宮津エコツアー · 7月 2014

7月 2014

、、、、常世の島に姿を現された日輪様!

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波見沖の冠島方向から昇る朝日に照らされ、岸に向かって伸びる光りの帯をみて、橋とは、常世と現世とを結ぶ橋と考えることが許されるなら、その橋が立つとはこれではないか、と思いました(^.^) 天の橋立は、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために 梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿 になった(丹後国風土記逸文)、とされる!神代の昔のこと。しかし、今のような砂嘴は、  「縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる」ウィキペディア『天の橋立』ということです。ですから、神代の昔、このような砂嘴は発達していなかったのです。としたら、天と地とを結ぶと考えられる自然現象とすべきでしょう。 籠神社は天照大神が4年ご滞在されたことから元伊勢とも呼ばれます。天照大神のその旅は何が目的だったのかについて、天と地を結ぶ地を選定するためであったという説があります。 旧約聖書の創世記    「エデンの園の東に、ケルビム(=知恵の深い精霊、日輪の形象)と自転する剣の炎とを、神は置いた」(第三章二十四節)※伊勢白ペディアRSS  つまり、エデンの園探しの旅。 海人族にとって天とは水平線の彼方にあるとのことです。

今日、天の橋立と表記するところの「あまのはしだては」は、「海橋立ともいって、別に海浮橋あまのうきはし」という古伝」もあった」と元伊勢籠神社発行の『元伊勢籠神社御由緒略記』にあります。日本には海が二つあります。太平洋から昇る日輪を拝む地に最終的に落ち着かれたのですが、もう一つ、日本海から昇る日輪を拝むことができる地も有力候補として検討されていたため、滞在が4年という長きに渡ったのではないでしょうか。

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いずれにしても! 、、、なんだか空恐ろしいことをいっているようですね(^.^)

高峰神社さん、橋か剣かはたまた、、ほんとのところはどうなんですかぁ?

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、、、、真夏の夜の夢!じゃ、、、、

「僕は、毎朝比叡山に向かって祝詞(のりと)を唱え、般若心経を唱え、各種真言を唱え、石笛、横笛、法螺貝、太鼓、鈴、そういうようなものを演奏します」  京大の鎌田藤治さんのお話です。
※私の聖地発見h-kishi.sakura.ne.jp/s-11.htm

朝日を拝みながら、高峰神社で石笛、横笛、法螺貝、太鼓、鈴  を演奏し、太陽信仰の行者さま、宗教家の皆様に協力いただいて、、、こういうのはどうでしょう(^.^)

「ヘミ」「ヘビ」と ハブが 親戚だとすれば 波見と氷見が濃い親戚だとは容易に想像でき、氷見は日を見るであったろうと想像することも許されるであろう。、、、、どうなんでしょう(^.^)

これをきっかけに新説、珍説、奇説、、乱れ飛べば、これから波見は、店が出るほど朝日撮影のスポットになるかも。

夏!

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海左手から吹いてきた湿気を含んだ由良が岳にあたり、上昇気流になって雲を発達させる様子が見て取れます。

日は短くなっているのに暑くなるのは、この海、温もりにくく冷めにくい海のせいなんですって(^.^)

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と言うことですから、あつくても野山のものは、秋モード!

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ススキの穂もでて、秋の七草が出そろいました。

 

冠島方向、若狭湾の夜明け!

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波見から拝むその神々しさは格別です。 冠島のことを「常世島」といい、篭神社の聖地です。 IMG_6633

悩みや争いをしながら暮らす世界を現世、それに対して、平和で愛に満たされた神の世界を常世といいます。 IMG_6764

海を金色に染め、銀色に輝かせて 昇る日輪を見れば、納得します。

夕日直下の山、

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特徴のある形の山です、標高494m

呼び名も格別。まず[日暮れ山] 中郡平野東側の村からは夕日の美しく沈むのが見られるのです。

こうなると、何かを感じます。
阿弥陀様が五色の雲に乗ってお迎えに来てくださったようだ!そこで二つ目、[来迎山」。

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さらに、それは土地の神々が仏さんに姿を変えて姿を見せてくださるのだ、と言うことで「権現山」。網野町切畑にあるので、三つ目「切畑権現山。

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頂上にある吉野神社は、「根付け」の神様として信仰をあつめ、田植え後や半夏生の頃境内のササを折り取って水田にたてる習慣があったと伝えます。

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中郡平野の東にあって夕日を送る丹後二宮の大宮売神社で執り行われていたという古代祭祀の主役は沈む日輪だったのかもしれません。

※撮影場所 京丹後市大宮町小町温泉付近  ※山についての情報 『京都府の地名』平凡社刊

 

ナツフジ!

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森本トンネル側の土手に生育しています。

それにしてもこの株の半端じゃない太さと高さ!

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ここまでになったのは他に類を見ない「なにこれ」もの。保全あるのみ、でしょ。

夏に咲く!花の色、淡黄白色というんだそうです。それに日本固有種とか。

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ですから、これは藤織りの里・世屋のフジ棚にあるべきものじゃないかとも思いますが、分布は本州の関東地方南部以西ということですから、育つかどうか、、、(^.^)

『日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之』
万葉仮名で表記された歌です。

この歌には、昆虫と植物が1つずつ読み込まれています(^.^)

[ヒグラシ」日晩之 と「オミナエシ」乎美奈敝之!

よみ: ひぐらしの、鳴きぬる時は、をみなへし、咲きたる野辺(のへ)を、行きつつ見べし
意味: ひぐらしが鳴く時には、おみなえしが咲いている野をめぐって眺めるのがいいですよ
※万葉集: 女郎花(おみなへし)を詠んだ歌 – AIRnet
www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/ominaesi.html

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写真なので絵だけですが、ビデオならその絵にかぶるヒグラシの鳴きねをきいてもらえますよ。

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「ひょろひょろと なお露けしや 女郎花」と芭蕉さんは詠みましたが、この世屋の里・松尾原産のオミナエシは、なかなかどうして!

固いしっかりした茎が特徴です。

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「オミナエシ 秋の野風に うちなびき 心ひとつを 誰によすらむ」
古今和歌集

天橋立のウミトラノオ、いま白い花盛りという感じ。

京都府海洋センターに照会すると、花ではなくゴカイの仲間「ウズマキゴカイ」とのこと。渦巻き状で石灰質の殻をもっているが、これほど多く着生しているのは珍しいようだ。海藻、小石、貝殻などに着生する。

 

海中のウミトラノオ 白い花のようなものがウズマキゴカイ

P1020514 ウミトラノオ

陸に揚げてみると

P1020505 ウミトラノオ 直径2~3mmほどの渦巻き状

P1020504 ウミトラノオ

 

 

岡の前ナデシコ!

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女子サッカーワールドカップ、その年が世屋ナデシコ元年でした。

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それから3年。岡の前のナデシコの種が、ノギクの坂の石垣に飛んでいき

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世屋上分校跡のグランドの土手にも、

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金さんの側にもとんでいきました!

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念ずれば花開く、、、

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草地を刈ればナデシコ、

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放置すればやがてネム林!彼らと人との関係です。

白んできた空に一つだけ残る星!

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まもなく夜明けだ、あの山に登れば朝日が見える! 子どもっぽく胸を弾ませながら車を走らせました。 きっかけは「日置」からは、夏至の頃、冠島と沓島の間から日が昇る、だから日置だと日置の方がおっしゃったのを聞いたもので、そうだろうとは思うものの、写真を見せられたわけではなく、そうなら撮っておく必要があるだろうとおもったこと。

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場所は日置を見下ろす成相山テレビ塔付近。

小鳥がさえずり始めます。トルルルルルー 谷からはアカショウビンの特徴のある鳴き声も聞こえます。

顔をだした太陽が風船を膨らますように天地に命の気を吹き込んでいくようでした。 IMG_4834

さて、「海との関係で日の出るところ」は、「太陽信仰の神(日神)を祀る土地」で「重要な土地」として太平洋から日の昇るのは伊勢だとして神社をもうけたのだが、一方日本海から日の昇るところはどこだろうか興味があると森浩一さん。※北近畿の考古学」(両丹考古学研究会・但馬考古学研究会)

冠島のほうから元伊勢・篭神社の神様はいらっしゃったといいます。

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海の光りの中を走る船が、それはほんとうだといっているかのようでした。森先生は、出雲とも考えられるが、日本書紀や奈良からでる木簡には「旦波」とかいてある。「旦」とは、国語辞典では、〈タン〉あさ。夜明け。「旦夕一旦元旦吉旦月旦歳旦早旦明旦」とあります。そういうことをふまえ、たんばというところの「丹波」がひのもとを意味する「旦」の「旦波」なら丹後丹波である可能性があるとおっしゃっていますが、がここの朝日に光る波を見られたら、どういうことをおっしゃったでしょうか。

また、かって成相寺は、この付近にあったと伝えます。朝日は仏の出現、修行の僧の皆さんは朝日に祈られたのかもしれません。

、、うちは、日蓮宗ですので「(^.^)、、

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「諸佛世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見をしめさんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、これを諸佛はただ一大事の因縁をもっての故に世に出現したもうと為なずく。三界は安きことなし。猶お火宅のごとし。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患うーげんあり。かくの如きらの火、しーねんとしてやまず。如来はすでに三界の火宅をはなれて寂然として閑居げんこし,林野に安処あんじょせり。いまこの三界はみなこれ我が有なり。その中の衆生は、悉くこれ我が子なり。しかも、今此の處は諸々の患難げんなん多し。唯我一人のみよく救護くごをなす。我化の四衆、比丘比丘尼、および清信士女をつかわして法師を供養せしめ、諸の衆生を引導してこれをあつめて法をきかしめん。若し人悪刀杖あくとうじょうおよび、瓦石がしゃくをくわえんと欲せば、すなわち変化へんげの人をつかわしてこれがために衛護えごとなさん。爾その時に、寶塔の中うちより大音声いだして歎ほめてのたまわく。善哉ぜんざい、善哉。釈迦牟尼世尊。よく平等大慧びょうどうだいえー、教菩薩法、佛所護念の妙法華経をもって、大衆だいしゅーのために説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊、所説のごときは、皆是真実なり(薬王山常徳寺発行 『新しき佛教のおつとめ』から)]

 

 

ツユクサ!

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さて、ウィキペディアがいうところの「ツユクサ」。
「朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたという説がある。英名の Dayflower も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持つ。また「鴨跖草(つゆくさ、おうせきそう)」の字があてられることもある。ツユクサは古くは「つきくさ」と呼ばれており、上述した説以外に、この「つきくさ」が転じてツユクサになったという説もある。「つきくさ」は月草とも着草とも表され、元々は花弁の青い色が「着」きやすいことから「着き草」と呼ばれていたものと言われているが、『万葉集』などの和歌集では「月草」の表記が多い。この他、その特徴的な花の形から、蛍草(ほたるぐさ)や帽子花(ぼうしばな)、花の鮮やかな青色から青花(あおばな)などの別名がある。」、、、便利です。しかし、これを鵜呑みにすると「コピペガイド」(^.^)
月とかホタルの連想は、黄色い雄しべの塊から。

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また、ツユクサは、夏の朝、盛んに成長する稲の葉先に水滴を結ぶ頃にたんぼの畦で咲き始めるので。と、、解釈しますけれど(^.^)

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