◆1 ありがとう、、齢80の腕がなっています(^.^) さて、文化遺産と自然遺産、その絡みで言えば、平井講演でおっしゃられてこととは真逆のことを思っています、京都弁で言えば、ややこしくてパッとわかりませんな、そういうの性にあいませんねん!!わたし的には、日本海、若狭湾、栗田半島、世屋高原、冠島、イサナゴ山があったら充分、そう思っているんです、外れておりますか(^.^)
はははは!! 80歳の腕が鳴るどころか、今度は天橋立の山河を丸ごと料理しようというわけですね。(^.^)
外れていません。むしろ、安田さんの考えは、世界遺産の議論をいったん横に置いて、自分の目で見て、価値があると思う自然の全体像から出発しようということだと受け取りました。
そして、私はその出発点に賛成です。
その六つがあれば充分、という感覚
- 日本海――丹後を包む大きな外海。
- 若狭湾――半島と湾入がつくる海の地形。
- 栗田半島――海と山がせめぎ合う陸の輪郭。
- 世屋高原――山の水、森、棚田、人の暮らし。
- 冠島――海に浮かぶ孤島と、そこに成立した独自の自然。
- イサナゴ山――丹後の内陸を見渡す山の存在。
この六つを並べると、単なる観光名所のリストではありません。
海があり、半島があり、山があり、島があり、水が流れ、人が暮らす。
丹後の自然を構成する大きな要素が見えてきます。
ただし、地理的には若狭湾は日本海の一部ですし、栗田半島や世屋高原も相互に関係する地形です。六つは同じ種類の対象ではありません。だからこそ、地形・地質・生態系・人間の暮らしという異なる目線で読み解く面白さがあります。
平井先生の講演と、どこが違うのか
宮津市の講演報告によれば、平井先生は風土記逸文の「一千二百二十九丈」という記述を手がかりに、かつての砂州の北端・南端を地形から推定する仮説を提示されたそうです。
宮津市ホームページ
これは、天橋立という一つの地形の形成史を深く掘る仕事です。
一方、安田さんの視線は、天橋立を生み出したり、取り巻いたりしている自然の舞台全体に向いている。
私は、これは「真逆」というより、研究の入口と視野の広さが違うのだと思います。
平井先生は、天橋立という砂州を深く掘る。安田さんは、砂州を含む丹後の自然全体を見渡す。
どちらも必要です。ただ、後者から始めれば、天橋立を孤立した名勝として扱わずに済みます。
文化遺産と自然遺産を、無理に混ぜなくてもいい
ここは大事です。
世界遺産には文化遺産、自然遺産、複合遺産という区分があります。
宮津市ホームページ
しかし、地域を理解する段階で、最初からどれに該当するかを決める必要はありません。
まず自然の全体像を見つめる。
そこに人間がどのように入り、何を利用し、何を畏れ、何を祈り、どのような景観をつくってきたのかを重ねる。
その結果として、文化的価値が見えてくる。
実際、「宮津天橋立の文化的景観」は、天橋立だけでなく、府中の信仰・行政・観光の歴史、農業集落、阿蘇海の漁業などを含む複合的な土地利用のあり方として評価されています。
文化遺産オンライン
つまり、自然と文化を別々に眺めるのではなく、自然の舞台の上で人間が何をしてきたかを見る道筋は、すでに文化的景観の考え方にも通じています。
私なら、安田さんの考えをこう表現します
「丹後の自然を読み解く。そこに人間の歴史を重ねる。」
これなら、難しい理屈から始めなくていい。
日本海を見て、若狭湾を見て、栗田半島を歩き、世屋高原に上がり、冠島を眺め、イサナゴ山を仰ぐ。
そして問う。
「この自然の中で、人間はどう生きてきたのか」
これが、安田さんのいう「見えないものをみる」につながるのではないでしょうか。
ただ、一つだけ注文があります。
六つを選んだ理由を、これから掘ってほしいのです。なぜこの六つなのか。地質なのか、生態系なのか、水の流れなのか、信仰や歴史なのか。あるいは、それらが重なる場所だからなのか。
そこが言葉になれば、単なる安田さんのお気に入りの風景ではなく、丹後という地域を読み解く独自の視座になります。
天橋立を説明するために丹後を見るのではない。丹後を見つめたとき、天橋立が見えてくる。
私は、こちらの順番が好きですね。(^.^)
◆2 古代の神様も、そういう目線でみて、ここが好きだ、ここを我が国にしよう、、こう思われたんだと、おもいますよ、きっと、、、そう思われませんか、、(^.^)
思いますとも!!(^.^)
いや、これは面白い視点です。
古代の神様が、どこか天上から降りてきて、最初から天橋立や丹後を目的地にしていた、と考えるのではなく、
この自然を見て、この土地に惹かれ、ここに居場所を定めた。
そういう順番で神話を読んでみるのですね。
私は、その読み方には大きな魅力があると思います。
神様の目線で丹後を眺めてみる
例えば、こんな想像ができます。
- 日本海を望む。大きな海の向こうに世界が広がっている。
- 若狭湾に入る。海が深く入り込み、船が行き交う。
- 栗田半島を眺める。海と陸が複雑に入り組んでいる。
- 世屋高原に立つ。水が生まれ、森が育ち、田んぼが営まれる。
- 冠島を見る。海の中に独立した自然の世界がある。
- イサナゴ山を仰ぐ。山が地域の風景を支配している。
そこには、海の恵み、水の恵み、森の恵み、食料を得る場所、船で往来する場所、祈りを捧げる場所がある。
古代の人々が、こうした自然を見て、特別な力を感じ、神を祀る場所を定めていったとしても、少しも不思議ではありません。
ここで籠神社と真名井さんが登場する
元伊勢の伝承を、単に「天照大神が伊勢へ移る前にいた場所」という由緒の説明だけで終わらせない。
なぜこの土地が選ばれたのか。
なぜ真名井の水なのか。 なぜ山の神なのか。 なぜ海の神なのか。 なぜ籠神社と成相寺が、この地域の信仰の中で存在感を持つのか。
自然の地形や水系、海上交通、生活の営みと重ねて考える。
もちろん、神話や伝承は古代の人々の実際の移住や国家形成をそのまま記録した歴史書ではありません。成立した時代や政治的背景も調べる必要があります。
しかし、伝承がその土地で語り継がれたこと自体に、土地と人間との関係を考える手掛かりがあります。
私が一番面白いと思うのは、ここです
神様が土地を選んだという伝承を読むとき、私たちはつい「神様が何をしたか」を調べます。
でも、安田さんの目線なら、問いが反対になる。
「神様を迎えたくなるような、この土地の魅力とは何だったのか」
これです。
自然遺産と文化遺産を最初から分けない理由も、ここにあるのではないでしょうか。
自然が先にあり、人間が後から来た、という単純な二段階でもない。人間は自然の中で生き、その自然を神聖なものとして感じ、神話を語り、祭祀を営み、暮らしの景観をつくってきた。
私は、この見方を一つの仮説として掲げてみたい。
「神話の生まれた風土を読む」
そして、天橋立はその風土の中にある。
いやあ、これなら世界遺産の登録基準を先に考えるより、ずっと丹後らしい入口になる気がします。
神様に尋ねてみたいですね。
「どうして、丹後がよかったんですか?」
答えは神話の中だけにあるのではなく、山にも、海にも、水にも、土地の暮らしにも残っているのかもしれません。(^.^)










