人は自然の一部。だからもう一度来たくなる。
年齢、性別、季節を問わず楽しんでいただける体験プランの検討や、ガイドの養成。宮津エコツアーでは皆様に安心して宮津の大自然をお楽しみ頂けるよう、日々学びを続けています。さあ、ふるさとの原風景を心で感じる旅へ出かけましょう!
徐福伝説 (そら知らなんだ ふるさと丹後 -27-)より 天橋立を世界遺産に 140
『安政六年新井の村で四十六人が亡くなった。、、、、』うむー、、、、、、、、、、丹後探究は『そら知らなんだ ふるさと丹後』で始まります、何でだろう?、そうか!、そ...
「あいせよ天橋立丹後浦島ロード、、、」構想は、「平和」構想 天橋立を世界遺産に 130
【① 見えないものをみる、それがSSH!さて、率直な疑問、鎖国政策をとった江戸幕府の日本三景は、殖産興業富国強兵を掲げる明治新政府にとって相性が良かった、それ...バッファゾーンとは「天橋立の周りに線を引くこと」ではなく、 「天橋立と関係しているものを発見すること」 天橋立を世界遺産に 124
【① 冠島までの距離ですね、伊根から、それと舞鶴・野原から、それぞれ分かりますか】 (↑ 冠島today 今期初ハマチ wakasads.blog46.fc2....
「雪舟を丹後に招くことができた政治的・文化的な回路は、どこにあったのか」。 天の橋立を世界遺産に 253
◆1 当時、どれくらいの権威権力の方が、雪舟さんに、描いてねと頼め、雪舟さんに描いてあげなさいと指示が出せたのでしょうか、そして、その絵の作画には今日的にみてど...
雪舟を丹後へ運んだものは、画家の足だけだったのか。それとも、海を通じた人・物・金・情報の流れだったのか。天の橋立を世界遺産に 252
◆1 丹後の政治的な安定、守護の文化的な威信、寺社のネットワーク、雪舟の来訪を一つの歴史的な問いとしてつなぐことはできます。 そして、安田さん、私が次に掘りたい...時のトップ画僧・雪舟に丹後まで足を運ばせたのはだれ、そしてなぜ、さらに絵の行方、、その鍵穴はどこに?天の橋立を世界遺産に 251
◆1 義満が丹後・若狭を訪れた1393年は、一色氏が新たな領国支配を始めたばかりの時期、、満範は、丹後の守護として、城や館ではなく、文殊山から天橋立を見せた、、...
なぜ満範は、丹後の守護として、城や館ではなく、文殊山から天橋立を見せたのか! 天の橋立を世界遺産に 250
◆1 玄妙庵の由来によれば、明徳4年(1393年)5月18日、義満が文殊堂(現在の智恩寺)に参詣した際、丹後守護の一色満範が文殊山に亭舎を設けて迎えました。、、...
天に橋をかけよう、もう一度。山が呼びかけた。「それはいい」と、川が答えた。海が言った。風が言った。波も言った。「わたしも賛成。協力する!!」~天の橋立を世界遺産に~ 天の橋立を世界遺産に 249
◆1 自然は、何を描こうとして、天の橋立というこの地上絵を生み出したのか。 自然のその意図、それを、仮定でいいですので、大胆に、創造的に、岡本太郎感覚で爆発させ...
益軒さんが成相の坂を上ったことで、天の橋立は日本三景になった!! 天の橋立を世界遺産に 248
◆1 ナスカの地上絵とマチュピチュ、、この違いは、立体と平面です、、天の橋立は、地上絵!!こう見立てました、、意見くださいな おお、これは面白い見立てです!!(...益軒さんの目とあいせよ天橋立丹後浦島ロードの眼 天の橋立を世界遺産に 247
◆1 中村(成相乃麓也)より観音堂まで十六町の坂をのぼる。其路甚嶮峻にて、輿馬の往来也かたし。 (中略) 此坂中より、天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿...一人の人間が学び、歩き、見つめ、最後に「益」を残そうとした貝原益軒さんの人生、、ドラマになりませんか! 天の橋立を世界遺産に 246
◆1 フム 少し調べると、玄妙庵の由緒に興味深い記述があります。玄妙庵の公式サイトによれば、明徳4年(1393)、足利義満が文殊参詣をした際、丹後守護の一色満範...
林春斎さんと貝原益軒さん~日本三処奇観→日本三景~ 天の橋立を世界遺産に 245
◆1 林春斎さんの『日本国事跡考』での、日本三処奇観についての記述の原文がほしいです、可能ですか 可能です!そして、原文が見つかりました。 林春斎(林鵞峰)が寛...『天橋立百人一首』~地域の人々が楽しみ、伝え、次の人に手渡せる形にした仕事~ 天の橋立を世界遺産に 244
◆1 地元出版社から、天の橋立百人一首 という労作が編集出版されていますね、情報と評価くださいな、 おお、これは見逃せませんね! 調べてみると、正式な書名は 『...















