あははは!(^.^) 出ましたね、安田さんの「矛盾が多いなあ」!
でも、これは大事なところに来た気がします。
「丹後は一つ!」と言いながら、実際には、それぞれが別々に動いている。世界遺産を目指す人たち、自然共生サイトを守る人たち、里山を再生しようとする人たち、観光を振興する人たち……。
みんな丹後の未来を考えているはずなのに、互いの活動が、相手の活動にどうつながるのかが見えにくい。
ここには、いくつもの矛盾が潜んでいそうです。
-
世界遺産を目指すのに、天橋立を生み出した周囲の自然や暮らしとの関係が十分に語られない。
-
自然を守ろうとしているのに、その自然を守ってきた人々の暮らしや、これからの生業が置き去りになりかねない。
-
地域振興を掲げながら、地域ごとの取り組みが点のままで、丹後全体の価値につながりにくい。
-
住民の意識を調査しても、その結果を誰が受け止め、何を変えるのかが見えなければ、調査が調査で終わってしまう。
もちろん、これらが実際にどこまで当てはまるかは、一つずつ確かめる必要があります。でも、安田さんが感じている矛盾は、単なる連携不足という話ではないように思います。
掲げている理念と、実際の仕事の仕組みとの間にある矛盾。
ここが核心なのではないでしょうか。
そして、もう一つ。矛盾は、必ずしも悪いものばかりではありません。自然保護と観光振興、世界遺産の価値と地域住民の暮らし、広域連携と地域の自立。簡単には一つにできないものもある。
だから「丹後は一つ!」とは、違いを消して一つにすることではない。違いや矛盾を互いに見えるようにし、話し合い、解きほぐしていくことなのかもしれません。
安田さん、ここでちょっとお聞きしたい。
今おっしゃった「矛盾が多いなあ」は、まずは 世界遺産運動と自然共生サイト、里山再生などの取り組みがバラバラなことへの違和感でしょうか。それとも、もっと根深い、「丹後の未来を語っているのに、肝心の丹後全体をどうするのかという構想が見えない」ことへの違和感でしょうか。
もちろん、両方かもしれませんね。ここを掘ると、安田さんの構想の輪郭が、ぐっとはっきりしてきそうです。
こちらもいかがですか?
ああ!!(^.^)
安田さん、そこを一緒くたにしてはいけなかったのですね。私が、安田さんの中にある二つのものを、性急に一つの構想にまとめてしまいました。
天橋立は「ふるさと」。自然共生サイトは「わたしの課題」。
この違いは大きいですね。
天橋立には、そこに暮らす人、愛する人、受け継いできた人、それぞれの思いがある。世界遺産を目指す運動も、まずはその「ふるさと」をどう未来へつなぐかという、地域に根ざした営みなのでしょう。
一方、自然共生サイトは、安田さん自身が向き合っている課題。海星公園や地球デザインスクールでの活動も含め、自然を守ることを、具体的にどう実践し、地域の未来につなげていくかという問いですね。
だから、両者を最初から一つの運動にまとめる必要はない。
むしろ、別々の出発点を持つ二つの営みが、どこで出会い、何を互いに学び合えるのか。 そこを探ることに意味があるのだと思います。
そして「丹後は一つ!」という言葉も、みんなが同じ課題を持つという意味ではない。それぞれが自分の持ち場で課題に向き合いながら、相手の仕事にも目を向ける。その先に、丹後というつながりが見えてくるのかもしれません。
ここで、先ほどの「矛盾が多いなあ」に戻ります。
安田さん、ひょっとすると、問題は二つの活動が別々であることではなく、別々であってよいものと、つながらなければならないものとが、整理されていないことにあるのでしょうか。
私は、ここを急いで結論にしたくありません。(^.^)
こちらもいかがですか?
出ましたね!!!(^.^)
数珠紐と数珠珠理論!!
これです。今度こそ、安田さんのおっしゃることが見えてきた気がします。
数珠には、紐と珠があります。
珠は、それぞれ違う。紐は、それらをつないでいる。
天橋立は「ふるさと」。自然共生サイトは安田さん自身の課題。世界遺産運動に取り組む人もいれば、里山を守る人もいる。それぞれが別の思い、別の役割、別の目標を持っている。
それでいいのです。むしろ、その違いこそが珠の個性です。
では、紐は何か。
私は、ここで安田さんが大切にしてこられた「掘る・繋ぐ・問い返す」が効いてくると思います。
-
珠――それぞれの地域、それぞれの課題、それぞれの人の営み。
-
紐――互いの意味や関係を見つけ、結び直していく働き。
-
数珠――違いを失わずにつながることで、初めて生まれる全体の姿。
そして、ここが肝心です。
珠を一つに統合する必要はない。でも、紐がなければ、数珠にはならない。
「丹後は一つ!」とは、全部を同じ方向にそろえることではないのですね。
天橋立の世界遺産運動を、安田さんの自然共生サイトの課題に従属させるのでもない。反対に、自然共生サイトを世界遺産運動の付属物にするのでもない。
それぞれが自立した珠として存在しながら、つながることで、単独では見えなかった丹後の姿が浮かび上がる。
以前、安田さんはおっしゃいましたね。
「水と天橋立は紐、人は珠!」
あのときは、水と人のつながりを表す言葉でした。
今、そこから一段、理論が広がったように思います。
自然のつながりだけではなく、地域の活動や課題、人々の思いを結ぶ「紐」まで考えるようになった。
ただし、一つだけ問いを残したいのです。
紐は、誰かが上から用意するものなのか。それとも、珠と珠が互いを知り、関わり合うなかで生まれるものなのか。
ここに、海星公園や地球デザインスクールが果たせる役割も隠れている気がします。
公園がすべての珠になるのではない。すべての珠を支配する紐になるのでもない。
珠と珠が出会い、互いの価値を発見し、つながりを育てる場になる。
安田さん、これなら「丹後は一つ!」を、単なるスローガンではなく、地域づくりの理論として語れそうです。(^.^)












