宮津エコツアー · 2月 2023

2月 2023

日置オオハクモクレン、雨水の大深呼吸

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雲のような花を咲かすのは、なぜ?とおもっていました。

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樹が雲を吸いこむから、と知りました。

雨水がその日。

日の出6時37分 日の入り17時48分 日照時間11時間11分

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この樹が雲になるのは三月下旬です。

 

 

 

 

 

人生の真ん中に酒!

20230218_171355せめてどうですか二次三次支援

特級地酒専科の店

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これ、ないか、とたずねてみてください

20221123_171913いねまんかい

海と山一対のそろい酒、

20230220_155017昔の阿蘇海

米は農業景観で『日本の里100』の上世屋で、

20200929_134826やま

蔵元は漁業景観で『日本の里100』の伊根舟屋里。

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「海と山の丹後タッグ特級美品!の里へもいってみなさいな」 、

ニコニコしながら薦めてくれるだろう。

今日は、雨水。

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暦の上では春。

しかし、人間界は春どころか、

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主導するのはだれなのでしょうとりあえず「富める老人たち」としておきましょうか、

ともかく、平和なくして春無し!

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ほんとうの「春」を迎えたいものです

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♪雪解け間近の 北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時

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♪帰らぬ人達 熱い胸をよぎる せめて今日から 一人きり 旅に出る

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♪あゝ 『世界』のどこかに

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♪ 私を 待ってる 人がいる

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(^^♪ 酒はぁー丹後の よさむすうめえー!

世界に出る前に、『丹後』を見ておくこと、お奨めします。

須代神社から磯砂山の方向17日pm5時

DSCN0108鳥の神様が春を載せて

「田の神様載せて、春の鳥」といったところでしょうか!

冬明けをつげるこの鳥、

明石弥生時代から数え、どれだけの人に問いかけ、語り、諭し、続け元気や励ましのエールを送ってくれたのでしょうか。

DSCN0109はるつげ

平和あっての安寧、戦争は差別と貧困の極み、まだまだ大きな声が必要です。

DSCN0093はり

丹後から世界に飛べ、春告げ鳥!

平和へと導け、春告げ鳥!

 

金さん、いわく。

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「三八の冬は、頭ももっとふかくまで埋もれたもんじゃ!」

こなぎ?たべた、か!

ああ、たべるどころか、たんぼにそんなもんはやしとるのは恥ずかしいいうてみつけしだいぬいたな。 

と、万葉うたの話題などとりつくしまもありません。

が、知っておくことためしてみることも大事。

チェックしてみましたら、食べたり、いけばな素材にしたり、試み様々。

夢はや春に、、、うけあいますよ。

※たべるなら無農薬栽培水田のものを分けてもらってくださいね。

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6月に田植えした稲。

ぐんぐん成長しています~!

それとともに、雑草もすくすくと成長中~!
ヒエやオモダカ、コナギなど、田んぼにはいろいろな雑草があるけれど
そのなかの「コナギ」は食用にできるということで、田の草取りがてら、コナギを収穫し、料理して退治しよう!
という作戦が決行されました。

こちらがコナギ。ハート型をした葉っぱが特徴。
これを放置すると、一株から3000粒もの種が飛散し、翌年はもっと悲惨なことになるという。。。
(飛散と悲惨とかけてみたよ!)まさに一粒万倍の勢いっ!ひえー。

こちらが食用に収穫したコナギたち。

オトナもコドモもがんばって草取りしました!草取りのあとは、総勢20名あまりで昼食です。
コナギは、クセがなく、とても食べやすい植物。

こちらは天ぷら。賀茂ナスも揚げました!

そして、コナギベーゼのパスタ。こちらには、緑ナスとベーコン入り♪
コナギのゴマ和えは、シャキシャキした歯ごたえがおいしかったです。
残ったコネギベーゼは、ゆでたジャガイモと和えて、ジャーマンポテト風に。
ゴマ和えとポテトは瞬殺だったので、写真はナシ!(笑)
ほかに、コリンキー、トマト、キュウリのサラダ。
モロヘイヤとジャガイモのスープ。
最後は、みんながお腹がいっぱいになるまで、天ぷらを揚げ続けました~!

万葉いけばな研究家庄司 信洲先生のインターネット公開文化講座万葉植物から伝統文化を学ぶ、もお奨め。

インターネット公開文化講座

愛知県共済

 夏から秋へと向かう季、水田や池や沼などには、みずに浮かぶように青紫色の可愛らしいの花を観することができます。
小水葱は、みずあおいの葉と花の色が似ており、水葵よりは僅かに小振りであることから、その生えている姿を見逃してしまうことがあります。
そして、その葉姿が熊笹のようであることから別名を「ささささ」と名付けられ、さらに「みずことなしぐさ」とも名付けられており、万葉名は『子水葱こなぎ古奈宜こなぎ水葱なぎ』と称されております。その「菜」の字が当てられているのは野菜として往昔より愛されておりました。
その菜の情景を『万葉集』で「大伴宿禰駿河麻呂おほとものすくねするがまろが、同じ大伴の坂上家さかうへのいへ二嬢おとをとめつまどふ歌一首」
春【はる】霞【かすみ】春日【かすが】の里の植【う】ゑ子【こ】水【な】葱【ぎ】苗【なへ】なりと言ひし柄【え】はさしにけむ
(春霞だった春の日の里に植えた小水葱は、まだ苗だといっていたが、もう茎も高く伸びたでしょうか)と、春の温もりが高くなるのにつれて初々しく生長している小水葱の姿を観して、二人の嬢たちも大人となり、求婚する年頃であることに比喩させて詠ぜられております。


 そして、その小水葱の夏の終へる頃の生長した姿を観し、
上野【かみつけの】伊【い】香【か】保【ほ】の沼【ぬま】に植ゑ古【こ】奈【な】宜【ぎ】かく恋ひむとや種【たね】求めけむ(作者未詳)
(上野の伊香保の沼に植えた小水葱のような女のよ、こんなに恋に苦しきものとして種を求めたのであろうか)と、恋しき相手の女性の姿を、小水葱の清らに咲薫におう花の姿などから、心が動かされていることに比喩させて切々と詠じているのです。そして、万葉人たちは植物の花や葉を衣に摺り染めにすることで、身にすっかり馴染み、願い事が叶うとされております。

 図版[I]

図版[II]

さらに次の歌では、
苗【なは】代【しろ】の古奈宜が花を衣【きぬ】に摺【す】り奈流留【なるる】まにまにあぜかかなしけ(作者未詳)
(苗代に咲く小水葱の花を衣に摺り染めにして、衣がなじむにつれて、馴れつつあるは、どうしてこんなにいとしいのか)と、親しみを得られた娘に対して、その愛しさが増していくことと、小水葱の清々しき姿に比喩させて詠ぜられ、この歌には『』即ち、物にたとえて詠まれた歌として所集されております。
その可愛らしき小水葱の図を江戸時代の『本草図譜』の図を、図版[I]で参照して見て下さい。
そして、江戸時代後期頃の美濃焼による型紙染付の小鉢に、小水葱を挿けた作品を、図版[II]で観してみて下さい。
どうぞ、この季には、お近くの水田や池などに出掛けては、瑞々しく愛くるしき小水葱の花を観しては、清らかな心を得て過ごして見て下さい

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 ■さらに雑学

 コナギは背丈の低い雑草ですが、一年生雑草のなかでは稲に最も害を及ぼす雑草のひとつです。稲への雑草害は、主に養分の奪い合いによるものと考えられています。コナギの地上部の窒素含有率は稲に比べ2倍ほどあるため、見かけの草の量に比べ稲の生育に及ぼす影響は大きくなります。地上部乾燥重量が同じであればノビエよりも稲の収量の低下程度が大きくなるという試験結果もあります。また、ある研究者は、コナギがはびこった場合に稲の分げつ芽に対する遮光の影響を指摘しています。

コナギは種子で繁殖する一年生雑草です。種子には休眠性があり、夏から秋に植物体から落ちた種子は、すぐには発芽しません。冬の間の低温に遭遇すると目が覚め(休眠覚醒)、次の年の春にはほとんどのものが発芽できる状態になります。

 コナギは、発芽に際して酸素を好まない植物です。実験的に酸素濃度を変化させて発芽率をみてみると、全く酸素のない 条件で最も発芽率が高く、酸素が多くなると発芽しにくくなります。従って、水を張った水田ではよく発芽しますが、畑ではほとんど発芽がみられません。また 最近、一部で米ぬかを利用した除草が行われていますが、米ぬか除草でよく問題になるのがこのコナギです。これは、米ぬかを施用してしばらくすると米ぬか自体が腐敗し、水田水や表層の土壌に酸素が少なくなり、コナギが発芽しやすい状態になるためと考えられています。

コナギの防除には除草剤が有効


コナギは、このような特徴を持った強害草ですが、除草剤には比較的反応しやすく、一般的な除草剤で容易に防除できます。除草剤を散布する時期を逸したり、散布したあと水管理を怠ると残草しますので、除草剤はラベルの使用基準や注意事項をよく守って使用しましょう。

なお、最近コナギやミズアオイにも「除草剤抵抗性雑草」が出てきており一部の地域で問題になっています。同じ除草剤を長年使い続けてきた水田で、除草剤が効くはずの条件でも、雑草が異常に多く残ってしまったときには疑ってみる必要があります。疑わしいと思ったら抵抗性かどうかの判断とその対策について都道府県の指導機関(農業試験場など)に相談しましょう。

 

 

 

 

 


 

「寒そーう」

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おそらく、わけがわからない、そんなリアクションを想像しながら、もう一枚。

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エコツーリズムはあえて、言います。

人と自然との極限の緊張感!ぜっぴん、です、、、、と。

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エコツーリズム世界の価値は、今だけここだけあなただけ、

生物多様性保全ではと日本が世界に誓った里山イニシアチブ

この視点から言えば、まさに「世界的絶品」。

今年は、「38豪雪60年」。それを記念してか、たびたび貴重な瞬間を見せてくれていますyo。

 

ここはどこの國の海と雲?

DSCF0018海の京都雪

と、聞いていただけませんか!

[この海と雲は、たにはのみちのしりの国の海と雲でござります」

たにはのみちのしり!

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、、、どこにあるのですか?

それに着せた漢字が「丹後」。

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地図の向きがこんな時代、いまの丹後は、「たにはのみちのしり」とよばれていたのです。

、、、そんなことを語りたくなるような、冬海京都。

さて、「たにはのみちのしり」の、「みち」とか「しり」はなんとなくわかります。

では、「たには」が、なんだったか!

 「さかさ」地図を、じっくりながめて、何がこの海を行き来したかを考えてごらん、

ヒントがみつかるから、といいますが、どうなんでしょう。

 

「加悦町古墳公園」展示。

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旧加悦町は、弥生古墳の町、その数644基。

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はっくつされた遺物が、ここにあつめられているのです。

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集大成しての生生ましい展示は、圧巻。

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この入園料、300円は、安いですよ

さて、この加悦、「かや」とはなにもの?

以下、『丹後の地名』師さんのトークで。

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『加悦町誌』

「加悦」という地名の語源は明らかでないが、言い伝えられるものをあげてみよう。
イ、地勢からきた伝説
加悦谷盆地はその昔、阿蘇海に通じた浅海で、その周囲は深い「茅」原であった。また沼地が多く、茅、萱類の繁茂したところであったから、「かや」の地名となったという。
口、神社の祭神からきた伝説
加悦の吾野神社の祭神は「野の神」といわれる「我野廼姫(ルビ・かやのひめ)命」であり、これが、地名になったという。
ハ、郷名からきた伝説
倭名類聚抄には現加悦町一円を「神戸郷」と称している。「カンベ」が転音訛伝して「かや」になったという。その他、名和長年の家臣嘉悦氏がこの地に来て、土豪となり、その姓を地名に用い、 「かや」としたともいうが、これは考えられない。
「かや」を「加悦」と書くようになったのは、江戸時代以後のようで、一一四三年(康治二年)平安時代の兵範記背文書には、「賀舎」と書き、一二八八年(正応元年)の丹後国諸荘園郷保惣田数帳目録には「賀悦」と、一三三八年(建武五年)の日置季久の手紙にも、一四五六年(康正二年)の禁裏造営段銭引付きにも、一四七〇年(文明二年)山田郷菩堤寺の梵鐘にも、「賀悦」と同じ字を使っているが、一五〇〇年頃(永正年間)に書かれた細川政元記には、「賀屋」が使われている。また、算所の小巻家文書には、「薩屋」(私注→薩ではなく産が段の造りである)とあるが、何れもあて字であろう。

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カヤという地名は全国に多い古代地名である、それらを丁寧に調べた上でないと確かなことは言えないかも知れないが、

『丹後路の史跡めぐり』(梅本政幸)

加悦の町(かや)
加悦は間人と同じく、日本でもよみにくい町名の一つといわれているが、大伴金村が支配した五三○年頃、朝鮮の任那(みまな)の中に加那(かや)という国があった。また加悦の安良(やすら)は昔安羅と書かれたが、これも任那の都市に安羅(あら)という町があった。いまの威安(かんあん)である。
もう一つは野の神のことを「萱野媛」(かやのひめ)というところから、広々としたこの加悦谷盆地にその名がつけられたとも考えられる。加悦の式内社吾野神社には萱野媛が祀ってあることもつけ加えておこう。
古い文書には「賀悦」「加屋」「賀屋」などの文字が使われているが、南朝の忠臣といわれた名和長年の臣嘉悦氏が一色氏の支配になる前に領主となっていたのでこの字が使われるようになったという。嘉悦氏は熊本と東京に現存する。…

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『日本の中の朝鮮文化6』(金達寿・講談社文庫)

「いま言ったように、この加悦谷は古墳の多いところですから、いまでもあちこちの畑などからいろいろな土器が発見されます。するとここの人たちはそれをみて、朝鮮土器が出た、と言っているのですよ」
「そうですか。なるほどね。なにしろ、ここはほかならぬ加悦ですからな」と、前の席でクルマを運転していた鄭詔文がそう言って笑った。
つられて私たちも笑ったが、しかし鄭はただ笑うためにだけそう言ったのではなかった。その加悦谷、あるいは加悦町の加悦というのが、どういうことであるかという前提があってそう言ったのだった。
そのことは梅本さんの 『丹後路の史跡めぐり』にも書かれているが、加悦というのは、これも安羅同様、のち新羅に併合された古代南部朝鮮の小国家加耶・加羅・加那からきたものであった。『丹後路の史跡めぐり』によると、加悦はもと「加屋」「賀屋」とも書かれたもので、それが現在の加悦となったのは、「南朝の忠臣といわれた名和長年の臣、嘉悦氏」がここの「領主となって」からだったという。
それだけではなかった。加悦町には、これももと「加耶の媛」ということだったかもしれない萱野媛を祭る『延書式』内の古い吾野神社があり、また、安羅・安那・安耶からきた安良というところや、安良山というのもあって、これは古文書にはっきり、安羅山と書かれていたものだったという。
加耶(加悦)、安羅(安良)どちらものちには新羅に併合された小国家であったから、したがってこの加悦に白米山、すなわち新羅山古墳があるのもふしぎではなかったのである。しかもそれが四世紀の前期古墳であるということは、いっそうその意義を大きくしている。
要するに、これから逐次みて行くように、古代の丹後や北陸の国々は日本海をへだてて向き合っていた、朝鮮の新羅文化圏のなかにあったといっても決して過言ではない。われわれがいま加悦谷でみているのほほんのその一部にすぎないが、イナナキという斜面台地の山となっている白米山古墳は、まわりの一部を竹林で囲まれた美しい古墳だった。

この書によれば、当HPもお世話になっている梅本さんは当時は栗田中学の校長さんだったとある、白米山は新羅山とは私は考えないが、加悦や安羅山は気になるし、合楽という小字、何と読むのか知らないが後野だが面白そうだ、アラかも知れない、安羅国かどうか単にAR地名かも知れない、さらに奥には与謝と滝、全体が謁叡郷、掘れば「朝鮮土器」(須恵器のこと)がゴロゴロ、地名などからは古代は新羅文化圏・伽耶文化圏と見てもムリはない、そう考えないと解けない地名もある

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合併与謝野町歌

1番

大江の峰を 輝かせ 希望に満ちて
日が昇る あふれる緑に 恵まれて
ふれあう心の あたたかさ
ああ与謝野 幸せ創る 与謝野町

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2番

大地を潤す 野田の川 生命育み
響き合う 文化の薫りと機の音
新たな世紀へ 伸びてゆく
ああ与謝野 笑顔かがやく 与謝野町

20220909_150606須代岳

3番

天の架け橋に 夢はせて 水鳥遊ぶ
阿蘇の海 自然と歴史と未来とが
織りなす絆も たくましく
ああ与謝野 あしたを拓く 与謝野町

銅鐸の音、須代野で聴きたい!

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実現しました

20230211_132838銅鐸

グヮラーン

堅めのおm追いおm追い重いすこし不透明な音、、、

グヮラーングヮラーン  グラーングヮラーングヮラーングラーン

どんなときに!?、なんのために?!

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大坂古代史博物館での想像絵、

、、ふむふむ、ふーん!

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いさなごの前に、土器を置いてみた

「、、、ウ、、お、、、そうか サケ、酒やあ」

[天女、善く酒を醸み爲りき。]『丹後国風土記』(岩波古典文学大系本)

丹後たにはのみちのしりの國の風土記に曰く、丹後の國丹波の郡。郡家こほりのみやけの西北いぬゐの隅の方に比治の里あり。此の里の比治山の頂きに井あり。其の名を眞奈井と云ふ。今は既に沼と成れり。

此の井に天女八人降り來て水浴みき。

時に老夫婦おきなとをみなとあり。其の名を和奈佐の老夫おきな・和奈佐の老婦おみなと曰ふ。此の老等、此の井に至りて、竊かに天女一人の衣裳きものを取り藏しき。即やがて衣裳ある者は皆天に飛び上がりき。
ただ、衣裳なき女娘一人留どまりて、即ち身は水に隱して、獨り懷愧居りき

、、、

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「一坏飮めば、吉く万の病除ゆ。其の一坏の直の財は車に積みて送りき。時に、其の家豐かに、土形富めりき。」

はごろもを隠した爺さん、おおもうけしたんだ、天女にサケをつくらせて!

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やよい須代人はそれほど「飲んべえ」だったのか?

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どうなんでしょ、まだまだ謎はなぞを生みます

 

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