宮津エコツアー · 3月 2018

3月 2018

花雪崩!

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日置のハクモクレンです。
モクレンと言えば木蓮、と思っていましたが、実はいろいろ。

エクスペディアでは、「モクレン(木蓮、木蘭、Magnolia quinquepeta もしくは Magnolia liliiflora、中国では紫玉兰と表記するが木兰、辛夷、木笔、望春、女郎花とも呼ばれる)昔は「木蘭(もくらん)」と呼ばれていたこともあるが、これは花がランに似ていることに由来する。今日では、ランよりもハスの花に似ているとして「木蓮(もくれん)」と呼ばれるようになった。」ということ。

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樹齢を耕運機を回す方に尋ねると、わしが子供のころから、この大きさだった、と。

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いつごろ、どなたが、という来歴もわからないほどのこの木、ひょっとすると、西暦1500年位にあったのかも。としたら、 ①日置は水土野など世屋野間への入り口の里。細川ガラシャも眺めた花だったかもしれません。

としたら、②日置平野の「望春」花は、ガラシャモクレン!

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今年の開花は早いそうです。

森本トンネル付近の早咲きサクラが満開で、自動車道利用で来丹されるゲストを迎えています。

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さて、サクラ語源として有力なのは3つということ、

「第1の説
古事記や日本書紀に登場する神話の美しい娘「木花開耶姫(このはなさくやびめ)」の「さくや」が「桜」に転化したものだという説です。「木花開耶姫」は霞に乗って富士山の上空へ飛び、そこから花の種を蒔いたと言われています。そして、富士山そのものをご神体とした富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)は、全国で千以上に及ぶ浅間神社の総本社で、木花開耶姫を祭神としています。
第2の説
さくらの「さ」は「サ神様」(主に田の神様)の意味で、「くら」は神様の居場所「御座」(みくら)を意味するという説です。田の神が桜の花びらに宿り、田に下りて稲作を守護するというのです。稲作りの始まりと桜の咲く時期が同じころなので、満開に咲く花の下で豊作を願ったのだと言われています。
第3の説
「咲く」に、「達」という意味の接尾語「ら」が加わったというものです。群れて咲く桜は古来より、咲く花の代表であったことをあらわしていると言われています。
※「桜」の語源www.yamashin-sangyo.co.jp/cherry_sub/sakura_2.html」

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ふむふむ、、、、。
櫻はまさにサクラを指します。

早春の花はみな「サクラ」のようにも受け取れる気がします。

「くろもじ」も。

IMG_1984くろ文字

あるいはまた、このフクジュソウも。

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無理筋かもしれませんけれど、山から降りていらした田の神様の依り代花という意味では、わたくし的には「ふくじゅそう」がさくらのような気がしています。

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せやの里は今この黄色いが満開、さながらフクジュソウサクラロード!いらっしゃいませんか、小さな里山バスに乗って。ご案内しますよ。

:25日の朝日新聞。

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行政関係者も思案投げ首というほどの少子高齢、地方の衰退ではあるけれど、「かみせや」で起きていることに、出口や手掛かりのヒントはあるのではないか、というように読みました。

「大学で出会う都会の友達にこの風景を紹介したい、将来どこに行くかわからないけど、春が来るたびにここにきます。」、、、、学びのお手伝いができて、ほんとにうれしいです。

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冬眠から覚めたシマヘビくんが、「感動したと伝えてくれ」といっておりました。

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人が作る里山に適応した生き物たちみんな、そうおもっているでしょう。

さて、この記事の基調は陶淵明の詩「歸去來兮」(かへりなん いざ)の思いと重なる部分があるように思いました。

田園將蕪胡不歸  田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる

既自以心爲形役  既に自ら心を以て形の役と爲す

奚惆悵而獨悲    奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ

悟已往之不諫    已往の諫めざるを悟り

知來者之可追    來者の追ふ可きを知る

實迷途其未遠    實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして

覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを

大意、、、さあ帰ろう、田園が荒れようとしている、いままで生活のために心を犠牲にしてきたが、もうくよくよと悲しんでいる場合ではない、今までは間違っていたのだ、これからは自分のために未来を生きよう、道に迷ってもそう遠くは離れていない、、、、

歸去來兮       歸去來兮(かへりなんいざ)
請息交以絶遊   交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
世與我以相遺   世 我と 以て相ひ遺(わす)れ
復駕言兮焉求   復た駕して 言(ここ)に焉(いづく)にか求めん
悅親戚之情話   親戚の情話を悅び,
樂琴書以消憂   琴書を樂しみ  以て憂ひを消す
農人告余以春及  農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
將有事於西疇   將に西疇に於いて 事有らんとす
或命巾車      或は巾車に命じ
或棹孤舟      或は孤舟に棹さす
既窈窕以尋壑   既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
亦崎嶇而經丘   亦た崎嶇として丘を經(ふ)
木欣欣以向榮   木は欣欣として 以て榮に向かひ
泉涓涓而始流   泉は涓涓として 始めて流る
羨萬物之得時   萬物の 時を得たるを羨み
感吾生之行休   吾が生の 行くゆく休するを感ず

―さあ帰ろう、世間との交際をやめよう、自分と世間とは相容れない、なんで再び官吏の生活に戻ることを考えようか。

―親戚のうわさ話を喜んで聞き、琴書を楽しんで屈託がない、農夫が春の来たことを告げ、西の畑で農作業を始めた、車に乗ったり、船を操ったりして、深々とした谷を訪ねたり、険しい丘に登ったりする、木々は生い茂り。泉はほとばしる、万物が時を得て栄える中、私は自分の人生が終わりに近づいていくのを
感ずるのだ。

四段目は、自然の恵みに対比して人の命のはかないことを、一種の無常観を以て述べる。陶淵明の人生観がよく現れている部分である。

已矣乎        已矣乎(やんぬるかな)
寓形宇内復幾時  形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
曷不委心任去留  曷ぞ心を委ねて去留を任せざる
胡爲遑遑欲何之  胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
富貴非吾願     富貴は吾が願ひに非ず
帝鄕不可期     帝鄕は期す可からず
懷良辰以孤往    良辰を懷ひて 以て孤り往き,
或植杖而耘子    或は杖を植(た)てて耘子す
登東皋以舒嘯    東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
臨淸流而賦詩    淸流に臨みて 詩を賦す
聊乘化以歸盡    聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
樂夫天命復奚疑  夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん

―致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、どこへ行こうというのだ、

―富貴は自分の望むところではない、かといって仙人になれるわけでもない、よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、

―また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか

田園まさにあれなんとす 帰りなんいざ ああなんぞかえらざる

、、、、、、、、、、、、

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現実のも壁はあります。けれども帰郷志向の潜在的な層はかなりあるのではないかと思っています。

そこに橋をどう架けてあげるか、道を付けてあげるか、そこが試案のしどころだぞ、さあどうする!とシマヘビも。

しかし、大胆に着想し、深く議論し、着実に実践する、それができるのも人間です。次の知事選びに、そこのところが反映されることを期待します。

左・黄河、右・清河!

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丹後半島は宿命をもった半島です。

木と森と堆積岩の隆起した柔らかい土と雨と雪と風と地震と、、その結果の崖崩れや地滑り、、、。

左、黄河の上流で崩れたのは、観音堂渓谷の地滑り崖。

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森のコウモリの住処だった石炭試掘洞窟やエンレイソウの生育地も崩れてしまいました。

けれども観音堂直撃や銚子の滝崩落をまぬかれたのは、お観音様のおちからです。

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いたわり、願い、気をつけ、、、そうしながら暮らし、作ってきた景観だからこそ、値打があり、愛おしくなるのでしょう。

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全力を挙げて普及工事がなされていますが、お観音さん参りにはしばらく不便をおかけしなければなりません。

 

咲かなくちゃならん

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寒くても、 お彼岸なんだから、、、

畑や田んぼの段取りの目安にしてもらっているのだから、、、

秋のリンドウまでの花々のリレー、春の第二走者

、、、初桜にはそんな初々しい健気さを感じます。

第三走者は、タムシバでしょうか、そうしているうちに百花繚乱の春。

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ところでこの桜、おそらく、「小彼岸」。

「コヒガンはエドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。 花期が早く、春の彼岸ごろには花が咲き始める。花は五枚一重で薄い紅色の花を咲かす。ただし、色はソメイヨシノよりも濃い。春の早くに咲くため、葉よりも先に花をつける。萼は細長いが、根元が少し膨れている。また、毛が多い。これらの特徴は母種の特徴を継いでいると考えられる。なお、萼はエドヒガンよりも細長い。 樹木としてはあまり大きく育たず、5m程度である。枝を沢山張り巡らせる性質がある。」(さくら図鑑roku-go.my.coocan.jp/hanamain/jumoku/sakura)

そのマメザクラも道端の林に。

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これは、キンキマメザクラ。 さて、サクラを漢字で書きなさい!と言われて、「偽客」と答える人がいらっしゃったらなかなか面白い人です。〇です。すごく美しいのにただで楽しめるし『パッと咲いてサッと散る』桜を、客の中に紛れ込み、歌舞伎や芝居の特定の場面を盛り上げ、いい雰囲気を作り出したりする役をする者に例えたのですって。

たたかひを

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知りたるゆゑに

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待つ未来

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たとへば若草の香のごとく来よ

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「たたかひを 知りたるゆゑに 待つ未来 たとへば若草の 香のごとく来よ」、宮柊二さんの歌です。

卒業し旅立つ先輩とのお別れ会を兼ねた「里山フィールド探究」に汗をかいてくれている様子を見ながら、

「たたかい」「未来」「待つ」「若草」「来い」、、こんなキーワードを持つ歌を贈りたくなりました。

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去年汗して葛や笹の根を取り除きよみがえらせた岡ノ前の棚田の土は、すっかり柔らかくなって耕運機を素直に受け入れてくれて、菜の花とチューリップと、そして卒業記念の桜を植えることができました。

~『春風が 日差しを運ぶ 今日の日に』H30,3,18 宮津高校フィールド探究部~

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学問には直観力が必要だ、それを養い培うのは山だ!と山極京都大学総長。人と自然について、学びの原点を里山に置いた部活動の理念とビジョンは正しいのです。ことしもさらに充実したプログラムが提供できるように頑張らないとと思いました。

 

 

 

韋駄天・いだてんさんなんだそうです。

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某禅寺の鴨居に祀られて、訪れる善男善女を見守ってらっしゃいました。

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ちなみに韋駄天さんとは「特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊ととも山門や本堂前によく祀られる。日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られる。また小児の病魔を除く神ともいわれる。密教の曼荼羅では護世二十天の一尊として西方位に配される。韋駄天が釈尊のために方々を駆け巡って食物を集めたとの俗信に由来して、「御馳走(ごちそう)」という言葉が出来た。」とウィクペディア。

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叱り励まししながら見守ってくださる存在が何かにつけ希薄になっている今日ですが、それだけに、尺にも満たない大きさではありますけれど、相撲のお関取衆、夏冬のオリンピックすべての種目のメダリストたちの肉体と精神とを煮詰めて一つの形に作り直したとしたら、こんなお姿になるのかなぁと圧倒されながら、ほれぼれして拝見しました。

さて、善男善女が聞き入ったのは梅木さんご夫妻のお話。

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視力も聴力も与えられないで生きていきなさい、だれが彼女にそんなことを強いたのでしょうか。

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「小さな村の暮らし方」それが神ならむごすぎる運命を与えられた女性と、人とはなにか生きるとは何かの根本を探り続けることを自らに課した男との暮らし、握り合う手の指で交わす二人の会話は、梅木さんの翻訳で、私たちに伝えられます。

研修ではないのでレポートは必要ないのだけれど、紡ぎだされるエピソード一つ一つがサンドペーパーみたいなものですから、何となく聞きながら、

生きるとは生かすこととみつけたり、、韋駄天さんも聞き入ってらっしゃるように見えたり、梅木さんが韋駄天さんに見えたり、二人の愛の世界の深さに目をつむり聞き入ったことです。

韋駄天さん、これからも、見守ってくださいよ、せやの里を!

 

 

 

 

1 櫟、どう読みますか 2橡、読みをこたえてください 3歴木、木の名前です。読めますか  4椢、三字で読み方を答えなさい、ヒント、クで始まります。5櫪、同じくヒント二字めはヌです。6椚、同前 ヒント三字目はギ。

つまり【櫟・橡・櫪・椚・椢】字は違いますが、読みはみんなクヌギ。

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おっさんふたりに抱きつかれた木こそその【櫟・橡・櫪・椚・椢】さんなんです。

リサーチしておきましょう。

日本国語大辞典 くぬぎ 【櫟・橡・櫪・椚・椢】
〔名〕
ブナ科の落葉高木。本州、四国、九州の山野に生え植林もされる。幹は高さ一五メートル、径六〇センチメートルにもなる。樹皮は深く縦に裂け、若枝には褐色毛を密布する。葉は柄があり互生し長さ八〜一五センチメートルの長楕円形で、縁は芒(のぎ)状に鋭く切れ込む。五月ごろ、新枝の葉腋(ようえき)に、小さな黄褐色の花穂を生じる。どんぐりと呼ばれる果実は、径二センチメートルぐらいの球形で黒褐色を帯び、椀形の大きな殻斗に包まれている。樹皮は染料に用いられ、種子は食用または糊料に、材は薪炭用および、シイタケの培養原木に使われる。漢名、櫟・橡。くにぎ。ふしまき。かたぎ。ふしくれぼく。つるばみ。学名はQuercus acutissima ▼くぬぎの花《季・夏》 ▼くぬぎの実《季・秋》
*日本書紀〔720〕仁徳五八年五月(前田本訓)「荒陵(あらはか)の松林(はら)の南に当りて忽に両(ふたつ)の歴木(クヌキ)生ひたり」
*琴歌譜〔9C前〕高橋振「道の辺の榛(はり)と久奴伎(クヌギ)としなめくも言ふなるかもよ榛と久奴支(クヌギ)と」
*新撰字鏡〔898〜901頃〕「櫪 閭激反馬 久比是又久奴木也」
*十巻本和名類聚抄〔934頃〕一〇「挙樹 本草云挙樹〈久奴岐〉日本紀私記云歴木」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「クヌギ 櫟」
語源説
(1)皮を煎じて染料とするところから、クヅニルキ(屑煎木)の義〔名語記〕。
(2)クリニギ(栗似木)の義〔日本語原学=林甕臣〕。
(3)クノキ(食之木)の転。クは飲食の概念を表示する原語で、クヌギは食用の実を結ぶ槲斗科植物の総称だった〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。
(4)クニキ(国木)の転。「景行紀」に、天皇が筑紫の道後で歴木(くぬぎ)と称する大木を御覧になり、その国を御木の国と名づけられたとある。クヌギ(歴木)の旧称がクニキ(国木)に変わり、更に音転した語〔東雅・名言通・大言海〕。
(5)古く、火に焚く木をクノギといった。それが特定の燃料用木に限られるようになり、クヌギといわれたらしい〔地名の研究=柳田国男〕。
(6)クは「栩」の音ku からで、字義は柞櫟。栩の木の義〔日本語原考=与謝野寛〕。

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径六〇センチメートルにもなったら、とんでもない木だといわれる。としたら、五十河小町公園のこの木なぞ、もう神様、そういう扱いですよ。

天皇さまが 新しい天皇さまが 丹後に来られたら、

「(4)クニキ(国木)の転。「景行紀」に、天皇が筑紫の道後で歴木(くぬぎ)と称する大木を御覧になり、その国を御木の国と名づけられたとある。クヌギ(歴木)の旧称がクニキ(国木)に変わり、更に音転した語〔東雅・名言通・大言海〕」
の故事 に倣って、たんごの「くにぎ」とおっしゃってくださるのではないでしょうか。

それにしても、クヌギの漢字表記は五つもある。しょくぶつはカタカナ表記、なんていうもんだから漢字をつかわない。自然ガイドなんかみるとこんなのもあるこんな貴重なしゅるいだとかまあ書いてある。みんなカタカナ表記。だけれども、それが自然への興味関心へといざなうかというとかえって自然からとおざけている、首絞めていることもあるのじゃないかとちょっと反省しました。

17日です。

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春って、冬を耐えていれば来る春もあります。

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命たちが命の営みを開始します

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けど、呼ばないと来ない春も、場合によっては力をば合わせて闘いとる春もあるんですね。

せやの里から春の風。

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いらっしゃいませんか!

 

 

 

老後はふるさとで、と帰郷されたご夫婦、

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いえいえ、

フィールド探究部の里山フィールド探究春一番。

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目的は二つ、

一つはジャガイモ植えの下見です。

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「目安はわたし、私が咲いたら植えなさい!」とスイセン。

二つめの目的は イタヤカエデから、本当にシロップになる樹液はとれるのかを確かめること。

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これは、本当でした。

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それにしても短時間でペットボトルを満たすほどの勢い、

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吸い上げている?葉っぱもないのに!これをどう理解し説明したらいいのか、ここからが勉強と研究です。

 

 

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