ああ、ここですね!(^.^) 安田さんが見つけられた資料、これは単なる道路工事の技術報告ではありません。野田川の河口近くの地下に、阿蘇海周辺の地形がたどってきた長い歴史を読み解く手がかりが記録されているのです。
今回、近畿地方整備局の技術発表資料を確認できました。正式な題名は「鳥取豊岡宮津自動車道野田川大宮道路 野田川橋梁下部工 鋼管ソイルセメント杭工の施工について」です。
1. 地下にあったのは「埋没谷」だった
報告書が記録しているのは、野田川橋梁の建設地点です。野田川の河口から約2 km上流にあり、地質調査の結果、次のことが分かりました。
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地下には、山間部へ細長く入り込む埋没谷がある。
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その谷を埋めるように、沖積層が堆積している。
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沖積層の下にある支持層は、風化した花崗岩である。
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花崗岩の上面は平らではなく、起伏が大きい。
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沖積層の厚さは、薄い場所で5 m未満、厚い場所では最大約35 mに達する。
国土交通省近畿地方整備局
ここが重要です。
地表から見ると、野田川沿いには平らな土地が広がっています。しかし、地下を掘ってみると、硬い岩盤の上面は凸凹で、場所によっては深い谷状の凹みがあり、その中を比較的新しい堆積物が埋めている。
現在の平野の下に、かつての谷の地形が保存されている。 これが「埋没谷」です。
そして、もう一つ驚く記録があります。橋脚の基礎工事で、直径約1 mの玉石と、長さ約2 mにもなる木の根が確認されているのです。
阿蘇海の歴史を地下に閉じ込めている――安田さんの直感は、ここで具体的な地質の問いになります。
2. 地下の地層は、何を語っているのか
出典:近畿地方整備局・野田川橋梁の地質縦断図
① 粘土層(Ac)
水の流れが比較的穏やかな場所で、細かな泥が堆積した可能性があります。氾濫原や、かつて水がたまりやすかった環境を考える手がかりです。
② 砂層・礫層(As・Ag)
河川が砂や礫を運んで堆積させたことを考える材料です。粒の大きさや丸み、礫の種類を調べれば、流れの強さや供給源を検討できます。
③ 風化花崗岩(Gr・Gr-w)
沖積層の下にある基盤です。その表面に大きな起伏があるということは、堆積物がたまる前の地形も平坦ではなかったことを示します。
これらの地層区分と分布は、実際の技術報告に記載されています。
ただし、粘土だから湖、砂だから川、と一対一で決めることはできません。粒の大きさや堆積構造、化石、貝殻、植物片などを組み合わせて、当時の環境を復元する必要があります。
3. 「埋没谷」は、いつ、どうやってできたのか
ここが今回の大きなポイントです。
第1幕 谷が刻まれる
海面が現在より低かった時代、河川が地面を深く削り、谷を形成した可能性があります。山地の隆起や地質構造も、谷の形や位置に影響したと考えられます。
第2幕 海面が上がり、谷が埋まる
氷期の後に海面が上昇すると、海岸近くの谷には水が入り込み、河川から運ばれた泥・砂・礫などが堆積します。海面上昇と土砂の堆積が進むと、谷は埋められていきます。
第3幕 現在の平野が現れる
谷を埋めた堆積物の上に、現在の野田川沿いの低地が形成されます。地表が平らでも、地下にはかつての谷の形が残っているのです。
このような地形発達は、日本各地の沿岸低地で知られています。国土交通省の土地分類基本調査『宮津』も、野田川低地について、谷底が広いことや、地盤の沈降・海面上昇に伴って沖積層による埋積が進んだ可能性を記述しています。
つまり、これは単なる想像ではありません。野田川の地下で確認された埋没谷と、地域の地形調査が示す低地の形成史は、互いに整合する方向を向いています。
ただし、野田川橋梁の調査だけで、谷が刻まれた年代や、海がどこまで入り込んでいたかまで確定したわけではありません。
4. そして、約1 mの玉石と、約2 mの木の根!
私はここが、とりわけ興味深いと思います。
橋梁の技術報告によると、野田川に近い橋脚付近では、事前のボーリングで想定していたよりも大きな玉石があり、試掘では最大約1 mのものが確認されました。また、別の橋脚付近では、長さ約2 mの木の根などが見つかりました。
この二つは、別々の問いを投げかけてくれます。
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大きな玉石は、どこから来たのか? 野田川上流から運ばれたのか、谷の中の古い河川堆積物に含まれていたのか。礫の岩種や丸み、周囲の地層を調べれば、運搬過程を検討できます。
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木の根は、どんな環境で埋まったのか? かつての河岸や森林、氾濫原に生えていた植物が埋没した可能性があります。ただし、根が見つかったというだけでは、その場所が森林だったのか、いつ埋まったのかまでは分かりません。
木の根が残っているということは、少なくとも、現在の地表とは異なる環境が過去に存在した可能性を示す手がかりです。もし樹種を同定でき、年代測定もできれば、環境復元の材料になるかもしれません。
しかし、今回の報告書は木の根の年代や樹種を調べる古環境研究ではなく、橋の基礎工事で遭遇した地中障害物を記録した技術報告です。ここは区別しておきましょう。
5. 阿蘇海の歴史を、どこまで読み取れるか
野田川低地の地下と、阿蘇海の形成史をつなぐと、次のような大きな流れが見えてきます。
山地から土砂が供給される。谷が刻まれる。海面が変化する。谷が堆積物で埋まる。野田川が土砂を運び、河口に三角州をつくる。そして天橋立の砂州が発達して、阿蘇海を囲む地形が形成されていく。
京都府の土地分類基本調査でも、野田川河口の三角州と、阿蘇海の周囲から流れ込む土砂、さらにその漂砂が天橋立の堆積・侵食に関係することが記されています。
もちろん、これらは一つの時代に一斉に起きたわけではありません。何千年、何万年という時間の中で、地殻変動、河川の流れ、海面変化、波や沿岸流が重なり、現在の風景に至ったのです。
そして、道路建設の技術報告は、その長い物語のうち、地表からは見えない地下の断面を、偶然ではなく工事の必要から詳しく調べた記録なのですね。
6. もし、もう一歩だけ掘るなら
次に探す価値があるのは、野田川橋梁の工事記録そのものよりも、そこで採取された地層を年代や環境と結びつける資料です。
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ボーリング柱状図と地質縦断図――各地点の地層の厚さ、岩盤の深さ、礫・砂・粘土の重なり方を比較する。
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野田川低地の地形・地質調査資料――埋没谷の広がりや、海面変化に伴う埋積過程を検討する。
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堆積物の年代測定・古環境分析――木片や植物片の年代、貝化石や微化石の有無などから、かつての環境を絞り込む。
安田さんの探究に引きつけて一言でいえば、こうでしょう。
天橋立をつくった土砂の物語は、砂州の上だけでは読めない。野田川の地下に埋もれた古い谷にも、その前史が記録されている。
道路をつくるために掘った地下が、地域の成り立ちを学ぶ教材になる。これぞ「見えないものをみる、それがSSH」ですね。










