考えるうえでも、とても大切なことだと思います。

さて、「世界遺産とエンターテインメント」。ここには、かなり面白い関係があります。

1. 世界遺産は「価値を認めてもらう」だけでなく、「価値に気づいてもらう」もの

世界遺産には、顕著な普遍的価値(OUV=Outstanding Universal Value)という考え方があります。人類全体にとって重要で、将来の世代へ引き継ぐ価値があることを、根拠をもって示す必要があります。

でも、価値があることと、人がその価値を実感できることは別です。

例えば、天橋立を訪れた人が、

  • 「わあ、きれい!」

  • 「股のぞき、面白い!」

  • 「この砂州は、どうやってできたんだろう?」

  • 「山や川や海の営みが、ここにつながっているのか!」

と、体験を通じて理解を深めていく。

この流れをつくるのが、エンターテインメントの力です。

世界遺産が「何を伝えるか」を問うなら、エンターテインメントは「どうすれば人がその価値に出会えるか」を問う。

両者は対立するものではなく、役割が違うのです。

2. エンターテインメントの役割は、楽しませることだけではない

「エンターテインメント」と聞くと、ショー、イベント、ゲーム、派手な演出などを思い浮かべますね。

けれど、文化遺産の世界で考えると、もっと広い意味があります。

ユネスコ世界遺産センターは、遺産の価値を伝える「解説・解釈(interpretation)」を、看板や説明文だけでなく、物語、体験、教育活動、地域の参加などを通して理解を深める営みとして捉えています。

Guide 5: Communicating with visitors
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私は、エンターテインメントには、少なくとも四つの働きがあると思います。

Amanohashidate 2026: Things to Do, How to Get There & Itinerary

	– Keep Good Trip

① まず、心をつかむ――「わああー!」

絶景、意外性、ユーモア、驚き。まずは「面白そう!」と思ってもらう。関心が生まれなければ、その先の理解も始まりません。

Avenue of pines

② 身体を動かす――「きゃあー!」

股のぞき、海辺を歩く、田んぼの水をのぞく。自分の身体で体験すると、風景は遠くから眺める対象ではなく、自分が関わる世界になります。

Kamiseya Village, Kyoto, Japan

③ 見方をひっくり返す――「なんとなあ!!」

「海の町なのに、山の田んぼが酒造りにつながっている」「あの砂州は、山や川と無関係ではない」。知っているつもりだった世界に、新しい関係が見えてくる。

One of The Three Most Scenic Spots of Japan: Amanohashidate Sandbar and Scenic Coastal Panorama, Amanohashidate, Kyoto, Japan

④ 静かに考える――「知」から「智」へ

「この風景を未来に残すには、何を大切にすればいいのだろう」。楽しかった体験が、自分自身の問いに変わる。

この四段階は、安田さんのガイドの組み立てに、とてもよく合います。

大切なのは、エンターテインメントが最後まで騒がしくなくてよい、ということです。

笑いのあとに沈黙がある。驚きのあとに、考える時間がある。

よいエンターテインメントは、楽しさを消費させるだけでなく、世界の見え方を変えることができる。

3. ただし、世界遺産とエンターテインメントには、緊張関係もある

ここは、見落としたくありません。

世界遺産を観光資源として活用すれば、地域経済や雇用に利益をもたらす可能性があります。一方、観光が適切に管理されなければ、遺産そのものや地域の暮らしに負担を与えます。ユネスコも、遺産の保護、来訪者の体験、地域社会の参加を一緒に考える必要性を指摘しています。

World Heritage and Sustainable Tourism Programme
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この関係を整理すると、こうなります。

エンターテインメントが向かう先

起こりうること

人を集めることだけ

混雑、消費、写真撮影だけで終わる観光

分かりやすく伝えること

遺産への関心が高まり、理解が深まる

地域の人と来訪者を結ぶこと

地域の仕事や文化への理解、継承への参加が生まれる

楽しさを問いにつなぐこと

来訪者自身が保全や地域の未来を考え始める

つまり、問題は「世界遺産にエンターテインメントを持ち込んでよいか」ではありません。

何を面白く見せ、何を理解してもらい、その結果として何が残るのか。

そこが問われるのだと思います。

4. 天橋立なら、何をエンターテインメントにできるか

ここで、安田さんの構想に戻りましょう。

天橋立には、すでに股のぞきという、身体を使って風景の見え方を変える体験があります。これを単なる名物で終わらせず、もっと広い「見方を変える仕掛け」に展開できるのではないでしょうか。

Aerial Amanohashidate Sandbar with Coastal Village and Mountainous Miyazu Bay

遊び:砂の橋は、どこから来た?

まず砂州を見て、「この砂は、どこから来たんだろう?」と問いを投げる。そこから山、川、海流、地形の変化をたどる。地球の営みを、謎解きとして体験する。

A Guide to Ine, Kyoto by the Sea | Rakuten Travel

発見:海の町を、山から読む

伊根の舟屋を眺めたあとに、野室の田んぼや酒造りを訪ねる。「海だけでは伊根はわからない」という気づきを、実際の場所のつながりから生み出す。

Kamiseya village  in northern Kyoto Prefecture, Japan

体験:山の暮らしを読み解く

水の流れ、田んぼの石垣、巨樹、和紙や藤織り。参加者が「変なもの」を発見し、その理由を考える。答えを当てるゲームではなく、問いを育てる探究にする。

梅小路公園、朱雀の庭の水鏡 | 京都ちゅーすけのブログ

連結:朱雀の庭で、天橋立を見つける

京都の庭園で天橋立を思い出す。そこから「なぜ、ここに天橋立が描かれたのだろう?」と問いが生まれれば、丹後と京都が一つの学びの線でつながる。

ただし、朱雀の庭の意匠については、天橋立を参照したものなのか、設計者が何を意図したのか、確認できる資料に基づいて説明する必要があります。見た目の類似と、設計上の意図は別です。

それでも、安田さん自身が朱雀の庭で感じた「いつもの天橋立が違って見えた」という体験は、来訪者の学びを考えるうえで重要な手がかりです。

5. 世界遺産の価値は、認定された瞬間だけにあるのではない

私がこの話でいちばん大切だと思うのは、ここです。

世界遺産登録は、価値を国際的に認めてもらうための大きな目標です。しかし、登録されても、訪れた人が景色を写真に撮って帰るだけなら、遺産の意味が十分に伝わったとは言えません。

逆に、まだ世界遺産に登録されていない場所でも、そこを訪れた人が新しい見方を獲得し、地域の人と出会い、自然や文化を守ることに関心を持つなら、遺産を未来へつなぐ営みは始まっています。

これは、登録を目指すことの価値を否定する話ではありません。登録を目指す活動と、登録の前後を通じて価値を伝え続ける活動を、両輪にするということです。

ユネスコの来訪者向け解説の考え方も、遺産の価値を分かりやすく伝えるだけでなく、理解を深め、保全への関心や参加につなげることを重視しています。

UNESCO World Heritage Centre
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そして、安田さんが今日話してくださった体験に戻ります。

いつも見ている天橋立が、少し違って見えた。

その変化は、世界遺産の専門用語を覚えたからではない。伊根や上世屋、そして朱雀の庭とのつながりが、自分の中にできたからです。

だから、私はこう考えます。

世界遺産のエンターテインメントとは、遺産を面白く飾り立てることではない。人が遺産と出会い直し、その価値を自分自身の問題として感じられるようにすることだ。

天橋立を「見る」楽しさから、天橋立が「生まれる世界を知る」楽しさへ。

そして、その世界を次の世代へ手渡すことへ。

安田さんの10月17日の旅は、まさにその関係を試してみる実践になるのだと思います。

【このツアーは、「きょうと生物多様性センター・京都府立丹後海と星の見える丘公園・京都府」の主催です、この意図、地元にとっての意義について解説いただきたい(^.^)、】
 京都府立 丹後海と星の見える丘公園 | まるごと北近畿

おお、これは大事な視点です(^.^)

主催者が「きょうと生物多様性センター・京都府立丹後海と星の見える丘公園・京都府」であることを踏まえると、このツアーは、単なる伊根・上世屋の観光案内ではありません。生物多様性を、地域の自然だけでなく、文化や生業、人の暮らしとのつながりから学ぶ現地研修として位置づけられます。

そして、安田さんが組み立ててきた「海から山へ、山から川へ、そして天橋立へ」という見方は、その趣旨と深く響き合っています。

1. 主催者は、何をしようとしているのか

京都府の公式募集案内では、文化と自然のつながりを体感し、生物多様性への理解を深める催しとして、この現地研修会を紹介しています。2026年は、海と星の見える丘公園の開園20周年を機に、伊根の日本酒と上世屋の里山文化をテーマにしたトークライブを行い、その第2弾として今回の現地研修会を企画しています。

京都府

主催者それぞれの役割を読み解くと、次のようになります。

9月27・28日「きょうと☆いきものフェス!2025」を開催します!/きょうと生物多様性センター

きょうと生物多様性センター——自然と人をつなぐ

生物多様性に関する情報や知見を集めるだけでなく、保全活動の担い手を育て、地域住民・保全団体・研究機関・企業などの連携を促す役割を担っています。つまり、自然についての知識を、地域での行動につなげる仕事です。

京都府
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6月22日「きょうと★いきものフェス!2025inうみほし」開催しました!/きょうと生物多様性センター

海と星の見える丘公園——学びを現場で体験する

公園は、自然との共生を体験し、環境について学ぶ拠点として設けられました。2025年には自然共生サイトにも認定され、森林や湿地の維持管理、生きものの保全、環境教育を進めています。今回の研修は、公園の中だけでなく、丹後の地域そのものを学びのフィールドに広げる機会とも読めます。

京都府
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京都・伊根の舟屋で撮影されたエメラルド色の絶景 「透明感すごい」「名画のような一枚」と驚きの声 | LIMO | くらしとお金の経済メディア

京都府——地域の実践を、府域の環境政策につなぐ

府の立場からは、自然環境の保全を行政の制度や計画だけに閉じず、地域の文化・生業・学びと結びつけて広げていく意味があります。今回の研修も、その方向に沿った取り組みと考えられます。

京都府
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公式に明記された目的と、そこから読み取れる意義は分けておきたいところです。以下は、その趣旨を踏まえた私の解釈です。

2. 地元にとって、どんな意味があるのか

私は、ここが一番大切だと思います。

この研修の価値は、丹後の自然を「見に来てもらう」ことだけでなく、丹後で続いてきた暮らしを、生物多様性を支える営みとして見直すことにある。

今回の訪問地を、その視点で読み直してみましょう。

st situationさんの投稿|京都府伊根町にある新井の棚田ここから見る景色が最高に好きで、過去何度も訪れ癒されました|【京丹後市】【京都府】【田んぼ】【田園風景】【夏】【田舎】【絶景】【クールジャパン】【観光】【自然】|日本の魅力発信インバウンドSNS「クールジャパンビデオ」

① 伊根・野室——海の町を、海だけで説明しない

伊根といえば舟屋、海、漁業。しかし、今回の研修では野室の畑作業にも触れます。これは重要です。

海辺の暮らしを支えるのは、海の恵みだけではありません。山の土地、水、農作物、集落の人間関係、そして食をめぐる仕事もあります。

日本酒も、酒蔵だけで生まれるわけではない。米や水、それを育み、届ける地域の営みまで視野に入れると、文化と生物多様性のつながりが見えてきます。

公式案内では、午前に野室での畑作業と舟屋周辺の散策を組み合わせています。

京都府
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② 上世屋——人の営みも、生きものの環境をつくる

棚田、水路、畦、草地、林、石垣。こうした場所には、農作物だけでなく、さまざまな生きものが関わってきました。

もちろん、昔の農村なら何でも生物多様性に良い、という話ではありません。大切なのは、人が土地をどう使い、どんな環境を維持し、何を変えてきたのかを具体的に見ることです。

上世屋の和紙や藤織りなどの文化も、植物や森林、水、土地の条件、人の技術と切り離せません。伝統文化は、自然を人間の側から読み解く入口にもなるのです。

京都府景観資産登録地区の紹介13/京都府ホームページ

③ 自然共生サイト——保全を、地域の具体的な仕事にする

今回見学する「マルヤ農林園上世屋&岡ノ前棚田跡交園」は、自然共生サイトとして紹介されています。海と星の見える丘公園自体も、森林・湿地の管理や生きものの保全、環境教育を進める自然共生サイトです。

京都府
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ここから考えたいのは、認定の看板を得ることだけではありません。土地を手入れする人がいて、生きものの環境が保たれ、次の担い手が生まれ、その取り組みを地域の外の人も理解し、応援できる。その循環をどう育てるか、という問いです。

3. 地元にとっては、「地域の価値を語る言葉」を増やす機会でもある

地域の人にとって、毎日の田んぼや水路、山仕事は、必ずしも「生物多様性」として意識されているわけではありません。暮らしを続けるための仕事であり、当たり前の風景でもあるでしょう。

けれど、外から来た参加者が、

  • この水路は、どこから水を引いているのだろう。

  • この棚田の形には、どんな土地の条件が表れているのだろう。

  • この草地や林を維持することは、生きものにどんな意味を持つのだろう。

  • この仕事が続かなくなったら、風景や生きものはどう変わるのだろう。

と問い始めたら、見慣れた風景が違って見えてきます。

そして、地域の側にも変化が起きる可能性があります。

「うちには何もない」ではなく、「ここで続けてきたことには、こんな意味があったのかもしれない」と考えるきっかけになる。

これは、観光客を増やすこととは少し違います。地域の人が自分たちの暮らしを語る言葉を増やし、外部の人と共有できる価値を見つけていくことです。

ただし、地域を外部の人が勝手に美化してはいけません。人口減少や担い手不足、作業の負担、収入の問題も含めて、暮らしの現実を尊重する必要があります。保全をお願いするだけでなく、地域にどんな利益や支えが戻るのかも大切です。

4. 京都市街地と丹後を結ぶ意味

ここには、もう一つ大きな意味があります。

京都というと、寺社、庭園、伝統文化を思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、その文化を支えてきた自然の恵みは、京都市街地の中だけで完結していません。京都府は、伝統・文化や暮らしを支えてきた自然の恵みを次世代につなぐことを、生物多様性センターの目的に掲げています。

京都府

今回、参加者は伊根と上世屋を訪ねます。そこで出会うのは、京都の中心部から離れた「別の京都」です。

その経験によって、生物多様性が、希少な動植物の保護だけではなく、食べ物、仕事、集落、文化、土地の使い方を含む問題なのだと理解できるかもしれません。

これは丹後だけのための研修ではありません。京都全体が、自分たちの暮らしを支えている自然の広がりを知るための研修ともいえるのです。

5. そして、安田さんのガイドには何が求められるか

ここで、今回の研修の公式な趣旨と、安田さんが描いてきたツアーの構想が重なります。

公式案内の中心は「文化と生物多様性のつながりを学ぶこと」です。安田さんは、そこからさらに、参加者が自分で発見できる問いを用意している。

  • 伊根を、舟屋だけで理解できるだろうか。

  • 上世屋の棚田は、なぜこの地形にあるのだろう。

  • 山の水、田んぼの米、海辺の酒蔵は、どうつながっているのだろう。

  • そして、天橋立を生み出した山・川・海のつながりは、どこに見えるのだろう。

これらの問いは、生物多様性を難しい専門用語だけで説明する代わりに、参加者が歩き、見つけ、考えるための入口になります。

私は、安田さんの役割は、正解をすべて説明することではなく、地元の人が積み重ねてきた知恵と、参加者が新たに発見する驚きのあいだに橋を架けることだと思います。

そして、その橋を渡った参加者が、帰宅後も丹後を思い出し、地域の活動に関心を持ったり、誰かに伝えたり、再び訪れたりする。そこまでつながれば、現地研修の意味は一日限りではなくなります。

私なら、この研修の意義をこうまとめます

丹後の自然を守ることは、山や川や海を、人の暮らしから切り離して守ることではない。

その土地で生きてきた人々の営みを知り、自然との関係を見つめ直し、これからも地域で暮らし続けられる可能性を、ともに考えることでもある。

伊根の海辺と、上世屋の山里を訪ねるこの研修は、生物多様性を「生きものの問題」から「自然と人間がどう生きていくかという問題」へと広げる機会なのだ。

そして、安田さんが最近つかんだ言葉に戻るのです。

「おみこしには担ぎ手がいる!!」

天橋立という景観を大切にする。そのためには、景観を生み出した山も、川も、海も、そこで暮らす人々の営みも大切にする。そして、その価値を理解し、次の世代へ手渡す人を育てる。

今回の研修を、そんな「担ぎ手」を増やす一歩として捉えることができるのではないでしょうか。

一つ、付け加えておきます。京都府の公式案内では、主催はきょうと生物多様性センター、共催は京都府と京都府立丹後海と星の見える丘公園と記載されています。

京都府

三者がそれぞれの立場から関わること自体にも、情報を集める、現場で学ぶ、地域の実践を支える、という連携の意味が見えてきます。

【お言葉にあまえて、今日の段階の原稿です、アドバイスくださいな、「 丹後へ ようこそいらっしゃいました   はるばる京都から!!秋 真っ盛り 紅葉の都から、、▼ 丹後にも紅葉はおとずれています、比較したら、作った秋、盛った秋 地のというのか地に根ざした生き様、人が向き合う大地、その生の秋 差はおおきいですね。あり意味丹後を代表する伊根と上世屋という状況の中から自然と人間とのバランスを考える、ツアーになればいいかな、と思います。▼今日一日、お付き合いさせていただきます▼ エコツアーガイドの安田です よろしくお願いします▼ あれ!?▼ポイント▼《一部》、 宮津市▼ 織田信長の丹後侵攻1578~79年(天正6~7)、▼ 鉄道の宮津・天橋立方面への延伸 1924~25年、 ▼ 日本冶金工業・岩滝製錬工場進出1939~42年 ▼ 、、、、、およそ新しきものは、遠方より来たる ▼ 一方で、中山間地を広く持つ、舵取りの難しい町。▼ 天橋立という砂州がが市街地と北の中山間地を結びます。、 駅    9;30 宮津駅  ▼ホームに立っているのは小説家 瀬尾まい子と和田龍&水上努さんか!! 大手川 《車窓》 大手川 宮津城   天橋立駅 経由 天橋立駅  鉄道 開通 観光化促進 右手に海  《車窓》▼向かいに山▼ 山の右裾に松並木▼伊根はどっち! 伊根へ行きたいんですけど  伊根ってこっちなの!? はははは▼  阿蘇かい 海を名乗ってます 砂州が出来る前は入り江 つまり海だったのでしょう、約5 km²(約500ha)の潟湖 周囲15km  松並木約4km、 10kmばかり遠回り になります  ▼ 、▼ 足利時代、丹後を訪れ絵を描かれた、当時トップのお坊さんの画家さんがいらっしゃいました  雪舟さんです   天橋立絵図   ▼ 丹後守護所があって 篭神社 成相寺 それらがあるのが対岸なんです、 これからそこへ回ります  消防署交差点▼大工場 《車窓》▼ 右折▼  日本冶金大江山工場 冶金とは! ▼  関東大震災 消化器具とかけて潜水艦と解く、その心は!!  川  《車窓》▼ ▼▼岩滝市街地 《車窓》 野田川  ※ 野田   このあたりが、『最後の一色』の主戦場。▼ 野田,ノダ、湿地、、水用語、今回企画のキーワード     ▼▼ 丹後縮緬の町です ここが、山間部の村々、離農離村される方々を受け入れた、そのための町作りがされたところです 土地に封建的に縛り付けられていた、その米作りも大型化、山間農村は対応不可。新しい時代の仕組みに適応する、離村しか無かった。▼この町に多い名字、糸井、ピンと来ませんか、もと阪神! 与謝の海支援学校▼ 《車窓》 おかしい 地元の人でも、悩んでいる、、阿蘇の海でしょう▼ 与謝の海は松並木の向こう側 なぜだ▼、、わたしもわかりません、、▼朝眼を覚ましたら、海が二つに、だった、と言うこと ここが ヒントかな、つまり、初めは、与謝の海、あえて仮説!▼、▼ここから、雪舟さんの画かれた丹後守護所、国分寺、篭神社という中世ワ▼ールドになります、 篭神社 《車窓》 ナンバー神社 丹後一の宮 国司が一番に  江戸になって藩主、一番にご挨拶にがここ。  ▼格式別格一番 主祭神火明り命 海部系図と鏡 亀に浦島さんも。▼海の海流は、高速道路みたいなもの 海を操る渡来系文化を携えたかただったようですね。 高石海岸 《車窓》 天橋立絵図   、島を二つ、雪舟さん,画いてらっしゃいます、▼ 右 前方に見える 島なのです▼ あの島のお隣さんが野室、伊根なのです。あの島を意識しながら海岸を北上しますね▼渡来文化 濃厚   日置の庄 《車窓》▼ 丹後風土記残欠に  丹後の国 日置の庄 ここ 風土記残欠はさらに▼筒川の里に 人あり、名を浦島太郎。つまり 筒川の里というのは、古代伊根なんです  崖 海 《車窓》 滑走路のような道から 左 崖  右 海 間 岩ごろごろ わたしは丹後親知らず子不知海岸と呼んでいる、、伊根街道の不思議①です 左折  《車窓》▼ 波見、→ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん! はみ、はみ、はみ谷、どんな漢字!!元々めちゃパワー」の意味らしいですよ(^.^) 海星公園▼日置橋立ビュー▼10;05 着 地元参加者などと合流▼▼ ※2006年8月の開園▼、自然と共生する持続可能な暮らしの体験・学習の場とすること、▼さらに丹後地域の広域レクリエーションや観光振興に応えることを目的。  あれ!?▼ポイント▼《二部》 《無い物ねだりはしない ある物を活かす 》▼ 2005年3月13日の宮津市との合併をめぐる伊根町住民投票。投票率は80.23%、賛成941票(47%)、反対1,050票(52%。)▼ 「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」 海星公園10;10 発▼  車中にて結団交流 挨拶と予定確認 ▼スタッフ紹介▼ 参加者交流 司会 野木公園長▼▼ さて お願い ▼今日のツアーのお題▼「丹後  伊根・上世屋 に 自然、人、生業を訪ねる」▼①   湾 → 外海 → 海が見えなくなる そんな海の見え方▼② 遠い山 → 迫る山 → 谷の山 山の距離       ▼③  海 → 河口 → 川 → 沢 川 ▼⑤ 港 → 集落 → 道路沿いの暮らし → 山の暮らし 人の気配   ▼④   舟屋・漁業 → 集落・農地 → 森林 土地利用 ▼ こういう変化にとんでいます、▼石垣、橋、田んぼ、放棄された農地、雑木林、崩れた斜面、小さな社▼ 「変なもの」いっぱい! その何だろ、なぜだろう、それは、科学の入▼▼り口なんですって、そういう過程を踏む、発達には大事▼こういうのを、はやりの言葉でSSH(スーパーサイエンス)する というんですって(^.^)▼「今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人はすぐ▼答えを知りたがりますからね。(^.^)」今日は小学生のお子さんが(^.^)、▼お子さん目線で見てくだされば、、ね。  波見・長江《車窓》 再び  左 崖  右 海 間 岩ごろごろ 親知らず子不知② ▼長江 《車窓》→ ▼▼▼ 二つの「親知らず子不知海岸」、、その間にハミの谷、,侮れない気がしませんか 巨大ななにかが、、、▼海岸にいる白い鳥、これは? うーん どこ見分ける?▼どっちかな、、そして、どこで子育てしてるのでしょうか▼、、答えは おいておきましょう、 舟屋群《車窓》→▼ 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成  冠島・沓島・新井の里▼パノラマ観望▼ 10;30 着▼ 10;40 発 冠島・沓島 13km ▼▼「火明かり命 奥の院 ここから、入り江に入ってここで、なんというか一旗揚げようというか成功されたということなんですって。▼天橋立ワールドの起点はここだと思いませんか(^.^)▼▼岸でみた白い海鳥たち、彼らが子育てをするのはここなんです。▼漁師にとっては、魚を追う目印であり、荒れた海から逃れる場所でもありました。島に神を祀り、豊漁や海上安全を祈りました。▼近代になると、同じ島が軍事拠点にもなりました。▼伊根町か,いえ、舞鶴市▼▼同じ島なのに、見る立場によって、こんなに違う顔を持っている。▼もろもろの面からただの無人島ではないんです。▼人間がこの島とどう関わってきたか、そのすべてを含めて、次の世代に伝えることが大切なのではないでしょうか。 この里、有名なスポーツ選手でていますよ、全国女子駅伝中学生区間、初めの頃活躍した石倉君。この坂道が鍛えたんです!!▼新井は、漁業の村、と思う、なので崖に発達したと。山ぎわに里がある、そこが始まり、上げ という、漁法が発達したのでそこから、浜へ降りていって里を作った。 泊→津母・油屋→▼ 《車窓》 屋号 アブラ屋 油って何だと思います?▼ (※境界 校区▼畑 柵 網 さて、これは? なら、なぜ? サルと常緑広葉樹林 野室 10;55着▼▼   11;40発▼ 野室「赤米・隠したんぼ」探究&田んぼ作業 ▼▼野室水道井戸で下車▼2013年(平成25年)4月1日現在「11世帯・33人」の生活をまかなっている▼▼《伊根町のもう一つの姿》▼ 昭和50年、1975年の伊根町には、4,283人が暮らしていました。▼ それから50年。2025年の人口は1,861人。▼  伊根を訪ねる人は、舟屋の風景に魅せられてやって来ます。▼ けれど、町の人口は、半分以下になりました。▼  ▼ 山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。▼海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。▼山の水を受け止める田んぼがあり、米を育てる人がいて、その米の個性を引き出そうとする酒造りがある。▼しかも、古代米という古いものを、現代の知恵で新しい酒にしている。▼古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。▼こういうところを、私たちは伊根に、そして野室に見なくてはいけないのでしょう、ね! 津母→ 《車窓》▼泊→ 《車窓》▼六万部→ 《車窓》▼朝妻 → 《車窓》▼大原 → 《車窓》 さて、これからもう一度、伊根の舟屋、向井酒造さんを訪ねます。▼▼津母、泊、六万部、朝妻、大原……。▼小さいですけれど、肩を寄せ合うように固まった里が、車で走っていると、なんだか数珠のようにつながって見えますね。町で連なっているのは名前だけ!!……(^.^)▼▼そういう数珠ごとに巨樹 お宮さんやお寺にね▼丹後の巨樹を探して、高校生たちと道のないところまで歩いたことがあります。 ざっと数えて、3500本ほど。巨樹って▼一本一本の木に、なんだか人の気配があるんですよ。▼たとえば、幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。▼100年の間、▼その木を見ていた人がいた。中には、わしだと思ってくれと植えて、戦争にいきなった木だ。▼一本一本に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。▼◆泊神社 タブ ◆振宗寺 イチョウ ▼「ここに何があったんだろう?」▼今日も、そんなものを一緒に探す旅をしているんだと思います。▼▼伊根、観光客でいっぱいです。あかいさーん どうしてこんなに大きくなったんですか ▼伊根の舟屋が重要伝統的建造物群保存地区になったのは2005年。▼でもね、「小さい伊根」が、ひょっとしたら残っているかもしれません。▼▼ はい、向井酒造、久仁子さん 待っててくれますよ 伊根。高梨 舟屋お祭りロード▼    11;54着 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成 ▼必見▼◆①井戸 吉村屋 横入る▼ 川には見える水の道がある。地下には見えない水の道がある。▼◆②海蔵寺 エドヒガンサクラ 180年 海の一本桜▼ 向井酒造 ▼     12;05着▼    12;40発 ○ 向井久仁子さんは1999年から杜氏を務め、当時は京都府初の女性杜氏として注目される。「伊根の伝統を守っている人が、伝統だけを守っているわけではない。」▼伝統的な生酛・山廃も守りながら、野室・赤米や上世屋無農薬米を使った酒造りにも。 高校跡 サプライズチェーン▼役場 消防分署▼バイパス→ 《車窓》▼ 養老伊根バイパスは宮津市岩ヶ鼻~伊根町平田の延長4.7km。平成6年度に事業着手「平成22年度(2010年度)に全線開通」。▼「古い伊根を守ろう」とする動きと、▼「伊根へ安全・便利に入れる新しい道をつくる」動きが、ほぼ同じ時代に進んでいた。 あれ!?▼ポイント▼《三部》 かってはリゾート構想夢の里、いまポツンと一軒家里▼京都最強の豪雪高原は、チャレンジ7つのエコミュージアム世屋高原 波見の谷→ 《車窓》▼ 12;54 発▼▼▼▼▼▼▼▼▼ゴルフ場→ 《車窓》▼▼▼▼川   左折▼▼ 世屋谷・世屋街道▼ → 《車窓》▼ 波見川▼   支流の谷 親知らず子不知海岸の間の谷にもう一度入りますそして上世屋に向かいます お昼をいただいて 午後メニューです。 ▼ここまでは 海岸にそって 横に 水平に走っていました ▼今度は、縦に走ることになります▼ステージ第三部、、 お題は《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 奇跡・7つのチャレンジ というようなイメージでの案内になります。▼▼ だいら ゴルフ場地形 なんだ この平らさ 異常ですね SSHのネタです(^.^)正面の山 そこを目指します 直線か!ではない▼いったん別の谷に,降りていきます、、 ▼▼世屋谷 せや川です、▼正面川向こうの里から上が、旧世屋村、下世屋、上流に上世屋がある▼世屋川、全長上から見たら8km、横から見たら700m 地形様々で川の博物館みたいな川、、SSHのネタ連発なんですよ、▼ ▼「わずか8kmほどの間に、700m近い高さを降りて海へ行く川なんです」▼ 700m ÷ 8,000m ≒ 8.8%▼▼例えば 漢字でかわ、川、三本線の川、、なんでかがなるほど、と一発でわかる  ▼▼ 崖 異常にきれい ▼ お昼会場に向かいます 案内には 上世屋の獣肉 ▼  なぜいまシカ  メチャメチャ可笑しい!!▼ 京都府宮津市世屋の人口・世帯※2020年▼人口▼93人(男性 48人 女性 45人)宮津市内 10位▼世帯46世帯宮津市内 10位▼面積28.81km²宮津市内 2位▼人口密度3人/km²宮津市内 10位▼※ 子ども ▼10~14歳 1 5~9歳 4 0~4歳 4 上世屋獣肉店・世屋ハウス▼ 13;10 着 ▼ 13;45 発▼▼ 2026年4月公表の環境省推定では、2023年度末の全国のニホンジカは中央値で 約303万頭。 京都府は2020年度の約9.6万頭を基準に、2026年度末に半減 → 約48,000頭を管理目標としていました。ところが、2025年度の事業計画では、依然として年間捕獲目標をメスジカ 15,000頭オスジカ 11,000頭合計26,000頭としています。 和紙工房・いとおかし▼ 13;50 着▼ 14;10 発▼ 、世屋産の楮、福知山・夜久野産の三椏などを使い、原料の栽培・採取から製品づくりまで一貫して行っています。トロロアオイも自ら栽培しています。▼つまり山や畑にある植物 → 繊維 → 紙 → 暮らし、というところまで戻っている。 「そして、この紙をつくっている人も、もともとここに生まれた人ではありません。」「外から来た人が、昔この土地にあった生業に出会って、もう一度、自分の仕事として始めた。」「さて、これは『伝統を守る』ということなんでしょうか。」▼▼「それとも、伝統を次の時代につくり直すということなんでしょうか。」 松尾たんぼ・ウオーク 1km▼▼ 14;20 着▼ 14;55 発▼ ▼▼ ※バス ▼旧汐霧荘入り口に回送待▼機▼ 松尾たんぼ →  圃場整備 機械可能▼ シンボル→ 山の一本桜 溝口平一郎ファミリー記念樹▼ 「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼▼   加えて 飯尾醸造 ※ 発酵 酢▼    企業 無農薬栽培 酢 まず米 その生育環境 ▼    大豆 ※  発酵 味噌 「世屋味噌」引き継いだ▼  湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!▼  歩きましょう!その湧水まで!▼ 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある▼ 道脇に、超レアー種もある、▼  発見されたら、多様センター永久会員認定ですね▼  岳水 ここの生活 水道代0円 天国 マルヤ農林園 →▼ 15;00 着▼ 15;20 発▼▼▼ こ90歳になったらなにしてらっしゃいます▼ ノダフジ ※野田 ショウブ 紙漉きノリウツギ (サビタ)▼ 再生と新たなチャレンジ、ここは自然共生サイトです。▼かつての湿地棚田。その違いを見ながら、考えてみたいんです。▼田んぼを守るとは、何を守ることなのか。生きものを守るとは、何をすることなのか。そして、この山の暮らしを支えている水は、どこから来て、どこへ向かうのか。▼そのつながりをここで探しているのフィールド探究部、シンボルプラント『サンショウモ』。この保全活動で、日本自然保護大賞を受賞した!▼▼お土産は、ネギ。土付き、土、黒いでしょう、、火山灰、九州鹿児島の鬼 道路情報計測地 《車窓》 京都最強の豪雪高原、京都府の道路積雪情報はここで計測発信、いつもダントツ!2m越える、そんなら行きます、そんな真冬にマイクロバス三台で子どもたち。ユーチューブ『花鳥風月・ぶら丹後』で検索してみてくださいね ノウダ・岡の前→ ▼ 15;25 着・発▼ 15;45 着▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※小川家玄関ツバメ穴  上世屋周辺は地すべり地形の移動堆積地で、比較的平坦な土地ができた場所です。京都府は上世屋を、棚田と伝統的な民家、周囲の森林が一体となった農村景観として評価し、丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原地区の中心的な里山景観として位置づけています。▼▼ ①小川雅道さん▼ 「上世屋生まれ、上世屋育ち。牛を飼いながら米を作ってきた人」▼土地との時間的な厚み。これは移住者には代替できない価値。。▼「土地の記憶・水の順番・田の癖」を持っている超地元人▼+▼移住者が持ち込んだ新しい技術・販路・発想▼+▼飯尾醸造の継続的な需要が重なって、今の上世屋棚田がある。 「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。」▼「同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」▼ツバメは田んぼの害虫を食べます。、▼米を作る人↓田んぼ↓昆虫↓ツバメ↓人の家まで、生態系の線が一本になる。環境省も上世屋を、棚田・畦畔・広葉樹林など、人の生活や生業と結びついた里山生態系が維持されている地域として位置づけています▼▼※地名ノウダ 野田 ふけ 湿地 大フケ小フケ  藤織り工房。ののの→▼ 15;45 着▼▼ 16;05 発 保存会で学び、上世屋に移住し、自分の工房を構えて伝承を次の段階へ持っていこうとしている人。▼キャリア▼大学では物理学を専攻。その後、結城紬の地機による製織を4年間学び、愛媛県野村シルク博物館で、糸づくり・染色・製織など絹織物の一連の工程を学び、さらに龍村美術織物でジャカードによる手織り職人を6年間経験。さらに、丹後藤織り保存会の講習会に参加し、30期生として藤織りを習得。そして2018年、保存会員として通っていた上世屋へ移住し、「藤織り工房 ののの」として活動。 世屋高原上世屋休憩所▼ 16;15 発▼▼▼▼▼ 世屋高原の小中学生の学校跡に2011年6月「地域のにぎわい拠点」としてオープン。世屋高原では、学校は単に「教育施設」だっただけでなく、地域の人が集まり、文化を受け継ぐ場所。▼その学校の役割が縮小・終了した後に、▼↓▼空き施設・跡地↓地域資源として再活用↓休憩所・交流拠点↓藤織りなど地域文化の伝承・発信という流れがある。。宮津天橋高校フィールド探究部が、「世屋高原探究拠点」として活用している。 世屋姫飯尾田んぼ▼   16;40 発 サンショウモは水田雑草か! 水田保全実験▼ ▼ 車中にて解団交流 司会 野木公園長▼ 海星公園16;55 着▼   17;00 発   宮津駅 17;35 着 電車18;20 2021年(令和3年)1月に実施された大学入学共通テストの地理の試験問題で、宮津市と北部山間の村の対比を考えるという趣旨の出題がされた、 宮津市と北部山間の村、この間を結んでいるのが天の橋立、この橋は、木の橋でも鉄の橋でも、コンクリートの橋でもありません、砂の橋です、その砂はどこから、、感じていただけたら嬉しいです▼ 「世屋には、93人が暮らしています。そのうち、子どもは9人です。10パーセントは子どもなんで▼子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。▼夢の橋を架けるのは子どもたち 、私たち大人も子どもでした(^.^) そのメッセージ、忘れないでいたら、砂の橋は、、個人的にはきっと、「世界遺産」届くと信じています。▼ そして、今日のメインテーマ、豊かな暮らしをつくり、いまは資源循環へ向かおうとしているしかし矛盾も多い、このなかでその全部を含めて、私たちは『自然と共生する』とは何を意味するのか?」 お互いに学ぶものがあったら、嬉しいと思います。▼今日は、ありがとうございました。 」】
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拝読しました。いやあ、これはもう、単なる観光ガイドの原稿ではありませんね。(^.^)

今回の稿で、私がいちばん注目したのは、海から山へ移動する一日の中に、自然・生業・歴史・人間の選択という四つの糸が通り始めたことです。

そして、最後にもう一度、天橋立へ戻ってくる。

そのとき参加者の目には、朝に見た天橋立とは違うものが映っているかもしれない。ここが、この旅の勝負どころです。

今回は、よいところを褒めるだけではなく、10月17日に実際にガイドをする立場から、厳しめの点検も入れますね。

1. この原稿の芯は、もう見えています

私なら、全体を貫く一本の線を、こう整理します。

第1幕 海から丹後を読み始める

宮津・天橋立・阿蘇海・伊根

なぜ伊根へ行くのに、天橋立の向こう側を回るのか。海岸線、砂州、島、集落を通して、丹後の地形を身体で感じてもらう。

第2幕 海の暮らしは、海だけでは成り立たない

伊根・野室・向井酒造

舟屋の町の背後に、山、水、田んぼ、米、酒造りがある。古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは両立するのか。

第3幕 山の暮らしは、過去ではなく未来につながる

上世屋・棚田・和紙・藤織り・自然共生サイト

水を受け止める田んぼ、土地を知る人、外から来て技を受け継ぐ人。人間の営みと生態系を、実際の風景の中で読み解く。

終幕 ふたたび天橋立へ

砂の橋から、山・川・海・人のつながりへ

天橋立を大切にするとは、天橋立を生み出した世界を大切にすることではないか。では、その世界を誰が未来へ担いでいくのか。

この構成は強いです。特に、伊根で「海だけでは、伊根はわからない」と知り、上世屋で「山だけでも、山はわからない」と知る。そこから、山と海のつながりを砂州という具体物に結び直せます。

天橋立が、旅の最初の観光名所から、旅全体を理解するための鍵へ変わる。

ここは、ぜひ守りたいところです。

宮津エコツアー · 伊根満開で一杯――これは“海民の歴史を飲む”時間+与謝娘で、― 流域の双星、天の橋立を照らす

2. いちばん厳しく言いたいこと――素材を、少し減らしましょう

原稿には、魅力的な材料がたくさんあります。

  • 雪舟の天橋立図

  • 「伊根ってこっちなの!?」という地理の発見

  • 野田川と「野田」という地名

  • 冠島・沓島の信仰、生態系、軍事利用

  • 野室の田んぼと向井酒造の酒造り

  • 巨樹と土地の記憶

  • 上世屋の和紙、棚田、藤織り

  • シカと人間の関係

  • 自然共生サイトと地域の未来

  • そして、天橋立と世界遺産

どれも面白い。問題は、全部を同じ熱量で話したら、参加者が考える時間がなくなることです。

SSH的な探究の旅なら、ガイドが知識を十個提供するより、参加者が一つの問いを持ち帰る方が、深い学びになる場合があります。

私なら、原稿を三段階に仕分けます。

残す

旅の骨格になる話

「伊根ってこっちなの!?」「海だけでは伊根はわからない」「土地の記憶・水の順番・田の癖」「天橋立を生み出した山・川・海」。

短くする

面白いが、骨格から少し離れる話

地名の語源、人物の経歴、各所の歴史年表など。問いを投げて、詳しい説明は一つか二つに絞る。

予備に回す

時間が余ったときに使う話

巨樹の個別エピソード、地名の仮説、補足の歴史、シカの細かな捕獲数など。参加者の反応を見て取り出す。

ガイド原稿は、書いた量が多いほどよいわけではありません。むしろ、これだけの材料を持っているからこそ、当日は話さないものを選べる。

原稿は豊かに、当日の語りは軽やかに。

これが、今回の仕上げの大きな課題です。

3. 冒頭――「作った秋、盛った秋」は、少しだけ研ぎたい

今の書き出しには、安田さんらしい挑発があります。ただし、「京都は作った秋、丹後は地に根ざした生の秋」という対比は、受け取り方によっては京都の庭園文化を下げてしまいます。

そして、今回の朱雀の庭の発見を考えると、京都と丹後を対立させるより、両方の秋を入口にして、自然と人間の関係を考える方が、むしろ構想に合っています。

例えば、こんな具合です。

 

秋、真っ盛り。紅葉の都からお越しですね。

京都には、人の手で磨き上げられた、美しい秋があります。

そして丹後には、山や田んぼ、海辺の暮らしの中に現れる秋があります。

どちらが上という話ではありません。

今日は、丹後を代表する海辺の町・伊根と、山の里・上世屋を訪ねます。

そこで、自然と人間が、どのように向き合い、どのように暮らしをつくってきたのか。

皆さんと一緒に考える一日になればと思っています。

今日一日、お付き合いください。

エコツアーガイドの安田です。よろしくお願いします。

これなら、京都から来た参加者を歓迎しつつ、丹後ならではの風景へ視線を導けます。

そして、冒頭で全部を説明しないことも大切です。「自然と人間のバランスを考える旅です」と宣言するだけでなく、参加者自身が一日の終わりに、その意味を発見できるようにしておく。

4. 車窓案内――「あれ!?」は、今回の武器です

「あれ!?」という印が、原稿に何度も出てきますね。これは、とてもよい発想です。

ガイドが一方的に説明するのではなく、参加者の頭に小さな疑問をつくる仕掛けです。

例えば、宮津から伊根へ向かう車窓。

「伊根へ行きたいんですけど……伊根って、こっちなの!?」

ここで笑いが起きたら、そのあとに説明を詰め込まない。

「地図で見ると近そうでも、実際に行こうとすると、海と山が行く手を決めています。今日は、その地形を身体で感じながら進みます」

これで十分、次の景色を見る目ができます。

同じように、世屋川では、

「上から見たら約8キロ。横から見たら、約700メートル降りる川です」

という表現が印象的です。川を地図上の線として見るのではなく、山の高さや斜面と一緒に考えられる。

ただし、川の長さと高低差は、どの地点からどの地点までを測った数字なのか、事前に確認しておきたいですね。

もう一つ。小学生の目を借りたい、という部分はぜひ残してください。

「変なものがいっぱいあります。石垣、橋、田んぼ、放棄された農地、小さな社。『あれ、何だろう?』『なぜだろう?』。そんな疑問が、科学の入口です。今日は小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人は、すぐ答えを知りたがりますからね(笑)」

ただし、SSHは本来「スーパーサイエンスハイスクール」の略です。「SSHする」は安田さんの遊び心ある表現として使うなら、最初に「今日は、勝手にSSHする旅と呼んでいます」と一言添えると、誤解がありません。

そして、問いを出したら、すぐに答えない。参加者が実際に見たり、考えたりする間をつくる。ここが今回のガイドの腕の見せどころです。

5. ここは特に強い――野室から向井酒造へ

野室のくだりは、今回の原稿の中でも、かなり完成度が高い部分です。

山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。

この文章には、山と海をつなぐ具体的な道筋があります。

「山も海も大切です」と抽象的に語るのではなく、米と酒という目に見えるものを介して、両者がつながる。これは強い。

そして、

古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。

この一文も残したい。

ただ、ここは少しだけ、参加者に考える余地を渡す形にもできます。

「古代米を使った新しい酒造り。古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立するのでしょうか。それとも、古いものがあるからこそ、新しいものが生まれるのでしょうか」

問いかけてから、向井酒造の実践に触れる。

その方が、ガイドの結論を聞くだけでなく、参加者が自分で考え始めます。

また、人口の話は重要ですが、野室の2013年の世帯・人口と伊根町の1975年・2025年の人口は、統計の出典や集計基準をそろえて確認しておきましょう。数字を並べるときには、同じ種類の統計なのかを明確にする。それだけで、語りの信頼性が上がります。

宮津エコツアー · 「海の京都丹後の巨樹ものがたり 改訂版」 ご案内とお願い

6. 巨樹の話――「100年分」は、言い換えましょう

ここは、惜しい!

幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。

巨樹の話そのものは、とてもよい。けれども、幹周の成長速度は樹種や環境によって大きく異なります。単純な計算で、幹回り3メートルが100年分だとは言えません。

それよりも、こんな語りの方が、安田さんの伝えたいことに近いと思います。

幹回り3メートル以上の木は、一般に巨樹と呼ばれます。

でも、幹の太さだけでは、その木が何歳なのかは分かりません。

私が巨樹にひかれるのは、太いからだけではないんです。

その木が、ここで過ごしてきた時間。

その木を植えた人がいたかもしれない。
その木を見上げてきた人がいた。
戦争に行く前に、その木を植えた人もいたかもしれない。

一本一本の木に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。

そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。

「戦争に行く前に植えた木」の具体的な話は、実際にそのような言い伝えや記録がある木に限って使いましょう。確認できていなければ、「そういう思いを託して植えた人もいたかもしれません」と可能性として語るのがよいです。

それから、巨樹を3500本ほど調べたという経験は、数字の根拠や調査範囲を聞かれたときに説明できるようにしておくと安心です。

7. 上世屋――この旅の核心が、ここにあります

上世屋に入ってからは、素材が豊かで、安田さんの経験と観察が生きています。

特に、次の三つは互いに補い合っています。

  • 土地の記憶・水の順番・田の癖――長く暮らしてきた人の知恵。

  • 和紙や藤織りに挑戦する移住者――外から来た人が、土地の文化を次の時代へつなぐ営み。

  • 棚田・畦畔・森林・生きもの――人の暮らしと切り離されていない里山の生態系。

ここには、「昔の暮らしをそのまま保存する」という話に収まらない、現在進行形の地域の姿があります。

小川さんのように土地の時間を知る人がいる。一方で、和紙や藤織りを自分の仕事として受け継ごうとする人もいる。そして、その仕事や暮らしが、田んぼや森林、生きものとの関係の中にある。

この三者を、単に別々の見学先として紹介するのではなく、一つの地域を、異なる立場から支えている人たちとして見せたいですね。

例えば、藤織り工房では、長い経歴をすべて説明する必要はありません。

「保存会で学び、上世屋に移り住み、自分の工房を構えた人がいます。外から来た人が、土地に残る技を学び、ここで仕事として続けている。これは伝統を守ることなのか。それとも、伝統を次の時代につくり直すことなのか」

これで、十分に深い問いになります。

そして、子どもたちに伝えたいのは、地域が衰退しているという話だけではないはずです。

「人が減っている。だから、もう駄目だ」ではなく、「この場所にあるものを、誰が、どうつないでいけるだろう」。

地域の課題を見せながら、地域の可能性も同時に見せる。

このバランスを大切にしたいです。

8. 事実関係で、出発前に確認したい箇所

原稿の説得力を守るため、以下は確認をおすすめします。現時点で誤りと断定するものではなく、断定的な表現をする前に裏付けを取っておきたい箇所です。

原稿の箇所

点検したいこと

織田信長の丹後侵攻(1578~79年)

信長の命令・政治的関与と、実際の丹後での軍事行動を区別する。

野田・ノダ=湿地、水に関する言葉

地名の語源は仮説として扱い、確定した語源のようには語らない。

阿蘇海の名前の由来

「朝起きたら海が二つに」という説明は、面白い仮説として提示する。確立した語源説とは区別する。

雪舟の天橋立図に描かれた島と野室

絵図の島の比定や野室との関係は、確かな根拠がある部分と解釈を分ける。

籠神社と冠島・沓島

「奥の院」という伝承、祭神、信仰の歴史を区別して説明する。

親知らず子不知海岸の「巨大な何か」

地形を見て生まれた問いとしては魅力的。ただし、特定の地形形成過程を断定するなら根拠が必要。

シカの全国推定303万頭、京都府の管理目標

推定値と実測頭数、管理目標と実際の捕獲数を区別する。数字の対象年度も明示する。

大学入学共通テストの地理

2021年の実際の問題文と出題趣旨を確認してから紹介する。

特に、籠神社と冠島・沓島についての「天橋立ワールドの起点はここ」という言葉は、ガイドの解釈としては面白い。ただし、歴史的事実として断定するのではなく、

「私は、天橋立を生み出した世界を考えるとき、この海の島々も大切な手がかりだと思っています」

と語れば、安田さん自身の視点が生きます。

また、シカの全国推定値は、環境省が公表した2023年度末の中央値約303万頭という推定値です。これは実際に数えた頭数ではありません。京都府の管理目標についても、目標値と実際の生息数を混同しないことが大切です。

和紙づくりと上世屋の暮らしの智慧|一般社団法人Tangonian

(↑ 和紙づくりと上世屋の暮らしの智慧|一般社団法人Tangonian

9. そして、最大の実務課題――時間です

ここは、遠慮なく申し上げます。

現状の訪問先と時刻をすべて維持したまま、書かれている内容を十分に話すのは、かなり厳しいと思います。

特に午後です。

  • 13:10~13:45 昼食

  • 13:50~14:10 和紙工房

  • 14:20~14:55 松尾たんぼウォーク(約1km)

  • 15:00~15:20 マルヤ農林園

  • 15:25~15:45 ノウダ・岡の前

  • 15:45~16:05 藤織り工房

  • 16:15~16:40 世屋高原上世屋休憩所など

  • 16:40~16:55 世屋姫飯尾田んぼから海星公園へ

この日程には、乗降、移動、駐車、トイレ、説明、参加者からの質問、予定外の発見に使う時間が十分に含まれていないように見えます。松尾の1kmウォークも、歩く速さや観察の回数によって所要時間が変わります。

私なら、次の三つを優先します。

  1. 現地でしか見られないものを優先する。 和紙づくり、棚田、水の流れ、藤織りなど、実物との出会いを大切にする。

  2. 車窓で説明できるものは、車窓で短く扱う。 事前に「ここで話すのは一言だけ」と決めておく。

  3. 最後のまとめの時間を削らない。 海星公園で参加者が一日を振り返る時間は、できるだけ確保する。

最後に海星公園へ16:55に着き、17:00に出発する計画では、解団交流をする余裕がほぼありません。最後の問いを大切にするなら、どこかの訪問先で時間を調整する必要があります。

10. 最後の言葉――「世界遺産に届く」と言い切るか

原稿の終わりにある、

子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。

これは、ぜひ残してほしい言葉です。

一方で、「夢の橋を架けるのは子どもたち」と続けると、未来への責任を子どもたちに託すようにも聞こえます。子どもたちが夢を描ける世界を用意するのは、まず大人の役目。その視点が少し加わると、言葉がさらに深くなります。

また、世界遺産への思いは大切ですが、参加者に「世界遺産に賛成してもらう」ことを最後の目的にしなくてもよいと思います。まず、天橋立の見方が変わること。その先に世界遺産の夢がある。

締めくくりは、例えばこうです。

今日は、海から山へ、丹後を巡ってきました。

伊根では、海だけでは見えない暮らしがありました。
上世屋では、山の水が田んぼを潤し、米を育て、和紙や藤織りの仕事につながっていました。

そこには、長くこの土地で暮らしてきた人の知恵があり、新しくこの土地にやって来て、仕事を始めた人の挑戦もありました。

では、自然と共生するとは、どういうことなのでしょう。

昔の暮らしに戻ることだけではないでしょう。
自然を守ると言って、人の暮らしを切り離すことでもないでしょう。

山も、川も、海も、そこで暮らす人も。
そのつながりを見つめながら、これからの地域を考えていくことなのかもしれません。

世屋には、2020年の数字で93人が暮らしていました。そのうち、15歳未満の子どもは9人です。

私は、こんなふうに思うんです。

子どもは、神さまが人間にまだ絶望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。

では、私たち大人は、そのメッセージに応えられているでしょうか。

今日、天橋立を見たとき、これまでとは少し違うものが見えるようになっていたら、うれしいです。

あの砂州を生み出した山や川、海の動き。
そこに暮らしてきた人々の歴史。
そして、これからの地域を担っていく人たち。

天橋立を大切にすることは、天橋立を生み出した山も、川も、海も、そこに生きる人々の営みも、一緒に大切にしていくことではないか。

私は、そんな天橋立の見方を、次の世代に手渡したいと思っています。

今日の旅が、そのことを考える小さなきっかけになったなら、うれしいです。

一日、お付き合いいただき、ありがとうございました。

宮津エコツアー · 「海の京都丹後の巨樹ものがたり 改訂版」 ご案内とお願い

最後に、今日の原稿への私の結論です

安田さん、今回の稿は、素材を増やす段階から、素材をつなぎ、選び、参加者に手渡す段階に入ってきたと思います。

これからは、説明をさらに足すよりも、三つのことを意識するとよさそうです。

  • 参加者に何を見てほしいのか。

  • そこで何を疑問に思ってほしいのか。

  • その疑問を、最後にどう天橋立へ結び直すのか。

そして、冒頭の「伊根ってこっちなの!?」から、最後の「天橋立を大切にするとは何か」まで、一日を通して一本の問いが流れていればよい。

天橋立を見せるのではなく、天橋立が見える目をつくる。

そこに、安田さんのガイドの独自性があると思います。

おみこしには担ぎ手がいる。

その担ぎ手を増やすために、まずは参加者一人ひとりが、自分の目で丹後を見つける。

今回のツアーは、そのための一日になり得ます。あとは、勇気を持って、少し削りましょう。(^.^)

【参加者が発見する余白を残しながら、安田さんの夢の核心まで届く原稿 、、ありがとう、三稿眼です(^.^)「 丹後へ ようこそいらっしゃいました   はるばる京都から!!秋 真っ盛り 紅葉の都から、、▼ 丹後にも紅葉はおとずれています、比較したら、作った秋、盛った秋 地のというのか地に根ざした生き様、人が向き合う大地、その生の秋 差はおおきいですね。あり意味丹後を代表する伊根と上世屋という状況の中から自然と人間とのバランスを考える、ツアーになればいいかな、と思います。▼今日一日、お付き合いさせていただきます▼ エコツアーガイドの安田です よろしくお願いします▼ あれ!?▼ポイント▼《一部》、 織田信長の丹後侵攻1578~79年(天正6~7)、▼ 鉄道の宮津・天橋立方面への延伸 1924~25年、 ▼ 日本冶金工業・岩滝製錬工場進出1939~42年 ▼ 、、、、、およそ新しきものは、遠方より来たる ▼ ▼一▼部▼▼北の国▼へのアクセス▼▼※▼車中車窓ガイド 駅    9;30 宮津駅  小説家 瀬尾まい子 和田龍 大手川 《車窓》 大手川 小説家 和田龍▼ 宮津城  歴史 織田豊臣徳川  ▼  明智光秀がかんでくる 天橋立駅 経由 天橋立駅 ▼ 鉄道 開通 観光化促進 右手に海  《車窓》▼向かいに山▼ 山の右裾に松並木▼伊根はどっち! 伊根へ行きたいんですけど  伊根ってこっちなの!? はははは▼  約5 km²(約500ha)の潟湖 周囲15km  松並木約4km、 10kmばかり遠回り になります  ▼ 阿蘇かい 海を名乗ってます 砂州が出来る前は入り江 つまり海だったのでしょう、、▼ 足利時代、丹後を訪れ絵を描かれた、当時トップのお坊さんの画家さんがいらっしゃいました  雪舟さんです   天橋立絵図   ▼ 丹後守護所があって 篭神社 成相寺 それらがあるのが対岸なんです、 これからそこへ回ります  消防署交差点▼大工場 《車窓》▼ 右折▼  日本冶金大江山工場 冶金 ▼  関東大震災 消化器具とかけて潜水艦と解く、その心は!!  川  《車窓》▼ ▼▼岩滝市街地 《車窓》 野田川  ※ 野田   このあたりが、『最後の一色』の主戦場。▼ 野田,ノダ、湿地、、水用語、今回企画のキーワード     ▼▼ 丹後縮緬の町です ここが、山間部の村々、離農離村される方々を受け入れた、そのための町作りがされたところです 土地に封建的に縛り付けられていた、その米作りも大型化、山間農村は対応不可。新しい時代の仕組みに適応する、離村しか無かった。▼この町に多い名字、糸井、ピンと来ませんか、もと阪神! 与謝の海支援学校▼ 《車窓》 おかしい 地元の人でも、悩んでいる、、阿蘇の海、与謝の海ではない なぜだ▼、、わたしもわかりません、、推測、仮説、天橋立が原因、海が仕切られたでしょう、▼朝眼を覚ましたら、海が二つに、だった、と言うこと ここが ヒントかな、つまり、初めは、与謝の海、、▼ここから、雪舟さんの画かれた丹後守護所、国分寺、篭神社という中世ワールドになります、 篭神社 《車窓》 ナンバー神社 丹後一の宮 国司が一番に  江戸になって藩主、一番にご挨拶にがここ。  ▼格式別格一番 主祭神火明り命 海部系図と鏡 亀に浦島さんも。▼海の海流は、高速道路みたいなもの 海を操る渡来系文化を携えたかただったようですね。 高石海岸 《車窓》 天橋立絵図   、島を二つ、雪舟さん,画いてらっしゃいます、▼ 右 前方に見える 島なのです▼ あの島のお隣さんが野室、伊根なのです。あの島を意識しながら海岸を北上しますね▼渡来文化 濃厚   日置の庄 《車窓》▼ 丹後風土記残欠に  丹後の国 日置の庄 ここ 風土記残欠はさらに▼筒川の里に 人あり、名を浦島太郎。つまり 筒川の里というのは、古代伊根なんです  崖 海 《車窓》 滑走路のような道から 左 崖  右 海 間 岩ごろごろ わたしは丹後親知らず子不知海岸と呼んでいる、、伊根街道の不思議①です 左折  《車窓》▼ 波見、→ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん! はみ、はみ、はみ谷、どんな漢字!!元々の意味は?置いておきましょう(^.^) 海星公園▼日置橋立ビュー▼10;05 着 地元参加者などと合流▼▼ ※2006年8月の開園時から、地球環境を主要テーマに、自然と共生する持続可能な暮らしの体験・学習の場とすること、さらに丹後地域の広域レクリエーションや観光振興に応えることを設置目的として掲げている。  あれ!?▼ポイント▼《二部》 《無い物ねだりはしない ある物を活かす 》▼ 2005年3月13日の宮津市との合併をめぐる伊根町住民投票。投票率は80.23%、賛成941票(47%)、反対1,050票(52%。)▼ 「合併論議では町内を二分する激しい論争があり、住民投票で反対が上回った。結果を重く受け止め、単独の町として生きることを決意した。」 二▼部▼▼海▼の▼北▼の▼▼▼か▼ら▼▼の▼奇▼跡 海星公園10;10 発▼  車中にて結団交流 挨拶と予定確認 ▼スタッフ紹介▼ 参加者交流 司会 野木公園長▼▼ さて お願い 「変なもの」いっぱい!石垣、石積み、水路、古い橋、田んぼ、放棄された農地、雑木林、崩れた斜面、防護柵、堰、小さな社▼今日のツアーのお題▼「丹後  伊根・上世屋 に 自然、人、生業を訪ねる」▼①   湾 → 外海 → 海が見えなくなる そんな海の見え方▼② 遠い山 → 迫る山 → 谷の山 山の距離       ▼③  海 → 河口 → 川 → 沢 川 ▼⑤ 港 → 集落 → 道路沿いの暮らし → 山の暮らし 人の気配   ▼④   舟屋・漁業 → 集落・農地 → 森林 土地利用 ▼ こういう変化を見つけましょう」、▼こういうのを、SSH(スーパーサイエンス)する というんですって(^.^)▼「今日は、小学生のお子さんの目を借りたいと思っています。大人はすぐ▼答えを知りたがりますからね。(^.^)」今日は小学生のお子さんが(^.^)、▼お子さん目線で見てくだされば、、ね。  波見・長江《車窓》 再び  左 崖  右 海 間 岩ごろごろ 親知らず子不知② ▼長江 《車窓》→ ▼▼▼ 二つの「親知らず子不知海岸」、、その間にハミの谷、,侮れない気がしませんか 巨大ななにかが、、、▼海岸にいる白い鳥、これは? うーん どこ見分ける?▼どっちかな、、そして、どこで子育てしてるのでしょうか▼、、答えは おいておきましょう、 大島 《車窓》→ ▼▼▼ 山の形は? 海の城  一色時代の海の砦 通行税▼ 海 若狭湾の西の端です ▼  櫛の歯のように半島 一番向こうは敦賀、常神半島 越前海岸▼ 能登半島は見えません  日出 《車窓》→▼ 言葉は変らない・漢字は変る 言葉の意味が変る あかんじゃん第三弾▼ ひで、漢字では、元々の意味は? ▼  日本海航路 北前船  港  ハゼロウですよ ここは 儲けた 内陸山間部 舟屋群《車窓》→▼ 昭和6年から昭和15年にかけて整備された道路を挟んで、海側に舟屋、山側に主屋・蔵が並ぶ現在の景観が形成  冠島・沓島・新井の里▼パノラマ観望▼ 10;30 着▼ 10;40 発 冠島・沓島 13km▼生物多様性の面でいうと、この鳥で有名、 だけではないんです  ▼海岸でみた白い海鳥たち、彼らが子育てをするのはここなんです。▼「火明かり命 奥の院など、帰属、伝承、漁業、生態系、航海、戦争などもろもろの面からただの無人島ではないんです。▼漁師にとっては、魚を追う目印であり、荒れた海から逃れる場所でもありました。▼人々は島に神を祀り、豊漁や海上安全を祈りました。▼近代になると、同じ島が軍事拠点にもなりました。▼同じ島なのに、見る立場によって、こんなに違う顔を持っている。▼▼人間がこの島とどう関わってきたか、そのすべてを含めて、次の世代に伝えることが大切なのではないでしょうか。 この里、有名なスポーツ選手でていますよ、全国女子駅伝中学生区間、初めの頃活躍した石倉君。▼新井は、漁業の村、と思う、なので崖に発達したと。山ぎわに里がある、そこが始まり、上げ という、漁法が発達したのでそこから、浜へ降りていって里を作った。 泊→津母・油屋→▼ 《車窓》 屋号 アブラ屋 ハゼロウで財をなした▼ (※境界 校区▼畑 柵 網 さて、これは? なら、なぜ? サルと常緑広葉樹林 野室 10;50着▼▼   11;40発▼ 野室田んぼ で畑作業 向井酒造の酒米 ※ 発酵 日本酒▼ ▼▼ 地元ネタ▼ たかへらのたき へら ウナギ 舞鶴から戦地に向かう子どもに ▼ ここで謎!!▼ ① 「高さ60メートルの滝。ここにウナギがいたという話。ウナギは、こんな滝を登れるんでしょうか?」「実は、九州では46メートルの滝の上流でウナギが見つかっています。」▼▼② 野室水道井戸▼▼《ここに、伊根のもう一つの姿を見る》▼ 山があって、水があって、田んぼがあって、そこで育った米が、海辺の酒蔵でお酒になる。そして、そのお酒が伊根の名を、遠くまで運んでいく。▼海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。▼山の水を受け止める田んぼがあり、米を育てる人がいて、その米の個性を引き出そうとする酒造りがある。▼しかも、古代米という古いものを、現代の知恵で新しい酒にしている。▼古いものを守ることと、新しいものを生み出すことは、対立しないんです。 津母→ 《車窓》▼泊→ 《車窓》▼六万部→ 《車窓》▼朝妻 → 《車窓》▼大原 → 《車窓》 さて、これからもう一度、伊根の舟屋、向井酒造さんを訪ねます。▼▼津母、泊、六万部、朝妻、大原……。▼小さいですけれど、肩を寄せ合うように固まった里が、車で走っていると、なんだか数珠のようにつながって見えますね。町で連なっているのは名前だけ!!▼まあ、気楽に「数珠みたいですね」なんて言っておりますけれども……(^.^)▼▼伊根町 イチョウの木が多い町 イチョウの巨樹がその里一つ一つに▼▼丹後の巨樹を探して、高校生たちと道のないところまで歩いたことがあります。 ざっと数えて、3500本ほど。巨樹って▼一本一本の木に、なんだか人の気配があるんですよ。▼たとえば、幹回り3mの木が巨樹。もちろん木は一年に必ず3cm太るわけではありません。でも、仮に一年3cmとすれば、100年分です。▼100年の間、▼その木を見ていた人がいた。中には、わしだと思ってくれと植えて、戦争にいきなった木だ。▼一本一本に、人と土地が一緒に過ごしてきた時間がある。そう考えると、巨樹って、ただ大きな木じゃないんですよ。▼▼「ここに何があったんだろう?」▼今日も、そんなものを一緒に探す旅をしているんだと思います。▼▼伊根、観光客でいっぱいです。あかいさーん どうしてこんなに大きくなったんですか ですが ▼でもね、「小さい伊根」が、ひょっとしたら残っているかもしれません。▼探してみてください。(^.^)▼「あれ、ここ何だろう?」見つけたら、教えてください。▼ はい、向井酒造、久仁子さん 待っててくれますよ 向井酒造 ▼ 12;00着▼ 12;40発 ○ 川には見える水の道がある。地下には見えない水の道がある。▼ ○ 向井久仁子さんは1999年から杜氏を務め、当時は京都府初の女性杜氏として注目される。「伊根の伝統を守っている人が、伝統だけを守っているわけではない。」▼伝統的な生酛・山廃も守りながら、野室・赤米や上世屋無農薬米を使った酒造りにも。 ▼▼バイパス→ 《車窓》▼ 養老伊根バイパスは宮津市岩ヶ鼻~伊根町平田の延長4.7km。平成6年度に事業着手「平成22年度(2010年度)に全線開通」。▼伊根の舟屋が重要伝統的建造物群保存地区になったのは2005年。▼つまり、「古い伊根を守ろう」とする動きと、▼「伊根へ安全・便利に入れる新しい道をつくる」動きが、ほぼ同じ時代に進んでいた。 あれ!?▼ポイント▼《三部》 《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !▼     いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 ▼       奇跡・7つのチャレンジ ▼三▼部▼山▼の▼北▼の▼国▼か▼ら▼▼の▼▼奇▼跡 波見の谷→ 《車窓》▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ゴルフ場→ 《車窓》▼▼▼▼川   左折▼▼ 世屋谷・世屋街道▼ → 《車窓》▼ 波見川▼   支流の谷 親知らず子不知海岸の間の谷にもう一度入りますそして上世屋に向かいます お昼をいただいて 午後メニューです。 ▼▼ここまでは 海岸にそって 横に 水平に走っていました ▼今度は、縦に走ることになります▼ステージ第三部、、 お題は《エコミュージアム世屋高原 京都最強の豪雪高原に、スクールバス !いまポツンと一軒家、かって「大草原の小さな家」 奇跡・7つのチャレンジ というようなイメージでの案内になります。▼▼ だいら ゴルフ場地形 なんだ この平らさ 異常ですね SSHのネタです(^.^)正面の山 そこを目指します 直線か!ではない▼いったん別の谷に,降りていきます、、 ▼▼世屋谷 せや川です、▼正面川向こうの里から上が、旧世屋村、下世屋、上流に上世屋がある▼世屋川、全長上から見たら8km、横から見たら700m 地形様々で川の博物館みたいな川、、SSHのネタ連発なんですよ、▼ ▼「わずか8kmほどの間に、700m近い高さを降りて海へ行く川なんです」▼ 700m ÷ 8,000m ≒ 8.8%▼▼例えば 漢字でかわ、川、三本線の川、、なんでかがなるほど、と一発でわかる  ▼▼ 崖 異常にきれい ▼ お昼会場に向かいます 案内には 上世屋の獣肉 ▼  なぜいまシカ  上世屋獣肉店・世屋ハウス▼ 13;10 着 ▼ 13;45 発▼▼ 2026年4月公表の環境省推定では、2023年度末の全国のニホンジカは中央値で 約303万頭。 京都府は2020年度の約9.6万頭を基準に、2026年度末に半減 → 約48,000頭を管理目標としていました。ところが、2025年度の事業計画では、依然として年間捕獲目標をメスジカ 15,000頭オスジカ 11,000頭合計26,000頭としています。 和紙工房・いとおかし▼ 13;50 着▼ 14;10 発▼ 、世屋産の楮、福知山・夜久野産の三椏などを使い、原料の栽培・採取から製品づくりまで一貫して行っています。トロロアオイも自ら栽培しています。▼つまり山や畑にある植物 → 繊維 → 紙 → 暮らし、というところまで戻っている。 「そして、この紙をつくっている人も、もともとここに生まれた人ではありません。」「外から来た人が、昔この土地にあった生業に出会って、もう一度、自分の仕事として始めた。」「さて、これは『伝統を守る』ということなんでしょうか。」▼▼「それとも、伝統を次の時代につくり直すということなんでしょうか。」 松尾たんぼ・ウオーク 1km▼▼ 14;20 着▼ 14;55「 発▼ ▼▼ ※バス ▼旧汐霧荘入り口に回送待▼機▼ 松尾たんぼ →  圃場整備 機械可能▼ シンボル→ 一本桜 溝口平一郎ファミリー▼ 地元の人が持っている「土地の記憶・水の順番・田の癖」▼▼   加えて 飯尾醸造 ※ 発酵 酢▼    企業 無農薬栽培 酢 まず米 その生育環境 ▼    大豆 ※  発酵 味噌 「世屋味噌」引き継いだ▼  ▼  湧水 名の誇り 川が無い のに、米、田んぼ!?謎!!!▼  歩きましょう!その湧水まで!▼ 大撹乱 無くなったものも多い 復活しているものもある▼ 道脇に、超レアー種もある、▼  発見されたら、多様センター永久会員認定ですね▼岳水 ここの生活 水道代0円 天国 マルヤ農林園 →▼ 15;00 着▼ 15;20 発▼▼▼ こ90歳になったらなにしてらっしゃいます▼ ノダフジ ※野田 ショウブ 紙漉きノリウツギ (サビタ)▼ 再生と新たなチャレンジ、ここは自然共生サイトです。▼かつての湿地棚田。その違いを見ながら、考えてみたいんです。▼田んぼを守るとは、何を守ることなのか。生きものを守るとは、何をすることなのか。そして、この山の暮らしを支えている水は、どこから来て、どこへ向かうのか。▼そのつながりをここで探しているのフィールド探究部、シンボルプラント『サンショウモ』。この保全活動で、日本自然保護大賞を受賞した!▼▼お土産は、ネギ。土付き、土、黒いでしょう、、火山灰、九州鹿児島の鬼 道路情報計測地 《車窓》 京都最強の豪雪高原、京都府の道路積雪情報はここで計測発信、いつもダントツ!2m越える、そんなら行きます、そんな真冬にマイクロバス三台で子どもたち。ユーチューブ『花鳥風月・ぶら丹後』で検索してみてくださいね ノウダ・岡の前→ ▼ 15;25 着・発▼ 15;45 着▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼※小川家玄関ツバメ穴  上世屋周辺は地すべり地形の移動堆積地で、比較的平坦な土地ができた場所です。京都府は上世屋を、棚田と伝統的な民家、周囲の森林が一体となった農村景観として評価し、丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原地区の中心的な里山景観として位置づけています。▼▼ ①小川雅道さん▼ 「上世屋生まれ、上世屋育ち。牛を飼いながら米を作ってきた人」▼土地との時間的な厚み。これは移住者には代替できない価値。。▼地元の人が持っている「土地の記憶・水の順番・田の癖」▼+▼移住者が持ち込んだ新しい技術・販路・発想▼+▼飯尾醸造の継続的な需要▼が重なって、今の上世屋棚田がある。▼▼ ノウダ 野田 ふけ 湿地 大フケ小フケ  「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。」▼「同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」▼ツバメは田んぼの害虫を食べます。、▼米を作る人▼↓▼田んぼ▼↓▼昆虫▼↓▼ツバメ▼↓▼人の家▼まで、生態系の線が一本になるのです。▼環境省も上世屋を、棚田・畦畔・広葉樹林など、人の生活や生業と結びついた里山生態系が維持されている地域として位置づけています 藤織り工房。ののの→▼ 15;45 着▼ 16;05 発 保存会で学び、上世屋に移住し、自分の工房を構えて伝承を次の段階へ持っていこうとしている人。▼キャリア▼大学では物理学を専攻。その後、結城紬の地機による製織を4年間学び、愛媛県野村シルク博物館で、糸づくり・染色・製織など絹織物の一連の工程を学び、さらに龍村美術織物でジャカードによる手織り職人を6年間経験。さらに、丹後藤織り保存会の講習会に参加し、30期生として藤織りを習得。そして2018年、保存会員として通っていた上世屋へ移住し、「藤織り工房 ののの」として活動。 世屋高原上世屋休憩所▼ 16;15 発▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ 世屋高原の小中学生の学校跡に2011年6月「地域のにぎわい拠点」としてオープン。世屋高原では、学校は単に「教育施設」だっただけでなく、地域の人が集まり、文化を受け継ぐ場所。▼その学校の役割が縮小・終了した後に、▼↓▼空き施設・跡地▼↓▼地域資源として再活用▼↓▼休憩所・交流拠点▼↓▼藤織りなど地域文化の伝承・発信▼という流れがある。。宮津天橋高校フィールド探究部が、「世屋高原探究拠点」として活用している。 世屋姫飯尾田んぼ   16;40 発 サンショウモは水田雑草か! 水田保全実験▼ ▼ 車中にて解団交流 司会 野木公園長▼ 海星公園16;55 着▼   17;00 発   宮津駅 17;35 着▼ 電車18;20 矛盾が多い から、あえてここ、、そういう矛盾を我がことにせよ、、センター試験選択地理で、宮津市と北部山間の村の対比を考えるという趣旨の出題がされた、▼「この五つは別々の話だったでしょうか?」▼  「いや、全部つながっている」▼ 「この地域では、山の資源を掘り、鉄道で運び、工場で加工し、戦争にも使い、戦後は豊かな暮らしをつくり、いまは資源循環へ向かおうとしている。その全部を含めて、私たちは『自然と共生する』とは何を意味するのか?」 お互いに学ぶものがあったら、矛盾、その発展的な解決の道が広がるかな と思います。▼あわせて、赤米酒粕 世屋味噌、いとおかし和紙、上世屋ジビエ、などお土産のおかいもとめていただければありがたいです、マルヤ農林園冬ネギ、これは土付き、完全土産品、お土産にお持ち帰りください。▼今日は、ありがとうございました。▼ 】
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おお、三稿め、拝見しました!(^.^)

二稿から一歩進んで、**「何を話すか」だけでなく、「参加者に何を発見してもらうか」**が、原稿のあちこちに顔を出してきましたね。

とくに今回、いいなと思ったのは三つです。

  • 「伊根ってこっちなの!?」――天橋立を見慣れた景色から、地形を読み解く手がかりに変える。

  • 「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」――観光地のイメージを、山・水・田んぼ・酒造りへと広げる。

  • 「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」――自然共生を、難しい理念ではなく、暮らしの一場面から考えてもらう。

この三つは、今回の旅の骨格になり得ます。

そして、安田さんが最初におっしゃった「天橋立を世界遺産に」という夢。ここに届かせるためにも、丹後の魅力をたくさん紹介する旅から、参加者の「天橋立を見る目」が変わる旅へ、もう一段、原稿を研げると思います。

三稿は、材料を削る段階というより、材料のあいだにある「一本の線」を、はっきりさせる段階に来ています。

1. 三稿のいちばん大きな課題――「天橋立」が、途中から見えなくなる

少し厳しいことを申し上げますね。

この原稿、伊根と上世屋のガイドとして読めば、実に豊かな材料があります。しかし、「天橋立が見える目をつくる旅」として読むと、天橋立が冒頭の車窓に登場したあと、終盤まで主役の座から退いてしまうのです。

これは惜しい。

今回のツアーで、参加者に見てもらいたいのは、伊根の舟屋の魅力だけでも、上世屋の棚田の美しさだけでもない。

伊根で海と暮らしの関係を見た。 上世屋で山と水と暮らしの関係を見た。 そして、最後に天橋立を思い出したとき――

「あの砂州も、こうした山や川や海のつながりの中で生まれたのか」

と、景色の見え方が変わる。

ここまで連れていきたいのですよね。

そのために、冒頭と最後に、天橋立を置くのです。

冒頭は、答えを言わずに問いを置く

たとえば、宮津駅での挨拶のあと、こんな一言を加える。

今日は、伊根と上世屋を訪ねます。

海の町と、山の村。
一見、ずいぶん違う場所に見えますね。

でも、この二つの場所を巡ったあとで、もう一度、天橋立のことを考えてみたいんです。

天橋立は、なぜ、あそこにあるのでしょう。

そして、なぜ、私たちはあの景色を、これほど大切に思ってきたのでしょう。

その答えを、私から先に申し上げるつもりはありません。

今日一日、皆さんと一緒に探してみたいと思います。

これなら、世界遺産の夢を最初から大声で訴えなくても、旅全体に一本の問いが通ります。

2. 「最後の一色」は、三つの場面に絞って見せる

安田さんが長く掘り下げてきた地球・地形・歴史・生業の話は、どれも大切です。ただ、一日で全部を同じ濃さで伝える必要はありません。

私なら、次の三場面を特に大切にします。

天橋立全景 | GANREF

第一景 天橋立を見て、伊根の方向を知る

「伊根って、こっちなの!?」

これは、単なる笑い話ではありません。見慣れた天橋立を、丹後半島の地形の中に置き直す瞬間です。

ここでは解説を詰め込まず、海、山、砂州、対岸の位置関係を、まず参加者自身に見つけてもらう。

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第二景 海の伊根から、山の伊根へ

「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」

ここで野室の田んぼ、山の水、赤米、酒造りへと視野を広げます。

海辺の観光地の背後に、山から海まで続く暮らしの世界がある。ここが、旅の中盤の大きな発見です。

Kamiseya, Kyoto Prefecture, Japan Rural Scenery

第三景 上世屋で、自然と人の関係を見る

棚田、湧水、和紙、藤織り、ツバメ、自然共生サイト。

ここでは「昔ながらの暮らしはすばらしい」とまとめないことが重要です。

地元で暮らしてきた人の土地の記憶と、外から来た人が持ち込む新しい技術や発想。その両方が重なり、地域の未来がつくられていく。

自然と共生するとは何か。その問いを、参加者の手元に残します。

この三場面がしっかり立てば、ほかの話題は、それを支える材料として整理できます。

たとえば、織田・豊臣・徳川、冶金工場、鉄道、北前船、巨樹、鹿、藤織り、学校跡地。どれも面白い。しかし、全部を同じ強さで話すと、参加者の記憶の中で主役が増えすぎます。

主役は一つ。山・川・海と人間の関係を見直すこと。ほかの話は、その主役を照らす光。

この整理が効くと思います。

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3. 今回、ぜひ残したい言葉

三稿には、すでに磨けば光る言葉があります。私は次の四つを残したい。

伊根・野室

「海だけでは、伊根はわからない。舟屋だけでも、伊根はわからない。」

観光地のイメージを、流域の暮らしへと開く言葉です。

冠島・沓島

「無人島というのは、人が住んでいないという意味です。人との関係がないという意味ではありません。」

島を、単なる地形や生物の生息地ではなく、信仰・漁業・航海・軍事・生態系が重なる場所として見せられます。

上世屋・小川さんの家

「小川さんは、ツバメを飼っているわけではありません。同じ季節の中で、一緒に暮らしているんです。」

「自然共生」という抽象語が、目の前の家と田んぼの風景に降りてきます。

終盤・旅全体

「今日、天橋立を見たとき、これまでとは少し違うものが見えるようになっていたら、うれしいです。」

これが今回の旅の到達点です。世界遺産という言葉を使わなくても、その価値を考える入口になります。

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4. ただし、時間配分は、もう一度組み直したい

三稿は、内容の整理だけでなく、時間の現実性も重要です。

特に午後は、移動時間、下車、現地での説明、参加者が発見する時間が競合しています。

場面

現状の時間

気になる点

冠島・沓島の展望

10:30〜10:40

10分で何を見せ、何を語るかを絞る

野室

10:50〜11:40

作業・滝・水道井戸・田んぼの全てを扱うなら、優先順位が必要

向井酒造

12:00〜12:40

見学・交流・昼食との関係を確認

和紙工房

13:50〜14:10

20分で伝承者の経歴を全て紹介するより、仕事の現場を見せる

松尾の田んぼ

14:20〜14:55

1km歩く時間と湧水・生きもの観察の時間を確保

マルヤ農林園

15:00〜15:20

自然共生サイトの意味を一つの問いに絞る

藤織り工房

15:45〜16:05

経歴紹介を圧縮し、素材・技・暮らしの接点を見せる

また、時刻表には、岡の前・ノウダ周辺の到着時刻や、世屋高原上世屋休憩所の出発時刻など、整理が必要な箇所があります。実際の走行時間と駐車・乗降時間も含め、現地で無理なく回れるかを確認したいところです。

参加者が発見する余白は、時間が余ったときに生まれるものではありません。あらかじめ確保しておくものです。

説明を二分短くしても、参加者が「あれ、あの水はどこから来ているんだろう」と考える三分があれば、そのほうが旅の成果は大きいかもしれません。

5. 事実関係で、公開前に確認したい箇所

原稿の骨格とは別に、ここは丁寧に確認しておきましょう。

  • 「周囲15km」「松並木約4km」「10kmばかり遠回り」:阿蘇海の周囲を指すのか、松並木を歩くルートを指すのか、参加者に誤解されないよう整理する。

  • 阿蘇海と与謝の海の名称:「天橋立ができて海が二つになった」という説明は、魅力的な仮説として提示するならよいですが、確定した語源や命名史としては話さない。

  • 野田川・野田・湿地の関係:地名の響きから地形を考えるのはSSH的に面白い。ただし、語源が確定していないものは「この地名から何が想像できるでしょう」と問いにする。

  • 伊根の舟屋の現在の景観:道路整備だけで成立したと単純化せず、港の利用、集落の形成、道路・埋立てなどが重なった景観として扱う。

  • ウナギと高さ60mの滝:滝の上流でウナギが見つかったことと、そのウナギが垂直の滝を登ったことは別です。観察・研究で確認された事実と、登攀経路の仮説を分けて話す。

  • 巨樹約3,500本:安田さんたちが調べた範囲での概数なら、そのように説明する。丹後全域の公式総数のようには聞こえないようにする。

  • 全国のシカ推定数・京都府の捕獲目標:数字の対象年度と公表時点を明記する。ツアーで数字を使う目的が「多さに驚くこと」なのか「里山の管理を考えること」なのかも定めておく。

こうしたところは、正確さを確保しつつ、全部を説明する必要はありません。むしろ「まだ分からないことがある」と示すのも、探究の旅にはふさわしいと思います。

6. そして、最後の場面に「世界遺産への夢」を戻す

三稿の締めくくりには、「矛盾を我がことにせよ」という安田さんの考えが入っています。私はここを大切にしたい。

自然と共生するとは、工場をなくすことでも、昔の暮らしをそのまま保存することでもない。便利さも、産業も、保全も、地域の暮らしも、矛盾を抱えながら未来をつくっていくことです。

ただし、最後の「五つの話」は、何を指すのか分かりにくいので、山・川・海・人の暮らしへまとめ直すのがよいでしょう。

そのうえで、こんな終わり方はどうでしょう。

今日は、海から山へ、丹後を巡ってきました。

伊根では、海だけでは見えない暮らしがありました。
上世屋では、山の水が田んぼを潤し、米を育て、和紙や藤織りの仕事につながっていました。

そこには、長くこの土地で暮らしてきた人の記憶があり、新しくこの土地にやって来て、仕事を始めた人の挑戦もありました。

昔からあるものを守ることと、新しいものを生み出すこと。
自然を守ることと、人が暮らし続けること。

簡単には答えの出ない問いが、たくさんありましたね。

でも、山があり、水が流れ、川が海につながり、人がその土地で暮らしてきた。そのつながりの中に、今日見てきた丹後の姿がありました。

さて、ここで、もう一度、天橋立のことを考えてみたいんです。

天橋立を、ただ美しい砂州として見る。
それも、もちろん大切なことです。

でも、あの砂州を生み出した大地や水の動き、周囲の山や海、そこに暮らしてきた人々の歴史まで見えてきたら、天橋立は、少し違う場所に見えてこないでしょうか。

私は、天橋立を世界遺産に、という夢を、もう一度考えてみたいと思っています。

天橋立だけを大切にするのではなく、天橋立を生み出した山も、川も、海も、そこに生きる人々の営みも、一緒に大切にしていく。

そんな天橋立の見方を、次の世代に手渡せないだろうか。

今日の旅が、そのことを考える小さなきっかけになったなら、うれしいです。

一日、お付き合いいただき、ありがとうございました。

この結びは、世界遺産運動への賛同を求める演説ではありません。参加者が今日見たものを、自分の中でつなぎ直すための呼びかけです。

安田さん、ここが大事だと思うのです。

夢を語ることと、夢を参加者に発見してもらうことは、違う。

前者だけなら、安田さんが一日中語ればよい。でも後者を目指すなら、語らない時間も必要です。参加者が自分で景色を見て、自分で問いを持ち帰る。その余白をつくるために、ガイドは語ることを選び、時には語らないことも選ぶ。

蟷螂の斧、しまう必要はありませんよ。(^.^)

ただ、斧を振り回して全部を切り開くのではなく、参加者の目の前に、一本の道を開く。

四稿では、その道筋を一緒につくりましょう。

、、、、

【参加者募集】10月17日~文化と生物多様性のつながりを学ぶ~「伊根と上世屋の魅力にふれる現地研修会」を開催します!

京都府・きょうと生物多様性センターでは、文化と自然のつながりを体感することで、生物多様性についての理解を深めていただく様々な催しを開催しております。

今年は府立丹後海と星の見える丘公園(通称うみほし)の開園20周年を記念し、伊根町の日本酒と宮津市上世屋の里山文化をテーマに「日本酒×里山トークライブ~伊根に生きる、上世屋に生きる~」を開催しました。その第2弾として、「伊根と上世屋の魅力にふれる現地研修会」を実施します。皆様のご参加をお待ちしております。

【① さて、天橋立を世界遺産に、、これ、丹後建国1300年祈念のアイデアの一つではなかったですか】

はい、ありました。
そして、いまの話を聞くと、むしろ「あれは何だったのか」が、もう一度見えてきます。

ただ、資料で確認できる範囲では、**「丹後建国1300年記念事業そのものの一事業として『天橋立を世界遺産に』が公式に位置づけられた」**とまでは、今のところ確認できませんでした。

一方、丹後建国1300年記念事業は、丹後地域の歴史を振り返り、**「丹後地域の宝を掘り起し、まちづくりや観光振興につながる3市2町の丹後地域一体となった取り組み」**を目的にしていました。

天橋立を知って守ろう!/京都府ホームページ

(↑ 天橋立を知って守ろう!/京都府ホームページpref.kyoto.jppref.kyoto.jp)

そして天橋立の世界遺産運動は、その少し前から動いています。

  • 平成16年(2004)の台風23号被害を契機に、景観を未来へ継承するための世界遺産登録運動が動き始める。
  • 平成19年(2007)、京都府・宮津市・伊根町・与謝野町が「天橋立―日本の文化景観の原点」を世界遺産候補として共同提案。
  • 平成20年(2008)、文化庁から「カテゴリーⅠa」、つまり将来の暫定一覧表候補となり得るものという評価を受けた。

なので、年代を重ねると、

天橋立世界遺産運動
→ 丹後建国1300年という「丹後全体を見直す」機会
→ その後の世界遺産運動の継続

という流れですね。

そして、ここからが今の我々の話にとって面白い。

当時の世界遺産提案のタイトルは、

「天橋立―日本の文化景観の原点」

だったんです。

文化庁の評価も、天橋立を単なる絶景ではなく、

日本人が風景美を心象や芸術に投影し、眺めることを憧憬してきた日本的美意識の形成過程

を示すもの、と捉えています。

これ、先ほどの朱雀の庭の話と驚くほど響くでしょう。

ただ、当時の主軸は、

「天橋立が日本の美意識・文化景観をどう生んだか」

だった。

そこへ今、我々が掘り始めている、

「そもそも、その“庭”や“美意識”が見ていた自然とは何だったのか」

を重ねる。

つまり、

日本人は天橋立をどう見てきたか

だけでなく、

日本人は、天橋立を生み出している山・水・海を、どう見てきたのか。

さらに、

なぜ水を恐れ、祈り、龍神を生み、庭をつくり、雨乞いをしたのか。

まで遡る。

すると、丹後建国1300年という「過去を振り返る記念事業」から、いま「未来の世界遺産の意味を掘り直す」ことへ、一本の線が引けるんですよ。

そして「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」は、その線を歩いて確かめる道になる。

私はむしろ、

1300年を記念して天橋立を世界遺産にする

ではなく、

丹後1300年を振り返ったからこそ、
次の1300年に何を世界へ手渡すのかを問い直す。

その答えの一つとして、

「天橋立が生まれる世界を見る文化」

が出てくる。

……こうなると、以前おっしゃった

「百年持たせようとするな。百年後の人が、百年後の天橋立を『大切だ』と思えるようにせよ」

とも、ぴたりとつながりますね。

これは「世界遺産運動のやり直し」ではなく、世界遺産運動の第二章なのかもしれません。

 【②台風の暴威ですか,, それにしても世界遺産運動の第二章 、、恐れ多いこと!!さて、、日本人が風景美を心象や芸術に投影し、眺めることを憧憬してきた日本的美意識の形成過程 、、、ここですね、、高校生が、ほお!!と思う言葉で解説くださいな 】
天橋立を知って守ろう!/京都府ホームページ

(↑ (↑ 天橋立を知って守ろう!/京都府ホームページpref.kyoto.jppref.kyoto.jp))

はい。ここは高校生に向けるなら、難しい「日本的美意識」という言葉を、いったん自分の身体に引き寄せるのがよいと思います。

たとえば、こうです。


「景色がきれい」だけじゃない。

みなさん、きれいな景色を見たとき、

「きれいやなあ」

で終わりますよね。

でも日本人は、昔からそこでもう一歩やってきた。

山を見て、

「あの山、神様がいそうやな。」

海を見て、

「向こうには何があるんやろう。」

月を見て、

「ああ、秋やなあ。」

雨を見て、

「今年の田んぼ、大丈夫かな。」

つまり、

自然を「見る」だけじゃなく、自然の中に「意味」を見つけた。


そして、ここが面白い。

日本人は、自然を全部自分の手で作り変えてしまおうとはしなかった。

山は山のまま。
水は水のまま。
岩は岩のまま。
海は海のまま。

そのかわり、

「この自然と、自分はどう付き合って生きていこうか」

を考えた。

それが、神話になったり、和歌になったり、絵になったり、庭になったりした。

だから庭園も、

「自然をきれいにコピーしたもの」

と考えると、ちょっと違う。

むしろ、

「自然って、こういう世界なんだよな」

という日本人の感じ方を、庭という小さな場所に置いてみたもの。


そこで天橋立です。

天橋立を見て、

「松がきれい」

だけだったら、名勝です。

でも昔の人は、

「あれは天と地をつなぐ橋ではないか。」

と考えた。

さらに、龍が住む海、文殊、神々、和歌、絵画……。

つまり、

自然そのものが、物語になった。

ここが「日本人が風景美を心象や芸術に投影した」という話の核心です。

フリー素材写真地球 – 地球の画像 高画質 フリー – NRDTX


(↑ フリー素材写真地球 – 地球の画像 高画質 フリー – NRDTXchamppmusic.comchamppmusic.com)

そして高校生には、最後にこう問いかけたいですね。

「じゃあ、天橋立は誰がつくったんだ?」

「人間?」

「地球?」

どちらも半分正解。

砂州をつくったのは、地質・河川・海流・波・時間。

そこに松を植え、道を歩き、神話を語り、歌を詠み、絵に描き、名所として守ってきたのは人間。

だから天橋立は、

地球がつくった景色を、人間が意味のある風景として育ててきた場所。

なんです。

そして、ここで世界遺産の話に戻す。

「日本人が昔から天橋立をきれいだと思ってきたから世界遺産にしよう」

ではない。

むしろ、

人間は、自然をどう見れば、自然と一緒に生きていけるのか。

その問いを、山や海や庭や歌や神話にしてきた。

天橋立には、その長い物語が残っている。

――だから世界に見てもらいたい。

これなら、高校生も「ほお!」となると思います。

そして、ここから一発、SSHらしく問いを投げるなら、

「もし天橋立が、ただの砂の山だったら、1300年も大切にされただろうか?」

……ですよね。(^.^)

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砂州+松+海+山+神話+信仰+文学+人の暮らし。

景色が「風景」になるには、人間のまなざしが必要だった。

そして今度は、その「まなざし」だけでなく、その景色を生み出している山・川・水・海まで見えるようにする。

ここに、今お話ししている「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の意味が、きれいにつながります。

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