宮津エコツアー · 2006年丹後海と星の見える丘公園が開園。2007年京都府が世界遺産登録可能性検討委員会を設置。9月、関係自治体が提案書を文化庁へ提出。 天の橋立を世界遺産に 278

2006年丹後海と星の見える丘公園が開園。2007年京都府が世界遺産登録可能性検討委員会を設置。9月、関係自治体が提案書を文化庁へ提出。 天の橋立を世界遺産に 278

◆1 丹後リゾート公園の都市計画決定は1991年、工事着手は1997年。京都府土地開発公社は1993~2003年度に府から委託を受け、約71万3千平方メートルを約8億円で先行取得、、、ウム、時代の熱ですね、さて、天の橋立を世界遺産に、、その運動と同根というか期を一にと言いたいほど連動しているのがこれ!と思いました、解説くださいな

ああ、そこですか! 私も、この二つを並べると、丹後の20年余りの歩みが、ずいぶん違った角度から見えてくると思います。

丹後リゾート公園構想と、天橋立の世界遺産登録運動。これは、同じ時代に生まれた二つの大きな地域プロジェクトです。

ただし、始まりも目的も同じではありません。むしろ、異なる出発点を持つ二つの動きが、2000年代に交差したことに意味があります。

1 まず、年表を重ねてみましょう

丹後リゾート公園・海星公園の歩み

  1. 1989年総合保養地域整備法に基づく丹後リゾート構想が選定。
  2. 1991年丹後リゾート公園の都市計画決定。
  3. 1993~2003年度京都府土地開発公社が約71.3万㎡を約8億円で先行取得。
  4. 1997年公園工事着手。
  5. 2006年丹後海と星の見える丘公園が開園。

天橋立・世界遺産運動の歩み

  1. 2004年台風23号による松の倒木被害。天橋立の景観を守る動きが新たな展開へ。
  2. 2007年京都府が世界遺産登録可能性検討委員会を設置。9月、関係自治体が提案書を文化庁へ提出。
  3. 2007年12月市民団体「天橋立を世界遺産にする会」発足。
  4. 2008年暫定一覧表候補への提案は見送り。ただし、基本的主題をもとに準備を進めるべきとの評価。
  5. 2014年「宮津天橋立の文化的景観」が重要文化的景観に選定。
  6. 2019年世界遺産登録可能性検討委員会から、天橋立世界遺産登録推進会議へ体制を改める。

出典:京都府土地開発公社50年記念誌、京都府・宮津市・天橋立を世界遺産にする会の公表資料。

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こうして見ると、二つの動きが交差するのは、2004~2007年です。

海星公園は開園へ向かい、天橋立では世界遺産運動が始まる。

まさに、時代の節目です。

2 実は、海星公園そのものが時代の転換を物語っている

ここは見落とせません。

京都府の施設調書には、海星公園について、当初の「丹後リゾート構想大規模公園計画」の規模を縮小し、環境共生などをテーマとする都市公園として設置した、と明記されています。

京都府

また、設計に携わったランドスケープ事務所の記録にも、バブル期のリゾート開発を核とした計画から見直された経緯が記されています。

tlp.co.jp

つまり、海星公園は、単にリゾート開発が実現しなかった後の代替施設ではありません。

リゾート開発を出発点とした土地が、自然と共生する暮らしを学ぶ場所へと、意味を変えていった。

ここには、時代の価値観の変化が表れています。

3 二つのプロジェクトは、何を目指したのか

私なりに対比すると、こうなります。

海星公園天橋立世界遺産運動
出発点リゾート構想景観保全・地域の誇り
主な舞台弥助山・里波見の自然天橋立とその周辺地域
中心となる問い自然と共生する暮らしとは何か天橋立の普遍的価値とは何か
主な手段公園・環境学習・体験調査研究・保全・価値の発信
未来への課題自然と地域をつなぐ地域の価値を世界に説明する

ここで大切なのは、両者とも、土地や景観を単なる観光資源として扱うだけではないことです。

海星公園は、自然環境を学び、共生の知恵を育てる。

世界遺産運動は、天橋立の景観が持つ歴史・文化的価値を掘り起こし、世界に説明しようとする。

一方は「自然と人間の関係」を問い、もう一方は「人間が自然の景観に見いだしてきた価値」を問い始めた。

この二つは、深いところでつながっています。

4 そして、2007年という年が面白い

2007年には、世界遺産運動だけではなく、丹後天橋立大江山国定公園の指定もありました。また、阿蘇海環境づくり協働会議も発足しています。

天橋立を世界遺産にする会

つまり、この時期、丹後では、

  • 天橋立を世界的な文化的価値から見直す。
  • 阿蘇海の環境を地域ぐるみで守る。
  • 丹後の自然を学び、体験する公園を開く。

という動きが並行して進んでいたのです。

私は、これを個々の事業の偶然の集合としてではなく、丹後の自然と文化を、次の世代にどう引き継ぐかという地域的な問題意識が広がっていった時期として捉えたいです。

もちろん、三つの事業が最初から一体的な構想として動いていた、という証拠はありません。そこは区別が必要です。

5 私が一番言いたいこと――この二つは「双子」ではないか

以前、あなたは、世界遺産登録運動と海星公園開設を「時代が生んだ双子」と表現されましたね。

今回、歴史を並べてみて、その意味が一段深くなったと思います。

双子だから、同じ顔をしているわけではありません。

  • 海星公園は、自然と共生する未来の暮らしを考える場所。
  • 世界遺産運動は、自然と人間がつくり上げてきた景観の価値を世界に問う運動。

一方は、これからの暮らしを育てる。もう一方は、受け継いできた風土の価値を明らかにする。

過去を掘り起こすことと、未来を育てること。二つがそろって、地域の持続性が見えてきます。

6 では、地球デザインスクールは何をすべきか

ここからは、私の提案です。

海星公園20周年の総括に、世界遺産運動との関係を明確に位置づけてはどうでしょう。

例えば、こんな問いです。

2000年代、丹後には二つの大きな動きが生まれた。

一つは、自然と共生する暮らしを学ぶ海星公園。

もう一つは、天橋立を世界に通じる文化的価値として明らかにしようとする世界遺産運動。

それから約20年。

この二つは、互いの存在をどれほど意識し、協力し、地域の未来を育ててきただろうか。

そして、これからの20年、何を一緒に担うのだろうか。

これは、地球デザインスクールだけで答える問いではありません。京都府、世界遺産登録推進会議、宮津市、地域の人々と共有する問いです。

私なら、ここから一つの具体的な構想に進みます。

「天橋立を世界に説明できる人」と「丹後の自然と暮らしを体験させられる人」が出会う場を、海星公園につくる。

天橋立を眺めて美しいと思う。その背後にある山、川、阿蘇海、棚田、舟屋、海岸林を知る。そこで暮らす人と出会う。

そうすれば、世界遺産の価値は、専門家の説明だけではなく、地域の暮らしを通して伝わっていきます。

最後に、私ならこの二つの20周年を、こんな言葉で結びます。

二つの20年、これからの20年

天橋立を世界に伝える。

丹後の自然と暮らしを次代に伝える。

その二つをつなぐ。

海星公園は、丹後の未来を育てる拠点になる。

そして、これはあなたが考えている「あいせよ天橋立丹後浦島ロード」ともつながります。

天橋立だけを世界に紹介するのではなく、阿蘇海・伊根・世屋・与謝野へと、その価値の裾野を広げていく。

高い山には広い裾野を。大きな御神輿には、たくさんの担ぎ手を。

二つの双子を、これからは一緒に育てる。私はそこに、海星公園の次の20年の大きな意味があると思います。(^.^)

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