宮津エコツアー · 5月 2013

5月 2013

2013/05/31

オキナグサが300株、大阪府河内長野市の大阪府立花の文化園で見ごろを迎えているとのこと。300株ですか!壮観でしょうねえ。

自生するためには草地が草刈などで維持管理されていることが条件です。

そういう草地の荒廃、開発の進行、栽培目的の採取などが重なって、京都府では絶滅寸前になっています。

そのオキナグサが世屋高原で白く長い綿毛が風に揺れています。

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里山保全、棚田保全の運動の成果を象徴しているのでしょう。 300株に増えていけばすごいでしょうねえ(^.^)

でも、ここが大事なことですが、「このオキナグサ、役にたつ植物ではない。」ということを知っておく必要があります!

汁がつけばかぶれるし、うっかり食べれば、心臓が止まる恐れがあるという八つ頭という毛虫のような手のつけられない毒草なのです。

そんな危ない物を身の回りに置きますか?盗掘するのは危険です、絶対やめた方がいいですよ。

掘っていくなら世屋ススキか世屋クズにしてください(^.^)

2013/05/31

「時期が重なって咲くものに、ウツギ、

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ツクバネウツギ、

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タニウツギ、

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バイカウツギ

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などがあります。■■ウツギというのは、、茎が中空だから空木・「ウツギ 。また、5月は卯月、卯月の花だからウツギ。

そう説明しているときに! 「なるほど、けれども、  花びらをみたら、ウツギはばらばらなのに、タニウツギはひとつですよね!」とおっしゃるお客さんがいらしたら、要注意、相当の人です(^.^)。

「タニウツギは、スイカズラ科で、ツクバネウツギもそうですが、ウツギはユキノシタ科でバイカウツギもそうです。」

ちなみにパート1、こちらがスイカズラ。

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ちなみに、パート2。このウツギたち、5月の農作業の花暦。

世屋の里では、タニウツギを「ひーな」と呼びます。

「ひーなが咲いたら粟を蒔け、ウツギが咲いたら苗うえろ」

微妙に咲く時期をずらしてお百姓の仕事の目安として一役かっているのです(^.^)

ちなみにパート3。松尾芭蕉さんのおくの細道の旅、青葉の頃、ウツギが盛りの頃に白河の関に着かれたんだそうです。

「、、、卯 の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にも越ゆる心地ぞ する。
卯の花をかざしに関の晴れ着かな そら」

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バイカウツギが咲き始めれば、丹後もいよいよ梅雨入りです。

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熟年になられても、地域でいろいろとご活躍されている40余名の皆さんの天橋立研修。

5名のガイドでご案内。

 

天橋立のスタート地点はやはりここから。

P1010744廻旋橋は必見P1010748天橋立は松だけではありません。剣豪岩見重太郎、父の仇討前の試し切り石。P1010753海浜植物 ハマナスとハマヒルガオP1010755阿蘇海では「スズキ」の釣果に大歓声

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2013/05/31

米作りと切っても切れない関係なのがカエル君。カエルの話しはたくさんありますが、これはのどかでかつしたたかな知恵があって実におもしろい(^.^)徳之島に伝わるカエルの話しを水野 修さんが再話されています。美しい文章です。読み聞かせのつもりで声を出して読むとそれがわかります。

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「カエル息子」

昔、あるところに子供のできない中年の夫婦がおりました。  ある日、主人が牛をひいて山へ薪取りに行く途中のできごとです。  「おとうさん!おとうさん!かわりに山へ行ってやるから牛をおいて帰れ」  と、うしろの方でさかんに呼びとめる者がいたのです。  「子供のいないワシに向かって、おとうさん呼ばわりするとはどこのガキのいたずらだ」  そうつぶやきながらふりかえって見たのですが、それらしき人間の姿はどこにも見あたりません。  「不思議なこともあるものだ」  おやじは、ひとりごとをくりかえしながら立ち去ろうとすると、また同じことばが彼を呼びとめているのです。よくよく注意してみると一匹のカエルが地面にはいつくばったままの姿勢で、しきりにおやじへ呼びかけているのでした。  こんな小さなカエルが…?。  しかし、カエルのくせに人間の言葉をしゃべることができるのだ、と考えなおすと、カエルのいうとおり牛をおいて帰ったのです。  「カエルに牛を引かすなんて、あんたものんきな人だよ」  おやじは、妻女の小言をききながらお茶をすすっていました。  すると、先のカエルがちゃんと牛の荷をこしらえ、それを引かせ帰ってきたのです。  驚いてばかりいる夫婦の目の前で荷をおろし、適当な長さに切って、まさかりで割っています。  またたくまに庭一面に薪が割り干されました。  こんなことがきっかけとなって、カエルは中年夫婦の息子になったのです。

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年月が流れました。  カエル息子も嫁を欲しがる年頃になったのです。嫁のきてがあろうかと案じる両親に向かって  「なあに、心配することないさ。自分の嫁は自分でさがす。そのかわり、三合の酒と重箱一杯の餅をつくって下さい」というのです。  さっそく、いわれたとおりのことを準備してやりました。  カエル息子は、それをかついでピョンピョン飛びはねながら嫁御さがしに出かけて行きました。   日の暮れかかった頃、どこかの村にたどりつきました。  そして、 その村一番の美しい一人娘のいる農家へはいって行って一夜の宿を頼みました。  ところが、農家の主人は、  「お前のようなカエルに宿をかすことはできない」  と断るのです。  それでも、カエル息子はあきらめないで  「床下でもかまいませんからぜひお頼み申します。実は、嫁御さがしに行く途中なので、ここに三合の酒と重箱一杯のもちをかついでいるのですが、どうか、これだけは家の中にお預かりいただきたいのですが」  農家の主人はいやいや顔で承知しました。  さて、カエル息子は農家の人たちが寝しずまるのをまって、のっそり家の中にはいあがって行きました。そして、あずけておいた品々を盗み出し娘の寝室にまきちらしておいたのです。

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あくる曰の朝のことです。  農家の主が起きだすのを待ちかまえていたカエル息子は、なにくわぬ顔でいいました。  「どうもありがとうございました。これから嫁御をさがしに出かけますので、夕べおあずかりいただいた品を返して下さい」  農家の主人は、いとわしいというような顔つきで家の奥にひっこんで行ったが、カエル息子から預かった品々がなくなっていることに気づくと「チョーシモウタ」と連発しながらあわてだしたのです。総動員で家中をひっかきまわしたあげく空のビンと重箱が見つかったのは一人娘の寝室でした。  てっきり、自分の一人娘が食べてしまったと思い込んだ農家の主人は、何くわぬ顔で「どうしたのですか」と問いかけるカエルに対して、  「実は、夕べあずかった品々をわしの娘が全部たいらげてしもうているわい。チョーシモウタ チョーシモウタ」  と答えながら娘の愚かしさをくやしがっています。  すっかり困りきっている主人とは反対にカエル息子はたいへんな喜びようです。  「それは、ありがたいことです。お宅の娘さんが私の嫁女にきまったわけですね」  なるほど、カエルのいうとおり、先方の酒やモチを飲み食いしたかぎり、その娘は、必ず相手の嫁にならなければならないことは村の《掟》になっていたのだから仕方ありません。   足取りも軽く家路を急ぐカエルの後から美しい娘さんが歩いています。  村はずれのさびしい山道にさしかかった時のことです。道端に大きなハガマのお風呂が沸いていました。  カエルは、後からついてきた娘にハガマの蓋をあけてもらい、さっそく、湯につかりました。すると、みるみる人間の姿に変わり、かたわらに置かれていた着物をつけ帯を結ぶと島一番の好男子に早変わりしたのです。  「お前の両親は、私のことをカエルだとあなどって床下にねかせたぐらいだからさぞかしお前も私を嫌っていることだろう。さっさと帰ってもよいぞ」  「あなたの策略にまんまとひっかかったとはいえ、ひとたび夫と決め、ついてきたのですから、はい、そうですか、といって簡単に帰るわけにはまいりません」  そういうわけで、ふたりは仲よくカエル時代に過ごした老年夫婦の待つ家に帰って行きました。  「こんな立派な息子が、しかも、きれいな嫁御まで伴って…? 人ちがいでございましょう」  かつて、人間の子供を育てたことのない老人夫婦は、何かにとりつかれているのではないかとお互いにつねり合って神経の正常な度合を確かめ合ったりしました。  ところが、目前の若者がカエル息子の生まれ変わりの姿だと知ってたいへん喜んだのです。  「さてさて、もっと喜んでもらうことがあります。大事な大事な親たちも、かわいいかわいい嫁女も、ちょっとの間、家の近くを離れていなされ」  生まれ変わりの息子は、みんなが家の近くを離れている間に、「家、倉ふやせ!」と、となえながら〃テンチクノゴーキン〃という金棒で大地をゆさぶりました。すると、天トウガナシ(天上)から立派な家や高倉などが落ちてきました。  次は「チジマシふやせ」と、やったのです。こんどは田や畑がどっさり落ちてきました。  おかげで、みんなが安心して暮らせるようになったのだそうです。

一年は夢のように過ぎさりました。

若い夫婦の間に子供ができたのです。  さっそく、嫁女の里親たちへも使いを出し《へそつぎの祝》にご出席いただくよう招待しました。

その日のことです。  里親たちは「あんなカエルと一緒になって、まともな暮らしはできないだろう。その上、子供まで生まれたとあってはなおさら困っているはずだ」 と早合点してしまい、おしめがわりにとボロなどをかき集めてやってきました。  ところが、門口に立ってみると想像もつかないほどの立派な屋敷がまえだったのです。  見舞いの品として準備してきたボロを門の外の茂みに隠し、かえって、自分の身づくろいを気にしながら入って行かなければなりませんでした。へそつぎの祝は島一番といわれたほどの盛会だったそうで、また、その後、両家の一族は大いに栄えたとの話です。  (昭和四十五年十一月徳和瀬にて 重久米豊さんから聞いた)             www16.ocn.ne.jp/~shiokaze/kaeru.html

世屋の里の棚田にも、こんなカエルがいっぱいいますよ(^.^)

 

2013/05/30

素晴らしい看板に出会いました。山・里・水・子ども、、、大切な物がしっかりとつながった内容、すごい詩人がいらっしゃるものです。

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「黄金」は、小金山のこと、舟木の里は、その「小金山」の麓の里です。

カネは、製鉄との関係、あるいは「カマ」に通じて峰の意味、「カミ」に通じて神座の山などが考えられると、澤潔先生。

416mの山頂には、小金山神社があります。海からもよく見えるので、沖からの目印として猟師さんの信仰を集めているそうです。

5月25日古道の整備をしました。夢会議の方や世屋・橋立部会のHさんお世話になりました。
4月に歩いた元普甲道の寺屋敷へ行く古道が倒木や、橋がなくて歩き難いところがあり、今回倒木処理と橋を架けていただきました。お陰でだいぶ歩きやすくなりました。

 DSCN9315辛皮入り口

 辛皮の案内板から入って草刈です。  

                      

DSCN9317ジャケツイバラ2

 案内板の横にジャケツイバラ(ジャケツイバラ科)綺麗な花です。蛇結茨と書き枝がもつれながらくねっている さまを、ヘビがからみ合っているようすに見立てて名付けられたといわれています。

 

                  DSCN9327元普甲道辛皮へ

千年の古道には茶屋ガ成から二つに分かれています。一つは寺屋敷経由、も一つは直接辛皮へ下りる道、こちらは直接辛皮から茶屋ガ成へ抜ける古道、笹で埋もれていたのを刈ってもらいました。

 

                DSCN9321元普甲道寺屋敷

 辛皮から寺屋敷へ抜ける古道、笹刈りや倒木処理で歩き安くなりました。

 

DSCN9330茶屋ガ成~寺屋敷間

午後から寺屋敷~茶屋ガ成間の倒木処理、大きな倒木があり、歩き難かったのが通り安くなりました。

 

    DSCN9331橋作り

    橋作り

 

     DSCN9336橋の完成

本日の古道整備の皆様・・・暑いなかほんとにご苦労様でした。橋も架かりました、倒木処理、笹刈りで古道大変歩き安くなりました。たくさんの方に歩いていただくことで道になります。
皆さん、千年の古道を歩いて昔を偲んでください。 申し込みは宮津市エコツーリズムへ

2013/05/30

紅白まんじゅうのように並んだヤマボウシとタニウツギ。

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タニウツギを「ひいなご」と弥栄町舟木ではよんでいるとのことです。

ヤマボウシ、今年は花付きがいいようです。

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秋の実が期待出来ます。果実酒にいいそうです。

2013/05/30

エゴの木の下にいると、花の雪が降るようです。と思いながら見ていると、ウグイスが鳴きました。

「ウグイスや 花の雪降る 木陰から」

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エゴ落花 笹に載りたり 「ハナイカダ!」

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2013/05/29

ヨメナ?なら秋。

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野春菊と呼ばれているのがこれ、ミヤマヨメナ(深山嫁菜)。初夏に咲きます。

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名前の通り、「山深い里や谷の水気の多い日陰に咲きます。木子のお寺の石段付近に群生していました。

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新芽や若芽は食べられるそうですから、世屋の「土産(おい)しい」ものリストに入れましょうか(^.^)

2013/05/29

♪ 真っ赤だなまっかだな つつじのはながまっかだな!とうたいたくなる「やまつつじ」通称アカバナ。

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このやまつつじ、6月のウオーク&イートで、対馬シェフに「勝負」してもらいます!

日本の野生ツツジでは分布域がもっとも広い日本の野生ツツジの代表種。生育地が、「 低山地の疎林内、林縁、日当たりのよい尾根筋、草原」つまり、里山、おまけに花は食べられるので、多くの思い出を詰めた日本人の心に咲く花だと思います(^.^)。

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例えば、、、、、、これ。

|しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !” ・・・・・・ 田舎の雑木林の下草として、オレンジの花が若葉色に混じって咲き始める。 この頃になると友達とわくわくしながら「ツツジ狩り」に出かけた。 ツツジの枝は、先端にすっと一本だけ伸びて、その先に数輪の花をグチッと付ける。 その葉の付いていない真っ直ぐな枝を折って、それにヤマツツジの花をちぎって差し込んでいく。 ツツジの花は合弁花でラッパ状である。 花の根元をすっと引っ張ると、めしべやおしべはがくにくっついたまま枝に残り、 花びらだけが抜ける。それを串差しにして摘んでいくのだ。 これを何にするのか?首飾りか?違う。 食べるのだ!かぶりつくのだ! おいしいのだ!ほのかに甘く、ほのかに酸っぱい。

誰が教えてくれたのか、きっと兄だったように思うが、「ヤマツツジ」は食べられる。 これは私たちにとっては魅力的だった。 大量に食べるわけではないが、雑木林の道端に入り込んで、花摘みをする。 ちょっと少女っぽくって、お遊びっぽくって、冒険っぽくって、 桜が終わったあとのちょっとしたイベントだった。 ・・・・・・・・・ameblo.jp/shizuegrandma/entry-11526039742.html

、、、、、この通りです。

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