宮津エコツアー · 未分類

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丘の上に 憩ふ雲あり 花すすき  堀本祐子

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深まる秋、、、

お前さん どこへ行くんじや 彼岸花   伊丹三樹彦

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うつりきてお彼岸花の花ざかり    種田山頭火

いつまで生きる曼珠沙華咲きだした  種田山頭火

でも今年は、三日四日、彼岸花が遅い気がします。

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ところで、今旬の花、秋のサクラの名所は、上世屋ですよ!

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どこよりも 野辺に似合いし 秋桜   桑原敏枝

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なんていったって、そうですよ!

名所の基準が、わあすげえわくわくどきどき

そこにあるなら、マスフラワーで本数比べ

そうなると何万本と必要になるじゃないですか。

しかし、体力金力勝負、そういうことを花は、望んでいるでしょうか、

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欲しいところに花

そこが名所なんですよ!

 

ニヤッと、くされだまが笑ったような気がしました。

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何を言っているんだ?、、こういうことです!

2012年には「■京都府カテゴリー 絶滅寸前種」だったのが、増加していると改訂で「絶滅危惧種」 となった。増加の原因は、、休耕田の増加や、シカの忌避植物であるため見られる。

、、、、、

つまり、格下げになったのを、誇っているようにかんじたのです。!

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シカに聞いてみると、食べたくないということ、くらくらする、食べるんじゃないよと固くいい伝えられているので、食べないのだということ。

くされだまは,「リュシマキア」。「古代ギリシャの本草学者ディオスコリデスの『薬物誌』には,「リュシマキア」と言う名で記載され,服用すると止血作用や血流改善の効果があり,燻蒸すると蛇や昆虫を追い払う作用があるとされている.」という記述を見つけました。

薬と毒とは裏表、その成分は、アルカロイド テルペノイド 硝酸塩KN03などだといいます。これらはメトヘモグロビン症 チアノーゼを引き起こすというのです。

シカが植物の脅威になっている、そんな鹿食害時代がくる。それを読んで備えていたんだ、どうだ!

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備えあれば憂いなし、イオウソウ(硫黄草)ともいうくされだまの先見の明、恐るべし。

このくされだまの蜜を吸うアブ。

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このアブも、くされだまの毒を身に貯めて他の虫から身を守っているのかもしれません。

 

「木は

愛そのものだ」

とは、田村隆一さんの詩『木』の一節。

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(上 長江のアカガシ 発見・撮影 多々納智氏)

さらに「正義そのものだ」とも。

「愛」とか「正義」という超抽象的な概念を描き、その本質を語るのは容易なことではないじゃないですか!田村氏は「木」という超具体的な言葉と組み合わせれば、それが出来るのではないかと考えられたのかもしれません。

次のような詩です。

木        田村 隆一

木は黙っているから好きだ

木は歩いたり走ったりしないから好きだ

ほんとうにそうか

ほんとうにそうなのか

見る人が見たら

木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で

木は歩いているのだ 空に向かって

木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ

木はたしかにわめかないが

木は

愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

若木

老樹

ひとつとして同じ木がない

ひとつとして同じ星の光のなかで

目ざめている木はない

ぼくはきみのことが大好きだ

、、、、、、、、、、、、、、、

この詩は、東京書籍版「新しい国語2」に掲載されています。愛とは何か、正義とはなにか、生き方と絡めて考え始める時期の子どもにぜひ読ませたいと選りすぐられた作品です。

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それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

、、、、、そうかぁ、それが正義というものかぁ

それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

、、、、、、、、そうかあ、それが愛というものかぁ!

、、、、、、、、、

木がしていること、もっともっとあげてみよう、、、それが愛なんだよ、それが正義なんだよ、、、、

「それでなかったら・・・・はずがない」

ここに田村さんの仕掛けがあるようです。

その仕掛けを生かして、先生と生徒たちはこの詩をどう学ばれるのでしょうか、教室を覗いて見たくなりました。

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さて、二日は、「木に託す もり・まち・人の あす・未来」というテーマで

催された第七十回全国植樹祭(会場・「愛知県森林公園」)。そこで新令和天皇が述べられたお言葉。

、、、、、

我が国は、国土面積の三分の二を森林が占める世界有数の森林国です。健全な森林は、木材を始めとする林産物の供給のみならず、清らかな水、豊かな実りをもたらす大地や海を育み、さらには地球温暖化防止や生物多様性保全にも大切な役割を果たすなど、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれる国民共通の財産といえます。
こうした、森林のかけがえのなさを思うとき、その保全はもちろんのこと、森林を伐採して利用することに伴い、再び苗木を植えて育てることを通じ、健全な森を次世代のために造っていくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます。

全国から参加された皆さんと御一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います。
今、こうして、初めて全国植樹祭に臨み、国土緑化の中心的行事として、七十年にわたり開催されてきた歴史の重みと、国土緑化に長い年月を掛けてこられた先人の努力に思いを馳(は)せ、感慨を覚えます。

ここ愛知県においては、林業の活性化や都市部における木材の利用、さらには、山から街まで緑豊かな愛知の実現に向けた、森と緑づくりを進める取組がなされていると聞き、うれしく思います。
そして、本日表彰を受けられる方々を始め、日頃から各地域において森林や緑づくりに尽力されている全国の皆さんに敬意を表し、そうした活動が、多くの人々によって支えられ、更に発展していくことを期待します。
この度の大会テーマである「木に託す もり・まち・人の あす・未来」にふさわしく、木材の利用や健全な森林づくりの輪が、ここ愛知の地から全国へ、そして未来に向けて大きく広がっていくことを願い、私の挨拶といたします。

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天皇制と木は似ているのかもしれません。

木は

愛そのものだ

正義そのものだ

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人よりもずうっとずうっと長生きで、人の暮らしの側にあって人を見守り、人と一緒に、喜び悲しみ、そして願いをともにし、伝えてきてくれたものってきたもの、と問われたら、もう躊躇なく、「樹」と答えます!

 

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樹は、どれだけも高くなれます、
樹はどれだけも太くなれます。
とはいっても、現代社会は、そんな樹の存在をなかなか許してはくれません。
町はもとより自然の森でも、珍しくなりました。しかし、海の京都・丹後はそんな珍しくなった大きな樹の宝庫なのです。環境省は巨樹の定義、胸の高さでの周径が300cm以上のものとして保全を図っています。そんな巨樹がここにもあそこにも、ごろごろと生育しているのです。信じてもらえるでしょうか。

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論より証拠!丹後里山グランディング、海の京都・ご神木・巨樹巡り令和元年の一回目は、海の京都・社叢のご神木・巨樹巡り大江町内宮の森。

さすがに「元伊勢」の森だと感動したことです

もう一つ勉強したことは、この森にソメイヨシノが一本も無いことです!

そうなんだ、ソメイヨシノは神様のよりしろではまだみとめられていらいんだと勉強になりました。

世屋の在来タンポポです

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ちなみに「日本産のタンポポは、北村(1957)によって21種類に分類され、この分類が多くの図鑑などでも採用されてきた。このうち、近畿地方にはカンサイタンポポ・トウカイタンポポ・セイタカタンポポ・クシバタンポポ・ケンサキタンポポ・ヤマザトタンポポ・シロバナタンポポなどが分布することが知られている。」ということです。

メッシュ柵のそばに群れ咲いているタンポポは、何者なんでしょうか。

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タンポポってどこにもあるじゃないかと、言うことでしょう。でも、在来の日本産は20パーセントに満たないぐらいになっているそうです。つまり、80%は外来種、

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世屋の在来タンポポが何者なのか、調査してみようとおっしゃる方がいらっしゃいませんか、協力しますよ。

 

 

 

 

 

 

 

松尾の一本サクラは二本株立ちです。

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主幹は187cm 副幹は145cm。

実は一本の孤独なサクラじゃないのです。ご主人と連れ添う奥さんの溝口夫婦サクラなのです。そのサクラが満開ですよ!

その①

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その②

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腰が曲がり、髪も曲がった年寄りに風格があるように昭和から平成を咲ききったそのサクラには、木の傷みが出て、花も少なくはなっていますが、格別の味があります。

そして、松尾高原を丹後縦貫林道から。

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2019・てるみさん90回目の米作りががスタートしました。

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たっぷりの水の中で鍬をふるって土をならすてるみさん。米作りと水とは切り離せません。水を操る日々が実りの秋まで続きます。

さて、{1粒の種もみから、標準で約何粒の米が取れるのでしょうか}の質問に、

[答え]1本のいなほには、山形県で作っている「はえぬき」で、だいたい60粒くらいつきます。「ササニシキ」では、だいたい80から100粒くらいつきます。1粒の種もみから、1本の苗ができますが、この苗を田んぼに植えると、「くき」が増えて、1本だったのが10本くらいになります。ですから、「はえぬき」なら、いなほ10本で600粒、「ササニシキ」なら800~1000粒になります。まいた種もみ1粒が600~1000倍になるわけです。

という答えが寄せられていました。

600から3000,数字はちがうものの毎年600倍から3000倍になるという米、米が途方もなく優れた食料であることは、一円が600円から3000円になると例えると、容易に想像できます。そんな米作りについての記事をアップしていらっしゃるのが農業の未来

田んぼの未来、お米の未来 3.田んぼとお米-面積、生産量、水-

karusyoku.com/nougyou/09kouen03
たいそうおもしろいですよ、
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「収穫率」という概念があるのですが、これは一粒蒔くと、一粒の米から何粒の米が収穫できるかを示す数値です。麦でも同じです。「一粒の麦から何粒の麦が収穫できるか」とを示す数値を「収穫率」としています。江戸時代の平均的な10アール当たり収量は1石3斗(193キロ)と言われています。「収穫率は30倍」ということになります。
それに対して小麦。1500年から1820年のフランスの小麦の「収穫率は6.3倍」。それからイギリスの小麦、時代は違いますけれども、「7倍」と言われておりまして、いかにお米の土地面積あたり生産性が高いかということを示しているわけですね。ヨーロッパ農業の規模が日本より大きいのは、土地生産力が低く規模が大きくないと生活できなかったためであり、逆に日本農業の土地生産力の高さが、零細な規模でも生活することを可能にしたということになります。歴史的に中世からずっとほとんど1町(1ヘクタール)という規模で、日本の農業の規模はあまり変わらない。むしろその前の4町というような、そういう名主経営の頃の規模の中世以前の規模の方が大きかったのです。その頃は大家族制だし、いろんな条件が異なりますから、生産力も全然劣るわけですから、4町というように、中世以前の方がむしろ農業の規模は大きかったというような実態でございます。
中世以降というのはほとんど、戦後の農地改革を経ても尚1ヘクタールという。そういう構造の下に、それで家族を養うことができた。時には「水呑み百姓」という言葉がありますから、水だけを飲んで凌がなければいけない時があったことは否定できませんけれども、相対的にいうと非常に生産力の高い土地として、水田というものがあるということ。
世界を見渡せば、東アジア、アジア全体が零細規模ですね。それはみな「水田」ということで説明されるところかなと思います。


つぎに、田んぼが一体わが国にどれだけの面積あったのかを、ずっと遡ってみておきたいと思います。
現在の239万ヘクタールの水田は、一体どこまで遡ったらその面積なのだろうかと、ずんずん遡ってみますと、どうも統計的には大体明治36年のデータで281万ヘクタールなんですね。それ以前は農地の面積しかないもんですから、そういうことですから、239万ヘクタールという水田は「明治の初期段階ぐらいかな」ということになるかと思います。
1600年頃の水田面積は、歴史書を紐解かなければいけない、統計書ではおさえられないんですね。1600年と言えば「関が原の戦い」の年なんですが、その時の農地面積が205万ヘクタール。ですから当然のことながら水田はそれよりも小さいということになるわけです。
それから100年ごとに見て行きますと、1700年(元禄13年)282万ヘクタール。残念ながらすべて農地面積なのですけれども、100年後の1800年もほとんど変わらずで282万ヘクタールです。そして1872年(明治5年)に321万ヘクタールとなっています。
ですから、水田ということになると、どうもやはり明治初期に現在の239万ヘクタールというものがあったのではないかと思います。ただ、生産調整をやってきましたので、定着分という果樹が植わって、あるいは改廃で元は田んぼだったんだけど、そういう状態にあるものがその他に30万ヘクタールありますから、270万ヘクタールであるとも言えます。


それから「単位当たり収量」ですね。これも調べていて大変興味深かったのですが、「100キロ増やすのに何年掛かっているのか」という見方をしますと、1886年(明治19年)から1935年(昭和10年)の50年間で、200キロから300キロに100キロ増える。1936年の300キロから1965年の400キロになるのに30年間掛かる。そして1966年(昭和41年)から1983年の18年間で400キロから500キロになっています。そしてその後11年間ぐらい500キロ前後で変動して、安定的に500キロ以上になるのが、1994年(平成6年)から今日までの15年間ということになります。いままで全国平均で最高は544キロというのが最高水準です。ですからなかなか500キロの後半までは進めないでいる。ですから今までの50年掛かった。30年掛かった。18年掛かった。というテンポで行くと、もう600キロまでいかないかもしれないわけですね。というのは、「量より質」に変わってきましたから、「もう収量を求めない」という方向が非常に強くなっているわけですから、必ずしも600キロには永久に行かないかもわからないわけですね。まあそんなような生産力の推移をたどっている。


ただ、今回調べ切れなかったのは、「玄米食から白米食に切り替わったのはいつか」なのです。多分、江戸時代ではないかと思っています。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩の中に、米の消費量が出てくるんですね。「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と出てくるんですね。「1日に玄米4合を食べていた」宮沢賢治の時代はそういうことだったんですね。今は「玄米食ブーム」で、玄米を食べる人がまた少し増えているようですけれども。白米食になったのは多分江戸時代ではないかなと思っています。


つぎに「収穫量」についてみています。現在が855万トンということでいきますと、同水準の収穫量をどこまで遡れば見出せるのかとみて行きますと、1916年(大正5年)852万トンあたりがもっとも現在に近い水準かということになります。ただ、戦後1945年(昭和20年)に582万トンまで落ち込むんですね。当時「ひもじかった」ですよね。その水準が582万トンで、そこから急速に回復しまして、戦前水準を回復するのが1955年(昭和30年)です。そしてそれから12、3年後の1967年(昭和42年)に1426万トンの最高水準を記録して、そしてそこから「生産調整時代」に入っていったということで、現在855万トンということになっております。

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もう一つ、「田んぼとお米」と言えば「水」が非常に重要な意味をもつことになりますが、6ページに「水」についてふれています。
1トンの穀物を生産するのに1000トンの水が必要。1000倍ということですね。1キロの牛肉を生産するのに20トンの水が必要ということで、これは20000倍ということになります。もっとも豊富な水を有する日本が世界最大の食料輸入国になっている。しかも、日本の水は再生産が可能な水です。農業にとっての比較優位性というものがあるのですが、再生産可能な水を持っているということは、もちろんこれは世界的に見ても日本農業の優位性ですよね。実態を見てみますと、これも非常にアジア的といいますか、日本的といいますか、農業用水の9割が河川、そして1割がため池、地下水からの取水はわずかに1パーセントということになっているわけですね。ですから雨が降ったら川の水が浄化される。あるいは森林の山が降った水を貯水する機能を持っていてくれる。田んぼも貯水機能を持っています。そうやって一度降った水を有効に使っているわけです。
水の惑星地球で起こっている水収支のアンバランスが非常に大きな問題なってきておりまして、今世紀は「ウォータークライシスの世紀」だとも言われるわけです。そういう感覚からいくと、例えばアメリカのオガララ帯水層、地下水を利用して農業をやっている農業の場合はどういうことになるのか。
国連環境計画(UNEP)によりますと、世界最大の地下水の宝庫と言われるアメリカのロッキー山脈の東部に広がるグレート・プレーンズ南部、テキサスなど8つの州にまたがるオガララ帯水層の5分の1が消滅した。アメリカ合衆国の中央平原に埋蔵されるオガララ帯水層、数千年をかけて形成された地下水、「化石水」と言いますが、これが年々3メートル低下し続けている。「これはたまらない」ということで「水利費」の値上げを検討していると言われています。
そういう水事情があってですね、しかし「水の再生産」というのは、短期に見るか、長期に見るかで違ってきます。地球史的に見ればオガララ帯水層だって再生産の中に入っているという言い方ができないことはないのです。ここで言っている「再生産」というのはもっと短期ですね。要するに雨量があって、そして流れがあって、ヨーロッパの人が「日本中滝だらけだ」と言ったような激しい流れの川があってという中で、水田、稲作というものが成立しているということです。

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「収穫率」水田面積「単位当たり収量」白米食「収穫量」「水」など歴史的にまた世界と比較して捌いてくださっているわけですが、どんな方が講演なさっているのでしょうか、

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こんな視点を持ってみれば、美しい棚田景観の味わいがまったく違ったものになってきますよ。

ほんとにおもしろいです、

日置・金剛心院のソメイヨシノ。

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この樹の胸高周径325cm。

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一本で勝負しているのはさすがです。日置は、「丹後国風土記逸文」に、

浦嶼子
丹後の国の風土記に曰はく、與謝の郡、日置の里。此の里に筒川の村あり。此の人夫、日下部首等が先祖の名を筒川の嶼子と云ひき。爲人、姿容秀美しく、風流なること類なかりき。斯は謂はゆる水の江の浦嶼の子といふ者なり。…

とあるその「日置の里」で、古い歴史を刻んだ里にふさわしい巨樹です。

どうどうと勝負してらっしゃるということなら、東京からビックニュース。

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今年の本屋大賞は、日置中学校※現在閉校で教鞭をとりながら、『天国はまだ遠く』をものされた瀬尾まいこさんが選ばれたということです。

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ちなみに日本各地にある「日置」という地名人名の由来について、https://tangonotimei.com/doc/tango/ooe/miyazuidx.htmlで、斎藤喜一さんが、

水谷慶一氏の著、『知られざる古代』を取り上げ、

…さて、これだけ同一の緯度上にかなりの密度でならぶ「日置」であるが、これをどのような氏族とみるかは学者によって実にまちまちである。この方も、これまでの説をいちおう整理しておこう。
①太陽神をまつり、暦法・卜占と関係のある集団とみる説。これについては第四章でかなり詳しく述べた。柳田国男や折口信夫によって代表される。
②浄火を常置し、これを管理する集団とみる説。いわゆる「消えずの火」や「火継ぎの神事」にかかわったものとし、のちに宮廷で油火と蝋燭の供給を受け持ったとする。これは民俗学者の中山太郎らによって代表される。
③日置は「ヘキ」と読むのが正しく、もともと戸置の字を当てるべきで、これは租税を徴集するために戸数を調べ置く意味だという説。江戸時代の国学者、伴信友や太田亮によって代表される。

と紹介してくださっています。

日置には、天の神様が地に降りてこられるときの目印の火を焚いていたという②浄火を常置し、これを管理する集団とみる説。に基づくと思われる話が伝承されているとのことです。

 

 

 

日置・妙圓寺は、サクラ寺です。

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サクラといっても、ヤマザクラなのです。

おっさんもこのヤマザクラが自慢なのです、なにしろ四本の木がいずれも樹齢100年は経つ巨木なのですから。

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さらに、

しきしまの やまとごころを ひととわば; あさひににお(お) やまざくらばな

実にすらすらと暗唱してくださいました。

国学の本居宣長の歌だということですが、「この歌が好きだったのは誰だと思う?」

(え!)

「よしだしょういんだぞ!」

吉田松陰、、なんだかヤマザクラがとんでもなく好きになりました。

ところで、本居宣長がこのヤマザクラをどんなに愛していたのかを評論家・小林秀雄さんが学生を相手に語ってらっしゃいます。

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本居宣長「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 』(12-14頁)
 諸君は本居さんのものなどお読みにならないかも知れないが、「敷島(しきしま)の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(やまざくらばな)」という歌くらいはご存じでしょう。この有名な歌には、少しもむつかしいところはないようですが、調べるとなかなかむずかしい歌なのです。先(ま)ず第一、山桜を諸君ご存じですか。知らないでしょう。山桜とはどういう趣の桜か知らないで、この歌の味わいは分るはずはないではないか。宣長さんは大変桜が好きだった人で、若い頃から庭に桜を植えていたが、「死んだら自分の墓には山桜を植えてくれ」と遺言を書いています。その山桜も一流のやつを植えてくれと言って、遺言状には山桜の絵まで描いています。花が咲いて、赤い葉が出ています。山桜というものは、必ず花と葉が一緒に出るのです。諸君はこのごろ染井吉野という種類の桜しか見ていないから、桜は花が先に咲いて、あとから緑の葉っぱが出ると思っているでしょう。あれは桜でも一番低級な桜なのです。今日の日本の桜の八十パーセントは染井吉野だそうです。これは明治になってから広まった桜の新種なので、なぜああいう種類がはやったかというと、最も植木屋が育てやすかったからだそうで、植木屋を後援したのが文部省だった。小学校の校庭にはどこにも桜がありますが、まあ、あれは文部省と植木屋が結託して植えたようなもので、だから小学校の生徒はみなああいう俗悪な花が桜だと教えられて了(しま)うわけだ。宣長さんが「山桜花」と言ったって分からないわけです。
 「匂う」という言葉もむずかしい言葉だ。これは日本人でなければ使えないような言葉と言っていいと思います。「匂う」はもともと「色が染まる」ということです。「草枕たび行く人も行き触れば匂ひぬべくも咲ける萩かも」という歌が万葉集にあります。旅行く人が旅寝をすると萩の色が袖に染まる、それを「萩が匂う」というのです。それから「照り輝く」という意味にもなるし、無論「香(か)に匂う」という、今の人が言う香り、匂いの意味にもなるのです。触覚にも言うし、視覚にも言うし、艶っぽい、元気のある盛んなありさまも「匂う」と言う。だから、山桜の花に朝日がさした時には、いかにも「匂う」という感じになるのです。花の姿や言葉の意味が正確に分らないと、この歌の味わいは分りません。
 宣長さんは遺言状の中で、お墓の格好をはじめ何から何まで詳しく指定しています。何もかも質素に質素にと指定していますが、山桜だけは本当に見事なものを植えてくれと書いています。今、お墓参りをしてみると、後の人が勝手に作ったものですが、立派な石垣などめぐらし、周りにいろいろ碑などを立てている。しかし肝腎の桜の世話などしてはいないという様子です。実に心ない業(わざ)だと思いました。

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ついでに ヤマザクラの雑学。
ヤマザクラ山桜、学名:Cerasus jamasakura)はバラ科サクラ属の落葉高木。日本に10種あるサクラ属の基本野生種の中でも代表的な種で、和歌にも数多く詠まれている。 サクラの仲間では寿命が長く、ときに樹高30mを超える大木になる

・花は直径3センチほどで、色は白が基本だが、ほんのりとピンク色を帯びるものもあり、実生によって自然に変異したバリエーションがある。現代人にとっては地味に見える花だが、ソメイヨシノが普及する明治時代以前には広く国民に好まれていた。

■・6月から7月にかけて直径1センチ前後のサクランボがなるものの、苦味があって食べられない。

■他のサクラ類同様、剪定に弱い上に移植も難しいため、雄大な樹形を楽しめる場所に植える必要がある。

■【品種】・数多くの変種、園芸品種があるが、「薄毛山桜」、「大山桜」、「紅南殿」、「兼六園熊谷」が特に知られる。

ところで、今日は一日新元号「令和」で持ちきり。 出典は現存する日本最古の古典「万葉集」から。32首の序文にある梅の花の歌、「初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(かぜやわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」という文言から引用したといいます。

同じ花でも、ウメに遅れをとったかんもないわけではありませんが、

令月の用語解説 – 1 何事をするにもよい月。めでたい月。「嘉辰(かしん)令月」2 陰暦2月の異称。 かしんれいげつ. 意味, めでたい月日のこと。 「嘉辰」はめでたい日。 「令月」はめでたい月」。

この意味で「令」を使われたら、3月4月に咲くサクラはかないませんけれど、「匂う」という感じではヤマザクラもまけちゃいないと思います。

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(↑ 伊根湾のヤマザクラ)

梅の花、咲きて散りなば、桜花、継ぎて咲くべく、なりにてあらずや  藥師張氏福子

さて、万葉植物は今の里山植物、そんなことで、ここには、ヤマザクラを植えようとおもいました。

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 あしひきの、山桜戸を、開けおきて、我が待つ君を、誰れかとどむる  作者 不明

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あらためて、日置・妙圓寺、みのがせませんよ!

「燃やすべき 今日の心や 椿燃ゆ」    と  上野泰さん。

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ツバキは、燃やされて灰になっても、というより、灰になるから重宝にされるということですね。

「灰日本酒醸造には木灰が必要で、ツバキの木灰が最高とされている。また、アルミニウムを多く含むことから、古くは染色用にも用いられた。しかし、ツバキが少ないため、灰の入手は難しい。」

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赤椿咲きし真下へ落ちにけり  と加藤暁台さん、

また、野見山朱鳥さんも「落椿天地ひつくり返りけり」

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花が仰向けに落下するところをよんでらっしゃいます。 これには理由があって、 雄蕊ごと落ち、根元の部分が重いため、ということです。

「人を見る如く 椿の花円く」  と岸本尚毅さん、

人はツバキに見られている!とされたところはすごいですね。

雑学 

その①「椿」は、実は漢字ではない。日本で作られたいわゆる「国字」という文字で、中国では通用せず、本当の漢字(ああ、ややこしい)での「椿」は「山茶」と書く。

その② 木炭ツバキの木炭は品質が高く、昔は大名の手焙りに使われた。

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