宮津エコツアー · 山田断層から天橋立形成を見る! 天橋立を世界遺産に 187

山田断層から天橋立形成を見る! 天橋立を世界遺産に 187

【① 天の橋立の北西部の山を作った山田断層について、解説くださいな】

おお、ここは天橋立の「地域的凝縮性」を考えるうえで、かなり大事な場所ですね!(^.^)

山田断層は、天橋立の北西側に広がる山地と、阿蘇海・宮津湾側の低地との関係を読み解く手がかりです。しかも、断層だけで話が終わらず、断層運動、山地の隆起、地すべり、土石流、河川の土砂供給、そして砂州の形成へと、いくつもの過程がつながってきます。

京都府の『天橋立の形成過程について』という論考も、丹後半島東側の山田断層による断層崖、伊根町から宮津市北部に集中する地すべり地形、土石流などを、天橋立の成り立ちを考える文脈で取り上げています。

京都府埋蔵文化財調査研究センター

1. 山田断層とは、どんな断層か

山の端っこがスパッと切れている?:京都府北部平坦~中山間地域【災害から身をまもるvol.21】|ゆるく楽しむ

資料3 1:25,000活断層図「宮津」「大江山」 | 国土地理院

山田断層帯は、京都府北部の丹後半島基部から兵庫県北部に延びる活断層帯です。地震調査研究推進本部による解説では、断層帯全体は北東―南西方向に延び、右横ずれを主体としながら、北西側が相対的に隆起する成分を持つとされています。
地震本部
+1

ここで大事なのは、断層が単純に山を押し上げるだけではないことです。

  • 横ずれ:断層の両側の土地が、水平方向にずれる。

  • 隆起・沈降:断層の両側で土地の高さが相対的に変わる。

  • 断層崖:こうした運動などによって生じた地形の段差が、地表に現れたもの。

国土地理院の活断層図では、宮津市日置付近から与謝野町上山田西方に延びる山田断層が、山地と低地の境界付近に位置し、扇状地を変位させていることも示されています。

国土地理院
+1

つまり、山田断層は、現在の山と低地の配置を読み解くうえで重要な構造なのです。ただし、現在見えている山地のすべてが山田断層によって生まれた、という意味ではありません。 もともとの地質や長期的な侵食、斜面崩壊なども関わっています。

2. 断層から、地すべり、土石流へ

ここからが、安田さんの関心にぴったり重なるところです。

① 断層運動

大地にずれや変形が生じ、山地と低地の地形にも影響する

② 風化・侵食・地すべり

岩盤や斜面が崩れ、土砂が谷や斜面の下部に移動する

③ 河川・土石流による運搬

土砂が谷から流れ出し、扇状地や河口、海岸へ運ばれる

④ 湾・海岸での堆積と再移動

波や沿岸流も加わり、砂州を形づくる材料が移動・堆積する

これは、地形形成を理解するための仮説的な因果の連鎖です。実際に天橋立でこの順番どおりの出来事が起きたと確定しているわけではなく、それぞれの段階を地質や堆積物の証拠で検証する必要があります。

京都府の論考は、丹後半島東側に地すべり地形が集中すること、地すべりでできた緩斜面に上世屋などの山間集落が形成されたことにも触れています。また、地すべりの原因を考える際には、地層中の滑りやすい面だけでなく、地震との関係も検討すべきだと論じています。

京都府埋蔵文化財調査研究センター

ここで、上世屋の棚田や集落も地形の物語に入ってきますね。人間が暮らしやすい緩斜面が、長い地形形成の過程で生まれた可能性がある。地形は、砂州の材料を供給するだけでなく、集落や生業の舞台もつくってきたのです。

3. 1927年の北丹後地震も、この土地の履歴

山田断層を考えるうえでは、1927年の北丹後地震も欠かせません。

この地震では、山田断層の一部で地表のずれが現れました。京都府のレッドデータブックには、1985年のトレンチ調査で、約60cmの上下変位を持つ逆断層が観察されたことも記録されています。

京都府
+1

ただし、断層帯全体が一様に動くわけではありません。区間ごとに活動履歴が異なり、地震のたびに地表へ現れる変位も同じとは限りません。

このことも、山地を一度の大事件で説明するのではなく、長い時間の中で繰り返された変動として捉える必要があることを教えてくれます。

4. そして、天橋立へ戻る

安田さんの探究に引きつけて整理すると、こうなります。

場所・要素

掘り下げる問い

山田断層

山地と低地の配置を、どのような地殻変動がつくったのか

地すべり地形

山の土砂はどこで生まれ、どこへ移動したのか

河川・扇状地

どの谷から、どのような土砂が運ばれたのか

阿蘇海・宮津湾

土砂はどこに堆積し、波や沿岸流でどう移動したのか

天橋立

その地形過程に、人の信仰・景観観・漁業・暮らしがどう重なったのか

ここで一つ、ぜひ強調したいことがあります。

山田断層があるから天橋立ができた、と直線的に結論づけるのではなく、断層がつくる大地の構造と、土砂を動かす水の作用をつないで考える。

これなら、地質学的に慎重でありながら、天橋立を山から海までの大きな物語として描けます。

山田断層は、天橋立の形成を直接説明する「答え」そのものというより、山地・地すべり・河川・湾・砂州の関係を掘り起こすための、重要な入口なのだと思います。

まさに「掘る・繋ぐ・問い返す」ですね。山を見て、砂州を見る。その間にある見えない時間と土砂の動きを探る。そこから天橋立が「美しい景色」から「大地と命の履歴を読める場所」へと変わっていくのではないでしょうか。

こちらもいかがですか?

【② ありがとう その山地に穴を開けました、自動車道です、この工事の過程で地質について明らかにされたことはありますか】
8s考えました

なるほど! 安田さんが注目されたのは、断層がつくった山地に自動車道のトンネルを掘ったとき、山の内部からどんな地質の証拠が見つかったのか、ということですね。これは面白い問いです。地表からは見えない地層や岩盤、断層による破砕、地下水の通り道などを、トンネル工事が直接観察する機会になります。

まず確認できたこととして、国土地理院の活断層図では、山田断層は宮津市日置付近から与謝野町上山田の西方まで延び、複数の分岐断層を伴い、断層が通る扇状地に地形のずれが認められています。

国土地理院

ただし、これは地表の調査結果です。自動車道のトンネル工事で、山田断層の地下延長や破砕帯が実際に確認されたかどうかは、別に調べなければなりません。

2. 工事記録から、実際に分かったこと

今回、工事記録を探したところ、丹後の自動車道建設に関して、たいへん興味深い資料が見つかりました。

水戸谷トンネル(旧・大宮第14トンネル)

山陰近畿自動車道・野田川大宮道路

延長約1,964 m。工事技術報告では、トンネル周辺の地質について、次の点が報告されています。

一般社団法人日本トンネル技術協会
+1
  • 主な岩石は、白亜紀後期に形成された宮津花崗岩類(黒雲母花崗岩)

  • 路線全体に岩盤の風化が強い

  • 近くに震源断層があり、断層破砕帯が連続

  • 断層に沿って、多くの湧泉が認められた

つまり、トンネルを掘ることで、地表の地形図だけでは見えない岩盤の状態と、断層・地下水の関係が明らかになったのです。

これはまさに、安田さんの着眼点に重なりますね。

断層は土地をずらすだけではありません。岩盤を砕き、割れ目をつくり、そこが地下水の通り道になる場合もある。山の中に穴を開けたことで、「大地の構造」と「水の動き」が一緒に見えてきたわけです。

ただし、ここは慎重に区別します。見つかった資料は水戸谷トンネルの工事記録で、山田断層そのものを掘り抜いて、その形成史を解明したという報告ではありません。 山田断層との位置関係や、破砕帯がどの断層に由来するかは、さらに照合が必要です。

3. もう一歩、天橋立の山へ

ここで一つ教えてください。

安田さんが念頭に置いておられる自動車道は、京都縦貫自動車道の宮津天橋立IC付近でしょうか。それとも、山陰近畿自動車道の与謝天橋立ICから野田川・大宮方面へ抜ける道路でしょうか。

道路の区間が特定できれば、そのトンネルの施工記録や地質縦断図を追って、断層破砕帯、岩石の種類、湧水、地すべりとの関係など、実際に工事で確認されたことを、天橋立の地形形成の問いにつないで整理できます。ここは一般論で済ませず、現場の記録を掘りたいところです。(^.^)

【③ 山陰近畿自動車道の与謝天橋立ICから野田川・大宮方面へ抜ける道路、、です!】

ありがとうございます、道路が特定できました! 山陰近畿自動車道の野田川大宮道路、与謝天橋立ICから京丹後大宮方面へ向かう約4.3 kmの区間ですね。2016年10月に供用開始した道路です。

京都府
+1

この区間で、地質を考えるうえで重要な資料が見つかりました。まず、トンネルだけでなく、起点側の野田川橋梁の工事記録にも、大地の内部を知る手がかりがあります。

1. 野田川大宮道路の工事資料で確認できたこと

新坂下トンネル | 株式会社 稲元興業

第14トンネルの掘削

2014年の京都府道路公社の工事広報には、第14トンネルの施工状況が掲載されています。掘削土(ズリ)を道路の盛土に利用していたことも記録されています。

happylibus.com
+1

ただし、この広報資料は工事の進捗・安全対策が中心で、断層破砕帯や地層の詳しい記載までは確認できませんでした。

野田川橋梁の基礎工事

国土交通省近畿地方整備局の技術報告では、橋梁の基礎について、起伏の大きい基盤岩の上に沖積層が堆積し、場所によって直接基礎と長さ約30 mの杭基礎を使い分けたと説明されています。

国土交通省近畿地方整備局

これは、野田川沿いの地下が一様ではなく、岩盤面の凹凸と、その上に重なる比較的新しい堆積物から成ることを示す工学的な証拠です。

2. 山田断層との関係は、まだ確認が必要です

京都府の資料によれば、山田断層崖は高さ約100~300 mに達し、崖の下には山地から流れ出した小河川がつくる複合扇状地があります。1927年の北丹後地震では、上山田付近で山地側が約70 cm隆起し、右横ずれ約80 cmの変位が記録されました。

京都府

ここから考えたいのは、次の三つです。

  • 山田断層の活動によって、山地と低地の境界がどう形づくられたか。

  • 断層による岩盤の破砕や、その後の風化・侵食が、斜面の崩壊や地下水にどう関係するか。

  • 山地から運ばれた土砂が、野田川の沖積地、さらに阿蘇海・宮津湾の堆積環境とどうつながるか。

ただし、橋梁基礎で岩盤面の起伏が確認されたことだけでは、それが山田断層の活動によるものとは言えません。 また、第14トンネルで山田断層そのものを横断したことや、そこで特定の断層破砕帯が確認されたことも、現時点で確認できた資料からは断定できません。

3. 次に探すべき資料

本当に知りたいのは、道路を造ったという記録よりも、掘った結果、山の中から何が出てきたかを記した資料でしょう。

  • 第14トンネルの地質縦断図・地質調査報告書

  • 掘削中の切羽観察記録(岩石の種類、亀裂、破砕帯、湧水など)

  • 京都府道路公社のトンネル施工記録・竣工報告

  • 路線沿いのボーリング柱状図

これらが見つかれば、地表の山田断層崖と、地下の岩盤構造を照合できる可能性があります。

安田さんの問いは、まさに「道路建設が、地域の大地についてどんな知識を残したのか」というものですね。道路は人や物を運ぶ施設であると同時に、建設の過程で地下の地質情報が得られる機会でもあります。その情報を地形・河川・砂州の形成史につなげられれば、天橋立の「地域的凝縮性」を語る、非常に具体的な材料になると思います。

【④ 国土交通省近畿地方整備局の技術報告では、橋梁の基礎について、起伏の大きい基盤岩の上に沖積層が堆積し、場所によって直接基礎と長さ約30 mの杭基礎を使い分けたと説明されています。image国土交通省近畿地方整備局、、、、、ここですね、沖積層が堆積し、場所によって直接基礎と長さ約30 m!!阿蘇海の歴史を閉じ込めている気がします、ここの所を深掘りください】

ああ、ここですね!(^.^) 安田さんが見つけられた資料、これは単なる道路工事の技術報告ではありません。野田川の河口近くの地下に、阿蘇海周辺の地形がたどってきた長い歴史を読み解く手がかりが記録されているのです。

今回、近畿地方整備局の技術発表資料を確認できました。正式な題名は「鳥取豊岡宮津自動車道野田川大宮道路 野田川橋梁下部工 鋼管ソイルセメント杭工の施工について」です。

国土交通省近畿地方整備局

1. 地下にあったのは「埋没谷」だった

報告書が記録しているのは、野田川橋梁の建設地点です。野田川の河口から約2 km上流にあり、地質調査の結果、次のことが分かりました。

  • 地下には、山間部へ細長く入り込む埋没谷がある。

  • その谷を埋めるように、沖積層が堆積している。

  • 沖積層の下にある支持層は、風化した花崗岩である。

  • 花崗岩の上面は平らではなく、起伏が大きい。

  • 沖積層の厚さは、薄い場所で5 m未満、厚い場所では最大約35 mに達する。

    国土交通省近畿地方整備局

ここが重要です。

地表から見ると、野田川沿いには平らな土地が広がっています。しかし、地下を掘ってみると、硬い岩盤の上面は凸凹で、場所によっては深い谷状の凹みがあり、その中を比較的新しい堆積物が埋めている。

現在の平野の下に、かつての谷の地形が保存されている。 これが「埋没谷」です。

そして、もう一つ驚く記録があります。橋脚の基礎工事で、直径約1 mの玉石と、長さ約2 mにもなる木の根が確認されているのです。

国土交通省近畿地方整備局

阿蘇海の歴史を地下に閉じ込めている――安田さんの直感は、ここで具体的な地質の問いになります。

2. 地下の地層は、何を語っているのか

出典:近畿地方整備局・野田川橋梁の地質縦断図

等々力渓谷公園 | 世田谷区公式ホームページ

① 粘土層(Ac)

水の流れが比較的穏やかな場所で、細かな泥が堆積した可能性があります。氾濫原や、かつて水がたまりやすかった環境を考える手がかりです。

excavation

② 砂層・礫層(As・Ag)

河川が砂や礫を運んで堆積させたことを考える材料です。粒の大きさや丸み、礫の種類を調べれば、流れの強さや供給源を検討できます。

石ころ観察の手引き|長野県デジタル地質図を活用した地学教材開発事業

③ 風化花崗岩(Gr・Gr-w)

沖積層の下にある基盤です。その表面に大きな起伏があるということは、堆積物がたまる前の地形も平坦ではなかったことを示します。

これらの地層区分と分布は、実際の技術報告に記載されています。

国土交通省近畿地方整備局

ただし、粘土だから湖、砂だから川、と一対一で決めることはできません。粒の大きさや堆積構造、化石、貝殻、植物片などを組み合わせて、当時の環境を復元する必要があります。

3. 「埋没谷」は、いつ、どうやってできたのか

ここが今回の大きなポイントです。

第1幕 谷が刻まれる

海面が現在より低かった時代、河川が地面を深く削り、谷を形成した可能性があります。山地の隆起や地質構造も、谷の形や位置に影響したと考えられます。

第2幕 海面が上がり、谷が埋まる

氷期の後に海面が上昇すると、海岸近くの谷には水が入り込み、河川から運ばれた泥・砂・礫などが堆積します。海面上昇と土砂の堆積が進むと、谷は埋められていきます。

第3幕 現在の平野が現れる

谷を埋めた堆積物の上に、現在の野田川沿いの低地が形成されます。地表が平らでも、地下にはかつての谷の形が残っているのです。

このような地形発達は、日本各地の沿岸低地で知られています。国土交通省の土地分類基本調査『宮津』も、野田川低地について、谷底が広いことや、地盤の沈降・海面上昇に伴って沖積層による埋積が進んだ可能性を記述しています。

国土数値情報

つまり、これは単なる想像ではありません。野田川の地下で確認された埋没谷と、地域の地形調査が示す低地の形成史は、互いに整合する方向を向いています。

ただし、野田川橋梁の調査だけで、谷が刻まれた年代や、海がどこまで入り込んでいたかまで確定したわけではありません。

4. そして、約1 mの玉石と、約2 mの木の根!

私はここが、とりわけ興味深いと思います。

橋梁の技術報告によると、野田川に近い橋脚付近では、事前のボーリングで想定していたよりも大きな玉石があり、試掘では最大約1 mのものが確認されました。また、別の橋脚付近では、長さ約2 mの木の根などが見つかりました。

国土交通省近畿地方整備局

この二つは、別々の問いを投げかけてくれます。

  • 大きな玉石は、どこから来たのか? 野田川上流から運ばれたのか、谷の中の古い河川堆積物に含まれていたのか。礫の岩種や丸み、周囲の地層を調べれば、運搬過程を検討できます。

  • 木の根は、どんな環境で埋まったのか? かつての河岸や森林、氾濫原に生えていた植物が埋没した可能性があります。ただし、根が見つかったというだけでは、その場所が森林だったのか、いつ埋まったのかまでは分かりません。

木の根が残っているということは、少なくとも、現在の地表とは異なる環境が過去に存在した可能性を示す手がかりです。もし樹種を同定でき、年代測定もできれば、環境復元の材料になるかもしれません。

しかし、今回の報告書は木の根の年代や樹種を調べる古環境研究ではなく、橋の基礎工事で遭遇した地中障害物を記録した技術報告です。ここは区別しておきましょう。

5. 阿蘇海の歴史を、どこまで読み取れるか

GIS�i����@���挗�����‹��������Z���^�[�j

天橋立#1 知っているようで知らない天橋立の基礎知識 - 宮津市ホームページ

湖沼図(湖沼データ)を使って、地域学習を深める | 国土地理院

野田川低地の地下と、阿蘇海の形成史をつなぐと、次のような大きな流れが見えてきます。

山地から土砂が供給される。谷が刻まれる。海面が変化する。谷が堆積物で埋まる。野田川が土砂を運び、河口に三角州をつくる。そして天橋立の砂州が発達して、阿蘇海を囲む地形が形成されていく。

京都府の土地分類基本調査でも、野田川河口の三角州と、阿蘇海の周囲から流れ込む土砂、さらにその漂砂が天橋立の堆積・侵食に関係することが記されています。

1991

もちろん、これらは一つの時代に一斉に起きたわけではありません。何千年、何万年という時間の中で、地殻変動、河川の流れ、海面変化、波や沿岸流が重なり、現在の風景に至ったのです。

そして、道路建設の技術報告は、その長い物語のうち、地表からは見えない地下の断面を、偶然ではなく工事の必要から詳しく調べた記録なのですね。

6. もし、もう一歩だけ掘るなら

次に探す価値があるのは、野田川橋梁の工事記録そのものよりも、そこで採取された地層を年代や環境と結びつける資料です。

  1. ボーリング柱状図と地質縦断図――各地点の地層の厚さ、岩盤の深さ、礫・砂・粘土の重なり方を比較する。

  2. 野田川低地の地形・地質調査資料――埋没谷の広がりや、海面変化に伴う埋積過程を検討する。

  3. 堆積物の年代測定・古環境分析――木片や植物片の年代、貝化石や微化石の有無などから、かつての環境を絞り込む。

安田さんの探究に引きつけて一言でいえば、こうでしょう。

天橋立をつくった土砂の物語は、砂州の上だけでは読めない。野田川の地下に埋もれた古い谷にも、その前史が記録されている。

道路をつくるために掘った地下が、地域の成り立ちを学ぶ教材になる。これぞ「見えないものをみる、それがSSH」ですね。

このページのトップへ