宮津エコツアー · 分ける言葉・つなげる言葉、、人→ジン→神!!! 丹後は一つ。違うからこそ、つながる。 天橋立を世界遺産に 190

分ける言葉・つなげる言葉、、人→ジン→神!!! 丹後は一つ。違うからこそ、つながる。 天橋立を世界遺産に 190

【①】ありがとう、、、さて、農業、漁業、これは 職種、ですね、で、携わる人は、、ふと、、(^.^)

はははは!(^.^) そこに引っかかりましたか!

農業、漁業は「職種」なのか。では、そこに携わる人は何者なのか――。

  • 農業に携わる人は、農業者、農家、農民?

  • 漁業に携わる人は、漁業者、漁師、漁民?

似た言葉ですが、見えてくるものが違いますね。

**「農業者・漁業者」**は、仕事や産業の担い手という見方。

**「農家・漁家」**は、仕事と暮らしが結びついた家という見方。

**「農民・漁民」**は、土地や海と深く関わりながら生きてきた人々、という社会的・歴史的な見方を帯びます。

そして、安田さんが考えている天橋立・阿蘇海・世屋・伊根の世界では、もう一つの見方が大切になりそうです。

田んぼをつくる人は、米を生産するだけではない。水路を維持し、里山の環境をつくり、生き物の生息場所を支えている。

漁師は、魚を獲るだけではない。海の変化を知り、魚の動きを読み、地域の食文化や暮らしをつないでいる。

もちろん、すべての農業者や漁業者が同じ役割を担っているわけではありません。それでも、職業分類だけでは見えない関係があります。

つまり、「何の仕事をしている人か」と「どんな世界を支えながら生きている人か」は、同じではないのですね。

さてさて……安田さんの「ふと」は、ここから先に何かありそうですな。

もしかして、農業・漁業という産業分類と、そこで生きる人々の実際の姿との間に、何か引っかかるものがありましたか?(^.^)

【②田んぼをつくる人、、表現する言葉をゆたかにしておくと、境がにじみます、それによって他との繋がりが柔らかくなるだろうと思ったのです

】

ああ、なるほど!! (^.^)

安田さんが考えておられたのは、言葉の正確さというより、言葉の豊かさが、世界の境界線を柔らかくするということだったのですね。

「農業者」と呼べば、農業という産業の枠に人を置く。

でも、「田んぼをつくる人」と呼ぶと、少し違う世界が開きます。

田んぼをつくる人は、米をつくる人でもある。 水を引く人でもある。 山の水を受け止める人でもある。 畦を守り、草を刈り、生き物の住む場所をつくる人でもある。 そして、地域の風景を次の世代に手渡す人でもある。

その人は、農業だけの世界にいるのではありません。山にも、川にも、生き物にも、食卓にも、地域の歴史にもつながっています。

漁師も同じです。「魚を獲る人」と表現すれば、海の変化を読み、魚の命と向き合い、食卓へ命を届ける人という姿が見えてくる。

言葉の境界を、少しにじませる

農業者 → 田んぼをつくる人

米づくりから、水、土、山、生き物、食文化へ。

漁業者 → 魚を獲る人

漁獲から、魚の生態、海の変化、食卓、地域の記憶へ。

林業者 → 山に関わって生きる人

木を育てることから、水源、土砂、生き物、集落の営みへ。

もちろん、「農業者」「漁業者」という言葉が不要なのではありません。制度や統計では、明確な区分が必要です。

けれど、人と人、人と自然をつなぐ場では、別の言葉も持っておきたい。

分類する言葉と、つなぐ言葉。その両方を使い分ける。

ここが肝心なのだと思います。

そして、これは安田さんの「数珠紐と数珠珠理論」にも通じますね。

人を職業という珠に閉じ込めず、その人がどんな水に支えられ、どんな土に触れ、どんな命と関わっているかを言葉にしていく。すると、別々の珠だと思っていた農家、漁師、酒蔵の人、山を守る人、観光ガイドの間に、もともとあった紐が見えてくる。

伊根の漁師と上世屋の米づくりの人は、職種で分ければ別の世界の人です。でも、水の循環、食、地域の暮らしという言葉で眺めれば、つながり始める。

境界をなくすのではない。境界を硬くしすぎない。

これなら、それぞれの仕事の違いも尊重しながら、関係を見いだせます。

安田さんがツアーでやろうとしていることも、まさにこれではないでしょうか。

天橋立を見せる。伊根の舟屋を見せる。上世屋の棚田を見せる。

それだけで終わらず、そこに生きる人を訪ね、言葉を交わし、離れて見えたものの間に紐を通す。

そうして初めて、参加者の目の中に、「丹後は一つ」の意味が生まれる。

いやあ、これは言葉の話であると同時に、エコミュージアムの根っこの話でもありますね。(^.^)

【③ あいせよ天橋立丹後浦島ロード、、はもろもろの総合体としてみる、ということからいうと、分ける言葉とともに境を消す言葉、その大事さを意識しておきたいですね、、農人でもいい、ノウジンは、農神に渡してくれるじゃないですか、】

あああ、そこですか!!(^.^)

「農人」と書いて、ノウジンと読む。すると「農神」へと、言葉が渡っていく。

これは面白いですねえ!

「農業者」は、産業の担い手として人を捉える言葉。 「農人」は、農に関わって生きる人。その人の生き方や、自然との関係まで含み込める言葉です。

さらに「農神」となれば、農を支える自然への畏敬、田の神、豊穣への祈りが見えてくる。

もちろん、「農人」と「農神」は同じ言葉でも、歴史的に同じ意味でもありません。でも、言葉の響きが、人間の仕事から、人間を超えた世界へと想像を運んでくれる。 そこが豊かなんですね。

そして、これは「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」の考え方にぴたりと重なります。

農人と漁人。 田んぼと海。 山の水と阿蘇海の魚。 人の営みと、生き物の営み。 暮らしと信仰。

分ける言葉があれば、それぞれの違いを見失わずに済む。境をにじませる言葉があれば、別々に見えたものの間に関係が生まれる。

分けることは、理解の入口。つなぐことは、理解の深まり。

そして、境を消すのではなく、境の向こう側にあるものを想像できるようにする。

これが、安田さんのいう「総合体としてみる」ということなのだと思います。

天橋立だけを見れば、砂州。 阿蘇海だけを見れば、潟湖。 田んぼだけを見れば、農地。 漁師だけを見れば、職業。

けれど、それぞれをつなぐと、山から流れる水、田をつくる人、海を泳ぐ魚、祈りを捧げる人、景観を受け継ぐ人が、一つの大きな世界の中に見えてくる。

そこで「農人」という言葉が、「農神」への想像の扉にもなるわけです。

「あいせよ」は、愛せよであると同時に、見えなかった関係を見いだせ、という呼びかけにもなる。

いやあ、これはロードの案内板に書く説明ではなく、ロードを歩く人の目を育てる思想ですね。

そして、もう一つ。農人、漁人、山人、海人――こうした言葉を並べてみると、現代の職業分類では分かれている人々が、土地と命を介して、また出会い直す。

言葉を豊かにしておくことは、世界を狭く決めつけないための備えなのかもしれません。(^.^)

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【④ あいせよ天橋立丹後浦島ロードを支えるのは自然との総合格闘家、、その猛者たち!! どんなところやねん(^.^)】

ははははは!!!!!(^.^)

自然との総合格闘家!! その猛者たち!!

いったい、どんなロードやねん!!(笑)

観光ガイドが案内するのは、景勝地と名所旧跡。 ところが、あいせよ天橋立丹後浦島ロードに来てみたら……

  • 山と格闘する農人がいる!

  • 海と格闘する漁人がいる!

  • 水と土と格闘する人がいる!

  • 生き物の声を聴き、自然の変化と向き合う人がいる!

  • 伝説と歴史を掘り起こし、見えないものを見ようとする人までいる!

しかも、誰も自然を打ち負かそうとしているわけではない。自然に抗い、自然から学び、自然と折り合いをつけながら生きている。

総合格闘家たちのリングは、丹後半島!

上世屋の棚田 ぶら丹後 花鳥風月

Aerial Amanohashidate Sandbar with Coastal Village and Mountainous Miyazu Bay

そして、ここが肝心です。

農人は農業だけの人ではない。漁人は漁業だけの人ではない。

田んぼをつくることが、山の保水や生き物のすみかにつながる。漁をすることが、海の変化を読むことにつながる。酒を醸すことが、米や水や土地の物語につながる。

一人ひとりは違う技を持つ猛者。それぞれの技は違うけれど、同じ大きな自然の中で生きている。

これこそ、安田さんのいう「総合体」ですね。

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では、何と闘っているのか?

相手は自然ではないのかもしれません。

自然を細切れにしてしまう見方。 仕事と仕事の間に引かれた、硬い境界線。 景観を消費するだけで、その景観を生み出した営みを見ない目。 そして、便利さや経済効率だけでは測れない価値を、見落としてしまうこと。

そんなものと格闘しながら、山・田んぼ・海・人・生き物・信仰・歴史のつながりを取り戻していく。

もちろん、自然と人間の利害が衝突することもある。阿蘇海の砂州と漁業の関係が、まさにそうでしたね。だからこそ、単純な「自然と仲良く」では済まない。考え、選び、時には対立し、折り合いを探る。それも格闘です。

そして、もう一つ大事なこと。猛者を見物するだけでは、このロードの面白さは半分。訪ねる人自身も、自然との格闘に参加する。

なぜこの田んぼはここにあるのか。 なぜこの魚は阿蘇海で育つのか。 なぜ山の上に寺があるのか。 なぜ砂州はこの形をしているのか。

答えを教えてもらって終わるのではなく、自分で問いを持ち帰る。

そうなったら、これはもう観光地巡りではありません。

「自然との総合格闘家たちに出会い、自分の中の総合格闘家を目覚めさせるロード」!!

ははははは!(^.^)

最後に、こんな紹介文はどうでしょう。

 あいせよ天橋立丹後浦島ロード

山と格闘する農人。海と向き合う漁人。水をつなぎ、土を育て、命を支える人々。

ここには、自然との総合格闘家たちがいる。

その技を見、その知恵に学び、自然と人間のつながりを掘り、つなぎ、問い返す。

いやあ、これは「伝説のツアー」より、ずっと手強い(笑)。

一度参加して終わりではない。来るたびに新しい猛者に出会い、自分の目も鍛えられていく。

丹後半島そのものが道場。自然が師匠。人が人をつなぐ数珠珠。

……さて、道場破りに来る観光客まで現れたら、いよいよ本物ですな!(^.^)

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