宮津エコツアー · 9月 2018

9月 2018

この稲木、つっかい棒は栗の木、風雪に磨かれた鋼のように、数々の大型台風と戦って稲を守ってきた里山の猛者。

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京都丹後は今台風24号の暴風域に。

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瞬間28.7mの風を記録したとニュース速報。

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そのニュースも、この暴風の野に立ち、稲を守ってうんと踏ん張っている様子を報道すればいいのにと思ったりします!

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最強台風の最悪の暴風を想定し、経験を踏まえ人知を尽くして備えること、その大事さをこれほど具体的に語るものはないじゃないですか。

それにしても、25号が発生し、24号の後を追う形勢だというじゃありませんか。

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台風の二重連というのは気持ちいいものではありません。

海の碧、空の青と雲の白、山の翠と赤い花、、、、

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十数本で景観の主役になっている彼岸花!

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何万本もの花が咲いていて、大勢が立ち寄る花の名所というのは作るもの。それはそれですてきでしょうけれど、花のポイントというのも作るもの、ポイントになりそうな場所を見つけ、お天気に恵まれ、ああかもこうかもと探って、ここっと決めたときの喜びはまた格別、

ここは、宮津市日置、まるたんそば屋さん前。

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今年の彼岸花シーズンは終わりましたけどここは見所ですから、、今だけここだけ私だけのポイント、来年のためにマークしておいてくださるといいかと思います。

28日、世屋高原は、ススキ日和!でした。

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収穫の多忙さの中で、来る冬への緊張を醸し出しながら深まる世屋の秋のシンボルプラントはススキでしょう!

「誰ぞ来よ 来よとて さわぐ芒哉」と一茶さんが詠んだ気持ちもなんだかわかるようです。

そこで、ススキにまつわるもろもろ噺。

①ススキと俳句

しんしんと青みゆく空花すすき  浜田はるみ

花芒遠くがひかりみないそがし 巽 巨詠子

思ひ出を運ぶ雲あり花すすき    青野れい子

IMG_2195.jpgすすきひより

②一茶とススキ俳句

豊年を 招き出したる 芒哉

穂芒や おれが白髪も ともそよぎ

誰ぞ来よ 来よとて さわぐ芒哉

散る芒寒くなるのが目に見ゆる

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与謝蕪村とススキ俳句

狐火の 燃えつくばかり 枯尾花

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上は、松尾の一本桜。その良さは、春ばかりではありませんよ。

④ススキと習俗・遊び

■月見に供えたススキを軒に吊るすと、向こう一年元気で過ごせる
という言い伝えもありますね。

■12月24日には、小豆飯を炊き、三尺もある茅の長短の箸を供えた。この箸を田植えや草取りの時に腰にさすと、腰が痛まないといわれた。

■枯れたススキの先を三角形に折り曲げ、それに蜘蛛の巣を張り付け、セミやトンボ取りに使ったりして

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⑤ススキと民話伝承

安産・子育に霊験あらたかとされる東京豊島区雑司ケ谷鬼子母神に伝えられるお話です

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「すすきみみずく」は江戸時代から「麦藁細工の角兵衛獅子」とともに、雑司が谷に伝わる子供の玩具ですが、心やすらぐ民話伝承があります。
『雑司が谷に「くめ」という親孝行な娘が住んでいましたが、家が貧しく、おかぁさんが働き過ぎがもとで病気になってしまいます。薬も買うことのできない「くめ」は、優しいおかぁさんの病気が早く治るようにと、百度参りを始め、毎日毎日鬼子母神の御堂へと通ったのでした。
60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。
くめがはっと目が覚めるとミミズクが木の上で鳴いていました。家に帰ったくめは必死にすすきミミズクを作り、鬼子母神の御堂の前で売ると…なんとすすきミミズクは飛ぶように売れ、おかぁさんに薬が買えるようになり、おいしいものも食べさせてあげることができるようになりました。おかぁさんの病気もみるみるうちによくなり、幸せに暮らせるようになりました。』

www.travel.co.jp

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60日、95日…そして満願の日…「くめ」はついに疲れ果て、倒れ込んで眠ってしまいました。すると鬼子母神の化身の美しい蝶があらわれ、「お前の気持ちはよくわかりました。この辺りはススキの多い処、そのススキでミミズクを作り御堂の前で売りなさい」と告げました。くめがはっと目が覚めると、、、、量が質に転換する瞬間というのでしょうか、いいお話です、、、

ふらっと世屋街道にはいってみなさい!

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一人で見るのはもったいないええもんに出会いますよ

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今は、コスモス!

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倒れても、倒されても上を向いて花を咲かせるコスモスはかっこいいですよ。

 

ハイ、ジョーモン!といって指を三本たてるのが、最新のトレンド。

ピースサインは古いのだそうです、

ジョーモンは縄文、土器に焼かれている人物が三本指を立てているからと。

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それはそうと、元気がでるでぇ、若い子がきてくれると!いうのは、上世屋のお百姓さん。

一緒に写るのは高校生たち。

ここのお百姓の伝える農法は日本でももっとも古い形のものだけれども、もっとも人間的で高い教育力をもっているからとクラブ活動の一環でやってきてくれたのです。

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米は連作可能で、一粒から芽生えた稲が株分かれして、計二千粒にもなる、また、見方を変えれば、太陽エネルギーを人のエネルギーに変えてくれるそういう意味でもっとも優れた太陽電池だとどなたかがおっしゃっていましたが、そういうことを体感していくことは、里山を守る第一歩。

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温故知新!

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今だけ、ここだけ、あなただけ!

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日本の里100の里・上世屋のお百姓と高校生が出会い、稲を刈って縛って掛ける、そこに伝わる経験から生まれたいくつもの奥深い工夫を若い世代が学んだ一日でした。

 

 

与謝野町・石田の木積(こづみ)神社。

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巨樹がお社を囲んでいます。

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もくずがにやガマがえるも息づき生物層も豊かです。

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ここの粗神さまのテーマは樹木・木材家屋・国土経営、いまの国土交通大臣、林野庁長官のような立場のかたです。

観光地化、公園化されて失われる神気がここにはまだ漂い、丹後のみどころとして一押しですよ。

そのさいは、「木積神社(与謝郡式内社)www.geocities.jp/k_saito_site/doc/kozumijj.html」のチェックをおすすめ。。

木の神、国造りの神が鎮座!ああそうか、でもいいけれども、せっかくなので、この神様がここに祀られている意味など押さえどころを押さえておくと視野を広げてくれます。

 

秋のお彼岸、その日のために咲く!

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そのぶれなさ!

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照るにつけ降るにつけ吹くにつけ揺れるにつけ、いずれにも「異常」の修飾語がついて、気をゆるめることのできないなんともいいようのない事態に見舞われているなかでも、早くもなく遅くもなく、ぴたりと。

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蝶もその一徹さにぞっこん!

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ぶれない彼岸花にフィットする里山の景観は少なくなりました。

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「里山キャンパス上世屋郷・小さな花の歌記念花木園」(仮称)ではコスモスも満開ですよ。

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大宮町久住の本光寺境内にある三本のシイの樹は、それぞれ三メートルを越す巨樹です。

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奥のは445cm

入り口のは413cm

真ん中のは少し小さいけれど、それでも309cm。

近くの延利・高森神社と権現さんの境内にも。

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(上 延利 高森神社)

これは、株立ち大シイ892cm。

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(上 延利 高森神社)

このようにお寺やお宮さんにはシイの巨樹がおおい、シイの巨樹はお寺やお宮さんにおおい、、、、

しかし、大きいことに目がいって、考えませんでした、それはなぜか?ということを!

実は、シイの森の湿っぽい薄暗さはあまり好きではなかったのです、、

けれども、シイの巨樹がお寺やお宮さんにおおく残っている理由に思い至って、それを改めました、

シイの巨樹がお寺やお宮さんにおおく残っている理由、、、

こんなことがわかりました!

その①。

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日本人は何度も飢饉を乗り越えてきた koizumipress.com/archives/15779 – キャッシュ

2018年9月1日 – 縄文人の栄養摂取術 それでは次に、飢饉のときや災害のとき、いわゆる非常時を生き延びる救荒食品についてお話をします。 まず、現代の日本で、山の中に … 堅果ではクリ、クルミ、シイの実、ナラの実、トチの実など。根茎類ではカタクリ、 …
食料を得るため、人々は歴史の中で知恵を働かせ、様々な努力を重ねてきました。長い狩猟採取の時代から、縄文時代後期には雑穀類やイモ類の栽培が始まり、ついで米作などの農耕が始まりました。米作は中世に入りようやく定着してきましたが、亜熱帯植物である稲の安定した生産は、大きな困難を伴うものでした。
近世(江戸時代)に入ってからは、用水の確保や、早生~晩生の品種を組み合わせるなどの改良もある程度取り入れられましたが、当時の未発達な技術に加え、江戸時代は全期を通じて寒冷な時代であったこともあり、不順な天候や病害虫の多発での大凶作に伴う飢饉が絶えませんでした。特に「やませ」が発生する冷涼な岩手県の気候風土では、凶作が大きな問題でした。江戸時代は栽培する品目が農民の自主裁量では決められず、大名や旗本の許可が必要だったため、気象条件が稲作に向かない土地でも稲作に励むしかないという状況や、農民に対する徹底した年貢米の収奪や、藩境はんさかいを超えた物資の交易が制限されていたことも窮状に拍車をかけた大きな原因と言われています。 明治以降、日本は西洋から新たな技術を取り入れながら独自の技術開発を進め、食料の増産に力を入れましたが、凶作は絶えませんでした。昭和に入り、戦後は高度な経済成長とともに農作業の機械化、化学肥料の使用、病害虫防除の近代化などの生産技術が著しく進歩しました。しかし今でも約10年に1回程度は不順な天候によって稲作の不作年があり、野菜や果物でも台風や大雨等によって生産が減少することがあります。そのような時であっても、世界中から食料を輸入することができる現在、飢饉は昔話となりつつありますが、当時の人々がどのような物を食べて命をつないできたのか、飢饉の歴史とともに当時の食を紹介します。かつての本州・四国・九州の暖地は、一年中緑に輝く葉を茂らした照葉樹(しょうようじゅ)の森林に覆われていました。昼なお暗い鬱蒼(うっそう)とした森林の代表者は、シイ、タブ、クスなどの常緑広葉樹(じょうりょくこうようじゅ)でした。縄文時代や弥生時代、更にそれ以前の太古の時代には、海岸線付近まで、この照葉樹林(しょうようじゅりん)で覆われていました。人々はこれらの樹木を利用しながら自然界の一員として共生して生活していたのです。しかし、現在では、ほんの僅かな地域に樹林が残っているにすぎません。シイは秋に実る果実が食料とされていました。シイの果肉はデンプンに富み、渋みが少なく生食できるし、ゆでたり炒ったりしても美味です。おそらく日本で農耕文化が発達する以前の先住民族の重要な食糧であったと考えられます。また、農耕時代になってからも、飢饉の時の救荒食糧として主要なものであったと考えられます。これは、いくつかの古墳から、シイの果実が出土することからもうかがえます。

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その②

西福寺のスダジイ  敦賀市指定天然記念物 昭和58年11月18日指定 福井県敦賀市原 西福寺境内
幹周   7.5m  樹高    10m  樹齢   650年
敦賀市の西方約1kmの原に西福寺はあり、山門をくぐると樹齢を感じさせるシイの古木2本が参詣者を出迎えてくれる。
幹の太さは西側のもの(上から2枚目)がやや大きく、半円形の整った樹形である。反対に東側のものは荒々しい形相をして枝を張り、凄みを感じさせるものだ。西福寺開山の良如上人のお手植えと伝えられ、飢饉の際にもシイの実を食べられるようにとの配慮からであるという。読売新聞選の新・日本名木100選に西側のシイが選ばれ、全国にその名を知られるようになった。

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極めつけは、日本昔話で放映された昔話かも。

 「金の椎の実」放送回:0669-B  放送日:19881001(昭和631001)

演出:柏木郷子  文芸:沖島勲  美術:安藤ひろみ  作画:柏木郷子( 京都府 ) 8446hit

あらすじ

京都の福知山にある天神様の社の傍に、みよと言う娘が暮らしていました。みよは猟師だった父親を早くに亡くし、母親と二人で暮らしておりました。ある時みよの母親が、日頃の無理が祟って重い病気になってしまいました。みよは毎日甲斐甲斐しく母親の看病を続け、天神様の社に母親の病状平癒の祈願を続けましたが、母親の容体は良くなりませんでした。

ある日、みよは天神様の社からの帰り、傷ついたコウノトリが雛を抱えたまま、野良犬に襲われているのに出くわしました。みよは野良犬を追い払い、コウノトリ を助け出しましたが、コウノトリの親は既に死んでおりました。残された雛を哀れに思ったみよは親コウノトリを埋葬し、雛に「ピーコ」と名付けて育ててやる事にしました。

ピーコはみよの世話の御蔭ですっかり大きくなりました。そんなある日、みよが母親の看病に疲れてうたた寝をした隙に、ピーコが居なくなってしまいました。悲しくなったみよがしくしく泣いていると、突然白い着物に白い頭巾を身につけた美しい女の人が現れ「みよさん、貴方の御蔭で私の娘はあんなに元気に育ちました」と言って、空を悠々と飛ぶピーコを指し示しました。その女性は、あの時死んだコウノトリの霊の化身だったのです。

女の人は「今度は私が貴方に恩返しをする番です。天神様の社の傍に、金色に輝く椎の実を置いておきます。それを煎じておかあさんに飲ませなさい。必ず病気が治りますから」そう言って姿を消しました。

みよが天神様の社に行ってみると、本当に金色の椎の実が落ちておりました。みよがそれを持ち帰り、煎じて母親に飲ませると、たちまち母親の病気は治り、元気になったと言う事です。(投稿者:熊猫堂 投稿日時 2014/1/27

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煎じて母親に飲ませると、たちまち母親の病気は治り、元気になったというのは、シイの実の栄養価の半端なさを語ります。

椎(しい/シイ)の実の栄養と効能

椎(しい/シイ)の実は、ブナ科シイ属の常緑高木の種実。ナッツ類の一種。生でも食べられますが炒って食べることが多い。ビタミンやミネラルなどの栄養をバランス良く含み、健康に役立つオレイン酸やリノール酸、α(アルファ)リノレン酸などの脂肪酸が豊富。そのままいただく、炒め物、炊き込みご飯やお菓子の材料として利用されます。

椎(しい/シイ)の実は、糖質の代謝を助けエネルギーをつくり出し疲労回復に役立つビタミンB1や細胞の新陳代謝を促進し、皮ふや粘膜の機能維持や成長に役立つビタミンB2、また、皮ふや粘膜の健康維持をサポートしたり、脳神経を正常に働かせるのに役立つナイアシンやビタミンB6、動脈硬化を予防しストレスをやわらげる働きのあるパントテン酸そして、貧血を予防し、細胞の生まれ変わりや、新しい赤血球をつくり出すために欠かせないビタミンである葉酸を含みます。さらに、抗酸化ビタミンであるビタミンCやビタミンEを含みますので活性酸素の発生や酸化力を抑え、動脈硬化、皮膚や血管の老化を防ぎ、免疫力を高めてくれます。また、骨や歯を構成するのに必要なミネラルであるカルシウムやリン、マグネシウムなどを含みます。カリウムも多く含まれますので疲労回復や利尿作用、高血圧の予防に役立ちます。

椎(しい/シイ)の実は、良質なタンパク質や食物繊維、βーカロテン、レチノールも含む優れた栄養のある食べ物です。

こちらはアクが少ないため、そのまま粗くすりつぶし、パンやクッキーに混ぜ込んで焼くなどして食べられます。

含有する栄養成分のなかで特出しているのはビタミンCで、コラーゲンの生成に関与しています。ビタミンCが不足してコラーゲンの生成がうまくいかなくなると、細胞の分裂が弱まって壊血病になります。

また、強い抗酸化作用によって過酸化脂質の生成を抑制し、動脈硬化・脳卒中・心筋梗塞などを予防するほか、発がん物質であるニトロソアミンの形成を抑える働きもあるため、抗がん作用が期待できます。

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(上 延利 高森神社)

檀家や氏人の心のよりどころのお寺や神社には、命の最後のよりどころとしてシイの木が植えられ、守られてきた、それが、シイの巨樹がお寺や神社におおい理由だったのです。

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(上 波見 高峰神社)

トチ、栗とともにシイも日本人にとって、大恩人の木だったのに、それが強調されていないことを恥ずかしい思いをもって痛感した次第です。

 

天橋立の根本、難波野の麓神社が神木としているのは、幹周5㍍をこすムクノキだ。

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ムクノキの漢字表記は「椋の木」であることを確かめながら、この椋の字をあてるあるおじいさんを思い出した、椋平じいさんだ、
いま地元で椋平じいさんの「偉業」語るものはいない、椋平虹はトリックだ、。彼は余地予告葉書の投函日の消印と配達日を操作したのだ、そう結論づけられたからだ、

「椋平は鉛筆などを宛名書きに使用し、自分宛に毎週ないしもっと短い期間で定期的に葉書を出していた。そして、新聞などで大きな地震を知ると、その日付けの前日、前々日あたりの葉書を取り出してきて宛先を書き換え、自分で直接届けていたのだ。」と。
『椋平は虹を見たか――地震予知に捧げた人生 – オカルト・クロニクルokakuro.org』
それはそうとして、かれは、 「  1日3度、宮津港の決まった場所から、栗田半島の高峰を見つめ、様々なデータをノートに書き込んでゆく。虹が確認できたときは、児童用のセルロイド分度器で角度を測り、形を写し取る。椋平はこの作業をこの後、60年続ける事になる。」
そして、エジソンやアインシュタインからも注目の葉書を寄せられたという

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西南から北東の方向に若狭湾に開く宮津湾は、秋から冬にかけて虹の名所になる。傾きかける太陽が若狭湾上の驟雨のスクリーンに描く虹は、何かのメッセージを伝えていると想像させるのを疑わない怪しさをもっている。

地震予告かもしれない、地震の余地が出来れば人がどんなに救われるだろう!

椋平少年はその怪しさに取り込まれたのかもしれない。
麓神社の椋の木から、椋平じいさんの声が聞こえる気がした、

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「それで、地震の余地予告はできるようになったかい!」

名古屋で活動されている絵画教室の先生が、上世屋をスケッチ旅行のスケッチ場所と選定してくださって、塾生さんを伴って来丹されたので、スケッチポイントの案内や休憩場所の段取りなど一通りサポートさせていただきました。

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数は34人、この人数は里の人口の2倍、しばらくは里に活気が蘇えるのを感じていました。

秋晴れの丹後でお迎えという訳にはいきませんでした。しずくが紙におちます。

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けれども、熱心に集中して里山に向き合い、絵筆を動かしていらっしゃいました。

感激したのは、皆さんが描き終わって宿泊地に向かって発たれるまえ、お師匠さんが、、

「絵を並べますから、今日みんなが描いたのをみてください」

と私たちに、おっしゃったことです。

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描き手が田や家や山や木や人からなる景観のどこに目をつけ心のフィルターを通して、キャンパスにどのように描いたかを見て頂いて地域と交流し、その交流の中から双方に何かが生まれることが大切なのだと、、。

これって、すごくないですか、

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たかがスケッチ、されどスケッチ、芸術の力をしっかりと確信しながらの活動に共感し、里山を変えるのは、やはり教育と芸術の力だと励まされながら、宿泊地夕日が浦温泉に向かわれるバスを見送ったことです。

 

 

 

 

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