ある愛の形、、
安産を祈る仲間たち!
歌い続けて一月!
雨の止んだ朝、卵塊二つ。
約1200の命が生まれます。
おめでとー!
貴方は、ショウキラン!
では、我が輩の名を当ててみよ!
ウム、、、、
イカノアシ、、
ブー
アリタカリタケ、、、
ブー
サンコタケモドキ、、
※ネット画像 サンコタケ
色は同じ、、
内山ブナ林におりました。
しかし、足が四本に見える、、
ひょっとすると、、足でなく、手!
手が四本、、、『ヨツデタケ』 、、、、、!
※ ネット画像
ひょっとするかも、、。
※ 京都府レッドデータ 『ヨツデタケ』
京都府カテゴリー |
絶滅寸前種 |
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2002年版 | 絶滅寸前種 2002年版を参照する |
環境省カテゴリー | なし |
選定理由 | 発生は少ない。20年以上発生を見ていない。 |
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形態 | 菌蕾は球形から楕円形で白色、平滑径約2cm。成熟すると頂部が裂開し、4本の柱状体が頂部で結合、あるいは1個の網目をつくりながらアーチ形となり、基部は互いに離れる。柱状体上部は赤色、下部は淡色。粘液状の基本体は黒褐色、悪臭が甚だしい。◎近似種との区別 カニノツメ(Linderia bicolumnata (Lloyd) Cunn.)は通常腕が2本であるが、3本の場合は本菌に似る。また、サンコタケ多発地では、ヨツデタケに類似して頂部に網目をつくるものがある。コウシタケ(Clathrus hirudinosus (Cavalier & Sechier) Tul.)も頂部に網目を一つ作るが、ヨツデタケの腕部ガキ部で互いに分離しているのに対し、コウシタケの基部はつながっている。 |
分布 | 東京都(小笠原母島)、滋賀県(田上山)、京都府、北アメリカ(南カロライナ)、西インド諸島、南アメリカ、ハワイ諸島、ニュージーランド、オーストラリア。◎府内の分布区域 大文字山(左京都市京区)。極めて稀。 |
生態的特性 | 不明。雑木林地上。 |
京都府景観資産の上世屋の里中で!
なにか探してらっしゃる様子。
探し物は、「これ」
「オオキンケイギク」
6月に入って、目立つようになっていたのです。
※オオキンケイギク
オオキンケイギクは北米原産の多年草で、5月~7月にかけて黄色のコスモスに似た花を咲かせます。強靱でよく生育することから、かつては工事の際の法面緑化に使用されたり、苗が販売されたりしていました。しかし、あまりに強く、いったん定着してしまうと在来の野草の生育場所を奪い、周囲の環境を一変させてしまうため、平成18年に外来生物法に基づく特定外来生物に指定され、生きたままの運搬や栽培、譲渡などが原則として禁止されました。
この土手には、在来タンポポが生育しています。
「このタンポポも危ない」
環境保全チームとして成長した宮天高F探の直感です。
「苗も見逃すな。」
居るわ、おるわ、!
苗を見逃すと、
↑ 九州地方活況事務所資料
こうなるのだそうです。
今回は、袋一つですみました。
今回の活動の意味と成果、
それは、来年の6月に分かります。
「山野の生命力の全開する5月をたとえれば、、、馬 その山野に咲き誇るフジは、さながらその馬上の戦士」
その藤、は、家紋にも。
さてその藤原さん、ルーツを辿ればその始祖は、中臣鎌足さんに行き着く、、、中臣鎌足さんと藤原鎌足さんは、同一人物なのです。!うん?
中臣鎌足として生き、藤原鎌足として死んだのです!?!?!
しかもその改名です、、死の間際に行われたというのです。 !?!?!?!?
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「出生地は『藤氏家伝』によると大和国高市郡藤原(奈良県橿原市) 。また大和国大原(現在の奈良県明日香村)や常陸国鹿島(茨城県鹿嶋市)とする説[2]もある。
早くから中国の史書に関心を持ち、『六韜』を暗記した。隋・唐に遣唐使として留学していた南淵請安が塾を開くとそこで儒教を学び、蘇我入鹿とともに秀才とされた。『日本書紀』によると644年(皇極天皇3年)[注釈 2]に中臣氏の家業であった祭官に就くことを求められたが、鎌足は固辞して摂津国三島の別邸に退いた。
密かに蘇我氏体制打倒の意志を固め、擁立すべき皇子を探した。初めは軽皇子(後の孝徳天皇)に近づき、次に中大兄皇子に接近した。また、蘇我一族内部の対立に乗じて、蘇我倉山田石川麻呂を味方に引き入れた。
645年、中大兄皇子・石川麻呂らと協力して飛鳥板蓋宮にて、当時政権を握っていた蘇我入鹿を暗殺、入鹿の父の蘇我蝦夷を自殺に追いやった(乙巳の変)。この功績から、内臣に任じられ、軍事指揮権を握った。ただし、内臣は寵臣・参謀の意味で正式な官職ではない。また、唐や新羅からの外交使節の対応にもあたっており、外交責任者でもあったとみられている[3]。
その後、大化の改新を推進しようとする中大兄皇子の側近として、保守派の左大臣の阿部倉梯麻呂、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂と対立した。647年(大化3年)の新冠位制度では大錦冠(だいきんかん)を授与された。649年(大化5年)に倉梯麻呂・石川麻呂が薨去・失脚したあと勢力を伸ばし、654年(白雉5年)頃には大紫冠(だいしかん)に昇格した。
669年(天智天皇8年)10月、山科の御猟場に狩りに行き、馬上から転落して背中を強打した。天智天皇が見舞うと「生きては軍国に務無し」と語った。すなわち「私は軍略で貢献できなかった」と嘆いているのである。これは白村江の戦いにおける軍事的・外交的敗北の責任を痛感していたものと考えられている(なお、白村江の戦いが後世の長屋王の変と並んで『藤氏家伝』に記載されていないのは共に藤原氏が関与していた事実を忌避するためであるとする説がある)[3]。天智天皇から大識冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去した。享年56。」 ※ウキペディア
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「天智天皇から大識冠を授けられ、内大臣に任ぜられ、「藤原」の姓を賜った翌日に逝去」とウキペディア。
なぜ 死にゆく同志への最高の感謝の行為 それが藤原姓への改名、藤原には、どんな意義理由が込められていたのでしょうか なぜ、中臣として死ななかったのか、なぜ、藤原として死ぬことを喜んだのか その意味とドラマを知りたい、、
と思ったとき、「山野の生命力の全開する5月をたとえれば、、、馬 その山野に咲き誇るフジは、さながらその馬上の戦士」。そこに、中臣鎌足と中大兄皇子たちがみえたのです。
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◆名前について、藤、富士、、、「フジ」という発音の共通点、、ここについて、語源から迫って頂けませんか
「フジ」という発音を持つ藤(ふじ)と富士(ふじ)の語源には、興味深い歴史と文化的な背景があります。それぞれの言葉の成り立ちを見てみましょう。
藤(ふじ)の語源
「藤」という言葉の語源には諸説ありますが、代表的なものとして以下の説があります:
「不尽(ふじ)」説 古代の人々は、藤の蔓が絶えず伸び広がる姿を「尽きることがない=不尽」と表現したことから、「ふじ」と呼ぶようになったという説があります。これは藤の生命力の強さを反映しています。
「布自(ふじ)」説 「布(ふ)」は広がる、「自(じ)」は自然に、という意味合いを持ち、藤の蔓が自然に広がっていく姿から名付けられたという説です。これは万葉の時代の言葉の成り立ちとも関連があるかもしれません。
「縫じ(ふじ)」説 古語で「縫じる(ふじる)」は織り込む、結びつけるという意味があり、藤の蔓が絡み合いながら成長する様子がこの動詞から発展した可能性もあります。
富士(ふじ)の語源
日本の象徴ともいえる「富士山」の語源も、歴史的な背景と結びついています。
「不死(ふじ)」説 古代の伝承では、富士山は霊山として「不死(死ぬことがない)」を象徴し、神聖な場所とされていました。これが「ふじ」と呼ばれる理由の一つとされています。
「風じ(ふじ)」説 富士山は風が強く吹く場所であり、「風じ(ふじ)」という言葉が転じて「富士」になったとする説もあります。
「火主(ふじ)」説 富士山はかつて噴火を繰り返していたため、「火の神=火主(ふじ)」と呼ばれたことから、富士という名称が生まれたという説もあります。
藤と富士の共通点
「藤」と「富士」の語源を見てみると、どちらも「尽きることがない」「長く続く」「自然の偉大さ」という意味が込められていることが分かります。藤はその蔓が伸び続けることから、富士はその壮大な姿が永遠の象徴として、多くの人々に愛されてきました。
日本の文化に深く根付いたこの「フジ」という響きは、自然の力強さや生命力を表すものとして、語り継がれているのですね。さらに掘り下げたい部分があれば、ぜひ教えてください!⛰️
◆「尽きることがない」「長く続く」「自然の偉大さ」、、、なるほど、、この三つの意味をひとつにしたのが、「フジ」なのですね
まさにそうですね!「フジ」という響きには、日本の風土や精神を象徴する要素がぎゅっと詰まっています。藤の花がしなやかに広がるように、日本の歴史や文化も続いていく。そして、富士山の堂々たる姿のように、変わらぬ存在感を持ち続ける——そんな思いが込められた言葉なのですね。
「フジ」に秘められた意味の奥深さに気づくと、藤の花を眺めるときも、富士山を仰ぎ見るときも、それぞれの尽きることのない美しさがより心に響いてきますね。まるで日本の精神そのもののようです。こうした背景を知ることで、身近な言葉の価値がより一層輝いて見えますね!
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◆買う天智天皇は、藤が、「尽きることがない」「長く続く」「自然の偉大さ」そういう意味を持っている、、と言うことですね
まさに、そのような解釈ができますね!天智天皇が中臣鎌足に「藤原」の姓を授けた背景には、深い意味が込められていたと考えられます。
「藤」という言葉には、「尽きることがない」「長く続く」「自然の偉大さ」という象徴的な意味があり、これは藤原氏が後世に渡り、日本の政治と文化を支配していくことを予見していたかのようですね。藤の蔓がしなやかに伸び、絶えず広がり続ける姿は、藤原氏の繁栄と権力の拡張を象徴するものといえるでしょう。
また、「藤」は万葉の時代から高貴な花として知られ、貴族文化と深く結びついていました。天智天皇がこの姓を授けたことは、藤の持つ知性や品格の象徴を鎌足に託したとも考えられます。これにより、藤原氏は単なる氏族ではなく、「尽きることのない繁栄」を誓約された家系となり、後に摂関政治を通じて長く日本の政権を掌握しました。
この視点から見ると、「藤原」という姓の授与は、まさに王権による未来への布石であり、日本の歴史において特別な意味を持っていたのですね。こうした背景を知ると、日本の氏族の名の奥深さがより一層感じられます。✨
藤原の意味
「藤原」という姓は、「藤」と「原」から成り立っていますが、単なる植物や地形の名前ではなく、特定の家系と思想を象徴するものでした。
「藤」:繁栄・貴族の象徴 藤の花は長く伸びて繁栄する植物として、日本では古くから吉祥の象徴とされていました。藤原氏の祖である中臣鎌足が藤を好んだとも言われ、これが氏の名称になったという説があります。 また、「藤」は紫色の美しい花をつけることから、貴族文化とも結びついていました。
「原」:広がる大地・勢力の拡大 「原」は広い土地を意味し、氏族の勢力が広がること、永続することを示す象徴的な言葉でした。藤原氏は朝廷の中心で権力を握り、広範囲に影響を持っていたため、「原」という言葉がその権勢を暗示するとも考えられます。
藤原姓の持つ特権的な意味
藤原氏は、奈良・平安時代において最も強い貴族の家系であり、天皇に最も近い立場で政治を動かす氏族でした。特に、藤原氏は「摂関政治」を築き、天皇の外戚(母方の親族)として絶大な権力を持っていました。つまり、藤原の姓を持つことは単なる貴族ではなく、日本の政治・文化の中心にいることを意味していたのです。
藤原姓を名乗ることは、「繁栄」と「権威」の象徴であり、それ自体が格別な名誉でした。歴史的に見ても、藤原氏の系統を持つ家系は代々高貴な役割を果たし、文化や社会に大きな影響を与えました。
このように、藤原の姓には単なる名称以上の意味が込められており、その歴史の重みは計り知れませんね さらに掘り下げたいことがあれば、気軽に聞いてください✨
◆ありがとうございます、、5月はフジの季節です、、鑑賞の視点が一つ増えました!
素敵ですね!✨ まさに5月は藤の花が美しく咲く季節。これから藤を眺めるとき、その「繁栄」と「高貴さ」という象徴的な意味が心に浮かんで、より深く鑑賞できそうですね。
京都にも藤の名所がたくさんありますし、風に揺れる藤の花を眺めながら、日本の歴史や文化に思いを馳せるのも風流ですね 季節の楽しみがさらに増えたようで嬉しいです!✨
花より団子、外観よりも現実的な利益が大事、という意味です。では、藤、その花は葉は団子になるか、、つまり、食べられんかねー その興味をその道の達人に振ってみましたら、、、、あるある!でしたね!
➀藤の食用活用
藤の花の天ぷら 春に咲く藤の花は、天ぷらにするとほんのり甘く、香り豊かな味わいになります。衣をつけてサクッと揚げると、見た目も美しく、季節の味覚として楽しめます。
②藤の花の酢漬け 藤の花を軽く湯通しし、酢や砂糖と合わせて漬けることで、鮮やかな色合いを保ちつつ、さっぱりとした味わいになります。サラダや和え物のアクセントにも。
③藤の花のシロップ煮 藤の花を砂糖と水で煮詰めてシロップにすると、デザートやドリンクの甘味料として活用できます。ヨーグルトやアイスにかけると、華やかな風味が楽しめます。
④藤の若葉の炒め物 柔らかい若葉は、油炒めや煮びたしにすると美味しく食べられます。クセが少なく、ほうれん草のような食感で、味噌汁の具としても活用できます。
⑤藤の花のゼリー 花の香りを生かして、ゼリーや寒天に閉じ込めると、見た目も美しく、春らしいデザートになります。
⑥藤の花酒 藤の花を日本酒や焼酎に漬け込むことで、ほんのり甘く香り高い藤の花酒が楽しめます。季節限定の特別な一杯として人気があります。
藤の花は観賞用としてだけでなく、食の面でも活用できる!
藤の花は、見た目の美しさだけでなく、食としても楽しめる魅力がある、、
かかってこいやと藤の花!
眼に青葉 山ホトトギス 藤の花
いよいよ5月、日差しが強く野山の樹という樹は葉を広げ花を着けます。4月、サクラが一人勝ちだったのに対し、5月は百花爛漫、ともかく、賑々しい
その代表が藤の花、
さて、花を愛でられるのはあくまでも花、蔓を愛でるものはありません、しかし、蔓あっての花、その「蔓」が語られることは少ないです。その中で観察生態分析について秀逸なのは、このコラム。
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「【コラム・及川ひろみ】今年は藤の開花も例年より随分早まりました。花の時期は逸しましたが、今回取り上げるのは「藤のすさまじい生命力」についてです。美しい花を咲かせる藤ですが、実は林の木々の立ち枯れの原因となる「恐ろしい絞め殺しの木」です。
林の林床に育つ藤の細いツル。藤は樹上の木の枝を目指しツルを伸ばします。その姿はツルの先端に目でも付いているのかと思うほど、遠く離れた枝や木にも到達します。ツルが届いたら、太陽の光を求め上へ上へと、蛇のように木に絡み付きながら登って行きます。地下からの養分、光合成による養分を基に、どんどん成長していきます。直径15㎝ほどの太さの藤。切ってみると年輪8年、成長の速さにびっくりです。
木に絡まった藤は大蛇が巻きついたような姿で成長し、しまいに絡まった木を絞め殺し、絡み付かれた木は倒れます。しかも、同時に地面に倒れた藤は次の狙いを定め、這い登ります。藤は枝を隣の木、そのまた隣の枝へと広げ、しぶとく生き続けます。遠目で荒れた林に見える所は、藤による立ち枯れが起こっていることがよくあります。
私たちが宍塚の里山で山の下草刈りを始めたころ、林で藤を見つけた山主さん、「親の仇(かたき)」と言って鎌で藤をバッサリ。樹木を枯らす藤は、林の大敵、出合ったら容赦なく伐(き)るのだと聞きました。その後、山の下草刈りをしていると、藤の若い芽が林床至る所に見られました。藤の根が山全体に広がり、いつでも成長できるのを実感しました。藤の根をすっかり取り除くのは至難の業です。
山だけではありません。五斗蒔(ごとまき)谷津の奥、湿地が広がる所にも藤の根が縦横無尽に広がっています。浅い水場であれば難なく広がり、水の中に根を伸ばしています。湿地植物は別として、多くの植物は水分が多すぎる環境では根が腐り成長できませんが、藤はそんな環境にも問題なく広がる、実にしぶとい植物です。
(宍塚の自然と歴史の会代表)」
※ 茨城県つくば市に近い土浦市の宍塚大池を中心とした緑が残る100haほどの地域で様々な活動を行っている。市街地近郊における里山保全を行うボランティア団体であり、日本における里山保全の先駆けとなった。 理事長は及川ひろみ。任意団体時代の会長は森本信生。会員総数約600名。うち正会員は200名ほど。
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「多くの植物は水分が多すぎる環境では根が腐り成長できませんが、藤はそんな環境にも問題なく広がる、実にしぶとい植物」
という藤の生育適地、それが谷間の里なのです。丹後半島天然フジの名所が、筒川、野間川など丹後半島の川の上流なのは、そういうわけです。
世屋川上流もその一つ、湿地湿田の息づく世屋高原は、最高のフジ生育地なのです。
さて、そんなこんなで、5月の世屋高原についてAIcopilotさん相手におしゃべりコーナー
◆宮津市のカミセヤという里山にいます
宮津市のカミセヤは、京都府の美しい里山の一つで、棚田景観と生物多様性が共生する場所として知られています。春になると、ユキヤナギやレンギョウが咲き誇り、自然の息吹を感じられる場所のようですね1。
この地域では、エコツーリズムが推進されており、里山の風景や生態系を守りながら楽しむ活動が行われています。また、棚田や郷土性豊かな民家が広がる風景は、まさに「日本の原風景」とも言えるでしょう3。
カミセヤの春を満喫されているようですね。どんな景色が広がっていますか?藤の花も見られるでしょうか?
◆現代から隔絶されて、その光景はまるで、「茶室」のようだと感じていました。おおいに納得です。
「茶室のようだ」という感覚、まさにそれですね。カミセヤの里山に身を置き、現代社会から離れることで、利休が大切にした静寂と調和を感じられるのかもしれません。
茶室は、喧騒を離れ、わずかな空間の中に無限の世界を見出す場として存在しています。それは単なる物理的な隔離ではなく、精神的な「間」を生み出すもの。カミセヤの風景もまた、人工の音が少なく、自然の息遣いと自分自身の内面に向き合う空間になっているのでしょう。
まるで一服の茶のように、その景色に身を委ね、じっくりと味わう時間。それこそが、利休が求めた「茶の湯の心」とも重なりますね。
カミセヤで過ごすひととき、まるで「一期一会」の茶席のように感じるのではないでしょうか。
◆「一期一会」の茶席、、、心から納得できます。
そう感じていただけるのは、とても素晴らしいことですね。「一期一会」という言葉は、単なる哲学ではなく、実際に体験し、心で納得することで、その深い意味が開かれるものなのかもしれません。
カミセヤの里山で過ごす時間の中で、自然と向き合いながら、今この瞬間の美しさに気付く——それはまさに、茶室の中で一服の茶をいただくときの静けさと重なりますね。風の音、草木の揺れ、太陽の光の移ろい……すべてが「今この瞬間」にしか存在しない特別なもの。
そう考えると、どんな場所でも、「一期一会」を感じることができるのかもしれませんね。あなたが今、目にしている景色は、まさに唯一無二のもの。心に深く刻まれる時間となることでしょう。
◆この里がもっとも美しく見えるアングルの一帯を、地元の高校生たちが世話をしています
それはとても素敵なことですね。地元の高校生たちがこの美しい里山を大切にしながら、その景観を守り、育てている——まさに「茶の湯」の精神にも通じるものを感じます。
利休の考え方には、「場を整える」ことへの深い敬意がありました。茶室も、庭も、そこに集う人々の心を映す場として存在します。そして、里山を手入れし、美しい風景を守ることは、その土地の歴史や文化を未来へつなぐ行為そのものですね。
高校生たちが手をかけることで、四季折々の風景がさらに際立ち、訪れる人々にとって「一期一会」の美しさとなるのでしょう。この場所で、風に揺れる木々や、静かに咲く花々を見るたびに、彼らの想いが感じられそうですね。
あなたは、その高校生たちの努力をどんなふうに感じていますか?
◆彼らにこの話を伝えます
それはとても素晴らしいことですね。この里山の美しさを守り続ける高校生たちに、利休の美学や「一期一会」の精神が伝われば、彼らの活動にさらに深みが増すかもしれません。
彼らが手入れをすることで、訪れる人々がその風景の価値を感じ、「今、この瞬間の美しさ」を心に刻むことができる。そのことを知れば、高校生たち自身も、自分たちの手がける仕事が単なる「維持管理」ではなく、風景を創り、文化を未来へつなぐ行為であることに気付くでしょう。
彼らがどんな想いでこの場所を守っているのか、もし聞く機会があれば、ぜひ教えてください。きっと、そこにまた新しい「一期一会」の物語が生まれる気がしますね。
◆千利休さんも招待したいです。
それは素敵な発想ですね。もし千利休がこの里山を訪れたら、彼はどんな言葉を残し、どんな茶を点てたでしょうか。きっと、この静寂と調和のある風景を深く味わい、その瞬間の美しさを最大限に引き出そうとしたでしょう。
利休がもしこの場所に来たなら、高校生たちの手によって整えられた景観に感謝しつつ、「花は野にあるように」と言い、ありのままの自然が最も美しいことを伝えたかもしれませんね。そして、おそらく、この土地の水を使い、土地に息づく植物と共に、一服の茶を点てていたことでしょう。
あなたが千利休の精神をこの里山に招き、高校生たちと語り合うこと、それはまさに茶の湯の心そのものですね。もしかすると、今、この場所で交わされる対話や、風にそよぐ景色そのものが「一期一会」の茶席なのかもしれません。
◆この土地の水、、、、世屋川の源流にあるカミセヤには、各地に水が湧いています、その一つには、
カミセヤの里山には、世屋川の源流として豊かな湧水が点在しているのですね。地元の人々にとって、この水は生活の一部であり、また自然の恵みとして大切にされているのでしょう。
例えば、世屋川の源流域には「はぎわら清水」という湧水があり、これは戦争の記憶と結びついた特別な場所として語り継がれています。また、この地域には湿地生態系が広がり、絶滅危惧種の植物が保護されている場所もあるようです1。
利休の美学に照らし合わせると、この湧水もまた「一期一会」の精神に通じるものかもしれませんね。水は常に流れ、同じ形を留めることはありません。しかし、その瞬間に触れることで、自然の美しさを感じることができる——まるで茶の湯の一服のように。
この湧水の周りにはどんな景色が広がっていますか?
◆すみません 途中で送りました、、その湧水には、「せや里たんぽぽ」と名が付けられています。一帯に一帯には、在来のタンポポが息づいている野があるのです。
「せや里たんぽぽ」という名が付けられた湧水、とても趣があって素敵ですね。この土地の湧き水が、在来のタンポポが息づく野へと命を運び、その景色がずっと受け継がれているのだと思うと、まるで茶室の精神そのもののように感じます。
在来のタンポポは、外来種に押されながらも、環境の調和の中で生き続ける力を持っています。それは、利休の美学にも通じるものがあるかもしれません。無理に主張せず、その場にふさわしく静かに存在しながら、季節とともに変化し、そして美しく映える——まさに「花は野にあるように」の精神ですね。
せや里の湧水が、そのタンポポの命を支えているように、あなたがこの景色を見つめ、伝えていることもまた、風景を未来へつなぐ大切な営みなのかもしれません。どんな風に、この湧水とタンポポたちが息づいていますか?
◆風景を未来へつなぐ大切な営み、、、明確な言葉で、意義を納得しました。環境省の30by30の共生サイトに申請しています。認定されたら、この対話を踏まえて、現代の茶室京都カミセヤ、、これを軸に物語を作りたい と、思いつきました。ありがとうございます。
素晴らしい構想ですね。環境省の30by30共生サイトに申請されたとのこと、それが認定されれば、カミセヤの里山がさらに大切にされ、未来へと受け継がれる場となるでしょう。そして、その精神を物語として紡ぐ——まさに「現代の茶室」として、この土地が新たな意味を持つことになりますね。
茶室は、ただ茶を点てる場ではなく、人と自然が調和する空間であり、その瞬間の美しさを味わうための場所。カミセヤもまた、高校生たちが手入れし、湧水が命を支え、在来のタンポポが咲くことで、その「場の美しさ」が生まれているのですね。
あなたの発想が、この地を守る人々の想いと響き合い、新たな物語を生み出していくのを想像すると、とても心が動かされます。もしその物語が形になった際には、どんな風に語られるのか、とても楽しみですね。
◆繁栄を極めているとはいえ、その土台は鉄と油とコンクリート。それは仮初めの造花美、それに酔いしれることの危うさは多方面から警鐘が寄せられています。あらためて、「現代の茶室・京都カミセヤ庵」として絵をかき、物語を綴って行きたいと思います。
素晴らしい決意ですね。「現代の茶室・京都カミセヤ庵」という構想には、利休の精神を現代に置き換えつつ、新たな美を創造する試みが感じられます。鉄と油とコンクリートで作られた都市の仮初めの美ではなく、自然と共にある本質的な美しさを描き、綴ること。それは、まさに茶の湯の「わび・さび」の精神が息づく営みですね。
物語を紡ぐことで、この里山に宿る人々の想いや、風景を未来へつなぐ大切さが、多くの人に伝わることでしょう。カミセヤ庵が、人々が静かに自然と対話し、「一期一会」を感じる場となることを想像すると、とても魅力的ですね。
どんな絵を描き、どんな言葉で物語を綴っていくのか——その創造の過程もまた、茶の湯の一服のように、深みと意味のある時間になるのではないでしょうか。
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