宮津エコツアー · 龍神が天橋立の力を語るなら、鶴は天橋立のいのちを語る。  天橋立を世界遺産に 138

龍神が天橋立の力を語るなら、鶴は天橋立のいのちを語る。  天橋立を世界遺産に 138

【① 天橋立は山が形を変えたもの、、、つらつら思うに、それを、龍に結びつけて語り出したのはいつ頃からか、検証くださいな】
 【龍神が天を舞う天橋立】あなたは見える?天橋立神社(京都)バーチャル参拝2020年版 - YouTube

(↑ 【龍神が天を舞う天橋立】あなたは見える?天橋立神社(京都)バーチャル参拝2020年版 – YouTube)

 安田さん、これは大事な検証テーマです。

先に結論を言うと、天橋立を龍に結びつけて語る伝承が、いつ成立したかを一点に定めるのは難しいものの、中世には「龍神が天橋立の生成に関わる」という物語が形づくられていたことを確認できます。

一方、8世紀の『丹後国風土記』逸文に伝わるのは、伊射奈芸命が天と地を行き来するために立てた梯子が倒れ、天橋立になったという話です。こちらは龍ではなく、天と地を結ぶ梯子の物語です。

丹後国風土記の梯子伝説と籠神社の古代史|天橋立読みもの 第2章
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この二つの伝承を区別することが、検証の第一歩になります。

1. 伝承の変化を、年代順に見てみましょう

8世紀

奈良時代

『丹後国風土記』逸文――天から倒れた梯子

伊射奈芸命が天と地を結ぶために立てた梯子が倒れ、天橋立になったという伝承です。少なくとも、後世に伝わる龍神が土を盛る話とは、物語の筋立てが異なります。

丹後国風土記の梯子伝説と籠神社の古代史|天橋立読みもの 第2章
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平安後期

11~12世紀頃

文殊信仰と、海辺の聖地

智恩寺では文殊菩薩への信仰が発展し、平安時代後期には、縁日に僧侶が集まり、海岸で灯明をともして供養する行事が行われたと伝えられます。ただし、この段階ですでに「龍が天橋立を造った」という筋書きが成立していたかは、今回確認した資料だけでは断定できません。

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室町時代

14~16世紀

『九世戸縁起』――龍神が土を盛り、橋立が生まれる

ここが、今回の検証で重要な到達点です。現存する『九世戸縁起』は室町時代のものとされ、伊弉諾尊・伊弉冉尊が文殊菩薩を招き、龍神たちが土を築き、天人たちが松を植えて天橋立ができたと語ります。

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遅くとも中世には、龍神と天橋立の生成を結びつける物語が存在していたと考えられます。

江戸時代

17~19世紀

縁起が地域の行事・景観の中で生き続ける

文殊堂の祭礼や龍にまつわる表現が受け継がれ、天橋立は自然景観であると同時に、信仰と物語の舞台としても親しまれていきます。ただし、龍の物語がいつ現在のような形で広く普及したかは、縁起書・謡曲・絵画・祭礼記録を照合して確かめる必要があります。

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2. なぜ「龍」だったのか

ここから先は、史料に書かれた事実と、私たちがそこから考える解釈を分けます。

『九世戸縁起』では、龍神は最初、人々が住めないほど荒ぶる存在です。文殊菩薩の説法によって改心し、今度は人々を守護する善神になります。龍神たちは土を築き、天人たちは松を植える。自然の力が、仏教の教えによって人間の住める世界へと変わる物語です。

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私はここに、三つの意味を読み取ることができると思います。

  • 荒ぶる自然の力――海や水、地形を動かす、人間には制御しきれない力。

  • 聖地の成立――天と地、海と陸の境界に、特別な場所が生まれること。

  • 信仰による秩序化――荒ぶる存在が守護神へと変わり、人々の暮らしと共存すること。

ただし、これらは『九世戸縁起』を読むための解釈であり、当時の作者がこの三点を意識していたと確認できるわけではありません。

3. そして、安田さんの「山が形を変えたもの」という視点

ここが、今回の話の核心ではないでしょうか。

現在の地形学では、天橋立は世屋川など丹後半島東岸の河川が運び出した砂礫が、沿岸流などによって移動・堆積して形成された砂嘴と説明されています。京都府は、約4,000年前に天橋立が海面に現れたと推定しています。

京都府公式ホームページ

つまり、

  • 地形学は、山地から河川、沿岸流、砂礫の堆積へと、物質の移動を追う。

  • 『丹後国風土記』は、天と地を結ぶ梯子が倒れたと語る。

  • 『九世戸縁起』は、龍神が土を築き、天人が松を植えたと語る。

三つは同じ説明ではありません。しかし、どれも天橋立を、ただそこにある砂州としてではなく、何かの力によって生み出された、意味のある場所として捉えているのです。

ここで、もう一つの問いが生まれます。

天橋立を龍に見立てる発想と、龍神が天橋立を造ったという物語は、同じ時期に生まれたのでしょうか。それとも、先にあった景観の見立てが、後に創造伝説へと発展したのでしょうか。

今回確認できた資料からは、両者の成立順序までは確定できません。今後は、中世の『九世戸縁起』だけでなく、謡曲『九世戸』、天橋立を描いた絵画、江戸時代の地誌や名所案内に現れる龍の表現を比較する必要があります。

安田さんの言葉を借りるなら、山が形を変えて天橋立になった。その景観を見た人々は、そこにどんな物語を重ねてきたのか。

地球がつくった地形と、人間がつくった物語。その二つが重なっているところに、天橋立の歴史の奥行きがあるのだと思います。

【②中世には、龍神と天橋立の生成 ,,フム、、目的、意図がなんとなく見えてきました 】

おお……そこが見えてきましたか。(^.^)

安田さんが感じ取られた「目的、意図」。私も、ここは掘り下げる価値があると思います。

中世の『九世戸縁起』では、荒ぶる龍神が文殊菩薩の教えによって改心し、天橋立の生成に関わる存在へと変わります。

これを単なる不思議な創造伝説として読むのではなく、「誰が、どのような場で、何を伝えるために、この物語を語ったのか」 と問い直してみるのです。

例えば、次の三つの可能性があります。

  • 聖地の由来を説明する。 なぜこの海辺に文殊菩薩を祀る寺院があり、特別な信仰の場となったのか。

  • 自然の力を宗教的な秩序の中に位置づける。 荒ぶる龍神が守護する存在へ変わることで、海や自然の力と人間の暮らしとの関係を物語る。

  • 智恩寺と九世戸という場所の宗教的な意味を強める。 天橋立の成り立ちそのものを、文殊菩薩の働きと結びつける。

ただし、これらは現時点では解釈の候補です。縁起が成立した背景や、誰がどのような目的で語ったのかを確定するには、本文の細部や成立事情をさらに調べる必要があります。

そして、安田さんの視点からすると、もう一歩先に進めそうです。

古代の『丹後国風土記』逸文では、天橋立は天と地を結ぶ梯子でした。中世の『九世戸縁起』では、龍神や天人がその生成に関わります。

同じ天橋立という景観に、時代によって異なる物語が与えられている。

なぜ物語は変わったのか。何を伝える必要があったのか。そして、その物語によって、天橋立は人々にとってどのような場所になったのか。

ここを追うと、天橋立の自然史だけでなく、信仰史、寺院の歴史、地域社会の歴史が交差してきます。

安田さん、いま見えてきた「目的、意図」というのは、文殊信仰を広めるための物語だったのではないか、という方向でしょうか。それとも、もっと広く、海辺の聖地を人間の世界に位置づけるための物語だったのではないか、という感触でしょうか。

その直感をぜひ聞いてみたいです。

  【③ 文殊信仰を広めるための物語だったのではないか、という方向でしょうか。それとも、もっと広く、海辺の聖地を人間の世界に位置づけるための物語だったのではないか、 、、両方ですが、しいて言えば、前者の発想が先かな、ですね、、そして、強かった、いまも強い、、が、ふむ、、その強さが、いま、これからに、道の石ころにならないか、の若干の危惧を持ちます、いかがですか】
 天橋立、龍伝説が残る日本三景 京都の北部、日本海に宮津湾に浮かぶ - YouTube
安田さん、これは大事なところに踏み込まれましたね。

私も、その危惧には十分に耳を傾ける価値があると思います。

文殊信仰が天橋立に深い意味を与えてきた。その力が大きかったからこそ、これから天橋立を考える際に、かえって視野を狭めることはないか。

そういう問いですね。

1. 物語は、景観を聖地にした

『九世戸縁起』の龍神の物語を、文殊信仰を広め、智恩寺とその周辺の聖地としての意味を強める働きがあったのではないか、という仮説から読む。

これは十分に検討に値します。ただし、縁起が誰によって、いつ、どのような目的で成立したのかは、本文や成立事情の検証が必要です。

ここで注目したいのは、文殊菩薩が単に天橋立のそばに祀られているのではなく、龍神の改心と天橋立の生成そのものに関わる存在として描かれていることです。

この物語では、天橋立という景観の成り立ちが、文殊菩薩の働きと結びつけられています。

言い換えれば、天橋立があるから文殊信仰が生まれた、というだけでなく、文殊信仰が天橋立の意味を形づくったとも考えられるわけです。

2. その強さが、いま「道の石ころ」になる可能性

私は、安田さんの危惧を三つに分けて考えたいです。

① 信仰の物語が、自然の物語を覆ってしまう

天橋立を「神仏に由来する聖地」として語ることが中心になると、山地の岩石、河川の運搬、沿岸流、砂礫の堆積といった、長い地球の営みが後景に退いてしまうかもしれません。

② 聖地としての価値が、現在の生態系への問いを弱める

「昔から大切にされてきた美しい景観」という認識だけでは、松林の更新、シカによる下層植生への影響、山の森林や流域の状態まで、十分に目が届かない可能性があります。

聖地として大切にされてきたことと、生態系が現在も健全であることは、別々に確かめなければなりません。

③ 一つの由来が強すぎて、ほかの歴史が見えなくなる

天橋立には、古代の天と地を結ぶ梯子の伝承、中世の文殊信仰、絵画や文学、漁業や農業、海上交通、近代の軍事史など、異なる時代の層があります。

文殊信仰を尊重することと、それ以外の層も同じ景観の歴史として読み解くことは、両立するはずです。

もちろん、これらは文殊信仰が実際に自然保全を妨げてきたと断定するものではありません。信仰が森林や海辺を守る力になった可能性もあります。大切なのは、その働きを具体的な歴史と現在の管理状況から確かめることです。

3. ただし、文殊信仰を「障害」と決めつけない

ここは、安田さんの構想にとって重要だと思います。

信仰の強さそのものが問題なのではありません。問題になるとすれば、ある一つの価値が強いために、ほかの価値を語ったり、確かめたりする余地がなくなることです。

逆に言えば、文殊信仰を天橋立の歴史の一層として丁寧に位置づけることで、自然史や生業史を排除せず、むしろ豊かに語れる可能性があります。

例えば、こんな問いです。

  • 文殊菩薩の物語は、なぜこの海辺で生まれ、伝えられたのか。

  • 龍神の物語は、海や自然の力をどのように表現しているのか。

  • 信仰は、松林や海辺を守ることに、歴史的にどのような役割を果たしたのか。

  • 今日、信仰の場としての価値と、生態系の保全をどう両立させるのか。

こう問えば、信仰を批判することなく、その意味を現代に向けて問い直すことができます。

4. 安田さんの構想なら、信仰を越えて、信仰も含む

私は、ここに「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の大きな可能性があると思います。

天橋立を、文殊信仰だけで説明しない。しかし、文殊信仰を脇に追いやるわけでもない。

山から運ばれた砂礫が砂州をつくり、その景観を見た人々が天と地を結ぶ梯子を想像し、やがて龍神と文殊菩薩の物語を重ね、信仰や絵画、文学を育ててきた。そして現在、私たちは、その景観を支える山や川、海の生態系を守れるのかと問う。

この流れなら、信仰の物語も地球の物語も、人間の暮らしの歴史も、互いを消さずに一つの場所の中で語れます。

「天橋立はなぜ聖地なのか」から、「この聖地を生み出した自然と人間の関係を、私たちはこれからどう引き継ぐのか」へ。

問いを少し先へ進めるのです。

そして、安田さんがこれまで繰り返し語ってこられた「この景色の中に、地球の物語がある」という言葉が、ここで生きてくる。

最後に、私が一つ、気になっていることがあります。

安田さんが心配されているのは、文殊信仰が強いこと自体というより、天橋立を世界遺産にしようとする現在の議論でも、文殊信仰を中心とする既存の価値づけが強すぎて、山・川・海・生態系を含む新しい天橋立像を打ち出しにくくなることでしょうか。

もしそうなら、これは歴史解釈だけでなく、世界遺産の価値をどう組み立て、地域の未来へつなぐかという、実践的な課題でもあります。

 【④ ここは、軍議の場です、「おそれながら申し上げます、、天橋立を世界遺産にしようとする現在の議論でも、文殊信仰を中心とする既存の価値づけが強すぎて、山・川・海・生態系を含む新しい天橋立像を打ち出しにくくなること これを恐れます」 】
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ははっ、軍議でございましたか!(^.^)

おそれながら、軍師、申し上げます。

その懸念は、世界遺産を目指す戦略の、かなり根本に関わる問題です。

しかも、これは文殊信仰を敵に回すかどうか、という話ではありません。既存の価値を尊重しながら、それだけでは捉えきれない天橋立の価値を、どう表舞台に出すかという問題です。

軍議第一席――敵は何か

敵を文殊信仰と定めてはなりません。

本当の課題は、長く共有されてきた価値づけが強いために、ほかの価値を考える余地が狭くなることです。

「天橋立は日本三景である」 「天橋立は神仏に関わる聖地である」 「天橋立は古くから愛されてきた名勝である」

いずれも大切な価値です。しかし、それらを積み重ねるだけで世界遺産に必要な価値の説明ができるのか。山地の地質、河川による土砂の供給、沿岸流、砂州の形成、森林生態系、人々の生業と信仰の関係まで含めて、世界に向けて何を証明するのか。

ここを問わずに進めば、既存の説明の補強に終わるおそれがあります。

軍議第二席――正面攻撃は避ける

「文殊信仰中心の価値づけでは不十分だ」と正面から言えば、これまで天橋立を守り、伝えてきた人々との対立を招くかもしれません。

それでは、目的を達する前に味方を失います。

私なら、問いをこう置き換えます。

文殊信仰や名勝としての価値は、天橋立の歴史を語るうえで欠かせないものです。では、それらの価値を育んできた自然の成り立ちや、山・川・海のつながりは、世界遺産としてどのように評価できるでしょうか。

これなら、従来の価値を否定せず、議論の範囲を広げられます。

軍議第三席――新しい旗印を立てる

安田さんの構想には、すでに旗印があります。

「天橋立という物」ではなく、「天橋立という関係」を世界に伝えられないか。

山から川へ、川から海へ、海から砂州へ。その景観の中で人々が暮らし、信仰を育み、絵画や文学を生み、自然との関係を変えてきた。

そして今、その関係を未来へ引き継げるかが問われている。

ただし、世界遺産として評価されるには、魅力的な物語だけでは足りません。自然遺産・文化遺産のどの価値を主張するのか、比較研究、科学的な証拠、完全性、保護管理の仕組みなどを具体的に検証する必要があります。

だからこそ、巨樹の調査も、世屋の森林も、河川と砂州の関係も、ばらばらの話ではなく、一つの仮説を検証する材料になり得るのです。

軍師の進言

安田さん、いまは「文殊信仰を越える新しい物語」を掲げるよりも、まず次の問いを共有することが得策だと思います。

「天橋立の価値を、私たちは十分に知っているのだろうか」

この問いなら、従来の関係者も参加できます。しかも、答えを出すためには、自然史も信仰史も生業史も調べなければならない。

そして調べるほどに、天橋立の価値が従来の説明よりも広く、深いものであると分かれば、そのとき初めて、世界遺産を目指す議論そのものを前進させられるでしょう。

軍議の結論は、こうです。

既存の価値を倒すのではない。既存の価値だけでは見えないものを、証拠と問いによって見えるようにする。

さて、安田殿。

次の一手として考えたいのは、関係者に向けて新しい主張を発表することではなく、現在の世界遺産登録の議論で、自然環境や山・川・海のつながりが、実際にどのように位置づけられているのかを確かめることです。

相手の陣形を知らずして、軍を進めるわけにはまいりませんからな。(^.^)

 【⑤ ありがとう、、『最後の一色』 】!
 天橋立水風砂の流れ06bc4fbf2b930974dffbda39ee578296 (3)

おおおっ!!(^.^)

『最後の一色』!!

軍議の場で、その一言が出ましたか。

天橋立をめぐる盤面に、まだ置かれていない一色がある――。

文殊信仰、名勝、絵画、文学、観光。どれも大切な駒です。けれど、その景観を生み、今も変化させ続けている 山・川・海・砂・生きもの・人の営み。それらをひとつの物語として結ぶ色が、まだ十分に描かれていないのではないか。

そして、ここが肝心。

最後の一色は、既存の色を塗りつぶす色ではない。 これまでの色が、なぜそこに生まれたのかまで見せる色なのかもしれません。

文殊信仰を否定するのでなく、文殊信仰が育まれた土地そのものを読み直す。 天橋立だけを見るのでなく、天橋立を生み出した丹後の大地まで視野に入れる。

そうすると、世界遺産をめぐる問いも変わってきます。

「天橋立には、どんな価値があるのか」から、

「天橋立の価値を生み続けているものは、何なのか」へ。

ふむ……『最後の一色』。

それは、まだ誰も持っていない新しい駒なのか。 それとも、盤上にずっとあったのに、誰もその意味に気づかなかった駒なのか。

私は後者に、勝負の匂いを感じますなあ。(^.^)

 

【⑥ うつくしい、、夕鶴の織物のようでござるなあ、、まことに、、そのように、天の羽衣をひいたよう、、幕、、!! 】

ははあああ……!

天の羽衣をひいたような、幕。

軍議は、ここでいったん幕でござるな。(^.^)

夕鶴の織物のように、一本一本の糸は細くとも、地学の糸、信仰の糸、暮らしの糸、山と川と海の糸を織り合わせれば、やがて一枚の大きな布になる。

その布に、最後の一色を添える。

けれど、急いで織ってはなりませぬな。

天橋立が、なぜ美しいのか。 その美しさは、何によって生まれ、何によって支えられ、これから何によって受け継がれていくのか。

その問いを、そっと織り込んでおく。

いつの日か、誰かがその布を広げたとき――

「ああ、天橋立とは、こんなにも大きな物語だったのか」

そう気づいてくれたなら。

幕の向こうでは、まだ丹後の山々が、川が、海が、黙って物語を続けておりまする。

御免! これにて、いったん幕!

【⑦ありがとう   「うつくしい、、夕鶴の織物のようでござるなあ、、まことに、、そのように、天の羽衣をひいたよう、、!!」 ここの部分について、再び、、幕、、これは、軍議の終りでなく、、えーっと、、パワフルイメージの龍神に対する柔らかい優しいイメージとして,山が身をけづる山を鶴に喩えて出してみた、ということです、その解釈で感想下さいな】

 羽衣伝説:日本の美しい神話と文化 | 暮らしと歴史の小話
 ああああ、そういうことでしたか!!(^.^)

これは、軍議の終わりの幕ではなかった。

龍神に対して、鶴。 力強さに対して、しなやかさ。 大地を動かす力に対して、身を削りながら、静かに何かを生み出していく姿。

その対比として、「夕鶴の織物」「天の羽衣」を持ち出されたのですね。

いやあ、これは面白い。少し考えさせてくださいな。

龍神の物語では、天橋立の誕生を、神仏の力や龍の働きという、壮大で力強い物語として語ることができます。

けれど、山の側から眺めてみると、どうでしょう。

山は、声高に何かを主張するわけではありません。雨に打たれ、岩が砕け、土が流れ、川が運び、海に堆積する。その営みを、気の遠くなるような時間のなかで繰り返しています。

山は、天橋立をつくろうと決意したわけではない。

それでも、山が少しずつ姿を変えていくことが、やがて海の景観を生み出していく。

この営みを、鶴の織物に喩える。

龍神が大地を動かす力の象徴だとすれば、鶴は、自然が時間をかけて織りなすものの象徴になり得るのではないでしょうか。

そして「天の羽衣をひいたよう」という表現が、じつに効いています。

羽衣は、天と地をつなぐもの。天橋立もまた、天と地を結ぶ橋として語られてきました。

けれど、ここにはもうひとつ、別の読み方が生まれます。

天から降りてきた羽衣ではなく、山が身を削り、川が運び、海が受け取り、地球そのものが織り上げた羽衣としての天橋立。

神話の世界と地球科学の世界が、対立することなく、ひとつの美しいイメージのなかで出会うのです。

ただし、ここは大切に区別したいところです。これは鶴が実際に天橋立をつくったという伝承の主張ではなく、山の営みを鶴に託して表現する、あなた独自の詩的な解釈です。

そして、私がとりわけ惹かれるのは、山を「資源の供給源」としてではなく、自らの姿を変えながら、海の美しさに参加している存在として描いているところです。

山は失われるだけではない。山の物質は姿を変え、川を旅し、海の底や砂州の一部となり、風景のなかに生き続ける。

もちろん、現実の山の侵食には崩壊や土砂災害もあり、運ばれた砂がすべて天橋立になるわけでもありません。けれど、自然の物質が姿を変えながら循環していく、その長い営みを感じさせる比喩として、鶴と羽衣は豊かな力を持っています。

龍神の物語が、天橋立の誕生を劇的に語るものだとすれば、鶴の物語は、その誕生を静かに、優しく、長い時間のなかに置き直すものなのかもしれません。

龍神が天橋立の力を語るなら、鶴は天橋立のいのちを語る。

……おお、これは、先ほどの「最後の一色」とも、どこかで響き合いますね。

龍神を退ける必要はないのです。

龍神の物語の隣に、鶴の物語をそっと置く。

すると、天橋立は、神々の力によって生まれた場所であると同時に、山が身を変え、川が運び、海が織り上げてきた場所としても見えてくる。

そして訪れた人が、砂州を歩きながら、ふと気づく。

「この白い砂は、遠い山の物語でもあるのか」と。

そのとき、風景を見る目が変わります。

龍神の天橋立から、鶴の天橋立へ。

いや、もっと正確には――

龍神も鶴もいる天橋立。

力強い神話と、優しい地球の営み。その両方を抱きとめることができたら、天橋立の物語は、いっそう深く、美しくなるように思います。(^.^)

 【⑧ 力強い神話と、優しい地球の営み。その両方を抱きとめる 、、与謝野晶子さん風の短歌にしてくださいな】

龍神の 力を抱きて 山は鶴 羽衣織りぬ 天の橋立

— 与謝野晶子を思わせる、華やかで情熱的な調べを意識して。

 【⑨ ふふ、、この晶子さん、一人の若い歌人に眼をかけていましたね、石川啄木、、彼風に、お願いします】
 じっと手を見る 石川啄木 – はたらけど猶わが生活楽にならざり じっと手を見る – YMDE
ふふふ……(^.^)

晶子さんから啄木へ。華やかな情熱から、ふと立ち止まる心へ。三十一文字のなかに、山の長い時間と、人の小さな感慨を置いてみます。

 山は鶴

身を削りつつ
砂を生む
その砂の上
われは立ちたり

 啄木の歌に通じる、日常の言葉で大きなものに触れ、最後に「われ」を置く感覚を意識しました。

山が身を削っていることなど、砂州を歩く人はふだん思いもしない。けれど、その砂の上に立つ自分もまた、山と海の長い営みの一瞬にいる。

「その砂の上/われは立ちたり」

ここに、天橋立を見物する人から、天橋立の物語の中にいる人へ――そんな小さな転換を込めてみました。(^.^)

【⑩ では与謝野鉄幹さん!!】

ふふふ、今度は鉄幹先生ですか!(^.^)

晶子の華やかさ、啄木の内省から、鉄幹ならば――雄々しく、浪漫をたたえ、山河の力を正面から詠みましょう。

山は鶴
天つ羽衣
織りなして
龍のいのちを
海に架けたり

鉄幹の明治浪漫を思わせる、力強い調べを意識しました。

龍神の雄大な神話を抱きながら、山は鶴となって羽衣を織る。その衣が海に架かり、天橋立となる――。

龍の力と、鶴の優しさ。その二つが、ひとつの景観に宿る。

鉄幹先生なら、山と海のあいだに立って、胸を張って歌い上げてくれそうですなあ。(^.^)

 【⑪さて、時をいまに移して、俵万智さんで締めて下さい!!!】

では、最後は俵万智さんを思わせる、現代のことばの軽やかさと、ふと胸に残る余韻で。(^.^)

山が削れ
海まで旅をした砂が
こんなにきれいな
橋になるとは

山から海へ、何万年もの旅。 その壮大な地球の営みを、いま目の前の美しさと結びつける。

そして、ふと気づくのです。

天橋立を美しいと思うことは、遠い山の営みに心を寄せることでもある。

龍神も、鶴も、羽衣も。 その物語をいまの私たちのことばで受け取り直す――そんな一首を添えて、幕。(^.^)

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