与謝峠陸橋付近から見わたす加悦谷雪原の雪は丹後半島連山から吹き降ろしたかのよう!
「丹後半島の付け根に位置する与謝野町。鬼伝説の残る大江山連峰と江笠山に抱かれ、加悦谷平野を南北に流れる野田川は、日本三景の一つである「天橋立」の内海となる阿蘇海の源流。肥沃な扇状地と豊かな水源に恵まれ、古より稲作や織物業が盛んに行われてきた。
一帯には、日本海沿岸地域三大古墳の一つ蛭子山古墳や作山古墳など、大きな古墳が数多く存在し、いくつかの重なった条件から推察すると、丹後王国の強大な権力の中心地だったかもしれない…という。そんなロマンと可能性が秘めている場所だ。
また、古来より、この丹後地方では織物業が営まれ、古くは丹後国竹野郡から献上された「あしぎぬ」が、正倉院に残されている。そして、高級絹織物の丹後ちりめんは、基幹産業としてこの地域を支え発展させ、今もなお、機織りの音は途絶えることがない。」とweb「和の源流」。わかるようでわからない微妙な文章ですが、まあまあそこは、、、。[古来より、この丹後地方では織物業が営まれ、古くは丹後国竹野郡から献上された「あしぎぬ」が、正倉院に残されている。]というこのあしぎぬ・絁を献上した丹後国竹野郡は、正面半島連山の左端、金剛童子山のふもとになります。
この与謝峠は、古来より山陰道から丹後の国府へと続く官道。「大江山生野のみちは遠ければ」と詠んだ小式部内侍ももし丹後へ来ていたとするなら見るはずだった景観です。
「ここがお母さまが待ってくださっている丹後ですかぁ、いる天橋立はどこにあるのでしょう」とかなんとか。
与謝野町は個性のある町です。
今にも動き出しそうな機関車。
さて、丹後半島の付け根に位置する与謝野町。と引き合いに出してもらってうれしいその丹後半島は、正面の雪の連山とその向こう。
また、この与謝峠から、丹後半島の山は展望できるものの岩滝、野田川、加悦の旧三町の合併でできたその「与謝野町」全体は展望できません。
阿蘇海沿岸の岩滝も含めて与謝野町全体を見ることができるのは丹後半島を縦貫する林道成相線鼓ケ岳付近からです。
いま行けるかといわれると行けません、
丹後半島は、大雪。
懸命の除雪。しかし、生活道路部以外は除雪対象ではないのです。
春になって雪が解けて通行できるようになったら、ぜひ上がって見られるといいですよ。