宮津エコツアー · 11月 2019

11月 2019

「三戸野山 きょうみるきみは 夢ならで 

        見てあたたかき もみじ葉の映え」

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(↑ 丹後縦貫林道成相線)

ガラシャさんが山をおりる時に詠んだとされる歌です。

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秀吉から赦しの報が届いたのはもみじの秋のことだったのです。

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本能寺の変の報に接し、明智の娘、玉の処遇を迫られた際、味土野の山へしばらく隠しおけと細川幽斎さん。その時「殺すには惜しい女じゃ」とつぶやいたと、松本清張さん。

義父幽が、惜しんだのは玉の和歌の才だったとか!

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さて、玉さんが見たモミジ、

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(↑ 小町公園)

見てあたたかき もみじ葉の映え、いま丹後の山は、もみじ祭ですよ。

耳を澄ますと、災害無線放送、、

「コシアブラが、黄信号を出しています。」

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「ウリハダカエデは、赤信号です。」

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「みなさん、ご注意ください」

こんな放送してくれる町があったらすてきですね。

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コシアブラやウリハダカエデがどんな注意情報を発しているかというと、例えばインフルエンザ流行注意報。季節は秋から冬、寒い友達が訪ねてきます、寒暖の大きな差に体調を崩さないように、そなえてくださいよ、、、です。

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丹後は、紅葉と虹の季節を迎えます、

 

晩秋の京都・大内山仁和寺

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その書院の一室に御室流!

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ただしくは 仁和寺 御室流華道.その源流は9世紀末、仁和寺開創の宇多法皇までさかのぼり、「風雅をこよなく愛した法皇は、桜一枝を御室の醍醐帝に届け、いま一枝を御室の宝瓶に挿して、人心教化の一法として挿花の道を示した」ということです。
「人心教化の一法」、、、なるほど、、、頷くばかり!

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また、御室流華道によるいけばなの特徴は、大別すれば、生花と自由花、創作花の三つ。
「生花は、伝統的様式を伝えて、さまざまな決まりがある。その基本は、3本の役枝によって構成されます。役枝は、「体・相・用」(仏教で、人間の心に備わる3つのあり方をさす)と名づけられ、寸法や枝を曲げて形を整える時の角度などに厳密な決まりがあります。
これに対し、自由花(盛花と投入花)は、制約が少なく、私たちが日常目にする色鮮やかな草花を自由に使えるものとして生み出されました。これは、「体・相・用」の概念は共通するものの、役枝の使い方などはより自由で、花材の選択・取り合わせも生花とまったく異なるなど、生花と別の色彩豊かな世界を表現することが可能となります。
また、役枝を設けないさらに自由な生け花を、創作花と呼んでいます。
仁和寺の文化活動のひとつに、「御室流華道」があります。仁和寺の門跡を家元に、華道を通して芸術と宗教による人格の形成をめざしています。」
と、 華道・仁和寺御室流 | いけばな(華道) | 紫光会 中嶋皐月さん。
satsuki-n.com/ja/flower-arrangement/omuroryu/

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生花と自由花、創作花という分け方、これは、人間分類が花に託されているのかもしれません、人は、生花人と自由花人、創作花人この三つに大別される、、、と!
ガイドをお願いしたのは、 若い寺僧さんでした

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その中でお話されたこと、
①立石電気の社名「オムロン」は、この「御室・おむろ」由来であること、
、、、なるほどぉ、、、
②「仁和」寺は、「仁和◆◆年」という元号由来の寺名であること。この元号由来の例は、他に三つ、すなわち、最澄の比叡山延暦寺、北条時頼の巨福山建長寺天海の東叡山寛永寺
いずれも、人心教化、国家安泰に貢献するところ大であると認められたことによるもの
、、、、、なんとなんとぉ、、

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(上 手前のパイプは台風被害のために修理中とのこと、)

丁寧に熱心で、気持ちが伝わってきて、『年寄るまで石清水拝まざる仁和寺にある法師』とは、お若い頃はこんなご坊だったのかなと思いながら楽しい一時を過ごせて、感謝感謝です。

京都にはもう一つの塔、、、、

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これを建てた方、生花人と自由花人、創作花人、、いずれのタイプの方なんでしょう。

 

花の色は移りにけりな、、、

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日本の芸能文化史に名を刻む小野小町さん、

彼女が晩年を過ごしたのは、丹後の国三重の庄五十河の里、ではないかとされています。

九重の花の都に住みはせで はかなや我は三重にかくるる

この三重というのが、根拠です。

とはいうものの本当かどうかはわかりません、各地に小町伝説はあります。

大切なのは、疑いつつ信じること!

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旧大宮町が、小町さんにまつわるエピソードを取り込んで公園として整備したのも、そんなエネルギーがあってこそでしょう。

そんな公園に深まる秋、

情熱こそ人生!

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まだ少しある筈なのですわたしにも熱情といふ生真面目なもの.  七戸. 大串. 靖子さん

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九重の花の都での熱く燃える一線の活動からは引退するけれども、里の人たちに文字や歌を教えることに、第二の人生の意義を見つけ、「まだすこしある熱情」を傾けて過ごしたのではないかなぁと思えたりしてきます。

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年取用の干し柿。

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「この干し柿たち、小町さんが剥いたのですって、一晩で!」

そんな伝説をここに植えられたブナも、あほいうて、とわらっています。

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絶世の美女として知られる小野小町が、この地で辞世の句を残しこの世を去ったといわれる、小町ゆかりの公園。神殿づくり(※寝殿作り ではないでしょうか)をイメージして建てられた「小町の舎」には、小野小町に関する文献・資料が展示してある。また、そば処「歌仙」では、五十河の自然の中でとれたそば粉を使い、「ひきたて、手打ち、湯がきたて」にこだわったそばを提供している。

さて、この小町公園が、いま期待されているのが、丹後縦貫林道成相線の全通によって、丹後自然観察ツアーの基点・拠点になることです。

先日迎えたお客さんは京北町で、活躍される樹々の会のおばちゃんたち。

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そのコース!

京北出発7;00→自動車道京丹後森本インター→小町公園(休憩・小町資料館など見学)→丹後縦貫林道成相線→

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ビューポイント→ブナ・ミズナラ個体群横断→せや高原矢野武さん農園

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→上世屋の里・

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へーぇえ!「ちいさなはなこそたいせつにそだてよう、だって」

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「きれいやなあ!」

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藤織り伝承館→

ここでは、古代布藤布を着せてもらいました!

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お昼は、しおぎり荘

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世屋谷を日置へ下って、ここで海岸通りと合流。

お土産の買い物は海産物専門のやまいちさんで→

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こんな可愛いお土産も。

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自動車道与謝野インター14;00→京北町

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さらに、このコースのバリエーション。

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駒倉側入山口から、観察道を辿って高山・内山ブナ林、丹後半島最高地点702mに立つことが出来ます。

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このコースを丹後のやまちゃんの手によるウエブ『ブラタンゴ 花鳥風月』がアップしてくださっています。とくに貴重なのが、ドローンによる高山山頂上空からの紅葉の山の空撮写真。

伊根方向です。

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下は、丹後町方向、真ん中に宇川野間の谷、その左にガラシャの里、味土野と金剛童子山!

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京都府が、ブナ・ミズナラを中心とした充実した落葉広葉樹の森を、自然環境保全地域に指定している意味を実感させてくれる貴重な映像です。

また、このコースご案内は、丹後半島エコミュージアムサービス、川内さんまでお問い合わせください。連絡先 090-3162-4499

 

 

 

 

 

 

「伊根満開」あります!IMG_2147

ソムリエ田崎氏の推薦という世界の指導者が集った大阪サミット公式晩餐会食前酒、「伊根満開」は、いまや幻の銘酒!

これを置くのは、須津の「酒源」さん。

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この酒源さんに丹後の「銘酒」の揃うわけは、お店の当主、酒の十徳を語れる所にあります。

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ちなみに、この酒の十徳とは次のようなこと。

江戸時代に、『餅酒論(もちさけろん)』という一種の知的な遊びが流行しておりました。

これは、餅が好きな人と酒が好きな人とが集まり、餅組と酒組の二組に分かれて、餅と酒のどちらがすばらしいかという議論をたたかわすものです。

餅組は餅の良いところと酒の悪いところを論じ、酒組はその反対を論ずる、これが『餅酒論』です。

結論としては、酒も餅も適度に飲食するのが良いということで決着がつくのですが、この『餅酒論』の結論として酒組のまとめた「酒の十徳」というものがあります。

これは酒の持つ十の効用を並べあげて、酒を称賛したものです。

〇 百薬の長

ほどよく飲めば、万病に効く。

〇 寿命を延ばす

体に活気を漲らせて健康を保ち延命の効果がある。

〇 旅行に食あり

旅先で、疲れている時でも食欲を増進する。

〇 寒気に衣あり

寒いときに酒を飲むと衣のように体が温まる。

〇 推参に便あり

お祝いやお見舞い、お土産などに持っていくと喜ばれる。

〇 愁いを払う玉箒

嫌なことを忘れさせてくれて、心の愁いを払ってくれる。

〇 位なくして貴人に交わる

身分の上下を越えて交友できる。

〇 労を助く

疲れた体を酒が癒してくれる。

〇 万人と和合す

酒は人の心を開き、多くの人と出会い、親しくなれる。

〇 独居の友となる

独り淋しいときには、友人のように自分を励ましてくれる。

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『餅酒論(もちさけろん)』、いまでいうディベートです。この討論力、その力の育成は初めて聞くようなことを言いますが、日本ではとうの昔にやっていたのです。

この酒源さんのカウンターにあるのは『丹後縦貫林道ものがたり』!

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なぜ、、、、、

わたしにもわかりません、

「 もっとも、酒に十徳があるのは、あくまでも適度の飲酒に限られます。 度を過ぎた深酒や、量は少なくても元々アルコールを受け付けない体質の方が飲酒することは百害あって一利ありません。古文書にも、酒の効用ばかりではなく、「狂水(くるいみず)」「地獄湯(じごくとう)」「狂薬(きょうやく)」「万病源(まんびょうのもと)」などといった言葉で酒害を説いているものもあるのです。」

悪酔いしない酒の肴なのでしょうか!

隠岐へ渡る機会がありました!

境港から渡ります。

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日本海に吹き出した火の島というのに惹かれたのです。

その断崖。

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冬の暴風暴波が作り出した、専門用語では、海に食われた崖、つまり海食崖!

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この高さ、257mなのだそうです!

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見に来てよかったとおもわせてくれた決定花は、ツワブキ!

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こんな岩場に転々と咲いているのです。

あぶない、そんなとこいっちゃああかん もどれー!

それが、まあふつうでしょう

暴風暴波にさらされる絶壁でも、活き場所、死に場所ときめて咲く凛とした覚悟の花、

すごい、素晴らしい!

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行ってきてよかったよ、とご挨拶したら、

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水木さん、「なまけものになりなさい」、濃い意味の言葉をかけてくださいました!

もう一つ土産話、

稲木も漁村も舟屋もみるものみんな丹後とそっくりでしたけれど、つたわる話もそっくりでした。というのが、この巨スギの名は、「八百スギ」

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八百比丘尼にちなんだものだそうです。

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この伝説も丹後各地に残っています。

まず、その基本的なストーリー

八百比丘尼伝説[編集]

八百比丘尼(やおびくに)は、人魚など特別なものを食べたことで長寿になった比丘尼である。福井県小浜市と福島県会津地方では「はっぴゃくびくに」、栃木県西方町真名子では「おびくに」、その他の地域では「やおびくに」と呼ばれる。高橋晴美によると、その伝説は全国28都県89区市町村121ヶ所にわたって分布しており、伝承数は166に及ぶ(とくに石川・福井・埼玉・岐阜・愛知に多い)[70]。白比丘尼(しらびくに)とも呼ばれる。800歳まで生きたが、その姿は17~18歳の様に若々しかったといわれている[71]。地方により伝説の細かな部分は異なるが大筋では以下の通りである[72]。
ある男が、見知らぬ男などに誘われて家に招待され供応を受ける。その日は庚申講などの講の夜が多く、場所は竜宮や島などの異界であることが多い。そこで男は偶然、人魚の肉が料理されているのを見てしまう。その後、ご馳走として人魚の肉が出されるが、男は気味悪がって食べず、土産として持ち帰るなどする。その人魚の肉を、男の娘または妻が知らずに食べてしまう。それ以来その女は不老長寿を得る。その後娘は村で暮らすが、夫に何度も死に別れたり、知り合いもみな死んでしまったので、出家して比丘尼となって村を出て全国をめぐり、各地に木(杉・椿・松など)を植えたりする。やがて最後は若狭にたどり着き、入定する。その場所は小浜の空印寺と伝えることが多く、齢は八百歳であったといわれる。

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『京都の伝説・丹後を歩く』
〈 乗原の千年比丘 伝承地 竹野郡丹後町乗原
昔、この村に一人の僧がやって来たそうだ。その僧が此代の海から奇妙な魚を拾ってきた。その魚は、普通の魚とは異なり、胸から上は人間のようであるし、腰から下は魚の鱗がいっぱいある魚だったので、庚申侍をして、みなで食べようかと言っても、だれも箸を出さなかった。
大久保喜兵衛の娘が一口食べてみたところ、その魚のやわらかくて白い身は今までに食べたことのないおいしいものだった。ちょうど石榴のような甘酸っぱい味がしたのだそうだ。
ところが、それ以来、困ったことに、娘は病気ひとつしないし、体はとても大きくなって、嫁のもらい手がなかった。親も兄弟も隣りの家の者も、さらには村中の者がみな死んでも、福々しい娘のままですこしも年をとらなかったものだから、乗原にいるのがつまらなくなって、但馬の方に行ったそうだ。
但馬で嫁にいったという話もあったが、また、乗原に舞い戻ってきて、村に役立つことを何かしたいものだと思って、依遅ヶ尾から落ちてきた石を選り分けて、庚申墓の方から植松のあたりまで敷いた。道が固まって村中の者は喜んだという。また、牧の谷に降りる植松の大きな松もその娘が植えたそうだ。
その娘は八百年余り生きていることから、「千年比丘」といったそうだが、最後には若狭の方へ一人で船に乗って出たということだ。その後どうなったのか、だれも知らないが、何でも、お宮に祀られたとか。 (『丹後の伝説』)
伝承探訪
九州から青森県にかけて、とりわけ日本海側に色濃く、八百比丘尼の伝説が分布している。八百比丘尼とは、人魚の肉を食べたために、若い頃の姿のまま、八百年も長生きしたという尼の話である。福井県小浜市の空印寺の岩屋に籠もって入定したと伝えることが多い。丹後地方にもこの伝説に関わりのある場所が各所にある。たとえば、宮津市の栗田半島の塔ヶ鼻には八百比丘尼がいた庵の跡というあたりに供養塔が建てられ、そこが出生地だともいう。また、久美浜町葛野の岩船神社の左右にあった松の大木は八百比丘尼が植えたものだという。この八百比丘尼は尾張国の出身であったとされる。さらに、宮津市の山あいの木子・世屋のあたりには八百比丘尼が穴を掘って入定したと伝えるところがあるという。
ここ丹後町乗原でも、このような伝説によく似た、千年比丘と呼ばれる人の話が伝えられている。乗原は、海辺の此代集落から旧道を二キロ登った峠の上の戸数三十軒の集落である。屹立する依遅ヶ尾山の北山麓にあるため、牧の谷から吹いてくる北西の季節風は激しいものであった。かつては木材業や茶・蜜柑などの生産が盛んであったという。ここは大久保・川戸という二つの姓に分かれているが、このうちの大久保家の本家にあたる大久保喜平治氏のお宅がこの千年比丘の生家であったと伝える。当家は平家の流れをくむとされ、江戸時代初期の元祖からの名を記した位牌を伝えている旧家である。江戸時代から明治時代以降にかけて、造り酒屋や材木屋を営んでおられた。造った酒は宮津の町まで運んでいたものだという。喜平治氏の祖父は千年比丘の命日とされる日には小浜まで参っておられたとのことである。氏も祖母からこの話を聞いておられる。千年比丘は天候をよく当てたので、漁師から乞われて小浜に行った、しかし、あまりに長生きをしたので、世をはかなんで京に行った(死んだこと)、そこには白い椿の花が咲き、清水が湧いた、という。
八百比丘尼伝説は、まさしく、家の伝承として伝えられてきたのである。  〉

 

 

 

つわぶきの向こうにシイの巨樹、

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宮津山王日吉神社です。

踏む砂利の音が、心のリズムを整えてくれます。

観光シーズン、待つ人のあふれる居酒屋がある一方、しいて人を求めない清潔さが嬉しいです。

宮津を鎮護する役柄への深い自覚が、こうした威厳を醸し出すのでしょう。

神域全域が文化財環境保全地区に指定されるのも当然です。

山の王 を名乗るのにふさわしいのが、境内の木々。

なかでも、シイ、これは一件に値します。

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時折行き交う電車の音も、静けさの妨げにはなりません。

また、11月はサザンカ!

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近在に珍しい巨木です。無数の花を咲かせます。樹の下によればほのかに香る甘さ、一つ一つの花からの香りは無い花なのに、無数の花がさくからこそ味わえる季節の香りです。

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漱玉亭の山茶花と呼ばれます。江戸時代初期、宮津藩主の手によって庭園が整備された際のもので、宮津市指定自然文化財の名に恥じません。

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■宮津城下を見下ろす丘の上を神域として宮津を鎮護する山王宮日吉神社。敏達天皇元年(572年)を起源とする境内は樹齢一千年ともいわれます椎の御神木をはじめとした巨木に囲まれ、ご本殿を中心に八社の摂・末社が鎮まります。ご本殿や幣殿拝殿また神輿、灯篭にいたるまで、神域の多くは歴代の宮津城主が再建寄進したもので、山王宮と宮津藩との深い繋がりを窺うことができます。江戸時代初期、藩主・阿部正盛により再建されたご本殿は京都府指定文化財に、また神域全域は文化財環境保全地区に指定されています。
境内は四季折々の美しい花々や野鳥のさえずりに包まれ、清らかで心癒される神域として古来変わらずに神々しい環境が守り続けられています。

季節の中でさまざまな神事や祭礼が執り行われています。
春の例祭「山王祭」は江戸時代には藩祭と定められ、宮津の町衆ばかりでなく藩の武士まで行列に参加しました。「宮津祭」の名はそうしたことから付けられた山王祭の俗称です。
山王の神は災厄除去の神であり、また安産・子育ての神でもあります。一年を通じ、杜の緑に囲まれた神域では様々な祈願祭や初土俵入などの可愛らしい行事が行われ、平安や幸福を願う多くの参拝者で賑わいます一年を通じ、杜の緑に囲まれた神域では様々な祈願祭や初土俵入などの可愛らしい行事が行われ、平安や幸福を願う多くの参拝者で賑わいます。

山王宮日吉神社www.sannougu.jp より )