比沼麻奈為神社の巨スギ、
それらの周径420cm超。
下は 五箇・大呂神社。
手前はむくろじで496cm、奥のスギ600cm。
さて、巨樹と神社がワンセットの理由については、わかっているようでいてもなんだか説明し切れない、そんなことでしたので、 樹木医 山本利幸さんの、日本人の樹木崇拝について、の講演原稿のアップ、大変興味深かったです。
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もともと日本は巨樹がいっぱいあった国です。 モンスーン地帯で木がよく育つ所ですから、 木の文化の国として栄えてきたわけです。 日本には巨樹、 老樹がたくさんあり、 特に神社仏閣では神木・霊木として、 個人では先祖伝来の樹木として、 地域では町や村のシンボルとしてそれぞれ大事にされ、 貴重な郷土の文化遺産として親しまれてきた歴史があります。
原始時代から古墳時代にかけて、 自然は人々に生きる恵みをもたらしてくれる崇拝の対象であるとともに、 死をもたらす恐怖の対象でもありました。 例えば、 地震、 雷、 台風、 干ばつ、 冷害は恐ろしいことで、 こうした現象が起きるのは神のなせるわざだと古代の人は考えました。 災いを防ぐために、 大きな石や木に注連縄を張って神格性を持たせ、 それを祀ることで自分たちの安泰を願ったんです。 巨石・巨樹を信仰の対象にすることで、 天災から逃れようとしました。
そうした古代人の考え方は、 やがて造園という概念が出てきたときにも引き継がれました。 日本の庭園は西暦600年代の推古天皇の頃に造られたという記録が日本書紀に記されています。 当時から、 日本の庭園は石組みと樹木を配することが特徴で、 これは他の国には見られないことです。 そもそも庭園文化は大陸の影響を受けて作られるようになったのですが、 出来たものは古来からの日本的発想で作られたわけです。 太陽、 月、 星、 雪、 風など天然物崇拝と、 身近にある山、 岩、 樹木など自然物崇拝は深く日本人の精神に根ざしており、 飛鳥時代から今日の庭園まで、 その精神は長く引き継がれてきました。
(上 宮津 籠神社)
樹木崇拝は自然崇拝のひとつの形ですが、 どこの神社にもたいていは神木があります。 昔、 神主が神様を天上からお呼びするときに神様に本殿に降りてもらう儀式をしましたが、 その時のよりしろとなったのが神木です。 お宮の回りに大きな木を植えて「降神の儀」を行って、 神様が天上からお宮に降りてくる時の手助けとするものです。 なお、 どうしても神が降りてくるにふさわしい木がないときは、 榊を本殿の回りに立てて、 それをよりしろの代わりとしました。
樹木は人間よりはるかに長寿ですから神様に近いと考えられたのはもっともなことで、 実際、 仙人の風貌に近い老樹が多く、 信仰の対象にもなりやすかったのでしょう。
巨樹・老樹は長い風雪に耐えて生き抜いただけあって、 見るだけで畏敬の念を抱かせる風格があります。 老大木には精霊が宿ると信じられており、 神木とか斎木と呼んでいます。
樹木は日本人の風景観・文化観を伝える大事な生き証人ですし、 今後も残していかねばならないと思っていただければと願う次第です。
~みどりの歴史資産保全と市民のくらしというテーマの講演会~.
古の中のアヴァンギャルディズム013
web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/judi/semina/…/kur013.htm – キャッシュ
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巨樹調査しながらもっていた、もわもわ感すっきりした気分です。
(上 口大野府営住宅駐車場の椎 周径 456cm)
丹後半島の巨樹探索を重ねて、現在、確認数約130本を越す勢いです。何かの評価をするのにはまだまだですが、密度としてはなかなかだろうと感じています。
この調査、林道自然ガイドパンフ第二版 に反映させたいと準備しています。
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