宮津エコツアー · 9月 2024

9月 2024

そうかあ、

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(↑ 大宮町森本バイパス)

青い空と白い雲と赤いお日様、ドラえもんは「夏の申し子」だったのだ、

『耳を鼠に噛まれたショック』とか『泣きすぎてメッキが剥がれた』じゃない

と 確信して Copilot先生に、この想像、ずばりでしょうと送信しましたら、

「その説もとても素敵ですね!青い空、白い雲、赤いお日様という自然の色をドラえもんのデザインに取り入れることで、親しみやすさや安心感を感じさせる効果があるかもしれません。」

やんわりと一蹴されました。では、どう言う経過だったか、それを探って見たら、

、、、、、、

F先生がなぜドラえもんを青色のキャラクターに設定したかというメタ視点での理由です。1998年発行「ド・ラ・カルト」にはF先生の言葉として下記のように述べられています。

「色はどうしようか。あれは学習雑誌で低学年対象ですね。それで最初のページはカラー印刷から始まるケースが多い。扉ページは地色に黄色を使うことが多くて、タイトル文字は赤が多いんです。そうすると赤と黄を除いたら、あとは青。それでドラえもんが青くなっちゃった。」
以上は、藤子・F・不二雄自身の言葉である。なんて簡潔で合理的な考え方だろう。ネコという外見にこだわらずに、読者に対するサービス精神、色彩的な効果の方を優先させた結果だったのだ。

ノキケロの四次元図解ブログドラえもん図解考察メインの雑記ブログ)

というところに落ち着くようです。

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しかし、この漫画『ドラえもん』のモデルとされた小説のタイトルは『夏への扉』。それを踏まえて思うに、赤、黄、青が、状況の中で合理的な選択だったとしても、藤子・F・不二雄さんが『色はどうしようか。』と考えたときに、どこかに『夏』があって、「真夏の青い空と白い雲と真っ赤な太陽」が浮かんだかもしれない、それがドラえもんのデザインに反映した、そう信じたいですね。

明日の朝は、野に白い露の玉、、、、

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暦は白露を過ぎ、秋分へ向かっているのだから!

しかし、どうもそうはいかないようです、連日、モンスター積乱雲

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「太平洋高気圧が日本の南東で張り出しを続けることで、上空の偏西風は平年より北を流れるとみられ、日本付近は引き続き暖かい空気に覆われやすくなる見込みです。」とこのため、3か月を通して平均気温は全国的に「高い」と予想されています」と気象庁が発表の9月から11月の長期予報。

こんな時、せめての楽しみは雲です、変幻自在に形も色も変えるのですから。

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さて、その雲については、

グローバル Web アイコンミツカン 水の文化センターの雲と人間について哲学者の小林康夫さんに問うた、企画が面白いですよ。

今、この時代だからこそ、雲を哲学する価値がある│56号 雲を …『雲の向こうにある「別世界」への思い

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――小林さんが考える雲のおもしろさとは?

誰もが知っているし見ることができる身近な存在だけれど、地上のものではない。人間の生活にそのまま役立つこともない。でも、見上げれば誰でも「気分」や「気」を感じとることができますよね。そして、不思議なことに、「雲」の向こう、「雲の上」への思いが湧いてきませんか。雲は主役ではない。天地のあいだの境界や媒介の場にすぎない。でも、それだから、雲を見ていると、われわれの心になにか別世界への憧憬のような思いが、雲のように湧いてくるのだと思います。

――日本の絵巻でも、雲は場面転換や神仏が現れるシーンで使われていたそうです。

そうです。リアルに考えればそこに雲があるのはおかしいのですが、誰も異議を唱えないし、不思議とは思わない。神仏は、われわれの世界とは違う世界、でも、われわれの世界のちょっと「上」、それほど離れていない世界にいる、そう感じて安心して納得してしまう。そこがおもしろいのです。

もう一つ、雲に関して大事なことは、それが「常に動く」ことです。風に吹かれてね。雲と聞いて多くの人がイメージするのは、青い空に静かに流れていく白い雲ではないでしょうか。雲が全天を覆い尽くしている曇天の日に、雲にポエジーを感じる人は少ないでしょう。じっと見ていると、驚くほどのスピードで流れ、消えていく雲は、時間というものを感じさせてくれるものでもあるのです。

究極の教えは「行雲流水」にある

――空を見上げて雲を見る行為にはどんな意味があると思いますか?

人工的な心地よい空間にいて、空も見ずにスマートフォンだけで天気予報を見る人が多いこの時代、「空を見上げて雲を見る人」、「雲と対話できる人」はますます貴重な存在になると思います。

文学でいえば、ヨーロッパではヘルマン・ヘッセとか、日本では宮沢賢治が空を見上げていた人ですよね。

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雲を見上げることができるのか――。これは、これからの時代の大きなテーマだと思います。雲の正体は「水」ですよね。水がなければ雲はない。でも、それだけではなくて、空気もなければならない。水と風がふれあって「婚姻する」ことで雲は生まれているわけです。それは、われわれの地球の本質です。雲を見ることは、私たちが地球に住んでいることを実感するすばらしい機会なのです。

――雲が私たちに「生きる力」を与えてくれるということですか?

そうではありません。雲を見て「よし、がんばるぞ!」といったことではないのです。もしも雲に「教え」のようなものがあるとすれば、もっと厳しい真理ではないでしょうか。「生きる力をあげよう」ではなく、「君も私(雲)と同じようにいつの間にか生まれて、やがて消えていくんだよ」というような。

「行雲流水(こううんりゅうすい)」という禅の言葉がありますね。何事にも執着することなく、雲や流れる水のように成り行きに任せて生きることの教えですが、「こうしたい」という自分の欲望をかなえるための生ではなく、「人間のどんな思いも、雲のように生まれ、消え、そして人間もまた死んでこの空へと還っていく」、そのように生きることで初めてそこに究極の自由の境地が開かれるという教えですよね。これこそ、究極の雲のレッスンではないでしょうか。

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それは、東洋的な禅の思想というだけではなく、西洋でも同じです。私が思い出すのは、フランスの詩人ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱』の冒頭の詩「異邦人」のなかで、自由な異邦人に「わたしが愛するのは雲、彼方の空を過ぎて行くあの雲、素晴らしい雲」と言わせていることですね。

空を見上げることは、生まれては消えていく雲の様子をじっと見つめる自由の時間をもつこと。それは一種のメディテーション(瞑想)に近いかもしれませんね。』

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西洋と東洋における雲に対する認識の差

――雲は哲学においてどのような存在なのでしょうか?

私が知る限りで、これまで雲の哲学はなかったのではと思います。木の哲学はあっても、雲のように常に動いていて形の定まらないものを哲学の対象とするのは、困難が伴います。

では、なぜこの取材を引き受けたかというと、それは雲の哲学を今、この時代から始めてみるのもおもしろいかもしれないと思ったからです。

でも、西欧のアートの分野では、雲はとても大きな役割を果たしていました。フランスの哲学者・美術史家のユベール・ダミッシュ(注1)は、名著『雲の理論』で、西欧絵画における雲の役割を「地上と天上の世界をつなぐ装置(媒介)だった」と論じています。つまり、天上には天使や神がいて地上には人間がいる、この二つの異なった世界の「間」を雲が媒介していたわけですね。

でも、そうした表現上の装置としてではなく、自然のありのままの雲を画家が描きはじめるのが、オランダ絵画の画家たち、そしてイギリスのカンスタブルやターナー(注2)といった19世紀のロマン主義(注3)の画家たちです。とりわけターナーは、嵐などの激しい、荒々しい自然の動きを雲に託します。嵐の海の波やアルプスの雪崩などと並んで、雲は人間の力を超えた「崇高なもの」の表現となる。世界の根源的な力が雲に現れると言ったらいいかもしれません。ダミッシュの著書のなかでも、ターナーの雲は、雲の表現の歴史の到着点として語られていました。そこでは、雲は、ある意味では、世界の「気分」そのものです。穏やかな田園には流れる白雲。嵐の海には、荒れ狂う黒雲というようにね。

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――西洋と東洋で雲の表現は違うのですか?

ダミッシュは同書の最後で東洋(中国)の雲についても言及しています。そして中国の淡彩による風景画の雲を「人間の息の神聖文字(注4)である」と表現しています。

風景画なのになぜ「文字」なのか。それは中国をはじめとする東アジアは筆の文化圏だからです。15世紀に活字印刷が始まったヨーロッパのように文字と絵画の領域が完全に分かれているのではなく、絵も文もすべて同じように筆で書きます。しかも、それは、書く人の息づかいまで感じさせる。まるで、筆の先から、その人の息が「雲」となって現れるように。強いて言うなら、東洋では、雲は世界の「気分」だけではなく、人の「気」も伝えているのかもしれませんね。

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雲  山村暮鳥

丘の上で
としよりと
こどもと
うっとりと雲を
ながめている

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雲 山村暮鳥

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平いわきだいらの方までゆくんか

微風、さざ波

しかし日差しは強烈

阿蘇の海!

『 夏過ぎて 少し淋しく 寄せる波 』

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高校生が詠んだ歌だそうです。

「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」とは啄木さん。

彼がこの句を詠んだとき磯に打ち寄せていた波も、さざ波だったのでしょう!

さて、その波、海で釣りをしていてもウキは上下に動くだけで、前進しない、波はどうして起こるのですか?

その疑問に、神戸みなとぴっくす -うみ・みなと・70の謎- (mlit.go.jp)

『波は海の上を吹く風が作り出しています。海岸に立っていて、「風がない」と感じていても海岸にいつも波が打ち寄せたり、引いたりするのは、広い海のどこかで吹く風が波をつくり、その波がずっと遠いところから伝わってきているのです。』

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『波の形を見ていると、まるで波が海岸に向けて動いているように見えます。しかし、波が動いてくるのではなく、海水が上下に動くだけで実際にはエネルギーが伝わっているのです。海で釣りをしていてもウキは上下に動くだけで、前進しないことがその証拠です。』

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『いくら強風が吹いても風は遠くまで届きませんが、台風の波などは遠く南洋からでも日本に届きます。海面にできる細かな「さざ波」、海岸近くの浅い海で見られる「いそ波」、台風や低気圧によって起こる「うねり」など、いろんな波が風の力で作られています。、、、、』

つまり、海の波の原因は、風。

砂山の 砂に腹這ひ 

初恋の いたみを

遠く おもひ出づる日 

この時の気象条件は、微風、さざ波の時、しかし日差しは強烈、そんな時ではなかったのでしょうか。

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短歌教室の例歌には、こんな歌もありましたよ、

暴風に 波は荒ぶり 怒れども

それで

風去り行かば  凪に戻りて

だから、、、!

『 ・・・・ 』

この歌のメッセージ、明智光秀さ届け届けたかったですね。

地滑りの 棚田の跡に サルスベリ

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天の雲 吐き出すがごと 阿蘇の海

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「なかなか、夏が秋に席を譲りません。今朝も、朝から熱中症アラー放送!

人生では夏の衰えは憂うところですが、秋に席を譲らぬ夏も、いらだたしいものです。」

田は秋 いまだ夏なり 山の雲

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草刈りぬ アサヒドライを 友にして

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里山の プロデューサーのごと サルスベリ

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旧府中街道に息ずくお宝サルスベリ

20240910_143209やっぱり夏はサルスベリゆく夏を惜しむか、最後のサルスベリ

樹の下のお地蔵様に日陰をつくるかのように傘型に整えられたサルスベリ。

20240910_143219ゆく夏と来る秋ひきあわせてサルスベリ

暑かったなあ、もう涼しくなるわなあ

20240910_143357素敵ですね、

『ゆく夏と 来る秋会わせ サルスベリ』

さて、江戸時代以前の渡来種と言いますから、全国には巨樹のサルスベリ。

樹種 名称 所在地 幹囲
サルスベリ 千代田C.Cの百日紅 茨城県かすみがうら市上佐谷 4.5m
サルスベリ 大石屋敷跡のサルスベリ 東京都八王子市松木 3.3m
サルスベリ 馬瀬口の大サルスベリ 富山県富山市馬瀬口 2.6m
サルスベリ 中村のサルスベリ 長野県長野市桜字中村 3.6m
サルスベリ 田畑の百日紅 岐阜県関市上之保鳥屋市 4.5m
サルスベリ 神子畑のサルスベリ 兵庫県朝来市佐嚢 2.57m

幹周450cmのサルスベリも見てみたいものです。

丹後では、日置、妙圓寺のサルスベリ!

 4本株立ちで、計測すると、90,40,70,70各cm計270cm。

なかなかの銘木ですよ。

松尾棚田の秋、夕景!

20240909_175239matuo 松尾豊かな大地の豊かな

「松尾地区の棚田は、一本桜とともに宮津湾を望むことができるのが特徴で、無農薬・無化学肥料を徹底した棚田米の栽培やブランド化を行っているほか、冬季の間も棚田を湛水化することで生物の多様性を維持するなど、自然環境を保護する活動も行われています。」

20240909_174657まつお東野棚田

この棚田は、東に向いています、もと東野という村の跡地を農地改良したものです。

20240910_100833東野一本桜

その《東野の概要》

東野村は、江戸期~明治22年の村名。「慶長郷村帳」の世野村のうち。はじめ宮津藩領、延宝8年幕府領、天和元年以降宮津藩領。

市の北部で、世屋川およびその支流域、汐霧山(624m)の西麓に位置する。松尾の西方標高380m前後の地域。

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幕末の草高は25石余、年貢率は定免で5割1分8厘。高掛物14石、山手運上米4斗余、稲木運上銀など4匁余。戸数6ですべて百姓、人口32(与謝郡誌)。明治4年宮津県、豊岡県を経て、同9年京都府に所属。同21年の戸数6。同22年世屋村の大字となる。
東野は、明治22年~現在の大字名。はじめ世屋村、昭和29年からは宮津市の大字。

《主な社寺など》東大明神
過疎により廃村となった。

論文「丹後地方における廃村の多発現象と立地環境との関係」によると、明治初期8戸、昭和38年5戸、昭和39年に無人化(市史によると3月)。のち新規転入1戸。

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20240909_175851まっつお

この海山空の連続した農業景観を作り出したのが『新規転入1戸。』の決意、、

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なにがうれして、なにが哀して、、、、と、よく言いますが、それはともかく、その決意を見守ったのが、松尾の一本桜。

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花は、生きる力、、、昨年亡くなったテルミばあちゃんも、鎌で草刈りしながらそういってらっしゃいました。

こんな棚田がタイや台湾、中国には今も現役だといいます。

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かって里山カメラマンを名乗った皆さん、そういうかたたちは、そちらへ流れましたね。

丹後へ大阪から来るより台湾に飛ぶ方が安い!

しかし、問題は、そこでしょうか!

『「棚田は、急斜面の山間部ゆえに、その保全が年々厳しくなりつつありますが、環境保全の重要な役割を担っているため、これからも守り続けていくことが大切です。」』

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一本桜二世が、力強くスタンバイしています、

棚田景観の価値と意義、我が国の問題として足元をしっかり見つめたいものです。

キノコシーズンを迎えた秋の森。

白いキノコ。

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黄色いキノコ。

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紅葉前の森を彩ります。

白いキノコは、小さな羽虫がいっぱい。香りも少しします。

黄色いキノコはよく振ったビールの栓をから噴き出す泡のような勢い。

さて、関心は、これらが、食べられるか否か!

どちらも美味しそうですが、黄色いのはアウト、『オオワライタケ』。

白いキノコは、食用可、『ブナハリタケ』。

20240908_145836moriwo森を楽しむ

ところで、このキノコと森との関係について、森の面白さ、楽しさを、また一つゲット、という気分にさせてくれるネタ。

地中には菌類ネットワークがあって、

それらが、木々の、互いのつながり合い、互いの認識しあい、さらに栄養の送り合いに関係しているのではないか、

ということが、科学的に証明されたといいます。

研究したのは、カナダの森林生態学者。ブリティッシュコロンビア大学 森林学部 教授スザンヌ・シマードさん。

その論文は数千回以上も引用されて世界中の森林生態学に多大な影響を与えているんだそうです。

「森では木々が、会話を交わしている(How trees talk to each other)」

どんな時にどうなるのか、木々の間の会話をどのように人間語に訳されたのか

ぜひ知りたいところです。

 

 

 

羽衣姉さんに斜陽、あ、!

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そうか、九月、秋分が近くなっているのだ!

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南北に走る大宮バイパスに向いた長方形の建物、丹後織物ホールの壁は、ほぼ東西のラインを指しています。

壁画の描かれているのは、南側の面です。

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昇り沈みの位置を変える太陽、これまでは北の寄っていたのを、夏至を機に反転、南に変えてきたのです。

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壁画の羽衣姉さんは、太陽が、これから、冬至で北に反転、春分すぎまでその斜陽を受けるということ、

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さて、ふと思いました。

丹後に、一人取り残され、指先に旅するチョウアサギマダラを止らせ見つめる姉さん、彼女の心中や如何、

楽しいのだろうか、苦しいのだろうか、

それは想像しかないのですが、、、、これもありか!

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劇作家、鴻上尚史さんの戯曲『朝日のような夕陽を浴びて2024』の帯のセリフです。

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朝日のような夕陽を連れて、わたしはここにいつづける

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わたしは一人

1人では耐えられないから

1人では何もできないから

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1人であることを認め合うことは

たくさんの人と手をつなぎあうことだから

、、、

冬空の流星のように、わたしは一人

、、、、、

これは、丹後、いえ現代人の今の状況と同じじゃないですか。

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過去の状況とモチーフに現代の状況とモチーフを重ねる、そういう意図とメッセージを持って描かれることはおおい。この壁画の作者さんたちも、そうなのだろう。

20240411_153815へえーチーム

朝日のような夕陽を連れて、わたしはここにいつづける

これからは、朝日も当たります。

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作家さんは、壁の向きと陽の当たり方、それも織り込んでらっしゃるとしたら、、、、

 

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ちょっと半端なくわくわくとしながら、そうなら、谷口謙先生の詩も、このそばにおいてほしいものだと思いました。

 

 

 

 

丹後半島東側の日置に、コンビニ 出店!

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「知らんかったん?、二ヶ月前やで!」

エー!!!

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工事は何やら以前からされてはおりましたが、それにしても、敷地の広さと庭園の凄さは、自動車道のサービスエリアもひっくり返るほど。

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さて、山陰海岸世屋川流域エコ&ジオパークはこの駐車場から、山に向かって回れ右.

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世屋川流域エコ&ジオツアーの集合場所として絶好の位置です。

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これから、活用させていただけたらと思います。

小さな旅に出ました、サービスエリア、パーキングエリアのトラックたち。

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このトラックが里と都市を繋いでくれているんだなぁ!

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里と都市、爺ちゃん婆ちゃんと息子・娘&孫を繋ぐそのトラックを運転するのは人。

、、、浮かびました

『いすゞのトラック youtube』

「ドアを開けたら冷たい空気 白い息ひろがった
ポケットの中 凍える手 昨日の星に さようなら
さぁ 走り出そう 夜明けの街へ 朝がはじまる 朝がはじまる
いつまでも いつまでも 走れ走れ」

里と都市、爺ちゃん婆ちゃんと息子・娘&孫を繋ぐ歌、大谷翔平、いえ、大友翔平の歌もつかだまことの歌詞も奥居史生の曲も絶品。

聴きながら涙そうそう!

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[大型トラック★のお仕事 ISUZUに乗る男が ISUZU好きに贈る ISUZUだけの動画]

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これを聴きながら丹後路、秋のドライブ、お奨めです。

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