宮津エコツアー · 11月 2013

11月 2013

赤っぽい茶色は、クヌギの褐葉。青っぽいのは空、池の水波紋です。

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どうしたら水面にこの模様が作れるか?

ある水鳥が製作者です。

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立つ鳥跡を濁さずとは   「水鳥が飛び立ったあとの水辺は、濁ることなく清く澄んだままであることから」というのが 故事ことわざ辞典の説明。

マガモなどは一気に飛び上がりますからこの説明通りです。しかし、 カイツブリ!

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水面を走ります。この飛び上がり方は特徴的です、ひょっとして濁るかも。

 

お!

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お召し物にも虹!

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部屋にも虹、、、

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正体は、、、これ!

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レインボーメーカー、サンキャッチャーとも呼ばれます。

さてここは、、、、。

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オーナーのKUKI女史は着物の達人。ご自身のアンティークな世界を基本にしながら手作りのぬくみを大切にした交流の場を作りたいと改装されました。作品の持ち寄り展示即売会など0K。

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お茶飲んでおしゃべりして、ぽろっとこぼす悩みもみんな虹、そっと包んでくれてちょーっと楽しいちいさなわくわくのあるサロン  「和生活・はおり」さん。与謝野町岩滝にできた一押しの立ち寄りどころです ℡0772-46-2609

「夜来風雨の声 雪積もること知る多少!」

訳します、昨夜から雨風の音がしていました。寒波と積雪の予報が出ているが世屋の山では積もっていることだろうなあ。スノータイヤに変えていないので不安だなあ(^.^)

その上世屋の朝。

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チェーンをかけて待機している日置の除雪車も、出動する必要はありませんでした。

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世屋高原休憩所でも雪囲い。

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さて、今年の積雪はどうなるのでしょうか。

丹後で有名なのはタルイカ予報。豊漁の年は大雪、ということです。もう一つ、生物による気象予報、グランドの紅葉の苗木にカマキリが卵を産み付けていました。小柄な女性の胸の高さ付近です。

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東北ではカマキリは降雪量を予想する力がある神の虫であると伝えられていたそうです。いわく、雪を予想して卵を産み付ける高さを決めている! それはほんとうかと調べてそれは事実だと結論にいたったと主張し、学位論文にされた方がいらっしゃいました。酒井 与喜夫氏がそのひと。 「カマキリの卵は雪の重さに耐えられず、窒息状態となって孵化が極めて難しくなる」。そしてその研究を審査した皆さんも『昔からの言い伝えである、「カマキリが高いところに産卵すると大雪」を科学的に立証した』博士号に値する研究と評価し博士号を授与されたのです。   与えられた博士号が「工学博士」(^.^)

この 「カマキリの雪予想」によると、今年の上世屋の積雪は、130~140cm。

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ところがこの「カマキリの雪予想」は「仰天科学、ニセ科学、とんでもないデタラメで間違い」と否定されるのは、昆虫学の安藤喜一弘前大学名誉教授。        「カマキリの卵は雪の重さに耐えられず、窒息状態となって孵化が極めて難しくなる」からカマキリが積雪量を予想する必要がある」とする酒井さんの説に対して、安藤先生は、「弘前市内で約4ヶ月間雪に埋もれていたカマキリの卵嚢47個を採集して、約9,000個の卵の孵化率を調べたところ、約98%の卵が孵化した事から、カマキリの卵が雪に対する耐性を持っている事が明らかになったそうです。また、野外で卵嚢が産み付けられている位置は植物の種類によってまちまちで、しかも、大半が雪に埋もれて越冬している、更に、数ヶ月間カマキリの卵を水に浸しておいても孵化率に影響がない事も確認された」このことをもって、 「カマキリの雪予想」は「ニセ科学」と結論つけて、2008年に学会で報告されているということです。 これはjt生命誌研究館[昆虫と植物の共進化ラボ 尾崎克久]のお話。

カマキリ予報信者さんという方がたくさんいらっしゃって、その説でもりあがっているブログを拝見します。「上越タウンジャーナル」www.joetsutj.com/archives/51693231.html がおもしろいですよ。

内山は一番雪、

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三番雪が根雪になるということです。

「京都府内と滋賀県内は29日朝、この秋一番の冷え込みとなり、京都地方気象台は京都市内で初氷と初霜を観測した。」と京都新聞。

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上世屋でもこの冷え込みで初氷。

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生きている化石[サンショウモの浮く水槽も氷結。

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サンショウモの氷花!ができました。

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大宮町明田竹野川付近でも、初霜。

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堂々と霜枯れてゐる野草かな 丸山敏幸 朝 200403

ヨモギに霜。

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ぎしぎしに霜。

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気が付けば一人離れて霜の道  手嶋節子 沖 200402

阿蘇海は渡り鳥の飛来地。冬に向かって色々な鳥が見れます。

渡り鳥  マガモ  仲良く休息

DSCN6220いつもペアで

DSCN6211飛び込む直前 ここでも一緒

DSCN6218留鳥のウ  満腹後の羽の乾燥か

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DSCN6217留鳥 アオサギ  採餌活動は昼間 体調管理は怠りなく

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DSCN6189休息時も眼光鋭く待ち伏せ態勢

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藤織り藤こき場の形が見えてきました。隙間なく実に美しく積み上げられていきます。

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この石組みができるのは丹後でも3,4人だと。作業にあたっていらっしゃった方が。

「上世屋3河川の河川改修工事もわしが若い頃手がけたものだ」とさらにおっしゃいました。

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5年かかった工事だったということ。川底からは巨木化石※が出てきたこと。

※参考までに桂化木 大宮富士石材さん

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使用した石は、由良奈具海岸の石切場で切り出されたものということなど話してくださいました。

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この緩やかに曲がった美しい組み方のできる職人はいない、と聞いています。50年も前にここをやられた方が再び改修にあたってくださっているわけです、、、いい話をききました。

日置に、除雪車が配置されました。

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さて、昨日から年末年始頃なみの寒波が南下しているとか。。上世屋でも、ふわふわと雪虫が舞いました。

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空気は音がするかと思うほど澄んで、美しい初雪でした

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けれども福岡や松山、徳島からは積雪の映像。豪雪地であるはずなのにと複雑な思いでしたよ(^.^)

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この違和感、一番感じているのはナデシコかもしれません!

オナモミの実。

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いきなりですが、細川幽斎さんの軍師はこのオナモミ!  稲垣栄洋さんの話※を読んで思いましたよ。

というのは、本能寺の変!光秀の娘、息子の嫁、玉をどう処遇するか 光秀が勝てば玉は宝もの 秀吉が勝てば逆賊の娘、この上ない厄介者。 しかし、光秀が勝つか秀吉が勝つか状況は見通せない、どちらにかけてももリスクがある どうするか!彼の考えは、「どちらにも」対応する策をこうじること。そうして選択したのが味土野に置くという案!これなら状況がどちらに転んでも説明することができる訳です!

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さて、一方のオナモミ、このいがいがの生えた殻、意外と堅いのですが、その中に種が二つ、 同じ大きさではない大小の種だということともう一つ発芽時期がそれぞれ違うという秘密があるのです。大きい種は春になったらともかく芽を出すようにインプットされています。小さい種は、もっと遅くなってから芽を出します。 春になったといっても寒い日が続く年もあります。そうなると種の存亡に関わる事態が起きます。オナモミは、発芽時期を早い物と遅い物とを一つの殻の中の二つの種で分けておけばどうでしょう!逆境にははふたまた戦略で。厳しい自然を生き延びるのには、金か汗か知恵を出さねばなりません。植物には知恵しか出す物がないのです(^.^)。

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細川幽斎さんというのは当代きっての学者知識人、その学識のフォローするところ植物学に及んでいたと考えると、彼は生き方を「オナモミ」から学んだかも、と想像した次第です。

※『身近な雑草のゆかいな生き方』

イチョウが色づきました。

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その落ち葉に囲まれて熊のウンチ。

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柿を食べています。

一方、休憩所裏のはギンナンと、、、

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えーっとこの種は、、、ブナの実?

干し柿、乾しシイタケ、そのむこうに、、、。

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乾しイモ。

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(↑ 11/26 大宮町森本)

ところで、この乾しイモ、「軽量で食べやすくカロリーも充分、厳冬下でも凍らず安価且つ国産資源」ということで、野戦糧食として目をつけたのが日本の軍隊。その初めが、日露戦争(1904~05年)。この闘いで兵隊さんには乾しイモが配られ、乾しイモは「軍人イモ」と呼ばれていたといいます。  例えば旅順要塞攻略戦は、1904年7月31日から翌年 1月1日まで、155日間。この間、兵隊さんたちの腹を満たしたのはこの乾しイモだったのです。 また、この旅順要塞攻略戦に動員された日本第三軍の将兵は延べ約13万人、うち戦死15400、戦傷44008、 合計約6万に及ぶ犠牲を出しました。 雨霰と打ち込まれる弾幕の中に突撃をくり返さなければこれだけの被害は出ません。このような戦闘ぶりを、司馬遼太郎さんは「旅順攻撃における乃木軍の作戦首脳者が、第一軍以下に比べて恐るべき無能を発揮した(中略)高級軍人の場合は有能であることが絶対の条件であるべきであった。彼等はその作戦能力において国家と民族の安危を背負って おり、現実の戦闘に於いては無能であるがためにその麾下の兵士達を凄まじい惨禍へ追い込むことになるのである」 (『坂の上の雲』)と厳しく批判されているということ。

ちなみに上世屋一村からも、光野市蔵さん、光野三吉さん、光野熊蔵さん、小川石蔵さんの四人が出征されています。(「高原の碧霄」)

蒸してから干すという製法で生産が商業的に始まったのはその後、1908年明治41年からといいます。サツマイモの産地として適した土壌、冬の乾燥した気候という条件から茨城県の地場産業として発展しました。

なくなった父親もサツマイモが好物でした。イモ穴を掘ったり乾しイモにしたり、保存の工夫もたいへんしていました。戦友会には,必ずサツマイモを携えて参加するひとでした、、、。

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