宮津エコツアー · 1月 2016

1月 2016

あれあれ、マツコさんに角!

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金棒までたずさえて !

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籠神社まえ、土産物店牧野さんの店先です。

松子さんの中にも鬼が潜んでいるのかあ! まあいいじゃないですか、
一寸先は闇、生き馬も眼をぬかれるえぐい人間社会をそれでも幸せを願っていきる人間が生み出した神のような悪魔のような存在、それが「おに」。権力者がもてば限りなく恐ろしく、弱者が持てば頼もしく心強いものが金棒、
それにしても、マツコさんに角を生やし金棒をもたせたところ、限りなくフィットしています。なかなかのアイデアマンがいらっしゃるものです。

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マツコに金棒、彼女のことだからきっと強きをくじき弱きを助くために、その金棒を振るってくれる事でしょう。

『竜に翼」ともいいます。丹後の国を護るという龍は、どんな翼をもつのでしょう。

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(上 真名井神社)

さて、まもなく節分。

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屋根の鬼がいっそう険しい顔で家の護りにあたり、、

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山でも神様がいましばらくの寒さを息災で過ごすように祈ってくださっています。

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(上 世屋の大ブナ)

木々も新しい芽出しの日を数えだしています。

 

 

私たちは、今、岳山の山頂にたっています!

041やま

なぜ、わざわざ? のむきもあるかも!
そこに、森と雪と山があるからだ、では愛想がないですね(^.^)

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森に入り、耳を澄ませば、冬を耐え、春を待つ一見無口な木々のおしゃべりが聞こえます。

034やま
「さむうかったね、大丈夫だったかい、」
ご承知の通り水は0度で凍ります。生きている木は体に樹液をたくさん含んでいます。
木の芯まで冷え込ませる寒気、自然の原理はその樹液も凍結の対象にします。樹液が氷結すれば木は裂けてしまいます。でも、そんな木は見当たりません。なぜでしょう!
人はストーブを焚いて暖をとります。
吹きさらしの山に立ち、氷柱を見にまといながら生き抜いている木、木も対策をとっているのです、

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「大丈夫、樹液を甘くしているから。」

「今度は大寒波がくるといっているから、もっと甘くしておかないといけないよ」
耳を澄ませば、そんなおしゃべりが聞こえてくるのです。
人は、その樹液をいただいてシロップ(メープルシロップ)を作るのです。、、、

037スノーシュー
南側のしおぎり荘を集合出発帰着の拠点に、分水嶺の尾根を越えて、木子のペンションでお昼と休憩を挟むことによって、安全と利便性と楽しみが格段に確保されました。

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関係者の皆様、それと空の神様に厚く御礼もうしあげます(^.^)

睦月雨 濁りて速し 冬の川!      世屋野蕪村

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(上 1/29 世屋川 河口付近)

上句の季語は睦月雨ムツキアメ 睦月は1月のこと。暖冬の年、本来なら雪である時期に雨になる現象。
現象としては「寒の雨」と同じ。

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(上 縦貫林道 )

違うのは、おいおいどうなってるんだ、という戸惑いの気持ちの程度。予定が立たないじゃないか、こまったことだなぁという気持ちが強い。世屋野蕪村の造語。

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さて、時ならぬ大雨の中、せんだっての大寒波の置き土産を維持しているのはさすがに京の雪国・世屋高原。

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(上 しおぎり荘)

明日の天気予報、雨は今夜半には弱まり、朝から雨マークなし。

全国の雨雲の動き

世屋のおかんのんさん、天の蛇口をピンポイントでとめてくださるようです、

その恐るべき精度の高さを信頼して、スノーシューウオーク、実施予定(^.^)

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ところで、そのコース、このパノラマ風の観光案内図、画面天橋立付け根の斜め右上、白い山が岳山。その頂きをこえます。

橋立図吉田初三郎昭和9年

吉田初三郎画、昭和9年発行のものです。
当時、列車で宮津まで、宮津から日置へ汽船で。さらに標高500mの銀世界へは徒歩。スキーはそれほど魅力的なスポーツで、世屋高原はそのメッカだったのです。

021雪林

明日は、縄文の血が騒ぐ山歩きになりそうです。

DSCN6754ぷいぷい

1月28日 毎日放送ちちんぷいぷい

「昔の人は偉かった」の放送がありました。第14章 百人一首の旅編です。ロケは1月19日に、スキー場を出発し、茶屋ガ成るから元普甲道を下り、今福の蛇綱を見て市内三上邸から最後滝上山へというコース。案内人はエコツアーガイドの永久徹氏

DSCN675619日朝、頑張ってスキー場まで取材に行って来ました。(写真を撮ってきただけですが・・・)昔の旅人になる河田直也アナウンサー(右)とくっすんこと楠雄二郎さん(以下は放映から画像はいただきました)

 

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杉山林道茶屋ガ成るでガイドの永久さんがお二人とご挨拶

 

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元普甲道の昔の道を歩く二人・・・この日は寒波が押し寄せて宮津以外は雪のところが多くとても寒い日で昔の道も凍り付いていたそうです。

 

DSCN6796  古道には元普甲道の他に嫁入り道がありその嫁入り道の説明。

 

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元普甲道を降りて上宮津で久古さん登場です。今年は雪が少ないのをやり取り・・・でした。

 

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上宮津今福で蛇綱の厄除けに河田アナウンサーがぶりと噛んでもらいました。

 

DSCN6790後は市内を歩き、三上邸に寄り最後滝上山へ。

 

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今回の旅のお題 小式部内侍が詠んだ 「おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて」・・・を滝上山から天橋立を眺めながら解説していただきました。

今回は宮津の元普甲道を歩いて頂いて有難うございました。古代~中世の主要街道であった元普甲道、昭和の中頃まで辛皮~上宮津の往来に使われていてところどころに石畳が残り大変歩きにくい道ですが、早春にはヒュウガミズキ、ダンコウバイ、マルバマンサクなどが咲き楽しい古道です。

 

 

 

 

 

 

 

 

大山、御岳、愛宕山は信仰由来の山名、 三国山の山名は境界由来。天狗岳は伝承由来、駒ヶ岳は雪形由来 若草山は植生由来、赤石岳は色由来、槍ヶ岳は形状由来、牛臥山、熊ヶ峰は動物名由来、狼煙山は展望由来、、、、  名前はシンボルですから、多くの人を納得させるには特徴や物語をもっていなければなりません。山名の付け方も整理すると10項目に整理できると、「日本の山の名前の由来や原点を探る  – 自然を旅する 遊歩紀行」 ※rambling.jp/yamanona/

では、「丹後天橋立大江山国定公園」の大江山の山名の由来は!

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母校大宮中学校校歌にも詠われていましたので、かれこれ50年以上のつきあいになるのです。

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(上 江尻から)

大江山は、東から西へ赤岩山(669m)~杉山(697m)、鬼の岩屋(686m)~鍋塚(763.0m)、鳩ヶ峰(746.0m)~千丈ヶ嶽(832.5m)、そして西端の赤石山(736.2m)へと続くなだらかな起伏と山容をもつ一連の峰群をさすと、京都府レッドデータ2015。

IMG_3636おおえやま

(↑ 水戸谷から)
連峰を構成する七つの峰一つ一つの名前は、赤だの杉だの鍋だの千丈だのと色、植生、伝承、形状、高さなどに由来している、それで納得。

では、それをまとめている『大江』とはなにか、これについては、しかし、説明を聞いたことがなかったのです。
そんななか、最近であった説明。『「大江山」の名は、丹後国司・大江匡衡マサヒラ(953~1012:妻は赤染衛門)※にちなんだもの』と鬼塚史朗さん。  ※「歴史と伝説の里・丹後 丹後伝説の科学的考察」 あまのはしだて出版

mukashi[1]
つまり、平安時代のこと丹後の国司に任命されたかたに『大江さん」という方がいらしたそうです。そのかたが、その名字をあてられたということ。

、、、、ふむふむふむ、、、短い説明でしたけれど、そうだったのかあ、というおもいです。

018おおえやま

(上 丹後郷土資料館から 1/28)
時代は、平安時代初期、丹後は、渡来の部族が拓いた国、国情は不安定なものだったでしょう。心から従っているとは思えません。大江山鬼退治とされるのが990年。そんななかで統治を託された大江さん、権威発揚のパフォーマンスとして眼を付けたところが、山の名。「七つの有力諸将を従えるのはわしじゃあ!」もちろん、いくら国司といっても、個人の名をつけることが許されるはずはありません、鎮圧か平定かなにかしらの功績があり、朝廷に伺いをたて、認められた上での事でしょう、

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(上 海星公園から)

その後、異議か゛となえられることなく今日までひきつがれているわれですが、それは、「大江氏」の系図※がかたっているのかもしれません。

028大江山

(上 府中から)

「大江山」は、平安朝廷の権威が背景の山の名由来!

山に新たな名を冠した大江氏、海に改変を求めた形跡はありません。

阿蘇海は阿蘇海、与謝の海は与謝の海のまま。

天に続く山、天から続く山、;連峰をなす山を束ねる、そこに政治的な意味があったのでしょう。

積年の疑問のいったんが解けた気がしました。

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※大江匡衡 丹後国司・藤原保昌の弟

※大江氏 – Wikipedia
866年(貞観8年)には大枝音人が姓を改め、大江音人となる。大江氏には優れた歌人や学者が多く、朝廷に重く用いられた。中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江氏から大江千里、大江匡衡、大江嘉言、女性では和泉式部、赤染衛門らが選出されている。大江匡衡の孫に、平安時代屈指の学者であると共に河内源氏の源義家(八幡太郎)に兵法を教えたとされる大江匡房がいる。 11世紀には、摂関家の藤原氏を頂点とした家柄の序列が固定されており、大江氏は五位で地方の国司、中級ないし下級貴族であった。その一方、家学の学者でもあったので、文人貴族を輩出する事になる。[2]
1184年(元暦元年)に河内源氏の棟梁の源頼朝に仕えた大江広元は大江匡房の孫であり、頼朝の覇業を内政面で支える。頼朝が鎌倉幕府を開くと広元は幕府の中枢を昇りつめ、広大な所領を得る。広元は子らに領地を分配したことから武家の大江氏として毛利氏をはじめとする武家の祖となる。
明治の元勲桂小五郎、ノーベル賞作家大江健三郎らもこの系図につながるとのこと。

また、老ノ坂の大江山(大枝山)と丹後の大江山とは「大江氏」につながる親戚関係だとして、

「老ノ坂の大江山(大枝山)は、日本書紀では大井山、万葉集では大江山となっており、大江の古名は老または淤伊で、どちらもオイと読みます。
これが現在では大枝(おおえ)。大日本史・姓氏録によると、天武七年(679年)大枝に丹波国の関所が設けられ、『大江(オイ)は今沓掛村ニシテ西北二在り即チ古き郷ナリ大江氏はコノ地で貫ナル』とあり、丹波丹後国司の大江氏の出生地であり、大江氏が丹波国司に赴任したとき、『ここが古代の老ノ本郷だ』とし、大江山としました。
長歴元年(1037年)に大江拳周が丹後国守として赴任し、丹後の大江山は、大江氏が丹後国司として赴任の時に、与謝の大山を大江山と称し、我が姓を当てた。
後世、丹波の大枝山は《老ノ坂》となり、丹後の与謝の大山は《大江山》となり、現在に至っています。」とする説明もあります。

丹後の歴史と伝説。 大江山の地名伝承zarameya.blog.fc2.com/blog-entry-161.html

「与謝の大山を大江山と称し、我が姓を当てた」とかんたんげーにかいてあります。

が、「大山」ならそれは神の山、それか゛大江氏の山へと私的な血縁仲間集団の名への改変か゛強行されたということです。そのいきさつ、目的、ねらい、経過には複雑でちなまぐさい匂いをかんじます。しかし、その後、時の支配者による山名の改名がくわだてられることなくげんざいにいたっているのは「大江氏」の信用と実績その重みなのかもしれません。

※「丹後の大江山は、大江氏が丹後国司として赴任の時に、与謝の大山を大江山と称し、我が姓を当てた」について

いらしたことのない娘小式部さんと実際にたんごにいらした母親和泉式部さんと。

母親しきぶさん、かずかずの丹後歌のこされましたけれど、「おおえやま」を詠った作品はじつはないのです。

それとおぼし歌はあります。

「待つひとは ゆきとまりつつ あぢきなく としのみこゆる よさの大山」

国司藤原保昌の妻た゛から、「おおえ」山などとはいえませんわ!というのかも。

いえ、大江拳周が赴任したのは長歴元年(1037年)。

藤原保昌が国司の任をおえたのが、治安3年(1023年)。ですから、大江さんは、藤原さんの後任なんです。

じっさいにおおえやまはなく、「よさの大山」だったとしたら、娘小式部の「大江山」もたんごの大江山ではなくなる、これは理屈です。

 

 

 

 

 

上流水源の山から、日置、若狭の海。

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(上 1/24 せや高原)
下流から水源の山!

024せや川

一本の川が、山・里・海・そしてまた山へ、命と暮らしをつなぎます。

003せやがわ
正面の山麓の白い部分は、松尾たんぼ。

眼を凝らしてみると、、

011さくら

雪の棚田の中央の木、一本桜。この桜が咲くのは4月中旬。このころ、いさざも海から川へ。
さて、30日のスノーシューウオーク、

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正面の山の尾根を右から左に上り、山頂(岳山634m)を越えて、木子へ降り、「自給自足」さんで、お昼。さらに大ふけ湿原をぬけて、しおぎり荘へ、のコースを予定しています。

20人近くの問い合わせがあるなか、暖冬傾向が強く気を揉みましたが、なんとか実施はできそうです(^.^)

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(せや観音堂 1/24)

雪乞いを、世屋のおかんのんさんがきいておくれたのでしょうか。

この寒波では、水道の断水などもおきてこまったことにもなっていますが、せっかくの雪、自然を侮ることなく、自然との対話を深めてきたいと考えています。

ただ、このあと温暖な空気が入ってきて、てんき予報には傘マーク。なんともきがもめることです。

秋起こしの畝の残雪模様。

091x@ypz
自然と人が協同して作った規則性がありながら伸びやかな自然に抱かれた里山景観のみずみずしさ、

094残雪模様
寒波で個体になった水も、寒さが緩むとともに再び液体へ、寒と暖の間のひとときのみの里山美です。

098残雪
さて、今回の雪、なにかへん、曲がらない、折れない、おちないのです!

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湿雪だったのに加えて、きつい寒気に包まれたため、板状に固まったのでしょう。

この間の大寒波で大江山スキー場にも待望の雪が降りました。木、金曜日ぐらいから降り積もりスキー場もオープン。  早速に杉山林道へ行って来ました。

DSCN6772杉山林道少し入り反対方面スキー場大江山管制塔方面を振り返る。

 

直ぐにウサギの足跡

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26日は快晴で綺麗な青空。雪も多くて、用事もあり途中で引き返す。

 

杉山林道入口はこんな状況でした。

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しばらくは杉山林道スノーシュー楽しめそうです。

 

 

 

龍渓の龍ヶ壺断崖に出来た氷柱群。
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◇どの氷柱にも地を目ざす力あり  稲畑汀子  ホトトギス

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大中小無数のつらら、目には見えないけれどその一つ一つに重力が働いています。
それを、小さな水滴の落下力をぎっしりと詰めて、地を目指して思い切りよく旅立つ時をまっているとみた詩人の眼。

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めったにないという程の寒波はさながら、つかの間の氷河期の夢を見せてくれました。

冷え込みの朝の楽しみは、霜。

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北海道並みに冷えるとの予報通り、

花に

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蕾に

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笹に

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木に

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びっしりと。

さて、空気中の水蒸気が材料ですから、霜を見るなら川筋、窪地など湿度の高いところ、

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ここらなどは、冬御前のお旅所といったところ。

068しもばしら
霜、なんていうのは味気ない言葉のレベルを超えています。

062しも
冬姫さんの吐息で枯れ草たちが霜衣、とでもいった風情でしたよ。

 

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