信じませんよ、光秀さんが生きている、なんて。
『兼見卿記』 『公卿補任』 『言経卿記』 『多聞院日記』『華頂要略』など、公家さんたちの日記に、本能寺事件は記されているということ。
なかでも、生々しいのは、『言経卿記』。ここには、光秀は醍醐の辺りに潜んでいるところを郷人が討ち取って、首を本能寺に献上した。6月17日、光秀の家臣・斎藤利三は近江堅田(滋賀県大津市)に潜んでいるところを探し出され、京都市中に乗り物で移動し、六条河原で斬られた。
7月2日には、、光秀と利三の首は胴体と接続させて、京都粟田口で磔にされたという。そのほか光秀方の将兵の3000余の首については、首塚を築いたと。
光秀さん生存説は「妄説」。亡くなっているのです、、
けれども、「麒麟」は死んではいない、もうすこしいえば、
光秀さんの体からは離れたけれども、ということでしょうか。、
「みつひでさまをおまもりするようにといえやすさまから」
『麒麟』様が次に付くのは、いえやすさま、というメッセージ。
池端さんの脚本の元に、役者照明音楽道具衣装すべてのスタッフいったいとなった仕事に、ブラボー!ブラボー!
麒麟は不滅なのです、なぜなら、麒麟は「希望」なのだから。
希望を持つ限り、麒麟は生きていて、私たちのそばにいる。
ひょっとして、光秀さんもその側にいらっしゃるのかもしれない、、、、、
信長のような人、世界中にいっぱいいるじゃないですか
その陰で涙を流している人たちを押さえつけるような体制もつづいていて、戦争も紛争もたえないじゃないですか。
けれども、若者たちは向かうのは希望の光の差す方向。
そんな彼らのために、「光秀さんは、殺してはいけない、うらぎりものとして、檻に閉じこめてはいけない、光秀さんは、いきていて、野に放たれた、それは、希望に向かって歩む者への応援歌、それが、大河の役目だろう、、、と思いますから。
さて、丹後半島ガラシャロマン学の立場からは、生きていて欲しい。なので、芦田まなさんの演じる玉さんのういういしい健康なイメージと重なって、哀しみの中にほわぁぁっと温かみのあるエンディングはたいへんよかった。
、、では、生かしたのはだれか、その黒幕は、、、朝廷であり、細川さん、あなたではありませんか。
光秀を救え、、、当面の敵は信長打倒、光秀には不安がある。保険を秀吉にばかりかけていては危うい、徳川殿も恐るべし、局面を藤井そうた八段のように読み切ったうえ、光秀生かすべし、極秘裏に動いたのです。
しかも、その場所は、丹波の山奥に、、、
ではないだろう、都に近すぎる
玉とともに、自らの国・丹後は与謝郡の山奥、味土野に隠したのです
根拠は!
味土野には、城が二つといいます。
女城と男城です。不思議がられています。男城には警護の侍が詰めていたと説明は、不自然、離れすぎていると。城というかぎり、城主と目される格式の男がいると考えていい。
女城の城主は、玉。男城の城主は、光秀、、、、、、、。この功績により、細川家は、今日までキングメーカーとして、続くことになった。
ね、、、、■◆■さん
光秀丹後の味土野潜伏の事実は、歴史家によって、完璧に拭き取られたのです。
(ひていできませんね、ほそかわけならやりかねない、まあ一次資料をさがしましょう)光秀丹後の味土野潜伏の事実を、完璧に拭き取り、
明智光秀公辞世句
「心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ」
「順逆無二門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一元」
順序正しい道もそれに逆らった道も、同じ一本道に変わりはない。
(明智軍記)
などと、光秀さんの言いもしなかった歌を捏造し、真実をゆがめたのは後世の歴史家たちなのです。
あらためて、麒麟が来るの光秀さんから、、世を平らかに!そして、和やかに!
青を衝けのえいいっつぁんに送られたメッセージ、楽しみたいですね。