宮津エコツアー · 1月 2017

1月 2017

冬、日置から山間部へのぼっていくにつれて、雪の量と質が一気にかわるところがあります。

IMG_8947

地図では、標高300mの等高線で示されています。

IMG_9869

谷側に生育している桂が、この付近で気候が温帯から冷温帯に変わることを示していることを示しています。

IMG_8949

さて、この坂を土地では「ばっさか」と呼ばれています。坂はわかるのですが、「ば」はどういう意味なのだろうとおもっていましたら、調べてらっしゃる方がありました。
「村には、城を中心として名付けられた地名が多い。城・しろと言われるところは、上世屋城跡で、上野甚太夫の城跡である。室町幕府第15代将軍足利義昭に仕えていた上野中務大輔の子息で、足利家滅亡後、一色松丸に仕えて丹後にあった。馬場と呼ばれるところで、馬の稽古に励んだ。現在はいささかの跡形もなく、ただ、城、本丸の馬場、城のおて(横)、馬場坂(ばっさか)の地名として残り、畑あるいは宅地となっている。また、昔家老屋敷だったと言われる家がある。」このように、戦国時代の上世屋城に付属する馬場にまつわる地名、馬場坂ばばさかが、(ばっさか)になったものとされています。 上野甚太夫さんは戦国丹後国人名事典にでています。
ところで、上野甚太夫さんの親父さんが室町幕府第15代将軍足利義昭に仕えていた上野中務大輔さんだということになると、俄然おもしろいことになりますね。というのが、細川藤孝さん、この方が義昭さんを将軍に祀りあげたといわれているじゃないですか。細川軍の丹後侵攻にあたっては、一色派との総力戦になるのですが、その混戦の中で、縁を頼っていち早く細川派と手を結んだかも知れませんね。

IMG_9082

としたら、この「ばっさか」も本能寺の変ご、細川家から離縁され味土野へ幽閉蟄居されるさいに通ったコース説を裏付ける地名かも知れません。

 

□耳疑っちゃった
「環境省では、現在261万といると推定されるニホンジカの個体数を、この先10年間で半減させるという方針を打ち出しました。」
□私って 聖獣 じゃなかったかしら

IMG_9870
□人が、機械で米を作るようになったから、私たちの扱いがひどくおろそかになったんだよ。

ほら、Wikipedia氏もこういってるよ。
※『弥生時代以降、本州では本格的な稲作農耕の開始に伴なう害獣駆除や農閑期の狩猟活動があったとはいえ、食料資源の中でシカの比重は相対的に低下したと考えられる。その一方で、この頃から、シカを「霊獣」として扱う傾向が芽生えてきたとも見られている。縄文時代とは反対に、シカは、銅鐸のモチーフとして登場するようになるが、一方でイノシシは銅鐸のモチーフとしては登場しない。1年ごとに生え替わる角が1年のなかで同じようなスケジュールで生育する稲と関わりがある、と考えられていたのであろう。日本の神話や伝承では豊作を願い、水田にシカの死体や血を捧げるような儀式が描かれることがある。この点でシカとイノシシは同じ農作物や田畑を荒らす(シカは稲籾そのものを食べてしまい、イノシシは稲をなぎ倒す)害獣ではあるが、シカの方が日本人の大部分が「農耕民族化」していくなかで「霊獣」としての地位を獲得していった。』

・・・・・・・・・

とシカがもうしています。

IMG_9871しか

(上 日置海岸にて)

しかし我が家の庭木のアオキを食べに来られるにいたっては、「しか」たないかぁ、ともいっていられない思いです。

寒波がおさまって、はや紅梅!

IMG_9597

世屋でも久しぶりに青空
□花置いて 雪晴れ楽し 世屋の里       世屋野蕪村

IMG_9625
出歩く事もできるようになりました。
□雪融けて 電動車走る せやの道  世屋野蕪村

IMG_9777がらしゃ

さて、後ろの看板には、宮津から味土野への「ガラシャ古道」、が記入されています。細川たま子さんを幽閉蟄居させた味土野へ行くのには、A宮津→岩滝→五十河・小町道→吉津→味土野とB宮津→日置→世屋→味土野→二つコースがあります。たま子さん一行はどちらを通ったのか。地元で有力な説は、Bコース。理由は、旧支配者の一色勢と新侵攻一派の細川・明智・信長勢との当時の勢力図。攻めて来たものまだ丹後一円をおさえきれず、中、竹野、与謝はまだ一色の力が強く、細川がおさえたのは、加佐・与謝の橋北部分だった、そして、まさに日置・世屋・野間・味土野がそこだったこと。本能寺の変後、不穏な動きをみせる一色氏勢力地を通る訳にはいかなかっただろう、というのが理由です。

また、味土野が選ばれたのは、「「忠興君、御室家に向かって、御身の父光秀は主君の敵なれば、同室叶うべからず、とて、一色宗右衛門という浪士並びに小侍従と云う侍女とこの二人とを付けて丹波の内山中三戸野(一書に丹後の国上野)というところへ惟任家の茶屋在りしに送り遣られ候」と細川家正史綿考輯録。三戸野は明智家の知行地だったからといいます。そこへ置く、というのは、離縁して明智家に帰したと理屈がいえるからだったろうと。
そんなことから、世屋街道が「ガラシャ古道」

IMG_9414
そこで、ガラシャさんネタをひとつ!
婦人のたま子さんが出征中に目を盗むようにキリスト教に入信し、ガラシャと名をもらったことに対して、夫細川忠興は
「(怒りに声をふるわせ)余の言うとおりにいたすのじゃ。これ、ようきけ。そちの父光秀は、主君信長公にそむき、余を謀反させようとした非道にんじゃ。その娘が、このたびは関白殿の命にそむく。おそろしい(A)め。余の申すとおりに従えばよし。どうじゃ」
と怒ったとヘルマン・ホイブェルスさん。

おそろしい(A)め、とののしりに用いられたのは、里山に暮らすある生き物。では、その生き物とは1イノシシ 2 くちなわ 3 きつね 4 蛙  のうち、どれでしょうか。

答えは、2 くちなわつまりヘビ。

258_5886
庭師の仕草を無礼と見とがめた忠興がたまの目のまえで斬り殺したというできごとがあったとき、たまは顔色ひとつ変えなかったのにたいして「お前はヘビじゃ」といったところ、婦人が「鬼の女房にはヘビがふさわしい」とおっしゃったエピソードが元になっています。
その言い返すところがすごい、と若城希伊子さん(ガラシャに続く人々 1978年)。

258_5872
若城希伊子さん、 ガラシャとの出会いの旅をしてこの本をまとめられたのですが、
「かってわたしは冷たい石に囲まれた資料編纂所の閲覧室で、この言葉を見つけたとき、四百年が逆転して、たま子が女としての叫びをわたしに告げるのを聞いた。」というのが、このエピソードで、「忠興君汝は蛇なりと仰せられければ鬼の女房には蛇がなると御答えなされ候となり(綿考輯録)」と記されていた、というのです。そして「男が鬼で女が蛇だという。わたしはその時、自分の心の中にある蛇を感じた。四百年の歳月の壁が取り払われ、わたしはたま子という人と語り合いたいと希った。」と。

ヘビが、若城さんと戦国の花細川たま子と引き合わせたのです。

IMG_0579

それにしても旦那が、おまえは蛇じゃ!と叱りつければ、嫁が「あんたにそんなこといわれたくない、わたしが蛇ならあんたは鬼じゃ」とやり返したということ。

昭和14年に戯曲「細川ガラシャ夫人」を書いたヘルマンさんの表現によると《「悪魔に嫁いだ嫁がヘビに変わるのは不思議ではない」と鋭くやりかえした。》積年の不信、これがなければこんな言葉は出てこない、それを爆発させたことばでしょう。

細川忠興と明智たまとの関係、これは、どうも純愛ドラマ化されたイメージとは異なるもののようですね。

 

1月20日杉山林道スノーシューウォークで出会った冬芽たちです。

 

カナクギノキの花芽

カナクギノキの花芽(丸い)

 

ツノハシバミの雄花

ツノハシバミの雄花

 

ウリハダカエデの樹皮 面白い形にの模様

ウリハダカエデの樹皮
面白い形の模様

 

 

オオカメノキの冬芽、真中の丸いのが花芽横のウサギの耳みたいのが葉芽

オオカメノキの冬芽、真中の丸いのが花芽横のウサギの耳みたいのが葉芽

 

森のでき方・作り方、そして森の恵みの楽しみ方!その理解を深め実践力を磨こう、その観点から、とくに「くろもじ」に特化して、丹後広域振興局農林商工部森づくり推進室(林業振興担当)畑中英樹副室長さまにご指導アドバイスをいただきました> IMG_9246

皆伐後七年、栗 やまならし、 ヤマモミジ、やまぼうしなどが生えている木叢にスノーシューで入らせてもらいましたが、くろもじの生育状況、密度、他の樹種との関係など聞く説明がひとつひとつ納得できる物で、大変勉強になりました。 IMG_9240 そのなかで印象的だった話は、栗の幼木が元気にたくさん育っていたこと。冷温帯の中心に木のひとつで、桃栗三年というほど 成長が早く腐りにくく 縄文時代から 食糧としても用材としても大切な木だったが、その栗の森を消滅させたのが明治からの鉄道の枕木の需要。そのあおりを食ったのがクマ、、、。 IMG_9227

なるほどぉ!研修のお裾分けしますよ、スノーシューウオーク、いらっしゃいませんか。

IMG_9229

さて、これで12回満了。

IMG_9250

この間、「森」・里・海」のつながりの紡ぎ直しをテーマに取り組んできましたが上世屋だけでなく、木子、松尾、日置、与謝野町などから集まって頂けるようになってきたことを実感できるのはうれしいことです。

IMG_9287

次年度もさらに、地に着いた形で、取り組んでいきたいとおもっています。

年末年始は少雪で推移し、このままふらん場合には「雪請いせんならん」等と冗談をいうておりましたが、それなりに降ったのでまあ一件落着。

IMG_9122

「雪請い」はしなくてもすんだのです、けれどやらなきゃならんばあいにはどうやるか、

IMG_9023

形としては雨乞いに準じてと言うことになるんでしょうけれど、実はその準備はしておりません。

IMG_9067

さて、その雨乞いについて、宮本常一編著の旅の民俗と歴史8山の旅に紹介してありました。備中の人古河古松軒の九州旅をしたおりの紀行文『西遊雑記』からとして。
「水俣はかなりの町場で、古松軒が訪れたときは水涸れで数十ヶ村が申し合わせて雨乞いをするというときであった。海岸にいってみると、数百人もの人が集って、掛け作りの小屋に、女の形につくった一丈ほどもある藁人形に紙でつくった大振袖の着物を着せた物を祀り、社人の祭文のあと、太鼓をたたいて、大勢の人々が、『龍神竜王未神々へ申す、波風をしずめて聞きめされ、姫は神代の姫にて祭り、雨をたもれゝ雨が降らねば木草も枯れる、人だねも絶える、雨をたもれ、姫をましょゝ』と替わりあって雨が降るまで唱え、雨が降ったら、藁人形を海に流すのだということであった。」

IMG_6981たなだ

1783年7月に水俣に入ったときの事だそうです。

IMG_9077

ちなみに「200年ほど前までは、村々の娘たちを集めてくじを引かせ、それに当たった娘を人柱として龍神にささげたものだという」こと。
雪が無いとないでこまるだが!という願いを聞き届けてもらっての大雪なら、感謝かんしゃです。

大雪のまたの日①、

IMG_8889

大雪のまたの日②、

IMG_8907

大雪のまたの日③、

IMG_8914

自然の猛威のまえに現代生活は無力だなぁと思います。

IMG_8928

さて、この雪清少納言さんのころもふったわけで、日常生活を断ち切る雪に対する緊張感、これを彼女が取り上げないわけはありません。

、、、、、、、、、、、

雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。
(雪がそんなに高くはなくて、うっすらと降った様子などは、とても風情があるものだ。)

IMG_8898
また、雪のいと高う降り積りたる夕暮より、端近う、同じ心なる人、二、三人ばかり、火桶(ひおけ)を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、大かたの雪の光いと白う見えたるに、火箸(ひばし)して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひあはせたるこそ、をかしけれ。
( また、雪がとても高く降り積もった夕暮れから、部屋の端に近いところで、気の合う人、2~3人ほどで、火桶を中において雑談などしているうちに、暗くなったけれど、こちらには火もともさないのに、おおむね雪の光でとても白く明るく見えている、火箸で灰をいたずらに掻いて、しみじみとした話や面白い話を何でも話し合っていたのが、趣深い感じだった。 )

IMG_8881
宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓(くつ)の音近う聞ゆれば、怪しと、見出したるに、時々、かやうの折におぼえなく見ゆる人なりけり。「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事に障りて、その所に暮しつる」など言ふ。「今日来む」などやうの筋をぞ言ふらむかし。昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞ゆるまで、内にも外にも、この言ふ事は、飽かずぞおぼゆる。
(宵も過ぎたかと思う頃に、靴の音が近く聞こえるので、あやしいと思って外を見ると、時々、こうした晩に連絡もなくひょっこりと姿を見せる人であった。「今日の大雪を、どうしておられるかとご心配申し上げながら、何ということもない用事の障りがあって、どこそこで一日を過ごしていました。」などと言う。「今日来む」というあの歌の筋を踏まえた言葉であるらしい。昼間にあったことなどから始めて、色々な話をする。円座(ざぶとん)を差し出したけれど、一方の足を地面に下ろしたままで、鐘の音などが聞こえる頃まで、部屋の中でも外でも、こうして話し合っている事には、飽きるということがないように思われた。  )

IMG_8964
明暮のほどに帰るとて、「雪、何の山に満てり」と誦(ず)じたるは、いとをかしきものなり。女の限りしては、さも、え居明さざらまし(あかさざらまし)を、ただなるよりは、をかしう好きたる有様など言ひあはせたり。
(明け方になって帰りがけに、「雪、何とかいう山に満てり」と詩を吟詠したのは、とても風流なことである。女だけの集まりでは、そんなに、一晩中雑談で明かすことなどできないだろうが、男性が加わると、女性も風流で情趣のある様子などを語り合うようになるものだ。 )
※『枕草子』の現代語訳:101 – Es Discovery esdiscovery.jp/knowledge/japan5/makura101.html – キャッシュ

IMG_7818

たしかに、「176段」にある、と金さん。

使われていない上世屋の旧公民館についての新聞記事を紹介します。

H28.1.18付け 京都新聞

上世屋の旧公民館改修の動き

雪山と宮津湾展望

鍋塚を望む

鍋塚を望む

宮津湾

宮津湾

IMG_2144

砥石山

概要 スキー場大笠コースから航空管制塔へ登り、大笠山の展望所へ出ます。宮津湾や青葉山の大展望が待っています。条件がよければ霧氷が見られます。雪がない時は中止です。
雪山は景色が一変します、童心に返り動物の足跡を探して・・・経験者のみ片道約3キロ
スノーシューのレンタルは1000円です。
実施日 2月6日(月曜日)9時~午後3時頃
所要時間 約6時間程度
集合場所 午前9時集合 旧大江山スキー場駐車場
受入人数 10名(定員) 最少催行2人
参加料金 2000円(ガイド料、傷害保険、パンフレット等)
持ち物 弁当、飲み物、雨具、防寒具、サングラス、山歩きできる服装
お申込先 宮津市エコツーリズム推進協議会 上宮津杉山ガイド部会 久古直子 電話・fax 0772-22-4739

■集合場所 大きな地図で見る

 

おめでとう!と松尾の一本桜が申しております。

とも033桜

松尾の一本夜桜、かなり強い投光器を数台、投入されての撮影なんですか!

ところで、写真のタイトルは「世谷高原の一本桜」とあります。せやの漢字表記はいくつも見られます。

IMG_8799

狭谷とか世谷とか。

一般的には「世屋」。

IMG_8806

あえて「世谷」を選ばれたのは、理由があるのでしょうか。

さてその一本桜の今。

IMG_9303

今年の春は早く来そうです。

下の桜は、2012年4月23日、

IMG_5582

開花は四月の中旬になるかも知れません。

 

 

« Older entries