宮津エコツアー · 未分類

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丹後の水源林 野間駒倉谷のケヤキの巨樹。

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「時知らず 此処に生いたち 枝張れる 老木、、、、」といった風情です。

この歌、

時知らず 此処に生いたち 枝張れる 老木見れば なつかしきかも

山渓の70周年特集・巨樹に聞け に採用されている歌です。

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歌人は、旅の歌人 若山牧水さん。

彼の紀行文「みなかみ紀行」にあります。

「なつかしき」にこめた意味が様々に解釈されておもしろいです。この老木とは「樹齢800年をこえるタチヤナギ」どこらにあったものかというと「上野の国より下野の国へ越えむとて片品川の水源林を過ぐ。」ということです、

その片品川!板東太郎・利根川の支流で、

「群馬県と栃木県福島県の境界に位置する黒岩山に源を発し、片品村を概ね南西方向に流れ、沼田市新町で利根川に合流する。全長60.8km。本流沿いの会津沼田街道会津に通じ、尾瀬への通路をなす。支流の小川筋は金精峠を経て日光に通じ、菅沼丸沼大尻沼がある。中流部には吹割渓谷(片品渓谷)および吹割の滝(国の天然記念物および名勝)、老神温泉薗原ダム(薗原湖)などがあり、下流部は赤城山北麓と沼田盆地の間を西流し、河岸段丘が発達する。」

という川。

このみなかみ紀行、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で読めますよ。

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群馬県片品村 白根魚苑             利根郡片品村東小川4653

26日生方と別れた牧水は、丸沼の鱒養殖の番小屋に泊めてもらうため東小川村の千明家を訪れ、その日は白根温泉に泊まる。そして翌日、丸沼へと向かうのであるが、歌はその途中でのもの。白根魚苑は千明家が経営し、ニジマスなど100万尾の魚を養殖等している「奥日光のファミリーランド」というのが現在に謳い文句であるようだが、そこの樹齢800年をこえるタチヤナギの下に歌碑がある。文字は牧水の種々の筆蹟から集めたという。

『山桜の歌』には、「上野の国より下野の国へ越えむとて片品川の水源林を過ぐ。」として10首。

下草の笹のしげみの光りゐてならび寒けき冬木立かも

聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色にみゆ

等の歌と共にあるといいます。

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正面に淺間山が方六里に渡るといふ裾野を前にその全體を露はして聳えてゐる。聳ゆるといふよりいかにもおつとりと双方に大きな尾を引いて靜かに鎭座してゐるのである。朝あがりのさやかな空を背景に、その頂上からは純白な煙が微かに立つてやがて湯氣の樣に消えてゐる。空といひ煙といひ、山といひ野原といひ、すべてが濡れた樣に靜かで鮮かであつた。濕つたつちをぴたぴたと踏みながら我等二人は、いま漸く旅の第一歩を踏み出す心躍りを感じたのである。地圖を見ると丁度その地點が一二〇八米突メートルの高さだと記してあつた。
とり/″\に紅葉した雜木林の山を一里半ほども降つて來ると急に嶮しい坂に出會つた。見下す坂下には大きな谷が流れ、その對岸に同じ樣に切り立つた崖の中ほどには家の數十戸か二十戸か一握りにしたほどの村が見えてゐた。九十九折つづらをりになつたその急坂を小走りに走り降ると、坂の根にも同じ樣な村があり、普通の百姓家と違はない小學校なども建つてゐた。對岸の村は生須村、學校のある方は小雨こさめ村と云ふのであつた。

九十九折つづらをりけはしき坂を降り來れば橋ありてかかる峽の深みに
おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨こさめの里といふにぞありける
蠶飼こがひせし家にかあらむを壁を拔きて學校となしつ物教へをり
學校にもの讀める聲のなつかしさ身にしみとほる山里過ぎて
夜、宿屋で歌會が開かれた。二三日前の夜訪ねて來た人たちを中心とした土地の文藝愛好家達で、歌會とは云つても專門に歌を作るといふ人々ではなかつた。みな相當の年輩の人たちで、私は彼等から土地の話を面白く聞く事が出來た。そして思はず酒をも過して閉會したのは午前一時であつた。法師で會つたK―君も夜更けて其處からやつて來た。この人たちは九里や十里の山路を歩くのを、ホンの隣家に行く氣でゐるらしい。
枯木なす冬木の林ゆきゆきて行きあへる紅葉にこころ躍らす
もみぢ葉のいま照り匂ふ秋山の澄みぬるすがた寂しとぞ見し
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この、タチヤナギの老木、お出会いしたいものです、健在なら、樹齢900才。
また、この旅を記念して牧水さんの歌碑苑が作られていると言うこと、五感でとらえて心でこなして、印象にびったりと当てはまる言葉への置き換えを模索する言葉の力、これはすっごいですから、納得です!

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片品川の水源、そのスケールこそかなわないといやあかないませんが、丹後の水源林の漂わせる秘境感もなかなかのもの、その谷に生育する巨樹探し、行きませんか!

大宮バイパス三坂付近。

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冬の虹円かにかかる祝意かな  千原叡子

冬の虹まだ吾に運あるらしき  鶴目鯛遊子

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なにか得した気分になるものです。

見とれけり後ろ髪引く冬の虹  高木智

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冬虹の裏なる能登へ旅つづけ 岩垣子鹿

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冬虹の下にあるとや奥丹後  世屋野蕪村

花の色は移りにけりな、、、

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日本の芸能文化史に名を刻む小野小町さん、

彼女が晩年を過ごしたのは、丹後の国三重の庄五十河の里、ではないかとされています。

九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる

この三重というのが、根拠です。

とはいうものの本当かどうかはわかりません、各地に小町伝説はあります。

大切なのは、疑いつつ信じること!

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旧大宮町が、小町さんにまつわるエピソードを取り込んで公園として整備したのも、そんなエネルギーがあってこそでしょう。

そんな公園に深まる秋、

情熱こそ人生!

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まだ少しある筈なのですわたしにも熱情といふ生真面目なもの.  七戸. 大串. 靖子さん

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九重の花の都での熱く燃える一線の活動からは引退するけれども、里の人たちに文字や歌を教えることに、第二の人生の意義を見つけ、「まだすこしある熱情」を傾けて過ごしたのではないかなぁと思えたりしてきます。

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年取用の干し柿。

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「この干し柿たち、小町さんが剥いたのですって、一晩で!」

そんな伝説をここに植えられたブナも、あほいうて、とわらっています。

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絶世の美女として知られる小野小町が、この地で辞世の句を残しこの世を去ったといわれる、小町ゆかりの公園。神殿づくり(※寝殿作り ではないでしょうか)をイメージして建てられた「小町の舎」には、小野小町に関する文献・資料が展示してある。また、そば処「歌仙」では、五十河の自然の中でとれたそば粉を使い、「ひきたて、手打ち、湯がきたて」にこだわったそばを提供している。

さて、この小町公園が、いま期待されているのが、丹後縦貫林道成相線の全通によって、丹後自然観察ツアーの基点・拠点になることです。

先日迎えたお客さんは京北町で、活躍される樹々の会のおばちゃんたち。

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そのコース!

京北出発7;00→自動車道京丹後森本インター→小町公園(休憩・小町資料館など見学)→丹後縦貫林道成相線→

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ビューポイント→ブナ・ミズナラ個体群横断→せや高原矢野武さん農園

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→上世屋の里・

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へーぇえ!「ちいさなはなこそたいせつにそだてよう、だって」

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「きれいやなあ!」

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藤織り伝承館→

ここでは、古代布藤布を着せてもらいました!

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お昼は、しおぎり荘

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世屋谷を日置へ下って、ここで海岸通りと合流。

お土産の買い物は海産物専門のやまいちさんで→

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こんな可愛いお土産も。

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自動車道与謝野インター14;00→京北町

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さらに、このコースのバリエーション。

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駒倉側入山口から、観察道を辿って高山・内山ブナ林、丹後半島最高地点702mに立つことが出来ます。

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このコースを丹後のやまちゃんの手によるウエブ『ブラタンゴ 花鳥風月』がアップしてくださっています。とくに貴重なのが、ドローンによる高山山頂上空からの紅葉の山の空撮写真。

伊根方向です。

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下は、丹後町方向、真ん中に宇川野間の谷、その左にガラシャの里、味土野と金剛童子山!

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京都府が、ブナ・ミズナラを中心とした充実した落葉広葉樹の森を、自然環境保全地域に指定している意味を実感させてくれる貴重な映像です。

また、このコースご案内は、丹後半島エコミュージアムサービス、川内さんまでお問い合わせください。連絡先 090-3162-4499

 

 

 

 

 

 

丘の上に 憩ふ雲あり 花すすき  堀本祐子

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深まる秋、、、

お前さん どこへ行くんじや 彼岸花   伊丹三樹彦

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うつりきてお彼岸花の花ざかり    種田山頭火

いつまで生きる曼珠沙華咲きだした  種田山頭火

でも今年は、三日四日、彼岸花が遅い気がします。

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ところで、今旬の花、秋のサクラの名所は、上世屋ですよ!

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どこよりも 野辺に似合いし 秋桜   桑原敏枝

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なんていったって、そうですよ!

名所の基準が、わあすげえわくわくどきどき

そこにあるなら、マスフラワーで本数比べ

そうなると何万本と必要になるじゃないですか。

しかし、体力金力勝負、そういうことを花は、望んでいるでしょうか、

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欲しいところに花

そこが名所なんですよ!

 

ニヤッと、くされだまが笑ったような気がしました。

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何を言っているんだ?、、こういうことです!

2012年には「■京都府カテゴリー 絶滅寸前種」だったのが、増加していると改訂で「絶滅危惧種」 となった。増加の原因は、、休耕田の増加や、シカの忌避植物であるため見られる。

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つまり、格下げになったのを、誇っているようにかんじたのです。!

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シカに聞いてみると、食べたくないということ、くらくらする、食べるんじゃないよと固くいい伝えられているので、食べないのだということ。

くされだまは,「リュシマキア」。「古代ギリシャの本草学者ディオスコリデスの『薬物誌』には,「リュシマキア」と言う名で記載され,服用すると止血作用や血流改善の効果があり,燻蒸すると蛇や昆虫を追い払う作用があるとされている.」という記述を見つけました。

薬と毒とは裏表、その成分は、アルカロイド テルペノイド 硝酸塩KN03などだといいます。これらはメトヘモグロビン症 チアノーゼを引き起こすというのです。

シカが植物の脅威になっている、そんな鹿食害時代がくる。それを読んで備えていたんだ、どうだ!

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備えあれば憂いなし、イオウソウ(硫黄草)ともいうくされだまの先見の明、恐るべし。

このくされだまの蜜を吸うアブ。

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このアブも、くされだまの毒を身に貯めて他の虫から身を守っているのかもしれません。

 

「木は

愛そのものだ」

とは、田村隆一さんの詩『木』の一節。

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(上 長江のアカガシ 発見・撮影 多々納智氏)

さらに「正義そのものだ」とも。

「愛」とか「正義」という超抽象的な概念を描き、その本質を語るのは容易なことではないじゃないですか!田村氏は「木」という超具体的な言葉と組み合わせれば、それが出来るのではないかと考えられたのかもしれません。

次のような詩です。

木        田村 隆一

木は黙っているから好きだ

木は歩いたり走ったりしないから好きだ

ほんとうにそうか

ほんとうにそうなのか

見る人が見たら

木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で

木は歩いているのだ 空に向かって

木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ

木はたしかにわめかないが

木は

愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

若木

老樹

ひとつとして同じ木がない

ひとつとして同じ星の光のなかで

目ざめている木はない

ぼくはきみのことが大好きだ

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この詩は、東京書籍版「新しい国語2」に掲載されています。愛とは何か、正義とはなにか、生き方と絡めて考え始める時期の子どもにぜひ読ませたいと選りすぐられた作品です。

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それでなかったら地下水を根から吸いあげて

空にかえすはずがない

、、、、、そうかぁ、それが正義というものかぁ

それでなかったら小鳥が飛んできて

枝にとまるはずがない

、、、、、、、、そうかあ、それが愛というものかぁ!

、、、、、、、、、

木がしていること、もっともっとあげてみよう、、、それが愛なんだよ、それが正義なんだよ、、、、

「それでなかったら・・・・はずがない」

ここに田村さんの仕掛けがあるようです。

その仕掛けを生かして、先生と生徒たちはこの詩をどう学ばれるのでしょうか、教室を覗いて見たくなりました。

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さて、二日は、「木に託す もり・まち・人の あす・未来」というテーマで

催された第七十回全国植樹祭(会場・「愛知県森林公園」)。そこで新令和天皇が述べられたお言葉。

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我が国は、国土面積の三分の二を森林が占める世界有数の森林国です。健全な森林は、木材を始めとする林産物の供給のみならず、清らかな水、豊かな実りをもたらす大地や海を育み、さらには地球温暖化防止や生物多様性保全にも大切な役割を果たすなど、私たちに様々な恩恵をもたらしてくれる国民共通の財産といえます。
こうした、森林のかけがえのなさを思うとき、その保全はもちろんのこと、森林を伐採して利用することに伴い、再び苗木を植えて育てることを通じ、健全な森を次世代のために造っていくことは、私たちに課せられた大切な使命であると考えます。

全国から参加された皆さんと御一緒に植樹を行うことを喜ばしく思います。
今、こうして、初めて全国植樹祭に臨み、国土緑化の中心的行事として、七十年にわたり開催されてきた歴史の重みと、国土緑化に長い年月を掛けてこられた先人の努力に思いを馳(は)せ、感慨を覚えます。

ここ愛知県においては、林業の活性化や都市部における木材の利用、さらには、山から街まで緑豊かな愛知の実現に向けた、森と緑づくりを進める取組がなされていると聞き、うれしく思います。
そして、本日表彰を受けられる方々を始め、日頃から各地域において森林や緑づくりに尽力されている全国の皆さんに敬意を表し、そうした活動が、多くの人々によって支えられ、更に発展していくことを期待します。
この度の大会テーマである「木に託す もり・まち・人の あす・未来」にふさわしく、木材の利用や健全な森林づくりの輪が、ここ愛知の地から全国へ、そして未来に向けて大きく広がっていくことを願い、私の挨拶といたします。

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天皇制と木は似ているのかもしれません。

木は

愛そのものだ

正義そのものだ

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人よりもずうっとずうっと長生きで、人の暮らしの側にあって人を見守り、人と一緒に、喜び悲しみ、そして願いをともにし、伝えてきてくれたものってきたもの、と問われたら、もう躊躇なく、「樹」と答えます!

 

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樹は、どれだけも高くなれます、
樹はどれだけも太くなれます。
とはいっても、現代社会は、そんな樹の存在をなかなか許してはくれません。
町はもとより自然の森でも、珍しくなりました。しかし、海の京都・丹後はそんな珍しくなった大きな樹の宝庫なのです。環境省は巨樹の定義、胸の高さでの周径が300cm以上のものとして保全を図っています。そんな巨樹がここにもあそこにも、ごろごろと生育しているのです。信じてもらえるでしょうか。

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論より証拠!丹後里山グランディング、海の京都・ご神木・巨樹巡り令和元年の一回目は、海の京都・社叢のご神木・巨樹巡り大江町内宮の森。

さすがに「元伊勢」の森だと感動したことです

もう一つ勉強したことは、この森にソメイヨシノが一本も無いことです!

そうなんだ、ソメイヨシノは神様のよりしろではまだみとめられていらいんだと勉強になりました。

世屋の在来タンポポです

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ちなみに「日本産のタンポポは、北村(1957)によって21種類に分類され、この分類が多くの図鑑などでも採用されてきた。このうち、近畿地方にはカンサイタンポポ・トウカイタンポポ・セイタカタンポポ・クシバタンポポ・ケンサキタンポポ・ヤマザトタンポポ・シロバナタンポポなどが分布することが知られている。」ということです。

メッシュ柵のそばに群れ咲いているタンポポは、何者なんでしょうか。

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タンポポってどこにもあるじゃないかと、言うことでしょう。でも、在来の日本産は20パーセントに満たないぐらいになっているそうです。つまり、80%は外来種、

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世屋の在来タンポポが何者なのか、調査してみようとおっしゃる方がいらっしゃいませんか、協力しますよ。

 

 

 

 

 

 

 

松尾の一本サクラは二本株立ちです。

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主幹は187cm 副幹は145cm。

実は一本の孤独なサクラじゃないのです。ご主人と連れ添う奥さんの溝口夫婦サクラなのです。そのサクラが満開ですよ!

その①

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その②

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腰が曲がり、髪も曲がった年寄りに風格があるように昭和から平成を咲ききったそのサクラには、木の傷みが出て、花も少なくはなっていますが、格別の味があります。

そして、松尾高原を丹後縦貫林道から。

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2019・てるみさん90回目の米作りががスタートしました。

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たっぷりの水の中で鍬をふるって土をならすてるみさん。米作りと水とは切り離せません。水を操る日々が実りの秋まで続きます。

さて、{1粒の種もみから、標準で約何粒の米が取れるのでしょうか}の質問に、

[答え]1本のいなほには、山形県で作っている「はえぬき」で、だいたい60粒くらいつきます。「ササニシキ」では、だいたい80から100粒くらいつきます。1粒の種もみから、1本の苗ができますが、この苗を田んぼに植えると、「くき」が増えて、1本だったのが10本くらいになります。ですから、「はえぬき」なら、いなほ10本で600粒、「ササニシキ」なら800~1000粒になります。まいた種もみ1粒が600~1000倍になるわけです。

という答えが寄せられていました。

600から3000,数字はちがうものの毎年600倍から3000倍になるという米、米が途方もなく優れた食料であることは、一円が600円から3000円になると例えると、容易に想像できます。そんな米作りについての記事をアップしていらっしゃるのが農業の未来

田んぼの未来、お米の未来 3.田んぼとお米-面積、生産量、水-

karusyoku.com/nougyou/09kouen03
たいそうおもしろいですよ、
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「収穫率」という概念があるのですが、これは一粒蒔くと、一粒の米から何粒の米が収穫できるかを示す数値です。麦でも同じです。「一粒の麦から何粒の麦が収穫できるか」とを示す数値を「収穫率」としています。江戸時代の平均的な10アール当たり収量は1石3斗(193キロ)と言われています。「収穫率は30倍」ということになります。
それに対して小麦。1500年から1820年のフランスの小麦の「収穫率は6.3倍」。それからイギリスの小麦、時代は違いますけれども、「7倍」と言われておりまして、いかにお米の土地面積あたり生産性が高いかということを示しているわけですね。ヨーロッパ農業の規模が日本より大きいのは、土地生産力が低く規模が大きくないと生活できなかったためであり、逆に日本農業の土地生産力の高さが、零細な規模でも生活することを可能にしたということになります。歴史的に中世からずっとほとんど1町(1ヘクタール)という規模で、日本の農業の規模はあまり変わらない。むしろその前の4町というような、そういう名主経営の頃の規模の中世以前の規模の方が大きかったのです。その頃は大家族制だし、いろんな条件が異なりますから、生産力も全然劣るわけですから、4町というように、中世以前の方がむしろ農業の規模は大きかったというような実態でございます。
中世以降というのはほとんど、戦後の農地改革を経ても尚1ヘクタールという。そういう構造の下に、それで家族を養うことができた。時には「水呑み百姓」という言葉がありますから、水だけを飲んで凌がなければいけない時があったことは否定できませんけれども、相対的にいうと非常に生産力の高い土地として、水田というものがあるということ。
世界を見渡せば、東アジア、アジア全体が零細規模ですね。それはみな「水田」ということで説明されるところかなと思います。


つぎに、田んぼが一体わが国にどれだけの面積あったのかを、ずっと遡ってみておきたいと思います。
現在の239万ヘクタールの水田は、一体どこまで遡ったらその面積なのだろうかと、ずんずん遡ってみますと、どうも統計的には大体明治36年のデータで281万ヘクタールなんですね。それ以前は農地の面積しかないもんですから、そういうことですから、239万ヘクタールという水田は「明治の初期段階ぐらいかな」ということになるかと思います。
1600年頃の水田面積は、歴史書を紐解かなければいけない、統計書ではおさえられないんですね。1600年と言えば「関が原の戦い」の年なんですが、その時の農地面積が205万ヘクタール。ですから当然のことながら水田はそれよりも小さいということになるわけです。
それから100年ごとに見て行きますと、1700年(元禄13年)282万ヘクタール。残念ながらすべて農地面積なのですけれども、100年後の1800年もほとんど変わらずで282万ヘクタールです。そして1872年(明治5年)に321万ヘクタールとなっています。
ですから、水田ということになると、どうもやはり明治初期に現在の239万ヘクタールというものがあったのではないかと思います。ただ、生産調整をやってきましたので、定着分という果樹が植わって、あるいは改廃で元は田んぼだったんだけど、そういう状態にあるものがその他に30万ヘクタールありますから、270万ヘクタールであるとも言えます。


それから「単位当たり収量」ですね。これも調べていて大変興味深かったのですが、「100キロ増やすのに何年掛かっているのか」という見方をしますと、1886年(明治19年)から1935年(昭和10年)の50年間で、200キロから300キロに100キロ増える。1936年の300キロから1965年の400キロになるのに30年間掛かる。そして1966年(昭和41年)から1983年の18年間で400キロから500キロになっています。そしてその後11年間ぐらい500キロ前後で変動して、安定的に500キロ以上になるのが、1994年(平成6年)から今日までの15年間ということになります。いままで全国平均で最高は544キロというのが最高水準です。ですからなかなか500キロの後半までは進めないでいる。ですから今までの50年掛かった。30年掛かった。18年掛かった。というテンポで行くと、もう600キロまでいかないかもしれないわけですね。というのは、「量より質」に変わってきましたから、「もう収量を求めない」という方向が非常に強くなっているわけですから、必ずしも600キロには永久に行かないかもわからないわけですね。まあそんなような生産力の推移をたどっている。


ただ、今回調べ切れなかったのは、「玄米食から白米食に切り替わったのはいつか」なのです。多分、江戸時代ではないかと思っています。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩の中に、米の消費量が出てくるんですね。「一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ」と出てくるんですね。「1日に玄米4合を食べていた」宮沢賢治の時代はそういうことだったんですね。今は「玄米食ブーム」で、玄米を食べる人がまた少し増えているようですけれども。白米食になったのは多分江戸時代ではないかなと思っています。


つぎに「収穫量」についてみています。現在が855万トンということでいきますと、同水準の収穫量をどこまで遡れば見出せるのかとみて行きますと、1916年(大正5年)852万トンあたりがもっとも現在に近い水準かということになります。ただ、戦後1945年(昭和20年)に582万トンまで落ち込むんですね。当時「ひもじかった」ですよね。その水準が582万トンで、そこから急速に回復しまして、戦前水準を回復するのが1955年(昭和30年)です。そしてそれから12、3年後の1967年(昭和42年)に1426万トンの最高水準を記録して、そしてそこから「生産調整時代」に入っていったということで、現在855万トンということになっております。

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もう一つ、「田んぼとお米」と言えば「水」が非常に重要な意味をもつことになりますが、6ページに「水」についてふれています。
1トンの穀物を生産するのに1000トンの水が必要。1000倍ということですね。1キロの牛肉を生産するのに20トンの水が必要ということで、これは20000倍ということになります。もっとも豊富な水を有する日本が世界最大の食料輸入国になっている。しかも、日本の水は再生産が可能な水です。農業にとっての比較優位性というものがあるのですが、再生産可能な水を持っているということは、もちろんこれは世界的に見ても日本農業の優位性ですよね。実態を見てみますと、これも非常にアジア的といいますか、日本的といいますか、農業用水の9割が河川、そして1割がため池、地下水からの取水はわずかに1パーセントということになっているわけですね。ですから雨が降ったら川の水が浄化される。あるいは森林の山が降った水を貯水する機能を持っていてくれる。田んぼも貯水機能を持っています。そうやって一度降った水を有効に使っているわけです。
水の惑星地球で起こっている水収支のアンバランスが非常に大きな問題なってきておりまして、今世紀は「ウォータークライシスの世紀」だとも言われるわけです。そういう感覚からいくと、例えばアメリカのオガララ帯水層、地下水を利用して農業をやっている農業の場合はどういうことになるのか。
国連環境計画(UNEP)によりますと、世界最大の地下水の宝庫と言われるアメリカのロッキー山脈の東部に広がるグレート・プレーンズ南部、テキサスなど8つの州にまたがるオガララ帯水層の5分の1が消滅した。アメリカ合衆国の中央平原に埋蔵されるオガララ帯水層、数千年をかけて形成された地下水、「化石水」と言いますが、これが年々3メートル低下し続けている。「これはたまらない」ということで「水利費」の値上げを検討していると言われています。
そういう水事情があってですね、しかし「水の再生産」というのは、短期に見るか、長期に見るかで違ってきます。地球史的に見ればオガララ帯水層だって再生産の中に入っているという言い方ができないことはないのです。ここで言っている「再生産」というのはもっと短期ですね。要するに雨量があって、そして流れがあって、ヨーロッパの人が「日本中滝だらけだ」と言ったような激しい流れの川があってという中で、水田、稲作というものが成立しているということです。

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「収穫率」水田面積「単位当たり収量」白米食「収穫量」「水」など歴史的にまた世界と比較して捌いてくださっているわけですが、どんな方が講演なさっているのでしょうか、

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こんな視点を持ってみれば、美しい棚田景観の味わいがまったく違ったものになってきますよ。

ほんとにおもしろいです、

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