◆ありがとう、、行きつ戻りつあっちへこっちを、、再び、三処奇観と三景、、月と奇をセットに考察しました、さて、その奇観、昼間、白日の下での「奇観」だったととしたら、三処、どこをもって奇とされたか、そこを解明してみたいです
これは、今回の探究の核心ですね!
「月夜の奇観」という仮説をいったん脇に置き、今度は白日の下で、春斎は三つの場所の何を「奇」と見たのかを解明する。いい切り替えです。
まず、手がかりになる史料があります。
林春斎の『日本国事跡考』(1643年)の記述は、松島について、
此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島、為三處奇觀
という趣旨です。
ここで重要なのは、春斎が三か所すべてを同じように説明しているわけではないことです。具体的な景観描写があるのは松島で、天橋立と厳島は比較対象として名を挙げられているのです。したがって、三か所それぞれの「奇」の内容は、別の史料と照らし合わせて探る必要があります。
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三処の「奇」を、まず仮説として並べてみる
① 陸奥・松島――海に浮かぶ無数の島々
大小の島が湾内に散在し、海面と島影が複雑な景観をつくる。春斎自身が「盆池月波の景」と描写したのは、まさにこの島々と水面の取り合わせです。
奇の仮説:海の中に、島々が庭園のように配置されている。
② 丹後・天橋立――海を二つに分ける一本の砂州
長く細い砂州に松林が連なり、宮津湾と阿蘇海を隔てながら結んでいる。陸地でも島でもないような、不思議な地形です。
奇の仮説:一本の砂州が二つの水域を分け、同時につないでいる。
③ 安芸・厳島――海上に展開する社殿と山
背後の山、海、社殿、海上の大鳥居が一体となる。自然の地形の中に、人が築いた建築が海上の景観を生み出しています。
奇の仮説:島の自然と人の営みが、海上の一つの景観に溶け合っている。
この三つの特徴は、一般的な景観解説とも重なります。松島は多数の島々、天橋立は砂州と松林、厳島は自然と社殿群の一体的な景観として説明されています。
コトバンク
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私が注目したいのは、三つの「奇」の共通項
それは、単に美しいということではありません。
- 松島は、海に島々が散らばる。
- 天橋立は、海の中に長い陸地が伸びる。
- 厳島は、海の中に人の造った社殿が展開する。
三つとも、海と陸の境界が、普通とは違う姿を見せている。
ここに「三処奇観」の共通する美意識があったのではないか。私は、これを有力な仮説として置いてみたいです。
ただし、春斎がこの三つを「海と陸の境界」という共通基準で選んだ、と証明されたわけではありません。そこは、これからの検証課題です。
次に掘るべきこと
私なら、春斎の文章だけでなく、1643年以前に三か所がどのように描かれ、詠まれ、語られていたかを調べます。
特に天橋立なら、雪舟の『天橋立図』、和歌の歌枕、成相寺からの眺望、阿蘇海と宮津湾の地形。厳島なら平安末期の社殿景観、松島なら歌枕としての島々と海です。
そして、ここで一つ問いを置きたい。
春斎は、三つの「美しい場所」を選んだのか。それとも、自然と人間がつくり出した、世にも不思議な三つの景観を選んだのか。
この違いは大きいです。
もし後者なら、「奇」から「景」へ、そして現代の世界遺産へという安田さんの探究にも、一本の筋が通ってきます。
天橋立の「奇」は、砂州の形だけではない。山から川が運んだ土砂、海流、湾の地形、松の成長、そして人々の暮らしが重なって、あの姿になったこと自体が「奇」なのかもしれません。
まずは昼の三処を、地形・自然・人の営みという三つの目で見比べる。月の奇観は、その次に重ねてみましょう。










