2013/01/29
枯れ木の梢に着いていました。下世屋バイパス、鞍掛橋松尾側の谷にはえる木。
「冬だから、ヒラタケかなあ!」
なら、たべられるので、あれを採る方法は。
(↑ 2/1)
それを撮りながら、思ったことです。
つまり、、、、
今でこそキノコ出回っていますよ、
まったけにしろ椎茸にしろナメコにしろしめじにしろ
珍しくもなんともない!
でもねそれは培地栽培法、人工栽培できるようになつてからでしょ。
マツタケの生えるアカマツ林などは、原生の森が荒らされた産物、近代にはいってのことです。
本来、木に付着し、木の栄養分をもらいながら成長する、それがキノコだから、その木を探してようやくみつかるというものだったはず。つまり、貴重品!
(↑ なめこ 12月17日)
キノコが採れたのでご領主にとか、あるいは、キノコが見つかればもって参れと 注文されていたモノではないでしょうか。
何がいいたいかといえば、そんな貴重な「キノコ」ガたくさん穫れるところは地名になってもいいのではないかということ。
つまり、「木子」のさとの語源。
(↑ 木子 ソバのころ)
それについては、きじし を漢字で書けば、木地師(子)。しを子と書いたモノが「こ」と読み直されてきごになったとの理解を澤先生。木地師語源説です。大江山にも、「きじや」という地名があるといいます。木地山、 木地屋などと書きます。そのじ「地」を「子」とかいて、「木子山」となり、山がとれて、きじ「木子」を 「きご」と読んで、それが定着したのかなと多少異論も考えはしますが、木地師語源には変わりありません。
(↑ ヒラタケ 食用 撮影 12月11日)そんな
言葉の旅の来し方を思うにしても、しかしどうもややこしい!
ふと、思いました。木地師たちは、キノコを見つける名人たちではなかったのかと。
用材を倒したあとの切り株には、木之子が生えたはず。湾やお盆などの製品とともにキノコも納めたはず。
また、森の生産力や再生に深く関わるのがキノコ。
(↑ たまごたけ 食用 9~10月に発生)
森の民「木地師」は森ときのこの関係を誰よりも深く認識していたのではないでしょうか。
キノコは「木之子」。すっきりと「木子」になるではありませんか!