せや姫さんの森が、画面左手。
世屋野蕪村さんは、ここに社を祀ろうと古代の住民が考えたのは、いざなぎ、いざなみ両神様のお子さんの霧神さまの巡行をお迎えするための適地としたためと言っていいと直感的に考えているということです(^.^)「せや」という名を持つ神様は、霧神様をお守りする役目を持ちますので、「守る」というのは、与党提出の安全保障法案が国会でめったぎりにあっていますが、「攻める」ことと裏表の意味をもちます、つまり「武器」を所有すること、行使することです。その当時の最新最強の武器をせやひめさんは携えてお守りしていたはず。それは「鉄」。サイトウさんはこういう資料をひいて、次のようにおっしゃっています。
『原日本考(正篇)』は、…且つ其の御名は勢夜せや陀多良たたら比賣ひめと、こゝにも陀多良即ちタタラの御名を現はしてある。日本書紀はこれに対しては前掲の引用文の如く、玉櫛媛の御名を伝へてあるが、その婚ひの相手方たる事代主神そのものが、鉄産に関係のある蛇の傳承を多大に負ふた神であって、且つ出雲系の大神であることを考へると、古事記所傳の媛の御名も、決して偶然のものでないことが認められる。…
因みにタタラは風送り装置を従属した土製の壷で、この壷に砂鉄と木炭とを入れて点火し、風送を行って壷中の炭火の燃焼を熾んにし、高温度を起さしめ、砂鉄の熔融と鉄の分離を起させる仕掛けのものである。原初に於て此の風迭り装置は獣の皮嚢を以て行はれた。壷も手に提げられる程度のものであった。セヤダタラのセヤは鉄を意味する古代湮滅語の一つである。と。
あるいは、こうもおっしゃっています。
サシスセソは鉄を意味すると思われるが、セヤのヤは何か。
『万葉集』巻二十4398。ここは読めないのかほったらかしになっているが、「於此曾箭」という言葉がある。ここを「負征矢(おひそや)」と一般に訳していて、征矢とは戦争の対人用の矢だとする。
そうかも知れないが単に「鉄ソ矢」ということかも知れない。そんなことはわからない、ここにしか用例がない。世界に一つだけの地名のようなもので意味を決める決定打がない、通説は強烈に疑うのが正解と私はいつも思う。
ここの曾箭は鉄の矢だと誰かが書いていたように記憶するが、思い出せない。銅矢(カグヤ)という言葉があれば、鉄の矢を意味するソヤとかセヤ、サヤという言葉があっても不思議ではない。
(↑世屋川下流 この川の谷にそって風が行き来します)
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木子には「てつだに」という谷があると矢野さん。それが「鉄谷」としたら、丹後半島世屋高原を拓いた人たちは鉄文化を持った人たちだったということになる、、、その祭神さまが、「せやひめ」こんな妄想を巡らしながら、海から山へ谷を上り来る霧をみていました。