宮津エコツアー · 2月 2020

2月 2020

銅板画技法による天橋立絵図です。従成相山眺望天橋立之図、

mai30_25[1].jpg岡田地図

岡田春燈斎の手によるものです。 岡田春灯斎さんについては、「幕末の銅版画家。 京都の人。松本儀平に銅版画をまなぶ。弘化4年(1847)以後,諸国名所図や歴史絵などをおおく制作し,水月堂という屋号の店をひらいて販売した。」と紹介されています。

つまり、この図絵の世界は、幕末の天橋立周辺を反映しているのです。

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpg宮津

由良ヶ岳は丹後富士、宮津の城は舞鶴城、橋立明神の鳥居は西向き!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgなりあいじ

世屋山は「施谷山」!

mai30_25[1].jpg岡田地図.jpgいちのみや

真名井神社は、「真名井与佐宮」で、東向きに江尻の海から参道が通じていた!

水墨画でもなく浮世絵でもまして写真で無い、モノトーンの色調と描線の細かさが特徴です。

銅版画は版画の一種です。木版画は凸部の色、銅板画は凹部のインクが紙に写ります。

これが、木版画。

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広重二代 諸国六十八景 三十七丹後あまのはしだて、

文久2年(1862)のものです。

銅板画は、浮世絵に比べるとはどことなく異国情緒を感じさせるということで人気が出たということです。春燈斎さんは、「日本三景」も一枚に刷り込んでいます。正式名は、「日本三勝景」

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現在の「日本三景」の由来は、林春斎の『日本国事跡考』のなかで「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳、與丹後天橋立、安藝嚴島爲三處奇觀」(松島、この島の外に小島若干あり、ほとんど盆池月波の景の如し、境致の佳なる、丹後天橋立・安芸厳島と三処の奇観となす)という記述だと言います。この著、寛永20年(1643年)の発行です。

そうですかぁ、日本を代表する勝景はいずれでしょうかのう、という茶飲み仲間の話題に、「松島、橋立、厳島、この三つでござろう」と言ったのが日本三勝景、つまり日本三景になったと言うことですが、相当な発言力のある方だったようです。チェックすると、東京大学総長みたいな立場のかただったようです。

「京都出身。那波活所(なわかっしょ)に師事し、その後父羅山同様江戸に赴き江戸幕府に仕えた。父羅山の死去後の明暦3年(1657年)林家を継ぎ、幕政に参与した。寛文3年(1663年)、4代将軍徳川家綱に五経を講義して弘文院学士号を与えられ、訴訟関係・幕府外交の機密にあずかった。日本史に通じ、父羅山とともに『日本王代一覧』、『本朝通鑑』(『本朝編年録』)、『寛永諸家系図伝』など、幕府の初期における編纂事業を主導し、近世の歴史学に大きな影響を与えた。鵞峰が整えた林家学塾の組織は、その後の昌平坂学問所の基礎となった。

多方面な関心をいだいて博学広才ぶりを発揮した父羅山にくらべ、鵞峯は、『本朝通鑑』や『日本王代一覧』などにおいて「日本」の国柄がどのようなものであったかを追究し、幕府政治の正統性や妥当性がどうあればいいかについて、その支配イデオロギー形成の端緒を開いたとも評される」

これにだめ押ししてくださったのが、貝原益軒さん。府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、「此坂中より天橋立、切戸の文殊、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宣[うべ]也…」(紀行記『己巳紀行[きしきこう]』)。

こういう人だったようです

「1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。」つまり、1657年から7年間、1664年まで、京都へ留学し、本草学朱子学を学んだ、その間に、丹後を訪れたと見ていいのでしょう。

この景観、「其景言語ヲ絶ス」と、言葉の達人益軒先生がおっしゃるぐらいですので、そこは私たちの出番と多くの絵の腕自慢が傑作を残しています。

雪舟さんの絵図、

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広重さん

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これは国宝、日本の国宝です

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さて、これ、

mai30_25[1].jpg岡田地図

さて、橋立画をこうやって並べてみますと、おかしいことに気がつきます。画になりやすい構図は成相から宮津方向なのに、雪舟絵図だけは特異なのです。

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雪舟がこれを描いた1501(文亀元)年ころといいますと、1493年に明応の政変が起き、下克上の戦国時代の幕が開いた時期になります。写真が軍事機密とされたように、水墨画とはいえ今のドローンで空撮したような写実性に富んだ絵は、相当怪しいものであったはず。絵図に雪舟の落款、押印が無いというのも、丹後の守護一色氏の布陣の偵察ということがカモフラージュされていたのかもしれません。

ちなみに、この等身のお地蔵さん、

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雪舟図の智恩寺部分に描かれている物です。

寄進したのは大宮町三重に居城を構えた一色氏の重鎮大江越中守。代々その名を名乗ってらして、その最期の代の大江越中守は、光秀、藤孝連合軍との弓の木城決戦で討ち死にしたと言います。

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絵は正直です。

今日も天の橋立を写す人。台湾からですって。感想を尋ねたら

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「境致の佳なる 其景言語ヲ絶ス」ですって。

春斎さんと益軒さんだったのかもしれません。

 

 

『何故?? 私たちは世界遺産を目指すのか』と岡田保良先生は問いを立て、三つその理由をあげてくださいました。

IMG_9883.jpg世界遺産

ここでいう「私たち」とは、狭い意味では、世界各国の有識者や研究者や保全活動家、ということなんでしょう。

そうなんです、何故??その理由・目的を、地域市民レベルで共有することが不十分では戦えません。

そこから始めてくださいねということなんだろうと思います。

確かに、はて!と首をかしげるところがあります。三点挙げられました。

一つ「地域にとって、自分たちの歴史と遺産にあらためて目を向け、未来へ向かう高い意識を育てること」

一つ 「国土に刻み残された日本文化の豊かさを世界に発信すること」

そして 「世界の多様な文化に目を向け、平和な世界への礎としての国際感覚を醸成すること」

いずれもたいへん格調高く、大賛成。

ただ、自分たちの歴史、だとか、未来へ向かう意識、だとか言うことになると、そのイメージは人それぞれ千差万別ですから、、慎重な合意形成にこころがけなければならないところですが、運動の趣旨はすっきりと、説明頂いたとおもいました。

さて、自然歴史豊かな私たちの丹後の代表選手として、あまのはしだてをそのまな板に載せる

その見どころは、次のようにまとめられているといいます。

IMG_9910.jpg橋立美

その範囲1、IMG_9914.jpg範囲

範囲 2

IMG_9912.jpg範囲

国内的な評価

IMG_9910.jpg評価

このエリアの美しさ!これは間違いないところ。なにかにつけおせわになってきた関わりを持ってきたのです。

ただ、このあまのはしだてさん、だからといって自動登録されるのではない。

IMG_9910.jpg証明

確実な証明を世界を相手にすること、、というところで、奮闘奮戦努力してくださっているわけです。

世界史的国際的観点からというのは、専門家に頼まなければなりません。

が、私たちにも何か出来ることがあるかもしれません。

たとえば、、、、「芸術に仮託された風景美」とはなんぞや!あるいは、いうところの「紺碧の内海、白砂青松、海洋景観」と「歴史的宗教遺産群との融合」とはどんなこと?

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夜明けの成相寺です。

千万言を弄しても一枚の写真には及ばない!といいます。

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雪晴れの成相寺です

、、、、現場に立ちものだから見える物がある、そんなことで、天橋立とその周辺の構成物、海洋景観などの写真でご案内させてもらおうと思います

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♪人は誰もただ一人 旅に出て

人は誰も故郷を 振り返る

ちょっぴり淋しくて 振り返っても

そこにはただ風が吹いてるだけ

人は誰も人生に つまづいて

人は誰も夢やぶれ 振り返る

何かを求めて 振り返っても

そこには ただ 風が吹いているだけ

振り返らず ただ一人 一歩ずつ

振り返らず 泣かないで 歩くんだ

何かを求めて 振り返っても

そこには ただ 風が吹いているだけ

吹いているだけ 吹いているだけ

北山修 詩  シューベルト 歌 「風」

、、、、、、、、、、、、、、

題して、ブログ写真展 「風の吹くあまのはしだてと仲間たち」

【成相寺側からの橋立展望】

①笠松展望台から

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この標高約250m。

その股覗き。

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ちなみに、その股覗きをするとこう見えます。

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②成相寺境内の森からの橋立

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この標高約320m

この森にタブの巨樹があります。その周径665cm。

IMG_1037.jpgな

丹後のブナとしては、もっとも高いところに生育する

樹です。

③ 成相寺上大観望からの橋立景観

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この標高約450m

この駐車場に車を置いて、さらに歩いてみましょう。

IMG_9197.jpg安全

ここの標高約500m。

伊根から冠島の向こうの越前海岸まで若狭湾のリアス式海岸の海洋景観を見ることができます。

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「念ずれば花開く」この言葉に励まされた人、その数しれず!

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念ずれば花開く、は四国は砥部の宗教詩人坂村真民さんの詩の一節です。

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大宮町三坂のセンとラーレ前の公園にも、その碑があります。全国388番目の物といいます。

タンポポの穂のように、飛んでいき、根を下ろしています。

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この詩と故野村監督にまつわるエピソードを追悼番組で紹介していました。

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お相手は、gg佐藤元選手。

「①最近よく実家に行くんだけど、この前行った時に自分の部屋を片付けてたら、大切な物を発見!!! 中学3年生の時に、当時ヤクルトスワローズ監督だった、野村克也監督、直筆で頂いた物! 念ずれば、花ひらく!この言葉は、苦しい時や、諦めかけた時に、必ず頭に浮かんでもう少し頑張ろって!思えた、大好きな言葉。 野村監督が良く言ってた、、、人は、夢や目標は、想い続ければ、必ず実現する。 叶わなかった人は、どこかで諦めてしまった人。念ずれば、花ひらく!!! G.G.佐藤 (2013年5月20日 16:22) http://www.ggsato.com/2013/05/001640.html 野村克也」

(2014年7月16日 in 世屋・高山ガイド部会 by yasuda にアップ)

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監督自身の言葉、「運・根・鈍」も大きな影響を与えています。

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♪ほうちょういっぽん さらしにまいて たびにでるのも いたばのしゅぎょう♪

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偉大な功績にあらためて敬意を表すると共にご冥福をお祈りします。

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さて、坂村真民さんにはこんな詩もあります。

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(↑ 峰山町ごか大呂神社のむくろじ)

『一本の道を』

木や草と人間と
どこがちがうだろうか
みんな同じなのだ
いっしょうけんめいに
生きようとしているのをみると
ときがくれば彼等が
人間より偉らいとさえ思われる

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(↑ 弥栄町野間)
彼らはときがくれば
花を咲かせ
実をみのらせ
じぶんを完成させる
それにくらべて人間は
何一つしないで終わるものもいる

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(↑ 日置 金剛心院)
木に学べ
草に習えと
わたしはじぶんに言いきかせ
今日も一本の道を歩いて行く

、、、、、、、、、、、、、、、、、

一本の道を、虎杖の枯れ茎を杖に

「運・根・鈍」「運・根・鈍」「運・根・鈍」と唱えながら、

愚直な歩みを続けること、そういうことですな、監督!!
 

 

あ、そういうことね、223、、、ふ2じ2さん3!

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奇しくも令和天皇さんの誕生記念日と重なる日、おそれおおくてとてもそんなことはできる日ではないところですが、富士山の日がさきだったようです。そんなわけで世屋風に言えば、「がっしゃあ重宝なことだあやぁ」というところです。

そこで、インタビュータイム、インタビューアーは世屋野てるみさん。

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◆いつ、誰が、なにをはだてる(※丹後方言 企画する 企てる)のに決めなったったでぃゃあな?

「平成10年11月に、山梨県は、富士山の豊かな自然や美しい景観について、その保護と適正な利用により後世に引き継ぐため、静岡県とともに富士山憲章を制定し、その普及定着を図る運動を推進してきました。富士山の自然、景観及び歴史・文化を後世に引き継ぐための運動をなお一層推進するとともに、富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、静岡県、認定NPO法人富士山を世界遺産にする国民会議等と連携し、国民運動を盛り上げるため、山梨県富士山の日条例を制定することとしました。」

富士山の世界文化遺産登録の実現に向けて、国民運動を盛り上げるため、なるほどぉ!

平成10年え?もう20年もまえのことですわなぁ。

そういう運動が実って、

「2013年平成25年6月、富士山が世界文化遺産に登録されました。」

◆15年もかかんなっただな、そりゃあよかった、で、どういうところを認めてくんなったですいなぁ?

「富士山の世界遺産登録は、富士山という自然の営みに宗教性、芸術性を見出してきた日本人の自然観や文化観が国際的に認められたからであり画期的なことでした。古の人々にとって、高くて美しい富士山は、噴火や溶岩流出を繰り返す恐ろしくも神秘的な山でした。
古来、日本人は噴火を繰り返す富士山を神が宿る山として畏れ、 『遙拝』 の対象として敬いました。噴火活動が沈静化する平安時代後期以降、富士山は 『修験道』 の道場として、次第に 『登拝』 する山へと変化していきます。
また、富士山は、その雄大で美しい姿から芸術面でも多くの人々にインスピレーションを与えてきました。人と自然が信仰や芸術を通して共生する姿は、富士山が持つ大きな特徴の一つです。

『信仰の対象であり、芸術創作の源泉である』。

この見えない価値こそが、富士山を世界文化遺産に導いたのです」

◆この富士山に続け、世界遺産登録を天橋立も目ざしトンなるいうことをききましたけど、その話はどうなっとるでひょうきゃあなあ?

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その「223富士山の日」に、天橋立世界遺産講演会で、日本を代表して登録推進事業に当たってらっしゃる二人の先生が、「あまのはしだて」がを巡る状況と課題を話してくださいました。

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そのうちの一人、、「天橋立世界遺産登録推進会議専門委員会委員」の岡田保良先生のお話は、より率直でした。

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評価は、悪くない

しかし、門は狭く、敷居は高くなっている、

「世界史的・国際的な観点から、本資産がouvを持つ可能性について確実に証明することが必要である」つまり、世界が納得する情報を示し突破力のある理論を組み立てること

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◆なんですいな、そのお湯無井というのは?

おーゆーぶい というのは、「OUV。「Outstanding Universal Value」の略で、「顕著な普遍的価値」と訳される。その意味は、「国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した文化的意義・自然的な価値」

◆、国家間の境界を超越し、人類全体にとって現代及び将来世代に共通した重要性をもつような、傑出した、、、ちゅうですだかどりゃあことだにゃあですかぇ!それにしても、ようしょうちしとらんだけど、どうでそんなどえりゃあもんに名乗りをあけようおもいなっただえ?

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◆「地域の人的・経済的負担は経済効果を超えるかもしれない。地域社会にはそれだけの覚悟が求められる。」というのは、どういうことですいなぁ、わたしらも覚悟せんなんですかえ!

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たしかにそうです、

「橋立だけなんて無理があるわ!」

「こりゃもう丹後全部でやらなアカンのじゃないですか!」

そういう反応も寄せられています。

こういう声をどううけとめ、どう答えていくか、も課題でしょう。

その点についての参考になるかもしれません。

見事登録を果たされた静岡県の川勝知事さん、

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「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」とおっしゃっています。

究める、守る、伝える、交わる、また、深く、永く、楽しく、広く、この4点セット、確かにポイントです。

img171.jpgふじさん

その言い方を借りれば、

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

ということになるんでしょう。

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少子高齢化の進む丹後のみならず京都振興に大きな力となることですし、実際に丹後観光の窓口としての観光資産の蓄積はだれしもみとめるところ。

が、、どうも人ごとになる。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

たのしくつたえるったって、ヘビはおるかぁ カエルはおるかぁとなります。

1-0 えこ

なんだかどうとりつけばいいのか、、、です。

メーンタイトルは、天橋立を世界遺産に!これはいぞんはない、しかし、サブタイトルがほしいところなんです。

富士山は「日本は、もっといい国だ 富士山再生キャンペーン」を掲げてらっしゃる。

これってすごいですね。

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(↑ 日本エコツーリズム憲章)

フィールド探究の実感から言えば、ここは、

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」にして、

●丹後は、もっといい国だ

●丹後再生キャンペーン

「里山の日」「かいがん漂着ゴミの日」など『丹後の日』をたくさん設け、合力しあう、特に「天橋立の日」は月一回、内容は自由に創造する、そしてそれを持ち寄れば、

楽しく伝えられる、広く交われる!

はしだてがんばれの機運も盛り上がるようにおもいますけど、どうなんでしょうか。

「天橋立を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「富士山を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」

「丹後を深く究める、永く守る、楽しく伝える、広く交わる」、

 と並べて、それをお題にしてストーンぶれーみんぐ ってんですか、そんなことをしてみるのも方法かもしれません。

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その司会は、この方でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

庭に野に春到来を告げ、気分をそわそわさせる紅梅。

紅梅を見てみちのくの旅を恋ふ              稲畑汀子

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紅梅や庭に富士見の丘築き                  宮津昭彦

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紅梅を覚えてますかあのときの              中原幸子

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(↑ 大宮町 奥大野付近)

「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

「紅に色をばかへて梅の花香ぞことごとににほはざりける〈凡河内躬恒〉」

紅梅や見ぬ恋作る玉すだれ    松尾芭蕉

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紅梅に干しておくなり洗ひ猫   小林一茶

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞    蕪村

IMG_0600.jpgこうばい

(↑ 伊根町寺領 )

紅梅の雑学

1 別名

好文木(こうぶんぼく)、春告草(はるつげぐさ)、木の花(このはな)、初名草(はつなぐさ)、香散見草(かざみぐさ)、風待草(かぜまちぐさ)、匂草(においぐさ)などがある

2 教訓

① 「桃栗三年、柿八年、柚(ゆず)の馬鹿野郎十八年、梅はすいすい十六年」種を植えてから実を収穫できるまでの期間を指す俚謡。本来は「桃栗三年柿八年」で一つの諺。「物事は簡単にうまくいくものではなく、一人前になるには地道な努力と忍耐が必要だ」という教訓である。

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(↑ 株立ち3本 周径529cm 環境省巨樹リスト 紅梅の部 二位))

②「梅の木学問」『広辞苑』では「梅の木が成長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終わること」である。反対は「楠学問」で「クスノキが成長は遅いが大木になるように、進み方はゆっくりであるが学問を大成させること」。

 

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紅梅や六分の侠気失わず                    苑田ひろまさ

朗報!です。

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さて、山陰海岸ジオパークとは。

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例えば、1 筆石から犬ヶ岬

イヌガ崎

2 高島海岸から犬ヶ岬

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3 ロウソク岩

イシノタワー

4 犬ヶ島を丹後松島付近から

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5 犬ヶ岬側から高野、間人方面

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観光創造は、価値創造に他ならない!

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確信をもった地道なアピールが実を結んだという意味では快挙、

アキ

(↑ 袖志の秋)

味の濃い里山と大きなスケールの日本海景観の組み合わせの絶妙感は、多くのおきゃくさんを魅了さすることでしょう!

 

 

 

読売・たんごニュースが、2月号にとりあげてくださいました。

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その、上世屋の雪なし2月、

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雪を求めて丹がきの子どもたち、

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予定としては冬の岳山「スノーシューウオーク」でしたので愛想がないことでしたけれど、、

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無い物ねだりしてもしようがない、屋根ずりのたまり雪に着目

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これを生かそう、みんなで運べば、

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ソリ滑り場ができる

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約20mのマイゲレンデができあがり、

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レッツゴー!

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ささやかながら、みんなで楽しむ雪祭りを作り上げたのは、さすがに「たんがき」たち。

 

 

 

フクジュソウ

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春の彼岸花なのに、一月も早い開花です。

ネコヤナギ

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菜の花

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早春の三点セット!が出揃いました。

加えて、スイセンも、、、、。

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なら、ヤマアカガエルの産卵は?、、、

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しかし、水面には冬枯れの柿の木が映るのみ

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もう少し寝ていたいようです。

 

 

 

何を考えているのかね 君は?

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1月になるかならんかのころには咲き始めて、雪ぼうしをかぶってもへいちゃらだし、

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①花に匂いは無いし、②色は真っ赤だし、赤いもの     ③花びらは、高いところから落ちても壊れないほど丈夫だし、、

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それに、甘い蜜をたっぷりだしているのに、「ツバキ蜜」が市販されてはいない!

考えて見ると複雑な花です。

なんじゃ、これは? とおもっていたら、お答えしましょう、と次のように講義してくださいました。。

、、、、、、、、、、、、、、、、、

1 開花期の謎

花のルーツは南方にあり、9月頃から入る休眠の眠りがとても浅いのです。なぜかといえば、南国の気候は、日本などのように四季がはっきりしていません。そのため冬が来たといっても気温がほんの少し下がるだけなので、桜などのように深く眠ってしまうと、その微妙な変化に気付かないのです。つまり眠りが浅く、気温のちょっとした変化に敏感なツバキは、1~2月頃に少しでも暖かい日があると、眠りから醒めて花を咲かせてしまうというわけなのです。

2 花の色、花びらの堅さ、ツバキ蜜が集められないなどの謎

ツバキはトリが受粉させる鳥媒花です。そしてツバキはトリのために様々な工夫をしていました。ツバキの花びらは、一見すると5枚あるように見えますが、実は下のほうですべてつながった1枚の花びらだったのです。そのためトリが勢いよく飛びついてもはがれないほど頑丈なのです。さらに、花の根元は大きなガクでガードし、内部もおしべが固い筒状になることでトリが花粉の付く正面からしか蜜を吸えないようにしているのです。

鳥媒花植物の花は、赤いものが約80パーセントを占める。花には模様が無いものが多く、鳥が止まりやすいよう、花器は固くなっている。 虫媒花の植物に比べ花期が長く、匂いがほとんど無い。これは鳥の嗅覚が鈍いためである。 蜜は大量に出し、味は割合薄くなっている。 また、ほとんどが昼に花を咲かす。

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◆ 白昼の 椿に舌を 入れる鳥    ロッキイ

また、「赤いものが約80パーセントを占める。」という鳥媒花植物の花の色。信号の赤信号の理屈で説明できるそうです。

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つまり、「色には波長があり、この波長が長ければ長いほど人間は色を認識しやすい。信号に採用されている「青・黄・赤」の3色は全て波長が長く人間の目で認識しやすい色になっています。特に赤に関しては色の波長が長いことと、視神経を強く刺激する色であったため、重要な止まれの色に赤が割り当てられることになりました。」鳥は、この三色に加えて、紫外線も受容できる力があって、4色を組み合わせて見ているということですが、鳥媒花は、そのなかで、赤の色の持つ性質を採用したと言うわけです。

虫のいない季節に咲くと決めたのですが、受粉というその大役を鳥に委ねることでその課題をクリアしようとしたツバキ、ではその色は!試行錯誤した結果、赤に行き着いたと言うことなのでしょう。

◆ 紅ほのと 見えて隠れて 藪椿    稲畑汀子

捨、、、罰、、、塵、、、、天、、、?!

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おぉお!

「塵捨天罰」

ゴミを捨てるな、天罰が下るぞ!

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環境四字熟語コンテストがあれば、入選ですね。

天罰、、、気持ちはもっとも。確かに、道ばたのポイ捨ては、目立つ感じがします。

 

棄てればゴミ、生かせば資源。

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ごみをすてる社会から、ごみを再利用する社会へ。
廃棄物・リサイクル対策部は、
みんなの生活にとっても身近な仕事をしています。
それは、みんなが毎日すてている「ごみ」に関する仕事です。

6-8 ことびき
みんながすてているごみは大切な「資源」。
地球上の資源は限られています。
地球温暖化を防ぐためにも、
資源を大切にすることが重要です。

6-9 うみ
そのためには、
ふだんからごみを出さないようにすることはもちろん、
くり返して使うことや、
再び使えるようにすることも大切です。
そこで、廃棄物・リサイクル対策部はみんなに、
リデュース【ごみをへらす】、
リユース【くり返して使う】、
リサイクル【再生利用する】
の3R【スリーアール】を呼びかけたり、
いらなくなったゲーム機や携帯(けいたい)電話などの
小型の電子機器などを資源として再び活かせるようにする
仕組づくりを行ったりしています。
また、みんなが安全に暮らせるように、
家庭や工場から出るごみがしっかりと
処理されるような仕組づくりを行っています。

(環境省)

、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

必要なことはやはり、教育、説得と納得!

『塵捨天罰』の隣に、

「3R【スリーアール】

◆リデュース【ごみをへらす】、
◆リユース【くり返して使う】、
◆リサイクル【再生利用する】
が人類を救う」の立て札を立てる!のはどうかしらとおもっいます。

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