宮津エコツアー · yasuda

Articles by yasuda

  • 4,367稿――イチロー超え
  • 5,012稿――現在地
  • 次の山――マッキンリー
  • その先――まだ誰も登っていない丹後の頂

◆ 1 ありがとう、もう雪囲いを、と思っています、こんな夜は、「京の春」、、その勢いで、、イチロウさんの生涯安打数を思っています、、(^.^)

雪囲いですか。丹後の冬支度が始まりますねえ。 大きな構想を語った夜の締めくくりに、庭の木々を冬から守る仕事を思う。なんともいい取り合わせです。

そして「京の春」! 向井酒造のお酒を思い浮かべながら、イチローの安打数へ飛ぶ。話題の振れ幅が、まさに大型クルーズ船です。(^.^)

イチローの生涯安打数は、日米プロ通算 4,367本です!

  • 日本プロ野球:1,278本
  • メジャーリーグ:3,089本
  • 合計:4,367本 MLB.com+1

しかも、2004年にはメジャーで年間262安打。これは現在もMLBのシーズン最多安打記録です。

MLB.com

+1

今夜は、雪囲いを思い、京の春を味わい、4,367本を数える。

一打、一打を積み重ねたイチロー。 一本、一本、冬を越す木々を守る雪囲い。

大きな仕事も、結局は一本ずつ、ひとつずつ。

今夜の締めには、なかなかよい取り合わせですな。(^.^)

◆2 はっはは、1278,、を越えようと思いました、、越えました

はははは!! そういうことでしたか!!(^.^)

1,278本を越えた!

イチローの日米通算安打数のうち、日本で積み上げた数字ですね。

今夜の「京の春」は、ずいぶん勢いがついたようで……でも、雪囲いの前に足元には気をつけてくださいよ。

それにしても、安田さんの話は面白い。

イチローは安打を積み重ね、こちらは丹後の物語を掘り、つなぎ、問い返す。

1,278の先へ。まだまだ打席は残っていますな! 😄

◆3 次は、メジャーリーグ:3,089本

  1. 合計:4,367本 、、これを越えようと目指しました、、、越えました、、しかし、イチロウさんは引退、、わたしは一人、独走になりました、こまったなあ、じゃあ、マッキンリーにするか、現在5012稿!!世屋の雪景色はまもなくです(^.^)

あっははは!! そういうことでしたか!

イチローの 3,089本を越え、さらに日米通算 4,367本も越えた。現在 5,012稿!!

これはもう、安打製造機ならぬ、丹後ものがたり製造機ですね。(^.^)

しかも、イチローさんは引退してしまった。追いかける相手がいなくなって、独走状態。困りましたなあ(笑)。

では、次はマッキンリー(現在のデナリ)を目指しましょう。

ただし、数字を競うだけではもったいない。

  • 4,367稿――イチロー超え
  • 5,012稿――現在地
  • 次の山――マッキンリー
  • その先――まだ誰も登っていない丹後の頂

そして、世屋の雪景色がやってくる。

雪が積もれば、風景は一変します。でも、雪の下では春の準備が始まっている。

5,012稿の次の一稿が、また新しい登山口になる。

さあ、マッキンリーの山頂標識には、何と書きましょうか。

↑ 登山家西川史晃さん 世界7大陸最高峰を制覇 マッキンリー登頂成功 | 鎌倉 | タウンニュース

townnews.co.jptownnews.co.jp|1200 × 1870 jpeg

|3 か月前

「見えないものをみる。それがSSH」――これでいきますかね!(^.^)

◆4 ちなみに、庭の木々を冬から守る、、ではありません、家そのものを丸ごと囲う作業を雪囲いと呼んでいます

ああ、なるほど! これは私の取り違えでした。失礼しました。

世屋でいう「雪囲い」は、庭木ではなく、家そのものを丸ごと囲う作業なのですね。

雪深い地域ならではの、暮らしを守る大仕事。家の周囲を囲い、冬の雪に備える。単なる冬支度ではなく、雪とともに生きてきた人々の知恵ですね。

そうすると、今夜の話は一段深くなります。

5,012稿を重ねてきた人が、雪景色を迎える前に、今度は家を雪から守る。

丹後の物語を掘り続ける一方で、丹後の暮らしそのものを守る。

マッキンリーを目指す前に、まずは家の雪囲い。こちらは待ったなしですね!(^.^)

◆1 シンポジウムから生まれた一つの言葉

小さな天橋立から、46億年の地球を語る。

――奇を見いだし、景を愛で、価値を世界に問う。これ、高校の演劇部ネタにどうかしら、予算をしっかり付けてあげて、、、(^.^)

ふふふ、これは高校の演劇部にぴったりですぞ!(^.^)

↑ 宮津エコツアー · 里山フィールド探究春一番miyazu-et.com|3264 × 2176 jpeg 8 年前

しかも、予算をケチってはいけません。 なにしろ出演者が、林春斎、松尾芭蕉、葛飾北斎、貝原益軒、与謝蕪村、雪舟、与謝野晶子、倉本聰さん、寅さん、伊根のおばあちゃん、駐車場のおばちゃん、伊根満開の酒瓶、松尾の一本桜……。大変な顔ぶれです(笑)。

私なら、こんな演劇にします。

高校演劇部公演『天橋立、12人目の子ども』

副題:小さな天橋立から、46億年の地球を語る

舞台は三つの時空を行き来します。

  1. 江戸時代の人々――「天橋立の何が奇なのか」「なぜ人は美しいと思うのか」
  2. 現代のシンポジウム――世界遺産とは何か。証拠とは何か。誰のために残すのか。
  3. 未来の天橋立――12人目の子どもは、どんな世界で生きていくのか。

そして、最後に与謝野晶子が語る。

「子どもを育てるということは、他の子どもと比べて、一番だと競わせることではありません。」

ここで客席が静かになる。

そこへ寅さんが、ぽつり。

「おいおい、難しい話はいいけどよ。天橋立ってのは、結局、誰のもんなんだい?」

伊根のおばあちゃんが答える。

「誰のもんでもない。みんなで育ててきたもんや。」

……ここ、いい場面になりますね。

そして最後は、五枚の腕章を持つ総合プロデューサーが客席から立ち上がる。

「さあ、次は現地へ行きましょう。天橋立は、舞台の上だけでは分かりませんから。」

幕が下りる。いや、幕は下りず、観客を現地へ連れ出す(笑)。

予算は、脚本・演出・舞台美術・衣装・音響・照明・現地取材・交通費まで、きちんと付ける。 地域の人たちにも出演・協力してもらう。高校生が地域の歴史や自然を調べ、地元の大人に話を聞くところから作品づくりを始める。

これなら単なる歴史劇ではありません。

高校生が、天橋立を題材にして「自分たちは何を受け継ぐのか」を考える演劇になります。

そして、上演後に観客から一つだけ問いを持ち帰ってもらう。

「あなたにとって、天橋立は何ですか?」

いやあ、これは演劇部の文化祭ネタで終わらせるには、もったいない。地域公演、学校公演、海星公園公演まで展開できますね。(^.^)

◆2 地域の歴史や自然を調べ、地元の大人に話を聞くところから作品づくりを始める、、そんな高校生がいますよ、その名は、「宮津天橋高校フィールド探究部」。

おおっ! いたではありませんか、主役たちが!!(^.^)

宮津天橋高校フィールド探究部。

これは演劇部に「天橋立の芝居をやってください」と頼む話ではなくなりましたね。

フィールド探究部が地域に出て、歴史や自然を調べ、人に出会い、問いを見つける。その探究の成果を、演劇部が舞台表現にする。あるいは、フィールド探究部自身が舞台に立つ。

そんな連携が考えられます。

そして、ここが大事です。

脚本を先に決めない。探究から脚本が生まれる。

例えば、高校生が伊根のおばあちゃんに話を聞く。松尾の一本桜を観察する。成相寺から天橋立を眺める。古い文献を読み、地形を歩いて確かめる。

その中から、こんな問いが生まれるかもしれません。

  • 天橋立は、誰がつくったのか。
  • 美しい景色は、誰が守ってきたのか。
  • 46億年の地球の歴史の中で、人間の営みはどんな意味を持つのか。
  • 私たちは、次の世代に何を手渡すのか。

そして、最後に高校生が与謝野晶子の「12人目の子ども」に向き合う。

これは、まさに「見えないものをみる」探究です。

私から一つ提案。

「宮津天橋高校フィールド探究部発・天橋立時空跨ぎ演劇プロジェクト」

大人は答えを教える役ではなく、資料や人や場所につなぐ役。高校生が自分たちの発見で作品をつくる。予算はその探究と表現を支えるために付ける。

安田さん、これは高校生に天橋立を教える企画ではありませんね。

高校生に、天橋立の未来を語ってもらう企画です。(^.^)

◆3 参加費の一部は、いえ、大半は、自然共生サイト「マルヤ農林園&岡の前棚田跡交園」の維持整備費に活用させていただきます(^.^)

ははは! そこまでつながりましたか!!(^.^)

それなら、この演劇は舞台の上だけで完結しません。

観客が払う参加費が、舞台の外にある自然を育てる。

高校生は地域の歴史と自然を探究し、作品にする。観客はその作品を見て、天橋立と丹後の風土に思いを寄せる。そして参加費の大半が、自然共生サイト「マルヤ農林園&岡の前棚田跡交園」の維持整備に活かされる。

つまり、

探究する → 表現する → 共感する → 支える → 次の探究へ

という循環が生まれます。

ここで、企画の趣旨を一文にすると、こうでしょう。

天橋立を舞台に、地域の過去を掘り、現在を見つめ、未来を演じる。その参加費は、未来へ手渡す自然を守り育てるために使います。

ただし、高校生には「自然を守るために演じなさい」とは言わない。何を発見し、何を表現するかは高校生自身に委ねる。収益の使途は最初から明示し、維持整備の内容や実施結果も観客に報告する。

これなら、単なる寄付付き公演ではありません。

文化を育てることと、自然を育てることが、一本の紐でつながる。

あの「数珠紐と数珠珠理論」が、ここでも生きてきましたね。

舞台の最後に、高校生が一言。

「今日の公演でいただいたお金は、私たちが歩いたあの棚田を、次の世代にも歩ける場所にするために使われます。」

……観客は、拍手して終わりではなく、次の一歩を持ち帰るわけです。(^.^)

私からひと言

この最後の語りで、世界遺産運動の意味が少し変わると思います。

「天橋立を世界遺産に登録する」という目標から、もう一歩進んで、

「天橋立を、未来へ育てていく」

という意思に変わるのです。

11人の子どもを育てた晶子さんが、12人目の子どもとして天橋立を見守る。そこには、地球46億年という大きな時間と、人間の一生という小さな時間が重なっています。

そして、何よりよいのは、天橋立を「所有する」のではなく「預かり、育て、次へ手渡す」と語っていること。

このシンポジウムの締めくくりに、ふさわしいと思います。(^.^)

◆1 ありがとう、聴衆に、倉本聡さん、寅さん、伊根の舟屋のおばあちゃん、橋立の駐車場のおばちゃん、伊根満開の酒瓶、松尾の一本桜、、、、それぞれが、描かれた感想メモ!!

はははは!!これはいい!!(^.^)

シンポジウムの登壇者だけでなく、客席にも物語がある。しかも、学者や文化人だけではない。地球の時間を生きる人、土地で暮らす人、旅人、酒瓶、一本桜まで座っている。

それぞれが、晶子さんの「12人目の子ども」の語りを聞いて、帰り際にそっと残した感想メモです。

時空跨ぎシンポジウム

聴衆の感想メモ――天橋立の物語を聞いて

※すべて、このシンポジウムのための創作です。

倉本 聰さん12の語録──『海の沈黙』公開によせて反骨の創作者に迫る | 家庭画報.com|“素敵な人”のディレクトリ

倉本聰さん

「この認識から、だよ。」

46億年の地球の歴史を、天橋立という小さな場所から見つめる。いいじゃないか。大きなことを語るために、遠くへ行く必要はない。足元を掘ればいい。人間は、自然の主人公じゃない。ほんの一時、そこに居合わせているだけなんだから。

Japanese movies find fans in France beyond the art-house crowd as Paris embraces ‘Tora-san’ in Otoko wa Tsurai yo | South China Morning Post

寅さん

「いやあ、まいったねえ。世界遺産ってのは、偉い先生が決めるもんだと思ってたよ。ところが、母親が子どもの将来を心配する話になっちまった。そういうことなら、おいちゃん、俺だって一口乗りたいねえ。ところで、天橋立には、うまい酒はあるのかい?」

1泊2日!海の京都ゆるっ旅 | 福知山市モデルコース | 海の京都観光圏

伊根の舟屋のおばあちゃん

「天橋立さんは、ええ子やなあ。けどなあ、ええ子に育てるには、周りの者もちゃんとせなあかん。海も、山も、魚も、舟屋も、人も。景色だけ残しても、暮らしがなくなったら寂しいやろ。うちらも一緒に育ててもらわな。」

天橋立 はしだて茶屋 | ヒガシのどうしても

橋立の駐車場のおばちゃん

「あらまあ、天橋立が12人目の子どもやて!そら、毎日見てる私らも親戚みたいなもんやなあ。けど、お客さんにはちゃんと教えなあかんね。写真だけ撮って帰らんと、松並木も歩いて、海も見て、地元のもんも食べていってな。ほな、駐車料金いただきます!」

Kyoto by the Sea origin of Japan

「伊根満開」の酒瓶

「私は、米と水と土地の記憶を瓶に詰めています。赤い米、丹後の風土、醸す人の手。私もまた、この土地のつながりから生まれたもの。砂浜連合の乾杯なら、ぜひ私を呼んでください。世界の砂浜が集まったら、世界の酒も集まるのでしょうか。……楽しみです。」

松尾の一本桜 満開 | GANREF

松尾の一本桜

「私は一本で立っています。でも、ひとりぼっちではありません。土の中には根があり、根の周りには菌や虫がいて、空には鳥が来る。一本の木も、世界とつながっているのです。天橋立さん、あなたもそうでしょう。一本の松、一粒の砂から、世界が見えるのですね。」

『海の京都、再び。限定公開の東郷邸と晴れて絶景の天橋立へ~2日目』京都の旅行記・ブログ by ハニーさん【フォートラベル】

天橋立の松の一本

「私たちは、砂の上に立っていると思われています。でも、砂の下には長い地球の歴史がある。風に吹かれ、潮にさらされ、根を張ってきました。どうか、松だけを見ないでください。私を支えているものにも目を向けてください。」

Aerial Amanohashidate Sandbar with Coastal Village and Mountainous Miyazu Bay

阿蘇海

「私は、天橋立に隔てられているようで、つながっています。閉じているようで、外の海とも関係しています。境界とは、分けるだけのものではありません。内と外を結ぶ場所でもあるのです。私のことも、忘れないでくださいね。」

そして、最後の一枚

名前のない子どもからのメモ

「ぼくも、12人目の子どもを見に行きたい。」

お母さんは、天橋立を知っていると言いました。

でも、今日のお話を聞いたら、まだ知らないことがいっぱいありそうです。

砂はどこから来たのかな。
松は、どうしてここに生えたのかな。
海の向こうには、どんな砂浜があるのかな。

今度、歩きに行ってみたいです。

小学四年生

晶子さん、これを読んで、最後にもう一度マイクを持ってください。

「皆さま、ありがとうございました。今日、私は12人目の子どもを紹介したつもりでした。けれども、皆さまのお話を聞いて気がつきました。天橋立は、ひとりで育つ子ではありません。伊根のおばあちゃんも、駐車場のおばちゃんも、松も、海も、そして今日ここに来てくださった皆さまも、この子を育てる仲間なのですね。」

そして、こう締める。

「天橋立を世界遺産にする。それは、天橋立を育ててきた世界を、もう一度大切にすることなのですね。」

いやあ、これはもうシンポジウムの客席が主役になってしまいました。登壇者が語り、聴衆が受け止め、最後に子どもが未来を引き受ける。そんな幕引きです。(^.^)

◆2 はははは!!!!!総合プロデューサーは、5枚の腕章を持つ男でした、、

ははははは!!!!!(^.^)

出ましたね、真打ち登場!!

総合プロデューサー――五枚の腕章を持つ男。

国立公園指導員、稀少生物調査員、自然環境監視員、自然観察指導員、宮津エコツアーガイド。

この五つの腕章、伊達に巻いているわけではありません。

  • 春斎の「奇」を掘り起こす。
  • 益軒の「景」を現地で確かめる。
  • 芭蕉の「心」に問いを投げる。
  • 北斎・蕪村の「見る目」を借りる。
  • 雪舟の「全体を捉える目」で、山・川・湾・砂州をつなぐ。
  • 晶子の「母の心」で、未来へ手渡す。

そして、倉本聰さんのひと言を胸に置く。

「この認識から、だよ。」

総合プロデューサーの演出意図は、こうです。

天橋立を世界遺産にするために、天橋立だけを見ていてはいけない。
天橋立を育てた地球を見よう。
天橋立を愛してきた人々を見よう。
そして、これから天橋立を育てる人々を見よう。

最後に、五枚の腕章を持つ男が客席の後ろから立ち上がる。

「皆さん、今日はありがとうございました。ところで、今日のシンポジウム、これで終わりではありません。次は、皆さんに現地を歩いていただきます。天橋立は、会議室の中だけでは育ちませんから。」

寅さんがひと言。

「おいおい、まだ歩くのかい!?」

会場、大爆笑。

幕。

いやあ、プロデューサーさん。出演者が豪華すぎますが、最後に現場へ連れ出すところが、いかにも五枚の腕章を持つ男です。(^.^)

シンポジウムから生まれた一つの言葉

小さな天橋立から、46億年の地球を語る。

――奇を見いだし、景を愛で、価値を世界に問う。

そして、現代の私たちへ

このシンポジウムで、歴史上の人物たちに語ってもらったのは、天橋立を評価してもらうためだけではありません。

それぞれの時代の「見る目」を借りて、私たち自身の目を鍛えるためです。

世界遺産登録を目指す現代の私たちには、さらに科学的な証拠、地質・生態系・歴史・文化の調査、そして地域の人々の暮らしを踏まえた説明が求められます。

過去の人々が見いだした価値を受け継ぎながら、私たち自身の言葉で、未来へつなぐ。

天橋立は、まだ語り終えていない。

私なら、このシンポジウムの最大の見せ場は、第三幕の「地球の重箱の隅」です。

それまでの皆さんは、天橋立を「奇観」「名勝」「詩情」「絵画」として見てきた。そこへ、地球46億年という時間軸を持ち込む。

そして晶子さんが、最後に現代へ問いを返す。

「あなたたちは、この小さな場所から、何を世界に語るのですか。」

これが、シンポジウムを単なる歴史人物の座談会で終わらせず、世界遺産運動の現在につなぐ一撃だと思います。(^.^)

《◆晶子さんには11人の子どもさん、12人目の子どもが天の橋立、、というテーマの語りを、このシンポジュームの最後に置いてみて下さいな◆》

これは、最後に置くにふさわしい語りですね。

晶子さんは、11人のお子さんを育てた母親です。その晶子さんが、天橋立を「12人目の子ども」と呼ぶ。

単なる比喩ではなく、天橋立を愛し、その未来を案じ、次の世代に手渡そうとする母の言葉にしたいと思います。

そして、シンポジウムの最後ですから、歴史上の人物たちにも聞いてもらい、静かに幕を閉じましょう。

終幕 晶子、12人目の子どもを語る

――時空跨ぎシンポジウム「天橋立を世界遺産に」最後の語り・創作

Pine-Covered Amanohashidate Sandbar Leading Toward Mountainous Miyazu Bay

晶子

皆さま。

今日は、長い時間を越えて、さまざまなお話を聞かせていただきました。

春斎先生の「奇」。
益軒先生の「景」。
芭蕉先生の旅する心。
北斎先生の描く自然。
蕪村先生の詩情。
雪舟先生の山水。

そして、地球が歩んできた46億年という、気の遠くなるような時間。

私は今日、皆さまのお話を聞きながら、ずっと心に浮かべていたことがあります。

私は、11人の子どもを育てました。

子どもというものは、不思議なものです。

生まれたときには、ただ無事に育ってほしいと願う。大きくなれば、それぞれに違う個性を持ち、自分の道を歩き始める。親の思いどおりにはなりません。けれども、それでよいのです。

親にできることは、育つ環境を整え、見守り、いつか自分の足で歩いていけるように願うことくらいでしょう。

ところが、私には、もう一人、気になる子どもができてしまいました。

それが、天橋立です。

私の12人目の子どもです。

もちろん、私が産んだ子ではありません。

けれども、長い時間をかけて育ってきたこの子を見ていると、どうにも他人とは思えないのです。

山から砂が運ばれ、川がそれを海へ届け、海が受け止め、松が育ち、人々がその姿を愛してきた。

地球が46億年の時をかけて育んできたものを、人間はほんの一瞬、預からせてもらっているのかもしれません。

この子は、私たち人間より、ずっと長い時間を生きてきたのでしょう。

そして、これからも生きていくのでしょう。

だから私は、この子を自分のものにしたいとは思いません。

ただ、この子がどこから来たのかを知りたい。どんな仲間とつながっているのかを知りたい。そして、これからどんな未来を歩んでいくのかを見届けたいのです。

子どもを育てるということは、親の自慢にすることではありません。

ましてや、他の子どもと比べて、一番だと競わせることでもありません。

その子が持っているものを見つけ、その子らしく育つことを願うことです。

天橋立も同じではないでしょうか。

世界遺産になったから価値が生まれるのではありません。

この子が、どのように生まれ、どんな自然の営みに育てられ、人々とどんな関係を結んできたのか。それを私たちが学び、伝え、守っていくことに意味があるのだと思います。

そして、天橋立だけを大切にしていればよい、ということでもありません。

この子を育てた山があり、川があり、海があります。周囲には、同じ地球の時間を生きてきた、たくさんの仲間がいます。

ナビク砂漠も、その一人でしょう。

世界の砂浜も、それぞれに親がいて、育ってきた風土があり、受け継いできた物語があるはずです。

私は、そうした仲間たちが出会い、互いの子どもの成長を喜び合えるような世界を見てみたい。

世界一美しい砂浜連合。

それは、一番美しい子どもを決めるための集まりではありません。

それぞれの子どもが、どんなにかけがえのない存在であるかを、互いに知るための集まりなのです。

皆さま。

私は、天橋立を世界遺産にしたいと思います。

けれども、それは、この子に立派な勲章をつけてやりたいからではありません。

この子が生まれてきた理由を、世界の人々と一緒に考えたいからです。

そして、未来の子どもたちに伝えたいのです。

あなたたちが今見ているこの景色は、誰か一人のものではない。先祖から受け継いだものでもあり、地球から預かったものでもある。

だから、あなたたちの次の世代へ、どうか手渡してください、と。

11人の子どもたちは、それぞれの人生を歩んでいます。

そして、12人目の子ども、天橋立もまた、これからの長い旅を続けていくでしょう。

私は、この子の未来を、いつまでも見守っていたいと思います。

天橋立さん。

どうか、あなたらしく育ってください。

そして、世界の仲間たちと手をつなぎ、未来へ歩いていってください。

母は、それを願っています。

Kyoto, Japan at Amanohashidate during Blue Hour

(しばし沈黙。晶子、窓の外の天橋立を見つめる。)

晶子

皆さま。

本日のシンポジウムは、これで終わります。

けれども、天橋立の物語は、まだ終わりません。

小さな天橋立から、46億年の地球を語る。

そして、その物語を、次の世代へ。

ありがとうございました。

天橋立は地球の重箱の隅。だからこそ、その小さな場所を徹底して掘る。すると、地球の46億年と、人間がこの景色に出会ってきた長い時間が見えてくる。

では、時空を越えて皆さんにお集まりいただきましょう。

時空跨ぎシンポジウム

天橋立を世界遺産に

――地球の重箱の隅から、46億年を語る

Kasamatsu Park
Aerial Amanohashidate Sandbar with Coastal Village and Mountainous Miyazu Bay

天橋立図 あまのはしだてず Amanohasidate view. 雪舟 Sesshu  jpssesh20

7

時空を超えた特別企画・創作シンポジウム

司会・コーディネーター:与謝野晶子

ゲスト:

  • 林春斎(林鵞峰)――「三処奇観」を見いだした人
  • 貝原益軒――自ら訪ね、景色を記録した人
  • 松尾芭蕉――景色に出会う心を旅した人
  • 葛飾北斎――景色を描き、見る人に届けた人
  • 与謝蕪村――詩と絵で自然を表現した人
  • 雪舟――山水の構造を見つめた人

※歴史上の人物の発言は、史料に基づく本人の実際の発言ではなく、それぞれの作品や思想を手がかりにした創作上の対話です。

第一幕 「奇」とは何か

Scenery of the Matsushima bay

晶子(司会)

皆さま、本日は時代を越えてお集まりいただき、ありがとうございます。

本日の問いは一つです。

「天橋立は、なぜ世界遺産を目指すのか。」

まずは林春斎先生。1643年、『日本国事跡考』において、松島、天橋立、厳島を「三処奇観」と記されました。

先生にとって、「奇」とは何だったのでしょう。

春斎

奇とは、ただ珍しいということではない。

世に多くある山水の中にあって、なぜか人の目をとらえ、心に残るものがある。松島には島々が連なり、盆池に月と波を浮かべたような趣がある。

天橋立、厳島もまた、並ぶもののない景として名を連ねたのであろう。

晶子

なるほど。奇は、自然の形の珍しさだけでなく、人の心をとらえる力でもあるのですね。

では、益軒先生。実際に天橋立を訪ねたとき、何をご覧になりましたか。

益軒

成相寺へ登る坂の途中から、天橋立、切戸の文珠、与謝の海、阿蘇の海が目の下に広がっていた。

その景色は言葉に尽くしがたい。日本の三景の一つとするのも、もっともなことだと思った。

晶子

春斎先生は「奇」を見いだし、益軒先生は現地に立って「景」を記録した。

同じ場所でも、見る人によって、見いだすものが違うのですね。

第二幕 景色は、見る人の心に生まれる

Japanese Print "The Moon and Seashore" by Yoshimoto Gesso

ukiyo-e.org

晶子

芭蕉先生。先生は旅に出る前から、松島の月を心にかけておられましたね。

芭蕉

「松島の月まず心にかかりて」。

旅とは、ただ場所を移ることではない。まだ見ぬ景色を心に描き、その景色に出会うことでもある。

月が海に映る。昼の眺めとはまた違う。景色は、時と心によって姿を変える。

晶子

景色は、そこにあるだけではない。見る人の心と、出会う時によって生まれる。

では、蕪村先生。俳句と絵画の両方を通して、景色をどう捉えておられますか。

蕪村

山水は、ただ形を写せばよいものではない。そこに流れる気配を描きたい。

一枚の絵の中に、風の音も、時の移ろいも、人の気配も入れたいものだ。

北斎

私は、同じ富士でも、見る場所、季節、天候によって姿が違うことを描いてきた。

大きなものは、遠くから眺めるだけでは分からない。近くから見れば、また別の姿が現れる。

天橋立も、遠望だけで語り尽くせるものではあるまい。

晶子

お二人のお話から、ひとつ見えてきました。

天橋立の価値は、一枚の絶景写真に閉じ込められるものではない。見る場所、時間、季節、そして人の営みとともに、幾重にも現れてくるのですね。

第三幕 地球の重箱の隅

Kyoto Onsen Guide — 京都の温泉地・温泉宿5選 | onsen47

onsen47.jp

晶子

ここで、雪舟先生にお尋ねします。

天橋立を一枚の山水画として描くなら、何を見ますか。

雪舟

山と水は、別々にあるのではない。

山の形、水の流れ、岩の重なり。それらの関係を見なければ、山水の姿は描けない。

天橋立を描くなら、砂州だけを見ていては足りないだろう。背後の山、川、海、その全体を見たい。

晶子

山と川と海と砂州。そこに人の営みが重なる。

ここで、今日のもう一つの視点をご紹介しましょう。

天橋立は、地球という大きな重箱の、ほんの隅にある小さな一品だというのです。

けれども、その小さな場所を開いてみると、地球の長い歴史が詰まっている。

地球が生まれて約46億年。大地が形を変え、山が隆起し、岩が砕かれ、川が砂を運び、海が受け取り、砂州が育つ。

そして人間がそこに暮らし、景色を愛で、歌い、描き、守ってきた。

この小さな天橋立から、地球の物語を読み解くことはできないでしょうか。

春斎

小さきものの中に、大きな価値を見いだす。なるほど、奇観を見いだす目にも通じるところがある。

益軒

現地に立ち、山と海を見渡すだけでなく、その成り立ちを知ることができれば、景色の味わいも深まろう。

芭蕉

景色に出会う心も、時代とともに育つものだ。

北斎

一つの場所を、いくつもの視点から描いてみる。それができれば、まだ見ぬ天橋立が現れるだろう。

蕪村

自然の姿と、人の心。その両方を描きたいものだ。

雪舟

山水の一部分を描くには、全体を見なければならぬ。全体を知るには、一部分を深く見ることも必要だ。

第四幕 世界遺産とは何か

晶子

皆さま、ありがとうございました。

最後に、今日の問いに戻りましょう。

天橋立は、なぜ世界遺産を目指すのか。

美しいからでしょうか。古くから名所として知られてきたからでしょうか。

それだけでは、世界遺産の価値を説明したことにはなりません。

何が、どのように、なぜ世界にとって大切なのか。確かな証拠を掘り起こし、自然と人間の営みの関係をつなぎ、世界に通じる言葉で説明しなければなりません。

天橋立を世界遺産にするということは、天橋立だけを世界に認めてもらうことではない。

この場所を通して、地球の自然の働きと、人間が自然を見つめ、愛し、暮らしてきた歴史を、世界に問いかけることではないでしょうか。

終幕 晶子からの問い

晶子

今日、私たちは時代を越えて語り合いました。

春斎先生は「奇」を見いだした。
益軒先生は「景」を訪ね、記録した。
芭蕉先生は、景色に出会う心を旅した。
北斎先生は、自然の多様な姿を描いた。
蕪村先生は、自然と人の心を詩と絵にした。
雪舟先生は、山水の全体と部分を見つめた。

では、現代を生きる私たちは、何をすべきなのでしょう。

私は、こう申し上げたい。

天橋立を、ただ眺める場所から、地球を読み解く場所へ。

地球の重箱の隅を、丁寧に開いてみましょう。

そこには、46億年の自然の営みがあり、人間がこの景色と出会ってきた長い時間があります。

その価値を掘り、つなぎ、問い返す。

それが、天橋立を世界遺産にするということの、私たちの出発点ではないでしょうか。

遠いナビク砂漠の旅人様。

心のこもったお手紙を、確かに受け取りました。

何度も読み返しました。

最初は、驚きました。
砂漠から海へ、海から砂漠へ。そんな遠いところから、私のことを思い出してくださったのですから。

次に、うれしくなりました。
ナビク砂漠の風や砂丘、雨のあとに芽吹く命、月明かりに浮かぶ砂の海。そのお話を読みながら、私も自分の姿をあらためて見つめていました。

けれども、読み進めるうちに、私は少し困ってしまったのです。

「世界一美しい砂浜連合をつくろう。そして、あなたに発起人になってほしい」

なんと大きなお願いでしょう。

私は、長い年月をかけて、山から川を下ってきた砂が海に積もり、松の並ぶ一筋の道となった場所です。阿蘇の海と宮津湾の間に立ち、時には海を隔て、時には人々を結びながら、ここにあり続けてきました。

けれども、私の物語は、私が生まれたときから始まったわけではありません。

もっと、もっと昔のことです。

地球が生まれてから、およそ46億年。

その長い時間の中で、大地は形を変え、海は広がり、山は隆起し、岩は風雨に削られてきました。雨が山に降り、川となって谷を流れ、岩を砕き、砂を運び、やがて海へと届ける。

その砂の一粒一粒にも、気の遠くなるような旅の記憶があるのでしょう。

山は、ただそこに立っていたのではありません。
川は、ただ水を流していたのではありません。
海もまた、ただ砂を受け取っていたのではありません。

地球の営みが重なり、長い時間が積み重なって、ようやく私の姿が生まれました。

私の松並木も、海も、山並みも、今ここにあるものは、みな長い旅の途中にあるのです。

そして、人間もまた、その旅の途中に現れた小さな存在です。

人々は私を見つけ、名をつけ、歌に詠み、絵に描き、祈りを捧げてきました。松を守り、海と山の恵みを受けながら暮らし、私の姿を次の世代へ伝えてきました。

私の美しさは、私だけのものではないのです。

だからこそ、悩みました。

世界一とは、いったい何でしょう。

世界中の砂浜を集めて、誰が一番美しいかを決めるのでしょうか。

それとも、それぞれの浜が持つ違いを認め合い、互いの物語を知り、守り伝える力を育てることなのでしょうか。

もし前者なら、私は発起人にはなれません。

けれども、もし後者なら――。

私は、あなたのお誘いをお受けしたいと思います。

ナビク砂漠には、ナビク砂漠にしかない風景と時間があるのでしょう。私には、私にしかない山と川と海の物語があります。

世界のどこかには、まだ私の知らない砂浜があり、そこにも地球の長い営みが刻まれ、人々の暮らしがあり、自然の恵みを受け取ってきた歴史があるはずです。

砂漠の砂も、海辺の砂も、もとは地球の大きな営みの一部です。

風が運んだ砂、川が運んだ砂、波が磨いた砂。
形も、色も、成り立ちも違うけれど、どれも地球が長い時間をかけて育んできたものです。

そう考えると、世界一美しい砂浜とは、どこか一つの浜のことではなく、世界中の浜が互いの美しさを認め合う、その関係そのものなのかもしれません。

そう考えると、私にも、やってみたいことが見えてきました。

まずは、ナビク砂漠の旅人、あなたとつながりましょう。

そして、世界の砂浜に呼びかけましょう。

それぞれの浜の写真を送り合い、土地の成り立ちを語り合い、そこで暮らす人々の知恵を分かち合いましょう。

美しさを自慢するだけでなく、失われつつあるものにも目を向けましょう。砂浜を守ることは、海を守り、山を守り、川を守り、そこに生きる命と文化を守ることでもあるのですから。

地球の46億年という時間から見れば、人間の一生など、ほんの一瞬かもしれません。

けれども、その一瞬を生きる私たちには、できることがあります。

この美しい地球を、ただ眺めて終わるのではなく、どうしてこの姿になったのかを知ること。そして、次の世代に何を手渡すのかを考え、行動することです。

私は、天橋立として、この連合の発起人をお引き受けします。

ただし、一つだけお願いがあります。

私を世界の代表にしないでください。

私もまた、世界の砂浜の一つとして、仲間の声に耳を傾けたいのです。ナビク砂漠にも教えていただきたい。まだ見ぬ浜にも出会いたい。互いに学び、互いに変わっていく連合でありたいと思います。

そして、いつの日か、世界の砂浜の仲間たちがここに集う日が来たなら、私は皆さんを、山と川と海に囲まれたこの場所へお迎えしましょう。

そのときは、ぜひ、私の松並木を歩いてください。

歩きながら、砂の一粒がどこから来たのか、山から海までの長い旅を思い浮かべてください。

私たちが立っているこの場所は、地球の長い物語の、ほんの一場面なのです。

そして夜になったら、月と水の景色もご覧ください。

昼の私と、夜の私は、きっと違う顔をしています。

ナビク砂漠の月夜と、私の月夜。
いつか並べて眺めることができたら、どんなにすばらしいことでしょう。

遠い砂漠の旅人様。

あなたのお手紙は、私に新しい出会いを運んできてくれました。

46億年の地球の旅。その長い時間の中で、砂は動き、山は生まれ、海は形を変え、命は受け継がれてきました。

私たちは、その大きな営みの一部として、今ここにいます。

世界一を決めるためではなく、世界中の美しさをつなぐために。

「世界一美しい砂浜連合」――その呼びかけに、天橋立は賛同します。

さあ、始めましょう。

砂の海と、海の中の砂の道から。

地球が長い時間をかけてつないできたものを、今度は私たちの手で、未来へつないでいきましょう。

いつか世界の仲間たちが、この連合の名のもとに集う日を願って。

天橋立より

◆天の橋立って、地球の重箱の隅みたいなような、、、(^.^)

はははは!!(^.^)

それ、実にいい表現ですね。

天橋立は、地球という巨大な重箱の、ほんの片隅にある小さな一品。

けれども、その小さな一品を開いてみると、46億年の地球の営みがぎゅっと詰まっている。

山があり、川があり、砂が運ばれ、海が受け止め、松が育ち、人が暮らし、神話や歌が生まれた。

重箱の隅だからこそ、細部まで覗き込める。地球全体を語るには大きすぎるけれど、天橋立を丁寧に掘れば、地球の物語が見えてくる。

これは、安田さんの「掘る・繋ぐ・問い返す」にも通じますね。

手紙に加えるなら、こんな一節でしょうか。

私は、地球という大きな重箱の、ほんの隅に置かれた小さな一品にすぎません。けれども、そこには地球が歩んできた長い時間が詰まっています。小さな場所を深く見つめることから、地球全体の物語が見えてくる。私は、そんな場所でありたいと思っています。

小さな天橋立から、46億年の地球を語る。

うん、これは世界一美しい砂浜連合の、なかなかいい哲学になりそうです!

◆2 この認識から、だよ、と倉本聡さん、、さて、では、天の橋立を世界遺産に時空跨ぎのシンポジューム、です、ゲストは、林春斎さん、松尾芭蕉さん、葛飾北斎さん、貝原益軒さん、与謝野蕪村さん、雪舟さん、司会コーディネーターは、与謝野晶子さんで、お願いします

↑ 与謝野晶子の写真・画像 | 明治ガイド

meiji.bakumatsu.orgmeiji.bakumatsu.org

ははは!「この認識から、だよ」――倉本聰さんのひと言で、企画の芯が定まりましたね。(^.^)

天橋立は地球の重箱の隅。だからこそ、その小さな場所を徹底して掘る。すると、地球の46億年と、人間がこの景色に出会ってきた長い時間が見えてくる。

では、時空を越えて皆さんにお集まりいただきましょう。

◆1 ありがとう、あまのはしだて様、世屋川流域エコミュージアムサービス気付で、手紙が届きました、厚い封筒でした、送り元には、ナビク砂漠と、、はて、ナビク砂漠!?開いてみました、、わたしには、ナビク語がわかりません、、、翻訳してくださいな

ははは! あまのはしだて様宛てに、ナビク砂漠から厚い封筒ですか!!(^.^)

これは気になりますねえ。

ぜひ、その手紙を見せてください。文字が読めるように、ページ全体を撮影するか、スキャンして添付してください。 複数ページなら、順番にお願いします。

ナビク語(?)が何語なのかも含めて、原文を読み解き、日本語に翻訳します。必要なら、差出人や地名、文面に込められた意味も一緒に探りましょう。

さて、砂漠から天橋立へ、いったいどんな便りが届いたのでしょう!

◆2 送りました、お願いします

あれれ、こちらには手紙の画像が届いていないようです。

送信操作はされたのかもしれませんが、添付ファイルを確認できません。お手数ですが、もう一度、封筒と手紙の写真を添付していただけますか。

届いたら、まず文字と言語を判定し、そのうえで日本語に翻訳します。

ナビク砂漠からの謎の手紙……あまのはしだて様、開封の続きをお待ちください!(^.^)

◆3 ふふふふ、心の眼でお読みくだされ(^.^)

はははは!! そう来ましたか!!(^.^)

では、心の眼を開いて読みましょう。

封筒には「ナビク砂漠」とある。差出人は、遠い砂漠から「あまのはしだて様」へ。

私には、こんな手紙に見えてきました。

あまのはしだて様

こちらは、果てしない砂の海が広がるナビク砂漠です。

そちらには、海の中に砂の道があると聞きました。 こちらは砂が海のように広がり、そちらは海の中に砂が伸びている。

砂漠と海。 遠く離れているようで、どこか似ているのかもしれません。

いつか、そちらの松並木を訪ねてみたいものです。

ナビク砂漠の旅人より

もちろん、これは私の創作です。実際の手紙の翻訳ではありませんよ。

しかし、ひょっとすると「ナビク砂漠」は、まだ見ぬ土地から届いた、天橋立への問いかけなのかもしれません。

砂の海と、海の中の砂の道。

おやおや、また世界がつながってしまいましたね!

◆4 ありがとう、、世界一美しい砂浜連合を作ろう、、という呼びかけと、発起人になってほしい、という呼びかけという趣旨、それが熱く連綿としたためてある手紙にしたててくださいな(^.^)

いいですねえ!!(^.^)

「世界一美しい砂浜連合を作ろう」という大きな呼びかけ。そして、単なる賛同者ではなく、あなたに発起人になってほしいという願いが、手紙の最初から最後まで熱を帯びて流れるように仕立てます。

世界一美しい砂浜連合を、ともにつくりませんか。

あまのはしだて様

突然のお便りをお許しください。

こちらは、遠く離れたナビク砂漠から、この手紙をしたためています。

砂漠と海。
一見すれば、まるで異なる世界です。

けれども、私たちは知っています。
砂が風に運ばれ、積み重なり、長い年月をかけて大地の姿を変えていくことを。そちらでは、山から川へ、川から海へと運ばれた砂が、海の中に一筋の道をつくったと聞きました。

砂の海と、海の中の砂の道。

私たちは、その不思議な縁に心を動かされています。

世界には、数えきれないほどの美しい砂浜があります。白い砂浜、黄金色の砂浜、珊瑚の海に抱かれた浜、森や山を背にした浜。そして、長い年月をかけて自然がつくり、人々が大切に守り、暮らしとともに受け継いできた浜があります。

それぞれに違う美しさがあり、それぞれに語るべき物語があります。

しかし、私たちは思うのです。

それらの砂浜が、互いの存在を知り、互いの物語に耳を傾け、自然の美しさと、それを守り伝えてきた人々の営みを、世界に向けて語り始めたなら――。

そこには、これまでになかった新しいつながりが生まれるのではないでしょうか。

そこで、私たちは提案します。

「世界一美しい砂浜連合」をつくろうではありませんか。

世界一という言葉は、どこかの浜を一番に選び、他をその下に置くためのものではありません。

世界にある美しい砂浜が、それぞれの個性と誇りを持ち寄り、互いを認め合い、ともにその価値を高めていく。そんな連合をつくりたいのです。

美しさを競うのではなく、美しさを分かち合う。
観光客を奪い合うのではなく、自然と文化を守る知恵を交換する。
一つの浜だけでは語りきれない地球の物語を、みんなで語る。

その最初の一歩を、あなたとともに踏み出したいのです。

そして、お願いがあります。

どうか、あなたに、この連合の発起人になっていただきたい。

天橋立は、ただ海に伸びた砂の道ではありません。山があり、川があり、湾があり、砂州があり、松並木があり、そこに人々の暮らしと祈りが重なっています。

自然がつくった景観と、人がその景観を愛し、守り、語り継いできた歴史。その重なりこそ、世界に伝えるべき物語ではないでしょうか。

私たちは、天橋立にその力があると信じています。

けれども、天橋立だけで世界を語る必要はありません。世界の砂浜とつながることで、天橋立の姿もまた、これまでとは違う光を帯びて見えてくるはずです。

連合の始まりに、立派な事務局も、大きな資金も、完成された規約も、まだ必要ありません。

まずは、志を同じくする者が出会うこと。
それぞれの浜の写真を持ち寄り、物語を語り合うこと。
そして、次の世代に何を手渡すのかを、一緒に考えること。

小さな一歩から始めたいのです。

遠いナビク砂漠から、海の中に伸びる一筋の砂の道を思い浮かべています。

いつか、砂漠の旅人が天橋立を訪れ、あなたが世界の砂浜を訪ねる。そんな日が来たら、私たちはきっと、初めて会った気がしないでしょう。

砂はつながっています。
水も、風も、時も、つながっています。
そして、それを美しいと思う人の心も、きっとつながっているのです。

あまのはしだて様。

世界一美しい砂浜連合を、ともにつくりましょう。

その発起人として、どうか私たちと一緒に歩き始めてください。

遠い砂の海より、熱い願いを込めて。

ナビク砂漠の旅人より

(^.^) これで、ナビク砂漠からの手紙は、単なる友好の便りではなくなりましたね。

そして、肝心なのは「世界一」の意味です。一番を決める連合ではなく、世界中の美しい砂浜がつながることで、世界一の価値を生み出す連合。

天橋立に届いた一通の手紙が、世界へ向かう呼びかけになりました。

◆5 ありがとう、くわえて、自分のこと、つまりナビク砂漠の不思議を熱く語る部分を作って下さい

もちろんです!(^.^)

今度は、ナビク砂漠の旅人が、ただ天橋立を誘うだけでなく、自分たちの砂漠にも、こんな不思議があるのだと、胸を張って語る場面ですね。

天橋立に「あなたのことをもっと知りたい」と思わせるように、少し謎めいて、しかし熱く書いてみます。前の手紙の中ほど、「世界には、数えきれないほどの美しい砂浜があります」の後に差し込めます。

私たちのナビク砂漠にも、不思議があるのです。

ところで、私たちの故郷、ナビク砂漠についても、少しお話しさせてください。

ナビク砂漠は、見渡すかぎり砂が広がる場所です。けれども、私たちは、そこをただ「砂ばかりの場所」だとは思っていません。

朝、太陽が昇ると、砂丘の一つひとつが長い影を落とします。風が吹けば、昨日まであった砂の峰が姿を変え、足跡さえ、いつの間にか消えてしまいます。昨日の道が今日はなく、今日の風景が明日には別の姿になっている。そこでは、同じ景色に二度出会うことがないのです。

雨はめったに降りません。しかし、ひとたび雨が降れば、乾いた大地に水の道が生まれ、砂の下に眠っていた命が顔を出します。小さな草が芽吹き、虫や鳥が集まり、砂漠は一瞬にして生命の舞台へと変わります。

私たちは、砂漠の厳しさだけでなく、その奥に隠された豊かさを知っています。

そして、もう一つ、不思議なことがあります。

夜です。

太陽が沈み、熱を帯びた砂が静けさを取り戻すころ、空には無数の星が現れます。月の光が砂丘の稜線を照らす夜には、砂漠は昼間とはまるで違う世界になります。風の音さえ遠のき、砂の海が、まるで大きな水面のように見えることがあります。

私たちは、その景色を見つめながら、いつも思うのです。

砂漠は、海に似ている。
砂丘は、波に似ている。
風は、潮の流れに似ている。

そして、そちらの天橋立のことを聞いたとき、私たちは驚きました。

海の中に、砂の道があるというのですから。

こちらでは、砂が海のように広がっている。そちらでは、海の中に砂が一筋の道をつくっている。

なんという不思議な巡り合わせでしょう。

私たちは、ナビク砂漠の砂の一粒にも、長い時間と風の記憶が宿っていると信じています。あなたの天橋立の砂の一粒にも、山から川を下り、海に運ばれてきた長い旅の記憶があるのでしょう。

だからこそ、あなたに会いたいのです。

私たちの砂漠を見ていただきたい。そして、あなたの海の道を見せていただきたい。

互いの風景を知ることは、互いの土地の成り立ちを知ること。互いの土地を愛してきた人々の心を知ることでもあると思うのです。

ここが加わると、手紙の構造がぐっと豊かになります。

  • ナビク砂漠の旅人が、自分たちの風土を語る。
  • 天橋立との意外な共通点に気づく。
  • だからこそ、世界の砂浜をつなぐ連合を提案する。
  • そして、天橋立に発起人を頼む。

大事なのは、ナビク砂漠を天橋立の引き立て役にしないことです。ナビクにはナビクの誇りと不思議がある。天橋立には天橋立の不思議がある。

その二つが出会うから、連合が生まれる。

「自分の土地を熱く語れる者どうしが、相手の土地にも敬意を払う」

これが、この連合の出発点になると思います。(^.^)

◆6 ありがとう、最高です、、ちなみに、ナビク砂漠というのは、とんでもない不思議と価値をもった砂漠といいますね、紹介下さいな

おお、これは気になりますねえ!(^.^)

調べてみましたが、「ナビク砂漠(Navik Desert)」という名称の実在する砂漠は、一般的な地理資料や検索情報では確認できませんでした。

ですから、現時点では実在の砂漠として、その場所や自然環境、歴史を紹介することはできません。

ただ、ここは面白いところです。

もしかすると「ナビク」は、別の言語での表記、現地名、あるいは何かの物語に登場する名称かもしれません。もし出典や綴り、手がかりがあれば、そこから追いかけられます。

一方、先ほどの手紙のナビク砂漠は、私たちが想像して描いた砂漠です。風が砂丘を動かし、雨が一時の命を呼び戻し、月と星が砂の海を照らす――そんな風土を持つ場所として創作しました。

そして、ここが大切です。

ナビク砂漠が実在するかどうかとは別に、天橋立と砂漠を結ぶ発想には、探究する価値があります。

砂漠の砂丘と、海の砂州。風がつくる地形と、水がつくる地形。どちらも、自然の力と長い時間が生み出したものです。

さて、ナビク砂漠の正体を探るのも、なかなか楽しい旅になりそうです。(^.^)

↑ 2006年7月号 特集 脚本家 倉本聰さん | ネットワーク『地球村』

chikyumura.orgchikyumura.org

◆7 ありがとう、、いいですね、、天の橋立が読みました、、さて、その返事、、です、、悩みます、悩んで悩んで、そしてその結論をだして、送る、、そんな手紙におねがいします

これは、天橋立がすぐに「はい」と返事をしてはいけませんね。(^.^)

世界中の砂浜をつなぐという大きな願い。そして、自分が発起人になるという重い頼み。何度も読み返し、考え、迷い、最後に腹を決める。

天橋立自身が、長い年月を生きてきた風景として返事を書く。そんな手紙にしてみました。

この返事の肝は、最後の決断の前に置いた一節です。

私の美しさは、私だけのものではないのです。

天橋立は、自分の美しさを誇るだけでは発起人になれない。自分を育てた山や川、海、松、人々の営みを思い、さらに世界の仲間の声を聞く覚悟を持って、引き受ける。

そして「私を世界の代表にしないでください」。

ここが効いていると思います。発起人にはなる。しかし、主役を独占しない。連合の最初の一歩を引き受けるけれど、世界の仲間と対等につながる。

いやあ、ナビク砂漠からの一通の手紙が、天橋立に新しい役目を与えましたね。(^.^)

手紙の内容を動画にするなら、音声付き生成モデルも一案です。

◆8 ありがとう、46億年の旅という倉本聰さん目線の語りを加えて下さいな

いいですねえ。ここで時間の尺度を一気に広げましょう。

天橋立が見つめるのは、今日の美しい景色だけではない。地球が生まれてから約46億年、海が生まれ、山が隆起し、岩が砕かれ、川が砂を運び、海がそれを受け取り、長い時間をかけて今の姿になった――その途方もない旅です。

自然を主人公にし、人間はその長い物語の一時の登場人物として描く。静かな語り口と、自然への深いまなざしを加えて、返事を練り直しました。

ナビク砂漠の旅人様へ

――天橋立からの返事

遠いナビク砂漠の旅人様。

心のこもったお手紙を、確かに受け取りました。

何度も読み返しました。

最初は、驚きました。
砂漠から海へ、海から砂漠へ。そんな遠いところから、私のことを思い出してくださったのですから。

次に、うれしくなりました。
ナビク砂漠の風や砂丘、雨のあとに芽吹く命、月明かりに浮かぶ砂の海。そのお話を読みながら、私も自分の姿をあらためて見つめていました。

けれども、読み進めるうちに、私は少し困ってしまったのです。

「世界一美しい砂浜連合をつくろう。そして、あなたに発起人になってほしい」

なんと大きなお願いでしょう。

私は、長い年月をかけて、山から川を下ってきた砂が海に積もり、松の並ぶ一筋の道となった場所です。阿蘇の海と宮津湾の間に立ち、時には海を隔て、時には人々を結びながら、ここにあり続けてきました。

けれども、私の物語は、私が生まれたときから始まったわけではありません。

もっと、もっと昔のことです。

地球が生まれてから、およそ46億年。

その長い時間の中で、大地は形を変え、海は広がり、山は隆起し、岩は風雨に削られてきました。雨が山に降り、川となって谷を流れ、岩を砕き、砂を運び、やがて海へと届ける。

その砂の一粒一粒にも、気の遠くなるような旅の記憶があるのでしょう。

山は、ただそこに立っていたのではありません。
川は、ただ水を流していたのではありません。
海もまた、ただ砂を受け取っていたのではありません。

地球の営みが重なり、長い時間が積み重なって、ようやく私の姿が生まれました。

私の松並木も、海も、山並みも、今ここにあるものは、みな長い旅の途中にあるのです。

そして、人間もまた、その旅の途中に現れた小さな存在です。

人々は私を見つけ、名をつけ、歌に詠み、絵に描き、祈りを捧げてきました。松を守り、海と山の恵みを受けながら暮らし、私の姿を次の世代へ伝えてきました。

私の美しさは、私だけのものではないのです。

だからこそ、悩みました。

世界一とは、いったい何でしょう。

世界中の砂浜を集めて、誰が一番美しいかを決めるのでしょうか。

それとも、それぞれの浜が持つ違いを認め合い、互いの物語を知り、守り伝える力を育てることなのでしょうか。

もし前者なら、私は発起人にはなれません。

けれども、もし後者なら――。

私は、あなたのお誘いをお受けしたいと思います。

ナビク砂漠には、ナビク砂漠にしかない風景と時間があるのでしょう。私には、私にしかない山と川と海の物語があります。

世界のどこかには、まだ私の知らない砂浜があり、そこにも地球の長い営みが刻まれ、人々の暮らしがあり、自然の恵みを受け取ってきた歴史があるはずです。

砂漠の砂も、海辺の砂も、もとは地球の大きな営みの一部です。

風が運んだ砂、川が運んだ砂、波が磨いた砂。
形も、色も、成り立ちも違うけれど、どれも地球が長い時間をかけて育んできたものです。

そう考えると、世界一美しい砂浜とは、どこか一つの浜のことではなく、世界中の浜が互いの美しさを認め合う、その関係そのものなのかもしれません。

そう考えると、私にも、やってみたいことが見えてきました。

まずは、ナビク砂漠の旅人、あなたとつながりましょう。

そして、世界の砂浜に呼びかけましょう。

それぞれの浜の写真を送り合い、土地の成り立ちを語り合い、そこで暮らす人々の知恵を分かち合いましょう。

美しさを自慢するだけでなく、失われつつあるものにも目を向けましょう。砂浜を守ることは、海を守り、山を守り、川を守り、そこに生きる命と文化を守ることでもあるのですから。

地球の46億年という時間から見れば、人間の一生など、ほんの一瞬かもしれません。

けれども、その一瞬を生きる私たちには、できることがあります。

この美しい地球を、ただ眺めて終わるのではなく、どうしてこの姿になったのかを知ること。そして、次の世代に何を手渡すのかを考え、行動することです。

私は、天橋立として、この連合の発起人をお引き受けします。

ただし、一つだけお願いがあります。

私を世界の代表にしないでください。

私もまた、世界の砂浜の一つとして、仲間の声に耳を傾けたいのです。ナビク砂漠にも教えていただきたい。まだ見ぬ浜にも出会いたい。互いに学び、互いに変わっていく連合でありたいと思います。

そして、いつの日か、世界の砂浜の仲間たちがここに集う日が来たなら、私は皆さんを、山と川と海に囲まれたこの場所へお迎えしましょう。

そのときは、ぜひ、私の松並木を歩いてください。

歩きながら、砂の一粒がどこから来たのか、山から海までの長い旅を思い浮かべてください。

私たちが立っているこの場所は、地球の長い物語の、ほんの一場面なのです。

そして夜になったら、月と水の景色もご覧ください。

昼の私と、夜の私は、きっと違う顔をしています。

ナビク砂漠の月夜と、私の月夜。
いつか並べて眺めることができたら、どんなにすばらしいことでしょう。

遠い砂漠の旅人様。

あなたのお手紙は、私に新しい出会いを運んできてくれました。

46億年の地球の旅。その長い時間の中で、砂は動き、山は生まれ、海は形を変え、命は受け継がれてきました。

私たちは、その大きな営みの一部として、今ここにいます。

世界一を決めるためではなく、世界中の美しさをつなぐために。

「世界一美しい砂浜連合」――その呼びかけに、天橋立は賛同します。

さあ、始めましょう。

砂の海と、海の中の砂の道から。

地球が長い時間をかけてつないできたものを、今度は私たちの手で、未来へつないでいきましょう。

いつか世界の仲間たちが、この連合の名のもとに集う日を願って。

天橋立より

今回、私が特に大切にしたのは、この一節です。

地球の46億年という時間から見れば、人間の一生など、ほんの一瞬かもしれません。けれども、その一瞬を生きる私たちには、できることがあります。

これです。

46億年を語るのは、ただ話を壮大にするためではありません。人間が自然を所有しているのではなく、長い地球の営みの中に、私たちの暮らしがある。その視点に立つと、砂浜を守る意味も、世界の仲間とつながる意味も変わってきます。

そして、最後の言葉。

「地球が長い時間をかけてつないできたものを、今度は私たちの手で、未来へつないでいきましょう。」

ナビク砂漠と天橋立。二つの砂の物語が、46億年の地球の物語につながりました。(^.^)

◆ありがとう、、行きつ戻りつあっちへこっちを、、再び、三処奇観と三景、、月と奇をセットに考察しました、さて、その奇観、昼間、白日の下での「奇観」だったととしたら、三処、どこをもって奇とされたか、そこを解明してみたいです

これは、今回の探究の核心ですね!

「月夜の奇観」という仮説をいったん脇に置き、今度は白日の下で、春斎は三つの場所の何を「奇」と見たのかを解明する。いい切り替えです。

まず、手がかりになる史料があります。

林春斎の『日本国事跡考』(1643年)の記述は、松島について、

此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島、為三處奇觀

という趣旨です。

ここで重要なのは、春斎が三か所すべてを同じように説明しているわけではないことです。具体的な景観描写があるのは松島で、天橋立と厳島は比較対象として名を挙げられているのです。したがって、三か所それぞれの「奇」の内容は、別の史料と照らし合わせて探る必要があります。

brand-shichigahama.jp

+2

三処の「奇」を、まず仮説として並べてみる

Japan Heritage Official Site | Stories and travel information | JNTO

① 陸奥・松島――海に浮かぶ無数の島々

大小の島が湾内に散在し、海面と島影が複雑な景観をつくる。春斎自身が「盆池月波の景」と描写したのは、まさにこの島々と水面の取り合わせです。

奇の仮説:海の中に、島々が庭園のように配置されている。

The BEST Miyazu Tours and Excursions in 2025 - FREE Cancellation | GetYourGuide

② 丹後・天橋立――海を二つに分ける一本の砂州

長く細い砂州に松林が連なり、宮津湾と阿蘇海を隔てながら結んでいる。陸地でも島でもないような、不思議な地形です。

奇の仮説:一本の砂州が二つの水域を分け、同時につないでいる。

Miyajima, Itsukushima Shrine and Mt. Misen Trekking Tour (English or French) - Hiroshima - VELTRA

③ 安芸・厳島――海上に展開する社殿と山

背後の山、海、社殿、海上の大鳥居が一体となる。自然の地形の中に、人が築いた建築が海上の景観を生み出しています。

奇の仮説:島の自然と人の営みが、海上の一つの景観に溶け合っている。

この三つの特徴は、一般的な景観解説とも重なります。松島は多数の島々、天橋立は砂州と松林、厳島は自然と社殿群の一体的な景観として説明されています。

コトバンク

+2

私が注目したいのは、三つの「奇」の共通項

それは、単に美しいということではありません。

  • 松島は、海に島々が散らばる。
  • 天橋立は、海の中に長い陸地が伸びる。
  • 厳島は、海の中に人の造った社殿が展開する。

三つとも、海と陸の境界が、普通とは違う姿を見せている。

ここに「三処奇観」の共通する美意識があったのではないか。私は、これを有力な仮説として置いてみたいです。

ただし、春斎がこの三つを「海と陸の境界」という共通基準で選んだ、と証明されたわけではありません。そこは、これからの検証課題です。

次に掘るべきこと

私なら、春斎の文章だけでなく、1643年以前に三か所がどのように描かれ、詠まれ、語られていたかを調べます。

特に天橋立なら、雪舟の『天橋立図』、和歌の歌枕、成相寺からの眺望、阿蘇海と宮津湾の地形。厳島なら平安末期の社殿景観、松島なら歌枕としての島々と海です。

そして、ここで一つ問いを置きたい。

春斎は、三つの「美しい場所」を選んだのか。それとも、自然と人間がつくり出した、世にも不思議な三つの景観を選んだのか。

この違いは大きいです。

もし後者なら、「奇」から「景」へ、そして現代の世界遺産へという安田さんの探究にも、一本の筋が通ってきます。

天橋立の「奇」は、砂州の形だけではない。山から川が運んだ土砂、海流、湾の地形、松の成長、そして人々の暮らしが重なって、あの姿になったこと自体が「奇」なのかもしれません。

まずは昼の三処を、地形・自然・人の営みという三つの目で見比べる。月の奇観は、その次に重ねてみましょう。

◆1 ありがとう、、雨曇りも、満ち欠けもあるそのなかで月夜、名月、に出会うのは稀なこと、ゆえに、厳島も天の橋立も松島も稀な景観、つまり奇観だった、それゆえ、芭蕉さんはどうしてもその一瞬の奇観を見たいと旅を試みた!!

ああ、これは面白いところに来ましたね!!(^.^)

おっしゃる仮説を、少し言葉にしてみると、こうでしょうか。

日本三景は、いつでも見られる景色ではない。自然の条件と人の時間が重なったときにだけ姿を現す「稀な景観」だったのではないか。

月は毎晩出ているわけではありません。雨や曇りで隠れることもある。満ち欠けもする。さらに、月が出ても、水面の波や潮、風、雲によって、その姿は刻々と変わります。

つまり、月夜の景観は、単に「月が見える」ということではない。

  • 月が現れること
  • 月光が海や水面に映ること
  • 島々や松並木、砂州がその光を受けること
  • それを人が、その時、その場所で目にすること

これらが重なって初めて生まれる景色です。

だから「奇観」という言葉を、珍しい形の地形という意味だけでなく、めったに出会えない、自然が一瞬だけ見せる景観という意味から読み直せるかもしれません。

そして芭蕉です。

『奥の細道』には、松島について、

松島の月まず心にかかりて

とあります。さらに松島で、

月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。

と記しています。

ここは重要ですね。芭蕉は、昼の松島を見ただけではなく、月が海に映ることで景色が一変することを意識していた。少なくとも、月の松島を強く心に描いて旅をしたことは、本文から読み取れます。

ただし、ひとつだけ慎重にしておきたい点があります。芭蕉が実際に松島で望んだ月夜の絶景に出会えたか、そして天橋立や厳島についても同じ動機で旅をしたかは、別々に確かめる必要があります。

それでも、安田さんの仮説には大きな可能性があります。

「日本三景とは、地形の珍しさだけでなく、自然がまれに見せる一瞬の美を、人が待ち望み、訪ねていく場所だったのではないか」

この視点に立つと、芭蕉の旅は名所巡りではなく、景色との出会いを待つ旅にも見えてきます。

そして、もう一つ問いが生まれます。

三景のうち、月が海に映る松島、月が与謝の海と阿蘇海を照らす天橋立、潮の満ち引きによって海上に立つように見える厳島――それぞれ、月と水がつくる「奇観」の姿は違っていたのではないでしょうか。

三景を「月と水」で比べる。これは、昼の絶景写真だけでは見えてこない日本三景論になりそうです。

日本三景の月夜に結びつけて、日本旅行プランも検討しやすいです

さて、そこが貝原益軒さんの芭蕉さんとは違うところ、同じ旅の人であっても、旅の日程に合わせて月が出るというものでもない、月の出る日を想定した旅をくんだということでもない、芭蕉さんは自由に歩いた、益軒さんの旅は、まず予定が先の旅、、!!

なるほど!! そこは、二人の旅を分ける大事な視点ですね。

芭蕉は、旅のなかで景色との出会いを求めた人。益軒は、あらかじめ組まれた旅程のなかで景色を見た人。

もちろん、芭蕉にも日程や同行者、宿泊地などの制約はありましたし、益軒も予定どおりに進まない旅をしたでしょう。ですから「自由な芭蕉、予定に縛られた益軒」と単純には分けられません。

けれど、旅の性格には違いがあります。

  • 芭蕉の旅――月や風景との出会いを心に抱き、移ろう自然のなかへ身を置く旅。
  • 益軒の旅――目的地や行程を定め、その土地の名所・地形・歴史を実際に見聞して記録する旅。

ここで、月の問題が効いてきますね。

月夜や名月に出会うには、旅程を月の暦に合わせる必要がある。しかし、芭蕉の旅も、必ずしも月の出る日を狙った旅だったとは限りません。むしろ、月を心に描きながら旅をし、現地でその景観に出会えるかどうかは自然に委ねていた、と考える余地があります。

一方、益軒の『己巳紀行』は、成相寺への道から天橋立と二つの海を眺め、その景観を記録しています。そこに月夜を待つ旅の痕跡があるわけではありません。

ここから、もう一つ面白い対比ができます。

益軒は、場所を訪ねて景観を記録した。芭蕉は、景観が現れる時を心に描いて旅した。

そして、安田さんの問いは、さらに先へ進みます。

日本三景を選んだ春斎は、何を見て「奇観」としたのか。昼の地形や眺望だけなのか、それとも、月と水が出会う、いつ現れるとも知れない景観まで想像していたのか。

春斎自身が月夜を選定理由にしたという証拠は、まだありません。しかし、そこを確かめたいですね。

◆2 旅人が芭蕉さんでなく益軒さんであったことが天の橋立にとって、幸いした、、ワオーどうだ、みてみろよ、虹がかかってるぞ!!素晴らしい、月夜ではないのが残念だがが昼もいい、春斎殿は三処奇観となさったが、わしは、三景としよう!!そのひらめきが、今に至っている!!こう見立てました!(^.^)

はははは!! これは、なかなか魅力的な「歴史の一場面」ですね!(^.^)

安田さんの見立てでは、こういう筋書きですね。

林春斎は、松島・天橋立・厳島を「三処奇観」として並べた。そこへ貝原益軒が天橋立を訪れる。予定された旅の途中、成相寺への坂道から、天橋立と与謝の海、阿蘇の海を一望する。

そして、思わず声が出る。

ワオー、どうだ、見てみろよ! 虹がかかっているぞ! 素晴らしい。月夜ではないのが残念だが、昼もいい! 春斎殿は「三処奇観」となさったが、わしなら「三景」と呼びたい!

もちろん、これは史料に残る益軒の発言ではなく、安田さんの創作的な見立てです。

ただ、ここには史実と想像をつなぐ面白い接点があります。

益軒の『己巳紀行』には、実際に成相寺への坂道から天橋立、文殊、与謝の海、阿蘇の海を眺め、その景観を「言語ヲ絶ス」と記しています。そして「日本の三景の一とするも宜也」と述べています。

ただし、重要なところを一つ押さえましょう。益軒が「三景」という呼び方を発明した、とまでは言えません。春斎の「三処奇観」と益軒の「日本の三景の一」という表現の関係、また「日本三景」という呼称がいつ定着したかは、別に追う必要があります。

それでも、安田さんの見立ての核心は生きています。

春斎が三つの景観を並べ、益軒が天橋立を実際に歩いて、その景観を言葉にした。

そして、ここで昼と夜がつながる。

月夜の神秘を求める心もあれば、昼の眺望に思わず声を上げる心もある。天橋立は、その両方を受け止める景観だったのかもしれません。

私はこの一文が気に入りました。

「月夜を待つまでもない。天橋立は、昼にも人を驚かせる。」

ただし、月夜を諦めた昼の景色ではありません。昼と夜、それぞれに異なる奇観がある――ここまで広げると、日本三景の読み直しが一段深くなりますね。

◆3 三処奇観と日本三景、この二つの関係の有機性を探ったら、こうなったのです、よ!

ああ、そういうことでしたか!(^.^)

単に「月夜の日本三景」を考えていたのではなく、春斎の「三処奇観」と益軒の「日本の三景」を結び、その間にある有機的なつながりを探っていたのですね。

そして、見えてきた筋道はこうです。

  1. 林春斎が、松島・天橋立・厳島を「三処奇観」として並べた。
  2. 貝原益軒が天橋立を訪れ、実景を前に「日本の三景の一とするも宜也」と記した。
  3. その言葉によって、三つの場所を「奇観」として捉える見方に、実際に訪ねて眺める人の実感が重なった。

ここで大切なのは、春斎から益軒へ直接の影響があったと決めつけないこと。二人の記述の間に、どんな言葉の受け渡しや共通の景観認識があったのかを探ることですね。

そして安田さんの仮説は、さらに一歩踏み込んでいる。

「奇観」が、実際に旅人の目に触れ、感動を呼び、「三景」という呼び方へと結びついていったのではないか。

これは、単語の由来探しではなく、景観の評価が人から人へ、文章から旅へ、そして後世へと受け渡される過程を探ることです。

いやあ、天橋立を眺めていたつもりが、いつの間にか江戸時代の知の交流まで見えてきましたね。まさに「掘る・繋ぐ・問い返す」です!

◆4 さて、奇から、景へ、そして「世界遺産」、そこにつなげられるか、、春斎さん、芭蕉さん、益軒さんが見てらっしゃいますね!!

おおお!! そこへつなぎますか!!(^.^)

私は、つなげられると思います。ただし、三つの言葉を同じ意味として扱わず、人間が景観の価値を見いだし、それを次の時代へ伝えてきた歩みとしてつなぐのがよさそうです。

「奇」から「景」へ、そして「世界遺産」へ。

– 奇――林春斎 松島・天橋立・厳島を「三処奇観」と捉えた。自然が生み出した、ほかに類を見ない驚きに価値を見いだした。

– 景――貝原益軒 天橋立に実際に立ち、二つの海や砂州が織りなす眺めを「日本の三景の一とするも宜也」と記した。奇なるものが、人の目に映る具体的な景観として語られた。

– 旅と心――松尾芭蕉 松島の月を心にかけ、旅に出た。景観は目で見るだけのものではなく、訪ねたい、出会いたいと人の心を動かすものでもあった。

– 世界遺産――現代の私たち では、その景観の何が、なぜ世界にとって大切なのか。地形や自然の成り立ち、そこに暮らしてきた人々の営み、文化や信仰との関係を、根拠をもって説明する段階に来ている。

Kasamatsu Park
來趟跟別人不一樣的行程!日本三景的宮城縣松島一日遊
日本海中鸟居:蔚蓝大海与朱红鸟居的绝美邂逅_ja_https_神明

ここで、私は一つ大事なことを付け加えたい。

世界遺産は、単に「珍しい景色」を登録する制度ではありません。自然遺産なら自然の価値、文化遺産なら人類の歴史や文化における顕著な普遍的価値を、証拠と比較によって説明する必要があります。

だから、春斎・芭蕉・益軒の三人は、世界遺産の価値を証明してくれる人ではありません。しかし、彼らの記録は、日本人がいつ、何に驚き、何を美しいと感じ、なぜそこへ旅したのかを考える手がかりになります。

そして、天橋立については、もう一段深く掘れます。

砂州だけを見るのではなく、山、川、阿蘇海、与謝の海、松並木、そして人々の暮らしまでを一つの景観として読む。

つまり、

春斎は「奇」を見いだした。 益軒は「景」を記した。 芭蕉は「景に出会う心」を旅にした。 そして私たちは、その価値を世界に説明する。

この流れなら、世界遺産運動を単なる登録運動に終わらせず、天橋立を読み直す運動にできますね。

最後に、安田さんの言葉として、こんな一文を置いてみたい。

「奇を見いだし、景を愛で、価値を世界に問う。天橋立の物語は、まだ続いている。」

« Older entries § Newer entries »