空の青 雲の白 花の紅、、、夏の三点セット
和名 サルスベリ
「ふーん、、、、」
方言
くすぐりのき、こそぐりのき、こちょごちょのき、ちょこちょこ、わらいぎ、わらいのき、などというのがある(日本植物方言集成)
「ほほう、、、」
英語名
Crape myrtle は、ギンバイカ(myrtle)の花に似て、花弁がちりめん(crape)のように縮れていることから。 1 ギンバイカ(銀梅花)(common myrtle) Myrtus communis:フトモモ科ギンバイカ属の常緑低木;南ヨーロッパ産;香りのある白い花をつける;葉や果実にも芳香のあるところから古くはビーナス(Venus)の神木とされ,また愛の象徴として結婚式の花輪に用いる.
「、、なんと 縮緬を連想させておまけにビーナス(Venus)の神木とな!」
中国南部原産で、中国名は、紫薇。
唐代長安の宮廷に多く植えられていた、宮廷のことは紫薇と呼ばれた。
「、、おおう、、なんとなんと宮廷花とな!!」
比較的長い間紅色の花が咲いていることから、百日紅ともいう。江蘇省徐州市、湖北省襄陽市、四川省自貢市、台湾基隆市などで市花とされている。
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奥が深そうです、、もっと調べた方がいいと思ったので検索すると
①サルスベリという名 | 広島の植物ノート 別冊 – Forest World
forests.world.coocan.jp/fnote/?p=1289
サルスベリの名は純粋な和名で、中国名は「紫薇」。别名の百日红(ヒャクジツコウ)の方が日本ではよく知られている。花期が長く、3ヶ月以上続くからだ。すぐれた庭園樹で、緑陰を作り、紅色の花でいっぱいになることから、「入惊儿树(入驚兒樹)」、「满堂红(満堂紅)」の名も得ている。しかし、これらの名は日本にはなじまなかったようだ。
もうひとつの系列の地方名に、くすぐりのき、こそぐりのき、こちょごちょのき、ちょこちょこ、わらいぎ、わらいのき、などというのがある(日本植物方言集成)。これは、大和本草に「樹の本を久しくかけば、枝皆うごく、故に本草の異名を怕痒樹(はくようじゅ)と云」と書かれているとおり、「幹の下の方をくすぐり続けると枝をゆすってかゆがる」ということ。この話は中国名の「痒痒树」の由来が伝わったものであろう(何故か、痒痒が怕痒となっている)。
—白花のサルスベリ
サルスベリには白花の園芸品種がある(上の写真)。これを白百日紅と書くのは納まりが悪いので「百日白」とする向きがある。正しい表現ではない。ところが、原産地の中国では花が紫紅色の標準品を「紫薇」とするのに対して、火紅色のものを「赤薇」、藍紫色のものを「翠薇」、白色のものを「银薇(銀薇)」と呼ぶ。白花品を「百日白」としてもよいのではないか。
②サルスベリの花粉 (京都九条山の自然観察日記) net1010.net/2010/09/post_1847.php
雄しべは,花の中心部に密集している丈の短いものと,外側にひょろひょろと伸びている細長いものと2種類あります。雌しべは1本,長い方の雄しべと同じような形をしています。
中心部の雄しべは黄色い色鮮やかな花粉をたくさん付けていますが,これは虫をおびき寄せるための偽物らしいです。本物の花粉は,外側の細長い方の雄しべから放出されます。
多田多恵子著『したたかな植物たち』(2002年)には次のように書いてありました。
サルスベリの花を観察すると,長短2種頬の雄しべがある。花の中心部でよく目立つ多数の黄色い雄しべと,長く突き出しているがあまり目立たない紫色の雄しべ,の2タイプだ。受精に役立つのは,目立たない長い雄しべが出す花粉だけ。短くて目立つ雄しべは,花粉は出すものの,それは肝心の染色体(DNA)を含んでいない見かけ倒しの二セ花粉。虫をおびき寄せるための,安物のイミテーションなのである。
サルスベリの花粉に関する話題をもう一つ。
サルスベリは中国原産で,日本へは室町時代後半に渡来したとされていましたが,平等院鳳凰堂の阿字池を土壌調査したところ,940年頃の地層にサルスベリの花粉が見つかり,渡来時期が600年ほど早まる可能性があることが分かったそうです。
2010年5月25日付けの京都新聞に次のような記事が載っていました。
京都府立大の高原光教授(森林科学)が昨年9月,阿字池の池底堆積土を採集した。土に含まれる花粉などを分析し,放射性炭素年代測定調査を行った。その結果,堆積土の泥が940年ごろを境に変わり,花粉の主流はカシ類とイネ科からマツに急激に変化していた。以降にはサルスベリや力エデなど庭園樹木の花粉も―定量確認された。
平安京ができた8世紀末以降,都や周辺の人口が増え,建材や燃料などとしで利用するため,自然林(照葉樹林)の伐採が進み,アカマツ中心の二次林に変わったとみられる。
サルスベリは江戸時代に入ってから文献に登場するようになることから,従来は室町後半ごろに渡来したと考えられていた。年代の特定にはさらに研究が必要だが,今回の調査で,渡来時期は約6OO年ほど早まる可能性がある。
940年ごろといえば,平安時代中期,摂関政治が成熟した頃です。
894年に遣唐使は廃止されているので,それ以前に遣唐使が持ち帰ったものなのでしょうか。
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結論
■ やはり 世屋の夏野におけ サルスベリ
長安の都へ赴いた遣唐使が宮廷花として日本にも広めよと、皇帝から拝受され持ち帰り、平等院などに植樹され、浄土の世界を描いた花、ということになると、これは猿滑りだとあなどることはもちろん、あまり大きくならないのでと小さな庭に閉じこめておいていい花ではない、そうおもいました。
花がもっとも映える場所を厳選して植えるべきだ、となると適地はそうそうあるものではありません!その一つが「世屋の夏野」です。