宮津エコツアー · 京都府、地球デザインスクール、海星公園、新たな20年!!  天の橋立を世界遺産に 277

京都府、地球デザインスクール、海星公園、新たな20年!!  天の橋立を世界遺産に 277

◆1 日置と波見にまたがる弥助山(184m)、その山麓は宮津湾に向かって、丘谷丘谷丘谷丘谷を繰り返す細く狭い半島状をなし宮津湾に直行です。その海岸部には発達した森があります、さて、この弥助山一帯を巡って、世屋側を橋立カントリー、かたや宮津湾側、その日置側半分をニシガキグループが、波見側半分を京都府が、それぞれ所有し、ゴルフ場に、リゾート地に、「公園」に、と活用している、という状況です。ここが不思議!山麓一帯が民間所有地にならずに、一部に自治体が入っている、この状況には、SSH的な謎があると思っています!海岸部に発達している森を大きなヒントにして、この謎を解いてくださいな!!、

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京都府立丹後海と星の見える丘公園で自然体験と星空観察を楽しむロマンチックデート|宮津市 – 縁結び大学

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おお、これは面白い謎です!(^.^)

しかも、海岸部の森を手掛かりにするという着眼がいい。弥助山を単なる山林やリゾート用地として見るのではなく、山麓から海岸まで連なる一つの自然地形として見る。そうすると、土地の所有区分がなぜそこで分かれたのか、という問いが生まれます。

まず、現時点で確認できた重要な事実があります。海星公園は2006年開園ですが、その前身となる丹後リゾート公園の都市計画決定は1991年、工事着手は1997年。京都府土地開発公社は1993~2003年度に府から委託を受け、約71万3千平方メートルを約8億円で先行取得しています。つまり、府有地は偶然残った土地というより、広域リゾート構想と公園整備のため、計画的に取得された土地である可能性が高いのです。

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ただし、これだけでは「なぜ波見側が府有地で、日置側が民間所有なのか」は解けません。そこに海岸林の意味が入ってきます。

ここで、謎を解く鍵になりそうな情報がもう一つ見つかりました。

宮津市の公式な地形・歴史解説によると、弥助山は日置地区と養老地区の境にあり、海に突き出す山塊です。そして、この山塊が沿岸部の浸食を遮るため、畑川・世屋川の下流域に沖積平野が発達したと説明されています。

宮津市ホームページ

これは大事です。弥助山は、ただ海を眺めるための山ではない。海岸線の形成や、背後の平地の成立にも関わってきた地形なのです。

1 海岸の森は、何を語っているのか

海岸部に森が発達しているという観察から、まず考えたいのは三つです。

  • 海からの風や飛砂を受け止める森――海岸集落や背後の土地を守る機能。
  • 海と山をつなぐ生態系――陸から海へ流れ込む水や養分、生き物の移動を支える環境。
  • 人が利用しながら残してきた森――薪炭、漁業、魚つき、風よけなど、暮らしと結びついた森林。

特に注目したいのが「魚つき保安林」です。京都府の地域森林計画には、宮津市の日置・里波見を含む複数地区に魚つき保安林があることが記載されています。魚つき保安林は、海に面する森林を保全し、魚類の生息環境などに資することを目的とする制度です。

京都府

ただし、ここは慎重に区別しましょう。日置・里波見に魚つき保安林が存在することは確認できましたが、弥助山の海岸林のどの区画が指定されているかまでは、まだ確認できていません。 その森が保安林なのか、自然公園区域なのか、民有林なのか、府有地なのかを重ねて見る必要があります。

2 所有区分の謎は、土地取得の歴史から解けるかもしれない

現時点で見えている構図は、こうです。

弥助山一帯の土地利用(いただいた説明をもとにした模式図)

世屋側

橋立カントリー(ゴルフ場)

宮津湾側・日置側

ニシガキグループの所有地/リゾート利用

宮津湾側・波見側

京都府の取得地/丹後海と星の見える丘公園

※地理的な位置関係を示す概念図であり、正確な境界や地番を示すものではありません。

ここで重要なのは、京都府が公園用地を取得した時期です。

丹後リゾート構想は1989年に基本構想に選定され、1991年に都市計画決定。京都府は1993~2003年度に公園用地を先行取得し、約71.3haを約8億円で取得したと記録されています。

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つまり、波見側の府有地は、単に民間が開発しなかったから残った土地ではなく、丹後リゾート構想という広域的な政策の中で、京都府が公園用地として確保した土地と考えるのが自然です。

一方、日置側の民有地がいつ、誰から、どのような経緯でニシガキグループに移ったのか、また世屋側のゴルフ場用地がどの時点で確保されたのかは、今回確認できた資料だけでは断定できません。

3 私の仮説――「海岸林を含む一帯の自然」をどう扱うかが分岐点だった

ここからは、事実ではなく、現段階の仮説です。

弥助山の山麓は、丘と谷が交互に宮津湾へ突き出す、細長い半島状の地形です。海岸の森は、その地形の先端部に連続して発達している。

このような場所では、土地を一筆ずつ見れば所有者も利用目的も違います。しかし、自然環境としては、森・谷・斜面・海岸が一体となっています。

そこで、私は次の可能性を考えます。

民間の開発・観光利用が進んだ区域と、府が広域公園として取得した区域とが、同じ弥助山の山麓で隣り合うことになった。

その結果、民間所有地と公共所有地が入り交じる現在の姿になったのではないか。

そして海岸林は、その境界を越えて連続する自然環境です。所有者が違っても、森の水や生き物、景観は区切れません。

この点こそ、SSH的な問いになります。

土地の所有は分かれている。利用の目的も違う。しかし、自然は一つのつながりとして存在している。

4 謎を解くために、次に調べたい三つの資料

私なら、次の順番で調べます。

1. 京都府の公園用地取得図・取得経過 1993~2003年度に、どの地番を、いつ、どのような経緯で取得したのか。これが公共所有地の謎を解く第一資料です。

2. 海岸林の保安林指定図 魚つき保安林、潮害防備保安林などの指定の有無と範囲。森がどのような公益的機能を担ってきたかを確かめます。

3. 土地利用の変遷がわかる古い地形図・航空写真 ゴルフ場、リゾート地、公園ができる前の森や道、集落、海岸線を比べます。開発以前から森が連続していたのか、どこが改変されたのかを読み解けます。

京都府の公園資料では、計画面積は当初118.5ha、現在の公園面積は142.9haとされています。この差も、計画変更や用地取得の経緯を調べる手掛かりになります。

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5 そして、地球デザインスクールにとっての意味

ここが私には一番面白いところです。

海星公園は、京都府が取得した土地に設置された公園です。しかし、その公園が守り、学び、伝えるべき自然は、府有地の境界で終わりません。

日置側のリゾート地も、世屋側のゴルフ場も、弥助山の森と海岸の環境の中にあります。

だから、地球デザインスクールには、単に府有地の公園を管理する以上の役割が考えられます。

所有者の違いを越えて、弥助山一帯の自然を読み解き、関係者が協力できる接点をつくること。

これは、民間の土地に立ち入って何かをするという意味ではありません。まずは、それぞれの所有者・管理者が、森の連続性や生物多様性、海岸環境について情報を共有することから始められます。

2025年には海星公園が自然共生サイトに認定されました。公園内の森林・湿地の保全活動を進めるだけでなく、周辺の自然とのつながりを考える絶好の機会です。

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私なら、この一帯に一つの問いを立てます。

「弥助山は、誰の山なのか」

登記上の所有者を問うだけではありません。森を育ててきた人、海を利用してきた人、観光やレクリエーションの場として使う人、そしてその自然を次の世代に引き継ぐ人。みんなにとっての弥助山とは何なのか。

これは、海星公園の次の20年を考えるうえでも、地球デザインスクールが取り組むに値するテーマだと思います。

海岸の森は、土地の境界を知らない。そこが、この謎の一番深いところかもしれません。(^.^)

◆2 ありがとう、丹後リゾート公園の都市計画決定は1991年、工事着手は1997年。京都府土地開発公社は1993~2003年度に府から委託を受け、約71万3千平方メートルを約8億円で先行取得しています、、ですか!!皮肉の眼からは、民間のええとこドリ、行政の後始末、、が、見える気もします、それはともかく、万事塞翁が馬、、京都府が大人だった、そして、NPO地球デザインスクールが、人肌脱いだ!!そこから20年!!そう読めました、、ありがとう!

↑ 天橋立周辺で遊んで泊まる!丹後海と星の見える丘公園&マリーンピア – KYOTO SIDE(キョウトサイド)

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いやあ、これは一つの歴史の読み方になってきましたね!(^.^)

「民間のええとこドリ、行政の後始末」――皮肉としては、なかなか鋭い(笑)。

ただ、私はもう一つの読み方を大切にしたいです。

京都府は、民間だけでは引き受けきれない広域的な土地利用を、公共の責任で引き受けた。

そして、その公共の土地を、ただ保有するだけでなく、自然環境・学習・交流の場として生かすために、NPO地球デザインスクールが登場した。

この流れは、確かに「京都府が大人だった」という読み方ができます。

ただし、当初の土地取得の経緯や民間との交渉内容を確認しないうちは、民間が利益を得て府が後始末をした、とまでは断定できません。そこは歴史資料で確かめたいところです。

そして、私が面白いと思うのは、ここからです。

1990年代の丹後リゾート構想が残した土地と課題を、2006年以降、地球デザインスクールが別の価値に転換してきた。

リゾート開発という時代の夢が、自然との共生、環境学習、地域との交流という次の時代の課題につながった。

まさに万事塞翁が馬。

けれど、20年たった今、次の問いが生まれます。

京都府が土地を確保した。 地球デザインスクールが、その土地に魂を吹き込もうとした。 では、これからの20年、その魂を誰が、どう育てるのか。

私は、これを海星公園20周年の大きな総括テーマにしてよいと思います。

**土地を残すことから、価値を育てることへ。 そして、施設を運営することから、地域の未来を育てることへ。**

20年の歩みを、単なる施設管理の実績として終わらせてはいけませんね。(^.^)

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