あります! 調べてみると、まず大事な手がかりが見つかりました。
宮津市の公式案内によると、2025年度に実施されたアンケート調査をもとに、2026年11月28日に「天橋立の景観と住民意識」という市民講座が予定されています。 講師は京都大学大学院の深町加津枝先生です。ただし、公開されている案内には、個々の質問項目までは載っていません。
ですから、安田さんが気にしておられる、
「天橋立はあなたにとって、なんですか。ご自由にお書きください」
という問いが、今回の調査票に実際に入っているかどうかは、現時点では確認できていません。
過去の調査票には、自由記述欄がありました
京都府が2005年10月に実施した「天橋立周辺における魅力的な景観まちづくりに向けての住民意識調査」の調査票も確認できました。
この調査には、次のような設問がありました。
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問4 天橋立周辺で大切だと思うもの(選択式)
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問5 天橋立周辺の景観として大切にしたいもの(選択式)
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問9 天橋立の景観を守るために重要だと思うこと(選択式)
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問12 「魅力的な景観まちづくり」に向けて、意見を自由に記入
つまり、自由記述欄そのものは、過去の調査にもありました。ただし、「天橋立はあなたにとって何ですか」という問いとは違います。 景観まちづくりへの意見を求める質問でした。
ここが、安田さんの問題意識にとって大切な違いだと思います。
「どの景観を大切にしたいか」と尋ねれば、景観の評価が集まります。
でも、「天橋立はあなたにとって何ですか」と尋ねれば、ふるさと、誇り、生活の一部、観光資源、子どもの頃の記憶、あるいは「別に何とも思わない」まで、住民と天橋立との関係そのものが見えてくる可能性があります。
世界遺産を目指すのであれば、天橋立の価値を専門家が証明することと、住民が天橋立をどう受け止めているかを知ることは、別々に確かめたい事柄です。
今回の2025年度調査については、質問票の公開を確認できていません。調査を担当された深町先生、または事務局の宮津市教育委員会社会教育課(0772-45-1642)に尋ねるのが確実です。
安田さんの一句は、単なるアンケート項目ではありませんね。
「天橋立は何ですか」ではなく、「天橋立は、あなたにとって何ですか」。
この「あなたにとって」の一言で、調査の視点が、景観そのものから、人と景観との関係へ移ります。まさに、安田さんが大切にしている「天橋立を見る文化から、天橋立が生まれる世界を見る文化へ」に通じる問いだと思います。
こちらもいかがですか?
なるほど……ここは、住民意識調査を読み解くうえで、かなり根本的な問題ですね。
安田さんが注目されているのは、単に「何人にアンケートを配ったか」ではなく、誰を「住民」と定義し、誰の意識をもって「天橋立に対する住民意識」と呼んでいるのか、ということですね。
天橋立をめぐる「住民」は、ひとつの円では描けないと思います。
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天橋立の景観を日常的に目にする人
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天橋立の周辺で暮らし、観光や環境保全に関わる人
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阿蘇海や宮津湾、流入河川など、天橋立を支える自然環境と関わる人
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宮津市民として、天橋立を地域の象徴と考える人
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与謝野町など、行政区域を越えて天橋立と関係をもつ人
これらは重なり合いますが、同じ集団ではありません。
栗田、由良、上宮津、世屋、養老の人々も、天橋立との距離や関わり方はそれぞれ違う。岩滝からは見えても、加悦からは見えないという違いもある。けれども、見えるかどうかだけで、天橋立との関係の深さを決められるわけでもない。ここが面白いところです。
調査票で、ぜひ確認したいこと
私なら、次の4点を確認します。
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確認項目 |
知りたいこと |
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① 調査対象 |
宮津市民全体か、天橋立周辺の自治区か、与謝野町なども含むのか |
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② 居住地の情報 |
住所、地区、自治区など、どの単位で回答者を分類できるのか |
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③ 天橋立との関係 |
日常的に眺める、仕事で関わる、観光で訪れる、保全活動に参加する、といった違いを把握しているか |
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④ 分析方法 |
地区別・関係別に回答を比較しているか。それとも全回答を一括して集計しているか |
とくに重要なのは、住所を尋ねているかどうかだけでなく、その情報を分析に使っているかどうかです。
たとえば、宮津市民全体を対象とする調査でも、地区別に集計していれば、地域による違いを検討できます。反対に、周辺自治区だけを対象にしていれば、その結果をそのまま「宮津市民の意識」と呼ぶことには注意が必要です。
もちろん、地区別の回答者数が少なければ、細かな比較には限界があります。調査対象の設定、回答者の偏り、集計方法まで見て、初めて精度を評価できます。
もう一歩、問いを深めるなら
私は、住民を住所だけで分類するのではなく、「居住地」と「天橋立との関係」を分けて捉えることを提案したいです。
たとえば、同じ地区に住んでいても、天橋立を毎日眺める人と、ほとんど意識しない人がいる。反対に、天橋立が見えない地区に住みながら、農業や漁業、観光、自然保全、地域の歴史を通じて深く関わっている人もいるでしょう。
この二つの軸を組み合わせれば、単なる地域差を超えて、意識の違いを考えられます。
そして、先ほどの自由記述の問いです。
「天橋立はあなたにとって何ですか」
この質問への答えを地区別に読み比べたら、どんな違いが見えてくるでしょうか。
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天橋立を日常の風景として語る人
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地域の誇りや象徴として語る人
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生業や暮らしとの関係から語る人
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観光資源として語る人
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自分とはあまり関係のないものとして語る人
そうした言葉の違いそのものが、地域と天橋立との関係を考える材料になります。
ただし、ここでひとつ大切なことがあります。 住民意識調査の目的が「景観まちづくりへの意見を集めること」なのか、「天橋立に対する住民の意識の全体像を明らかにすること」なのかによって、必要な調査設計は異なります。前者なら対象を絞ることにも合理性があります。後者なら、対象範囲と地域ごとの違いを明示することが重要になります。
安田さんが今、注目しておられるのは、まさにその点ですね。
「住民意識」という結論を読む前に、誰の意識を、どの範囲で調べた結果なのかを確かめる。
まずは今回の調査票で、対象者の範囲、居住地の質問、地区別分析の有無を確認する。そこから先に進むのが、筋のよいアプローチだと思います。
いやあ、これは面白い問いです!(^.^)
住民意識調査の話が、いつの間にか「天橋立の松を、これからどうするのか」という、自然観・信仰・文化財保全・環境管理の交差点に来ましたね。
しかも、伊根の青島と天橋立を対比させることで、問いが鮮明になります。
青島と天橋立――自然を守ることの、二つのかたち
伊根・青島――森の遷移を受け入れてきた自然
安田さんの見立てでは、漁師さんたちが守ってきた青島は、温帯の広葉樹林が発達した自然のシンボル。人が守ることと、自然が変化していくことが両立している姿です。
天橋立――松の景観を維持してきた文化的自然
天橋立では、松並木そのものが景観の核になっています。籠神社や智恩寺への信仰、長年の人の手入れなどが、松の景観を維持してきた背景として考えられます。
ここで、ひとつ区別しておきたいことがあります。青島の森林がどの程度、人の介入なしに遷移した極相林なのか、また天橋立の松林がどのような歴史的管理によって維持されてきたのかは、植生調査や史料に照らして確かめたい点です。
しかし、安田さんが提示された対比の核心は、十分に伝わります。
自然の変化を受け入れて守るのか。自然の変化を抑えて、文化的な景観を守るのか。
どちらも「守る」ことなのに、守り方が違うのです。
「松でなければならない」は、どこまで絶対なのか
ここが、今回の調査に加えたい問いの核心ですね。
天橋立の松並木は、単にそこに生えている樹木の集合ではありません。長い時間をかけて人々が眺め、描き、信仰を寄せ、手入れを続けてきた景観です。
だからこそ、「松を守る」という価値には、歴史的な根拠があります。
しかし、そこから直ちに「松以外は認めない」「遷移はすべて抑えなければならない」という結論が導かれるわけではありません。
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松林を維持することによって、何を守るのか。
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松以外の樹木が増えることによって、何が失われるのか。
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遷移を部分的に受け入れた場合、景観や生物多様性はどう変わるのか。
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将来の世代にも、現在と同じ松並木を引き継ぐべきなのか。
これらは、それぞれ別の問いです。
また、遷移を受け入れることが常に環境によいとも限りません。砂州の地形、海岸環境、外来種、希少な生物、松林に依存する生態系など、個々の条件によって評価が変わります。
「松を守るか、自然に任せるか」という二者択一ではなく、何を守るために、どこまで人が介入するのか。 そこを問いたいですね。
住民意識調査に入れるなら、こんな設問はどうでしょう
私なら、単に「遷移を受け入れますか」とは尋ねません。回答者が「遷移」という専門用語を知っているかどうかで、回答が左右されてしまうからです。
設問案:天橋立の松林と自然の変化について
天橋立の松林は、長い年月にわたり、人々の手入れによって維持されてきた文化的な景観です。一方、樹木は成長し、時間とともに森林の姿も変化していきます。
あなたは、これからの天橋立の松林を、どのように守っていくのがよいと思いますか。
この設問は、実際の調査票を評価するための完成版というより、議論を始めるためのたたき台です。選択肢の順序や表現は、調査目的に合わせて調整する必要があります。
さらに、先ほどの「天橋立はあなたにとって何ですか」という自由記述と組み合わせれば、興味深い分析ができます。
たとえば、天橋立を「信仰の対象」と捉える人と、「自然環境の一部」と捉える人では、松林の将来像に違いがあるでしょうか。地区による違いはあるでしょうか。年代による違いはどうでしょうか。
そうした違いを調べることで、単なる賛否調査ではなく、人々が何を大切にしているから、その管理方法を選ぶのかを探ることができます。
そして、世界遺産の議論にもつながる
世界遺産としての価値を考える際にも、松林を維持することが望ましいという住民の意見だけで、管理方針の妥当性が証明されるわけではありません。文化的景観としての価値、生態学的な知見、歴史的な管理の実態を、それぞれ確かめる必要があります。
一方、住民が何を価値と感じ、何を次世代に引き継ぎたいと考えているかは、地域社会が景観を守り続けるうえで重要な情報です。
安田さんの発想の新しさは、松林を守ることへの賛否を聞こうとしているだけではないところにあります。
「何を守るべきか」という問いと、「なぜそれを守りたいのか」という問いを分けている。
ここまで踏み込んだ住民意識調査なら、天橋立の将来を考えるための、ずいぶん豊かな材料になると思います。(^.^)
ああ!! そういうことでしたか。(^.^)
安田さんは、自然の遷移を受け入れること自体を否定しているのではない。むしろ、「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」という広い面で生物多様性を捉えたとき、天橋立には、天橋立にしか担えない役割がある、ということですね。
青島には青島の森がある。世屋には世屋の森がある。丹後の山々には、遷移によって育まれる広葉樹林がある。
その一方で、天橋立には、人々が長い年月をかけて守り継いできた松林がある。
それぞれが違うからこそ、丹後全体として多様性が生まれる。
丹後の森をすべて松林にする必要はない。しかし、天橋立まで松林でなくなったら、二度と同じものはつくれない。
この考え方は、「自然に任せることが常に正しい」という単純な自然観に対する、ひとつの重要な問いかけですね。
「頑なにマツ、愚直にマツ」の意味
私には、これは単に松を植え続けようという主張には聞こえません。
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歴史を守る。 長い年月をかけて形成された景観と、その維持に関わってきた人々の営みを引き継ぐ。
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地域の多様性を守る。 丹後全体を一様な自然にするのではなく、天橋立ならではの景観を維持する。
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取り返しのつかないものを守る。 一度失われた歴史的景観は、同じ場所に同じ松を植え直せば元通りになる、というものではない。
もちろん、松林の維持には、松枯れへの対策や更新、下草・土壌の管理など、具体的な生態学的検討が欠かせません。松を守ることと、あらゆる場所で一律に消毒を続けることも、別の判断です。
そして、ここが大切です。
松林を守るという選択もまた、人間が自然との関係を考え、責任を引き受ける選択なのです。
住民意識調査への、もう一つの問い
先ほどの設問に、こんな問いを加えたらどうでしょう。
天橋立の松林は、長い年月にわたる人々の営みによって守り継がれてきた景観です。あなたは、丹後全体の自然環境や生物多様性を考えたとき、天橋立の松林を今後も維持していくことに、どのような意味があると思いますか。自由にお書きください。
これなら、松を守るかどうかという賛否だけではなく、回答者が天橋立を丹後全体の自然の中でどう位置づけているかを探れます。
安田さんの「面としての生物多様性」という視点も、そこに生きてきます。
天橋立だけを見れば、松林の維持。丹後全体を見れば、多様な自然の共存。
そして、天橋立の松林は、その全体の中で代替できない一つの珠なのですね。
数珠の珠は、みんな同じである必要はない。むしろ、違う珠がそれぞれの姿を保っているからこそ、数珠になる。
「頑なにマツ、愚直にマツ」。
その言葉の奥にあるのは、自然を一律に管理したいという願いではなく、丹後の多様性の中で、天橋立にしかないものを失わないという決意なのだと思います。










