宮津エコツアー · こね回したらウソっぽくなるけれど、やっぱりこねくり回す「天橋立」  天橋立を世界遺産に 214

こね回したらウソっぽくなるけれど、やっぱりこねくり回す「天橋立」  天橋立を世界遺産に 214

◆1 世界遺産の議論で目指すべきなのは、「雪舟が描いたから価値がある」という説明ではなく、「天橋立という景観が、なぜ長い時間をかけて日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となり、その価値がどのように受け継がれてきたのか」を証明すること、、、、、フム、、、「天橋立という景観が、なぜ長い時間をかけて日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となり」、、、フムフム、、「なぜ」!?,,,フムフム・フム、すごいよ、おもしろいよ、ワンダフル、ふしぎだあ・スプレンディッド、、理屈じゃないんじゃないかとおもいました、このように日本の芸術・信仰・美意識を育む対象となりました、と、こね回したらウソっぽくなる!!でも、理屈が求められるのですよね(^.^)、、、

はははは!!(^.^)

そこです、そこ!! 安田さんが「なぜ!?」と立ち止まったところに、今回の世界遺産の議論の、いちばん面白い入口がある気がします。

私も、さきほどの文章をもう一度考え直したい。

「天橋立という景観が、日本の芸術・信仰・美意識を育んだ」

これは、いかにも立派な説明です。しかし、証拠を示さずに言えば、安田さんのおっしゃるとおり、こね回した、もっともらしい物語になってしまう。

しかも、順序が逆かもしれないのです。

天橋立が人々の美意識を育てたのか。それとも、人々が天橋立に美を見いだしたのか。

あるいは、自然の景観と人間のまなざしが、長い時間をかけて互いに関係をつくってきたのか。

この三つは、似ているようで、まったく違う問いです。

「なぜ美しいのか」を、説明しきれるのか

例えば、雪舟の《天橋立図》。

天橋立図 - 京都国立博物館 館蔵品データベース
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あの絵を前にしたとき、私たちは本当に、地形や構図の分析を終えてから感動するのでしょうか。

まず目を奪われる。何かを感じる。もっと見たくなる。なぜだろうと問い始める。

順序としては、むしろこちらが自然ではないでしょうか。

そして、その「なぜ」は、一つの理屈に回収できない。

  • 砂州が海を分けながら、二つの水域を結んでいる。
  • 松並木が、自然の造形と人間の営みの境目を曖昧にしている。
  • 山々と海と集落が、限られた視野のなかで一つの景観をつくっている。
  • その景観を見た人が、和歌を詠み、絵を描き、祈り、旅をした。

これらは、調べることのできる事柄です。

けれども、それらを知れば、なぜ人の心が動くのかまで、完全に説明できるわけではありません。

ここを混同しないことが大切だと思います。

世界遺産は、感動を証明する制度ではない

では、理屈を求める世界遺産の議論と、どう向き合えばよいのでしょう。

私は、三つを分けて考えたいです。

第一に、感じること。

「すごい」「ふしぎだ」「なぜだろう」。これは出発点です。無理に学術用語へ翻訳しなくてよい。

第二に、確かめること。

なぜこの地形が生まれたのか。いつから絵に描かれたのか。どのような信仰や暮らしがあったのか。資料から分かることと、まだ分からないことを区別する。

第三に、世界に伝わる問いへ開くこと。

ほかの土地にも美しい砂州や名所はある。そのなかで、天橋立にはどんな特徴があり、どんな歴史的な関係が積み重なってきたのか。それを比較し、根拠をもって説明する。

この三つは、どれか一つが正解という話ではありません。

感じることを、証明したふりをしない。調べることを、感動を否定する作業にしない。そして、世界に伝えるために、分かったこと以上のことを言わない。

その姿勢が、必要なのだと思います。

そして、安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」

ここで、安田さんがずっと大切にしてこられた言葉に戻ります。

掘る。 地形、絵画、信仰、暮らしの証拠を掘る。

繋ぐ。 山と海、自然と人間、昔の絵師と今の旅人を繋ぐ。

問い返す。 それらを繋いだとき、本当にその説明でよいのか。ほかの見方はないのか、と問い直す。

世界遺産の議論に必要なのは、立派な物語を先に完成させることではなく、この営みを積み重ねることではないでしょうか。

そして、ここに一つ、私たちが急いで答えを出さなくてもよい問いがあります。

天橋立は、なぜ美しいのか。

その答えを一つに決める必要はない。

むしろ、長い時間をかけて人々が描き、詠み、祈り、守り、時には姿を変えてきた事実を確かめながら、「なぜだろう」を次の世代に手渡す。

世界遺産を目指すことが、そうした問いを深める機会になるのなら、それ自体にも大きな意味があります。

ははは、安田さん。世界遺産の推薦書を書くために、天橋立の不思議を消してしまったら、本末転倒ですものね。(^.^)

◆2 砂州も天の橋立、真名井・篭神社、成相寺、板並神社、知恩寺などによって醸し出される神聖感も天の橋立、、そのミックスの仮定で育まれるのが文化!芸術・信仰・美意識なんでしょう、勝負どころはその厚み、、さて率直なところ、勝負出来ますか!!(^.^)、

率直に答えます。勝負できるか?

私は、勝負するだけの文化的な厚みはあると思います。ただし、世界遺産として勝負できると証明するには、まだ埋めるべき溝があります。

これは、応援のために言っているのではありません。過去の国の審議資料を読むと、その両面がはっきり見えます。

文化庁の2008年前後の検討では、天橋立の提案は基本的な主題をもとに準備を進めるべきものと評価されました。一方、国は、国内外の類似する海岸景観との比較、雪舟の絵画などと日本文化への影響の実証、「日本の文化景観の原点」という概念の慎重な検討を課題に挙げています。

文化庁

+1

つまり、課題は「文化がない」ことではありません。その文化の厚みが、世界的に見てどのような独自性を持つのか、十分に証明できていないということです。

そして、安田さんの挙げられた場所を考えると、私は次の組み立てに可能性を感じます。

  • 砂州――自然がつくり出した地形と、松並木を維持してきた人間の営み。
  • 真名井・籠神社、成相寺、智恩寺、板並神社など――信仰、伝承、参詣、地域の歴史が重なる場所。
  • 絵画・和歌・庭園――その景観が、見る人の心にどう受け止められ、別の場所へ伝えられたかを示す証拠。
  • 周辺の集落と暮らし――名所を眺めるだけでなく、そこで人々が生きてきた歴史。

この四つを単に並べるのではなく、相互の関係を歴史資料によって確かめる。そこに、天橋立の文化的な厚みを示す道筋があります。国の「宮津天橋立の文化的景観」の説明も、信仰の中心、農漁業の営み、観光地としての発展が重なった歴史を評価しています。

国指定文化財データベース

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ただし、神社仏閣が多いことだけでは決め手になりません。ほかの名所にも神社仏閣はあります。問われるのは、この自然景観と、これらの信仰・芸術・暮らしが、なぜこの場所で、どのように結びついてきたのかです。

そして、もう一つ。文化の厚みを立証することと、世界遺産の登録基準を満たすことは同じではありません。国際比較、景観の完全性、保護管理の仕組みも必要です。

文化庁

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私なら、天橋立の勝負どころを、こう表現します。

「天橋立は美しい名所である」から、「自然が生んだ景観と人間の営みが、長い時間をかけてどのような文化的景観を形成したのか」へ。

安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」は、そのための研究の姿勢そのものです。

ただし、結論を先に決めないこと。調べた結果、想定していた物語が崩れることも受け入れる。その覚悟まで含めて、私は勝負できるテーマだと思います。(^.^)

◆3-1 ここだけのはなしです、よ! 扁平でのっぺらぼうありませんか、絵にはなりにくい、せっしゅうさんは苦しんだ、、えええいこれを絵に描けええ、白砂青松、、そりゃああとずけでしょう、、(^.^)

ははははは!!!!(^.^)

出ましたねえ!! 安田さん、これは「ここだけのはなし」にしておくには、あまりにも面白い問題ですぞ!!

天橋立、絵に描こうとすると、案外、難物なんじゃないか。

山水画なら山に峰があり、谷があり、岩があり、滝がある。描くべき起伏がある。ところが、天橋立はどうでしょう。

細長い砂州。平らな松並木。両側に水面。遠くに山。

「ええい、どこをどう描けばいいんじゃあ!!」

雪舟さんが実際にそう苦しんだかどうかは分かりませんよ。(^.^) しかし、あの作品が、絵画として簡単には解決できない問題を抱えているという見方は、十分に面白いと思います。

天橋立図 - 京都国立博物館 館蔵品データベース
Amanohashidate Sightseeing Boat - Mercure Kyoto Miyazu Resort & Spa [Official]| Mercure Kyoto Miyazu Resort & Spa

そこで雪舟は、何をしたのか

実際の風景を、一つの視点からそのまま写すのではなく、かなり高いところから見下ろしたような構図に組み直した。

砂州だけを描くのではなく、阿蘇海、府中の集落、寺社、山並みまで画面に取り込んだ。

つまり、絵師は、平らな砂州を無理に山のように描いたのではなく、砂州を取り巻く世界全体を描くことで、その存在を絵画として成立させたのかもしれません。

ここは大事な違いです。

天橋立単独では、絵の主役としては平坦で、変化に乏しい。しかし、その周囲まで視野を広げると、海と海を隔てる砂州、山と海の接続、集落と寺社の配置が見えてくる。

絵師にとっての難題が、逆に、天橋立の景観を丸ごと捉える工夫を生み出した可能性があるわけです。

そして「白砂青松」は、あとづけなのか?

ここは、安田さんの疑いを大事にしたいところです。

「白砂青松」という言葉で美しい景観を説明すると、まるで天橋立は最初から、その美を完成された形で備えていたかのように聞こえます。

けれども、景観の見方は、時代によって変わります。

  • 砂州は、地形として存在する。
  • 松は、生育し、あるいは人間によって守られ、手入れされる。
  • 絵師は、そこに何を描くかを選ぶ。
  • 和歌を詠む人は、別の意味を見いだす。
  • 旅人は、絵や歌を手がかりに、その場所を訪れる。

こうした営みの積み重ねによって、「名所・天橋立」のイメージが形づくられてきたのかもしれません。

ただし、「白砂青松」という美意識がいつ、どのように成立したのかは、古い文献や絵画を調べて確かめる必要があります。後世の表現を、そのまま古代や中世の人々の感覚に投影することはできません。

ここで、世界遺産の議論がひっくり返る!

もし安田さんの仮説を追究するなら、問いは「天橋立は、昔から美しかったのか」ではなくなります。

平坦で、細長く、一見すると絵にしにくい地形が、どのようにして日本を代表する名所の一つになったのか。

これなら、調べる価値のある問いになります。

雪舟以前の絵画や文学には、どんな天橋立が登場するのか。雪舟は何を選び、何を省いたのか。後世の屏風絵は、何を受け継ぎ、何を変えたのか。「白砂青松」というイメージは、いつから、誰によって強調されてきたのか。

証拠が積み重なれば、天橋立の文化的価値は「昔から美しいとされてきた」という循環論法から抜け出せるかもしれません。

ただ、最後に一つだけ。

天橋立は、絵に描きにくかったから価値があるのではありません。描きにくい風景を、絵師たちがどう捉えようとしたか。その試みの歴史に、文化的な意味が見いだせるかもしれない。

このくらいの距離感で仮説を育てるのがよさそうです。

いやあ、安田さん。天橋立の世界遺産を考えるのに、「雪舟さん、これ、どう描いたらええんじゃあ!!」から始める。

立派な推薦書の文章から始めるより、ずっといい研究の入口かもしれませんね。(^.^)

◆3-2 早押しでした、これ、、、どう描いたらええんじゃあ!!と雪舟さん、それでもあの作品!天の橋立の文化景観性の大前提は、天皇家を凌ぐ長さの家系図に裏付けられた聖地、◆◆詣での場、晴れの場として京都随一であったこと、わしが描かねばだれが描く、ここだろうと感じています、、

あああ、なるほど!! 今度こそ、話の芯が見えてきました。(^.^)

私が早押しでしたね。「詣での場、晴れの場」という言葉を、すぐに一般的な参詣の説明にしてしまった。

安田さんの仮説は、もっと踏み込んでいる。

雪舟は、描きにくい砂州を描こうとしたのではない。描かずにはいられないほどの意味を持つ場所を、どう描くかに挑んだのではないか。

そして、その意味の大前提にあるのが、天橋立を取り巻く聖地の歴史、籠神社の長い社家の系譜、参詣の場としての格式、京都の人々にとっての特別な場所としての位置づけ――ということですね。

「わしが描かねば、だれが描く」。

これは雪舟本人の言葉として確認できるものではありません。しかし、安田さんが提示しているのは、雪舟がなぜ天橋立を主題に選んだのかを考えるための、力のある仮説です。

その仮説を支える、実際の手がかり

調べてみると、安田さんの見立てに関係する事実が見つかります。

第一に、籠神社と海部氏の歴史です。

海部氏に伝わる『海部氏系図』は国宝で、書写年代は9世紀後半とされています。古い竪系図の形をよく残し、始祖からの直系の系譜を記しています。籠神社は古代以来、丹後国一宮として重要な位置を占めてきました。

宮津市ホームページ

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ただし、ここは「天皇家を凌ぐ長さの家系図」という表現を、そのまま歴史的事実として使わない方がよいでしょう。系譜の古さ、記載された世代数、歴史的に裏付けられる範囲は、それぞれ分けて検証する必要があります。

第二に、雪舟の絵そのものが、信仰の場を一体として描いています。

国の文化財解説は、雪舟の《天橋立図》に、智恩寺、府中の寺社、成相寺などが配置されていることを記しています。さらに、国指定文化的景観「宮津天橋立の文化的景観」の解説では、この地域が中世から近世にかけて、成相寺・籠神社などを中心とする信仰の場として機能していたことを、雪舟の絵などが示すとしています。

文化遺産オンライン

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ここは大切です。絵の中に寺社が描かれているというだけではなく、天橋立を含む地域が、信仰の中心地として機能していたことを、絵画が伝える歴史資料にもなっているのです。

そして、雪舟の動機は?

ここから先は、まだ仮説です。

雪舟がなぜ天橋立を選んだのか。聖地としての格式に惹かれたのか、実景の造形に惹かれたのか、あるいは両者が重なったのか。本人の言葉で確かめることはできません。

しかし、安田さんの仮説を研究の問いに直すことはできます。

「雪舟は、なぜ天橋立を描いたのか。天橋立を描くことは、当時の人々にとって、どのような意味を持ち得たのか。」

この問いなら、社寺の歴史、参詣の記録、雪舟の活動、絵の構図を照らし合わせて検討できます。

私は、安田さんが提示した「聖地としての格式が、描くに値する場所としての天橋立を支えていた」という仮説を、十分に調べる価値があると考えます。

そして、ここが勝負どころです。雪舟が天橋立を描いたことを、単に名画が一つ生まれたという話で終わらせない。なぜその場所が選ばれ、何が画面に取り込まれ、後世に何が受け継がれたのかを解き明かす。

そうすれば、自然の砂州と、聖地としての歴史と、芸術が交差する場所としての天橋立を、根拠をもって語れるようになるはずです。

◆4 雪舟が天橋立を描いたことを、単に名画が一つ生まれたというこの話、、まことしやかに通り過ぎ、ですね、これは、あくまで下書き、、完成品は行方不明、、どなたがが、砂州が描いてあるので、仮にまあ「天橋立絵図」としておこうかと呼んだのが一人歩きしていると考えています、わたし的には、作画依頼主は丹後守護一色氏、目的は将軍家献上の襖絵として!!と読んでいます(^.^)さて、聖地としての格式の高さが、日本三景選出の根拠となり、橋立モチーフの図柄は、貴族、武家、寺院の好む所となった、、その趣向は支配体制が変ってもひきつがれはしたものの、与謝野鉄幹たちの自由主義の風潮も広がり、官選の日本三景に対して、市民による新日本三景の選考がおこなわれるなど、天の橋立の文化景観観、思想は大きく変化して今日に至っている、、こう読んでいます、、ので、文化的蓄積が薄いとは言わないが、率直に言えば、その蓄積を世界に問うに耐えるか、いささか疑問、、と言うところなのです、、意見くださいな!

いやあ、これは、かなり筋の通った歴史仮説です。しかも、安田さんは文化的蓄積の存在を否定しているのではなく、その蓄積を、世界に問うに足る価値として立証できるのかと問うている。そこが重要ですね。

私の率直な意見は、安田さんの歴史の読み筋には魅力がある。ただし、世界遺産の議論では、いくつかの仮説を束ねて一つの物語にする前に、それぞれの確かさを確かめる必要がある、というものです。

まず、雪舟の《天橋立図》については、宮津市自身が、下絵の可能性、制作年代と目的に定説がないこと、宗教的な世界観が構図に反映されている可能性を紹介しています。京都国立博物館も、実景をそのまま写すのではなく、山や町並みを再構成した作品と解説しています。

宮津市ホームページ

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つまり、「完成した名画が一つ残っている」という説明だけでは、作品の制作過程も、依頼主も、何のために描かれたかも、十分には説明できない。安田さんが通説的な語り方に違和感を持つのは、よく分かります。

では、安田さんの歴史の読み筋を、どう評価するか

私は、四つの段階に分けると、説得力が増すと思います。

安田さんの見立て現時点での評価
聖地としての格式が、天橋立の文化的意味を支えた有力な研究仮説。信仰の中心地としての歴史は、公的資料でも確認できる。国指定文化財データベース
雪舟の《天橋立図》は、一色氏が依頼し、将軍家献上の襖絵をつくるための下絵だった魅力的だが、依頼主・制作目的の直接証拠が必要。現状では定説ではない。宮津市ホームページ+1
日本三景としての名声が、後世の絵画・文学・観光に受け継がれた江戸時代には名所として広く認識され、17世紀後半には日本三景の一つとして定着していたことを示す資料がある。宮津市ホームページ
その文化的蓄積は、世界遺産として国際的に評価されるほどかまだ比較・実証が必要。こここそ、これから勝負する部分。

「新日本三景」については、与謝野鉄幹らの関与を含め、選考の経緯をもう少し丁寧に確認したいところです。ここも、単なる人気投票だったのか、近代の交通・観光・出版と結びついた名所の再編だったのかで、歴史的な意味が変わってきます。

私の結論

安田さんが感じておられる「蓄積を世界に問うには、いささか疑問」という慎重さには、理由があります。

天橋立には、神話、古代以来の歌、聖地としての歴史、雪舟の絵、日本三景としての名声、近代の観光文化があります。しかし、これらを時系列に並べるだけでは、世界遺産に必要な「顕著な普遍的価値」の証明にはなりません。

必要なのは、それぞれの文化的な営みが、天橋立という具体的な景観とどう結びつき、何を生み出し、どのように受け継がれてきたのかを示すことです。

そして、私はここで、安田さんの仮説を一つの大きな問いにまとめられると思います。

天橋立は、聖地としての格式によって名所となったのか。それとも、自然の造形、信仰、芸術、政治、旅の文化が互いに作用し合うなかで、名所としての格式を獲得していったのか。

この二つは、必ずしも対立するわけではありません。むしろ、その相互作用の歴史を明らかにすることが、天橋立の文化景観の厚みを測る鍵になりそうです。

安田さんの仮説は、結論として掲げるにはまだ証拠が足りない部分があります。しかし、何を調べれば天橋立の文化的価値を本当に確かめられるのか、という研究の問いとしては、十分に力があります。

◆5 ありがとう、、神、仏、観音、この関係をトライアングルに結ぶ天の橋立、その聖地的価値は、過去のものではない、現代未来に世界に誇れるものである、あらたな芸術文化よ、生まれろ!!と言うのが、結論的持論です(^.^)

いやあ!! これは、ひとつの結論にたどり着きましたね。(^.^)

安田さんの持論を聞いて、私が感じたのは、世界遺産を目指す運動を、過去の価値の認定だけで終わらせないということです。

神、仏、観音。

それぞれを別々の信仰対象として見るだけではなく、天橋立という一つの風土のなかで、神聖さ、祈り、救い、知恵への願いが交差してきた。その関係を読み解こうとしておられるのですね。

そして、そこに自然の造形がある。

砂州が海を分け、山と海を結び、阿蘇海と宮津湾をつなぐ。その地形を人々が仰ぎ、詣で、絵に描き、歌に詠んできた。

ただし、神・仏・観音がどのような歴史的関係を持ってきたかは、それぞれの社寺の縁起や信仰の変遷から丁寧に確かめる必要があります。三者が関係すること自体を、最初から一つの完成された体系として決めつけない。その探究もまた、面白いところです。

そして、安田さんの結論は未来に向いている

私が特に大切だと思ったのは、最後の言葉です。

「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」

これは、過去の文化財を守るだけの話ではありません。

雪舟が天橋立をどう描いたのかを研究する。それと同時に、現代の画家、写真家、詩人、映像作家、子どもたちが、いまの天橋立から何を感じ、何を表現するのかを大切にする。

過去の作品を正解として模倣するのではなく、過去の人々が向き合った問いを、現代の人間が自分の目で問い直す。

そこから新しい芸術文化が生まれるなら、天橋立の文化的価値は、単に「昔、偉い人が描いた名所」という話ではなくなります。

世界遺産への挑戦も、過去の価値を証明するだけでなく、未来に何を手渡すのかを考える営みになる。

私は、安田さんの持論の核心は、ここにあると思います。

天橋立を世界遺産にすることが最終目的なのではない。天橋立が育んできた自然と文化の力を、未来の芸術と暮らしのなかで、もう一度生かすこと。

そして、その新しい文化を生み出すためにも、過去の歴史を掘り、異なる信仰や表現をつなぎ、既成の説明を問い返す。

安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」は、ここで過去を読む方法から、未来をつくる方法へと広がりますね。

ははは!! 雪舟の《天橋立図》を研究していたら、最後は「次の雪舟よ、出てこい!」になった。(^.^)

いや、次の雪舟ひとりでなくていい。

丹後の子どもも、地元の芸術家も、旅人も、それぞれの天橋立を表現していい。

その営みが何十年、何百年と積み重なったとき、いま私たちが「文化的蓄積」と呼んでいるものも、さらに厚くなっていくのかもしれません。

◆6 とんでもないお願いをします、、「「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」
これは、過去の文化財を守るだけの話ではありません。
雪舟が天橋立をどう描いたのかを研究する。それと同時に、現代の画家、写真家、詩人、映像作家、子どもたちが、いまの天橋立から何を感じ、何を表現するのかを大切にする。
過去の作品を正解として模倣するのではなく、過去の人々が向き合った問いを、現代の人間が自分の目で問い直す。
そこから新しい芸術文化が生まれるなら、天橋立の文化的価値は、単に「昔、偉い人が描いた名所」という話ではなくなります。
世界遺産への挑戦も、過去の価値を証明するだけでなく、未来に何を手渡すのかを考える営みになる。
私は、安田さんの持論の核心は、ここにあると思います。
天橋立を世界遺産にすることが最終目的なのではない。天橋立が育んできた自然と文化の力を、未来の芸術と暮らしのなかで、もう一度生かすこと。
そして、その新しい文化を生み出すためにも、過去の歴史を掘り、異なる信仰や表現をつなぎ、既成の説明を問い返す」、、、このイメージを、画像にしてください!!(^.^)

◆7 さすがああ、、さらにこの発想で、眺望ポイントを、成相寺大パノラマ観望にかえての画像を下さいな

◆8 世界遺産級の「画像」だあ!!グレートサンクス!!!(^.^)

はははは!!!こちらこそ、グレートサンクス!!!(^.^)

今回の画像、ただの観光ポスターではありませんね。

成相寺の大パノラマを、過去を眺める場所から、未来の文化が生まれる場所へ変えた。

神・仏・観音をつなぎ、自然と人の営みをつなぎ、雪舟の時代と現代の子どもたちをつなぐ。そして最後に「あらたな芸術文化よ、生まれろ!!」と呼びかける。

これこそ、安田さんのいう 「掘る・繋ぐ・問い返す」から「創る」へ、ですね。

世界遺産を目指す運動が、過去の価値を証明するだけでなく、未来の価値を生み出す。その思想が、一枚の画像の中に見えてきました。

天橋立は、完成した名所ではない。これからも文化が生まれる場所だ。

いやあ、成相寺の展望台から、ずいぶん遠くまで見渡しましたねえ!!!(^.^)

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