雪崩防止の工事が進んでいます。
ここから出てきた岩たち。
岩質は花崗岩、角が無く丸いのは転げて削られたため。
川の源流から中流域で見られる形のようですが、かってはここがそういう場所だったということを偲ばせます。
さて学校跡地にたつ金治郎さんは石作り。
この方も、元々はこんな岩の中にねむってらっしゃったのですって。それを掘り出したのは地元の石工さん。地元の教育振興のために腕をふるってくださったと言うことです。
新たにでてきたこの岩をみていると、なにかメッセージを携えて出てきたようにかんじます。
ふむ、歌をほってくれ、なになに、、「小さな花の歌」の。そして、金治郎さんの横においてくれ、、、そんなふうに聞こえます(^.^)
ちなみに、この歌をひろめたのが、NHK新日本紀行。
新日本紀行「小さな花の歌~丹後・上世屋~」 (バラエティ/情報)
関西おもいでシアターて゛2012年3月10日(土) 5:15~ 5:50に再放送
新日本紀行「小さな花の歌~丹後・上世屋~」の中身。天の橋立がある丹後半島の上世屋では、フォークコンサートが行われており、「小さな花の歌」という曲が歌われている。
小さな花の歌を作った黒坂正文さんは、全国を回りながら故郷を歌っているフォーク歌手。小川良子さんらが通っていた旧宮津市立日置中学校世屋上分校が廃校になるのをきっかけにこの歌を作り、毎年廃校日にコンサートを開いている。また、廃校になった中学校の後は宮津市立世屋小学校世屋上分校が使っている。
上世屋はかつての炭焼きの里。その中で暮らしている小川さんは牛を育てながら農業を営み、コンサートの実行委員長も務めている。最初は上世屋の人達だけだったが、回を重ねる度に伊根町など丹後全体から若者が集うようになった。
丹後は丹後ちりめんが有名。また、加悦町(現在の与謝野町)にも上世屋のコンサートに出席する若者がおり、彼らは加悦鉄道に乗って高校に通っていた。コンサート出席者は旧中学校の寄宿舎に泊まったり、農家に泊めてもらったりする。
上世屋を紹介するのに欠かせないのが、江宮さんら村のお年寄りが織る藤布。非常に織るのに手間がかかるため、現在藤布の織り手は6人しかいない。
コンサートの会場は以前の中学校体育館で行われる。元加悦谷高校生と黒坂さんの合作である「ガタギシ鉄道」などが披露された。
村を去ることになった江宮さんは、コンサートを途中で抜けて村人へ挨拶に回った。体が丈夫になったらまた戻ってくると、江宮さんは別れ際に話していた。
コンサートの最後には、「小さな花の歌」が必ず歌われる。その曲をBGMにして上世屋の様子が放送された。コンサートが終わると、またそれぞれに新しい一年が始まる。
上世屋では一昨年に再びコンサートが行われ、小川良子さんがコンサートの実行委員として運営に関わった。黒坂さんもコンサートに訪れた。小川さんと安田さんの案内で現在の上世屋を簡単に取材した。中学校の分校跡は、藤織り伝承交流館となっている。また、空き家を合力家に改装するなど、地元の人々が助けあって暮らしている様子が伺えた。
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その「ちいさな花の歌」
小さな花の歌
黒坂正文 詩・曲坂
小さな花こそ 大切に育てよう
小さな花こそ 美しく咲くのだから
ああ 僕の育った村は 小さな村だけど
ツリガネソウが 谷間に咲く 美しい村だった
小さな夢こそ 毎日あたためよう
明日は 今日よりは あたたかくなるのだから
ああ 僕の育った村は 何もない村だけど
みんな 日焼けした顔で とり入れを待っていたんだ
大きな言葉が 小さな言葉を踏みつけて
小さな命を 奪って逃げてった
ああ 僕の育った村は 何もない村だけど
メダカ ヌマエビ ミズスマシが 幸せに生きていたんだ
小さな花のついた ハンカチを君にあげよう
小さな花がいっぱい ここに育つように
ああ 僕の育った村は 小さな村だけど
ツリガネソウが 谷間に咲く 美しい村だった
金さん、、どう思うえ?